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鳴沢さん

一緒にインストラクター指導法講座に出席した鳴沢さんについても、食事のときに少し分かった。

彼女も既婚者で、お子さんはまだいない。
今は別なスクールで仕事をしている。
そこではどういう勤務形態で働いているのかは、特に聞いていない。
でもダブルワークができるのだから、週3日とか4日なのか、それともシフト制なのだろう。

鳴沢さんは業界では先輩だが、わたしに「私たちは同期ですね」と言ってくれた。
わたしと同じくらいか、1つ2つ若いくらいの女性だった。

食事が終わって駅まで歩きながら、なんとなく2人1組になった。
歩道は4人並んで歩けるほど広くなかった。
榛名先生は琵琶さんと話しながら先を行き、わたしは鳴沢さんと歩いていた。

「既に講師としてお仕事されているのに、また別なところでも働くなんて、すごいですね」
「いいえ、仕事をしていると言っても、そこは先生が教えるというようなところではないんです。
受講者さまはビデオ学習をするんですよ。
私は受講者さまの受付をしたり、案内をしたりして、質問があったら対応するという形式なんです」

そういうところもあるなんて、わたしにとってはまた新しい知識だった。

「あちこちに小さな教室があるんですよ。あ、あそこにも」
歩いているとき、鳴沢さんが働いているという「市民のためのパソコン塾」(仮名)の、この地区の教室があった。

「私には夢があるんです。いつか、ある程度の人数を教えてみたいんです。
今日の講座みたいに、20人とか30人を相手にしてやってみたいと思ってるんですよ。
今働いている教室では集合授業はないので、何年やってもそういう機会は来ないですから。
だからイロハPCスクールに面接を受けに行ったんです」

わたしの気軽な動機と違って、鳴沢さんはしっかりした目標を持っていた。

「今の自分にはそんな仕事ができる自信なんて全然ないし、少しずつ達成していきたいと思ってます。
まずはマンツーマンや少人数のグループ授業――ビデオ学習と比べたら、これも大きな一歩ですから。
いつかは、講習会のサブをやれるようになりたいです」
「なれますよ! 今すぐだって鳴沢さんならなれますよ!」
わたしの頭には、鳴沢さんが今日の講習会の準備をテキパキと進めた姿が浮かんでいた。

「とんでもないですよ~!! 私なんて全然ダメです。
不安で仕方ないし、何回もサブをして、充分な経験を積みたいです。
そしていつかは、メインをやれたらいいなぁ、なんて大それた夢を持っているんです」

本格的に仕事に取り組んでいて、自分の目標もしっかり決まっていて、なんてすごい人なんだろう。
わたしはそんなところまで行かなくていいや。
夜間のマンツーマンでコツコツ副収入を稼いで――
そうだなぁ、こういう話を聞いちゃうと、辞める前に一度くらい講習会のサブをやりたいかな。

わたしは鳴沢さんのライバルになるつもりは、これっぽっちもなかった。
そんなイバラの道、何を好き好んで・・・・・・



Chapter 1 インストラクターになる
(面接からマンツーマン授業まで)
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インストラクター指導法講座の後で

インストラクター指導法講座は無事に終わった。

新人が2人もいるし、いつも笑顔の榛名先生は琵琶さんのお気に入りだったので、食事に行くことになった。
遅めのランチというわけである。

イロハPCスクールのオーナー琵琶さん。
ベテランインストラクター榛名先生。
このスクールでは新人だけれど、他のスクールで働いているから、既に業界人の鳴沢さん。
ここだろうとどこだろうと、まったくの新人、わたし。

ファミリーレストランのようなところに入り、それぞれ料理を注文した。

榛名先生は、さっきの講座よりもいろいろな話を詳しくしてくれた。
特に印象に残っているのは、バージョンごとの違いを把握しているという話。

マイクロソフトの資格は、バージョンが明記されているから、バージョンごとに資格をとらなければならない。
バージョンごとのテキストを購入しなければならない。
テキストは、スクールの付属品があるが、やはり自分で一冊ずつ持っていたほうがいい。
バージョンというのは、実に厄介なものである。

・・・・・・告白すると、わたしは心の中で「えー!」と思っていた。
バージョンごとにテキストを買うなんて、お金がかかりすぎる。
ましてや、資格を取るために高い受験料を払うなんて!

言い訳すると、わたしにとってはこれは副業だったので、副業にそこまでの投資が必要ならしないほうがいい。
コストが利益を上回ってしまう、と思ったのだ。

それから榛名先生は、初めて会うわたしにいろいろと話しかけてくれて、わたしの勤務条件を聞くと言った。
「琵琶さん! いい人が入ってくれましたねぇ!」

榛名先生は、お子さんはいないが既婚者で、仕事をしなければ生活が苦しいというわけではなかった。
土日は空いていれば仕事に入ってもいいが、夜間はなさらないとも分かった。
イロハPCスクールが受託する大きな講習会は、土日が半分以上を占めていた。
やはり講習会を担当するのは張り合いがあるから、土日不可にしてしまうことはできないのだろう。

さらに詳しくわたしの勤務条件を聞いて、榛名先生は何度も言ってくれた。
「琵琶さん、本当にいい人が見つかりましたね! 大切にしないとダメですよ!」

初めて会った優しい先輩である・・・・・・



Chapter 1 インストラクターになる
(面接からマンツーマン授業まで)

土曜日 研修その3――インストラクター指導法講座

講座を担当する榛名先生は、とても素敵な服を着て、華やかな笑顔を振りまき、魅力全開で壇上に立っていた。

集まった生徒さんたちは、今後自分もそうして壇上に立つための勉強をしにいらしたのだろうが、今日のところは生徒なので、気張った服装の人はあまりいない。
わたしはスタッフだったのだから、もう少し気張った格好をしていってしかるべきだったが。

そして榛名先生は、まず自己紹介をし、本日はどうぞよろしく、と言った。
次にいよいよ指導法を語り始めると思われたが、わたしがその後聞いたのは、榛名先生がインストラクターになったきっかけだった。

榛名先生はOLをしていたのだそうだ。
当時のパソコンは今のように誰でも簡単に扱えるものではなく、グラフィカルなインタフェースもなかった。
だから会社の人はあまりパソコンが使えず、偉い人もよく「榛名さん、ちょっとこれを教えてくれる?」と聞いてきたりした。

――こう聞くと、それはいったいどんな大昔の、旧石器時代の話? と若い人なら思うかもしれない。
でもIT技術が進むスピードはとても速かった。
わたしがその話を聞いていた10年前、そういう旧石器時代はまだほんの7,8年前のことだった。
とはいえ、足し算すれば20年近く前ということになってしまうのだから、若い人にとっては生まれて間もない化石時代かもしれない。

とにかく、そんなわけで、榛名先生は会社内のヘルプデスクのような存在だった。
その頃はまさか自分がインストラクターになるとは、思ってもいなかった。
しかしやがて、この特技を生かす道を考えるようになった。

・・・・・・うーん。
「なるほど」「へぇ、そうだったんだ」とは思うし、榛名先生ご自身についても興味はあるところだが、正直これはインストラクターの秘訣って感じではない。

実のところ、たいした内容をやるつもりはなかったようだ。
プロを目指す人は、本格的な研修を受けて、マイクロソフトなどが設置しているオフィシャルトレーナー試験を受けたりする。
または、現場で先輩にしぼられながら下積みをしていったりする。
それを2時間で学ぼうなんて、どだい無理な話なのだ。
でも依頼があって受けた以上は、何かしら満足できるカリキュラムを提供しなくてはならない。

榛名先生は華やか笑顔でよどみなく語り続けていた。
「今でも私は、自分がインストラクターをしていることが不思議に思えることもあります」

やがて、どういう経路を辿ったかもう忘れてしまったが、話は少し指導法講座らしくなってきた。
「インストラクターにはそれぞれの個性があります。
ご自分がどういうインストラクターになれるのか、ご自分の個性や得意分野を考えてみてください。
上手な教え方というのはもちろんあります。基本の教え方というのももちろんあります。
ですが、それだけではなく、個性が大切です」

そして「受講者サービス」ということなのか、「これは役に立つテクニックですから、覚えておかれるとよろしいかと思います」。
「たとえば高齢者の方がいらした場合、後ろの席に座ってしまうとアイコンはとても小さくて、指し棒で示してもよく見えません。
ツールをクリックして、一番下から二番目の、ユーザー設定をクリックすると、ダイアログボックスが出てきます。
こちらの、大きいアイコンというところにチェックをつけると、アイコンが大きくなります」

インストラクター指導法講座も終わりに近づき、わたしは頭の中で内容を整理した。
・ひょんなことからインストラクターになるってこともある。
・個性が大事。
・大きな教室での講習会では、アイコンを大きくするとよい。

それからこれは、カリキュラムには組まれていないが、わたしが学び取ったもの。
・どうやらベテランの先生というのは、2時間くらいよどみなく喋り続けられるものらしい。
・上手にメリハリをつけて喋ったほうがよい。

これが土曜日一日分の収穫である・・・・・・



Chapter 1 インストラクターになる
(面接からマンツーマン授業まで)

土曜日 研修その3――インストラクター指導法講座の前準備

駅の改札前で、無事にオーナーの琵琶さんと出会うことができて、わたしたちは会場に向かった。
琵琶さん、わたしと同じ時期に面接を受けた鳴沢さん、わたし。
いざ、××区主催のインストラクター指導法講座の会場である、区民ホールの一室へ。

