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誌面説明会

ある日ふと考えたら、いつのまにかなくなったものがあった。

第二期黄金時代は、アルバイトの荒川さんと日野さんが交代で誌面説明会に出ていた。

これは看板雑誌ハッピーライフの編集部員が、他部署の人に対して「次の号はこんな感じです」と説明するもの。
いつも社長室の近くでやっていたから、社長に説明していたのかも。
説明を聞きたければ他の人も参加する、みたいなものだろうか。

わたしはもちろん見たことがないので、実際は誰が出席し、どんなふうに説明しているのか分からない。
編集部員も全員来ていたのか、一部の人なのか、一部だとしたらどういう基準なのか、知らない。

たぶん第一期の墨田さんと足立さんも参加していたのだろうが、印象に残っているのは第二期だけだ。

なぜ第二期が印象強いかというと、杉並さんのエピソードがあったからだと思う。

杉並さんの仕事は読者ホットラインやアンケート報告書作成だったが、杉並さんはもっと重要な仕事を望んでいた。
たとえば荒川さんが担当している有名料理研究家とのイベント。
たとえば日野さんが担当している読者プレゼントや座談会など、編集部と関わる仕事。

でも「派遣」という直雇いではない立場のためか、そういう仕事は回って来ない。
それらの業務の雑用を「手伝います」と意欲満々で申し出ていたが、半分くらいは断られていた。
「あ、大丈夫ですよ。杉並さんは電話受けなきゃならないですもんね」
――それはそうだ。

この誌面説明会は荒川さんと日野さんにとっては、大きな意味を持たなかった。
たぶん、お問い合わせがあるかもしれないから、という理由で説明会に出ていたと思われるが、「先に知ったからって何なの?」というところだったのかもしれない。

でも杉並さんにとっては、「編集部の説明会に出る」のは憧れの仕事。
――またしても「電話があるから」と外されていることが、「隣の芝生は青く見える」状態にしていたのかも。

荒川さんに至っては、「あれ、意味ないと思う。時間の無駄」とまで言っていた。
「あれに出るくらいなら、今あたし、他にやってしまいたい仕事があるのに」
――そして荒川さんと日野さんは、よく出るのを忘れていた。

ある日、荒川さんは杉並さんに言った。
「杉並さん、私、この仕事をやりたいので、電話は私が見てますから、代わりに誌面説明会出てもらえませんか?」

杉並さんに否やはない。「いいですよ~」
そしていそいそ出かけていき、メモ帳にびっしり書き込んで帰って来た。
さらにそれを綺麗に清書してファイリング。

荒川さん曰く「あんなに何をメモして来たんだろう? いつもあたしたちなんて何もないのに」

時代が第三期に移ったある日、社長室の近くのドアが開いて、編集部員がぞろぞろ出てくるのを偶然見た。
あ、そういえば、誌面説明会というのがあって、昔は読者ホットラインも出ていたなぁ。

そういえば、今は誰も出ないどころか、出ていたことすら誰も知らないなぁ。
(目黒さんはわたし同様忘れているに違いない。その他の人は、出ていた時代にまだいなかった。)

いつからなくなったんだろう・・・・・・
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座談会で変わったこと

座談会を引き継いだのも板橋さんだ。

これまで、料理教室イベントと座談会は別の人が担当していた。
読者プレゼントは、それぞれだった。
アンケートは誰もが何かしら割り当てられていた。
――××さんがハッピーキッチン、××さんがハッピーヘルシー、という具合。

第一期
墨田さん → 座談会
足立さん → お料理教室(読者プレゼントは不明)

第二期
荒川さん → お料理教室
日野さん → 座談会、読者プレゼント

なのに、第三期は、お料理教室も座談会も板橋さん。
若い葛飾さんが読者プレゼントを担当した。
板橋さんの受け持ち分ばかりが大変大きい割り振りだった。

第三期でもうひとつ驚いたのは、板橋さんが座談会に参加すること。

これまでの時代は、準備が終わると担当の人たちは終わるまで自分の席で普通に仕事をしていた。
それがなぜか、編集スタッフに交じって2時間、その場で座談会を聞いているのだ。

どういうことだろう?

そしてそのためか、または要領が良くなかったのか、目黒さんが以前より雑用をしていないのか、座談会の準備が全員総出になり、大田さんや品川さんの不興を買った。
板橋さんは何かしている。
板橋さんに頼まれた渋谷さんが、ご案内やお茶出しをしている。
葛飾さんはお休み。
そんなとき電話が鳴ると、大田さんや品川さんが読者ホットラインを受け付けなければならない。

「板橋さんが一人で準備すればいいんじゃないの?」
無口な大田さんさえそう言っていたらしい。
体育会系、元広告部で鍛えられた品川さんは、当然怒っていた。
「なんであたしたちが電話受けをしなくちゃならないの?
読者ホットライン(つまり目黒さんのチーム)の仕事でしょ?」

アンド「その上、それを当然だと思っていて、目黒さんも板橋さんもすみませんさえ言わない!」

わたしの考えでは―― ・・・・・・

いや、この辺りでやめておこう・・・・・・

お料理教室で変わったこと

お料理教室イベントを荒川さんから引き継いだのは、板橋さんだった。

板橋さんになってどこが変わったかというと――

まず、その1。
荒川さんより前の時代のように、目黒さんと常に一緒に行動するようになった。

「じゃ、私は銀座に寄ってあの備品を引き取って行きますから、現地待ち合わせにしましょう」
そんなことはもう、なし。

「じゃ、東京駅で待ち合わせですかね?」
「そうね~。何時にしたらいいかしら」
その検討をしているうちに、違う内容になる。
「あ、もしかしてこっちのほうが早いんじゃない?」
「どれですか?」
「新宿から××線が出てるのよ!」

交通手段どっちがいいかの検討に30分以上かけてるよ。
どっちでもいいから早く行けっつーの。
――と品川さんがライトメッセージを送ってくる。

でもこれこそが目黒さんだ。
すべての過程を楽しむ。それも二人で。

その2。
余人を入れない体制に戻った。

品川さんのアドバイスももらっていた荒川さんと違い、板橋さんの上司は目黒さんだけ。
品川さんもアドバイスしようとはしなかったが、されても板橋さんが受け入れたかどうか分からない。
「でも目黒さんからこう言われてるんですよ」で終わったかも。

荒川さんは自分だけ編集部と飲みに誘われるほど、編集部に溶けこんだが、目黒さんは悲しかった。
どうでもいい部署と仲がよくてもどうってことないが、目黒さんにとって「編集部」は特別な存在だった。
「あたしも昔は編集部にいたのよ」という愛着と、「編集部は特別」という社内の空気とで、目黒さんは編集部を特別扱いするところがある。
それなのに自分が誘われず、荒川さんだけが一緒に行ったなんて。

板橋さんはそんなことはしないし、必要以上に目黒さん以外の人と仲よくなりはしなかった。
しないのではなく、相手にしてもらえなくてできないのだという説を唱える人もいるが、真偽は不明。

まあ確かに、品川さんに敬意を欠いた態度をとってかなり不興を買ったりもしていて、誰からも好かれるというわけではなかった。
(葛飾さんが結局は周囲に受け入れられたように、板橋さんも後には許容されていたことは付け加えておく。)

でも重要なのは目黒さんに好かれるかどうかだ。
そして目黒さんとは大変うまくいっているようだった。少なくとも始めのうちは。

荒川さんも前半は頑張って仲良くしていたけれど、後半はぎくしゃくしていた。

やがて一年も経たないうちに、板橋さんも目黒さんへの不満をもらしたりするようになったけど。
でも上司ってそういうものだから、荒川さんのときほどにならなければ、いつものことだ・・・・・・

わたしにとって変わったこと

荒川さんがいなくなり、ランチが変わった。

わたしと日野さんと荒川さんは3人でランチに行っていた。
日野さんがいなくなってからも、わたしと荒川さんはランチに行った。
長期派遣の狛江さんや渋谷さんが一緒の日もあったし、荒川さんが他の部署の知り合いと約束していて一人で食べることもあった。

