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追伸:電子書籍について

ひとつ前の記事にて、マイ電子書籍のiPhoneでの不具合をご報告しておりますが、
本日Amazonのサポートより返事をいただきました。

システムエラーによる不具合だったが、修正された、とのことでした。
わたしが購入した分も、タップしてみるとダウンロードが完了しました。

iOS系でお買い求めくださった方は、ダウンロードをお願いいたします。

また、その他の点で何かありましたら、ご連絡ください。
どうぞよろしくお願いいたします。

個人の出版であるにもかかわらず、迅速な対応をしてくださったAmazonに感謝します。


4/27 追記
Kindle for PCでどうして見られないのか、Amazonに問い合わせてみました。
4/22に問い合わせ、「4/27まで時間をいただきたい」というお返事をいただき、4/27夜になって解決しました。

現在ではKindle for PCでも閲覧可能です。

丁寧な対応をしてくださったAmazonに感謝します。

また、PCで閲覧できるようになりましたので、よろしければお手にとってみてください。

2016.4.29 17:00 ~ 2016.4.30 16:59  ¥0キャンペーンを実施します



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電子書籍について

記事内にて電子書籍の個人出版と無料キャンペーン設定についてご報告したところ、「もしかしたらこのくらいは売れるかな?」という予想を超えてご購入くださる方がいらして、喜びや驚きや感謝で胸がいっぱいです。
(希望的予想が「5人くらいは・・・」と低かったせいもあるので、決して何十人もの方に見ていただいているわけではないのですが:^^;)

この機会に自分でも購入して、改善点があるかどうか確認したところ、iOSでダウンロードができませんでした。
(AndroidやKindle専用リーダーなら読めるのかどうか、確認手段がなく不明です。)
この点につき、以下のように対応しております。(2016.4.17)

Amazonに問い合わせ → 指示に従い文字コードを修正 → 再出版 → 再度配信 → ダウンロード不可 → 削除して購入し直し → ダウンロード不可 → 念のため再度修正 → 出版 → ダウンロード不可 → Amazonに問い合わせ

問い合わせも再出版も待ち時間が発生しますので、無料キャンペーン期間中に修正が間に合わないかもしれません。
その場合は大変お手数をおかけしておそれいりますが、ご購入後、修正版に更新していただけると、大変嬉しく、ありがたいです。

修正版について調べたところ、Amazonトップページ→「アカウントサービス」→「コンテンツと端末の管理」にて、修正版を再配信できるそうです。
重大な修正であればお客様にメールを送ることも可能のようです。

そのために、よろしければご購入くださった皆さまの状況をお聞かせいただけると、大変助かります。
この記事のコメント、または拍手コメントに、ご覧いただく端末の情報と可・不可について、よろしければぜひお知らせくださいませ。
また、この件に関する専用メールアドレスを作成しましたので、以下のアドレスの★を@に変えていただき、メールにてお知らせくださることも可能です。
sugarsnow_bluewillow★yahoo.co.jp

このたびは、自分の手数だけでなく、ご購入くださった数少ない大切なお客さまにまで、ご迷惑をおかけすることになってしまい、申し訳ない気持ちでおります。
修正され、無事にダウンロードできるようになりましたら、また記事内にてご連絡いたします。(重大な修正であるかどうかのAmazonの審査に通れば、メールもお送りするようにいたします。)
また、まだ無料キャンペーンを設定できる期間が3日ほど残っております。(いっぺんに使い切らず、念のため残しておいて本当によかったとつくづく感じているところです。)
どうしようもなければ、ご購入分を削除し、新たにご購入いただけるようにしたいと思います。

ご購入くださった方々に、心から感謝いたします。ありがとうございました。
同時に、大切な皆さまにご迷惑、お手数をおかけしてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
それでもやはり、手にとろうと思ってくださる方がいらしたということに、喜びがわきあがります。
何度申し上げても足りません。ありがとうございました。

また、購入には至らなくても、興味を持ってくださった方々に、心から感謝いたします。
本当にありがとうございました。



Kindle無料アプリを、スマートフォン、タブレットにダウンロードしてご覧いただけます。




近況報告2

この4月から、今中断している仕事記録の職場で、雇用形態をフリーランスから常雇いに変えて働かせていただくことになりました。
これから先に出会うことは、どこまでが秘密保持誓約にかかる内容か微妙です(だいたいこういうものは表現があいまいで、何かあったらとにかく責任をかぶせられるようにできているわけですし)。
そのため、ここから先 出会うさまざまな場面は、記事にできないと思います。

また、出版社見聞録のときも、また今の職場でもそうでしたが、はじめのうちは面白いとか知らなかった発見ばかりです。
ところが、深くかかわるようになると仕事内容ばかりでなく、人間が深く関わってきます。
4月のたった2週間で、今の職場も魑魅魍魎の世界に思えてきました。
仕事上の体験と、人間同士の思惑やかけひきや衝突が、語る上で切り離せなくなっていきます。

まだ去年までに出会ったことで語っていないことがあるので、それは少しずつ進めていきたいと思っています。
いわゆる「就活」も終わったので、4月からは少しずつと思いましたが、やはり場所や立場が違うと気持ちや時間のゆとりがないものですね。
おいおい進めていきます。

ところで、3月末に、なかなか時間がとれなくなるだろうからと、一度やってみたいと思っていたことを実行しました。
働く日々に書き溜めた詩をまとめて、Amazonダイレクトパブリッシングを通して電子書籍化したのです。

