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略語のエリアルール

研修期間があったわけでもなく、福祉の知識が採用の条件だったわけでもない、わたしたち。
求められていたのは、講師としての経験と、理解ある態度で臨めること。

誰もここでのやり方や常識を教えてはくれなかった。

今では当り前だけれど、最初は違和感を覚えていたこともある。
一番違和感を覚えたのが、単語の略し方。

「今回のPCプラクティスの受講者は、聴覚が4人、肢体が10人です」

“障害”を略してしまうので、なんだか変な感じ。

「知的もカリキュラムは違いますが、PCプラクティスをやっているんですよ」
「彼は高次脳なので、その点、理解しておいてください」
「この方は精神で、疲れたりつらくなったりしたら教室を出るように言ってあります」
「視覚だけは、こちらでPCプラクティスをやりますから」

今ではすっかり慣れて、自分も当り前に使っている言葉。
だって必ずつくに決まっている言葉なので、いちいち言っていると会話が煩雑になる。
それに本人たちも使っている略語だ。
たとえばある聴覚障害者が、わたしに言う。「あの人の障害は? 肢体? 精神?」
またはある肢体障害者が、わたしに言う。「聴覚の人たち、今回は多いよね」

だからすっかり慣れたけど、だいぶ長いこと、違和感のある響きだった。

もうひとつ、最初のうち分からなかった単語がある。

初めて聞いたのは、たぶん2年目に入ってからだ。
その頃になると、わたしの仕事は増えていた。
PCプラクティスだけでなく、在職者向けの「スキルアップ研修」という講座もいくつか担当するようになっていたのだ。

花咲さんから聞いた。
「今度のスキルアップ研修に来る方のうち一人は、前に『しんすくーる』にいたことがあるそうです」
と言う。
「『しんすくーる』って何ですか?」
「あっちのほうの施設です」と変な方向を指差す。

分からないことが多すぎて、いちいち聞くと会話が進まないので、とにかく違う施設なんだなと思って流してしまう。
いったい何をするところ? こことどういう関係の施設? といくらでも聞きたいことはあるのだけど。

長いことわたしは『新スクール』だと思っていた。
ある日、些細なことから「身体障害者トレーニングスクール」という施設が存在することを知った。
――もしかして、『しんすくーる』って、新スクールじゃなくて身スクール!?

あまり関係のない施設らしく、それほど会話に出てくる単語ではない。
それでも時には出てくる。
わたしはずいぶんぼんやりしていると我ながら思うのだが、いつのまにか会話の中で『しんすくーる』は『しょうすくーる』になっていた。

長いことわたしは『小スクール』だと思っていた。
これまたある日、些細なことから気付いた。「障害者トレーニングスクール」だった。
――『障スクール』!?

そう、身スクールが障スクールに変わったのだった。

わたしがスクールで働くようになって何年かして、国の方針で改められたのだった。
障害の認定基準や種類なども変わったり増えたりした。
精神障害や高次脳機能障害の人も利用するようになり、「身体」障害者とは限らなくなったのだ。

しかし何しろ外部の講師という立場なので、そういった情報がまったく伝わってこないのだ・・・・・・



●1年目:実は皆できる
Chapter 1 PCプラクティス



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階級や立場など

皆が守らなければならない基本のルール、「スクールの中では名札をつけていなければならない」。
機密を扱う企業のようなセキュリティではないけれど、用のない人がふらっと入ってくることはない。
玄関はガラスで明るくて、広いけれど、守衛さんが受付をしている。

この施設の名札を下げている人は、軽く挨拶をして入っていく。
下げていない訪問者は、守衛さんのところで名前や目的を記入して、名札をもらう。

朝、出勤してきて、まだ名札が下がっていないと、「失礼ですが?」と呼び止められることもある。
数多いスタッフの顔を全部把握しているわけではないからだ。
もう長くいて、どの守衛さんとも顔なじみになっていれば、「名札はありますか?」と言われることはなくなるけど。

名札は普通の会社でもよく見かける、首から提げるタイプのもの。
ひもを見れば、相手の区分がすぐ分かるようになっている。

スタッフ→青色 実習生→赤色 訪問者→黒色

『スタッフ』には働いている人すべて含まれる。
事務職も管理職も、正規のあるいは非正規の「先生」と呼ばれる人たちも、警備員さんも看護師さんも。
わたしたちPC講師のような「外の人」に当たる契約講師も。
つまり実習生以外のすべての人、と言える。

黒色のひもの人も、割とたくさんいる。
福祉関係の人々や学生さんの団体が、よく見学に来ている。
求人したい企業の人が来ていることもある。

そういえば、わたしが面接に来たときも、黒いひもの名札を貸与された。

錯綜する組織図を、断片的な会話から覚えることは不可能に思われた。
明確な階級表を示して説明してもらったことはない。

「・・・・・・それは上級マネジャーAに言っておいたから・・・・・・」「・・・・・・ディレクターにも報告して・・・・・・」
会話の断片から、上級マネジャーはAから、B、C、Dといるんだな、と察した。
統括マネジャーやディレクターがいるらしいことも分かった。

けれど、統括マネジャーというのがどのくらい偉い人なのかは分からない。
ジョブ・トレーニング部とジョブ・アドバイザー部の関係は分からない。

『先生』と呼ばれているスタッフは、誰が正社員で、正社員じゃない人は何なのか、見当もつかない。
『先生』の中にも、将来の幹部候補はいるらしい。
幹部候補たちは、長くはいずに転勤することが多い。
長くいて、それぞれのコースの重鎮となっている『先生』は、では幹部候補とは別の大物なのか?

はじめのうち、いろいろなことを吸収しようと頑張っていたが、やがて諦めてしまった。
今でもたぶん、完全には理解していない・・・・・・



●1年目:実は皆できる
Chapter 1 PCプラクティス



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階級

10月、わたしは初めてトレーニングスクールに出勤した。

PCプラクティスは7月から行われており、美和先生はそのときから講師をしていた。
わたしが入るまでに、いったい何回あったか、そういえば聞いたことはない。
普通、毎日はやらないものなので、多くても4回くらいかと思う。

美和先生と組んでいたもう一人の方は、しばらく前に辞めた。
1回だか2回だか、美和先生は一人でやっていた。
そういうこともあって、玉名上級マネジャーの美和先生に対する信頼は絶大だった。

もう一人、PCプラクティスの仕事をする上で、欠かせない人物がいた。
事務の花咲(はなさき)さん。

ジョブ・トレーニング部に属していて、PCプラクティスの担当をしている。
40代後半くらいか、50代前半くらいの女性で、近くに住んでいる。

PCプラクティスの日程を把握し、それを連絡してくれるのは、花咲さんだった。
何か困ったことがあれば、花咲さんに言うことになっていた。
「この日は出られません」から始まって、「教室の電気が切れてます」に至るまで。

わたしは、他の仕事をしていたので、実際の勤務前に見学や打ち合わせに行くことはできなかった。
だから、花咲さんに会ったのは、勤務が始まってからだった。
「PCプラクティスを担当する花咲さん」
広い廊下で、玉名上級マネジャーに紹介された。
「10月から入ったばかりなので、至らないことが多いかと思いますが、よろしくお願いします」
花咲さんは初々しい笑顔で、挨拶してくれた。

わたしはすぐ好感を抱いた。
「わたしも、今日が初めてで、分からないことばかりですので、よろしくお願いします」
お互いこの10月からなので、勝手に同期のような気持ちを抱いた。

PCプラクティスを担当する花咲さんは、正規のスタッフではなかった。
週5日勤務ではないと言っていたので、非常勤かパートか。
――しかし、細かい区分のどこに位置するのか、いまもって分からない。

この大きな施設には、実にたくさんの階級があるのだ。
たぶん、正社員に当たる人。それも「正社員」なんてひとくくりにできない複雑な仕組みっぽい。
1年ごとに契約を更新している常勤と非常勤、派遣、パート。
雇用形態もさまざまで、職責や階級はわたしには無数にあるように思えた。

そしてわたしの場合は、言うなれば「階級なし」。
契約して、そのときそのとき行く存在だから。
名称は一応ある。「契約講師」という。
あえて場所を決めるとしたら、たぶん、ピラミッドの一番下の横っちょ、かな。

こうして何年も働いてくると、この位置どりで自分は良かったな、と思う。
出世することはないけど、階級と職責のジャングルを渡り歩かなくて済んだのだから。
人には向き不向きがあって、わたしにはこの気楽な位置が合っているのだ。

それに、もうひとつ、いいことがある。
PCプラクティスは最初の10日間だけ。
次の回は、また次の実習生さんがやってくる。
だから、出会う人が皆、いい人で終わる。

たいていの場合、「単発」の仕事っていうのは、嫌なことを感じないですむ。
半年、一年と一緒にいれば、中には合わない実習生さんもいたり、仲良くなりすぎてなあなあになったり、気を遣わなければならないことが増える。
そういうことも「10日間だから」となれば、問題ないか、気にならないか。

それが物足りない人も、いる。
「よりやりがいのある仕事を!」「より重要な地位を!」と思う人には向かない。
「もっと深く係わりたい!」と思う人にも向かない。

でも、わたしみたいに、それが合う人もいる・・・・・・



●1年目:実は皆できる
Chapter 1 PCプラクティス



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見習い期間

「始めのうちは、美和さんが前で説明する役をやりますから」
と言われたが、美和先生と組んでいるときは、わたしは常にフォロー役に回った。

なんとなく、なりゆきに任せていたら、そうなった。
そして美和先生が第二子出産のためいったん退くときまで、そのままだった。

美和先生がお休みをするときは、代わってわたしが説明役をした。そのときはわたし一人になる。
わたしのほうも、この仕事を受ける前から水上先生からいただいた仕事の話があり、そこは出られませんと伝えてあった。
そのときは、美和さんが1人でやってくださった。

2人しかいないので、なるべく休まないようにした。

結局わたしが休んだのは、前からの仕事があった8日間だけ。
美和先生は、まだ0歳だった息子さんが病気になったときだけ。

毎日の仕事ではないので、偶然PCプラクティスがある日に重ならなければ問題はなかった。

1年は、3月から4月までの年度で数える。
美和先生とは、最初の年と次の年度を2人で担当した。
その次の2年間は、3人で担当した。
美和先生のお子さんがお稽古や幼稚園に通い始め、お休みすることが増えたので、その穴を埋める方が登場したのだ。

美和先生と2人で仕事をした最初の1年半、わたしはフォロー役を通して、障害者のPC操作についていろいろな発見をした。

その間わたしはそれなりに、PCインストラクターとしての経験を積んでいった。
パソコンスクールで働いたり、講習会に派遣されたりした。
そういった仕事は、実務能力トレーニングスクールで働く前もしたし、スクールに勤務しながらも続けた。