荒川さんは週4日だから休みの日があったし、わたしは午後からや休みもあった。

でも、かなり頻繁に荒川さんと一緒にランチに行った。

荒川さんは開拓者で、いつのまにか新しい店を発見していて、わたしや日野さんのレパートリーを増やしてくれた。

発見もするし、遠くても苦にならない人だった。
わたし一人だったら敬遠しそうな遠さでも、荒川さんは「ちょっと遠いけど、あそこに行こうよ」と言い出す。

そんな荒川さんがいなくなって、わたしのランチレパートリーは大変貧しくなった。

決まった店しか行かない。
新しい店は開拓しない。
前から知っている店でも、気安くて近いところばかり行く。

大変ワンパターン。

かといってお弁当にはならなかった。
なんとなくいつも食べる場所というのは決まり、このブースはあの人たち、この会議室はあの部の人たち、と「指定席」が決まる。
読者ホットラインの弁当持参メンバーがいつも使っていたのはハッピーコーナーだったが、ここもわたしが使っていた頃とは人の入れ替わりが進んでいた。
なんとなく行きにくくなった。

わたしのランチは一軒二軒の決まった店に限られるようになった。

荒川さんは異動して間もないうちはランチに付き合ってくれた。
出張もある忙しい部署だから、たまにだったけど。

でもやがて、新しい人間関係ができ、ランチ仲間ができた。

さらに問題点がもうひとつ。
広告のような忙しい部署は、昼休みはキッチリしていない。
皆外出も多いから、誰がいつ出ていつ帰ってきたかなど、気にしていない。

だからたまに10分15分遅れたっていいのだった。

「荒川さん、今度ランチ一緒に行かない?」
「あ、ちょっと歩くけど、いい店見つけたんだ。あそこ行こ」
「うん、いいね」
「ちょっとくらい遅れて帰ってもいいんだよね?」

だめだよ。
荒川さんだって一年前まで経営企画にいて、知ってるでしょ・・・・・・

第三期黄金時代

時代は第三期黄金時代に入った。

メンバーは、アルバイトの板橋さん、葛飾さん、長期派遣の渋谷さん。
そして相変わらず末端作業のみ担当で不定期出勤のわたし。

第一期黄金時代は長期派遣がいなかった。
契約社員の中野さんがいたか、またはアルバイト二人だけだった。
中野さんは黄金の人ではあるが、もう黄金過ぎて社員並。
この時代は墨田さんと足立さんという黄金ペアによる時代。

第二期黄金時代から、長期派遣が加わるようになったが、黄金ペアはやっぱりアルバイトさんだった。
荒川さんと日野さん。

そして杉並さん(長期派遣)、日野さん、荒川さんと順番にいなくなり、心機一転。
次の時代に入った。

わたしは日野さんが退職したとき、「ひとつの時代の終わりだ」と思った。
その後、荒川さんまでいなくなると決まって、「完全にこの時代の終わりだ」と思った。

目黒さんはこの第三期黄金時代に大きな期待を寄せていた。
心機一転、素晴らしい時代を築くわ!! といったような。

そして中央集権体制を確立した。というか、それに戻した。
第二期は、かなり自由裁量に任せて、対外的なやりとりもアルバイトにさせることが多かった。
アルバイトさんに直接話しに来る他部署の人もいた。

でもこれからは、窓口はすべて目黒さん。

ちょうど席替え時期だったので、席替えを実行。
一番確保したい板橋さんを隣に据え、目の前には次に確保したい渋谷さんを配置した。

そう言うと、「別に確保したいわけじゃなくて、その配置が一番業務に都合がいいから」と言うだろう。
そして実際そうだろうとも思う。
――でもやっぱり、それは業務を考慮しなくても、目黒さんにとってベストの配置だった。

「我関せず」タイプの葛飾さんは、渋谷さんの隣。目黒さんからは斜め向かいになる。

わたしはといえば、品川さんと仲良くしすぎるので、引き離した。
向かいの席に移ったのだった。

最初、品川さんの隣に移るとき、その理由は「隣の日野さんと話しすぎる」こと。
でも直接は「この席はネットワークがつながらないから」ということだった。
――今までつながっていたのに、なぜ?
そう思ったが、実際の理由は違うと分かっていたので、聞かなかった。

つながらない割には、わたしが移動した後には、共有パソコンが置かれた。

そして今度は、また以前の席に戻るわけだ。
――この席、つながらないのじゃありません?
でもまあ、実際の理由は違うのだから、聞くまい。

下っ端仲間が全員、品川さん派閥に取り込まれてしまった、と忸怩たる思いだったに違いない目黒さん。
しかし日野さんがいなくなり、最も品川さん色が濃かった荒川さんもいなくなり、残るはわたしだけである。

――わたしは中立を目指していたのだけど、でも目黒さんからしてみたらそうは見えなかったろうな。

何ヶ月もの間、要注意人物と見られていて、窮屈だった。
斜め向かいの品川さんと少し話しただけで、「声が響くから私語はつつしんで」と言われた。
「あたしもそうだから気をつけなきゃいけないんだけどね。お互い気をつけましょ!」
「もちろん息抜きをするなって言ってるんじゃないのよ。息抜きしつつ、仕事もしつつ、ね!?」

仕事、してます。
何単語くらい喋ったら許容範囲を超えるんですか?
――でも一語でもダメだろうな、品川さんと喋ったら。

急に無視するのは変だし、何しろ相手はわたしより役職がずっと上の人だから、品川さんに後で言った。
「注意されてしまったので、話をするのは控えます」と。

「関係ないわよね! ライトメッセージでバンバン話しましょ!」とライトメッセージが来た。
正直、入力がたてこんでいるときのライトメッセージは、腱鞘炎の危険を助長しそうで不安なのだ。
でもまさか、上の人から来たライトメッセージを無視もできない。

目黒さんもまったく困った人だと、このときはつくづく思った・・・・・・

荒川さんから板橋さん

荒川さんが異動して、新しくアルバイトさんが入った。板橋さんだ。
荒川さんより何歳も年上で――わたしとはほぼ同じ年齢の人だった。

この人も言葉で聞くと日野さんと同じ経歴を持っていた。
「元アパレルの店長」

でも同じじゃないんだろうな。
ひと口に「アパレル」と言っても、様々なレベル、ターゲットのブランドがある。
それに会社によってもいろいろやり方が違うだろうし。

板橋さんは前職がアパレルだったわけではなくて、アパレルを辞めてから事務職派遣をしていたが、不景気のあおりを受けて人員整理にあった。
「外資系だったので、切るときはバッサリなんで」と言っていた。
そしてハッピーのアルバイトに応募した。

今回、応募は葛飾さんのときより断然多かった。
目黒さんは面接に大忙しだった。

この多さは、業務内容の記載にあったとわたしは睨んでいる。

「業務内容:お料理教室イベントの運営、アンケート集計業務、その他」だったのだ。

「イベントの運営」はやっぱりインパクトがあった。
板橋さんもそこに惹かれて応募してきた人だ。

とにかくこの人は、かなり目黒さんの気に入った。
周囲は「ラブラブ」と表現していたし、わたしは心密かに「蜜月」と名付けていた。

蜜月はなかなか終わらなかった。
それはとてもいいことだ。
目黒さんとうまくいく人がいてくれることが、非常に重要だからだ。

板橋さんに若干の欠点があったとしても、誰もが目をつぶるだろう・・・・・・

荒川さんがついに異動

荒川さんの異動が本決まりになり、ついに辞令も降りた。
アルバイトの異動なんて、異例のことだ。

でもそれは、時代の変化に伴ってイベントに力を入れることにしたので特別だ、という理由がついていた。
それは嘘ではなかったろうと思う。
嘘ではなかったけど、目黒さんと荒川さんを離すのも、やっぱり目的だったと思う。