明日(2016/4/17)の16:59まで無料キャンペーンを設定しています。
よろしかったらお手にとってくださいますよう、お願い申し上げます。
昨日(4/15)の17:00から開始しておりますが、やはりやってみると「え?」と思うことが発覚します。
それでも、無料キャンペーンの設定期間が終わってしまうので、ここに告知させていただきます。


  期間:4/15 17:00 ~ 4/17 16:59


どうぞよろしくお願いいたします。
※iPhoneでの閲覧について、さらに追記があります(4/17 09:00)

Kindle無料アプリを、スマートフォン、タブレットにダウンロードしてご覧いただけます。



追伸:
Kindle for PCでは個人出版物は表示されないのではないかという疑惑が発生しました。しかし調べきれていません。(解決しました。現在PCでも閲覧可能です)
Kindle for iPhoneで購入してみたところ、今ひとつうまくいっていません。購入はできるのですが、完全にダウンロードできずにいます。わたしのだけ?(解決しました。現在iOSでも閲覧可能です。)
現在問い合わせ中です。申し訳ありません。

追記:
上記に関して、まだAmazonから回答をいただいていませんが、KDPフォーラムやネット記事で発見したことを書き添えておきます。
・PC用のKindleアプリでは購入できないかもしれません。その場合は申し訳ありませんが、スマートフォン・タブレットにお願いします。
・iPhone、iPadで読めないという現象は、他でも起こっているようです。バージョンにもよるようです。
 ご購入いただいた本が読めない場合、Amazonから返金されるそうです。
 代金のことよりもせっかくご購入くださった方に読んでいただきたいのですが、いずれ不具合は修正されるかもしれないと期待したいと思います。
 大変お手数ですが、読めなかった場合は、Amazonにご一報くださるとありがたいです。どうぞよろしくお願いいたします。

・iPhoneで読めないという現象は、アップロードしたファイルのエンコードによるものでした。修正版をアップロードしております。
 しばらくすると更新後のファイルが販売中になるはずです。これまでにダウンロードしてくださった方で、うまく読めない場合、お手数ですが修正版にお差し替えください。修正版が販売中となりましたら、またこちらでもお知らせいたします。

・修正版をアップロードしましたが、問題が解決されておりません。
 改めて記事を書きますが、Amazonに再び問い合わせ中で、時間がかかるかもしれません。
 修正版がきちんとアップロードされましたら、またこちらにてご連絡させていただきます。

Amazonにご対応いただきました。
現在、iOSでもKindle for PCでも閲覧いただけます。


初めてで、いろいろなことにつまずきます。
読んでくださる方を巻き込んでしまい、申し訳ないです。温かい目で見守ってくださいますよう、お願い申し上げます。


近況報告

やはり自転車操業になってから、更新が滞ってしまい、長い時間が経ってしまいました。

言い訳をするなら「あれと」「これと」とありますが、人生には常に何かが起こっているので、言い出したらきりがありません。

3月になったら求職活動を始める予定です。
そうなったら今の仕事についてはいろいろな理由で書けなくなるかもしれません。
だから本当はそれまでに下書きだけは済ませておきたかったのですが、全然です。

新しい職場が決まれば、慣れるまでゆっくり何かをすることはできないかもしれません。

否定的なことばかり書き連ねてしまいましたが、できればきちんと結びをつけたいとは考えています。
いつになるか分かりませんが・・・・・・

肢体障害:選択肢を提供する

肢体障害とひとくちに言ってもさまざまだ。

下肢麻痺で車椅子を使っている人も肢体障害。
片腕が義手の人も肢体障害。
脳卒中などで体の片側が麻痺している片麻痺の人も肢体障害。上肢も下肢も麻痺していることになる。でも片麻痺だから、両足が麻痺しているわけではなく、車椅子ではない。

車椅子に乗っていると言っても、これもまたさまざま。
腰から下だけが麻痺していて、上半身は普通に動かせる人。
胸から下に麻痺があって、腕や手の指を動かすときも力が入らないことがある人。
首から下という人は就職にしろ通うにしろ困難なので、スクールにはほとんどいないが、そういう人もいる。

どの方法を使うのがいいのか、その人にとって最も適しているのか?
障害の状況だけでなく、個人の好みというものもあるので、さまざまだ。

選択できるよう、選択肢はできるだけ多く伝えたい、とわたしは思っている。
そのために、講師はさまざまな方法を知っておくことが望ましい、とも思う。

何度も例に出すが、たとえばWordにおける「コピー → 貼り付け」の作業だ。

●リボンのボタンを使う
●ショートカットメニューを使う (右クリック)
●ショートカットキーを使う (Ctrl+Cでコピー、Ctrl+Vで貼り付け)
●選択範囲をCtrl+ドラッグ

単純に考えても4つの方法がある。

さらに、ショートカットメニューを使う場合も、複数のやり方がある。
●対象箇所で右クリック
●キーボードのショートカットメニューキーを押す

できるだけマウスを使いたくないという場合、キーボードでもショートカットメニューを表示できる。
このキーが用意されているキーボードの場合は、最下段Ctrlの左辺りの位置にある。たいていは、ショートカットメニューにマウスポインタが見えているような図が描かれている。

コピーというのは、範囲選択してからコピーするものだが、選択方法もいろいろある。
●マウスでドラッグする
●キーボードとマウスを使って選択する
  ○単語単位=ダブルクリック
  ○文章単位=Ctrl+クリック
  ○始点をクリック、終点をShift+クリック
●キーボードで選択する
  ○始点にカーソルを移動、Shiftキーを押しながら終点まで↓キーや→キーで選択