複数の派遣会社から、さまざまな講習に行った。
さまざまなインストラクターと仕事をした。

それぞれの派遣会社の特色というのもあるけれど、業界に共通のやり方やルールもあると知った。

しかしそういった講習会というのは、受講生のほとんどが健常者だ――ということに、気づいた。
いたとしても、脳梗塞か何かでちょっと手が麻痺している高齢者、とか。

スクールでは、臨機応変なやり方が必要だ、とフォローを通して学んだ。

トレーニングスクールでは「後ろでフォローする人」だの「教室を回る人」だの、決まった名称がない(平等にしようという意識のためかな?)。
が、こういう役は普通一般では「サブインストラクター」略して「サブ」と呼ばれる。

サブとメイン、どちらの仕事が大変か、と言われたら、わたしはなんともいえないと思う。
それぞれに大変――ある点ではメインのほうが大変だし、ある点ではサブのほうが大変だ。

サブは基本的にはメインの下に位置づけられていて、分からないことがあってもメインに聞けばよい。
しかしメインが講習を進めているときに、それを中断させて「この方が操作が分からないと言ってますが、私にも分かりませんので、教えてください」とは言えない。
まあ、言う人もときにはいるけど。普通は言わない。
だから、せめて講習中の質問には答えられるだけの知識がなければならない。

もし、イレギュラーなことが起こったら?
それに1人で対処しなければならない。
パソコンが止まった、おかしくなった、自分は片手がないので「Ctrlキーを押しながら」の操作ができない、等々。

それも、時間がかかってはダメ。
気がついたら講習が進んでしまって、その人だけ遅れてしまう。
または、メインが気づいて待っていてくれたりすると、全員の講習が遅れてしまう。
1人にかまけている間に、ほかに質問やトラブルのある人が出るかもしれない。
その場での早い判断が求められる。

わたしが入った頃のこの教室はマシントラブルも多く、素人だったわたしはとても鍛えられた。
ほかの仕事でサブをしたりすると、楽だな~と思うようになった・・・・・・



●1年目:実は皆できる
Chapter 1 PCプラクティス



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さらに次のサイクル

わたしの新仕事、PCプラクティス、3回目。

2回目はとても楽な回だった。
誰もがこんな基礎は問題なくできて、退屈を持てあまして寝ている人もいるくらい。
フォロー役のわたしの仕事はほとんどなかった。

ところが3回目はちょっと大変だった。

できない人が多かったわけではない。
聴覚障害の人が多かったからだ。
この回は2人を除いて、全員が聴覚障害者だった。

前にも説明したが、話している声が聴こえない人がいる場合は、説明しながら同じことを入力する。
聴こえない人たちは、モニターに映し出される入力説明を読むことになっている。
美和先生はもちろん、入力は早いが、やはりただ喋るだけのときよりも時間がかかる。
当然、進みは遅くなる。

遅くなると、退屈する人、進み過ぎて待ち時間が生じる人が出る。
そうでなくてもPCプラクティスの内容は基礎で、ぼんやり待つ人が増えてしまいがちなのだ。

それでも前回は肢体障害の人が多くて、退屈しながらぼんやりしている人が多かった。
今回は聴覚障害の人が多く、わたしが気づいていなかった盲点があった。

手話である。

聴覚障害の人の中に、とても人なつこい話好きの男の子がいた。
わたしの年齢からしたら「子」と言いたくなるような若い人だった。
彼が口火を切る。

わたしたちPC講師は彼らと筆談で話をするけれど、聴覚障害者同士は手話で話ができる。
休み時間などはそうやって仲良く喋っている。
――そして、休み時間でなくても、そうやって仲良く喋っている。

人なつこい男の子が、通路を隔てて隣に当たる席に座っている子に話しかける。
それからさらに他の人にも話しかけ、お喋りの輪にひきずりこむ。
会話の輪が広がる。
今回は2人を除いて全員が聴覚障害なので、教室中をすごい勢いで手話が飛び交うことになる。

こうなるともう、誰も講師が入力している説明なんて読んでいない。
今テキストのどこをやっているかも把握していない。
そうすると、ふと我に返ると「あれ、なんか進んでたみたい。自分、遅れちゃった」と思って手をあげてわたしを呼ぶ。
「なんだか違うところをやっているみたいだ」と講師用のモニターと自分のモニターを指差して訴える。
また、聴覚障害の人は効率がよくて、「聞いていない間に進んだみたいだ」と自分でテキストを見るより、手をあげてわたしを呼んでしまう。

無駄話してて、ちゃんと聞いてないからだよー! とも思うけれど、手話が分からないので本当に「無駄な」話かどうか証拠がない。
分からないところがあって教え合っていただけなのかも。――絶対違うとは思うけれど。

教室は広くて通路も余裕がたっぷりあるので、わたしはときどき教室内を見廻る。
でもそうしてさえぎると手話会話の邪魔になっていそうだ。大変活発な会話がいつでも交わされている。

生まれながらではなくて、途中から失聴した人は声の響きというものが分かる。
でもずっと聴こえていなかった人たちは、どのくらい響くのか分からないみたいだった。
会話が白熱してきたとき、奇声のように聴こえる笑い声をもらして、こちらはびっくりさせられる。
手話の動作で手を打ち合わせたりする音も、ペンペンと聞こえたりする。

教室中が無法地帯――。

実はわたしは、この回は以前からの約束で、自分が通った職業訓練コースの講師をする仕事があった。
だからこの回は、職業訓練コースが自習日になる金曜日しか行かなかった。
そういうこともあって、皆余計に好き勝手やることに慣れていたのかも。

そんな中、美和先生はたとえ誰も聞いていなくても、淡々と講習を進めていてすごいと思った。
退屈しているなら早めに進めようか、とか、練習問題でもさせようか、とか、そういった媚は売らないというのが信条らしい。

考え方や価値観が違うので、どういうやり方がいいと思うかは担当講師によって違うとは思う。
でも、くさくさせずにフラットに流していけるというのは、わたしにはできないことだ・・・・・・



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Chapter 1 PCプラクティス



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次のサイクル

わたしが携わることになったPCベーシックプラクティス、略称PCプラクティス。
Wordの基礎を5日間(午前だけ)、Excelの基礎を5日間(午前だけ)という10日間の基礎実習だ。
「今の時代はどんな職であってもWordとExcelの基礎くらいは必須だから」という理由で、どんなコースに配属された人でも必ず最初に受けることになっている。

PCプラクティスはちょっと特殊な講習だ。
完全に縦割りなコースごとの実習ばかりの中で、これだけが全部のコースから寄せ集められて来る。

わたしの勤務初回の10日間が無事に終わり、しばらく間が空いてから新しいサイクルが始まった。
2回目を迎えたわけだ。

これははっきり言って、大変楽な回だった。

何しろ皆できる。
ほとんどの人がコンピュータを使い慣れている。
テキストは講師がいなくてもできるくらいに逐一手順が書かれている。
説明なんて聞かなくても、途中でちょっと居眠りしちゃっても、わたしの手を借りずに自分で追いつくことができる。

皆、勝手に進んで手持無沙汰にしているくらいだった。

美和先生は誰が聞いていようがいなかろうが、テキストを進めなければならないが、わたしはできない人がいなければ出番がない。
大変楽だった。

最初こそ真面目に一緒に進んでいた人たちも、後半のExcelになる頃には「ほとんどできる内容ばかり」と見切りをつけてしまっていた。
勝手にその章の最後まで進んでしまって、後はただぼんやりと美和先生の話を聞いている――か、聞かずにぼんやりしている。

わたしはますます出番がなくなり、窓から中庭をのんびり眺めたりしている毎日。
二階の窓より高い中庭の木々の葉を、「もうずいぶん黄色くなったなぁ」なんて観察していた。

障害者といっても、普通の人たちだ、と思った。
――誤解を招きかねない言い方だけれど、これがそのときの正直な気持ちだった。

イメージとして「障害があっても懸命に生きている」というような感動実話が、わたしの中には根強くあった。
テレビなどの感動ドキュメンタリーや感動ドラマのイメージがしみついていたのだ。

でもすることもなく皆さんの様子を後ろから見ていると、若い方たちなどそのへんの専門学校と変わらない。

たとえば、寝てる。
やる気なかったりする。
ときどき見回りにやってくる若い各コースの実習コーチの先生が、寝ている若者を揺り起こして厳しく注意すると、不満げだったりして態度が悪い。

このときの居眠り常習犯で、叱られるたびにムカついた態度を示していたのは車椅子の若者で、金髪だった。
その子以外にも若者は、車椅子でも聴覚障害でも、茶髪に赤髪、耳にはピアスという人が多かった。

居眠り常習犯の金髪くんは、高級ブランドの服を着ていて、オシャレだった。
わたしの給料では買う気になれない、かなり高級なブランドだった。
金髪の彼は、「検察庁出頭のため今日一日休み」という日があった。何だったんだろう。
わたしのような部外者の立場には分からない。

彼らは車椅子バスケ部に入っているようで、休み時間などにその話をしているときは生き生き喋っている。
――講習はあんなにつまらなそうに寝まくっているのに。

以前、派遣の単発などで一緒になったインストラクター仲間から聞いた話を思い出す。
「自分のお金や時間を遣って出席する講習会は皆熱心に聞いてくれるけれど、私は専門学校でパソコン授業をしているから、誰も聞いてないし、やる気もないよ」

きっと専門学校とかって、こんな感じなんだろうな、と想像した・・・・・・



●1年目:実は皆できる
Chapter 1 PCプラクティス



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機械ビジネス課程

PCプラクティスにはいろいろなところから人が集まってくる。

今なら少しはどういうコースがあるか分かっている。ときどき変わったりするので完全に知っているとは言えないが。
当時は右も左も分からない状態だったので、「僕は××コースなんですよ」と言われても、違いは分からなかった。

見た目で違いが分かるのは機械ビジネス課程の人たちだけだった。
この人たちは作業着をはおっているのだ。

全身作業着の人もいたけれど、上着だけの人も多かった。
この作業着は支給されるものらしく、全員おそろい。
だから「あ、『機械』の人かな?」とすぐ分かる。

これは実習を指導するスタッフは必ず配られているらしかった。
総合ビジネス課程(主に事務職)やデザインビジネス課程(DTPとかCADとかWebとか)の先生でも、着ている人がいた。
だから実は実習生さんも、全員が持っていたのかもしれない。
持っていても必要がないから着ていなかっただけかも。

機械ビジネス課程の人たちは、たぶん朝からこれに着換えるのだと思う。
朝の体操のときから、皆さんこれを着ていた。

――そう、機械ビジネス課程だけ、朝の体操というものがある。
中庭に出て、ウォーミングアップみたいな体操をする。
この様子が、わたしが働くPC実習室の窓からよく見えた。
朝の準備を終えてしまうと、することがなくて窓から眺めたりしていたから知っているのだ。
この体操は、機械ビジネス課程の人しかしないようだ。

朝の体操と朝のホームルームみたいなもの(どちらが先か分からない)が終わると、それぞれ自分の実習場所に散る。
他のところであれば体操はない。ホームルームみたいなもの「朝の連絡会」が終わると、それぞれ自分の実習場所に散る。
もっとこじんまりしているけれど、大学の授業を思い起こしてもらえると分かりやすい。
「僕は今日の午前中はPCプラクティスだ」「私は経理の予定」「自分は旋盤プログラミング」
と、それぞれに違う場所に散って行く。同じ時期に入った人同士でも、同じ内容とは限らない。

