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「情報保障」

ちょっと前回の記事に補足したい。
口で言ったすべての言葉を入力していたが、それでは分かりにくいから工夫するようにした、という内容だった。

なぜすべて入力することにこだわったのか?

平等が重要なのかと思ったからだ。
たぶん、最初のうち二人きりでコンビを組んでいた美和先生も、同じように考えていたと思う。

聴覚障害の人たちは、音によるさまざまな情報を得られない。
自然に耳に入ってくる音からどれだけ多くの情報を得ているか、わたしはこうして働くまでなかなか気づかなかった。

車を運転するとき、他の車のクラクションやエンジン音は聴こえない。
だから長いこと聴覚障害者の運転免許は認められず、権利を侵害されていたと手話の本で読んだ。

聴覚の人は、後ろから呼びかけられたら聴こえない。
複数の人があっちこっち適当な方向を向いて、適当にがやがや喋っていたら、聴覚の人には何を話しているか分からない。

もし健常者と一緒に球技をしたとしたら、審判の笛の音は聴こえない。
誰かが叫んでいるサインも聴こえない。顔を見て合図ができなければ伝わらない。

クリーニング店で働いていたとき、「見えないのは大変なことだ」という話になった。
前日に何かそういうドラマでもやっていたのだろうか?
そうしたら、一緒に働いていた人の一人が言った。
「友達がバンドをやっていて、よくライブをしてるんですよ。
ファンて言うほどでもないけど、まあそのバンドが好きなファンが打ち上げに来たりして、わいわい飲むのが楽しいんです。
一人、目が見えない人がいて、その人もよくライブの後、打ち上げに参加するんですけどね。
その人は、聴こえないより見えないほうがいいってよく言ってますよ」

わたしも含めて他の人は、「え~!?」と驚いた。
見えないと生活はものすごく大変だろうと思えるからだ。

「その人が言うには、聴こえれば人の輪に入っている気持ちになれるからって。
人の会話が聴こえないとすごく疎外感がある、見えなくても聴こえれば自分もその中にいると思えるからいいって言うんです」

それでもやはり、見えないことのほうが辛いように思えたが、ヘレン・ケラーの本を読んでいたら同じような記述に出会った。
どの本のどこだったか覚えていないのだけれど、たぶんヘレン・ケラー関係の本だった。

そういう考え方もあると知った。

きちんと他の人と同じ情報が得られるかどうかは、聴覚の人にとっても重要な関心事だ。

わたしはPCプラクティスとスキルアップ研修を担当する仕事だが、スキルアップ研修は仕事の研修として来ているから熱心な人の率が高い。
聴覚の人が来ると、受講者基本情報カードに「情報保障のため手話通訳を希望します」と書かれていることがよくある。

「情報保障」をWikipediaで調べてみる。
-----------------------------------------------------------
情報保障(じょうほうほしょう)とは、身体的なハンディキャップにより情報を収集することができない者に対し、代替手段を用いて情報を提供すること。

情報保障とは、人間の「知る権利」を保障するもの。いつでも、誰も情報が伝わらない状況に陥る可能性がある。特に聴覚障害者は、音声によって提供される情報や会話を理解できないため、日常的に情報から疎外されているといえる。そのため、一般的に「情報保障」とは、聴覚障害者に対するコミュニケーション支援を指して用いられる。
-----------------------------------------------------------

ちなみに情報保障のための代替手段としては、手話通訳・要約筆記・筆談・字幕などが挙げられている。

最初の頃、わたしが「とにかく口で言ったのと同じことを全部入力する」というむしろ分かりにくい方法を続けていたのは、一応「情報の平等」を目指すという目的があったからだ。
今は、経験を積んでその目的は少し修正された。

よかれと思った「完全に同じ情報」は、逆効果になることがあるということ。
「同じだけ伝えるために」わざと要約することが、結果としては「平等」につながると思うのである・・・・・・



●2年目:いろいろな障害
Chapter 2 聴覚障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


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ある意見の一致

ずっと時が経って、わたしも年数だけは古株になった。
年間の3分の2行けばいいほうなので、実質的には古株でもなんでもないが。

顔見知りも何人かいるようになった。

働き始めて数年は、わたしの知っている人は片手で数えられるくらいしかいなかった。
担当してくれる上級マネジャーと、PCプラクティス担当事務の人、スキルアップ研修担当事務の人、たまたま前から知り合いだった人一人。
たまたま前から知り合いだった人のつながりで、派遣として来ている人3人とも知り合ったが、それでも両手の指全部は使わない。

しかし7年8年といれば、さすがに顔を知っている人は増える。
名前や部署や何をしている人かは分からないままでも。

わたしはここでは知らない人にもよく挨拶をする。
守衛さんたちはいつも誰にでも挨拶しているし、見知らぬ人が廊下で挨拶してくれることもあった。
だから、とにかく誰にでも挨拶をする習慣があるのかと思ったからだ。

スクールは、誰だか分からない人でも名札の色で立場が分かる。
青や水色なら働いているスタッフだから、すれ違ったら挨拶する。
赤なら実習生だから、すれ違ったら挨拶する。
黒なら訪問者だから、会釈だけにする。

そうして挨拶するから顔は知っているけど、どこの誰かは知らないというスタッフさんがある日PCルールに入って来た。

その日わたしはスキルアップ研修を担当するはずで、教室内で準備をしていたがまだ誰も来ていなかった。
たまたまその人が廊下を通り過ぎるのが見えたので、室内から会釈した。
するとその人が開いている扉から覗いて、誰もいないので入って来た。

「今日は何をやっているんですか?」
「スキルアップ研修です。在職者の方のための――」
この人がスキルアップ研修というものの存在を知っているかどうか分からないので、漠然と付け加えてみる。
知っているのにわたしごときが説明したら、失礼だからだ。

「ああ~そうなんですか。いつもはここ、違うことやってますよね?」
「はい、いつもはPCベーシックプラクティスをやっています。入校されたばかりの方たちのパソコンの基本的な講習です」
「そうだっんですか。わたしは××部にいるんですよ」
「そうなんですね! いつも1階でお会いしますもんね」

それから少し話をして、どういうふうに進めるかなど聞かれた。
聴覚の人たちがいたらどうするかと聞かれ、説明を入力すると答えた。
「それは大変じゃないですか? 全部入力するんですか?」
「最初のうちはとにかく一言一句入力していたんですけど、聴覚の方たちは簡潔なほうが分かりやすいらしいと気づいて、最近は要点だけにしたり箇条書きにしたりしているんですよ。あ、他の先生はどうか分かりませんけど、わたしはなるべくそうしているんです」

「そうなんですよ!!」
その人は勢いよくうなずいた。
「私は手話通訳のようなこともするんですけど、手話でもそうなんですよ!」
「手話でもそうなんですか!」
「そうなんですよ! だから最初から最後まで通訳するのじゃなく、要点を簡潔に伝えるようにしているんですよ。しゃべっていることをそのまま通訳すると、分かりづらいようなんですよね」

手話で通訳するときも同じなのか~!

なんの裏付けもなくただ体験から想像していたけど、通訳をするほど聴覚の方と接している人も同じことを言っている。
やっぱりその方法論は合ってたんだ、と嬉しかった・・・・・・



●2年目:いろいろな障害
Chapter 2 聴覚障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


聴覚の人にはどうしたらいい?