もしマウスでドラッグする方法を使うなら、行単位の選択も併せて覚えてもらったほうがよい。
行の左端の余白部分(選択領域と呼ばれる)でクリックする方法だ。何行も選択する場合、ドラッグよりもマウスを動かす範囲が少ないので、手にも多少の麻痺がある場合は楽だ。

同じように上肢にも多少の麻痺があっても、脳性麻痺が原因の場合と頚椎損傷が原因の場合は、若干状態が違うように思う。
これまで出会った脳性麻痺と頚損の人たちが何人くらいになるのか、数えたことはないが、かなり多いと思う。わたしはほんの数日だけ企業からやってくるスキルアップ研修も担当し続けてきたので、入れ替わり立ち代わり、いろいろな人と出会ってきた。さらにPCプラクティスは、コースに関わらずすべての人が受けるものなので、スタッフの先生たちより数だけは多く見ている。
一律に語ることはできないけれど、脳性麻痺の人はマウス操作を選択していることが多く、頚損の人たちはヘビーユーザーになると、できるところはキーボードを多用するほうがいいらしい。
頚損の人たちは、最初はマウスから入る。パソコンをヘビーに使うようになると、上肢に麻痺がある人でもできる限りキーボードオンリーにするようになる。もちろん受障以前に慣れていた方法がある場合は、そちらを使うことも多い。
ただ、思うに、入力するために棒などを手にセッティングしなければならないので、キーボード・マウス・キーボード・マウスと交互に使うのはやりにくいのかもしれない。それでキーボードを使ったらそのままキーボード、マウスを使ったらそのままマウスなのかもしれない。
脳性麻痺の人は、たいてい入力は指でしている。

つまり、「マウスでドラッグする選択方法を使うなら、行単位の選択も覚えたほうがいい」と言ったが、一律ではないということだ。

下肢だけに麻痺があり、上半身は健常者同様に動くなら、行単位の選択を覚えようが覚えまいがいい。「これを覚えておいたほうが効率よく選択できますよ」という意味で伝えるが、強制はしない。
講習対象が健常者の場合も「行単位の選択はこのほうが便利ですよ」と教える。ご当人がつい今まで通りドラッグしていれば、「行単位はこのほうが早いですよ」とか「箇条書きの行頭文字がついているときは、特に行単位で選択するほうがいいですよ」(行頭文字の位置がずれたりするから)と言う。
下肢のみ麻痺の人には、それと同じ程度にお伝えする。

しかしもし脳性麻痺の人が「自分はマウスのほうがやりやすいので」とマウスで選択する方法を選んでいるのなら、行単位の選択をもう少し熱心に勧める。

行単位の選択は、左端の選択領域をダブルクリックすると、段落単位の選択になる。(ちなみにトリプルクリックすると、文書全体の選択になる。)
段落全部を選択することはよくあるから、これも覚えておくといい。マウスを動かす手間が省けて効率的だ。特に脳性麻痺の人の場合、手が多少ふるえてしまって、ドラッグでの選択は身体が緊張するもののようだからだ。

また、範囲選択がマウスでドラッグする方法なら、ピンポイントのところにドラッグすることができれば、Ctrl+ドラッグが効率的だ。
ただしこれは、ピンポイントのところにドラッグすることに支障がなければ、だ。

さて。
ここまでは肢体障害のみの場合だ。

もし脳梗塞など脳血管障害による肢体障害の場合、高次脳機能障害を併せ持っていることも考えられる。
この場合は特別な注意が必要だ。

記憶障害があるなら、「こうすると便利」「こうもできる」「これも覚えるともっと効率がよい」とあれこれ言われても、いっぺんには覚えられない。
覚えなくてはならないことは最小限にとどめるのがよい。

しかし自分で判断をしていくことが困難な症状も出るときがあるので、「あなたが決めてください」と任せてしまうのもどうかと思う。

わたしの場合は、できるだけ相談して決めるようにしている。
これまでどのような方法を使っていたか確認する。それがよければ、そのままその方法を採ってもらう。
「とりあえず3つの方法を試してみましょう」と操作をしてもらって、どれが良かったか聞く。「自分はこれこれがやりやすかった」と言われたら、それでやってもらう。
翌日には忘れてしまうことがあるので、こちらで覚えておいて、次にフォローするとき「昨日、**さんはマウスが使いやすいとおっしゃってましたよ」とご本人が選んだ方法でフォローするようにしている。なるべく選んだ方法一択で進めていくよう、講師側で誘導していることになる。
何度も違う方法を使っているようだったら、「以前伺ったときマウスがいいとおっしゃっていましたけど、拝見しているとキーボードをお使いになることが多いようですね。そのほうが覚えやすいでしょうか?」ともう一度確認してみる。

肢体障害だけの人と、高次脳と肢体と併せ持っている人とが同じ講習を受講していたら、ケースバイケースで対応する。
多くの選択肢を説明するとき、最後に「覚えやすいものを1つだけ覚えてください」と付け加えるとか。
高次脳の人には各自練習の時間や休憩のときなどに聞き取りをし、またこちらからも全部覚える必要はないことを伝え、フォローするとか。
肢体障害だけの人が1人で、併せ持つ人が多い場合はそちらに照準を合わせた説明をし、肢体障害だけの人には個別にフォローするとか。