もう一人の新人、鳴沢さんは、他のスクールで既に仕事をしている人だった。
経験を積みたくて、こうして別のスクールにも応募したのだ。
だからわたしなどと比べて、プロだった。

会場に着くと、さっさと琵琶さんから資料を受け取り、受講生さんが座る席に配布していく。
「他にできることはありますか? 何をしたらいいですか?」

未経験なのだからやる気でカバーしなきゃ、と思っていたのに、やる気の示し方でも負けている!
自分も手伝わなきゃ、と思うが、鳴沢さんは実にテキパキと仕事をするので、わたしはウロウロするばかり。
「わたしも何か手伝います」「わたしもやります」なんて言ってる間に、もうその仕事は終わっていく。

わたしは潔く諦めた。
ダメだ、この人にはかなわない。
せめて邪魔にならないようにしよう。
そしてできることがあれば手伝おう。

たいしてできることもなく、前準備は終わった。

鳴沢さんが準備を手伝い、わたしがうろうろしている間に、本日の講師、榛名先生は講師用のパソコンをチェック。
プロジェクターをチェック。プロジェクターの位置などを調整。
自分の手持ち資料をチェック。

後は受講生さんの到着を待つばかり。

そして琵琶さんは、榛名先生を紹介してくれた。
「榛名さん、こちらが今日ね、お手伝いに入ってくれる方たち。
鳴沢さんは知ってるんだっけ? で、こちらはね、○○さん」

榛名先生は、季節で言えば「春」。
明るくて、華やか。
服装も華やかな感じだったし、笑顔も華やかだった。
高い声をしていて、髪は長かった。

当時のわたしより1つ2つ上だったろうか。
本栖さんともだいたい同じくらいだった。

黒部先生の厳しい印象にも圧倒されたが、榛名先生の美の演出にも圧倒された。
「わざわざお手伝いに来てくださって、ありがとうございます。
よろしくお願いしますね(ニッコリ)」

もちろんお手伝いに来たというのは大義名分で、本当は指導法講座を(無料で)受けに来たわけだけど、榛名先生は如才ない。

もともとこの講座にサブなんていらない。
受講生さんは講演を聞くようなもので、パソコン操作はしないのだ。
だから始まってしまえば、わたしたちも、一番後ろの席で受講生と化してしまうことができる。

2時間でインストラクターのやり方を教えてくれる講座が、いよいよ始まる・・・・・・



Chapter 1 インストラクターになる
(面接からマンツーマン授業まで)

土曜日 研修その3――インストラクター指導法講座の待ち合わせ

水曜日は昼の仕事が終わった後、イロハPCスクールで夜9時まで見学をした。
職業訓練時代のEP先生からは、「できるだけたくさん研修をするとよい」と言われていたのに、木曜金曜は夜間の授業はなかった。
自分の経験のなさが不安ではあったけれど、でもこれはこれでホッとした。
毎日夜遅くまで働いているなんて、怠け者のわたしはきっと疲れてしまう。

そして土曜日には、実にタイムリーな「インストラクター指導法講座」というのがあった。

これはイロハPCスクールの所在地である××区が主催している。
会場はイロハPCスクールではなく、区民センターの中の多目的教室。
担当されるのは、まだ会ったことのない「榛名先生」という女性。

わたしと同じように最近面接を受けた人がもう一人いて、その人も行くとのこと。

オーナーの琵琶さんともう一人の方とわたしは、N駅で待ち合わせすることになっていた。
「改札を出たところでね」と言われていたので、N駅の改札に時間より早く着いた。

どこかにもう一人の方がいるかもしれない。
それとも今、改札を出てくるあの人かな?
見まわしてみたけれど、全然予想がつかない。
あの人かなぁ? と思った人は、待ち人がやってきて去ってしまった。

今、改札を出たところで待っている人たちを見回してもどの人やら分からなかったので、諦めて琵琶さんを待つことにした。
琵琶さんは、ちょっとルーズなところがあった。
そのおかげで未経験のわたしでも雇ってくれたり、人当たりがよかったりするので、ひと口に短所と決めつけることはできないが。
とにかくこのときは、ちょっとルーズな面が顔を出して、琵琶さんは約束の時間より15分ほど遅れてやってきた。

「おはよう~」

まったく気にしていないし、この程度は遅れたことにならないのかもしれない。
お客さま相手の約束ではないのだし。

「やあやあ、よかった、すぐ会えて」なんて言いながら、琵琶さんはわたしに近づいて来る。

と、思ったら、わたしに向かって来ているのではなくて、わたしたちに向かっていたのだ。
たまたま3歩くらい離れた隣に立っていた人が、もう一人の新人さんだった。

鳴沢さん。
スーツをビシッと着て、きちんとしたヒールの靴を履いていた。
「はじめまして。よろしくお願いします」

わたし、スーツじゃないし、見劣りするなぁ・・・・・・



Chapter 1 インストラクターになる
(面接からマンツーマン授業まで)

水曜日 研修その2――Word

さて、田沢先生の「Windows基礎」が終わり、次は黒部先生の「Word」である。
黒部先生は、最初に会ったとき、オーナーの琵琶さんに激しい言い方をしていて、わたしの頭に恐怖を植え付けた人だ。

黒部先生については、誰もが口を揃えて「厳しいけど仕事は立派で、大変勉強になる」と言っていた。
「誰もが」というのは、この時点では琵琶さんと正社員インストラクター本栖さんのことだ。
その後、黒部先生と一緒に仕事をした他の方からも、同じセリフを聞いた。

だからこの方の授業は絶対に見ておくべきなのだ。
とても貴重な機会なのだ。

でも、そのときのわたしの心の中には、ただ「怖い」という思いしかなかった。
・・・・・・今から思うと自分でもおかしいほど怖がっていた。
わたしは弱い人間で、厳しい人や怖い人は大の苦手だし、耐える根性もないのである。

黒部先生が出勤してきても、わたしは挨拶などの最小限しか近寄らなかった。
できるだけおとなしく、目につかないように隅っこにいるようにしていた。
見学は、静かに入っていって、微動だにせず、些細な音も立てないように固まっていた。

しかしやはり聞いておいてよかったのだ。
この人はまさに「先生」だった。

説明は流れるようで、堂に入っていた。喋り方はメリハリがきいていた。
マンツーマンだったので、基本的には生徒さんの席の横に座っていた。
しかし通路に椅子を持ってきて座っていて、途中何度か、さっと立ち上がって前のホワイトボードに向かっていった。
そして板書しながら、わかりやすく説明をしていた。

今でも覚えているが、フォントについて教わったのはこの見学でだった。
黒部先生はホワイトボードに書きながら生徒さんに説明し、ついでにわたしも知識のおこぼれに与った。
「たとえば、Mのような文字は(とボードに書いて)横が広いですよね。
逆にIのような文字は(とMの下に書いて)幅が狭いですよね」
そしてMとIの両脇を縦線で囲んで、その幅がより比較できるようにした。
「Mみたいな横に広い文字は広く、Iみたいな狭い文字は狭く表示しよう、というのがPのついているフォントです。
Pというのは、プロポーショナルという意味です(と言いながらボードに「プロポーショナル」と書く)。
MSゴシックって書いてあったら、どの文字も同じ幅。
MS「P」(とPを強く発音)ゴシックって書いてあったら、プロポーショナル、広い文字と狭い文字では幅が違うということです」

はぁ~~、そうなんですか~~

来週にもインストラクターをやろうという人間が、のんきに感心している場合ではない。
そんなことも知らない自分の知識のなさに猛省するところだ。

でもわたしは「無知の知」以前の状態だったので、黒部先生のプロらしい話法と豆知識に、ただ目を瞠るのみだった・・・・・・



Chapter 1 インストラクターになる
(面接からマンツーマン授業まで)

水曜日 研修その1――Windows基礎

面接の翌日、会計事務所が終わった後、わたしはまたイロハPCスクールにやってきた。
今日こそ研修の日だ。
と言っても、ただ見学するだけだが。

まずは17時半から19時のコース、「Windows基礎」だそうだ。

オーナーの琵琶さんは、40代と思われる女性を紹介してくれた。
「○○さん、こちら田沢さん。田沢さんは社会保険労務士なんだよ。
でもパソコンもできるからね、今、夜の人がいないからときどきお願いしてるんだ」
――琵琶さんはプライベートで出会った人に仕事を頼むことが多いらしい。
『二期生』さんもダンス教室で知り合ったのだそうだ。

この方が今日の「Windows基礎」を担当するわけか。

琵琶さんは、後からこっそり言っていた。
「夜はね、今はだいたい黒部さんがやってくれてるんだよね。
黒部さん、昨日会ったよね?」
――会いましたね。琵琶さんに「今日は絶対イヤ!」って言った方ですよね。
「でも黒部さんも毎日は出られないしね、来週は全然来られないって言うんだよ。
田沢さんにもお願いしているけれど、ほら、入門とかはいいけどね、内容が難しくなってくるとね。
だから急いで人を探してたんですよ」
――わたしこそ、簡単な内容も怪しいもんですけどね。

今日は面接を受けた翌日で、右も左も分からないので、わたしは何もしなかった。
気が利く人なら、受講生さんから受講カードをお預かりしたり、お茶を入れたりしたのかもしれない。
でもわたしがしたことと言ったら、田沢さんにご挨拶することと、ノートとボールペンを手に教室の後ろの方に座ることだけ。

わたしは余計者だから、メモを取るときもペンの音をさせないように注意し、体を動かすことも遠慮して、気配を殺して座っていた。

田沢さんと生徒さんは、教室の真ん中あたりの席に、横に並んで座った。
生徒さんは50代くらいの女性だった。

その日はペイントで絵を描いていた。
○や□や△の図形を組み合わせて、金魚を作成するのだ。
生徒さんはうまく円を描けなくて、何度もやり直していた。

それにしてもなんで金魚の絵なんかを?