体操が終わったな、と思って待っていると、機械ビジネス課程の人たちが、実習コーチ(先生)に連れられてやってくる。
「よろしくお願いします」と機械ビジネス課程の先生は挨拶してくれて、わたしたちも「よろしくお願いします」と挨拶する。
その間に実習生さんたちは、自分の席につく。

やがて総合ビジネス課程の人たちやデザインビジネス課程の人たちが、三々五々やってくる。
朝のホームルームは一斉に終わっても、早く来る人と遅く来る人がいる。
――たぶん、障害の種類によって歩くスピードが違うからだと思う。

機械ビジネス課程の内容は長いこと謎で、そしてずっと謎のままだった。
たぶん、私などには分からないようなことをやっていたと思う。
はんだ付けなどもしているようだったし、溶接もあった。旋盤プログラミングだのマシン言語だの、難しいプログラムもしているようだった。
課程の中に細かいコースがあったが、どれをどのコースでするのかもよく分からない。

謎は神秘的で、だから魅力的に見える。
最初の年によく引率してきていた『機械』の先生は、肌の綺麗な男性でなんとなくかっこよかった。
謎の内容を教えている先生だと思うと、3割増しでハンサムに見えた。

「ああ、今日もあの先生だ」と、目の保養をしていたものである・・・・・・



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Chapter 1 PCプラクティス



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青春

わたしが働き始めた当時は、寮に入っている人が多かった。
スクールには、かなり広い範囲から実習生さんが来ていた。
ときどき東北の人もいたし、九州の人もいた。そういえば沖縄の人に出会ったこともある。
後にいろいろと法律や制度が変わって、寮に入る人が少なくなったりしていたが、この頃は多かったのだ。

朝から夕方までそれぞれのコースで学習し、寮生も多くいて、まるで学校のようだった。
わたしが職業訓練時代、第二の学生生活を楽しんだように、このスクールでも皆さんいろいろと楽しんでいるようだった。
新しい友人との出会いもあり、飲み会などもある(聞いた話では)。

――時には恋も。

恋が芽生えた話は何度か聞いたが、一番最初に聞いたのは、昨日の弱視の彼だった。
恋の話は、人から聞くことが多かったが、弱視の彼の話は本人から直接聞いた。

彼の「彼女」は、このスクールで出会った女の子だそうだ。

「彼女は左半身麻痺なんですよ。今はもう実習が終わって実家に帰って働いてますよ」

「実家は××なんですよ」
――じゃあ、遠いですね。
「そうなんですよ~! 遠距離恋愛ですよ! 寂しいですよ!
電話で彼女に、寂しいなんて言われちゃうと、今すぐ会いに行っちゃおうかな、なんて思いますよ」

恋愛はこじれると問題が起きることもあるから、スタッフにはあまり歓迎されないように見える。
なるほど、それももっともだ。

寮に入っている人たちは、同室の人や他の部屋の寮生と仲良くなったりもする。
でも逆に、近しいだけに不満や反感が湧くこともある。
そういう話も後に聞いた。
「同室のヤツがうるさいんですよ。ホント、ムカつくんです」とか。
「寮も結構大変ですよ。逃げ場がないから、ちょっとした争いがエスカレートすることもあるし」とか。
なるほど、それももっともだ。

でもこの頃はまだ、わたしは何も分からなかったので、なんだかいいなぁと思ったのだった。
青春!という感じじゃないか――!

グラフを作るのにとても苦労しても、仕事や日常生活で普通の人にはない苦労があっても、ここではみんな平等で、友情や恋が芽生えることもあって、青春もある。
そんなふうに無邪気に思って、ほのぼのした気持ちになっていた・・・・・・



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弱視の問題

この職場に来て初めてのコース、後半Excel。
グラフまで進んだある日、つくづく「パソコンは障害者に向くように作られていない」と感じた。

Wordから引き続きやって来る人たちの他に、数人の新しい人を加えたExcel。
Excelから加わった人の中に、弱視という障害を持つ人がいたのだった。
弱視という障害名から想像するとおり、全盲ではないけれど、『近眼』を遥かに超えたレベル。

自分が操作しているパソコンのモニターに、1cmよりもっと接近しているのではないかというくらい、顔をくっつけて見ている。
Excel画面は200%に拡大表示していながら、1cmよりもっと接近しているのだ。

アイコンはかつて、自分も初めてインストラクターをしたPCスクールの講座で「特大」に設定できることを知っている。
でも、それを設定しても、出てきたダイアログボックスの中の文字は小さいまま。
――そうか、すべて大きくするということはできないわけね。

弱視の彼はアイコンも特大にせずに見ていた。
確かに、一部だけ大きくなっても仕方ないのかもしれない。

画面の解像度を下げれば、画面のすべてが大きくなる。
でも彼はそれも使わず、グラフの日まではなんとかやってきた。
(ちなみに弱視の方はその後何人か出会ったが、画面解像度を変えている人はいなかった。
これについてはもっと後で考えたいと思う。)

グラフの章に入り、この日は美和先生が休みの日だったため、わたし一人で進行をしていた。
「最初に範囲選択をします。A4からH13を選択してください」・・・・・・「OKをクリックするとグラフができあがります」

さて、皆さん同じものができあがったかな?
急いで教室の後ろにまわり、それぞれの画面をチェックしてみる――うんうん、大丈夫みたい。

あれ!?
弱視の彼のグラフは、真ん中にクチュッと縮こまり、文字がやたら大きい――!

そうだったのか。
グラフというのは拡大表示した状態で作ると、フォントサイズが大きくなってしまうのか。
えっらい大きな文字で目盛の数値も、項目軸の「1月、2月、3月」なども入ってしまい、全部が重なり合って何が何やら・・・・・・

とりあえずいったんやり直すことにし、今日だけは100%の画面で見てもらうことにした。
作ったけれど、今度はグラフ内の文字が小さすぎるので、「グラフエリアを拡大して、大きな文字にしてもいいですよ」と伝えておいた。
しかしテキストには「グラフをA15からH30の位置に配置する」などと書いてあるので、テキスト通りにしたいらしい。
そのサイズでは彼にはよく見えない。

本当はゆっくりフォローしたいけれど、一人なのでたまたまこの日はできなかった。
彼はとてもやりにくく、分かりにくかったらしく、途中で作業を放棄してしまっていた。

彼の気持ちを鎮めようとしながらなんとか最後までやってみたものの、わたしも疲れてしまった。

別に頭が悪いとか能力が低いというわけでもなく、そして彼は真面目にやろうという気持ちが強かっただけに、身体的についていけなくてイライラしていたようだった。
障害がありながらパソコンを使うのは、当然ながら健常者より不利なことも多い。
頭では分かっていたものの、弱視の人は初めてで、そしてグラフにこんな問題点があることも知らなかった。

難しいものだ。

彼は終わる頃にはいつもの明るい彼に戻って、「明日もよろしく」とお互い挨拶して別れた・・・・・・



●1年目:実は皆できる
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重装備車椅子の彼

障害にも等級がある。
どの程度重度の障害なのかを表わす。

実はきちんと知らないのだが、たとえば聴覚障害なら「完全に聴こえない人が1級」なら、「何デシベルまでなら聴こえる人は4級」という具合。

車椅子にもいろいろなものがあり、だいたいの人は普通の車椅子を使っている。
(しかしそれは病院用の車椅子とは違う。日常ヘビーに使うものなので、ああいうタイプではない。
車椅子バスケなどで使われているようなスポーツタイプの車椅子。かなり頑丈そうで、動きが軽い。)

昨日の話に出てきた男の子が乗っていたのは、寝た状態に近い車椅子。
わたしが学生時代にボランティアでつきそいをした城田さんを思わせた。
城田さんは全身の筋肉が麻痺しているから、会話をするのも必死に顔の筋肉を動かしていた。
ここに出てきた男の子は、パソコン操作もしていて、教室移動も自分でしていたから、それほどの麻痺ではなかったのだろうけど。

彼を「男性」と言わないのは、若く見えたから。
イメージとしては若者、おばさんからすれば「男の子」だ。

ある日、スクールの仕事が終わった後、用事があって都心に出たとき偶然ターミナル駅で見かけた。
わたしは改札を出ようとしていて、彼は改札に入ろうとしていた。
親ごさんなのか、どこかの施設の人なのか、つきそいの女性がいた。

すぐに分かったので挨拶をしてみたが、果たして彼はわたしを覚えていたかどうか。

彼は口を動かすのも少し不自由なので、唾液が出てしまうことがある。
首のまわりにタオルを用意していて、自分で定期的に拭いていたので、匂ったり見た目がひどくなったりはしなかった。

でもこのために、(か、または消毒薬のような匂いがしたとかで)、「匂いに敏感なので彼から離れた席にしてください」と言い出す女の子がいたのだった。

彼は口に近いところにストロー付き水筒を置いていて、少し顔を動かせばストローから水が飲めるようにしていた。

わたしがスクールで働き始めて10年経ったときでも、彼のような重度の肢体障害の人には他に出会ったことがない。
わたしのような非常勤もいいとこの出勤では、PCプラクティスの10日間が終わってからのことは分からない。
友達などもできて、楽しく青春していたのだろうか?

就職は無事にできたのだろうか・・・・・・



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匂いが苦手

最初の回、後半、理想の席順にならなかったことについては、他にもアクシデントがあった。

Excelから参加のある女性が、「席を変わりたい」と言い出したのだ。
「私は匂いに敏感なので、苦手な方がいるんです。できればその方と離れた席がいいのですけど」

ここは障害のある人しか入れない。
そう言った彼女は、一目で何の障害かというのが分からなかったので、余計にわたしは思った。
「そういうことのある障害なのかしら?」
だとすると、席順のせいで気分が悪くなったり、何か困ったことが起きるかもしれない。

もういったん皆さん席が決まってしまったが、なんとか変わってもらって席を離すしかない!

「苦手なのはどの方ですか?」
――悪気はないのだが、わたしは「ちょっと不潔そうに見えるかな?」と思われそうな方が指定されるものと思っていた。そういう方が一人いた。
ところが彼女は、「あの車椅子の男性です」

え?