もし脳障害と肢体障害の両方があるようだったら、より一層ケアしながら進めていく必要がある。

とはいえ、肢体障害だけならケアが不要というわけではない。
受講者さんにお任せしてすべて済むなら、講師など要らないではないか。

また、選択肢は多ければ多いほどいいというわけでもない。
特にマンツーマンではなく全体に講習をしているとき、あまりにもいろいろ伝え過ぎても混乱するばかりだ。

たとえば、ExcelでSUM関数を入れるとしたら?
●リボン ホームタブのボタン(Σ)を使う
●数式バー左のボタン(fx)を使う (マウスをあちこち動かしたくなく、普段決まった関数だけ使うなら、便利)
●リボン 数式タブのボタン(Σ)を使う (手がふるえたりするので、ホームタブのボタンでは小さくてクリックしづらいとき便利。同じボタンだが数式タブのボタンは大きいのだ)

それ以外に「Alt+Shift+=」でもできる、と伝えたからといって、どうだろう?
選択肢を増やすのも麻痺があるからであって、麻痺があるのに3つのキーを同時に押すというのはやりにくい。
麻痺があってショートカットキーとして便利に使えるのは、2つのキーまでだ。これまでの経験から、わたしはそう思う。

一言にまとめると、「肢体障害の人が受講している場合は、選択肢を多く提案する」のがよいと思う。
●健常者向けの講習を基準とするなら、肢体障害の人がいるときはそれより少し多めに選択肢を伝える。
●あまりやりにくい方法は一斉講義の説明からは省き、知りたい人だけに個別に伝える。
●高次脳機能障害など、他の障害も併せ持つ人がいる場合は配慮する。

それから講師として大切なことを付け加えておく。
●講師はさまざまな方法を知っていたほうがよい。
●知識が多いとつい全部教えたくなってしまうので、引き算を心がける。

どんな講習でも――健常者向けでも障害者向けでも、この「引き算」というのが一番難しいものである・・・・・・



●9年目:ハートの中心
Chapter 2 ちょこっとTips -進め方編-



■目次へ■

■まえがきにかえて(おことわり)■


肢体障害

通常、講習会ではテキストに沿って進められる。
講習会でよく使われるテキストには、参考として「その他の方法」が書かれていることもあるが、それに触れるか触れないかは講師の考えによる。

たとえばWordやExcelでコピーをする箇所は、たいていボタンを使う。
しかし「右クリックも覚えておくといい」と考えて、右クリックも紹介する。
「とにかくショートカットキーは作業効率がアップするから、できるだけたくさん覚えて活用すべき」という講師は、ショートカットキーも伝えるかもしれない。
「今回は初心者向け入門講座ということだし、1つの作業に対してそこまであれこれやったら覚えきれないだろう」と、ショートカットキーは省略することもあるだろう。

障害のある人を対象にしている場合は、障害についても考慮することになる。

もちろん通常の講習会でも、対象者の状況によって臨機応変に対応する。
区や市の講習会で、定年後の高齢者がほとんどという場合と、企業内研修で、しかもその企業は優秀な人材を取捨選択して採用しているという場合では、同じなわけがない。
講習スピードも変える。ゆっくりと早め。
言葉遣いも変える。一方はIT用語を多用せず、あるいは使ったら平易な単語でもう一度伝える。もう一方は一般的な用語であれば、IT用語を使ってしまうほうが理解が早いし、いちいち説明するのは時間の浪費だ。
補足内容も違う。「これを覚えておくと便利ですよ」「こういうふうに使われていることもありますよ」というのも、趣味だけに使うのと、仕事でヘビーに使うのとでは違う。何が便利かというのは、使う状況によるからだ。

こういう対応は障害者を対象にする場合でも同じことだ。
その人がどういう立場で、どういう目的で受講しているかによって、講師は最善の講習を模索すべきだと思う。

それにプラスして、障害を考慮した内容を心がける。
たとえばさきほどの例でいうと、こんな感じ。
「今回は肢体障害の人がいるから、ボタン以外の操作も紹介しておこう。どっちが使いやすいか分からないから」
そして紹介したら、「使いやすいほうを覚えてください」と伝える。

自分の体験から考えると、障害に配慮するのはそう難しくはない。障害についての知識が医師や作業療法士ほどなくても、相手の状態を思いやること、相手の身になることで対応できる。
お叱りを受けるかもしれないが、極論を言ってしまうと、そもそも講師程度には完全な障害理解、障害対応はできない。医師や作業療法士のような専門的な勉強を、何年もしたわけではないのだ。

知識のある医師が、医者の仕事も看護師の仕事も医療器具の製造もしたらいいじゃないか、といっても無理なように、現代では役割分担がなされている。
必要であれば作業療法士と共に、自分に最もよい操作方法を身につける。日常生活のリハビリの間に、パソコン操作もするわけだ。今まで動いていた腕が麻痺したなら、どうやって起動や終了、入力やコマンド操作をするのがいいか?
就職を目標にパソコンを勉強するときは、講師が引き継ぐ。ここでは便宜的に「講師」と言っているが、施設によって名称はいろいろだ。
この人たちはビジネスで使われるソフトについて、もっと突っ込んだ内容を教える。

作業療法士がExcelなら関数を複雑に組む方法やらVBAまで、Accessならマクロを組めるまで、その上Web言語も経理会計ソフトも、と勉強するなんて時間的にも難しい。
そこから先は講師がするのが妥当だし、講師は作業療法士の免許まで取るほどの知識は必要ない。その部分は専門家に任せておくほうがよい。