そう思ったが、後で自分もそのコースを担当することになってテキストを見たら、テキストに載っているのだった。
パソコンに慣れよう、というような目的のもとに、ワードパッドを使ったり、ペイントを使ったりするのだ。

田沢さんは、わたしがイメージするところの「先生」とは違っていた。
まるで普通の会話のような口調だったのだ。
「えーと」とか普通に言っていた。

これでいいんだ!という安堵より、拍子抜けのようなものを感じた・・・・・・



Chapter 1 インストラクターになる
(面接からマンツーマン授業まで)

研修は3つ

このわたしが働くことになるパソコンスクールを、便宜上「イロハPCスクール」と呼ぶことにしよう。

火曜日に面接に行って、来週の火曜日から担当することを目標にしましょう、ということになったわたし。
それまでに機会があったら全部見学して、インストラクター業の修行をすることという条件付き。

火曜日にはベテラン黒部先生の授業があったが、ご本人の強い拒絶によりなくなった。
――正直、いきなり夜9時まで拘束されずに済んで、ホッとした。

で、水曜から月曜までの間にある授業とは、次のようなもの。

・水曜夜間17:30~19:00 マンツーマン Windows基礎 知らない先生
・水曜夜間19:20~20:50 マンツーマン Word     黒部先生

それともうひとつ。

・土曜午後11:00~13:00 インストラクター指導法講座 榛名(はるな)先生

これは、××区(このパソコンスクールの所在地である区)が主催している講座である。
この実にタイムリーな内容の講座が、たまたま土曜日にあると言うのだ。

これは、××区民のための講座であり、イロハPCスクールのためのものではないから、わたしたちが受けるのは筋違いだ。
だから「見学」ではなく、「お手伝いスタッフ」として行くことになっている。

木曜、金曜、月曜は授業がない。
この仕事の話を持ってきてくださったEP先生は、「研修はできるだけたくさんした方がいい」と言っていた。
でも、見学できるのは、たったこれだけ。

唯一の正社員インストラクター本栖さんは、これではあまりに心許ないのでこう言った。
「火曜日に、実際の授業の前にデモンストレーションをやりましょう」

本栖さんを生徒に見立てて、実際に1時間半、授業をやってみるのだそうだ。

え~~~!!!
それ、ちょっと嫌・・・・・・



Chapter 1 インストラクターになる
(面接からマンツーマン授業まで)

面接の日の夜――

面接を終え、幸いにも遅い時間の見学は免れて帰ってきて、わたしは報告のメールをした。

まず、この話をしてくださった職業訓練時代のEP先生に。

面接に行ったこと、経験がないので初めは渋い顔をされたが雇ってもらえそうなこと。
来週からもしかしたら仕事ができるかもしれないので、なるべく見学に入ることになっていること。

EP先生からは、親切な返事が来た。
滅多にない面倒見のいい先生なのだと、つくづく思う。

インストラクターはフリーに近い仕事なので、ライバルに成長するかもしれない新人は脅威、と考える人もいる。
でも会社代表からゴーサインが出たら大丈夫。決める権限はオーナーにある。
研修はできるだけたくさんした方がいい。
知識がないことを心配するわたしに、「ハートで勝負」と言ってくれた。

――わたしには言えないセリフかもしれない。

ついにインストラクター歴も、サービス業歴に匹敵するほど長くなった今。
ド素人のくせにいっぱしの気でいる新人に向かって、「大丈夫、あなたならハートで勝負できるわ」なんて。

本当に、良い方に導いていただいたと、今こそ身にしみて分かる。

EP先生にメールを出した後は、この仕事をもともと紹介してくださった、『二期生』さんに報告した。

直接は顔を合わせたこともない人なので、面接に行って来たという報告だけしたつもりだが、きっと興奮したメールを送ったに違いない。
『二期生』さんからは、「落ち着いて頑張って」という励ましの返事が返ってきた。

それから親しい友達にもメールをした。
もっとくだけたメールで、いろいろと怖がらせられた愚痴も混じっていた。

そうして報告しているうちに、わたしの心も固まってきた。

「新しいことができたらいいな。面白いかな。副収入があったら有難いな」
面接に受かるかどうかも怪しかった頃は、その程度の気持ちだった。

でも具体的にことが始まったからには、覚悟を決めざるを得なくなった。
見学なんて面倒だなー、なんて言ってはいられない。仕事なんだから。

今までみたいに夕方5時までで仕事は終わり、というわけにはいかなくなる。
夜遅くなるのは面倒でもあるし、疲れることでもある。
その覚悟を決めなければならない。

無給で見学や研修に行かなくてはならない。
でも未経験なのだから仕方がない。
むしろ月謝を払ってくれ、と向こうは言いたいかもしれない。

会計事務所のパートは、さざなみひとつなくて停滞しているようにも感じるけれど、平和だった。
時間まで仕事をしたら、後はすっかり気持ちを切り替えてしまえる、トラブルのない職場だった。

でもこれからは気合いが必要だ、と、自分に宣言した・・・・・・



Chapter 1 インストラクターになる
(面接からマンツーマン授業まで)

コマ給とその他のこと

ところで面接の際、ある誤解があったことが発覚した。

わたしはオーナーの話を、2期生さん→EP先生→わたし、という伝言ゲームで聞いていたことになる。
だから途中で少し違って伝わってしまったのだ。

それは時給。――給与の問題は大切なことだ。

EP先生のお話でははっきりと、「時給」1800円と言っていた。
実際に面接を受けてみると、「1時間半の1授業当たり」1800円だと分かった。

後になってインストラクター仲間にこの話をしたら、言われた。
「インストラクターは時給とコマ給があるからね」
これを聞き、自分の経験とも照らし合わせ、なるほどわたしは「時給1800円」と思っていたが、「コマ給1800円」だったわけか、と思った。
そして今後はいったいどちらなのか、気をつけて聞かなければと思った。

インストラクターはだいたい、時間ぎりぎりに行くことはできない。
準備時間が必要だからだ。
このスクールでは、パソコンを起動するとか、テキストを用意することはインストラクターの仕事だった。
生徒さんがいらしたら、受講カードを預かってハンコを押したり、お茶を勧めたりもする。
だからだいたい30分前には着くように行っていた。

そしてインストラクターはだいたい、時間ぴったりに帰ることはできない。
生徒さんが帰るまでは、帰ることはできないし、質問などをされることもある。
使ったパソコン内のファイルを削除したり、後片付けをするのもインストラクターの仕事だった。

今では使ったファイルの消去などは、大きな講習会ならしないことが多い。
会場のパソコンは一日の終わりにすっかりクリーニングされて、保存したくてもできないソフトが入っているからだ。

それはともかく、このスクールではわたしは30分前に行き、20分後か30分後に帰っていた。
1時間半の仕事のために実際にスクールに拘束されている時間は2時間半。

1時間半当たり1800円だったら、1時間当たりは1200円である。
自分が拘束されている2時間半――まあ、どんな仕事でも早めに行くものだから、2時間で計算すると、1時間当たりは900円になってしまう。

「ええっ! 時給1800円!?」と思ったときの驚きは、だいぶ減る。
未経験なので多くいただくのも心苦しいから、わたしにとってはそれでも満足だが、「なんだか割に合わない気がする仕事だ」と思ったものである。

この「コマ給」というのは、後に逆のパターンで雇われたことがある。
1コマ50分だったのだ。
言われた時給ではもらった金額が多すぎる、と思って確認したら、「ああ、1時間ていうのは、授業としての1時間のことだから」とあっさり言われた。

そういう「コマ給」もあるんだ、と目からウロコが落ちた気持ちになった・・・・・・



Chapter 1 インストラクターになる
(面接からマンツーマン授業まで)

面接の後

本栖さんを怖いと思ったとしたら、その後に会った黒部さんはもっともっと怖かった。

経験がないことで不採用かと思ったが、人手不足の夜間と土曜のみできるということが分かって急展開の面接。
「来週の火曜日から全4回のメールコースが始まるから、そこから担当することを目標に」となった。

それまでの間、授業があったら全て見学することで研修に代えましょう、という。
「それまでの間」と言っても、もうあと一週間しかない。
正社員インストラクター本栖さんは、帰り際に言った。
「今日これからベテランの先生が仕事をするから、まずはそれを見学したら?」

経験がないから無理というところを、オーナー琵琶さんは「熱意を買いましょう」と話をまとめてくださった。
本栖さんははっきりと「未経験では厳しいと思う」と言っていたけど、代替案として見学することを提案してくれた。

「今日は帰りたいです」と言えるだろうか?

しかしその先生が担当する授業は、19時20分から21時の回だと言う。
正直言って、21時までここにいるなんて、残業もいいとこである。

とはいえ、そんなことが言える身だろうか?