――なんというか、彼は、その・・・・・・TVの感動ドキュメンタリーにも出られそうな人だった。
全身麻痺。座っていられる車椅子ではなく、寝たきりの人が使うような車椅子。
これは車椅子と言うのだろうか? ストレッチャー? いや、やはり車椅子だろう。
喋るのも困難。麻痺が全身にわたっているからだ。
手を動かすのも困難だが、棒を手にくくりつけて入力はできる。
「こんな障害があっても、彼は精いっぱい生きている!!!」的なというか――まあ、そういうドキュメンタリーに出ている人と同じような障害だった。

あの「感動の嵐」のような人を、「匂いがきついから近くにいたくない」と言ってしまうとは。
なんというか、自分の甘さを振り返らされた気持ちだった。

そのときだけドキュメンタリーで見るなら感動かもしれないが、一週間一緒にいるとなれば違ってくる。
その人が自分の体調に害を及ぼすとなれば、「彼は大変な障害があっても頑張ってる人だから」では看過できない。
たぶん、TVで見ているだけでない今は、自分だってどう思うか分からないのだ。職場で隣の席にいたら? これは現実なのだ。

「薬の匂いと唾液の匂いが・・・・・・」と言い出した彼女は言う。

確かにそれほどの障害の彼には、なんとなく消毒くさい匂いがする感じだった。
そして、顔の筋肉も麻痺しているから、唾液がたいていいつも洩れていた。

わたしたちPC講師のような外部委託の者には、詳しい情報が教えられないことが多い。
だから彼女がどのような障害だったのか、わたしには分からないままである。
匂いが彼女の障害によるものなのか、ただの生理的嫌悪感なのかも分からない。

ただこの出来事は、わたしにとってある真実を悟らせてくれた最初だった。
「障害者も普通の人と同じである」
同じように「障害なんて気にならないな、いいヤツだな」と好かれることもあれば、普通の人と同じように嫌われることもあるのだ・・・・・・



●1年目:実は皆できる
Chapter 1 PCプラクティス



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最初の回、後半。理想の席順

PCプラクティスは、前半週Word、後半週Excelという2週間だ。
回によっては開始が水曜日だとか金曜日だとかいうことがあるので、必ずしも月-金ではないが。

このスクールでの仕事、初回コースも、前半が終わり後半のExcelが始まった。
このときは、「Wordはいらないが、Excelは受ける」という実習生さんが多かった。
(こういうことは最初の頃はときどきあった。何年かのちにはスクール内のルールが変わったようで、そういうことはほとんどなくなった。)

Wordの5日間で、わたしも少し様子が分かってきた。――あるいは、分かってきた気になった。

聴覚障害の方たちは、つまずくことが多かった。――あるいはそのように見えた。
だからフォロー役としては、できれば固まってほしかった。

聴覚障害の人はなぜつまずくのか。
これには理由がある。――もちろんそのときは分からなかったが。

前に書いたように、聴覚障害の人用に、進行役講師は喋った説明を同時入力する。
進行役の美和先生は、Wordに入力していた。
「でもそれだけでは分かりにくいこともあるから、聴覚障害の方は同じところでつまずいたりする」
と、当時のわたしは考えていた。

確かにそれもあったかもしれない。

また、後から知ったことだが、生まれつき聴こえない人は、視覚的に物事を捉えるそうだ。
だから長々した文章の説明を読んだりするのは、あまり得意ではない。
テキストに図が載っていれば、進行役の講師の説明も、テキストの指示さえも読まずに図だけを見て操作する。
だいたいはそれで問題ないが、つまずくこともある。図だけを見るように作られていないからだ。
そしてつまずくところはたいがい皆、同じなのである。
図だけを見ていてはうまくいかないところというのは、当然誰にとっても同じ箇所になるからだ。

このことについては、またいずれ詳しく触れる。

とにかく、フォローしやすくするために、わたしとしてはできれば固まって座ってもらうと、次々つまずきが発生した際に有難いと考えたのだ。
――しかし、そうはいかなかった。
Excelだけ受ける人と、Wordから受けている人がいる。Wordから受けている人は、当然同じ席がいい。
そうすると、うまく席が空かないのだ。

それでも少しでも固めようとしてみたが、できなかった。

まあ、仕方がない。
結局、皆バラバラな位置に座ることになり、わたしはフォローをする際、行ったり来たり・・・・・・

ひとくちに「聴覚障害」と言っても、実はいろいろだ。
わたしはつまずいた人たちに筆談と身振りで説明したり、フォローしたりする。
手話ができればいいのだろうな、と思うけれど、このとき来ていたある聴覚障害の女性は手話不可だった。
手話ができない聴覚障害の人もいる。

また、完全に何も聴こえないのか、難聴なのか、という違いもあると気付いた。

ある男性は補聴器をつけていて、そのために苦情を言われた。
「マイクの音は補聴器と周波数が同じなので、ガチャガチャ言ってるだけに聞こえてしまう、なんとかならないか」
(補聴器の種類にもよるのか、問題ないという人が多いのだが。)

でも広い教室なので、一人のためにマイクを止めることはできない。
補聴器の方はマイクが雑音にしか聞こえないことも多いらしく、それに対処する方法は、当人に補聴器を外してもらう以外ないのだった。

同じ障害名でもいろいろな問題があるものである・・・・・・



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Chapter 1 PCプラクティス



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最初の回

最初の勤務コース、緊張して行ったけれど、それほど忙しい仕事ではなかった。

「どのような服装で出勤したらいいですか」と面接のとき聞いたら、玉名上級マネジャーは「今日みたいな格好でいいですよ」と言うので最初はダークスーツで行った。
でも初めて会った美和先生が長袖白Tシャツに綿パンツというような服装だったので、服ももう少しカジュアルにすることにした。

「PCベーシックプラクティスの事務を担当する花咲さん」
と玉名上級マネジャーに紹介された方は、わたしより年上の女性で、パートみたいな勤務形態なのだそうだ。
月に15日だか、そのくらいしか働けない契約だそうだ。
そのときは「パートみたいなもの」という言い方しか知らなかったが、後に「アシスタントテンポラリー」という名前があることを知った。
――後に、って、本当に数年後のことだ。

花咲さんは「私はまだ今月の頭に入ったばかりで、新人なんですよ」と言う。
――わたしもです! 本当に10日くらいしか違いませんね!

でも花咲さんは、わたしがいつまでも「見知らぬ外部の人」なのに対して、どんどん地歩を固めていき、数年後には主のようになっていた。

美和先生は、あまり細かく指示をする人ではないらしく、特に何も言われないまま講習は始まった。
わたしはとりあえず、いつもの他の講習会のように、教室内を見回ってフォローした。

このときは18名くらいいたと思う。
少ないときは10名を切るので、多いほうだ。

後ろのほうに座っていた車椅子の男性は、とてもよくできる方で、さっさと自分で操作して単元が終わってしまい、講習全体が追いつくまで手持無沙汰に見えた。
だからといって眠っていたり、遊んでいたりするわけではなく、一応おとなしく座っていてくれたが。

もうすぐ終わりというある日、何かの折に「こういうやり方もできますよ」と見せたら、「知りませんでした」と言ってくれた。
――ひとつくらいは知らないことを覚えていただけて、良かったです。

このときは、後ろのほうに固まっていた車椅子の方たち皆、それぞれ自分のペースで進めてしまって、単元が終わると全員ただ座っているだけになって困った。

また聴覚障害の人たちは、時には厄介なこともあるということも知った。
内容が知っていることばかりで退屈だったりすると、私語が始まってしまう。
普通、静かな講習中に大声で喋ったりはしないものだが、彼らの会話手段は手話が多い。
手話だと声が出ないから、話しやすい。
こちらも手話が分かるわけでもないから、はっきりとその内容が無駄話だとは言えないので注意しにくい。

しかし声に出さずに手ぶりで話していても、なんとなくそこからシーンとした雰囲気は壊れていく。
それに完全に無音ではないのだ。
つい笑ってしまうときの声、一生懸命話すあまり奇声のような音が漏れてしまうとき、両手を合わせる手話のときのパチンという音――
結構うるさかったりするのである。

ところが本人たちは、聞こえないのでそれらの音がどれだけ響くか分からない。

いろいろな人がいて、いろいろな問題があるものである・・・・・・



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Chapter 1 PCプラクティス



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実習生さん

大いなるやる気を抱いて出勤した、初めてのPCプラクティス。
やってみると、わたしの力など、それほど必要とされないことが分かった。

トレーニングスクールに職業実習を受けにやって来る人たちは優秀なのである。

ここは、職業に必要な技能を習得するためにある。
なので、基本的な生活機能が不十分では入校できないそうだ。

障害者には、生まれながらの人もいれば、中途からの人もいる。
中途から障害を持った人は、今までのやり方ではできないことが多くなる。
そういった失われた機能を回復したり、他の機能で埋めたりするトレーニングは、そのための施設で行う。
生まれながらに障害を持っていても、これまでそういったトレーニングを受けたことがない人も同じ。

さらにその前段階、まだ事故や発症からそれほど経っていなくて、基本的な歩行や物をつかむなどもできない場合は、病院か病院付属施設でリハビリを行う。

健常者でも、失業中に職業訓練校に通う人はいる。
受講希望者が多ければ、適性検査や面接や志望動機書や学力その他で、合格不合格が出る。
それと同じで、ここでも、希望者は一種の試験を受ける。

就労するための実習だから、就職は難しい段階だと合格しないことがある――らしい。
それは身体に限らず、精神障害の場合も「まだ就労段階ではないのでは」と判断されることもある。
つまり、この教室に来ている人たちは、面接も通るほどの、やる気や社会的な素質を見せた人たちなわけだ。

つまり、その門をくぐりぬけてきた実習生は、なかなかデキる人たちなのである。
中には、「パソコン使うのが初めてで」とか「入力は遅いです」という人もいる。
それでもその人たちは、“訓練を受ければ就労できるレベルになる”と判断された人たちなわけだ。

この教室に来ている人たちは、面接も通るほどの、やる気や社会的な素質、または今は足りなくても将来性を感じさせた人たちだ。
(後年、そういった事情は多少変わったが、わたしが入って2,3年はそんな感じだった。)

明るく前向きな人が多く、能力も高い人が多く、わたしなどいらなくて暇を持て余す回もあるくらいだった・・・・・・



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Chapter 1 PCプラクティス



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3日目にして

初日、わたしはだいぶ早く着いた。
美和先生はギリギリにやってきた。

美和先生は、PCプラクティスが始まったときからやっている。
と言っても、PCプラクティスが始まったのが数ヶ月前、という新規の試み。
もともと2人でやっていたが、もう1人の方が辞めてしまった。
それで代わりを探していたが、なかなか見つからなかった。
見つからない間の2コースほどは、1人でやっていたのだそうだ。

インストラクターとして新米だったわたしは、出会うメイン級のインストラクターすべてが、「先生様」だった。
そういったわけで、初めて会ったときから、ずっと美和先生と呼び続けた。

美和先生は、初日、「もう始まる!」という時間に飛び込んできたので、詳しくお話する時間がなかった。
お子さんをご両親のところに車で預けに行って、そこから出勤していらしたが、その日は渋滞に会ってしまったそうだ。
自己紹介をそそくさと済ませると、美和さんは玉名上級マネジャーに向かって言った。
「それで、あさってはやはり来られないのですが」
「大丈夫、大丈夫。いけるよね、○○さん?」

そうか、そのために、とにかく誰か必要だったんだ――。
経験が多少少なくたって、まだ仕事辞めてない人だって、とにかくあさってまでに必要だったんだ――。
第一日目、仕事をしながら自分が雇われた理由を反芻した。