たださまざまなケースがあって、必ずすべての人が同じ道を通るとは限らない。
肢体障害にしても、生まれつきか中途かで通る道は違う。
中途の場合でも、単純に考えても事故などによる四肢欠損・麻痺と、脳血管障害などによる麻痺とでは、病院やその後のリハビリも違うかもしれない。

すべての人が同じように、「自分にとって最適なパソコン操作法」を完璧に身に着けているとは限らない。

講師側もある程度の障害への配慮は必要である。
とはいえ、講師であろうと、受け入れる会社側の上司や同僚であろうと、高度な知識が必要なのではと恐れることはない。
就職したのちも、障害があるために起こる不都合や悩みを相談する窓口があったり、支援は多方面に存在している。上司や同僚など会社の場合は、障害者職業センターやジョブコーチのような間に立ってくれる制度もある。すべて分かっている必要はない。

特に肢体障害の場合は、こちらも相手の身になることがやりやすい。

見えない障害とも言われる高次脳機能障害や、考え方や物事の見え方などが根本的に異なる可能性のある発達障害、相手の状態に気づきにくい精神障害は、意識して、努力して、配慮しなければならない。
でも肢体障害は、車椅子の人がいれば「階段ではなくエレベーターを案内しよう」とすぐに気づく。
「トイレはどこですか」と聞かれたら、「この階にもありますが、『誰でもトイレ』は4階と6階です」と答える。
片腕がない人がいるとき、「Ctrlを押しながらドラッグしてください」と言ったら、その人に注意を払う。
当人がそれ以前にやり方を身に着けているならよし、そうでないなら補助することができる。
マンツーマンなら、そのときにいくつかのやり方を紹介して、自分で選んでもらう。講習中ならとりあえずその場は、「今はわたしがCtrlを押しておきますから」としてみたり、何度か「キーを押しながら」の操作があるようなら、一番分かりやすい錘をのせるやり方を伝えておく。そして各自練習なり、休憩なりのときにやり方を紹介して、選んでもらう。

自分の身に置き換えることがしやすい。
自分が車椅子に乗っていたら、階段は下りられないな。自分の片手が使えなかったら、キーを押しながらマウスでドラッグするって、どうするかな。

ほんの少し考えればいい。

ただ注意すべきは、分かったつもりにならないこと。主役は自分ではなく相手であると、肝に銘じておくこと。それはとても忘れやすいことなので、定期的に初心に戻れる自分でいること。

身になって考えたって、その人の苦労ややりにくさが100%実感として分かるわけではない。今だけ、1回分だけ、どちらのやり方が適しているか考えるのと、何度も繰り返す操作、何時間も続ける仕事で操作するのとはまた違う。
分かったつもりで「このほうがいいと思いますよ」「この方法を使ったほうがいいです」と安易に断言するのは、慎むべきだと思う。

それでも、こちらは講師だ。
相手が主に自分の状況を見ているのに対し、これまでに何人も見てきていれば、最初はそう思ってもきっとこっちのほうがいいと判断する場合もある。
それはそれで、伝えていけばいい。また、その人のために伝えるべきである。

そしてまた振り子は反対側に戻って、それでもやっぱり主役は当人だ。
講師として自分の考えがあれば伝えるべきだけれど、押しつけはいけない。
どうしてもこうやりたいという思いが相手にあるのなら、それを認めなければならない。でもいつか考えが変わったときのための逃げ道、方向転換のための幅は残しておいたほうがいい。
必要であると思うなら、丁寧に説明してみるのもいいし、一度やってもらって、あとで再び検討することにしてもいい。

この経緯を、自分主体でなく、相手に合わせて進めていくこと。
その場合は「相手」の中に、障害の状況だけでなく、性格や考えなども含めて対応すること。

――ここのところは、わたしはやっぱりインストラクター上がりなので、学校の先生的には考えられない。
良いと思ったことを「相手のために」と貫き通すのが、もしかしたらよい支援なのかもしれないが、わたしにはできそうもない。
自分より年上、年下というのはあったにせよ、子供相手じゃない。相手も社会人なのだから。

まとめると、肢体障害の方への講習上の注意は、次の2点になる。
●相手の状況・状態に配慮・考慮して進める
●相手の感じる自分の状態ややりやすさ、考えや思いを尊重して提案する

簡単なことだ。
実践するとなると、継続していくのは難しい一面もあるけれど・・・・・・



●9年目:ハートの中心
Chapter 2 ちょこっとTips -進め方編-



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わたしなりの方法論

わたしもさすがに10年選手。
立場が半端であったこともあって、長いこと自分のことを「素人」としか考えられなかったが、結局わたしより携わった年月が少なくても「先生」として堂々としている人はいる。わたしだってそれなりにいろいろ見てきた、と多少の自信も出てくる。

誰だって、少し長くやっていれば、自分なりの方法論や持論がある。
「こういうやり方が一番実習生さんの理解につながる」とか。これは方法論。
「この障害にはこういう特性があるから、これこれのときはこうしたほうがいいのよね」とか。これは持論。

わたしにもある。あまり人には言わないけれど。

なぜ言わないかというと、やっぱり誰もわたしなど半端な立場の人間の持論など、聞きたくないだろうと思うからだ。
誰でも教えることは好きでも、教わることはあまり好きじゃないものだ。「教えてもらうと助かる」とか「人のいいところは吸収して成長したい」とか公言している人でも、やっぱりそんなものだ。わたしだってそうだもの。実際に心から「教わって有難い」と思う人はいないものだ。