というわけで、仕方なしに今日は思わぬ残業をする決意を固めた。
残業と言ったって無給なのだから、熱意もかきたてられないこと甚だしい。

面接が終わったのは5時過ぎである。
本栖さんは退社時間を過ぎていたので、帰ってしまった。
オーナーの琵琶さんと話をしながら待っていると、黒部先生がかなり早くやってきた。
まだ全然7時になどなっていない。
「あ、琵琶さん、ちょっとパソコン貸してね。準備したいことがあるから」

黒部先生は30代か40代の女性で、体格がよく、きつい表情をしていた。

わたしなどには目もくれなかったが、オーナーの琵琶さんが紹介してくれた。
「あ、黒部さん、こちら今度ね、うちでインストすることになった○○さん」
黒部さんはおざなりに頭を下げただけだった。
「教えるのは全然やったことがないっていうんだけどね」
黒部さんはこれを聞いて、鼻で笑った。・・・・・・せせら笑ったとも見えた。

黒部さんは鼻で笑っただけで特に何も言わなかったが、琵琶さんが次のセリフを言うと猛り立った。
「それでね、黒部さんベテランだから、今日、黒部さんの授業を見学してもらおうと思って」
「見学!!?? 絶対イヤです!!! 他の先生のときにしてください!」
「もうあんまり日がなくてね、見学できる授業がないんですよ」
「とにかく今日は絶対イヤです!! 本当に今日は勘弁して」

何がそれほどダメだったのか分からないが、とにかくものすごい剣幕で、琵琶さんは諦めた。
「勘弁して」と言っていたが、全然お願いしている風ではなかった。
「じゃ、次のとき頼むよ。明日だっけ? それはお願いね」

黒部さんは「分かりました」とも「いいですよ」とも言わなかった。
でも「ダメ」とも言わなかった。

とにかくこの日は早く帰れることになった。
本当に良かった~~~!!

9時までなんて、こちらこそ「今日は勘弁して」って感じだもの・・・・・・



Chapter 1 インストラクターになる
(面接からマンツーマン授業まで)

面接の行方

「インストラクションの経験も講習を受けたことも全くないのでは、いきなり教えるのは難しいと思います。
知識はおありかもしれませんけど(それも怪しいけど)、経験が全くないというのは厳しいと思いますよ」
そして、オーナーの琵琶さんには――
「全くの未経験でいきなりやれって言ったら、○○さん自身もキツイと思うわよ。
ここで長く働いてくださる方なら、じっくり研修からやっていただいたらどうかしら?」

気弱なわたしは、この辺りでちょっとギブアップ。
半分以上、諦める気になっている。

本栖さんはわたしの方を向いて、さらに条件について指摘。
オーナーの琵琶さんがちゃんと伝えたかどうか、不安になったのかもしれない。
「働いていただくとしても、毎日9時から5時まで勤務していただくことはできないんですよ。
それほど講座が毎日びっしりあるわけではないので。
週に2、3回かもしれませんし、時間も3時間とかそのくらいかもしれません。
それでもよろしいですか?」
――平日の昼間の人員は充分いるので、これ以上要らないらしい。
でも面接に来る人たちは、「そりゃできればフルタイム勤務したいですよ」という人が多いのかもしれない。

経験については怪しげな答えしかできないわたしも、これについては堂々と答えられる。
「はい。問題ありません。わたしは昼間仕事をしておりますので、夜間を希望しております。
逆に昼間のお仕事をと言われましても、対応できません。それでもよろしいでしょうか?」

その瞬間、本栖さんの緊張感は解けた。

「夜間のみですか?」
「はい。土日は空いているので、もし必要であれば勤務可能です。」
「夜間も、毎週何曜日というふうに定期的に入ることはできませんが、大丈夫ですか?」
「はい。他に仕事をしておりますので、毎日のように夜も働くと疲れてしまうと思います。
ですから週1回でも2回でもかまいませんし、今週は2回、来週は3回というような不定期でもかまいません」
「うちは月曜から土曜までで、日曜日は講習会の依頼があったら、という形なんです。
ですからあるとしても土曜が多くて、日曜はあまり仕事がないと思います」
「それはかまいません。お休みが全くないのも困りますから、毎週日曜もという方が厳しいです」

本栖さんはオーナーの琵琶さんの方を見て言った。「琵琶さん、それは有難いね」
そしてわたしの方を見て、
「実は夜の申し込みがたくさんあって、夜間できる方がいなくて困っていたんですよ。
来週から夜間コースが始まるので、来週火曜日から始めるのを目標にしましょうか」
そしてまた琵琶さんを見て「ね? 琵琶さん」

急展開にびっくりしているわたしを尻目に、本栖さんは時計をチラリ。
「もう退社時間だから」と言い、受付カウンターに戻って行った。
カウンター内で帰る準備をしながら、わたしたちの方に話しかけ続けた。

「もう来週の火曜日まで日がないから、チャンスがあったらとにかく見学してもらうのがいいですね。そうしてやり方を見ていただいて。ね、琵琶さん」
「そうだね」
「来週の火曜までにどんな予約が入ってたっけ?」
「でも夜しかダメだからね」
「そうか。あ、今日ちょうど黒部さんがいらっしゃる日よね? まずそれから見学してもらったら?」

え? え? 今日!?
今日これからっていうのはちょっと――なんて言えないテンポになっていた・・・・・・



Chapter 1 インストラクターになる
(面接からマンツーマン授業まで)

火曜日 面接

中に入って挨拶をすると、オーナーという人が出てきた。
年配の男性で、優しそうで感じがいい。
つきあいが長くなるにつれ欠点なども見えてくるが、サラリーマン時代は営業職だったくらいで、第一印象はとても良い人だ。

まずわたしは履歴書や職歴書を提出した。
そして2期生さんの紹介で、こうして面接していただけて有難い、ということを述べた。

今なら、こんな経歴でインストラクターの面接に行くなんて無謀だ、と分かる。
何しろ経験が重視される業界なのだ。
――まぁ、経験はどの業界でも重視されるのだろうけど、職業訓練前に長く従事していた「フツーの店員」業では、経験なんてあまり関係なかったのだ。

とりあえずわたしは、数ヵ月前に何度も繰り返した就職活動のマニュアル通り、「直接の経験はないけどこんなことができます」「がんばります」を強調した。
「職業訓練に通い、勉強をしました。アプリケーションからWeb言語まで幅広く学びました」とか。
――身についているかどうかは別として。
「クリーニング店員時代に新人教育を担当し、指導していました」とか。
――平たく言うと、新しいアルバイトさんが入ったら教えてた、ってことだけど。
「そういった新人教育の経験から、職業訓練時代は講師のやり方に興味を持って見てました」とか。
――結局、単に生徒として座ってただけだけど。

オーナーの琵琶さんは鷹揚な様子で、わたしの話を聞いてくれた。
「経験はないということですが、じゃぁ、熱意を買いましょう」なんて言ってくれた。

そうしているところに、受付カウンターの中に座っていた女性が出てきた。
この人がスクール唯一の正社員講師、本栖さんだった。
年齢は、当時たぶん30代――後半に入ったかな?まだかな?ってところ。
自信があってきびきびしているけれど、顔立ちにおっとりしたところがあって緩和されている。

「琵琶さん、どんな感じ?」ニッコリ。
「あの人の紹介で来てくれたんだよ、ほら『2期生』さん、知ってるよね?」
本栖さんは「ニッコリ」を維持しながら、琵琶さんの隣に座った。

「経験はあまりないんだって。前のお仕事で新人教育をされていたりね、職業訓練で生徒さんとして講師のやり方を見ていたりね」
「そうなんですか」
本栖さんは笑顔をキープしていたけど、心の中で「そんなの、経験って言わないわよ!」と思ったのは明らかだった。

こんないい加減なオーナーに任せていたら、使えない人材を雇うことになってしまう!
本栖さんは本気を出して介入することにした。
「インストラクターのご経験は全くないんですね?」――はい。
「何かインストラクターの資格はお持ちではないですか?」――持ってません。
「インストラクター養成コースを受けたりしたことは?」――ありません。

この時点で本栖さんの心の中では、はっきりと大きな×マークが浮かんでいたと思う・・・・・・



Chapter 1 インストラクターになる
(面接からマンツーマン授業まで)

面接に行く

インストラクターを募集しているという話を聞いて、EP先生に「よろしくお願いします」と言ったわたし。
EP先生は、もともとこの話を持ってきたIT技術科2期生の人に連絡を取ってくれた。
2期生さんは、知りあいであるこのスクールのオーナーに連絡、「こういう人がいる」と話してくれた。

わたし→EP先生→2期生さん→オーナー、オーナー→2期生さん→EP先生→わたし
この手順を踏んで「ではとりあえず面接を」というところまで話が決まった。

何度も伝言ゲームをするのは面倒だし、効率が悪い。
そこで2期生さんはオーナーの連絡先を教えてくれて、その後は直接やりとりをした。

「まず面接をして、それからお互い考えましょう」という話になったが、「面接は昼間がいい」と言われる。
昼間は会計事務所のパートをしているので、わたしにとっては都合が悪い。
でも相手は、仕事そのものは夜だけだとしても、面接は昼でないといけないらしい。

後から思ったのだが、それはオーナーの都合というより、ベテランの先輩の都合だった。
この教室で一番長く、唯一常勤のインストラクター本栖さんは、絶対面接に参加したかったと思うのだ。
このスクールは、オーナー琵琶さんとベテラン本栖さんを両輪にして運営されていた。
琵琶さんも本栖さんを抜きにして新しく人を雇うことはできかねたのだろう。
でも本栖さんはお子さんがいらっしゃるので、17時には帰ってしまう。
そこで「面接だけは昼間でないと」ということになった。