聴覚の人たちの特性が分かったから、後はどうしたら分かりやすいか、考えればいい。
――とはいったものの、なかなか難しいことである。
自分とは違う考え方を理解することの難しさと、実行の難しさがある。
わたしは今でも「わたしの説明なら聴覚の人も分かりやすいはず!」と自信を持って断言することはできない。

自信満々で断言はできないが、何も考えていないわけではない。

まず、進行役をしているとき。
特に説明入力画面だ。

一度、聴覚の人は一人だけで、やっぱりあまり読んでもらえてなくて、ある日その人がお休みだったので、始める前に言ってみた。
「今日は聴覚障害の方がお休みなので、説明の入力は必要ないかと思いますが、あったほうがいいという方はいらっしゃいますか?」
そうしたら、2,3人「あったほうがよい」と手を挙げたので、省略できなかった。
何か間違ってる・・・・・・

聴覚の人にも見てもらえる説明にするにはどうしたらいいか?

●短い文にする
それまでは、「聴こえる人と同じ情報を提供すべき」と思って、一言半句もらさず入力していた。
そうすると話し言葉そのものになって、すごーく長い説明になってしまう。
できるだけ短い文で入力したほうがよいと思った。

●箇条書きなどを使用して、文章ではなく図に近くする
パッと見て分かるように工夫する。

旧例:Word表では、境界線をドラッグすると、列を自分の好きな幅に設定することができます。
   境界線をダブルクリックすると、列内の一番長いデータに合わせて、自動的に列幅が調整されます。
   ドラッグしたときは、表全体の幅は変わりません。ダブルクリックした場合は、表全体の幅も変わります。

新例:Word表では
   境界線をドラッグ ⇒ 自分の好きな幅にできる
              表全体の幅は変わらない
   ダブルクリック  ⇒ 列内の一番長いデータに合わせて調整される
              表全体の幅も変わる

●猛スピードで入力する
わたしが自信を持てる数少ないこと、入力の速さを最大限に出す。
画面に文字が出てくるのが遅ければ、誰だって当然退屈する。
少しでも速く入力するほうがいいに決まってる。

●なるべく数多く実際にやってもらう
これはスキルアップ研修などのときに心がけている。
PCプラクティスは一斉授業方式なので、個別対応は難しい。


フォロー役をするときはどうしたらいいだろう?

●筆談で説明するときも、図などを描いて、パッと見て分かりやすいようにする

●やり方を説明するときは、やってみせる
正しいインストラクターのあり方としては、受講者さんのマウスを持ってはいけない。
マウスを持って自分で、「こうするとできます」とやってしまったら、受講者さんは覚えられない。
操作は受講者さん自身にしてもらいながら、「次はここをクリックしてください」と指し示す。

でも聴覚の人には、場合によってはマウスを借りてやってみせることにした。
片言の手話や筆談で説明しながらやってもらうより、そのほうが分かってもらえる。

マウスを指差して「マウスを借りてもいい?」と聞く。
「見ていて」と言って、画面上で操作を見せる。
いったん元に戻して(ここはササッと、ボタンではなくショートカットキーで)、「自分でやってみて」と言う。

「見ていてね」とか「じゃあ今度は自分でやってみて」は、片言の手話やジェスチャーでだいたい通じる。

わたしのポリシーとしては、聴覚以外の人にはこのやり方は使わない。
やはりインストラクターは、マシントラブル以外では受講者さんのマウスを持つべきではない。

●先に進むのは仕方がないと諦める
自分が進行役なら説明入力の工夫もできるけど、ほかの先生だったら何も言えない。
もし、聴覚の人が退屈して先に進めているようだったら、それは仕方ないと思うことにした。

できる人はそれでもできる。
そこまでできないけど先に進んでしまっている人には、授業が「ここは聞いてほしい」と思う箇所になったら一人一人の席をまわる。
そして「ここは重要なところだから、ここだけ一緒に説明を聞いて」と言うことにした。


些細な工夫ではあるけれど、こんなことを心がけている・・・・・・



●2年目:いろいろな障害
Chapter 2 聴覚障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


聴覚の人は視覚で捉えている?

聴覚障害の人は、どうも説明を読んでくれない。
講師が入力するものも、テキストも、ときには筆談のため書いているものも、読んでくれない。

聴覚障害の人は、どうも体験型のようである。
概念だけ、考え方だけを説明されても分からず、何回かやってみたほうが早いという人が多い。

この話を水上先生にしてみた。
水上先生はわたしをスクールのPCプラクティスの仕事に紹介してくれた方なので、会いに行ったとき報告がてらいろいろな話をしたのだ。

すると水上先生は、わたしの知らなかったことを教えてくれた。

「聴覚障害の人は視覚で捉えているんですって」

視覚で?

「生まれたときから聞こえない人は、言葉のない状態で育つわけでしょう。
文章となっている言葉はだいぶ後から覚えることになるのよね。
だから文章で考えるのは、あまり得意じゃない面があるんですって。
その代わり、そういう人たちは視覚が発達していて、パッと図を見て理解できるらしいわよ。
文章で示されるより、図で示されたほうが理解しやすいんですって。
視覚で物事を捉えて、視覚で考えていると聞いたことがありますね」

そう言われてみると、確かにそうだ。
「ほら、ワンワンがいるねー」と母親に言われても聴こえない。
犬がいることを見る、母親の顔の表情を見る、何事も視覚からだ。
聴覚の人たちの言語である手話も、視覚で捉える。

なるほど!
だからテキストの説明を読まずに、図だけを見てパッパッと操作を進めていくわけか!

だから考え方の理解が必要で、図を見て1回やっただけでは分かりにくい部分は、何回も反復しないと分からないのか。
(この最たる例がExcelの絶対参照の箇所。)

わたしは前に、誰かに聞いたことがある。
誰に聞いたのか、今ではもう分からない。
ただ、この章に入って、昔のメールを見直していたら書いてあって、でも記憶にはないのだ。

「これは、聞いた話ですが、生まれながらに聴こえなかった人と、
途中で失聴した人では、理解力に差ができるのだそうですね。
生まれながらに聴こえない人は、それだけハンデを背負っているんですね。考えさせられました。」

つまり、誰かから、「中途失聴の人は理解力があるが、生まれながらの聴覚障害者は理解力に欠ける場合がある」と聞いたのだろう。

でもたぶん、それは「そう見える」というだけで、理解力に差があるわけではないのだ。

それはシステムの違いだ。
わたしたちの理解の仕方と、生まれながらの聴覚障害者の理解の仕方が違うからなのだ。
自分たちの理解方法で覚えてもらおうとしても、なかなか覚えてくれない。
それで、「なんだか何回言っても理解してくれない」と思えるだけなのだ。きっと。

実際、聴覚の人たちは、とても「早い」。

同じように図を見て操作していくとしても、健常者より聴覚の人たちのほうが断然早い。
図をパッと一目見ただけで、すぐに頭の中に入っていくのだろうと思う。
「あ、このボタンだな」と健常者が考えて画面で探そうとする頃には、もう彼らはクリックしている。

概念的なことが絡んでくると、聴覚の人たちの進度は少し落ちる。
それを理解して「あ、なるほど」と思うまでに、何度か体験の工程が必要になるからだ。

でもそれは、「難しいことになると彼らは理解できない」というのとは違う。

このことが分かったら、後はどうしたらより分かりやすくできるか、考えるだけだ・・・・・・



●2年目:いろいろな障害
Chapter 2 聴覚障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


聴覚の人は理屈より体験型?