自分から教えてほしいと願ったときならまだしも、こちらから言ってもいないのに教えたがる人って、ちょっとうざいものだ。
わたしに「教えてください」と言う人はいないから、わたしは持論を展開する機会はない。自分の担当する講座に活かすだけだ。

活きているかどうかは、どうだろう。活きているといいが。

自分の苦労はどうしても言いたくなる。「こんなに頑張った」「こんなに苦労して工夫した」
だからわたしも言ってしまう。スキルアップ研修をいつも二人三脚で援けてくれる、花咲さんにだけは。

それらを整理してみようと思う。
まず講習を進める際の方法論、持論について。これまで体験として語ったことも多いけれど、なるべくストーリーを排してTipsとしてまとめてみたい。

わたしはまず講師であり、講習をする対象がこのスクールでは障害者に特化しているから、「障害のある人に講習をする講師」なのである。
だから講師的Tipsと障害を考慮するTipsとを分けるのは、難しい。絡み合っていることも多いからだ。
講師的Tipsについては、パソコンインストラクターの章でも書いているのでそちらに譲るつもりだが、どうしても触れることはあると思う。それも結構多いと思う。やはり切り離せないものだからだ。

いったいどこかで誰かの役に立つものかどうか?
必要がなければ面白くないものだろうとも思う。
「事例でみる **障害者と共に働く社会」みたいなマンガ小冊子を読むとき、マンガになっている部分は読むけれど、まとめページに文字だけで詳細情報を書かれている部分は飽きてしまう。
飛ばしてしまうことも多いし、読むとしても「これは勉強のために読んでいるんだから」と我慢しているだけ。
仕事に関連するものだからと読んでいるときでも、自分なんてそんなふうなのに。

でも自分自身のためのまとめとして、思いつくものを記しておきたいと思う・・・・・・



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●9年目:ハートの中心

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Chapter 2 ちょこっとTips -進め方編-

時代の変化 06:変化とともに

変化というのは避けられないものである。

パソコンは普及した。
WordやExcelやPowerPointなどの知識も普及した。
それに伴って講習の進め方も変化する――担当する講師によって変化の度合いは違うかもしれないが、どれほど「基本が大事」と考えて従来通り進める人でも、スピードなどに若干の違いは出る。

障害者の社会進出も増えた。
PCプラクティスは基礎しかしないので、それに伴って講習スピードは明らかに早くなった。
その分練習をしたり、補足の説明が多くなったりした。
スキルアップ研修は自由に人に合わせているので、それに伴ってレベルが上がったりした。
逆に、企業が新入社員用の基礎研修として利用して、基礎のコースにたくさん送り込まれて来たりもした。

障害者の社会進出は、一足飛びにできるものではない。
段階を追って進んでいく。それに合わせて、スクールの内実も変わる。

わたしが働き始めた頃、スクールには車椅子の実習生さんがたくさんいた。
年を追うごとに、肢体障害でも車椅子以外の人の比率が多くなっていった。
――これは、単純に「車椅子でない肢体障害の人が増えた」ということではなかったのだろうと思う。
現時点で職に就いていない人が、就職を目指して来るところ――となると、職に就きにくい障害の割合が増える。車椅子の場合は、施設環境の問題が懸念され、採用に至らないケースが多かったのかもしれない。施設自体の環境は整っていても、そこまで通えないというケースも多いだろうし。
しかし肢体障害の人の受け入れは増え、車椅子でも就職できるケースが増えたのかもしれない。
もうひとつ、事故などで車椅子生活になってしまうと、復職できなくて結局は退社ということも、きっと多かった。そういうケースが減ったのだと思う。会社にそのまま留まれるケースが増えた。――それが法律の規制によるものなのか、社会の受け入れ態勢や意識が変化したからか、理由は分からないが。

わたしが少しずつ年月を重ねていくのと同時に、スクールでは聴覚の実習生さんが増えていった。
わたしの少しずつの成長と違って、聴覚の実習生さんの増え方はめざましかった。
やはり、肢体の人と聴覚の人、どちらを会社に受け入れようかとなった場合、コミュニケーションに支障のない肢体の人のほうが楽そうに思える。スクールは福祉で動いているので、利益第一ではない。取りこぼされる聴覚障害者を支援するため、聴覚の人に重点を置いていた時代もあったのかもしれない。
たしかに、聴覚の人には支援が必要だった。
これまで何度も触れてきたように、聞こえないということはさまざまな違いを生む。理解の仕方、捉え方、考え方、物事の進め方――
そういう違いが障害となって、コミュニケーションに齟齬を来すことがある。
実際は聴覚の人は会社に受け入れられやすい一面もあった。肢体障害では設備が必要になる。身障者でも使えるトイレ、エレベーター、段差のない入口・・・・・・いろいろある。車椅子であれば必須条件も多くなる。それに比べて聴覚の場合、設備改修がいらないので採用しやすい。
でもきっと、そうして採用されても、うまくいかなくて離職するケースも少なくなかったのだと思う。だから支援が必要だった。
同じ日本語を使っているのだから、ちょっと面倒でも筆談すれば通じる――そう思って、あまり深く考えていなくて、いざ会社に迎え入れてみるとなんだか本質的なところで違いがある気がする。人によるけれど、実際にあるのだ。障害によるもの、あるいは手話文化によるもの(でもそれも元をただせば障害によるものだろうが)。
聴覚の人たち自身と、企業側と、両方の歩み寄りを促すためにも、スクールは多くの聴覚障害者を受け入れてきたと思う。