初日と二日目、わたしは必死で美和さんの講習を見ていた。
三日目には、これを自分ひとりでやらなければならないのだから。

教室は、通路部分にゆとりをもたせてあるし、机も大きいので、広い。
なのでマイクを使っていた。

マイクに向かって説明をしたり、次の操作を指示したりしながら、自分の喋ったことを入力する。
そして、WordやExcelの操作画面で、該当のボタンをマウスで指し示したり、選ぶメニューにマウスを合わせたりして、見ている人が分かるようにする。

そのときの講習は15人くらいだったと思う。
PCプラクティスは入校した人数によって、いつも受ける人数が違うのだ。

2日間見ていて、どうやら、慣れていなくて操作が遅い人は2、3人だと分かってきた。
逆に、基本的な内容すぎて退屈しきっている猛者も2、3人いる。
あとの人たちは、その中間のいずれかのレベル、さまざまだった。

そういうふうに皆が優秀だったので、3日目、なんとかひとりでやれるかもしれないと思った。

喋りながら入力、というのは、タイミングがつかみづらかった。
少し喋ってから、同じことを入力するのか、入力してから喋ったほうがいいのか。
同時にやろうとすると、喋りがつっかえつっかえになってしまう。
特に慣れるまでは難しい。

教室が大きいので、見回るにも距離がある。
少し進めたら、操作についてきているかどうか、画面を見に行くにも、講師席からは遠い気がした。

3日目の日、わたし一人しかいなかったので、「うちの科の講習生はちゃんとやってるかな」と見回りに来た正規の先生が、そのまま少し残っていてくれたりした。
有難いと同時に、微妙に面目ない気もした。
美和さんもこうだったのだろうか――ならいいけど、違う気がする・・・・・・。

それでも、なんとか無事に、ひとりの日を終えることができた。

わたしが浅い経験ながら雇われた理由は早くも終わったわけだ・・・・・・



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Chapter 1 PCプラクティス



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講習そのものの内容は

使っているテキストは、一般的にも講習会などでよく使われるテキストだった。

一緒に組むことになる先生とは、この日初めてお会いする。
大手パソコンスクールに勤務していた方で、出産のため退職。
退職予定だったその方を、玉名上級マネジャーが「退職後はうちで働きませんか」と引き抜いたらしい。
(退職する人を勧誘するのも『引き抜き』と言うのかどうか分からないが。)
まだ0歳児のお子さんがいて、ご両親に預けて働きに来ていた。

大手パソコンスクールは、業界人ならわたしのような新米でも「あぁ!」と分かる有名どころ。
「最初のうちは、もう一人の先生が前で説明する役をするので、安心してください」と言われていた。

「美和さんです。美和さんはもう慣れておられるから、大丈夫でしょう」
「はじめまして、○○です。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
わたしより2つくらい若かったし、年齢よりもさらに若く見える美人の先生だった。

後の作業は、ほかでの講習と同じ。
美和先生がテキストに沿って進行していく。
わたしは後ろから実習生さんの画面を見回ったりして、つまずいている人をフォローする。
質問があれば、受ける。

生真面目にもわたしは、長いこと立ちっぱなしで仕事をしていた。
「サブというのは立っているもの」という、当り前すぎて今さら言われないルールがあった。
でも、どうも一般や民間のそういったルールは、ここでは適用されないらしい、とやがて気づいた。
だいぶ経って、必要のないときは、座るようになった。

この授業が、ほかで見かける講習と違うところは、モニターに説明文が表示されること。
実習生さんの中には聴覚障害の方もいるので、喋って説明されても分からない。
モニター画面には、操作中のWordなりExcelなりの画面が半分表示されている。
そして、半分に説明が入力される。

これは自動的にそうなるソフトが入っているわけではない。
講師自身が、WordやExcelを最大化表示ではなく、半分の大きさのウィンドウにする。
それからメモ帳なりWordなりのソフトを、残り半分の画面の大きさにして、説明文を入力する。
という、ローテク。

01_zu02.jpg

どうやら講師の好みによって、縦半分ずつ使う場合と横半分ずつ使う場合があるようだ。
しかしPCプラクティスでは、わたしが進行役をするようになっても縦半分で行った。
美和さんが縦半分で使っていたからだ。伝統ができたっていうことなのかもしれない。
(後にOffice2007になって、横半分にすることにした。
幅が足りないとボタンの形状が変わってしまうからだ。)

進行役の講師は、喋りながら入力をすることになる。

「喋りながら入力」と言ってしまうのは簡単だが、同時にするのは難しい。
喋りがボツボツと切れるか、センテンスごとに喋っては入力するか、これも講師の好みのようだった。

この「喋りながら入力」の技術は、それほどいろいろな人に求められるものではない。
これだけの多人数に一斉授業をすることはあまりないからだ。
たぶん、PCプラクティス担当の講師以外はこういうことをほとんどしなかったと思う。

講習風景を見て思った。
これをやれと言われたら、わたしはできるだろうか・・・・・・



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Chapter 1 PCプラクティス



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初出勤――PCベーシックプラクティス

実務能力トレーニングスクール、出勤第一日目。
わたしの仕事は、「PCベーシックプラクティス」の講師。

講師は2人いて、一般的なパソコン講習会と同じ仕組み。
「メイン」1人が前で講習を進行し、残りの「サブ」と呼ばれるインストラクターが受講生のフォローをする。
今回このフォロー役は、わたし1人。
一般の講習会では、サブインストラクターは1人のこともあるし、2人3人のこともある。
それは主催者の意向と財政状況による。

仕組みは同じだけれど、「ここではメイン、サブという考え方はしません」と面接で言われた。
2人は同じ「講師」。
ただ、前で説明をする役割と、後ろにいてフォローをする役割に分かれているだけ――だそうだ。

後で知ったが、わたしの前任者は「自分は常にあの先生のサブですか!」と不満を言って辞めたそうだ。
それで急募で探していたところ、わたしがひっかかったわけだ。
そういうことがあったから、玉名上級マネジャーは「どちらが偉いということはない」と先に強調することで、釘を刺していたのかもしれない。

教室は、面接に使った広い教室。
受講定員30名。
横に4つ並んだ机が、後方に向かって7列ある。
4つがつながっているのではなく、2つずつで、間に通路。
3つ4つ横に並んでいる机の真ん中に車椅子の人が入っていくのはやりにくいからだろう。
4つ×7列で、実際は28台。

01_zu01.png

通路は広々しているので、足りなければ他の教室から机とPCを運んできて、あと2名くらいは入れる。
が、実際にそういうことをしたことは一度もない。実際のところ、定員28名である。

普通の講習会だとプロジェクターがある。
が、この部屋では、横2台に1つ第二のモニターがあり、そこに講師のPC画面が映る仕組み。

実務能力トレーニングスクール、内輪ではスクールと呼んでいる。

スクールには、いくつもの訓練科がある。
科によってはさらにコース分けされていることもある。
旋盤とかいうのを学んだり、OA技術を学んだり、会計を学んだり、DTPを学んだり。
プログラミングを学ぶ人もいる。

どの科に入学するとしても、入校してすぐに、必ずこのPCベーシックプラクティスを受ける。
どんな仕事に就くにせよ、WordとExcelくらいできて当り前の世の中だから、とういことで。

PCベーシックプラクティスは2週間、WordとExcelを1週間ずつ。
午前のみ。午後はそれぞれの教室で、専門を勉強する。

入校は年に7回~9回くらいある。
1回当たり何人入校するのか分からないが、最低でも5人はいると思うし、最高でも30人はいないと思う。
正職員ではないので、この辺の仕組みは詳しく知らない。

入校があれば、その数日後からPCプラクティスが行われる・・・・・・



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Chapter 1 PCプラクティス



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「実務能力トレーニングスクール」

予想と自分の人生計画に反して、半年間働くことになったのは、どのような施設か?

名称は当然すべて仮称ながら、「実務能力トレーニングスクール」という。

この施設は最寄駅から少し歩く。徒歩15分。
雨の日はきつい。炎天下の夏もつらい。
でも、秋には背の高い木々の並木を歩くのが気持ちよかった。春の新緑の並木も爽やかだった。
わたしが使っている駅からトレーニングスクールまでの道は、並木になっているのだ。

実はもうひとつ最寄駅があり、そっちを使っている人も多い。
そちらの駅までの道には並木などはなく、わたしは夏は絶対にそちらに行かない。
ただ、駅近くには銀行やスーパー、デパート、飲食店などがたくさんある。
わたしが普段使うほうの駅前は、ほとんど何もない。

つまりこういうことである。
「どちらの駅も使えます」=「どちらからも遠いです」というわけで、隣り合う2つの駅の中間に位置しているのだ。
わたしの家の方角からだと、何もない並木道の駅のほうが近い。
逆のほうから通う人だと、商店街だのがある駅のほうが近い。

駅と駅の間は電車では2分くらいで大差ないので、わたしと同じ方向から来ても隣駅を利用している人もいる。
――でもわたしは、特にぎりぎりの朝などは、その2分が重要になる。
また帰りも、同じ15分歩いて駅に行くとしたら、電車が2分早く来てしまう隣駅より並木道の駅のほうがいい。
――特に、午前中しかないPCベーシックプラクティスという仕事のときは、午後からハッピーという会社に行ってダブルワークをしていたので、乗り遅れたくない。(ハッピーについては「出版社見聞録」カテゴリに記載)

敷地は広い。
「同じ敷地内」と言っていいのかどうか分からないが、障害者関連の違う施設がすぐ近くにあったり、運動場があったりする。

広い敷地の中を歩いていき、実務能力トレーニングスクールの玄関を入ると守衛さんがいる。
「おはようございます」と挨拶して入る。
ここでは誰もが礼儀正しく、知らない人同士でも挨拶をする。

建物は大きく、中は広々としている。
廊下は広い。
車椅子の方も大勢在籍しているからに違いない。
たいていの扉が引き戸になっているのも、そのためだ。

もしかしたら、「ここで働こう」と天啓のように思ったのは、当時小さな会計事務所で働いていたからかもしれない。
マンションの一角といった場所にあり、トイレに入るとすべての音が仕事をしている人たちに丸聞こえという狭い環境だった。
人も常に同じメンバー、わたしも含めて5人。
それももっと月日が経てば心地良い安心感につながったのかもしれないけれど――

面接の日、このだだっぴろい廊下を歩いて、解放感を感じたのかもしれない・・・・・・



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決定

面接に来るまで、わたしは迷っていた。

いくらパートでも、連続して10日も休ませてくれとは言いにくい。
辞める覚悟でないとあの講師の仕事はできない。
しかし、経理の世界に入ろって末長くやっていこうと思って始めた仕事を、数ヵ月の断続的な仕事のために辞めてしまうのか。

だからまさに「とりあえず面接にだけは行く」という考えだった。
後のことはそのときまた考えよう、断られるかもしれないし。
――そう考えながらも、「採用します」と言われたら辞退するしかないだろうとも思っていた。

でも面接が終わって、玉名上級マネジャーと共に広い廊下を歩いているとき、ふと思いがわいてきた。
「この仕事を受けよう」

たいていの場合は、慎重派で理屈屋なわたし。
だからこそなのかもしれないけれど、ふとわきあがってきた思いには神秘を感じて、素直に従う傾向がある。
天からの啓示だと思ってしまうのだ。