迷ったけれど、「一回だけのことだし」と考え、会計事務所は早退することにした。
可能な限り遅い時間に面接を設定してもらう――本栖さんが帰る直前だ。

その日はスーツで会計事務所に行き、30分ほど早く退社させてもらった。
「スーツで行ったほうがいい」というのは、もしかしたらEP先生にアドバイスしてもらったのかもしれない。
「だめもとで」と思っていた副収入への道だったが、EP先生と話したり友達に相談したりしているうちに、好奇心が大きくなってくる。
だんだんやってみたい気持ちが膨らんできたので、面接の日は緊張した。

思ったより駅からの道は遠く、ジャケットを着てせっせと歩いたので暑くなってしまった。
面接はかなり汗だくで受けた記憶がある・・・・・・



Chapter 1 インストラクターになる
(面接からマンツーマン授業まで)

詳しい話

「興味がある」ということを伝えたので、EP先生は二人で会ってくださった。
でもそこで何を話したのか、あまり覚えていない。

時給が1800円であること。(何度も言うが、実際はちょっと違った。)
この話は、かつての職業訓練コースでわたしの先輩にあたる人からの紹介であること。(彼女は2期生、わたしは3期生。)
パソコンスクールの場所はO駅――わたしが働いている会計事務所のある駅から2つ離れたところ。
ちなみにこの2駅は、ターミナル駅の方向に2つなので、帰るとき途中下車をすればよい。
このスクールのオーナーが、夜間働ける人を探している。

ここまではEP先生と二人で会ったときに、話をした。
最初に話してくださったときと、その後のメールのやりとりで、既に知っていたことも多い。

このときに聞いたのか、それともこの後のやりとりで分かったのか覚えていないが、他に次のようなことも聞いた。

夜間は主にマンツーマン授業となる。
ことによると2~3名になることもあるかも。
マンツーマン、または2~3名で授業をする場合は、受講者さんの横に座って教える形式。
前に立ってたくさんの人に向かって講義することはない。

それなら安心だ。
マンツーマンなら大丈夫、と自信を持っているわけではないが、人前で講義するなんてできない。
今後もできそうにない。

プロを目指す人は、「いつかは20名30名を相手に講習会で教えたい」と思ったりする。
でもこのときのわたしには、そういう思いはなかった。
わたしはやっぱり経理で身を立てて行きたいと思っていたことに変わりはなく、ちょっと新しい世界を覗き見できれば良かったのである。

――そしてダブルワークで、ちょっと収入が増えればよかった。

夜間の授業は毎日あるわけではなく、収入は多くないかもしれない、と言われたがかまわない。
毎日のように夜も働くなんて、疲れてしまう。

クリーニング店よりは割のいい副業、その程度でいいのだ。
だから面接で落とされてもそれほど落ち込まないだろう。
面接くらいは行ってもいいんじゃないかな、面白そう。

そこでEP先生が、面接の日取りについて、また2期生さんに連絡をとってくれることになった・・・・・・



Chapter 1 インストラクターになる
(面接からマンツーマン授業まで)

さしで飲みましょう

職業訓練時代の仲間と同窓会をし、ExcelとPowerPointを担当していたEP先生に会う。
EP先生には修了後も、メールなどで連絡をとっていた。
わたしが会計事務所でパートをしていることもご存知だったし、その時期はダブルワークしていたこともご存知だった。
職業訓練以前に働いていたクリーニング店を、週何回か夕方から手伝っていたのだ。
クリーニング店はまもなく終わる予定だった。

そこでEP先生、「ダブルワークでインストラクターをしてみる気はないか?」と言ってくれた。
会計事務所のある勤務地とは2つしか駅が離れていなくて、仕事帰りに寄れるスクールだという。

同窓会が終わって、女性何人かでコーヒーでもということになり、店を探しているときに歩きながらふと言われた。
「考えてみてください」と言われたが、どうしていいか分からない。
どんな仕事かも、どんなメリットデメリットがあるのかも知らないし、――どうしよう?

「興味があったら言ってくだされば、詳しいことをお話しますし、相談にも乗りますよ」
EP先生は実に面倒見がいい方なので、後日連絡してみると、「では、さしで飲みましょう」ということになった。

懐かしい職業訓練で通った土地に向かう。
EP先生はここからさほど遠くないところに住んでいた。
EP先生の紹介でよく行った懐かしいインドネシア料理のお店で食べ、初めてのカウンター式一杯飲み屋さんで枡酒を一杯飲んだ。

その間にEP先生が話してくれたところによると、このスクールはEP先生が直接知っているものではなかった。
わたしは職業訓練で「IT技術科」第3期生だったのだが、IT技術科第2期生の受講生さんが持ってきた話だったのだ。
「私が土日などにときどきお手伝いさせてもらっているパソコンスクールで、夜間や土日に働いてくれるインストラクターを探しているんですけど、EP先生、どなたか適当な人をご存知ありません?」
と連絡があったのだそうだ。

「ですから、そのスクールについてはあまりよく知らないんですよ~」とEP先生。

2期生さんは普通にお仕事をしていて、ときどき土日のPC講習会などで人が足りなかったら、お手伝いしている。
パソコンスクールのオーナーさんが、「誰かいないかなあ」と言っていたので、EP先生に話してみた。
で、EP先生は、ベテラン仲間で思いつく人はいなかったけど、わたしなら昼の仕事の勤務地が近いからいいのじゃないか、と思ってくださった。

時給は1800円。――そんなにいただけるの!?(実はちょっと違ったのだが、聞いたときは驚いた。)
主に夜間できる人を探している。週に3日くらい。水木金の予定。
土日もあるかもしれないが、あまりたくさんはない。――理想的!

「でも、わたしのような知識がない者でもできるでしょうか?」
「大丈夫ですよ~。○○さん、向いてると思いますよ~」

新人の台頭にシビアな世界ゆえ、新しい人が参戦するのは嬉しいことではない。
今にして思えば、わたしは親切で優しい先輩方に出会えて幸運だった・・・・・・



Chapter 1 インストラクターになる
(面接からマンツーマン授業まで)

わたしの状況

ちょうどその頃、わたしはダブルワークをしていた。

職業訓練中に必死で就職活動をして、やっともぐりこんだ会計事務所のパートが本業。
会計事務所では、未経験者はあまり雇ってくれなかった。
面接以前に電話一本で不採用が決まることが続き、パートに甘んじた。

職業訓練以前の職歴は、10年間クリーニング店の店員。
事務というものを全くしたことがなかったのだから、まぁ仕方ない。
パートでも入れてもらえてラッキーだ。
――そう、本当にラッキーだった。
掲載されていた電話番号が間違っていて、応募がわたししかなかったから雇われたようなものだ。

クリーニング店時代に夫に勧められて取得した簿記の資格も、実務未経験の穴を埋めるほどの役には立たなかった。
簿記は3級も2級も、ラッキーで受かっただけだからだ。

だから時給がクリーニング店のときとあまり変わらなくても、文句はなかった。
交通費が全額出なくても、女性パートの勤務時間は短くて手取りが少なくても、文句はなかった。

文句はなかったが、生活は厳しかった。
事務パートは勤務時間が短く、サービス業のときのような残業はないし、土日祝も完全にお休み。
以前と同じだけの生活費を家庭に入れることは、難しくなっていた。

そんなとき、以前働いていたクリーニング店の社長令嬢から電話があったのだった。
「今、どうしていらっしゃるの?」という遠まわしなところから始まって、1ヶ月ほど手伝ってほしいという依頼。
クリーニング業は春が繁忙期、一年の売上の半分を春稼ぐというくらいなのに、急に人が辞めたのだ。

会計事務所の仕事は10-17時だったが、先生に頼んでこのときだけ9-16時にしてもらい、17-20時の3時間をクリーニング店で働くことにした。
16時から17時までの1時間は、ほとんど通勤時間だ。
でもクリーニング店は近所だったので、20時に終われば15分には家につく。

1ヶ月とちょっとの間とはいえ、ほんの少し収入が増えて有難かった。
おかげで職業訓練クラス同窓会の出費もまかなえた。

――みんな、輝いてるなぁ。
同窓会でかつてのクラスメイトたちを見て、そう思った。
自分に劣等感があるときは、他の人がとても素晴らしく見える。「隣の芝生は青い」
頭では理解していても、でもやっぱり、自分だけが半端な職についているように思えた。

インストラクターの仕事の話を聞いて、副収入に切実に惹かれて魅力を感じた。
でもそれ以外に、何か新しいことをしてみたい気持ちもあったのかもしれない。

同じ5人のメンバーで、毎日同じ一室で、朝から晩まで数字とハンコ――閉塞感を感じていたときだった。
クリーニング業に戻りたいとは思わないけど、人と接するサービス業は気分転換になった。
でもそれももうすぐ終わってしまう。

他にもいろいろな雑念があったかもしれないけど、「副収入」と「新しいことにチャレンジ」、この2つが大きな理由だった。
だから正直、プロのインストラクターになりたいという思いはなかった・・・・・・



Chapter 1 インストラクターになる
(面接からマンツーマン授業まで)

ある日、同窓会で

かつて、職業訓練を一緒に受けた仲間たちと、4ヶ月ぶりの再会。
そこには教えてくださった先生方も2,3人いらしていた。

当時、わたしは会計事務所のパート勤務だった。
その月は、職業訓練前の職場だったクリーニング店から頼まれて、パート後の3時間、店員として働いていた。
ダブルワークってやつだ。