聴覚の人は、彼らのための説明入力を読んでくれない。
聴覚以外の人も入力で遅くなる時間を共有しているというのに、ーーわたしたち講師も面倒なのに、なんのためにやっているのだろう、これ?

進行に通常より時間がかかることで一番退屈するのは、なんと聴覚の人たち。
彼らはあっという間に勝手に進め始める。
テキストは一人一冊あるから、自分で見てどんどん先に進んでいく。

ところが!

テキストの説明もあまり読まないのである。
人によってはまったく読まない。
どこをクリックするかは図が載っているから、図だけ追っていけば操作ができる。

でも操作手順は分かっても、説明を読んでいないから意味は分かっていないことも多い。
勝手に進んで、練習問題まで行き着くと、あの設問もこの設問もできなくて講師を呼ぶ。

彼らは連帯意識が強いのか、負けず嫌いなのか、ある一人の聴覚の人が先に進めると、教室中の聴覚の人が先に進め始める。

先生によっては「全員一斉に進むべき!」という考えの人もいるけれど、わたしは進んでも仕方ないと思ってる。
特にPCプラクティスは基礎だから、もうできる人は無駄な時間に感じるかもしれない。
でも「あの人は説明を聞きながらゆっくり進んでほしいな」と思う人まで、どんどん先に進もうとして――そしてつまずいてフォロー役の講師を呼ぶ。

もうひとつ気づいたことがある。

もちろんこれまでのどの特徴も、個人差がある話で、そして当てはまらない人もいる。
この「気づいたこと」もそうなのだが、でもやはり、聴覚の人たちは体験型の人が多いように見えた。

説明を読まずに操作だけをやっているから、練習問題などをやるときになるとつまずくのかな?
そう思い、つまずいていたら考え方を理解してもらおうとした。
「このページに説明が書いてあるから、読んでから問題をやってみて」
それでも足りないときは、筆談で自分もあれこれ説明してみる。

「なるほど~」とか「分かった」と言っているので、少し離れて見ていると、やっぱり間違っている。
その間違いは・・・・・・「分かってませんね?」というような間違いなのだ。

ではずっと分からないままなのかというと、そうではない。
何度か同じような問題を「やり方が分からない」とわたしを呼び、何度か「ここをクリック、ここをクリック、そうするとこうなる、これはこういう意味」と簡単に説明していると、いつのまにか呼ばなくなる。
1回でその域に到達する人もいるし、5回かかって到達する人もいる。

何度もそういう場面に出会って、やがてわたしも分かってきた。

体験型なのだ!

やってみないと分からない。説明だけでは分からない。
何度かやってみれば、「なるほど、こういうことか!」と体験で分かる。
もしくは、何度かやって、その間にこちらが的確な説明ができれば、「なるほど!」と分かってもらえる。

どうして障害によってこういった特徴が現われるのか?
わたしの(素人)考えと、人から聞いた話を総合して、わたしなりの結論を導き出した・・・・・・



●2年目:いろいろな障害
Chapter 2 聴覚障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■



聴覚の人は説明を聞かない?

以前にも書いたが、PCプラクティスの場合、講師は喋ったことを入力することになっている。
あ、聴覚障害の人がいた場合。いなければ普通の講習会のように進める。

口で何かを説明しても、聴覚障害のレベルが高いと聞こえないからだ。

画面の左側に説明用にワードパッドやメモ帳ソフトを出しておく。
右側には、「このボタンをクリックしてください」と言うときのためのWordなりExcelなりの操作画面。

①セルB2をクリック
②「営業報告書」と入力
③Enterで確定

というようなことも入力する。
(後年、テキストの内容はあらかじめ入力したものを用意しておくようになった。)

テキストに書いていないことを説明するときもある。
「たとえばお仕事では、このように使うことがあります」とか「このようなときに使う機能です」とか。
それも入力する。

ちょっと練習したほうがいいかな、と判断して即興でやってみることもある。
「では、練習してみましょう。Sheet2に切り替えてください。B2に売上実績と入力してください・・・・・・」
こういうのも入力する。

前から見ていてくださる方はご存じだと思うが、わたしは四六時中入力ばっかりする仕事を出版社でしていた。
おかげで数年経つ頃には、PCプラクティス講師の誰よりも入力が早くなった。
日頃、いろいろなことに自信の持てないわたしだが、これだけは自信がある。

美和先生も入力は早い。

それでもやはり、「喋る&入力する」というのは、ただ喋るより時間もかかる。手間もかかる。
聞いている聴覚障害以外の人も、余計にかかっている時間を共有する。

ところがこの聴覚障害用の説明入力、聴覚の人は読んでいないことが多いのだ。

わたしは最初の2年くらいは、ほとんどずっとフォロー役を務めた。
そうして後ろから見ていると、実によく分かる。
聴覚障害の人ほど見ていない――彼らのための入力なのに。

「聴覚の方たちは説明を入力しても読まないですからねぇ」
「聴覚の方たちは説明を聞かないから、間違ったことをしちゃって呼ぶことが多いんですよねぇ」

これは美和先生も、前にいても知っている。
何も見ずにずっと手話でお喋りしている人たちもいるから、前の講師席から見たって分かるのだ。

そしてわたしたちがこういうことを言っても、誰も反対しない。

事務の人だって、「××さんにこうしてもらおうとしたら、こんなふうにしちゃったんですよ」
そして「彼は聴覚だから、説明を聞いてないんですよね」と言ったりする。

これは非難しているわけではなく、「そういう傾向があるね」ということだ。
このことについては、1回では語りきれないので、続きは次回にまわすことにする。

なぜそういう傾向があるのか、わたしなりの発見は、もう少し先に・・・・・・



●2年目:いろいろな障害
Chapter 2 聴覚障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


聞こえないということ 03 てにをは

聞こえないために漢字の読みが苦手になることについて、昨日は書いた。
似たようなことなので、もうひとつ、触れておこうと思う。

聴覚障害の人は「てにをは」が苦手である。

「Wordを覚える」と言いたいところを、「Wordは覚える」と入力してしまったりする。
「数学を苦手」「Excelに勉強する」「お昼は食堂は行く」・・・・・・

あるとき、夕方までスキルアップ研修があったとき、事務の花咲さんに誘われて、学校公開の準備の見学に行った。
いよいよ明日は公開日、というくらいの日だったと思う。
各コースとも、展示もすっかりできていたようだが、総合ビジネス課程の一部はまだ最後の仕上げをしていた。
実習生さんは帰っていて、残っているのは先生方だけ――

どこかのコースがWordやExcelを使って製作した作品のところで、皆さんが集まってわいわいやっている。
「じゃ、もうあとは、これを並べて終わりにしましょう」「これはこっちでいいですね?」

行ってみると、カレンダーとかしおりやポストカードなどが置かれていた。
全部WordやExcelを使って作ったそうだ。

ふぅん、しおりはパウチしたりして、丈夫に作っているんだなぁ。
絵と一言文が書いてあるのが多いなぁ。
――などと見ていたら、黒に黄色い満月の絵が描いてあるしおりに目がとまった。

「月のうさぎはだんごが作っている」と一言、書いてある。

え~~~!! 月のうさぎは、だんごが作ってるの~~!?