荒川さんにとっても目黒さんにとっても、この辺でお互い離れるほうがいい時期だった。
これ以上こじれたら、修復不可能だ――と周りは見ていた。

目黒さんにしてもホッとしたのじゃないかと思うのだけど、なぜか目黒さんは荒川さんの異動時期を遅らせた。
「彼女はお子さんがいらっしゃるでしょ、異動してしまうとお休みもとりにくくなって大変だと思うのよ。
辞令は降りてるけど、実際の異動は、今度の連休の後にしたらどうかしら?
その後、すぐに彼女のお休みの水曜日が来るから(荒川さんは週4日)、それも終わってからがいいんじゃない?
じゃ、水曜日の後、木曜日ってことね」
と、荒川さんの意思は確かめず、先方のリーダー町田さんと話をつけていた。

目黒さんは本当に心遣いで、良かれと思って言ったのかもしれない。
――でも、あまり周りには理解されなかった。

荒川さんは「もともとあたしは、週5でも良かったんだよね。でも面接のときに、子供がいるから4日にしたらって言われて、じゃあって4日にしただけなんだ」

そういえばそうだったね。
週3日の小金井さんと組み合わせることにして、週4日でってことになったんだよね。

さらに「あたしとしては早く行って仕事に慣れたいんだよね。向こうはやり方も違うだろうからさ」

わたしがまた、余計なことを言ってしまった。
荒川さんが言っていたことを、品川さんに話したのだ。

「そうなの? なんだ、荒川さんが休みたいから異動日が遅れるんだと思ってた。
荒川さんが別にいいなら、早いほうがいいと思うのよ。
というのは、荒川さんが水曜日までこっちにいて、木曜日に向こうに初出勤するでしょ?
金曜日にイベントがあるのよ。だからその日は忙しくて、荒川さんの相手をしている暇がないんじゃないかと思うのよ。
行ったら皆忙しくて、自分は何していいかも分からない、っていうんじゃ、そのほうが大変でしょ」

んー。そういうことなら、余計なことじゃなかったかもしれない。

でも品川さん、それ、直接目黒さんに言いませんよね?
品川さんにそんなこと指摘されたら、意固地になっちゃいますよ。

――大丈夫だった。
品川さんも、もう二年同じ部署にいて、目黒さんに意見しても話がこじれるだけだと理解していた。
「たとえこじれたって、あたしは正しいと思ったことを言ってるだけなんだから」
それがかつての品川さんだったけど、平行線で泥沼に突入する経験を何度かすれば、やらなくなる。
目黒さんはそういう意味では、誰もかなわない人なのだ。
だからよほどのことがない限り、周りの人は上司さえも、あえて対立しようとはしない。
――品川さんも、ついにそれを受け入れてしまったのだった。

そういうわけで、品川さんは言った。
「あたしから言うのもまた角が立っちゃうから、町田さんに言っておくわ。
で、町田さんから、忙しいから少しでも早く来てほしいって目黒さんに言ってもらう」

町田さんは、品川さんのような人に対して反対したりしない。
――というか、たいていの人に対して反対したりしない。
「そうだねぇ~」と言ったと思われる。

そして町田さんは、目黒さんに好かれている。
その上、目黒さんにも低姿勢で、角が立たない。
「悪いんだけどさ~、相談があるんだ~」と切り出したと思われる。

そしてついに、荒川さんは巣立っていった。

「会社からいなくなるわけじゃないんだから」という目黒さんの意向で、お別れ会やお別れプレゼントはなかった。
(でも目黒さんの腹心、中野さんが異動になったときはお別れ会があったけど・・・・・・)

もう日野さんもいなかったので、品川さんと3人でささやかに飲み会をし、わたしは個人的にプレゼントを用意し、荒川さんは席を移動した。

荒川さんには待望の新天地が待っていたし、残されたわたしは少しホッとしたのだった・・・・・・

根回し

表向きはとても聞こえのいい話になっていた、荒川さんの異動。
でも裏側では絶対、それなりの根回しがあったと思われる。

品川さんがどのくらい尽力してくれたのか、一番分かりそうで、最もはっきりしないところだ。
もしかしたら、最初にアルバイトさんが辞める話を聞いて「荒川さんはどう?」と言ったのは、品川さんかも?
――でも、違うかも。

でも常に品川さんは荒川さんを押してあげていたと思う。
元品川さんの部下だった人は、品川さんがそれほど推薦する人なら、どんな人でも受け入れたろう。
チームには、かつて経営企画にいた町田さんが責任者として異動していたが、町田さんも荒川さんを知っている。
拒否することはなかったろうし、品川さんのように推薦する社員がいるくらいなら、断ることはなかったろう。
広告部の一番偉い人、港さんにも、話そうと思えば推薦の話をしに行ける品川さんだった。

それから千代田さんがいる。

荒川さんは千代田さんから、何かのときに聞いたらしかった。
「実は他の部署へという話があったのだが、荒川さんはお子さんもいらっしゃるから、忙しい部署への異動は可哀想だと目黒さんに言われてね」

荒川さんはショックを受けた。
そんな話があったのなら、受けたかった!
そこで千代田さんに「次にそういう話があったら絶対行きます!」と言ったそうだ。
――何しろ、目黒さんも荒川さんもギリギリのところまで来ていたから。

わたしなどは通らない意見は言わないのだが、(まして上司のことならなおさら)、荒川さんは「どうですか」と聞かれると必ずきちんと言っていた。
それもまた、言われる目黒さんにとっては、たまったものではなかったと思う。

でも大切なことだったのだ。
後からの荒川さんの異動を見れば。

千代田さんはギリギリのところに来ているのを悟って、次に話があったときはまず荒川さんに打診した。

そして目黒さんに言うときは、「広告部の港さんからもお願いが来ていて」というような言い方をした。
本当かどうかは分からないが、港さんの名前を出されては、目黒さんも反対できない。

この陰謀の陰には、荒川さんの離れたい意思と品川さんの暗躍があったのではないかと疑えるだけに、目黒さんは決して嬉しそうではなかった。
たとえこれがタイミングのよいことだとしても、嬉しいことではなかったのだ・・・・・・

荒川さんの異動話

荒川さんが広告部のイベントを見学に行き、運営方法について勉強しようとしたとき、わたしは思った。

――報われない努力だなあ、と。

経営企画の上司の誰にも言えずに(品川さんは知っているが)、誰にも評価されない努力だった。

でも思わぬところで、いつか日の目を見ることもあるのだと知った。
――もちろん、必ず報われるわけではないだろう。
だけど、やっておかないと報われるチャンスも訪れない。

広告部のアルバイトさんが辞めることになったのだそうだ。
そこで荒川さんに白羽の矢が立った。

広告部の中にイベントチームを編成して、もっとイベントに力を入れていこう、という頃のことだった。
それまでの「手の空いている人は手伝って」式ではなく、チームを組んで専門にやっていく。
それが新しい戦略だったのだ。

――末端のわたしには、それがどう売上につながるのか、正確には分からないが。

そういう計画が練られていたので、できれば即戦力のアルバイトさんが欲しい。
荒川さんはお料理教室のイベントを何度もやっている。
確かに、広告部と読者ホットラインでは運営方法は違う。
でも未経験の人よりはできるはずだ。

と、そういうわけで、荒川さんはどうか、ということになったのだ。

荒川さんがイベントをやっているなんて、広告部の人は知らない話だった。
編集部のイベントと広告部のイベントは全く別個に動いていたし、広告部には何の関係もない話だった。

でも、荒川さんは広告部のイベントの見学に行っている。
できることは手伝った、とも言っていた。
「荒川さんはイベントの仕事をしている」と認識されたのは、このために違いない。