「ぜひ、検討してみてください」と言われて、その場ですぐ
「もう気持ちは固まっていますので、現在の勤務先と相談してみます」
と答えてしまった。

あわよくば、PC講師の仕事がある日だけ午後から出勤、なんてことができるといいなと考えていた。

でももちろん、そんな都合のいいことは無理だった。
働いていたのは会計事務所だった。
これから迎える12月の年末調整と3月の確定申告の時期、休んだり半休をとったりされるのは困る。
「毎日ではないし、午前中だけだが、他の仕事の話があり、夫が関係しているので断れない」と言ってみたが、「じゃあ来られる日だけでも」とはならなかった。

「夫が関係しているので」は、いわゆる「人間関係を円滑に進めるための嘘」だ。

やはり会計事務所を辞めるか、講師の仕事を諦めるか、しかない。
税理士先生は引きとめてくれて有難かったけれど、退職を決断した。

9月のことだった。
人が決まらなければ、とりあえず10月いっぱいは、午後からだけでも会計事務所に行くことになった。

安定を求めて入った業界を早くも出るわけだ。
それも半年ばかりで終わってしまう仕事のために。

わたしは冒険家の資質があまりないので、先の見えない仕事に就くと思うと、不安で宙に浮いているような気分になった。
それでも、1ヵ月後には会計事務所を辞めて、この学校の契約講師になることが決まった。

決まってしまった・・・・・・



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面接

さて、水上先生が先方に連絡をしてくださり、わたしからも電話をした。
「とりあえず、面接にぜひ、来てください」
担当の玉名上級マネジャーという人が、熱心に言った。

わたしはパートの勤務先に午前中だけ休みをもらい、その日に面接に行くことにした。

当日は一応スーツを着た。
時間にはかなり余裕を持って出た。

半端じゃない余裕を持って出たのだが、駅からの距離も半端じゃなかった。
指定の駅で降りて、「これこれの道をまっすぐ、そしてこれこれの場所を右に曲がったところ」に行こうとしたが、まっすぐまっすぐ、どこまで歩くのか、不安になった。
後に、このセンターが臨時に代役を探していたとき、知り合いを紹介したのだが、そのときわたしは彼女に言った。
「通りすぎちゃったかな、と思ってもまだまっすぐだから」
ここを、障害のある人が歩くわけ?

右に曲がって、施設に着いた――と思うのだけど、ここでいいのだろうか。
敷地は実に広くて、アメリカの大学かと思うくらい(まあ、それは大げさだけど)。
着いたと思ったところから、さらに歩くこと数分。

広い入口を通って建物の中に入ると、守衛さんが受付に座っていて、
「どちらにご用ですか?」
と聞いてきた。
「ジョブ・トレーニング部の玉名上級マネジャーさまから、10時に面接のお約束をいただいております」
「こちらにお名前を書いてください」
訪問者リストに記入している間に、守衛さんは内線電話で呼び出しをしてくれた。
または、ちゃんとした訪問者かどうか確認した、というべきか。

通路をはさんで受付の向かいには、広いロビーがあった。
ソファや、テーブルと椅子のセットが置いてある。

わたしは訪問者用の黒いひもの名札を渡され(番号が書いてある)、首からぶらさげた。
やがて、玉名上級マネジャーという人がやってきた。

「ああ~、どうもどうも! 玉名です」

そして案内されたのは、わたしが勤務する(かもしれない)授業を行う教室だった。
今の時間は使われていないから、落ち着いて見学できるそうだ。

教室まで歩いていると、廊下が異様に広かった!
そして教室は、机と机の間にある通路が、異様に広かった!

こんなに空間が広い建物も教室も、見たことがなかったので、違和感があるくらいだった。
車椅子の人が自由に動くには、スペースが必要なんだ、と実感した。

「まあ、座ってください」と言われ机の一つに座るが、広い教室でぽつんと座るのは落ち着かなかった。
空間を広くとってある上に、30人が座れるようになっている、実に広い教室だった。

履歴書は専用の用紙があるので、いらないと言われていた。
紙を渡されて記入を始めたが、すぐに終わってしまった。

名前、住所などの基本情報を記入した後、職歴や能力についての項目になる。
でもいらない経歴は書かなくていいようで、学歴も最終学歴のみ。
職歴欄はなく、講師履歴欄だった。
講師としての履歴は――この時点では、実に少なかった。
次に、自分が教えられる科目を書く欄、それから自分の著作物を書く欄――そんなものない!

公共の施設、と聞いていたので、もっと厳しい面接があるかと覚悟していた。
結局、「あなたでは務まりません」と言われるかも、と。
小さい企業でばかり働いてきたわたしにとっては、守衛さんがいる建物も、大きな外観も脅威だったが、意外にもあっさりと終わった。
「今、お仕事をされているということですが、もし可能ならぜひ来ていただきたいと思うんですよねぇ」

わたしでいいの?
水上先生も「あなたがあまり講師経験がないってことは、ちゃんと伝えておくから」と言っていた。
だから、面接に行っても先方のほうで断るかも、と思っていた。

おいおい分かったが、いつもはこんな簡単には決めない。
でも『急募』だったのだ――誰でもいいとまでは言わないが、かなりの程度まで妥協するつもりだったらしい。

PCインストラクター業に関しては、わたしはいつもこの『急募』で経験値を稼いでいる・・・・・・



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関わり方で変わる意識

ほんの僅か、ボランティアをした以外は、特に『障害者』の人たちとの接触はなかった。
でも後に、父が義足になり、障害者認定を受けていたから、身近ではあったのかもしれない。
しかし、なぜか父を障害者と考えたことはなかった。
別に障害がないと思っていたわけではなくて、障害者という以前に父だったのだと思う。

同じことが、水上先生にも言える。
長年勤めたクリーニング店を辞めて、失業期間中に通った職業訓練。
それは学校で行われていて、水上先生は訓練の担当責任者の一人だった。

先生は本来、学生相手の授業をしている。
麻痺があって車椅子を使っている。
どういう程度なのか詳しく聞いたことはないが、少しなら車椅子なしで歩くこともできた。
「水上です、よろしく」と開校式で見たときから車椅子だったけれど、障害者という認識の前に「水上先生」なのだと思う。

だからわたしは、水上先生といるとき、まったくいつもと同じだ――同じすぎるのかもしれない。
先生と歩きながら話すとき、わたしは歩いていて、先生は電動車椅子で移動している。
たぶん、電動。
押してないし、うぃーん、と音がする。
先生は段差も器用によけたり、乗り越えたりして、進んでいく。
ドアが開けにくそうだったりしたら、わたしが開ける。
「ありがとう」
これは、普通に年配の人だとか、物をたくさん持っている友達だとかにも、同じようにすることだ。

あるとき、先生とわたしと、もう一人、やっぱり先生の生徒だった人と三人で歩いていた。
その人は自然に先生の車椅子を押していた。
今まで何度、先生とお喋りしながら歩いたことか。
でも、車椅子を押そうという発想はなかった。
先生が苦労して動かしていたなら、さすがに気がついただろうけど。

まあ、それで、次に二人で歩いたときには、ちょっと押してみた。
だが、慣れないことはなじめない。
前と後ろに位置しているので、微妙に話しづらいし、やめることにした。
わたしはそういう鈍感な人間なのだ。

じゃあ、ボランティアで出会った人たちは、どうしてそうならなかったのか。
こうして考えてみると、仕事で出会ったからじゃないかと思う。
今、わたしが出会う人たちも、やはり「『障害者』という特性がある人たち」と見ている気がする。

つまり、水上先生と一緒に教室にいて、もし先生が暑すぎるか寒すぎるかして体調を壊しても、それは水上先生自身の体調管理の問題だ。
わたしは友達や知人といるときと同じくらいの気配りで、「エアコンつけましょうか?」と聞く。
しかし、わたしが担当する教室で誰かが体調を崩したら――ちょっと、困る。
施設側も、最低限の障害情報はくれるし(たくさんはくれない、部外者扱いだから)、特に注意が必要な人のことは「××さんは熱に弱いので、エアコンに気をつけてください」と言ってきたりする。

責任として、『障害がある』という特性を忘れるわけにはいかないからではないか、と思う・・・・・・



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ボランティアの記憶 その4

秋山さんとは、ボランティア協会の事務所で面接した。
美人のお母さんだった。
娘さんのみなえさんは来ていなかった。
「娘には家庭教師が来るということにしていますが、話し相手みたいに思ってください」
わたしは、みなえさんの障害について書かれた本を一冊持って、帰って来た。
「これを読んでおいてください」
と、お母さんから渡されたのだ。

みなえさんは、年齢としては中学生。
脳微細障害という障害があり、団体生活に適応できない。
今はあまり学校に行っていない。
お母さんは、なるべく人と接する機会を増やしたいと思ったらしい。

脳微細障害は、微細な障害のため、なかなか認識されにくい。
性格的な問題と受け取られやすく、問題児扱いされることが多い。
――と、本に書いてあった。

隔週、一回、かなり遠いB市まで行く。
電車を乗り継いで、最後にとってもローカルな路線に乗って、たどり着く。

美人のお母さんとはあまり似てない、眼鏡の女の子がいた。
「○○××です。よろしくお願いします」
「××ちゃんはさ~・・・・・・」いきなり下の名前、ちゃんづけ。
なじむのは、とても早かった。早すぎるくらいに。
このあたりが、また団体生活でうまくいかないところなのだろう。

家庭教師と言っても、全然勉強はしなかった。
でもみなえさんは気にならなかったようだ。

どうして自分は「××ちゃん」と呼ばれているのに、彼女を呼ぶときは「みなえさん」と堅苦しいのか。
それは、みなえさんが「みなえさんて呼んでいいよ」と言ったからだ。

「最近、思ったんだけど、人間はジャンルに分けられるんだよ。進んでて、新しいことができる才能がある、平成人とか」
その理論によると、古い考えしかできないのが昭和人で、もっと古くなると大正人で・・・・・・となっていくらしい。
「あたしは平成人。××ちゃんは、縄文人だね」
そこまで?!