・・・・・・ツボにはまった。
「そういうシュールな光景をわざと想像させたかった」と言っても通じる文章だったので、面白くて今でも忘れられない。

それを顔見知りの先生に指摘したら、「それは××さんが作った」という。
そして「××さんは聴覚で、人一倍てにをはが苦手」だそうだ。

どうしてそういうことになるのか、手話を少し勉強してみて分かった。
手話には、「てにをは」がいらないのである。

――いや、そう断言してしまうと、まずいのかもしれない。
わたしには把握しきれない、深く広い手話文化があるのだから。
まずいきなり最初の最初で、「手話には日本手話と日本語対応手話がある」と言われてしまい、その時点で一度挫折したくらい異文化なところがある。

正確に表現しておこう。
わたしが見たところ、「てにをは」が苦手な人の手話には、「てにをは」がないのである。
そして会話がそれで成立していて、話をしている相手も訊き返したりしないのである。

「今日は銀行に行く」なら、「今日」「銀行」「行く」と手話をしてみせれば通じてしまう。
だいたいは口の動き付きだし、話の文脈から意味はとれる。

文法のきちんとした手話もあるだろうけど、簡易的に使っても通じる。
簡易的に使っている人がいても、誰も聞き返さないし、注意されることもない。
それでずっと生活しているけれど、文章を入力するとなると、「今日銀行行く」というわけにはいかないので、「てにをは」をつける。

――そして間違う。

こういったことも、最初の数年はよく見たが、前回の記事同様、最近は見かけなくなった。
やはりインターネットや携帯メールの普及によるものだろうと思う。

以前だって、本好きな人は完璧な文法できっと書けたのだ。

文章を目にする機会も、自分で入力する機会も格段に増えた。
だから今はあまり間違う人もいなくなった・・・・・・



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Chapter 2 聴覚障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


聞こえないということ 02 漢字の読み書き

聴覚障害の人は漢字の読み書きが苦手である。

最近は減ってきたけれど、最初の数年はかなりいた。
2つ漢字が並ぶ単語などは全滅という人もいた。
ほとんど問題ないけれど、ときどき「これは何て読むか?」と聞いてくる人もいる。

最初のうちは分からなくて、「ああ、この人は入力スピードが遅いんだな」と思っていた。
でもよくよく見ていると、ブラインドタッチは普通にできているのに入力完了まで時間がかかる人もいる、と分かった。

さらによく見てみると、タイプが2つあると分かった。
●たとえば「取得」を、「取る」BackSpace、「得る」Backspace と入力する
●IME手書き入力パッドを使って、ドラッグで書いて入力する

プラス、こういう人もいる。
●なんとかして「取得」を入力したくてトライを続けるけど、うまくいかない。

もう少し注意して画面を見ていると、いい線まで行っているけれどうまくいかない、ということに気づく。
「取得する」と入力したいのだが、「しゅうとく」ダメ。「しゅっとく」ダメ。「しゅとっく」ダメ。

さらに経験を重ねていくと、読めない単語というのは、傾向があることに気づく。
●濁点、半濁点のある読みが入っている
●「う」が入っている

ここまで来ると、「そういうことだったのか!」と分かると思う。

わたしたち健常者は、自然に読みを耳で聞いている。
だから自然に言葉を正しい読みで覚えている。

ところが聞こえなければ分からない。
口の動きなどで判断して覚えているので、間違って覚えていることが多いのだ。
「発表」が「はっぴょう」か「はっびょう」か、口の形だけでは似ていて分かりづらい。
「拾得物」が「しゅとくぶつ」だと思ってしまう。いくら「しゅとく」で変換しても出てこないので、「しゅどく」なんて打ってみたりするけど、やっぱり出てこない。

これに気づいてからは、少し様子を見ていて漢字が苦手そうな人がいるときは、工夫するようにした。

自分が進行をしているときは、「同じように入力してください」と言ったとき、読めなさそうな漢字の読みも説明用画面に出しておく。

フォローをしているときは、分からない単語がありそうなときは近寄って、すかさず筆談で教える。
また、「漢字の読みで分からないことがあったらすぐに聞いてください」と言っておく。

漢字の読みを覚えさせようということは、わたしの仕事ではないから、でしゃばらなくていいのだ。
そのとき出てきた単語については、本人だってその場で覚えるし、メモを取る人もいる。

何年かして、彼らはちゃんと練習する時間があると知った。
用があってある教室に入ったとき、見たのだ。

そこでは、わたしが10日のPCベーシックプラクティスで出会った人たちが、もっと本格的なExcelを勉強していたり、PowerPointやAccessを勉強していたりした。
簿記を習っている人たちもいたし、OUTLOOKの使い方を教わっている人たちもいた。

そして――
見たことのある聴覚の人が2人、端のほうの机で漢字の書き取りを練習させられていた。
忘れもしない、1人はミスしたときに額を叩くくせのあるボーイッシュな女性で、忘れていた漢字の読みを先生に横から教えられると、パッチーンッッ!!と額を叩いていた。

こういった練習は、少なくとも最近は、聴覚全員ではなくて苦手な人だけだと思う。
漢字の読みが苦手という人もかなり減ったからだ。

思うに、インターネットや携帯メールで頻繁にやりとりをする時代になったので、練習の機会が増えたのだ。
学校で勉強するよりも、やはり楽しく使って覚えるほうが覚えやすい。
もう今は一般的な単語は問題なく読める人ばかりになった・・・・・・



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Chapter 2 聴覚障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


聞こえないということ 01 発する音

この仕事を始めてまだ一年目、二年目の頃、聴覚障害の人の大きな声に驚くことがあった。

――ご批判は怖いけれど、大きな声を出す聴覚障害の人に出会ったことがない方でもすぐ想像できる単語があるので、あえて言ってしまう。
「奇声を発する」に近い。

講習中、楽しく手話で会話(私語)する聴覚障害の人たち。
なんだか楽しいことかおかしなことを話しているみたいで、手話が大きくなってくる。
話しているほうはどんどん早口(早い手話)になって、表情も大きくなって、聞いているほうは笑っている。

盛り上がってるなぁ~

なんて苦笑いして後ろから見ていたが、誰かに呼ばれてフォローに行く。
聴覚の人たちのほうを見ずに仕事をしていたら、急に鋭い大声が響いてハッとする。

「あ」でも「お」でもない。やっぱり、奇声というのが一番近いように思う。
――笑い声が爆発したのだろう。

会話が白熱してきて、手話と共に奇声が洩れる。
二人とも洩れ始めて、教室中がそこで誰かが盛り上がっていることを知っている。

でも完全に聞こえない人たちだと、自分の声がどのくらい大きく聞こえるか分からない。

もうひとつある。

時代のはやりすたりだったのだろうが、最初の数年、失敗すると額を叩く聴覚の人がときどきいた。

「これができない」と呼ばれる。
「それはこういうわけだ」と説明する。
「あ! そうか!」ペシッと手で額を叩く。

重大な失敗のときではなくて、「あ! そうか!」的な失敗。
「あ! そうだった! 忘れてた!」とか「あ! 自分、ミスしてた!」という失敗。

これがまた、大きな音なのだ。
ペシィィィッッッッ!!!!! とか、パァン!!! という――

そんなに叩いて大丈夫? と思わず聞いてしまいそうになるくらい、勢いよく叩く。

当人は聞こえないから分からない。
そんなに大きな音で、周りの人がハッとしていることを知らない。

聞こえないとは、そういうことだ。

他にもある。

女性用トイレには、用を足すときの音を消すために流水音を出す装置などがついている。
ないときは皆、それなりに工夫する。エコじゃないけど水を流してみたり、ペーパーホルダーの音をさせてみたり、そーっとしてみたり。
知らないままだと、何も気にしない。隣の個室の人が驚くくらい気にしない。