無給で働いた甲斐があったというものだ――当初の目的とは違うところで、だけど。

この話は、「ちょっとどうなるか分からないんだけど」という控えめな形で荒川さんに打診された。
荒川さんも駄目になったら悲しいから、と誰にも言わずに黙っていた。

わたしが聞いたのも、もうかなり決まりそうになってからだった・・・・・・

目黒さんの八方ふさがり

目黒さんのほうも八方ふさがりだった。

荒川さんとの対立は大きくなるばかり。
――対立といっても社員とアルバイトである。対立になりっこない。
でもやっぱり対立に近いくらいのものがあったのだ。

目黒さんは努力した。
荒川さんの愚痴を聞いた千代田さんから「二人でよく話し合ったほうがいい」と言われ、個人面談をした。

荒川さんはかなり思ったことを言ってしまったようだが、目黒さんは耐えた。
「言ってくれてよかった。これからもよろしくね」
「荒川さんと一緒に仕事ができてよかった」
そう言ったそうだ。

わたしだったら、努力しても言えないかもしれない。そんなセリフ。
相手は自分を攻撃しているというのに。

でも目黒さんがどんなに頑張っても、もう溝を埋めることはできなかった。
「どうせ何も変わらないくせに」と荒川さんは言うことだろう。
――目黒さんのスタイルは目黒さんの人格に根ざしているから、簡単には変えられない。
そしてそのスタイルを貫く上で、多少の不合理や非効率があっても、防ぐことはできない。

じゃあ、荒川さんを切るか、というと、目黒さんはそれは絶対しなかった。
荒川さんは「私が気に入らなければ他の人に担当を変えてもらってもいい」と言ったそうだが。

目黒さんも八方ふさがりだった。

果たして打開されるだろうか。いや、されないだろうな・・・・・・

荒川さんの八方ふさがり

前にも書いたが、荒川さんは人に好かれる人だ。
いつのまにか編集部にも顔見知りが増え、お料理教室イベントのときは編集部と飲みにも行ったという人だった。

仲良くなるといろいろな話をするようになる。
「目黒さんは仕切りが悪い」
「いつもバタバタで時間通り終わらない」
そう聞くと、もっと目黒さんがそういうことに気づいてくれたら、と思う。
せめて自分ができる限りは、効率よく進めたいと考える。

広告部でのイベント経験が豊富な品川さんにも、よく教えを乞うていた。
品川さんは面倒見がいいので、そんな荒川さんを可愛がった。

しかし目黒さんはあまり面白くない。
自分をさしおいて編集部と飲みに行ったり、自分とそりの合わない品川さんと仲が良かったり、そんなのは嬉しくなかった。

荒川さんは、効率がいいという広告部のイベントを見学にも行っていた。

品川さんの下でずっとイベントの仕事をしていた人に、品川さんが話を通してくれて、休日のイベントを見学できるようにしてくれたのだ。
もしかしたら上の人にも根回しの必要があったかもしれないが、分からない。

無理をお願いして見学する立場だから、手伝えることをできるだけ手伝ったそうだ。

もちろん無給。
――わたしはやりがいを給料より優先させられないタイプなので、感心した。

でもそれも目黒さんには言えない。
――報われない努力だなあ、と思った。

荒川さんは当日だけでなく、準備も効率よくしようとした。
そしてそれは、二人で過程を楽しんでいきたい目黒さんとは合わなかった。

荒川さんが何かをする。
目黒さんは誰に対しても放任主義だから、荒川さんの好きなようにやらせる。

できあがったものを見せると、目黒さんは「こうしたほうがいいんじゃない?」と言う。
それから「ここはああしたほうがいいかも。どう?」と話し合う。

荒川さんはそれは無駄だと考える。

次に配布レシピの表紙を作ろうとしたときは、最初から目黒さんに聞く。
「この柄と、こっちの柄と、どっちがいいですか?」
「どっちも悪くないわねぇ」

――本当なら、そこからどちらがいいかの検討が始まる。
または、「じゃ、とりあえずこっちでやってみて」「できました」「やっぱり別なほうでやってみようか」「できました」「う~ん、どっちがいいかしらねぇ?」という流れになるかもしれない。

荒川さんはそれを省くため、目黒さんにはっきりした考えがまだなさそうなときは、先手を打つようになった。
「じゃ、目黒さんが決めたら言ってください」「目黒さんが決めて指示してください」

後年目黒さんは、「指示がないとできないって人もいるからねぇ」と言っていたが、荒川さんのことだと思う。
荒川さんは決してそういうタイプではなかったが、目黒さんにとってはそれがかなり窮屈だったんだな、と察した。

荒川さんは仕事そのものは好きで、辞めたいわけではなかった。
でももう今さらどう頑張っても、目黒さんとはうまくいかなかった・・・・・・

葛飾さん、確定

いろいろと懸念のある葛飾さんだったが、日野さんがいなくなる以上、彼女に頑張ってもらうしかない。

日野さんは惜しまれながら退職していき、ついに葛飾さんだけが残された。

葛飾さんは仕事中ほとんど口をきかない。
もう教える人がいなくなったので、誰も教えない。
日野さんが教えていったことだけをし、暇なら何時間でも雑誌を見ていた。
雑誌を見るのは仕事の一部でもある。
――古い他社誌は必要なところだけ切り取り処分する。
そのために見る必要があるのだが、葛飾さんは必要の何十倍も見ていた。読み込んでいた。

葛飾さんはポツンと一人、左右のいない机に座っていた。
でも彼女にはそれが落ち着くようだった。

2ヶ月ほどして、例年お決まりの席替えの季節がきた。
彼女の席も替わる。
目黒さんは全員の一新を狙っていたのだ。

「あたし嫌だなあ。今の席じゃ駄目ですかね?」
荒川さんが、拒否はできまいというようなことを答えていた。

葛飾さんはいつもお弁当だ。
作ってくるのか買ってくるのか知らないが、社内の休憩所ハッピーコーナーで食べていた。

一人の人はカウンター、人数の多いグループは小さいテーブルを使っていいという、暗黙のルールがあった。

しかし彼女は一人でテーブルにどんと荷物を置いて、占領する。
いつもテーブルを使う部署が後から来て困った顔をしていても、おかまいなし。

しかしその彼女も彼女なりに慣れ、仕事もそれなりに熱心にするようになった。

まさかそんな日が来ようとは・・・・・・

忘年会兼歓送迎会

葛飾さんが陰で批判されると、日野さんは少し困ったような顔をする。

「あたしが辞める時期が悪くて年末になっちゃったから、応募が少なくて選びようがなかったんです」

元はブランド店長さんで、部下も使っていたのに、いつも謙遜して控えめにしていた。
「あたしは事務は初めてで何もできなくて」
「あたしなんて一番年下で、皆さんから見たら全然ひよっこで」

でも新しく入った葛飾さんは、日野さんより年下なのに全然控えめじゃない。
ヨシキリの巣のカッコウの雛のようにふてぶてしかった。
――悪口ではなく、ただそのたとえがしっくり来るのだ。

日野さんは初めてと言っていた事務も今では慣れ、愛らしい容姿と可愛らしい若さで全員から好かれていた。
その代わりが葛飾さんだと言われれば、納得のいかない気持ちもわくってもんだ。

日野さんには立派なお別れ会をしてあげたい。
皆がそう思ったし、幹事を引き受けた品川さんも日野さんを可愛がっていたし、全員必ず参加するつもりだった。

時期が時期なので、忘年会を兼ねて行われることになった。
それから葛飾さんの歓迎会も兼ねている。
そして今回は、経理と経営企画を監督することになった立川さんも出席する。
立川さんは少し前に病気をしたことがあり、こういう席に参加してくれるというのはすごいことだった。

もう一人の主賓、葛飾さんにも特別なお知らせメールが届いた。
「あなたは主賓だから会費の心配はないですよ」という説明が、さりげなくついている。目黒さんは、若くて独身で一人暮らしでアルバイトだからと、葛飾さんの経済状況をこの後もいつも考慮した。
葛飾さんは忘年会兼歓送迎会の知らせを受けて、
「出たくないんですけど、行かなきゃ駄目ですか?」

そりゃ駄目でしょ、主賓だもの・・・・・・

若者

葛飾さんは「若者」だった。
そういうくくりで許さないと許せないくらい、「若者」だった。

なんといってもまず、話し方が普通じゃなかった。
舌足らずな感じで(舌が長いからと言う人もいた)、たどたどしい。

一年くらい経ち、それなりに社会的な言葉遣いを覚えてからは、そのたどたどしさが愛敬になり、むしろ電話受けでは得をしている部分もあった。
でも入社当時はまともな社会人らしい言葉を使えなかった。