だいたいそんな感じで、行かない間に彼女が考えたことや、したことの話を聞いた。
家庭教師、ということになっているので、問題集が開かれていることもあった。
だけど「ここが分からない」と聞かれたことは、一度もなかった。

ときどき、お母さんと三人で出かけた。
割と有名なハイキングコースを歩きに行ったり、観光シーズンには賑わう渓谷を見に行ったりした。
大きなデパートに買い物に行ったりもした。
障害のある子のサークルがイベントをやっているからと、行ったこともあった。

この関係は何ヶ月か続き、わたしが学生でなくなるときに終わった。
最後の日に、記念にお財布をもらった。
後にスーパーで置き忘れて、5分もしないうちに戻ったがなくなっていた。
お金はいいから、財布を返して欲しかった。

引っ越しのどさくさで住所録を失くしてしまい、それ以来分からずにいる・・・・・・



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ボランティアの記憶 その3

その後、もうひとつ代打の仕事をした。

ボランティアだったけれど、交通費が出るので、あまり遠い仕事は割りあてられない。
でもある日、予定した人が行けなくなってしまったので、代わりに行ってくれと電話が来た。
大雪で、いつも行く人が行けなくなった上、代役が全然つかまらなかったらしい。

わたしは支度をして出かけていった。

鴨居さんは脳性マヒだということで、食事やトイレの介助をするために行った。
行ってみると、こうくんという、幼稚園くらいの男の子がいた。

・・・・・・実は、子供が苦手だった。
どう扱っていいか、分からない。
でもお母さんが「こうが知ってますから」とよく言うので、普通に大人と思うことにした。

まず、コインランドリーで洗濯。
「やり方はこうが知ってますから」
洗濯物を持って、雪を踏みしめコインランドリーへ。
「洗剤はどのくらい入れたらいいですか?」――といちいち聞いてしまうわたし。

帰ってから、トイレに入るのを介助する。
「ああして、こうして、座らせてください」
刑事ドラマに出てきそうな、古い木造アパートの一室で、トイレは和式。
「拭いてください」「もっと前の方を拭いてください」
お尻を拭くにも細かい指示をもらう、介助素人のわたし。

次は買い物。
買ってくるものを聞いて、スーパーに出かける。
「場所はこうが知ってますから」
「行くときに、はやたくんに手紙届けていい? お母さん?」

雪の中をこうくんと出かける。
道の横に駐車場があった。
この駐車場を横切ったところに、はやたくんの家があるのだそうだ。
人が歩かない駐車場は、雪が深いままだった。
こうくんと雪に寝ころんで、埋もれてみた。
木の枝の雪を、傘で落とした。
こうくんは届かないので、かかえあげた。

はやたくんの家に手紙を置いて、また歩いてスーパーへ。
いつもはスタッフの人にショッピングカートの子供席に乗せられているのか、「ぼく、乗らなくていい?」と聞いてきた。
本当は乗ってもらって、早く帰って、時間いっぱい掃除でも何でもするのがいいんだろうな。
でもダメとは言えなくて、一緒に歩いたけれど、やがて「ぼく、乗る」と自分から言い出した。
抱きかかえて乗せてあげた。
「お母さんと同じ匂いがする」

わたしが学生の頃住んでいたのは、古いアパートで、シャワーはなく沸かすお風呂だった。
急に電話で依頼されて、シャワーを浴びている時間はなかった。
それでなくても遠い場所で、急いでいっても本来の時間より1時間半も遅れる計算だった。
前の日はお風呂に入っていなかった。脂性肌の髪は近寄ると臭かったと思う。

「お母さんと同じ匂いがする。うんちの匂い」
ごめん・・・・・・

買い物を終えて、アパートに帰って、ご飯を作った。
即席ラーメンだ。
鍋にお湯を入れて、3分くらいゆでるやつ。
鴨居さんのはお湯を少なくして、汁がないように作る。
そして平たいお皿に入れる。
手がうまく動かないから、普通には食べられないのだ。
こうくんのは普通に作る。
買い物に手間取ってしまったことを詫びたら、
「どうせまた、こうがあれこれ余計なとこに寄りたがったんでしょう」
――わたしも自ら雪遊びをしてしまったので、面目なかった。

帰るときになると、こうくんはカレンダーを見ながら、
「今度はいつ来るの?」
と何度も聞いた。
けど、もう来る予定はないの。
ここは遠いから、交通費を払うのは大変だもの。
こうくんは、ほしぶどうをくれた。
とても好きなんだって。
100円くらいのお菓子の箱に大切に入れられていた。

――今はもう、とっくに大人になってるはず・・・・・・



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ボランティアの記憶 その2

ずーっと昔のボランティア、次にしたのもたった二、三回だけの仕事だった。

若い肢体不自由の女性が、一人暮らしをしている。
障害者が一人暮らしをするのは大変だと、ボランティア協会の人は言っていた。
「でも、どうしても自立したいという強い思いで、一人暮らしを始めたんですよ」

わたしの仕事は入浴介助。
食事を作ることもできないので、食事の介助の人もいた。
一度、時間が重なってお会いしたが、当時のわたしと同じくらいの若者だった。
確かに、わたしは女の子とはいえ、ろくな食事が作れなかった――適切な人選だと思った。

「春井さんは慣れてますから、行ったら本人の指示に従えば大丈夫です」
と言われ、やり方も分からず、とにかく行った。
普通のバイトと考えたら、ちょっと遠い場所だった。
交通費は出る仕事だったので、助かった。

春井さんは詩を書いていた。
詩をラジオに投稿していて、いつかもっとたくさん詩を書くのが夢と言っていた。

確かに指示に従えば、入浴介助は問題なかった。
わたしはおっかなびっくりで、優しく体を洗う。すると、
「もっと強くこすってください」
と言われた。

入浴介助は週に二回だそうだから、ちゃんとこすって洗わないと、体だってかゆくなる。
背中などは洗いやすいけれど、局所は力の加減が分からない。
でもそういうところこそ、一番、かぶれたり汚れたりするところなんだな、と改めて気づいた。

わたしの力が何度言ってもうまく入らないと、春井さんは自分でスポンジを持ってごしごし洗った。

この仕事は継続的にはしなかった。わたしは代打でしかなかったのだ・・・・・・



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ボランティアの記憶 その1

障害者に関わるのは、初めてではない。
もうずっと以前、学生の頃にボランティアをしていた。

A市に住んでいて、歩いていると路傍でよく看板を見かけた。
“A市市民ボランティア協会 有料ボランティア募集”

有料にする意味は、介助を受ける人が堂々とした気持ちでいられるためだと、面接で教えられた。
スタッフの側の「してあげる」という気持ちを抑え、受ける側の遠慮を取り払う。
そのために、僅かなりと報酬がある制度にしている。
確かに僅かで、当時でも500円という時給は、他では見なかった。

その500円がどこから出ていたのかは、知らない。
本人にも負担があったのか、公的な援助があったのか、それとも他の何かか。
でも、交通費が出た。
なので、遠くに行くとしても――しかも働く時間が短かったりしても――、マイナスは出なかった。

実際に活動したのは、ほんの少しだった。
・寝たきりの人の夜間高校へのつきそい
・肢体不自由の人の入浴介助
・脳性マヒの人の雑用
・脳微細障害の女の子の話相手

たったこれだけ。

最初にしたのは、重度の障害があって寝たきりの女性のつきそい。
実際に仕事をする前に、一度施設に顔合わせに行った。

行ってみると、40代女性の城田さんは本当に寝たきりで過ごしていた。
体がかなり不自由なので、本を読むにも持っていることができない。
本を支えておく、譜面台のような台が置かれていた。

城田さんは、障害のために学校に行っていなかった。
「この年代の人は、そういう方が多いんですよ」
と、施設の人が言っていた。
それで今、夜間高校に通っている。
一人では行けないので、ボランティアが介助する、という仕事。
わたし一人では、いきなりそんなことはできない。
わたしは介助する施設の職員の方の、さらに助手。

A市駅まで電車に乗っていく。
駅では、駅員さんに車椅子を降ろしてもらう。

学校までは10分以上歩く。
歩いている間、城田さんはいろいろ話しかけてくれる。
なかなか聞き取るのが難しい。
でも何回も聞き返すと、城田さんは麻痺した筋肉で一生懸命話そうとして、興奮してしまう。
興奮すると、硬直する発作が起きてしまう。

職員の方は、毎日出かけていくわけにはいかない。
だから、城田さんが学校に通えるのは週に3日くらい。
城田さんは本当に楽しみにしている、と聞いた。

楽しみにしているんだなあ、というのは見ていて分かった。
基本的に授業の間は、廊下で待っているのだけれど、ときどき教室に行ったのだ。

「今日は漢字テストなんです」と先生に言われたとき。
城田さんは鉛筆を持てなかったので、読みの部分は声に出してもらって、わたしが書いた。
毎日通ってもいないし、テストって言ったって形だけ、という気持ちは誰もが持っていたと思う。
たぶん、城田さんだって。
でも、とても楽しそうに真剣に、テストをしていた。

音楽の授業なので、横で楽譜を持っていたとき。
城田さんは一言喋るのも困難。
だから、テンポに合わせて歌うなんて、到底、無理。
でも、とても楽しそうに歌っていた・・・・・・歌には聞こえなくても。
一生懸命歌ったので、あやうく硬直発作が起きそうになった。

秋の日曜日、文化祭に行ったときのことは、光がいっぱいの記憶。
よく晴れて秋らしく、城田さんもにこにこしていて、昼間見る学校は明るかった。

文化祭の日以外だって、城田さんはいつも明るい人だった。
ほんの何回かつきそいをしたわたしのことなど、もう忘れてしまったろうけど、わたしはあの笑顔が心に残っている・・・・・・



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恩師の電話

その年の5月、わたしは「PCインストラクター」という仕事を始めた。
そのことを、職業訓練コース時代の恩師に話すと、とても面白がってくれた。

面白がるのも道理で、職業訓練コース時代は、同期の中で一番の初心者と言ってよかったのだ。

インストラクターになった当時、わたしは経理の仕事をしていた。
ところがこれが、未経験のためパートの身分。
1ヶ月の手取りは、実に少なかった。
そこで、前の職場から頼まれて、夜だけ働いていたことがあった。

それを知って、職業訓練コース時代のある先生が、パソコンスクールの仕事を紹介してくれた。
経理のパートは続けながら、夜間と土日だけ働いていた。
毎日ではない。
講座がある日だけ、行くことになっていた。

休みをとって、大好きだった恩師、水上先生に会いに行ったある日。
「こんな仕事を始めたんですよ」
と、面接の様子や、初めての授業のことなどを話した。

しばらくして水上先生は、かつてわたしも通った職業訓練コースの後輩たちに教えるという、大きな仕事をくださった。
11月に2週間だけだが、PCインストラクターとしては「ぺーぺー」のわたしには大役だ。

9月になって、水上先生から電話があった。
「ごめんなさいね、突然。実は講師を探しているところがあるんだけど、○○さんできないかなと思って」

“講師”と来ましたよ、インストラクターじゃなくて。
かっこいい響きに心が揺れる。

仕事の内容は、WordとExcelの講習。
「あなたが通っていたような職業訓練みたいなものよ。ただ、通っているのは障害者なの」
内容は電子技術やら経理やらいろいろなコースがあるが、どのコースに入っても一度はWordとExcelの基礎講習を受ける。
5日間ずつ、合わせて10日。
「今どきはどんな仕事でも、WordとExcelくらい使えなくちゃということでね。派遣の人を雇うことも考えたらしいんだけど、派遣でお願いするには予算が足りないらしいの」
――確かに派遣会社というのは、当人が貰う給料の他に、派遣会社の取り分てものがありますからね。
しかも当時の派遣会社は、まだかなりのマージンを取っている時代だった。