くしゃみなどをすごい音をたててする人もいる。
健常者にもいるけど、その人は気にしない性格なのかもしれないし、わざとやっているのかもしれない。
どちらにしても、どのくらいの音が出ているか、分かっていてやっていることだ。
聴覚の人は、知らないからやっていることがある。
女の子なのに、まるで一部の中高年男性のように「ガーッ!!」と、絡んだ痰を出していたのも見たことがある。

やがて、若者はそういう人が減ってきた。
中学や高校の教育方針が変わって、健常者の社会の中でやっていくための学習をするようになり、大きな声を発すると注意されたりするらしい。
怒られるというのではなくて、「君は気づかないかもしれないが、こういうふうに聞こえるから注意したほうがいい」ということを説明されるのだそうだ。

なるほど、若者ほど、聴覚障害のそういった違和感を感じさせない。
なかなか指摘のしにくいことだから、教育の中で一般的なこととして教わったきてくれたほうがいいね・・・・・・



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●2年目:いろいろな障害

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車椅子バスケと車椅子ラグビー

ウィルチェアバスケとウィルチェアラグビー。

特に働き始めて1,2年は、車椅子の人たちというとバスケかラグビーをやっていたイメージだ。
スクール内ではやっていたのかもしれない。
熱心にやっている人たちがいて、車椅子の新実習生がいると勧誘されていたのかも。

また当時は肢体障害の人が多かった。
国の方針や、社会の傾向で、またはスクールが属する組織の決定で、時代に合わせて比率が変わることがある。
肢体障害の人たちが社会で活躍することが増えてくると、スクールの実習生は聴覚障害の人が多くなった。
聴覚障害の人たちが健常者社会に受け入れられ、仕事に就くことが増えると、スクールは精神障害や高次脳障害などの人が増えた。

休憩時間にはバスケ部やラグビー部の話をしている人がたくさんいた。

年に一度の学校公開が近づくと、話しかけられることもあった。
「先生たちも公開に来るんですか?」
「バスケ部のデモンストレーションに出るんですよ。来るならぜひ見てください」
「自分はラグビーなんですよ。ラグビーは激しくて面白いですよ」

見たこともある。

わたしはスポーツ観戦をあまりしないが、面白かった。
特にラグビーはすごかった。

車椅子をぶつけてタックルするので、体育館中に激しい音が響き渡り続ける。
勢いよくタックルされて、車椅子ごと転んでいる人もいる。
あまりの迫力に、ルールも分からないわたしでも、釘づけになった。

バスケだったと思うが、模範試合を見ていたら、見覚えのある女の子の顔があった。
「あれ? 彼女って、車椅子だったっけ?」
すると司会の人が言った。
「彼女は聴覚障害で、車椅子ではありませんが、ウィルチェアバスケをしています。
健常者であっても、車椅子でプレイすればウィルチェアバスケをすることができます」

PCプラクティスのとき見た人たちだから、知っている顔ばかり。
人によっては、PCプラクティスのときのイメージと違う一面が見られて面白い。

そうやって思い出していると、同じ車椅子でも障害の種類や度合いは違うことがあるってことも、頭に浮かんでくる。
あの人は手も麻痺していたけれど、確か向こうの人は上半身は鍛えられていた。
チームに麻痺の人がたくさんいると、不利になったりしないのかな?
すると司会の人が言う。
「障害の等級によって、ハンデ(だったかボーナスポイント)だったかが与えられます」

だから全員が足だけの麻痺にすると、強くはなるかもしれないが、勝つには逆に難しくなる。
障害が重い人も歓迎されるのだそうだ。

わたしのようなスポーツ音痴は、ドッカン!ドッカン!と激しいラグビーが分かりやすかった。
バスケの軽い車椅子さばきも面白い。

確かにこれは、見ているとやりたくなる・・・・・・



●2年目:いろいろな障害
Chapter 1 肢体障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


ある問題

食事しながら読む人っているかなぁ?
分からないけれど、予告しておきます。露骨な描写は出てこないけど、排泄の問題についてです。

車椅子のある男性が、スキルアップ研修にやってきて、そして朝トイレに行った。
お腹の調子が悪いそうで、もしかしたら下痢になるかもしれないという。

スキルアップ研修担当の事務、花咲さんがわたしに言った。
「遅くなるかもしれませんね。彼、結構大変だから。導尿してるんですよ」

排泄に問題がある場合もあるんだなぁ、と思った。
それはそうかとも思ったし、尿も何らかの処置が必要なら、便も必要かもしれないとも思った。

具体的な方法は知らないままだ。だから描写はできない。

ただわたしが知っておかなくてはならないのは、そういう問題があること。
トイレですと出て行って時間がかかる場合もあるということ。
知らずにいたら、たとえば「この人はどこかで休憩して遊んでいるのかしら?」と疑ってしまうかもしれない。
人柄を信頼している場合は、「こんなに長く戻って来ないなんて、どこかで倒れていたらどうしよう?」と大ごとにしてしまうかもしれない。

だから花咲さんも伝えてくれたのだと分かった。

そう理解した上でわたしはその人を送り出し、ときどき気にしながらほかの人のことを見て仕事をしていた。
でも理解していたつもりでも、それでも心配になってきた。
本当に時間がかかった――1時間経っても戻って来なかった。

確かにこれは、教えてもらっていなければ、騒ぎ立てて当人にも花咲さんにも迷惑をかけてしまったかもしれない。
この人はサボるために時間をつぶすような人ではない。
生真面目というのではなくて、なんていうか――社会人としてしっかりしている人なのだ。
何度か来ていて慣れていても、なあなあにならない。
だから疑うのではなくて、心配になった。具合でも悪くなっていたら――?