そういった努力は、スクールに限らず障害者を支援する施設では、多かれ少なかれ同じ方向を向いているのだろうと思う。
つまり、国全体としての福祉の方向性みたいなもの。はっきりした指針があるのか、漠然とそうなるのか知らないが、足並みはそろっている気がする。

半数以上が聴覚の人かというPCプラクティスが続いた時代があった。
やがてなんとなく割合のバランスが、均等になった。もちろん回によってばらつきはあるけれど、なんとなく変わってきたように感じた。

そして発達障害や高次脳機能障害の人が増えた。
一度に大勢を支援できるよう、特別な受け入れ態勢も整った。
いきなり技能実習に入らず、発達の人はまず社会生活に慣れる、高次脳の人は社会生活の送り方を思い出す(あるいは新たに習得する)ため、ベーシックコースで学習する。
PCプラクティスにも、発達の人たちは発達の人たち、高次脳の人たちは高次脳の人たちでまとまってやってくることになった。

当然、わたしたちも変化しなくてはならない。
よく分からないことが多いながら、ときどき与えられる注意事項と経験則で乗り越えていく。

同じようにベーシックビジネスコースにいても、発達の場合と高次脳の場合では障害特性が違う。
いっぺんに始まったので、違いに気づくにも少し時間がかかった。
スクール自体も、支援の人数や幅が広がるにつれ、整っていった部分もあったと思う。

やがて、精神障害者の受け入れに関する法律もでき、気づいたら精神の人たちが増えていた。

受け入れが進むと、変化することもある。
受け入れられた人がスキルアップ研修にやってきて、職に就いていない人がPCプラクティスに来る。
企業は面接して使いやすそうだった人を取りたがる。それは当然のことで、障害の軽重によるものか、それまでの学歴職歴によるものか、性格か、そういったもので使いやすいと判断した人がまず採用される。(もちろん100%ではないが、そういう傾向があるだろうと思う。)
そうすると、受け入れが進むにつれて、スキルアップ研修には「受け入れやすい」と思われた人が来ることになり、PCプラクティスにはより支援が必要な人が来ることになる。
スキルアップ研修では内容に多くの力を注ぐことになり、PCプラクティスでは配慮に多くの力を注ぐことになる。――もちろん、100%ではない。傾向の話だ。

しかしたとえば、発達障害などはネット検索すると、発達障害児童のための学習塾などがたくさんあると分かる。
NPOも多いらしい。
スクールでなくとも支援を受ける場所がある。
それを言ったら、肢体障害の人は、バリアフリーであれば通常のパソコンスクールに行くこともできるだろう。

いつかは、たとえば視覚障害など、専門の施設以外では支援しにくい障害が増えるかもしれない。
そうなったとき、わたしたちのような素人は不要になるのかな、と思うときがある。

実際、4年目か5年目頃の上級マネジャーは言っていた。
「今では、**や**など、これまで就職に関する支援はしていなかった施設でも、就職支援をするようになっている」――つまり、スクールの仕事や実習生さんたちは、そちらにも流れていくわけだ。

10年目くらいの上級マネジャーは言っていた。
「今では、こういった福祉施設以外でも、民間の団体やNPOなどが障害者支援をするようになっている。就職に関する支援を行っているところも多い」――またさらに、仕事や実習生さんたちが流れていくわけだ。

わたし自身は年をとる。
10年いるということは、10歳年を取ったということだ。
かつてはやる気や情熱も、もっとかきたてやすかったのだが――と思う日も増えていく。
自分の能力を向上させようとか、新しい知識を得ようとか、そういう努力も昔以上に怠慢になっていく。
将来への不安も出てくる。
このままフリーな仕事をいつまで続けていけるのか。
これが限界かな、辞めどきかな、と思うことも増えてきた。

だけどもしかしたら、こちらが辞めどきだと決断するよりも先に、向こうが決断を下すかもしれないな。
だって世の中は変化しているのだから・・・・・・



●9年目:ハートの中心
Chapter 1 ハートの中心



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■まえがきにかえて(おことわり)■


時代の変化 05:わたしの変化

あるスキルアップ研修の日。
その時期は久慈先生もよくスキルアップ研修を担当していて、「久慈先生の基礎を先月受けて、今月は応用にやってきた」という人もいた。

このときもそういう人がいた。
わたしが担当したのはExcel応用だったが、その前に久慈先生が基礎を担当していた。久慈先生の基礎に来て、今回わたしの応用に来たというGさん。
Gさんは聴覚障害だった。

花咲さんは心配していた。
久慈先生の基礎に来ているとき、久慈先生がつきっきりになっていて大変だったのだそうだ。

以前わたしが担当したスキルアップ研修に来て、とてもよくできていた人もいたし、初めての人もいた。
そして事前情報をもらったGさん。
このときのスキルアップ研修は盛況で、6人くらいいた。

Gさんは確かに、いわゆる「手がかかった」。
言葉が悪いけれど、つまり、よくフォローしたということだ。

しかし頭の回転はいい人だ。

なぜ頻繁にフォローが必要かというと、Gさんは文章が苦手なタイプの人だったのだ。
テキストの説明を読むように言っても、あまり読んでいない。操作の図を見てパッパッと操作してしまう。
しかし図だけでは分からないこともある。単純な例でいえば、ボタンが丸印で囲まれていても、クリックしているのかダブルクリックしているのかは、読まないと分からない。
とりあえずやってみてはつまずくので、フォローが多くなる。