宴もたけなわ、しかしお開きの時間は来る。
解散した後、数人の女性と、職業訓練時代のEP先生でカフェに移動。
「お茶でも飲んで行きませんか?」
その時間帯、そんな人々は大勢いるので、空席はなかなか見つからない。
確か、1軒2軒、断られたと思う。

そうしているとき、EP先生がわたしに言った。
「○○さん、副業してみませんか?」

それは、個人経営のパソコンスクールでインストラクターを探しているので、どうかという話だった。

EP先生は、職業訓練時代にPowerPointの授業で発表をしたとき、「○○さんはインストラクターに向いてますよ」と言ってくださった。
「とてもわたしにはできませんよ!」と答えたのは本音だったし、知識がたとえあったとしても、人前で何かするのは苦手だった。
そのときは、「できないというより、それ以前にやりたくない」と思っていた。

このときEP先生がわたしに勧めてくれたのには、理由があった。
このパソコンスクールが、わたしの勤務先と2つしか離れていない駅にあり、帰りに寄れること。
わたしがパートであり、残業など皆無でダブルワーク可能なため。
実際このときもしていたわけで、ダブルワークをしている、とEP先生には話していた。

そして、このときわたしが乗り気になったのも、理由があった。
わたしはパートであり、時給が安かった。
さらにサービス業だったときと違って、土日祝休み、通し勤務のような長時間の勤務もなかったので、安い時間数×少ない労働時間。
足の出た分の交通費は自腹、お昼は安い社食はもはやないから結構かかる。

要するに困窮しており、副業は魅力だった。
ちょっと詳しい話を聞いてみようかな、という気になった・・・・・・



Chapter 1 インストラクターになる
(面接からマンツーマン授業まで)

パソコンインストラクターの仕事

自分がどれだけやれるか試してみたい。
自分がどこまでいけるか見てみたい。

それが仕事の醍醐味なんじゃないかな、と今なら思う。

この仕事をしていると、いつも挑戦しなくてはならない。
それはわたしの力が足りないからなのかもしれないけど。

次の仕事は今までよりもっとうまくやりたい、といつも思う。
終わった仕事には、よくやったなと思うときでも必ず、もっとこうすればという点が見つかる。

わたしはどれだけ頑張れたか。
でも大切なのは努力の量じゃない。
受講した人の満足度や、技能の到達度なのだ。
努力しなくたって素晴らしい結果が出せるなら、それでいい。
すごく準備に時間をかけても、結果が伴わなければ、後悔が残る。

受講する人、一緒に働く人、事務手続きをする人――1つの講座にいろいろな人が関わる。
その中で、きっとそれを一番感じているのは、講師じゃないかな。
受講している人以上に、この仕事の自分が何点だったか考える。
自分の仕事ぶりへの満足も、不満も、自分が一番こたえる。

相手のある仕事だから、自己満足だけでは成り立たないけど。
わたしはいつも「よくやった!」と最終日に自分を褒めようと、頑張っているんじゃないかな・・・・・・



Chapter 1 インストラクターになる
(面接からマンツーマン授業まで)

Chapter 1 インストラクターになる

Chapter 1 インストラクターになる
(面接からマンツーマン授業まで)

Open-OAインストラクター-

--時代は少し戻ったところから、OAインストラクター編、始まります--

会計事務所を辞めて就いた職業が、OAインストラクターという仕事です。
PCインストラクターと呼ばれることもあります。

最初は、長く続けるつもりはありませんでした。
「つもり」がなかったというより、わたしの能力では「続けたくても無理だろう」と思っていました。

ですが、結局は、幸運に助けられ、何年も続けています。

仕事をすることになったのも、幸運なきっかけによるものでした。

これは、わたしがある日インストラクターにならないかと言われてから、今に至るまでの成長の記録のようなものです。
他の人にとって面白いかどうか分かりませんが、これまでのようにブログとして書いてみたいと思います。

友達に仕事の話をしたとき、「へぇ、そんなふうに思うもの?」と言われたことがあるので、ちょっと丁寧に説明しながらいくつか記事を書いてみたら、長くなってしまいました。
ですので、この章のひとつひとつの記事は、これまでより長めになってしまうかもしれません。
――それに説明っぽくもなってしまうかも。

見限られても仕方がないのですが、それでもこうお願いせずにはいられません。

ここまでおつきあいくださった方、ときどき覗いてくださった方、これから偶然訪問してくださる方――
どうかこれからも、このカフェに顔を出してくださいますよう。
心よりお待ち申し上げます。

年代による悩み:80%のがんばり

美容院でまたしても雑誌を見ていたら、心を惹く記事があったので読んでしまいました。

まず「更年期を乗り越えた女優さん」の話。
頑張ろうと思っても体がついてこないこともあるから、ほどほどに手を抜くことも大事。
つらいときは好きなことをする――私はドライブをするのが好き。
――と、そんなような話でした。

それから「引退したアスリートさん」の話。
いつもがむしゃらに頑張ってきたけれど、結果が出なくなってきた。
「大丈夫、君が頑張ってるのは皆知ってるよ」と人は言ってくれた。
だけどやがて、頑張っても100%じゃなくなってきた。80%の頑張りしかできない。
そのとき、引退しようと考えた。
――と、そういう話でした。

言い訳するつもりではないけれど、自分も頑張りきれないと思う毎日でした。
アスリートの人に比べたら、「今までに一度でも100%で頑張ったことがあったか」というところではありますが。
それにしても、「もう少し頑張れると思うのに」というところで終わってしまうのです。
60%くらいです。

アスリートが80%なら、わたしは60%でちょうどでしょう。

なるほどと思う一方で、ショックでもありました。
年をとるということは、頑張る力も減っていくことなんだ、ということに気づいたからです。

わたしが子供の時代は、よく親たちは「やればできる」とか「頑張ればできる」というようなことを言いました。
でもやれなくなる、頑張れなくなるんだなぁ、と。
たとえ「やればできる」ことでも、やれなくなるからできなくなるわけだ、と。

若さというものの偉大さと、年を取ることのハンデに改めて気づかされたのでした。

年を取ったら、その限界の中で頑張っていくという、やり方の変更、バランスの修正が必要になるものなのですね。
やみくもに頑張ろうとするのではなく、そういう変化を受け入れて自分なりの落としどころを探していかなくてはならないと考えました。

年代による悩み:リア充

美容院に行き、施術中の待ち時間に置いてある雑誌を読んでいました。
普段は買わない雑誌――5万円もするような靴や、10万円を超える値段のスーツが載っていたりする雑誌。
「幼稚園の行事に出かけるときは、このような服装で」「同窓会に行くにはこんなワンピースもいい」
どんな高級な幼稚園!? どんな立派な学校の同窓会!?

その中に出てくる「読者」らしき人たちは、わたしとはレベルが違います。

抜擢されて新しいプロジェクトのリーダーになり、苦労も多かったけれど、今は家庭とも上手に両立できるようになった、という40代前半の女性。
「社内にいる日は、このくらい甘さのある服を来ています。そのほうが部下たちも親しみやすいし」
――そんな人ばかり。

そして記事のトップにはこんな見出しがありました。
「会社での地位も高くなり、責任も重くなってくる○○世代」
「同時に給料も高くなり、自分に使える金額も多くなります」

○○のところには雑誌名が入ります。

紹介されている「読者」らしき人のプロフィールを見ていると、わたしも「○○世代」の端っこにどうやら入っている様子。
でもわたしは「会社での地位も」低いし、今後も低いままです。
派遣だったり、契約だったりするので、高くなりようがありません。

そこでわたしは気づいてしまったのでした。
自分は、年齢だけを考えたら不相応に地位も給料も低いのだ、ということをです。
――能力や経験を考えれば、別に不相応ではないのですけどね。

わたしはいわゆる「リア充」ではありません。
それが、年をとると余計に重くなるのだ、と悟りました。

本来高くなっているはずの地位は低いままで、年は高くなったのに給料は少ないからです。
若くて下っ端なのと、中年で下っ端なのでは重みが違います。

――実際は、「本来」高くなっている「はず」、というのは正しくありません。
けれど雑誌を見る限りでは、この年代になれば当然地位も給料も高いようです。

すくすくと育っていく子供がいれば、また違うかもしれません。
仕事でなくても、趣味でやっていることでそれなりの結果を得ている人は、また違うかもしれません。

何も結果がないというのは、年を取ってからはずいぶんと面白くないものだと分かりました。
若ければ未来があり、逆転の希望がありますが、それもないので自分をごまかすこともできません。

同じような悩みはどのような年代にもあるかもしれません。
でもちょうどこのくらいの年になると、その重みに初めて気づいて愕然とするのだと思います。
40代になったとき、そういう思いに苛まれずに済む人は、多寡はあれども「成功者」と言っていいのではないかと思います。

他の世界:他の世界がある人02

ある職場の知り合いは、いつも大変そうでした。

「ここは私でもってるようなものよ」と自信を持って言えるほど頑張っていて、周りの人も「あなたがいなきゃダメよ」と言っていました。
でもその周りの人というのは、同じ職場の別の階や部屋にいる人でした。
実際に一緒にやっている人たちは、全然そんなことは思っていなかったと思います。

彼女は非正規雇用の立場でした。
嘱託とか派遣とかパートとか、いろいろな形態があるけれど、そういった人だったのです。

組織に属する正規雇用の人からすれば当然、責任もリーダーシップも自分にあるので、自分のほうが大変だという意識だったと思います。
彼女は逆に、「正規雇用の人が何もしないで、非正規の私ばかり働いて、私がいなくなりでもしたらどうするの?」と思っていました。
もちろん、「彼らの倍以上の仕事をしているのに、給料も地位も彼らには全然及ばない。不合理だ」とも思っていました。