その頃のわたしは、インストラクターの仕事をメインに考えたことはなかった。
いろんな意味で大変そうだったから。
昼間働いている経理の仕事は、辞めたいとは思わなかった。
まぁ、ちょっと向いてないのかな、と感じる日はあったけど、安定って大切だから・・・・・・。
11月の大仕事までにできるだけインストラクターの経験を積みたいとは思っていたけれど、経理の仕事を辞めてまですることはできない。

でも水上先生の役に立ちたいという気持ちは強かった。
それに、仕事に興味もあった。
障害者に教えるって、どういうことだろう。

「でもねぇ、この仕事、午前中だけなのよ。それに3月までで終わりなの。だから、今の仕事を辞めてまでやるのは難しいと思うのよ。他の人にも当たってみたんだけど、それがネックになってね」
水上先生は困ったような声を出していた。

とりあえず、面接だけでも行ってみることにした。
先生は、肩の荷が下りたように言った。
「ありがとう。助かったわ。
そうしてくれると私も、紹介するだけはしたってことで、責任を果たした気になるから。
面接に行って話を聞いて、できそうもなかったら断って。
何度も言うけど、10月から3月までだけの仕事だから」

分かりました。じゃあ、とにかく、面接に行きましょう。
見たことのない場所を見学できるだけでも面白いし・・・・・・



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Chapter 1 PCプラクティス


【ここで前書き】気楽な気持ちで

この仕事記録は、気楽な気持ちで書こうと思いました。

わたしは、この仕事を通して、いろいろな発見をしましたが、それらは小さな発見ばかりです。

わたしは外部の人間であり、限られた講習期間だけ仕事に行く立場だからです。
わたしには、受講者の詳しい情報は知らされません。
組織の内部のことも知らされません。

一人一人の障害について詳しく知ることもないし、その人たちの生活や就職に関して検討したりアドバイスしたりすることもありません。
そういう個人情報は、その人の職掌や業務上の必要に応じて知らされるので、わたしのような立場の者にはほとんど知らされることはないのです。
わたしは内部で働く立場ではないので、受講する方々と接する期間も数日から十日程度。
ご本人が「自分はこういう障害なんです」「こういうことを悩んでいるんです」と深く相談してくるほど長くはつきあいません。

わたしの役目は、教室に来る人がPCやソフトの知識を多く得られるよう、努めることです。
そのことに関しては、わたしはプロでありたいと思っています。
でも、福祉や医療やリハビリやソーシャルワーカーのプロではない――
また、そうあることを求められてもいないのです。

だから、わたしが思うこと、わたしが発見することは、福祉のプロからすれば些細なことでしょう。
表面的な知識に留まっていることも、現状のほんの一部でしかないことも、あると思います。
わたしには、わたしが見ていることが氷山のどれくらいの部分を占めているのかさえ、分からないのです。

専門家が聞いたら「何を言ってるんだ」というような内容もあるかも・・・・・・

それでもこの章を書こうと思ったのは、これはそういうブログだから。

結局これまでも、たいして興味深い仕事でもないのに体験談を書き続けてきました。
専門知識もないまま終わった仕事も、「素人のわたしはこういう体験をした」ということを書いてきました。

この章もこれまでと同じわけです。
単なる素人体験記――
働いてみたら、「へぇ、こんなことが」「なるほど、こういうことが」と思うこともあった。
それを記録してみようと思った、ということなんです。

どこかで誰かが、わたしと一緒に覗き見体験をして、「へぇ」「なるほど」と感じてくれたらとても嬉しいです。

でもこの章は特に、「わたしはプロではない」ということをご了承いただかなくては、と思いました。
「障害があっても普通の人と変わらない」「障害も個性」――本当にそうだと思います。
一方で、軽々しく決めつけたり、無視できない困難や問題もあります。

だから、賢明な方々は分かってくださっているとは思いますが、改めて申し上げておきます。

この記録は、プロではないわたしが見たただの体験記です。
目線も外側からのものですし、限られた時間、限られた出会いに基づくものです。
「へぇ」「なるほど」と楽しんでいただきたく書くものであり、専門的知識ではありません。
ここに書かれたわたしの見方や感じたことが正解では決してなく、不足が多々あるであろうことをご承知おき願います。

さて。
断りも入れましたし、どうぞ気軽な気持ちで楽しんでいただけますように。

わたしと同じように「へぇ~」と思ってくださいますように。
または、わたしの浅はかな考えを「素人はこう考えるのか~」と笑ってくださいますように。



●Prologue


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想像力と発見

わたしには何も偉そうなことを言う資格はないな、と思う。
何事も先の先まで想像してしまい「考えすぎだよ」とよく言われるのに、人の状況をなんと理解していないことか。

わたしの父は、晩年、片足を義足で過ごした。
膝より下からだったし、杖をつかなくても、まぁ、歩けた。
義足になってから東京に来たことも、何度かあった。
母と共に帰る父を、東京駅まで送って行ったとき、東京駅がいかに歩きにくいところか初めて悟った。

エレベーターやエスカレーターがなければ、階段を昇らなければならない。
手すりを伝って一歩一歩、大変そうに昇っていく。
でも急いでいる人にとっては、邪魔な人でしかない。
そして東京には、急いでいる人はたくさんいた。

階段がないと思っても、長い通路があればやはり大変だ。
わたしには平坦に見えていた通路が、父と共に歩いたら、急に凹凸の多いものになった。
継ぎ足し継ぎ足しの通路は、上り傾斜→平ら→上り傾斜→下り傾斜とアップダウンする。
そしてところどころに継ぎ目の段差がある。
「階段ではない」と言っても、同じくらい厄介な道のりだと知った。

父にとっては、下り階段は上り以上に危険で、疲れるものだった。
けれど東京の小さい駅では、「上りはエスカレーターがあるが、下りは楽だからない」ということが多くあった。
父にとっては、楽ではなかった。
わたしは父がこぼすのを聞くまで、上りしかないことに疑問を抱いたことはなかった。
言われて考えれば、山だって下りるときのほうが筋肉を使うし、転びそうにもなる。

実家に暮らす妹が、後で言っていた。
「杖を持てばいいのに。そうしたら楽だし、杖をついてれば周りの人も足が悪いんだなって分かるのにね。一目見ただけじゃ、義足だって分からないからねぇ」
そう、通りすがりの人にとっては、邪魔なところをのろのろ歩いている初老の人にしか見えない。
杖を買ってあげたらどうかな!――わたしは思ったけど、それを口に出す前に、妹は言った。
「買ったんだけど、お父さん、老人ぽく見えるから嫌がるんだよね」

かっこよくも見えない父だけれど、父にとってそれが重要なことだとは、わたしにも分かった。

だいぶ弱ってから、ドライブに行った。
それが最後の家族旅行だった。
宇都宮を通ったので、餃子を食べていこうと言ったけれど、食べられなかった。
父がトイレに行きたくなったからだ。
大きいデパートも探したけれど、男性用トイレに洋式はなかった。
義足になってから、洋式トイレでないと大きい用を足せなかったのだ。
このときまで、男性用トイレにも洋式が必要だと思わなかった――というかトイレのことをあまり考えたことがなかった。
探したデパートには身障者用トイレもなかった。

デパートの店員さんが、「じゃあ、わたしが入口にいて、人が来たら待っててもらいますから、女性用トイレを使ってください」と言ってくれた。
でも――どんな状況であっても、女性用トイレに入るなんてことは、父にはできなかった。
わたしたちも「使わせてもらっちゃえば」と強くは言えなかった。・・・・・・少しは言ってみたけど。
家までまだだいぶ我慢する辛さよりも、女性用に入る心の傷のほうが大きい人だと知っていたから。

身近な問題になってはじめて、こんな不便があったのかと思うことがたくさんあった。
人を常に思いやることができて想像力の豊かな人は、普段から気づいているのかもしれない。
でもわたしはそこまで考えていなかったことがいくつもあった・・・・・・



●Prologue


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イメージ

「障害者の方のための施設で、パソコンを教える仕事をしているんです」

そう言うと、『パソコン』部分に関する反応も2つに分かれる。
 ・普通の場合(パソコンを教えてます、とだけ言ったとき)と同じ反応
 ・簡単なことを教えていると思われる

後者のタイプの反応には、割とよく出会った。
「あぁ、じゃ、初歩的なこととか教えるんですか」
「起動や終了したり、タイピングの練習したり」
WordだってExcelだってやりますよ、と言うと、驚かれたりした。

あるとき非常に具体的にも、「じゃ、Excelなんかは、ちょっと表を作って、SUM関数を入れるみたいなことを、やったりするんですか」と言われて、思わず笑みがこぼれた。
そこまで具体的にイメージするってことが、なんだか面白くて。
でもそれが人が思うところの、「障害者のパソコン」なのかな、と考えさせられた。

実際は、その施設は『職業に就ける訓練』を目指しているので、レベルが高い。
「Excelなんかは」、バリバリ関数を使って、VBAまで勉強する人もいる。
もちろん中には、初心者もいる。
でも、それは健常者の講習会や職業訓練にだって、いる。

わたしはここで、決して安穏とは働けない。
自分の能力で足りるかどうか、綱渡りみたいに思うことばかり。
だけど、それを言っても前述の人の場合は、わたしが謙遜しているのだと考えるかもしれない。

どうしてイメージの乖離が起こってしまうのだろう。

障害があってもパソコンは操作できる。
もちろん、障害の種類によっては、タイピングが遅いとか操作に時間がかかるとか、不利な点がある。
だから、検定試験などを受けたら、健常者と同じ合格率にはならないかもしれないけど。

でも、障害者というとどうも、「パソコンなんてできないんでしょうね」とイメージする人は多いらしかった。
パソコンを習いたくても習えないから、操作できない人が多い、と思うのかも。
そういう人もいるに違いない。
わたしのイメージも貧困で、人のことは言えない。

じゃ、自分を例にして、このイメージの乖離について考えてみよう。
『障害者』という言葉がとても広い範囲を持つことを、忘れているからではないだろうか。

足が少し不自由で、杖を持っている人も障害者。
寝たきりの状態で、自分でできることがとても限られている人も、障害者。
内臓障害なので、見た目は健常者と変わらず、手足も同様に使える人も、障害者。

日頃、さまざまな障害と接する機会がなければ、『障害者』と聞いて、
「うゎ~、手足を動かすのも大変な人が、パソコンするんだ~」
と思ってしまうのかも。
そのとき頭に浮かんでいるのは、きっと、寝たきりの状態に近いイメージなのかもしれない。

最近では車椅子で行動している人もよく見かけるようになったし、自分の会社にもいるということも多くなった。
そんなふうに、健常者の社会の中でも障害者が当たり前に行動できるようになり、身近になってくると、イメージは実態に近いものになっていくのだろう。

事実、わたしがここで働き始めた当初と今では、変わってきている。
「障害者にパソコンを教える=自由に動けない人に簡単な操作を教える」というイメージで語られることが多かったが、最近は「ただパソコンを教えているとだけ言った場合」と同じ反応が返ってくることが多い。

社会は少しずつ変わっている・・・・・・



●Prologue


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