1時間半か2時間か経って、普通に「遅れてすみません」と帰ってきたけれど、その日はずっとあまり調子は良くなさそうだった。

彼はこのとき以外にもスキルアップ研修を受けに来ていた。
ある日、あと1時間20分くらいで終わり、という頃に「あー、腹の調子が悪くなりそう」と言い出した。
「お手洗いに行って来てもいいですよ」と言ったけれど、「いや、間に合わなさそうだし、着替えも持ってきてないので」と言って行かない。
苦しいなら早退してもいいのではないかと思ったけれど、家に帰り着くまでもそれなりの時間がかかるだろう。
そうしたら、「下痢止めを持ってるので、水買って飲んできます」とのこと。
「どうぞ」と言って、「効きますか?」と聞いてみたら、「日によりますね」と言っていた。

車椅子の人が全員そうだというわけではない。
また、車椅子でない人でも排泄問題を抱えていることもある。

若い女性で、不自然な歩き方ではあるけれど、杖も持たずに自力で歩ける人がスキルアップ研修に来ていた。

彼女はいつも大きなバッグを抱えている。
お昼の休憩に行くときも持ち歩いている。
――でもわたしも、小さなバッグインバッグをスマートに使いこなせるタイプではないので、あまり気にしていなかった。

そうしたら花咲さんが何かの話のときに言った。
「彼女は××さん(前述の男性)と同じような排尿の問題があるはずだから、これこれこうなのかもしれませんね」
――それが何のことを話していたのだったか、忘れた。
「あ、そうだったんですか」
「いつも大きなバッグ持ってますでしょ。いろいろ必要なものを入れておかないといけないんだと思いますよ」
――そういうことだったのか。
あの大きなバッグは、わたしの不精などとは違う、大きな意味があるものだった。
確かに、道具や消毒用品なども必要かもしれないし、予備の着替えなども持ち歩いているのかもしれない。

肢体障害の場合は、人によってそういう苦労があるかもしれない。
あまり積極的に話さない話題だから、気づかないまま誤解したり心配したりするかもしれない。

だからやっぱり、一言語っておこうと思った・・・・・・



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Chapter 1 肢体障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


その立場になって初めてわかること 02

昨日語った脳卒中の人は、男性だった。
お子さんのことは聞かなかったので知らないが、奥様の話題は出た。

「家内が収入のいい資格職に就いているので、有り難いですよ」

――この方との会話は、淡々と冷静なしゃべりを想像してほしい。
元来理数系で、SEの仕事をしていたというだけあって、冷静、淡々。
後遺症として言語障害にも悩まされ、一時はプログラム言語どころか日常の日本語も混乱したとか。
「だからこれも思い出すためのリハビリなんだと思いますよ」と花咲さんは言っていた。
研修中も、やっているのは昔の彼なら朝飯前の、Wordでビジネス文書を作ることだけれど、「あれ、忘れちゃってるなあ」なんてよく言っていた。
でも冷静、客観的な思考はそのままのようだ。

「家を買ったばかりなんですよ」
「そうですか」
「買って引っ越して半年くらいで、私が倒れちゃって」
「まあ」
「失敗したなあと思いましたね」

――なぜだろう?
仕事をセーブしなければならなくなるのに、ローン返済は始まったばかりだから?
バリアフリーに作れば良かったとか?

「A市のマンションに住んでいたんですけど、B市の一戸建てに移ったんですよ」
「じゃあ同じ路線ですね」
「そうなんです。同じ路線なら通勤もあまり変わらないし、いいかと思って」
「そうですね。駅も4つくらいしか離れていないですもんね」
「でもA市は××県、B市は**県なんですよ」
「そういえばそうですね」
「××県と**県では制度が違うんですよ」

ああ、なるほど。

「××県のほうが福祉が充実していて、**県は少ないんですよ」
「そうなんですか」
「でも引っ越す前は私も健常者だったから、そんなこと考えずに引っ越すでしょう?
**県のほうが家を建てる金額は断然安いですからね」
「そうでしょうねぇ」
「でも××県なら障害者手帳を持っていればバスが無料になるけど、**県は割引にしかならないとかね。
いろいろ××県のほうが、福祉制度がたくさんあったと分かったんですよ」

確かに、そういうことは引っ越すときに気にしないものだ。
土地の値段や、交通や生活の利便性、環境などは検討するけれど、バスの福祉割引があるかどうかなんて。
しかしそういう些細なことが積み重なっていくと、お金も面倒もかかることになる。

なるほど、引っ越したばかりだったら、「ああ~」と残念な気持ちになるかもしれない・・・・・・



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Chapter 1 肢体障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


その立場になって初めてわかること 01

前の記事で出てきた、脳卒中の後遺症で体に麻痺が残った人。
この人はスキルアップ研修に来ていた。

在職中に脳卒中になり、研修に来た時点では休職中だった。
休んでいても会社に所属しているので、「在職者向け」となっているスキルアップ研修を受けることができる。

今後、会社に復帰するとなると、「通勤に耐えられるか?」「長時間(7時間とか)仕事をすることに耐えられるか?」などの問題も出てくる。
その意味でも、リハビリ感覚で、ほんの数日通ってみよう、というようなことだった。

この方との出会いで、わたしはひとつ大切なことを学んだので、とても印象に残っている。

話の内容は将来の職場復帰についてだった。
職場では、復帰後は部署を変えてくれると言っている。残業などの必要がない部署に。
そして、ラッシュを避けて早く、または遅く通勤することも検討している。

「私なんてね、今はこうして杖を持ってるでしょう? でも、誰も席なんて譲ってくれないね」
「ああ~、そうですか」
「目の前に立っていても、譲ってくれないね。シルバーシートでもそうですからね」
「譲りたいと思っても、自分も立っている人はどうにもできないでしょうしね」

頭に浮かんだのは、少し前のある光景。
座席はいくつか空いていたが、疲れていなかったから座らなかった。あと数駅だし。
途中の駅でたくさんの人が乗ってきて、座席は乗りこんできた先頭グループの人たちで埋まった。
その後からゆっくりバランスをとりながら乗ってきた杖の人は、もう席がなかった。
わたしは今自分は疲れてもいないし、快く譲れると思ったけれど、立っているので譲りようがなかった。
譲れる自信がある人は、座席をキープしておく意味で座るのもいいと思った。

「でも譲られても困るときもあるんですよ」
「それはどういうときですか?」
「たとえば遠い席から来て、どうぞと言われても、そこまで行くほうが大変だってことがありますからね。
歩いて行く間にバランス崩れて倒れそうになりますよ。動いている電車では特にね。
長く乗るなら、それでもなんとか移動して座らせてもらったほうがいいかもしれないけど、次の駅で降りるというときに真ん中のほうの席を譲ってもらっても、立っているほうがいいんですよ。
ようやくそこまで行って座っても、すぐまた立たなきゃならないでしょ?
麻痺してると、立つのも大変なんですよ。
ドアの近くの手すりに捕まっているほうが、安定するし、安全なんですよ」

『お年寄りや体の弱い方に席を譲りましょう』というのは声を大にして言われるが、ときにはそのまま立っているほうがよいこともある。
それをこの方に教えてもらった。

でもこの方も言っていたが、長い距離を乗るときや、つかまるところもないラッシュの電車では、多少苦労してでも座ったほうがいい。

ところがこれは、他人には分からないことだ。
譲っても感謝されないどころか有難迷惑なら、声をかけるのを遠慮してしまう。でもその人は座りたいかもしれない。

わたしの出した結論はこうだ。

たぶん、一番いいのは、譲ることだ。遠くても、その人が座りたくないかもしれなくても。
ただそのとき、「よろしかったら」とか、「お座りになりますか?」というふうに、相手の意向を確かめるようにする。
ただ「どうぞ」と言われただけだと、好意を無にしてはいけないと悩ませてしまうだろうから。
こちらが聞くようにすると、きっと相手も答えやすくなる。
「ああ、大丈夫です、次で降りますから」とか「ありがとう、でもいいです」と言われたら、押さずにすぐ引く。
そうすれば、相手も気まずく押し問答したり、座りたくない席に座ったりする必要もない。