その裏返しか、彼女と話すとほとんどが「私はこういうことをしている」「こういうことも知っている」という内容に終始するので、話していてすごく面白いという人ではありませんでした。

それがあるとき、なんとなく気にならなくなっていることに気付きました。
考えてみるともうしばらく「私はこんなにできる」系の話を聞いていない――話しやすくなったなぁ、と思っていました。

彼女と共通の知人に会いに行ったとき、彼女の話になりました。
「××さんもね、前はいろいろ不満があったみたいだけれど、今は落ち着いているみたいでよかったわ」
「ああ、そうなんですか。それは良かったですね」
「前は、どんなにやっても正規雇用にはなれない仕組みだから、そんなのはおかしいってよく言っていてね」
「ハードワークの方ですからね」
「でも彼女、今、どこかの学会に入ってるらしくて、そこで論文を発表したり、いろいろと交友が広がったらしくて、そっちのほうで充実してるから気にならなくなったみたい」

そうだったのか――

そういえば以前、「学会でよくお手伝いとかさせていただいてるんですよ」という話をしていました。
最初は参加してちょっと準備などを手伝っていただけかもしれないけど、今はその中で自分の地歩を固めているんだと思いました。

職場での彼女の状況は何も変わらないけれど、他の世界で認められていれば満足できます。
下世話な言い方かもしれないけれど、ムカつくことがあっても「私は他ではすごいのよ」と心の中で相手を見下して、スッキリすることもできます。

普通にOLして、普通に事務をしていて、華々しい仕事をしていないけれど、毎日楽しく文句もなさげに働いている人がいます。
彼女は実はあるブログジャンルでヒット数も多いカリスマブロガー。
企業からもたまに声がかかるほど。
だから仕事は雑用が多くても、地位が高くなくても、気にならないようです。

他の世界で評価や地位を得ていれば、ストレスは耐えやすくなるのだと実感しました。

他の世界:他の世界がある人01

ご本人にはもちろん誰かをいじめる気も、無理なことを言う気もなく、周りを気遣っているつもりなのだけれど、うまくいっていない上司がいました。
いい上司でありたいという気持ちはあるのだけれど、そのためには気持ちだけではダメなので、振り回されて疲れる部下は歴代何人も――数えきれないほどいました。
――というよりも、部下になった人は多かれ少なかれそういう目にあっていて、問題は「いつまで我慢できるか」だけでした。

ところがあるときやってきた長期派遣の人は、苦にならないようでした。
確かに上手にやっていける人ではありましたが、それにしてもやっぱり小さなイライラを感じないわけにはいかないはず。
「でも私はそれほどびったり一緒にする仕事じゃないんでね~」と言っていましたが、お上手に受け流していける人ですごいと思いました。

一年二年と経ち、これほど長く受け流し続けられる人がいるとは、と部下仲間が驚き始めた頃、ダンスのDVDを借りました。

彼女は友達に誘われて行ったコンサートで、踊っているヒップホップグループが好きになり、その人たちのダンス教室に通い始めたのだと、聞いたことがありました。
週1回のクラスで、発表会前になると皆徹夜で練習するくらい熱心になって、「もう私は20代じゃないのでついていくのが辛いですよ」と笑っていました。

その発表会の模様を撮影したDVDを借りて見て、とても驚きました。
彼女はメイクも髪のカットもしっかりやっているほうですが、全体的な印象としては派手なタイプではありませんでした。
振り回し上司からも「お気に入り部下」とは思われず、「他のお気に入りがいないときに話をする相手」のような扱いでした。
ところが発表会では、先頭に立って入場し、中央で踊り、途中ソロパートまで踊り、最後は他の群舞メンバーとは別に退場。
観客席に向かって笑顔で手を振って袖に消えるという貫禄ぶり。

後からそのことを言ったら「上手というわけじゃなくて、あのクラスでは私が一番古株っていうだけなんですよ~」と笑っていました。
でも発表会であのような役を振られるということは、クラスの中でも一目置かれているのでしょう。
たとえ理由が「長いから」だったとしても、先生のお気に入りでもあるのでしょう。

ここでこうして主役でいるから、職場で「とるにたらない脇役」という扱いを受けても平気なのだと思いました。
上司のわがままも黙って聞いていて、受け流すことができるのだと思いました。

以前、回転寿司で働いていたとき、家庭のお母さんが働いていました。
子供を塾に行かせて、いい学校に入学させて、そして家庭の中心だから――そこで主役だから、パートの仕事は「お金のため」と割り切っていて、何事も気にならないようでした。

別の職場で、趣味の手仕事に夢中で、個展やグループ展に追われていた人は、仕事にこだわっていませんでした。
「なんだったら辞めて作品作りに専念してもいいのよね」というスタンスでいられるから、仕事が終わったらストレスは忘れられるのだろうと思いました。
あるいは最初から感じないとか――

他で主役になれる世界があれば、仕事で充たされなくてもストレスはないのだ、と実感しました。

他の世界:自分の場合の難しさ

ストレスがたまっていて、なんとかしてそれを立て直したいと思ったら、まずどちらに問題があるか見定める。
周囲に問題があるときは、状況の好転を待つしかない。
そういうときは、仕事が終わったら自分をオフに切り替えて、仕事のことは考えないようにする。

――そういうことを改めてブログ記事にまとめた後に、自分にそのような必要が生じました。

ストレスから自分を守るために、具体的なことを決めました。
たとえば苦手な人からはなるべく遠ざかっていようとか、仕事は時間分働けばよしとしようとか、状況に合わせて考えたのです。

あとは、「仕事が終わったらOFF、夜や週末は余計なことは考えない」だけです。

そう思ったけれど、帰る電車の中ではその日の不満を考えてしまいます。
大きい不満でも、小さい不満でも、その日は特になくても、前日に、そのまた前に連想がつながっていって、思い出してはイライラしたりムカムカしたりします。
家に帰っても引きずってしまうし、忘れようと自分に言い聞かせていてもふとしたときに戻ってきてしまいます。

次に職場に向かうときまでなんとなく続いていて、行きの電車では「今日もきっとこうだろう」「行きたくない」というようなことを思います。

「オンとオフを切り替えるのが大切」と考えていて、それを最近改めて見直して「本当にそうだ」とまた納得したのに、いざまたそういう状況がやってくるとなんて難しいことでしょうか。

それというのも、今自分は他の何かに夢中になっていないことが大きいと思います。
逃げ場を持たないと、オフに切り替えるのもなかなか大変なのです。

周りを見回せば、やはり不満な状況に穏やかに甘んじている人には、他の世界があると分かってきます。
趣味とは限りませんが、他の世界を持つことはストレスに対処するためには、重要なことだと思います。

自分リスタート:自分に問題があるとき

リスタートしたいときどうするか?

まずは状況を考える。
●周囲に問題があるとき 自分ではどうしようもないとき
 ⇒この場合の対処法はひとつ。やりすごす。
●自分に問題があるとき
 ⇒問題を突き止めて対処する。

さて、この「自分に問題があるとき」も、よく考えると大きく2つに分けられると思うのです。
わたしの場合はそうです。

●疲れているとき
これは物理的というか、本当に「疲れている」だけのときのことです。

たとえば、仕事で肉体的に疲れている。または精神的に疲れている。というようなとき。
この場合の「精神的」は、たとえば毎日残業していて、プライベートな時間を楽しむことができなくて、気持ちも追い詰められているということ。
人間関係のトラブルなどは含みません。

●イライラやぐちゃぐちゃ
これは上司にイライラしているとか、人間関係のトラブルがあって毎日ぐちゃぐちゃな気分、というようなことです。

この場合も精神的に疲れていたりすると思いますが、「忙しくて疲れている」というようなときとは疲れの種類が違います。

自分に問題があるときも、これら2つのどちらに当てはまるかで、対処法も違ってくると思うのです。

よくリフレッシュ法として出てくる「ゆっくり入浴する」「おいしい食事をきちんと時間をかけて楽しむ」などは、疲れているときに有効だと思います。
もしイライラしているなら、これまたよく言われる「大声を出す」とか「登山をする」などがいいかもしれません。

ただ後者の場合は特に、お風呂にゆっくり入っても、そのときはリラックスしても原因がなくなるわけではないので、あまり解消には至りません。
この場合は、「原因となる人や人間関係に近づかない」とか「上司やカウンセラーなどに相談する」とか「できるなら転職する」とか、何らかの直接的対処が必要でしょう。

とにかく、どこに問題があるのか、どういう状況なのかを知ってからでなくては、上手に対処することはできないような気がします。
あれこれ悩んで、いろいろ試してはみるけれど、結局解消されないまま同じ悩みを引きずってしまいます。

自分ではどうしようもない気がしたら、産業カウンセラーや心療内科などを利用するのもいいかもしれません。

自分もそうですが、リフレッシュ、リスタート、ストレス解消については、何度も悩み続けるし、「これだ!」と思ってもやっぱりまた悩みは戻ってきたりします。
現代社会では、永遠のテーマなのだと思います。
だから今語っても、またわたしはすぐにクヨクヨ、イライラし始めるでしょうけど、自分なりに悟れば次からはもう少しうまく対処できるのではないかと、期待をかけてしまいます。