でもそれも、彼女の態度次第で、かわいげのあるものになったかもしれない。

しかし葛飾さんは、社交性を発揮しようとしなかった。

とにかく朝来る。
言われたことをやる。
言われないことはやらない。
言われてもやりたくないことは、できる限りやらない。
やる気は見せない。

周りに溶けこもうという努力は一切しない。
人と接するのをできる限り避ける。
愛想笑いもしない。
皆が話していても振り向くことすらしない。

日野さんだけは、引き継ぎで毎日接して慣れたらしい。
日野さんは見た目も若いし、親しみやすかったようだ。

しかし、親近感から「タメ口」が出るようになってしまい、周りからはまた顰蹙を買った。

教育係となっていた日野さんが言うには、「覚えは早い」そうだった。
そう言われても、たとえ覚えが早くてもあれじゃあねぇ、と皆が思った。

ただ目黒さんだけは別で、「若いからねえ。そのうちできるようになるわよ」とほったらかしにしていた。
(まあ後から考えれば、それなりに社会人らしくなったのだから、当たっていたと言うべきか。)

目黒さんがそう言うなら、他の社員さんは口出しはしない。
目黒さんが面接した、目黒さんの部下なのだから。

でもあれで電話にも出るのだろうか?
「はい、ハッピー読者ホットラインでございます」って?

それはまずいんじゃないかな・・・・・・

日野さんから葛飾さん

日野さんの退社が近づいて、ハッピーはアルバイトを募集した。
12月も半ば近くなってからだったので、応募は少なかった。

いつもならアルバイトさんは、吟味の上で逸材を選ぶ目黒さんも、選びようがなかった。

やっとなんとか決まったのが、葛飾さん。
若者だった。

若者と言っても、この読者ホットラインにおいては、ということだ。
彼女の年齢は当時、25歳。だから考えようによっては、若いとは言えないかもしれない。

――まあ、わたしにとっては非常に若かった。
わたしにとってとても若いと思えた日野さんさえ、「葛飾さんは若い!」と言うくらいの若さだ。

葛飾さんが入って、日野さんが退社するまでの数日間、日野さんの仕事は葛飾さんへの引き継ぎだった。
期間も短いから、全部の仕事を引き継ぐことはできないが、できるだけ引き継ぎをすることになっていた。

なんというか・・・・・・、葛飾さんは若かった。

まず、言葉遣いが違った。いちおう「ですます」体だけど、決して敬語ではないというレベル。
目上の人への敬意の表し方もなってなかった。(だから品川さんはかなり眉をひそめていた。)
日野さんは、年上揃いの島の中で、一番自分に近く思えたのだろう。
葛飾さんは日野さんにはなついていた。――だから日野さんには、よく「ですます」体さえ忘れた。

やる気は、なかった。
「えー、あたしがやるんですかー?」「えー、遠慮します」「えー、やだなあー」

でも目黒さんのすごいところは、あまりそういうのが気にならないことだ。
「若いからね~」で済んでしまう。
普通はイライラすると思われるところも、「若いから仕方ないのかもしれないわね~」。

「いつかそのうち成長するわよ」と放任主義の目黒さん。
成長するわけない! 第一、教えてないし!
しつけもされないのに、やる気のない葛飾さんが自分から覚えるわけはない!
と、誰もが思った。わたしも思った。

しかしこれは目黒さんは自慢していい。
一年後の葛飾さんは、見違えるようになっていた。
まだ、もちろん、完全ではないが、まあそれなりに事務職になった。

わたしは対外的な仕事の経験がないから、彼女はその時点で少なくともわたしは超えたかな・・・・・・

日野さんが退社

第二期黄金時代終焉の波は、杉並さんの退社から目に見えてきたけれど、それより先に日野さんに予兆があった。
日野さんは入社時点で結婚1年か2年というところだったけれど、ハッピーで働いて約1年半くらいのときに懐妊した。

「いずれ出産が近づいたら、退社することになると思います」と目黒さんに報告。

その話があって、それほど日が経たないうちに、杉並さんが辞意表明。
杉並さんは「いずれそのうち」ではない。

退社の日は来て、新しく狛江さんが入社。
しかしその狛江さんも1ヶ月で退社。渋谷さんに交代した。

渋谷さんはハッピーに腰を落ち着け、1ヶ月、2ヶ月経ったところで、日野さんは退社を迎えた。
年末だった。

実は日野さんは、仕事に疲れていたこともあって、もっと早く辞めるつもりだった。
それを年末までに引き延ばしたのは、荒川さんの助言があったからだ。

「12月までいたらいいのに。せっかくボーナスが出るんだから。
そりゃアルバイトだから、もらってももらわなくてもいいくらい、額は少ないけどさ。
でもここまで頑張ったんだから、もらわないのはもったいないよ」

そうか、そうだな。そのくらいのごほうびがあってもいいよね。
一時の感情で、一日でも早く辞めたいと思ったけど、やっぱり荒川さんは人生においても先輩だ。
――というようなことを思った、と、日野さんは言っていた。

わたしがいつも言うことだけど、単発のいいところは「でもずっと続くわけじゃないし」と自分を励ませるところだ。

日野さんも、もう終わりが見えているので、ストレスがたまっても前より楽に解消できる。
「でももうすぐ辞めるんだし」という魔法の言葉を使えるのである。

そして無事に12月まで勤め上げ、盛大に見送られて去って行った。
やはり、この人には、こういう正統的な道が似合う・・・・・・

渋谷さん、確定

狛江さんで失敗したと思った派遣会社の営業さんは、渋谷さんには何度も念を押していた。
「駄目そうだと思ったら、早いうちに言ってくださいね」

まあ、それも仕方ない。
狛江さんのときは、「それでは契約の更新に」とやってきたら「更新は見送る」と言われてしまったのだ。

しかし渋谷さんは、予想以上に体力があるというか、粘りがあった。

狛江さんはあまりつきっきりで教わっていたため、また上司に逆らわない人だったため、毎日のように残業していた。
教わりきらなかったものや、教わりすぎて時間が足りなくなり終わらなかった業務や、終業時間間際にかかってきたお問い合わせ電話の処理など、なんだかんだと終業時間には帰れなかった。
「大丈夫ですか?」と聞いても、悲しそうな顔で「大丈夫です」と言う。

渋谷さんは、どことなくマイペースな人だった。
こう言ってはなんだが、「可もなく不可もなく」というように見えるので、マイペースさは目立たない。
いつでも素直で、いつでも「毒にも薬にもならない」ように見える。
でも、彼女はあまり我慢していなかった。

「渋谷さん、残業ですか? 大丈夫ですか?」
「あ、大丈夫です~。今日は予定もないので、これだけやっちゃって帰ります~」

でも次の日は、
「渋谷さん、残業ですか? 大丈夫ですか?」
「いえ、今日は帰ります~。明日にします~」

明日でいいのかな? 明日でいいって目黒さんは言ったのかな?