遠慮しているかもしれないので、一応引く前に「よろしいんですか?」と聞いたりしてみて、「ええ、大丈夫です」と言われたらにっこりして去ればいい。

なかなか難しいけれど、これが一番お互いにとっていいと思う。

譲った席を断られても、「きっとそういう事情なんだな」と余裕の笑顔で戻ること・・・・・・



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■まえがきにかえて(おことわり)■


車椅子以外の人たち

わたしには最初の頃、「肢体障害」というと「車椅子」という短絡的なイメージがあった。

でももちろん、そうではない。
車椅子でない肢体障害の人にもたくさん出会った。

スキルアップ研修に来ていた、脳卒中の後遺症で体に麻痺が残った人。
まだ会社復帰前の休職中。
かなりよい状態に回復しているように見えた。
杖は持っているけれど、手は両方使えたし、杖を使っていたけれどなかなかスムーズに歩いていた。
早くに病院に行って、大きな麻痺が残らず済んだようだ。

杖を持っていなくて、少し歩き方が不自由そうに見えるだけ、という人もたくさんいる。

ある人は、外から見たときは全く障害が分からなかった。
だから肢体障害ではないと思っていたくらいだ。
でもその人がある日、後片付けをしている教室に入ってきて、「新しい義足ができた」と見せてくれたので肢体障害だと分かった。
ちなみに義足は特注品。ダイヤのような輝く石を入れたりしていて、かっこよく洒落ていた。

車椅子ではないけれど、とても歩きにくそうな人もいる。
両方の脇に松葉杖タイプの杖をあて、前に出しては足をひっぱる。
わたしには、「肢体障害」だということは分かっても、どうしてそうなったのか、原因は何なのか知るすべはない。
だからそれについては何も言えないけれど、まったく同じ杖の使い方をしている人には、数人出会った。
かなり早く歩ける。
廊下を歩くときは、杖をつくときの「カチャン」という音が響く。
慣れていて早いから、「カチャン!カチャン!カチャン!カチャン!」とスタスタ歩いていく。

スキルアップ研修にやってきた若い女性。――どうだろう? 若かったと思うけど、20代後半だったかも?
歩きにくそうだけれど、歩けないことはなく、車椅子ではなかった。杖。
電車通勤はきついそうで、会社には車で通っている。スクールにも車。
たまたまその日は防災訓練の日で、なにせお役所仕事なので、外部から研修に来ているだけの人も参加。
スキルアップ研修の人たちも全員、遠いグラウンドまで避難しなければならない。
彼女は本当につらそうだった。
点呼をとって、「さあ帰りましょう」と教室に戻るときは、蒼い顔をしていた。

足ばかりじゃない。当然。
片手が麻痺しているという人も多い。
脳卒中などの麻痺によるものだろうか。交通事故などだろうか。

片手がないという人もいた。

麻痺している人の場合は、麻痺の度合いが違えば苦労も違う。
少しは動かせる人は、両手を使った「Shiftキーを押しながら、マウスを操作する」こともできる。
まったく動かない人で、骨折したときのような首からさげる布を使っている人がいた。
そのままにしておくと、ずっと机にこすれていて皮膚が切れたりすることもあり、そうなっても麻痺していて気づかない場合もあるからつけているそうだ。
布は、白い包帯ではなくて、目立たない色や柄のものをしていた。

朝やってくると、ペットボトルのふたを開けられないからと、「開けてください」と言う女性もいた。
一度開ければ、その後は、自分で加減して締めればいいので大丈夫。
だけど最初だけはダメなのだそうだ。
でもそのことがなければ、麻痺しているとは気づかない。

手が麻痺しているという障害だったけれど、度合いは低かったようで、見ていると分からない人もいた。
趣味はギターだそうで、ギターを弾くくらいの力はあるということだ。
――わたしは弾けないので、その力がどのくらいのものなのか、分からないけれど。

思い出せばいろいろな人に出会った。
肢体障害はいろいろな部位、度合いがある。

もちろん、それを言ったら、どんな障害だってそうなんだけど・・・・・・



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■まえがきにかえて(おことわり)■



車椅子の人の就職

わたしにとって、最初の頃のPCプラクティスの印象は、車椅子の人たちと聴覚障害の人たちだ。
たぶんいろいろな障害の人がいたはずだけど、イメージとして残っている光景は、休み時間やあるいは講習中にも手話でおしゃべりしまくる聴覚の人たち。
そして講習が終わると車椅子を並べて仲良く出て行く人たち。車椅子用のスロープを怖いようなスピードで降りていく人たち。

聴覚の人たちのことは後日まとめるつもりだが、彼らには彼らの世界がある。
どんな障害だって、特性があるだろうし、特有の状況もあるから、やはりそれぞれの世界がある。
だけど、聴覚の場合は「手話」という独自の文化を共有しているので、世界も独特なのだ。

手話ハンドブックみたいな小さい本を買ったら、いきなり冒頭に「手話を学ぶことは聾者の文化を学ぶことである。」と書かれていて、気軽な気持ちではいけないような説明があって、いわゆる「びびった」こともある。
確かに、少し関わったら「聴覚の人たちはこうですよね」「この人は聴覚ですからね」と言ってしまうくらい、独自性を感じた。
(いい悪いじゃない。とにかく詳しくは後日。)

それに比べて車椅子の人たちは、文化にまでなっているような特性は、あまり感じない。
語弊があってお咎めを受けるかもしれないが、一口で言えば「足が動かないこと以外は普通の人」。

正確に言えば、この最初のイメージの「車椅子の人」は、健常者だったが事故などで中途障害になった人。

だから余計に違いを感じなくて、「就職などはやはり有利なんだろうな」と考えていた。
もし麻痺が下半身だけならなおさら。
手に問題がなければ入力も早いし、わたしよりずっとパソコンを使いこなしてる人もいる。
コミュニケーションにはハードルがない。話せば通じるのだから。

筆談をするしかない聴覚の人のほうが、就職は大変なのかな、と単純に考えていた。

でも違った。
あるとき誰かから聞いたのだ。
スキルアップ研修関連だったと思うから、花咲さんだろうか。

「彼は聴覚だから、雇ってもらいやすかったんでしょうね」
「そうなんですか。聴覚の方は就職しやすいんですか」
「やっぱり車椅子だったりするとねえ~。スロープつけたりとか、施設の改装が必要になると、そこまでできないってなっちゃうんですよね」

なるほど!