で、今度は練習問題を、ということになると、問題文を読まない。
問題文にしろテキストの文章にしろ、平易な文章ではないことがある。
「選びます」ではなく「選択します」、「こうなっていればOK」ではなく「**と表示されていることを確認」のように。
問題文も、「引き算してください」ではなく「減算して求めましょう」、「ヘッダー左に東京支店と入力」ではなく「ヘッダー左側に東京支店という文字列が表示されるように設定」とか。
だからGさんでなくても、「?」と思うことは多いのだ。

しかし読みもせず、完成図だけを見て同じようにしようとすると、わけが分からなくなる。
簡単なものなら完成図を見て同じように作ることもできるけれど、章が進むにつれてそういうわけにもいかなくなる。どういう目的のどういう計算式が入っているのか、どういう条件で抽出しているのかなどの情報が、どうしても必要になる。

ところで、こういう練習問題などでは、人は大まかに2つのタイプに分けられると思う。
分からない問題が出てきたとき、自分で考えて解きたいと思う人。
分からないと思ったらすぐに、講師などに聞く人。

科目にもよるだろうけれど、わたしが担当するような内容では、どちらでもいいと思っている。
どちらにしても度が過ぎるのはよくないが、過ぎなければ自分に合うほうでいい。

ボタンの位置が思い出せなくて、ひたすら考えて、時間だけが10分20分と経つくらいなら聞いた方がいい気がする。
1秒も考えずにすぐに聞いてしまうのは、なかなか覚えられず結局は効率が悪い気がする。次もまた忘れて、聞くことになる率が高いから。

聴覚の人は「分からないと思ったらすぐに聞く人」が多い気がする。(傾向としてということで、もちろん全員に当てはまるわけではない。)
聴覚の人は、効率の良い方法を好んだり、じっくり考えるよりサッと行動することが好きな人が多い。これも「気がする」レベルなのだが。
分からないと思ったらすぐに聞くのも、この効率を好む気持ち、サッと操作することを好む気持ちからのように思える。

Gさんはいっぺんで覚えてくれないので、同じことを何度も繰り返す。
これは人による。覚え方の違いから、確かに何度か体験したほうが聴覚の人は覚えやすい――と、わたしは思っている。でも同じ体験型であっても、1回の体験で悟る人と、5回体験して納得する人といるわけで、Gさんは5回のほうだった。

総合すると「確かにGさんにはつきっきり」だったが、想像したほど「なかなか分かってくれない」というわけではなかった。
わたしがする説明などは、すぐに理解してくれるのだ。頭の回転は速く、理解力はある。

あとから考えて、自分も少し分かってきたと思った。
もしスクールで働きだして1年か2年くらいのところだったら、Gさんのことを正しく把握できなかったかもしれない。(まあ、わたしの理解が正しいとしての話だが。)
なんだか何度も同じつまずきを繰り返す。やる気を疑ったかもしれないし、覚えが悪いのかと思ったかもしれない。
練習問題を自分でやってみるとできない。ということは、まだこの章の内容を理解していないのだと思って、いくつもいくつも問題を渡したかもしれない。理解が原因ではなく、問題文を読むか読まないかが原因だったら、時間の無駄である。その時間に、もっとたくさんの機能や使い方を学習できたかもしれないのに。

その頃にはわたしなりの方法論も、少しはできていた。

たとえば何かを説明するとき、普通だったら「これこれこうだからこうします」と説明して、納得したら操作してもらうことが多い。
多くの人が、「訳も分からず操作しても覚えられない。まず最初に理屈を納得したい」と考えるからだ。

でもわたしは、もし相手が聴覚の人で、どちらかというと視覚型だなと見てとったら、まず操作してもらう。
それからエラーになる場合などの操作をして、「さっきの操作を忘れるとエラーになる」ということを伝える。
体験したあとで、「これこれこうだからエラーになる」「こういう意味」と筆談で説明するほうが、すぐに分かってもらえる。

もしスキルアップ研修のように少人数で、一人とじっくり向き合えるなら、タイミングを見て説明をする。
1回操作したら、説明する場合。
1回操作して、いったん説明。エラーになる操作をしてもらってから、また説明する場合。
何度か練習などもしてから、説明する場合。これはつまり、パターンとしては完全に覚えた後で、理屈を重ね合わせるイメージ。

自分も変化している。
経験値が増えていくにつれ、知識が増えていくにつれ、自分も変化している。

その3年後4年後だったら、さらに筆談での説明にも図を多用して、文章はあまり使わないだろう。
文章を使う場合は、箇条書きのようなものにする。
できるだけ図示する。
字の美しさ、読みやすさより、速さを大切にする。――これは、わたしの字が、時間をかけてもどうせ美しくないということもあるんだけど。

それに、できるところは手話+ジェスチャーで説明してしまうかな。
どうしてもここは、きちんと理解してもらいたいという部分は、やはり筆談にする。
筆談と手話を合わせるときもある。

わたしの変化も何段階か進んできて、ひとつまたひとつと変わってきている。
状況に合わせていくだけでなく、自分の中も変化してきた。

忘れてはならないことは、固まらないこと。
変える必要があるときは、別の方向への転換も柔軟に行えること。

積み重ねが多くなればなるほど、自分を変えるのは難しくなるから・・・・・・



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