でも実は目黒さんは、それほどうるさくない、有難い上司だ。
狛江さんのように「今日終わらせて帰ったほうがいいですよね?」と言えば、「お願いできる?」と言う。
でも渋谷さんのように「この続きは明日します~」と言えば、「じゃ、朝一番でね」と言う。

狛江さんのように言い出せないでいると、目黒さんから「遅くなっちゃったわね!」と気づいてくれることはない。
渋谷さんのように「あ、チャイムが鳴ってますね~、残りは明日にします~」と言えば、どうしても残業してとは言わない。

渋谷さんをしばらく見ていて、わたしは思った。
「この人はすごい」と。

出る杭は打たれる。
派遣なんて、いつまでも新人と同程度に部外者なのだから、出てはいけないのだ。
だから「可もなく不可もない」「毒にも薬にもならない」のって、大事なのだ。

そうでないとしても、「そう見える」ということは、大事なのだ・・・・・・

狛江さんから渋谷さん

杉並さんが辞めることになり、その派遣会社からついに席をひとつ奪った、わたしが所属する派遣会社。
満を持して、目黒さんに合いそうな人を探す。
やっぱり読者ホットラインは目黒さんの存在が大きい。
目黒さんに気に入ってもらえるような人材が一番いいと思いますよ、とわたしも言った。

そしてやってきた人は、小柄で可愛らしい顔立ちの狛江さん。
仕事は素直にする人だったので、とりあえずうまくいったようだった。

でも――ずっとうまくいくかな?
いくといいけど。

読者ホットラインの全員がそう願っていた。
杉並さんは、うまくいってなかった。
――目黒さんだけでなく、読者ホットライン全体とうまくいってなかった。

だから今度こそは長くうまくいってほしい。

そう願って全員で支えるつもりだったが、狛江さんはそんなに長くいなかった。
一応1ヶ月の契約を結んで、それが一種の試用期間みたいなもので、その後は3ヶ月契約になるはずだった。
ところが、目黒さんは「この人は×」と言わなかったが、狛江さんが辞退してしまった。

「実は腱鞘炎で、こんなにパソコンを使う仕事だとは思っていなかったので。
もう今日もだいぶ辛いんですよ。1ヶ月の契約満了までは、だましだまし頑張りますけど」

――それは辞める口実?
うーん。しかし嘘っていう感じもしない。

目黒さん「体の問題だっていうなら仕方ないじゃない」

派遣会社の営業は大慌て。
せっかく得た派遣一名の枠が、また他の会社に行ってしまうかも!

なんとしても狛江さんが辞めるまでに、代わりを見つけて押し込まなければ!

そして代わりの人が来ることになった。
狛江さんの最終期限の3日前くらいには入社できるというので、狛江さんは「じゃあ、この休み前までで」と少し早く辞めることになった。

このとき押し込まれてきたのが渋谷さんで、のんびりした目をして穏やかに話す人だった・・・・・・

杉並さんから狛江さん

杉並さんの代わりに入ることになったのは、狛江さんという人だった。
若すぎはしないけど、わたしよりはだいぶ若い。

派遣営業は狛江さんを連れてきて、目黒さんに意気揚々とご紹介。
わたしにも「くれぐれも狛江さんをよろしく」と言い置いて、帰っていった。

狛江さんは見た感じ、なかなかいい人そうで、仲良くやっていけるかな、と全員が思った。

もう杉並さんはいないし、狛江さんに仕事を覚えてもらわなくては。
目黒さんはつきっきり。
狛江さんの席は目黒さんの隣と決まり、そのとき隣だった日野さんはひとつ横にズレた。
目黒さん、狛江さん、日野さん、と並ぶ形に。

(実はこのとき既に日野さんはおめでたが判明しており、数ヶ月のうちに退社予定だった。)

いずれ日野さんも新しい人と交代してしまうのだから、それまでに狛江さんに一人立ちしてもらわなくては。
目黒さんはつきっきり。

複雑なお問い合わせの仕組みを頑張って覚えなければならない狛江さん。
――複雑というほどでもないが、ただ電話に出て答えたら終わりではないのだ。
問い合わせを受けた記録を社内システムのどこかに入力しなくてはならないし、報告書も1件ごとに作らなくてはならない。

そして目黒さんの教え方というのが、「あたし整理って苦手だから!」というご自身の机のように、物が多すぎるのだった。
オールなのだ――とにかくオール。すべて説明する。

「こういうときは、こうします。もしああいうときだったら、ああするけど、こういうときのほうがだいたい多いのよ。やっぱりこれこれこういうことで、ああいうのは少ないのね。こういうときは割と多くて、よくあります。だいたいはこうすればいいのだけど、もしそれでもご納得いただけなかったら、こうしてみて。それでも駄目だったら、こういう言い方もあるけれど、こういう言い方をするとこうなっちゃうかもしれないから、それは最後の手段。でね――」

たったひとつのことを聞くと、そのことにまつわるすべてが目黒さんから流れ出す。

アルバイトさんたちは心の中で応援している。頑張れ!狛江さん!
今を乗り切れば、こんなに何もかも洪水のように襲いかかってくる時期は終わるから。

普段はなるべく周りにノータッチのわたしも、今回ばかりは心の中で応援している。
頑張れ!狛江さん!――辞めないで!

同じ派遣会社だったからね・・・・・・

派遣会社の変更

杉並さんはあまり印象の良い辞め方をしなかった。
悪いってほどのこともなかったのだけれど、なんとなくうさんくさいものが感じられてしまったのだ。

それもあったし、もともと目黒さんは、杉並さんの派遣会社を買っていなかった。

・マーケティングの経験があるということで入ってきたのに、杉並さんにはそれほど知識がなかった。
・杉並さんの仕事はずさんだった。(誤字・脱字とかミスが多かった。また電話も自己流だった。)
・杉並さんの派遣会社の営業は、男の人で、いつも話を短く切り上げた。

第三の点については、わたしの派遣会社の当時の営業は逆だった。
目黒さんと話をし、ハッピーライフのファンでよく読んでいると言い、目黒さんに会いに来てるようなものだと公言していた。

わたしもときどき、目黒さんと営業さんと三人で話すことがあった。

営業さんは、まずわたしと面談する。「どうですか? 問題はありませんか?」
それから上司である目黒さんと面談する。「どうでしょう? 問題ないでしょうか?」
さらに前か後か、人事部の人とも面談している。「問題ないでしょうか?」

この流れはわたしの派遣会社も、杉並さんの派遣会社も同じだ。

でもわたしは、忙しいときはともかく、暇なときなら目黒さんは楽しく話すのが好きだと知っていたので、営業さんに話題を仕向けたりしていた。
「今度のハッピーライフには、目黒さんがこの間担当したマナヅル大介さんのお料理教室が載ってるんですよ」

また、目黒さんを営業の待つ部屋に案内して、去ろうとしたら目黒さんに「あんたもいなさいよ」と笑って言われたこともあった。
そして3人で話をした。かなり長い時間だった。40分か50分近く。
話をするというより、聞き役になり、聞き役として営業さんをリードし、ときどき目黒さんのお気に入りのテーマを振る。トーク番組の司会者のような気分だった。

目黒さんがわたしの派遣会社にいい印象を持ってくれれば、わたしもやりやすい。

そういった努力の甲斐があって、杉並さんの辞めた穴は、わたしが所属する派遣会社で埋めることになった。
実は営業さんは、その頃足が遠のいていたので、杉並さんが辞めると言い出したとき、「面談はいつか」とこちらから聞いてみたのだ。
そしてやってきた営業さんに杉並さんが辞めることを話し、営業さんは目黒さんに「ぜひうちで」とその日のうちに話をし、「じゃあ、まあ、両方に依頼はするので、先にいい人が決まった会社で」ということになった。
一応、杉並さんの穴埋めなので、杉並さんの派遣会社を完全に無視することはできない。

まあ、わたしも、少し営業さんに恩を売っておいたほうが、何かといい気がする。
なんて、わたしもささやかとはいえ、政治をするようになったものだ・・・・・・

お別れランチ

杉並さんの退社は急だった。
辞意表明は、退社希望日の3週間ほど前。
しかしちょうど退社の日近辺に長い連休があった。
そのため目黒さんは「じゃあ、その前まででいい」と言った。

結局、辞めたいと言ってから2週間半後には、杉並さんはハッピーを去ることになった。

そんなに急では、夜にお別れ会をセッティングするのは難しい。
でも曲がりなりにも一年半働いていた人である。

そこで会議室を予約して、お別れランチをすることになった。
品川さんが幹事となり、お昼の時間帯に会議室を予約、豪華なお弁当も注文した。

以前書いたことがあるが、お料理教室イベント用のランチョンマットまで出して、テーブルセッティングも豪華さを演出した。

千代田さん、大田さん、経理部と兼任部長の立川さん、目黒さん、品川さんという社員さんたち。
主賓の杉並さん、アルバイトの荒川さんと日野さん、わたしという下っ端仲間たち。

なるほど、こういうお別れ会の仕方もありなのか。

お弁当はおいしかった。
さすが豪華ランチだけのことはある。
――でも豪華といっても、1000円くらいだったと思う。それとも1500円か?