自分リスタート:耐えてやりすごす

じっと耐えてやりすごすしかないな、と思っても、いざ仕事で毎日をやりすごしていくとなったら気持ちは大変です。
イライラしたり、クヨクヨしたりするのは止められません。
でもなんとかしてやりすごしていかなければならない。

そういうときどうするかというと、わたしの場合はON・OFFを切り替えることくらいしか思いつきません。
結局、わたしの場合は仕事のストレスが多いので、それに尽きます。

調子のいいときは、家にいるときや電車で通勤しているときも、仕事のことを考えているときがあります。
「あれをやっておかなきゃ」「今日はこうだったから、明日はああしよう」なんて、わたしなりに計画を立てていたりします。

やりすごす時期は、そういうことは一切しないようにしています。

職場が近付いてきて、最後の乗り換えをしたら、少しずつ仕事モードに切り替えて行きます。
「昨日はこうだったから、今日はこうしよう」というのは、ここで考えたり、確認したりします。
建物に入って守衛さんに挨拶をするときには、「よし!」と気合いを入れて「働く女性」モードになります。
女優さんのつもりはないけど、ちょっと演技している気分――働く自分を自分で演出します。

後は、仕事を自分なりに頑張るだけ――

これは一日に何回か言い聞かせるときもあります。
「とにかくわたしは、自分にやれることをするだけ」「やれることをやれるだけ頑張ればいい」

仕事が終わって、荷物を持って守衛さんに挨拶したら、「今日も終わった!」と自分に宣言します。
駅まで歩く間に、「今日、あのときはもっとああすればよかったな」と反省点を確認。
「今日はあそこまでやったから、明日はああして、こうしよう」と簡単に計画。

駅の改札を入ってホームに立ったら、もうOFFです。
OFFというのは、わたしの場合、意識しないとすぐにONに戻ってしまいます。

仕事のことを考え始めたら、「もう考えない」と自分に言い聞かせます。
そして他のことを考えます。
そのために本を持ち歩いたり、ブログを携帯で下書きしたり、考えないための小道具も持ち歩きます。
特に仕事そのものではなく、いつものイライラや理不尽な思いのほうに考えが飛んで行ったら、「考えない、考えない!」

夜も週末も、仕事のことは考えない――
趣味にいそしみます。

そのときによりますが、前回はブログにハマってずっとやっていました。
仕事中も趣味が浮かんできそうになるくらいだと、忘れているのも楽です。

こういうことは、仕事でストレスがある場合の話で、家族の問題や健康上の問題はまた別だろうと思います。
ONもOFFもないわけですし・・・・・・

でも仕事の場合は、やはり「やっているときは精いっぱいのことをする」「それ以外はOFFと割り切る」のが効くような気がします。

自分リスタート:周囲に問題があるとき

「リスタートしたいとき、○○さんはどうしますか?」

そう聞かれてわたしは思いました。
「状況は2つに分けられる。周囲に問題があるときと、自分に問題があるとき。これを混同するから、リスタートはなかなかうまくいかないのではないか」

周囲に問題があるときは、自分の努力だけではどうにもならないことがあります。

わたしも以前、どうにもならない状況に毎日憂鬱で、八方ふさがりなまま1年過ごしたことがありました。
他にも同じ仕事を受注する人が現われ、わたしへの依頼が減ったのです。
愚痴を言ったり、あれこれ考えたり、良かれと思う対処をしてみたり、物思いは多いですが解決には至りませんでした。

仕事を割り振る人に「もっと仕事をしたい」とアピールするか――?
「させてくれないと辞めざるを得ない」と最後通告を出すか――?

でも他に受ける人がいるのだから、そんなことを言われても何の痛痒も感じないでしょう。

わたしにはそのとき、不満もありました。
楽だけれど報酬は同額という仕事は、第三の人物ばかりが受注していたのです。
わたしだって、同じやるなら楽な仕事のほうがいいに決まっている――でも「××さんはもう新しいことを勉強したりするの面倒なんだと思います。その気持ち、私も同じくらいの年だからよく分かるの」と割り振る方に言われてしまうと、何も言えません。

些細な問題でしょうけど、当時のわたしにはとても重い問題でした。

長いトンネルを抜けて、振り返ったとき思ったのは、「そういうときは何をしてもどうにもならない」ということです。
――「ただやりすごすしかない時というのも、人生には存在する」

もし「リスタートしたい」と思うような暗い気持ちの原因が周囲にあるなら、そのときはただじっと耐えてやりすごすしかないように思えます。
わたしは1年かけて、そのことを学んだと考えています。

ただ、こういったことはいくつもの要素が絡み合っているので、なかなか判断が難しいです。

わたしは「いっそ辞めるべきでは」と何度も思いました。
辞めることで状況を変えられるなら、それは「周囲にのみ問題がある」「耐えるしかない状況」というのとは違います。
自分も何かアクションをするべきでは? 思い切って新天地を探すのも正解なのでは?

辞めないとしても、やっぱり自分にもできることがあるように思えます。
仕事を割り振る人は、わたしに気に入らない点があるのだろうか? それならそこを直すようにしたほうが良いのではないだろうか?
わたしの仕事ぶりが悪いということだろうか? もっと頑張って、同時に頑張っていることをさりげなくアピールしてみたらどうだろうか?

わたしなりに一生懸命やってきたつもりだけれど、そういうことはもっとアピールすべきなのだろうか?
「できないことをできると言うより、きちんと断ったほうがよい」と思っていたけれど、そうではないのだろうか?
――いろいろなことを考えます。

そして、辞めるとなると問題になるのが「家計」――経済的事情です。
新天地を求めるのが正解だと思い立ったとしても、収入や安定を考えるとなかなか決心はつきません。

そうするとやはりこれは、自分ではどうにもできない状況――やりすごすしかない状況と言えるのか?

とまあ、なかなか、耐え忍ぶ決意をするのも大変なことなのですが。

やはり人生には、じっと耐えてやりすごすしかないときというのも、存在するのだと思います。

ついに退職へ

ある日、いつものように派遣会社からの連絡が入った。
「契約について、お返事がありましたので、面談をいたしたく――云々」

この時点で、ちょっと「ん?」と思った。

普通は「次の契約もお願いしたいというお話がありましたので」という言い方で、できるかどうかを聞いてきた。
この担当の人もそうだし、前の担当の人もそうだった。その前もその前もそうだった。

もしかしたら――という思いはあった。
なんとなく信じられなくもあったけれど、おかしいなという思いはあった。

なので、いざ面談に行って「組織改編に伴い、今まで○○さんにお願いしてきた業務がなくなるということで、契約を終了したいというお話がありました」と切り出されても、それほど驚かなかった。
そりゃ、これまでずーっと「次の3ヶ月もお願いしたいと・・・・・・」と言われ続けてきたので、違和感はあった。でも不意をつかれたような気はしなかった。

それともそれは、強がりなのかな?

わたしは「分かりました」と普通に答えたつもりだけれど、動揺しているように見えたろうか?

派遣の営業担当は、そこで瑞穂さんに連絡した。「今、終わりましたので」
瑞穂さんは人事部の人で、これまでずっと派遣のことに関しては瑞穂さんを通してきていた。わたしも他の人もそうだ。

しばらく待っていると、瑞穂さんと目黒さんと稲城さんが入ってきた。
稲城さんは目黒さんの上司に当たる。

瑞穂さんが「長く働いてくださった○○さんだから、稲城さんもぜひ同席したいとのことで」と説明してくれた。
礼は尽くしてくれたってことなんだな、と納得した。

目黒さんは「○○さんには、本当に長くいてもらって・・・・・・」とちょっと涙声になっていたけれど、これはなんていうか、シチュエーションに流されたというか、シチュエーションの予想に流されただけだと思う。
わたしが別に普通だったので、あっという間に戻っていたし、別に涙は流れていなかった。
ほんのすこーし、涙声らしいものになっていただけだ。
これは、目黒さんの女優気質によるものだと思う。それほどわたしが好かれていたり、頼りにされていたわけではない。
というか、こういう場面で本当に悲しくなってくれる上司社員なんて、皆無に近いはず。

たぶん、ちょっとせいせいしていたんじゃないかな。
長くいて腐れ縁になっているだけに扱いにくいところがあったろうし、毎日いないし、他の仕事を頼みたくても限られた業務だけで手いっぱいだし。

わたしは契約終了と言われた時から、明るく辞めていこうと思っていた。
絶対に泣いたり、感傷的な場面を演じたりしない。

言われたときから自分の心の中では、これでよかったのかもしれないと思っていた。
どうせ来年度は分からないと思っていた。
来年度もし、フルタイムで働くようなことになれば、もう自由に休みを取ることなどできないとも思っていた。だからその次の年は1年くらい充電期間にしようか――いやいや、それでは就職先など見つからなくなる。間は空けないようにしなくては――と迷っていた。
そうしたら棚ぼたで充電期間が半年できたわけだ。これからの半年は、第一の職場しかなくなるわけだから。

そうだ、時期的にも今でよかったんだ。

どちらにしてもあと2年がタイムリミットだったのだし。

わたしは席に戻って、とりあえず普通に働いた。
仕事の合間に要らないものを片づけ始めた。
要らないものというのは、辞めるとなったらこれほどたくさんは必要ない輪ゴムとか、そういったものだ。
もともといつ辞めてもいいように片づけていたし、席替えを恐れて物を増やさないようにしていたのだから。

「それは落ち着いていたのじゃなくて、ショック状態だったのよ」と言う人もいるかもしれないけれど、自分では本当に、それほどの衝撃ではなかったと思っている・・・・・・


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