どちらにしても、3000円や5000円もする有名弁当ではなく、豪華だけどリーズナブルだった。
こういった特別な折にはいい。

全員「とりあえずやるだけのことはやった!」という気分で、自己満足。

そして杉並さんは最後まで面白かった。
ランチが終わって片づけをしているわたしたち下っ端と品川さんのところにやってきて、品川さんに言ったのだ。
「今日は私のためにありがとうございました。これ、皆さんで分けてください」

そしてテーブルの上に固焼きせんべいをバラバラと置いた。
大きな袋入りではなく、個包装の状態で5,6個バラバラッと置いたのだ。

杉並さんが去った後、品川さんは若干おかんむり。
「これをあたしに一体どうしろっていうの? 配れってこと?」

筋が違うだろう、ということだ。
直接の上司は目黒さんなのだから、目黒さんに渡すべきだ。
または、ばらの煎餅みたいなカジュアルな品は、アルバイトさんにでも託すべきだ。
――たぶん、杉並さんとしては、「幹事だから」と考えたのだろうけど。

荒川さんが気をきかせて、「あたしが配っておきますよ」と受け取る。
しかし、枚数が合わない。
「下っ端仲間に2個ずつ」のつもりだったにしては、数が多い。
しかし「3個ずつ」にしては少ない。

結局、全員に煎餅一枚ずつの計算だったのではないか、ということになった。
千代田さん、立川さん、大田さん、品川さん、目黒さん、荒川さん、日野さん、わたし。8枚。

確かに盛大なお別れ会ではなかったけれど、一人煎餅一枚!?
と、皆が謎に感じたのだった・・・・・・

まずは杉並さんが退社

第二期黄金時代の終焉の波は、まず杉並さんから起こった。

一年半在籍してきた長期派遣の杉並さんが、退社の意向を明らかにした。
これにはいくつか噂も飛んだ。

退社の少し前に、社員全体の会議が他所であり、軒並みどの部署も出払っていたある日。
杉並さんは目黒さんから許可を得ていた。「銀行に寄ってくるので、お昼から帰るのが少し遅れます」

いいわよ~、と許可を与えたまま、目黒さんは会議へ。
杉並さんは確かに遅れたが、「少し」ではなかった。
それにその日は服装がいつもと違って、やけにフォーマルだった。

「あのときに実は面接に行ってたんじゃない?」
「いや、きっとあれは面接じゃなくて、息子さんの学校関連か何かの用だっただけでは」

アルバイトさんとわたしの間では憶測が乱れ飛んだが、公式には杉並さんは「主人が仕事の関係で中国に行くので」という理由で退社した。

しかしこれもまた、噂があった。

普通に考えて「主人が中国に行くので、私も一緒に行くから退社する」と言われたら、転勤についていくものと思う。
小さいお子さんもいるのに大変ね、上のお姉ちゃんたちは日本に残るのかしら? と皆で噂した。
ところが、荒川さんがよくよく突っ込んで聞いてみると、どうも話が違うそうだ。

「でも中国で暮らすなんて、大変ですよね。日本の家はどうするんですか?」
「あ、でも~、中国に行くのは私は3週間くらいだから~」

え?

そしてお別れランチの席でも、偉い人などに「大変ねぇ」「気をつけてね」と言われた杉並さん。
「でも、すぐに戻ってくるので~」

何ヶ月か経った頃、荒川さんは偶然ある百貨店で杉並さんに出会ったそうだ。
「今はカルチャースクールでマクロビオティックを教えてるの~」

中国で暮らすために辞めるって言い出したわけじゃないんだね?

お別れランチの席では、ほとんどの人がそう思ったけど、とりあえず大人としてスルーした・・・・・・

目黒さんと品川さん、留任

目黒さんに異動はない。

会社がそう決めているわけでもないのに、なんとなく誰もがそう思っていた。
目黒さん自身もそう思っていた。

昔話には「その頃あたしは××部にいて」というセリフも出てくる。
でもわたしが初めてハッピーに行ったとき、既にずっと前から目黒さんは読者ホットラインだったし、わたしがいる間に異動もしなかった。

誰も目黒さんがいなくなるなんて考えもしなかった。

でも品川さんはどうなるか分からない。

品川さんの前の町田さんは一年で異動した。
それを考えると、一年で異動もあるかも?
――そのときはまだ千代田さんは島内にいて、もともと千代田さんと大田さんの二人だったことを思うと、この三人いる状態のほうが不思議だった。

そしてまた一年が過ぎ、千代田さんは別の島に行ってしまったから、品川さんが異動するとしたら誰かが代わりに来るのだろうか。

――しかし今回も品川さんは残った。

わたしたち下っ端仲間には量れない計画が、会社にはあるのだろう。

品川さん本人はどう考えていたのだろう。
予想していたことか、落胆したか。

経営企画は閑職扱いな目で見られていたから、バリバリやってきた品川さんが残留を喜んだとは思えないけど。

あまりそりの合わない二人だから、目黒さんと品川さんはお互い離れたかったかもしれない。
下っ端としてもそのほうがよかったかもしれない。

まあ、どんな会社にも人間関係はある。
深くは考えまい・・・・・・

組織改編

千代田さんの席は、奥の総務部・人事部の島のほうに移った。
でもまだ経営企画部の偉い人も兼ねていた。

兼任なので、面倒を見きれないときもあるかもしれない。

そのためかどうか、手前の経理部の女性部長も、経理部と経営企画部の部長を兼任することになった。

偉い人が二人になったが、二人とも違う島に席がある。
右と左からカバーされる、どっちから見ても辺境の地みたいな気がした。
大田さんは地方行政官に任命された人みたいな。

わたしたちの業務には、この変更はあまり影響がなかった。
もともと、読者ホットラインと男性陣にはあまり接点がなかった。
男性陣と品川さんは「経営」、目黒さんと下っ端仲間たちは「企画」なんだな、きっと。

唯一わたしにも目に見えて違いが分かったのは、(もちろん席以外で)、おみやげ。

夏になると、皆が三々五々に休みをとる。
そして休み明けの社員さんはおみやげをくれる。

千代田さんは今までも配ってくれたが、席が離れてもくださった。
そして立川さんも、兼任部長になってからは、用意してくださるようになった。
千代田さんだって、総務部・人事部の分が増えた。

偉い人は大変だなあ。

わたしのような末端も、休み明けに持参するおみやげが、ひとつは増えた。
立川さんの分が。

でも経理と合体したわけではないし、立川さんの分だけ。

偉い人は大変だなあ・・・・・・

大田さんの席替え

千代田さんは、経営企画部と総務部・人事部の兼任部長になった。
それに伴い、千代田さんは島を離れていった。

総務部・人事部の窓際には、かつての部長の席がある。
千代田さんはそこに座って、3つの部を監督する。

――でも、そこはもう、総務・人事のほうで、わたしが属する経営企画の島という感じは全くしない。

さて、千代田さんがいなくなってしまったので、経営企画の島は空きが多くなってしまった。
そこでまた、若干の席替えがあった。

席順としては、こうなっている。

品川さん わたし  杉並さん 荒川さん
専用PC 共有PC 日野さん 目黒さん

全員が向かい合っている。
専用PCとは、大田さんが使う親会社との連絡専用のPCで、何やら経理だか監査だかのシステムが入っている。
――後にこのPCはなくなった。なくてもできるようになったということだ。
でもまだ当時はあった。

そしてこの向かい合う2列の窓側に、大田さんが座る。
大田さんの机だけは、全員のほうを向いている。
品川さんと専用PC机に向かう形で置かれているのだ。

いわゆる、お誕生席という方式だ。

特に役職に変化はないようだったけど、なんだかちょっぴり偉い人になったムード。
「偉い人席」と言われるとご本人は、「全然偉くないよ」と言っていたけど。

席が離れて、大田さんの大切な役目、「千代田さんのお話し相手」はかなりお役御免となった。
千代田さんも忙しくなったので、大田さんがいなくても寂しくはなかったと思う。

でもお二人は仲良しで、行けるときはいつも一緒にランチに出ていた。
ただ、千代田さんは忙しくなってしまったので、今までのように毎日一緒というわけにはいかなくなった。

本当に時々になってしまった・・・・・・

千代田さんの昇進

ブランド開発の仕事以来、すっかり千代田さんを見限った目黒さん。
その影響か、第一期黄金時代の読者ホットラインメンバーは、千代田さんや大田さんへの評価が厳しかった。

でもそれも仕方ないか。
そう思うくらい、確かに二人の業務は当時少なく見えた。

しかし、時は流れる。
物事は変化する。

たまたまその頃は仕事をしている様子が目立たなかったお二人だが、不況の余波はついにこの平和な世界にも到達した。
最初は小さな変化から。

退職金などの見直し。
社員の数を抑える。
法律改正に伴い、事前にきちんと「正社員に登用されない」ことを説明し、了解を得るようになったので、それまで長いアルバイトさんを契約社員にしていたのは一切なくなった。

そして社員が辞めても、辞めた人の補充をしない。
いる人員でまかなう。
アルバイトが辞めた場合は補充する。
今や社員は膨大な雑用をする暇はない。
アルバイトさんがいないとお手上げなのだ。
抜けた社員の業務は千代田さんや大田さんに回ってくることもあった。
暇な人たちと思われていたのが、逆に幸いしたというか、押し付けられやすかった。

特に、管理職はいなくなっても補充されない。だって給料高いもんね。
そのポストはなくなってしまい、業務だけが他に回される。
偉い人なしで運営されたり、ワンランク下の階級の人が責任者になったり。

そういうものが千代田さんにも回ってきた。

お隣、総務部と人事部の島の部長が定年になり、千代田さんがその役に就くことになったのだ。
でも経営企画部の責任者役もそのまま兼任。

今まであまりに小さな部のため、部長なのか何なのかよく分からなかったが、名実ともに部長である・・・・・・

Vol.13

第三の時代へ

荒川さんの役得

荒川さんは新しい部署での役得があった。
いろいろな商品がもらえるのだ。

たとえば今回は、どこかのメーカーのワインのイベントだったとする。
「ワインに合う料理を教える」という内容で、料理家が講師を務めて料理教室をした。
当然会食時はワインが出る。だってワインを売り込むイベントなのだから。
豊富に出す。ワインが足りなくなったら意味がないから。

で、余ったワインをいただいたりする。

これはわたしにとっても有難い話だった。
ときどき荒川さんは、いただきものをおすそわけしてくれたのだ。

ワインもいただいたし、オリーブオイルもいただいた。
たれとかドレッシングなどの新商品もいただいた。

読者ホットラインにはそういうことはあまりないだけに、「へぇ~」と部署の違いを思った。

また、荒川さんにとっては、もうひとつおまけが増えた。

読者ホットラインのアルバイトや派遣は、毎号ハッピーライフをいただける。
ところが、広告部では、ハッピーライフだけではないのだ。
ハッピーキッチン、ハッピーヘルシーもいただける。(この頃既にハッピーインテリアは休刊。)

「本誌だけじゃなくてさー、ムックももらえるんだよねー」
と言っていたが、それ以外のムック本もすべていただけるのかどうか、分からない。

ルーチンワークのようにこなしていくイベントだが、仕事は合っていたようだ。
また、イベントの後にチームメンバーで軽く打ち上げをすることが多いようだったが、それも彼女には合っていた。
飲み会が苦にならない人なのだ。

本当に彼女は異動してよかった、といつ見ても思う・・・・・・

性質の違い

イベントチームは数をこなさなければならない。一日に2回3回と開催されることもある。
編集部のイベントは一日1回。複数やることはない。

イベントチームは月に何回もイベントがある。あそこのクライアント、ここのクライアント。
編集部のイベントは年に3~4回。1回ごとの準備期間がたっぷりある。

イベントチームは忙しいから、試作や会場の設定などにかけられる時間が限られている。
読者ホットラインはゆっくりたっぷり準備時間を割くことができる。

イベントチームのイベントにはクライアントがある。広告を出してくれる大事なお得意。
編集部のイベントには、そんなものはない。会社内のイベントなのだ。

イベントチームのイベントは、クライアントの商品の宣伝と切ってもきれない関係だ。
編集部のイベントは、縛りは何もない。好きなようにやればいい。

イベントチームのイベントは宣伝を兼ねているから、1回当たりの参加者数も多い。
編集部のイベントは少ない。だからじっくり参加者の面倒をみられる。

イベントチームのイベントは予算が限られている。かなりカツカツの予算だ。
編集部関係の予算は潤沢なことが多いから、目黒さんはゆとりの運営ぶりだ。

イベントチームと読者ホットラインでは、イベントの意味が違うのだ。
目的も、回数も、予算も。参加者数も、クライアントの存在も。
だから当然やり方は違ってくる。

効率が悪いから、目黒さんのやり方は駄目なのだ、とは言えない。
編集部のイベントに求められているのは、効率や利益ではないからだ。

「編集部の人とも会えて、憧れの料理家の教室に参加できて、良かったな」という参加者の満足。
「読者と触れ合えて、ちょっと面白かったな」という編集スタッフの満足。

目黒さんが目指す「ホスピタリティ」や、それを目標に掲げるやり方が合っているのだろう。

じゃ、広告部は参加者のことを考えていないのかというと、そうではない。
参加する方々の満足は重要だ。

でもそれ以外にも重要なことがある。
今の参加者の満足のために30分延長してしまったら、次の回の参加者は遅れて始まることになりかねない。
参加者のための費用やおみやげを出しているクライアントの満足がなければ、次のイベントにつながらない。

効率とホスピタリティのちょうどよいバランスを求めなければならない。

どちらが正しいということではないと思う。

そう考えると、目黒さんが編集部のイベントを担当しているのは、適材適所なのじゃないかな。
荒川さんの「それにしてももう少しは無駄なく運営できそうなのに」という気持ちも分かるけど・・・・・・

新しい部署でのアルバイトの立場

荒川さんが言うには、新しい部署ではアルバイトの立場が違ったそうだ。
「アルバイトはアルバイトの仕事しかしないんだよね」

目黒さんの下で仕事をしていたときは、「押しつけられている」と不満に思うほど、仕事をしていた。
アルバイトというより、目黒さんの下で働く新人社員みたいな感じだった。
知らないことが多いから、目黒さんが指示してくれるし、一人で全部やるっていうわけじゃない。
でも仕事はすべて任せてもらえる。

たとえば新部署では、荒川さんは届いたハガキをまとめて、数を管理する。
でもこれが読者ホットラインなら、応募者をデータ化して、ある程度選抜する。
そして最後に「こういう条件をクリアした人たちです」と目黒さんや編集に提出。

たとえば新部署では、荒川さんは会場から届いたFAXを整理する。
「こういうFAXが届きました」と社員に渡せば終わりだ。
でも読者ホットラインなら、それを元に「これこれこうしましょう」と目黒さんに確認。
「この見取り図だと、こっちの階段を使ったほうがよさそうですね。
会場案内図を書き換えておきますね」
「このFAXが届きました。だいたいOKだと思いますけど」「じゃあ、先方に電話しといて~」

これまでかなり深く業務に関わってきた荒川さんには、新しい立ち位置は物足りないくらいだったようだ。
「バイトはバイト、ホントの雑用しか回ってこないんだよね」と言っていた。

でも必ず付け加える。
「でも分かりやすくていいけどさ、そのほうが」

荒川さんのことだから、やがてもっといろいろな仕事を任されるようになるだろう。
そう思っていたけれど、本当に一年も経つ頃には欠かせない人材になっていた・・・・・・
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