――最初から気づく人もいるだろうが、わたしは「なるほど!」だった。

オフィスの中だって、自由に動くには車椅子分の幅が要る。
でも、一人新人を雇ったためにオフィスのレイアウトを変更する、というのは割に合わない。
平屋のオフィスか、オフィスが1階にあるのでない限りは、エレベーターも必要だ。
階段は昇れないのだから。
トイレも必要だ。車椅子のまま入って行ける広いトイレ。
手すりなどのついた、身障者用のトイレ。
・・・・・・トイレはないオフィスも多そうだ。
わたしはいくつも派遣の単発に行ったけれど、ないところがほとんどだった。
公共の場、お客を呼ぶ場でなければ、なかなか身障者用トイレは見つからない。

「その点、聴覚だと、今ある設備を変える必要はないですからね」

思っていたより、車椅子の人の就職は難しそうだと分かった・・・・・・



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■まえがきにかえて(おことわり)■


まじめな話もうひとつ

もうひとつまじめな話をしておこう。

以下はWikipediaを引用している。
---------------------------------------------------
脊髄損傷のリハビリテーションとは失われた機能を回復させることではない。神経が再生しない以上、それは不可能だからである。リハビリの目的は、「残された機能をいかにして使い、ADL(日常生活動作)を可能にするか」という点にある。残存機能を今までの120%にも150%にも使い、必要な筋力を強化し、車椅子の操作などに習熟することなど、それまで思いもよらなかった状況に慣れていく過程が、脊髄損傷におけるリハビリテーションである。
---------------------------------------------------

わたしも最初は、リハビリというのは機能を回復するための練習のようなイメージだった。

でもここで働いて違うと分かった。
実際に日常生活の訓練を見たことはないが(それはスクールではしないから)、人から教えてもらったりして分かった。
わたしがいかにも「右も左も分からない」風に見えた1年目2年目に、花咲さんや玉名上級マネジャーが教えてくれた。

足が麻痺している人が、足のリハビリを行うわけではないということ。
脊髄損傷の場合は、麻痺は治らないから、足の機能を腕など他の機能で補いましょう、ということだ。

腰から下が麻痺しているのなら、朝起きてベッドから降りるのも困難だ。
上半身を使って、どうやって降りるか。

前の日のうちに、車椅子を乗りやすい位置に準備しておかなくてはならないだろう。
ベッドの高さは調節しておく必要があるだろうし、必要な柵や手すりなどもあらかじめ用意しておく。
そういった日頃からの準備。

そして上半身の力をどうしたら最大限に使えるか、筋肉の使い方を学ぶ。
足りなければ必要な筋肉をつける。

そういうことをするらしい。

しかし医学は進んでいく。
かつては否定されていたことも、研究によって間違っていたことが明らかになることもある。

たとえばこういう話をテレビで見た。(2012年)
脳梗塞などで脳が損傷した場合、失われてしまった部分は回復しないというのが定説だった。
リハビリで身体機能が回復したように見えるのは、脳が回復したのではなく、損傷を免れたところが失われた部分を代償すると思われていた。
しかし適切なリハビリを行うことで、ある程度回復することが分かった。
というような内容だった。

もう一度Wikipedia(2012年)の脊髄損傷の説明を引用する。
---------------------------------------------------
脊髄を含む中枢神経系は末梢神経と異なり、一度損傷すると修復・再生されることは無い。現代の医学でも、これを回復させる決定的治療法は未だ存在しない。
---------------------------------------------------

これについても、ニュースなどで違う意見を見かけるようになった。

・iPS細胞を使った治療で回復する。
・幹細胞を使って中枢神経を回復させることができる。
など。

こういった研究の成果、そして実用についてはわたしが論じられることではない。
脳梗塞にしても脊髄損傷にしても、今後、今からは考えられないほど劇的に治療法が開発されるかもしれない。
あるいは時間がかかるかもしれない。
または、うまくいかないことが判明するかもしれない。

良かった!と安易に言うことはできない。

でも研究は続けられていて、後の世代の人たちは治るのかもしれない・・・・・・



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■まえがきにかえて(おことわり)■


まじめな話

このPartは思った以上につまずく。

さあ、どうしたらいいだろう?
わたしはまた立ち止まってしまい、迷っている。

前回の後半で、代々長男に受け継がれてきた字があるという男性のことを語った。
「自分がこうなってしまったから、僕の代で終わりだ」と彼は言った。

わたしには「そんなことはないですよ」と言うことはできなかった。

いったい、彼が子供を作れるものかどうか、わたしには知識がないから分からない。
養子をもらうというのは、ちょっと違うんだろうな、とも思った。
能力的には子供を持てるけれど、たぶん障害があるから結婚相手を見つけにくいという意味かもしれないし。

そもそも、麻痺していて感覚がない人の場合、生殖能力はあるのか。

この話題は触れたものかどうか、迷う。
そういうことは知りたくもない、という人もいると思う。
でも変な意味でなく、自然な疑問として知りたい人もいるかもしれない。

――変な意味というのは、説明が大変だが、あえてしなくても分かってくださると思う。

まじめな話、こういったことは避けてこられて、困っている人もいるようだ。
特に日本では、なかなかオープンに語りにくい話題である。

そこでまじめに、簡潔に調べたことを記載しておこうと思う。
詳しく知る必要のある方や、興味のある方は、参考サイトを見ていただきたい。
まじめなサイトしかリンクしていないので、「変な意味」が嫌いな方もご安心を。
でももちろん、これらのサイトで扱われている内容では、学術的であっても関連用語が出てくるので、詳しいところまで興味のない方はスルーが一番だと思う。

記事内では本当に疑問の基本的な部分だけ、解消するつもり。

さて。
まとめるとこのようになる。

●脊髄損傷者であっても子供を持つことは可能。

●困難はあるが、医療の進歩により、薬やその他の方法で自然受精ができる場合も多い。
●自然な形態が難しければ、人工授精などの方法をとることができる。

もちろん、その人の障害の程度や状態にもよるので、100%とは言えない。
けれど、脊髄損傷があるからといって、絶対に子供を持てないというわけではない。
むしろ持てる可能性は低くはない。

というのが、結論だった。

物理的に持てるかどうかではなく、障害があっても結婚できるかどうかが問題だという場合。
これについては医学的な統計や研究はないけれど、結婚している人はいる。

わたしが知っているのは3例。
●スクールに通っていて知り合い、結婚したご夫婦。ご主人は知り合ったときから車椅子。
●あるとき研修にやってきた車椅子の男性。奥さまは健常者。
「でも結婚したのは受傷後だっていう話ですよ。まだ結婚してそんなに経ってないそうなんです」
●脊髄損傷だったスタッフの男性。奥さまは健常者。
「××先生、ここを辞めてから結婚したそうですよ」

だからもしかしたら、今頃、新しい「矢川 ○矢」くんがどこかにいるかもしれない・・・・・・




参考(医学的)
http://www.privatecare.jp/guide-sci.html
http://www.jscf.org/SIRYOU/ssk02/yyc14.htm
http://www.ed-info.net/know/support/support05.html

参考(実体験側:赤裸々な表現あり)
http://www.zensekiren.jp/activ/erection_f.html
http://www.zensekiren.jp/activ/female_f.html



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■まえがきにかえて(おことわり)■


車椅子を使っている人たち 02

一度、受傷してそれほど経っていない人がスキルアップ研修に来たことがある。
――もしかしたら日数は経っていたのかもしれない。
まだ完全に適応していないように見えただけだ。

わたしがスクールで出会った人たちは、ほとんどが自分の障害を受容する時期を経ていた。
障害受容の過程は、基本的には次のように言われているようだ。

ショック → 回復への期待 → 混乱と苦悩 → 適応への努力 → 適応

順番に進んでいくけれど、戻ることもある。
「混乱と苦悩」の時期にいるときに、「でも治るかも!」と「回復の期待」へと戻ったり。
適応しようと努力しているときが一番辛い時期だという。そのときは何度も前に戻る。

この方は、「自分はこんなになっちゃったでしょ」と何度か言っていた。

たぶん、事故。
車椅子だけれど、上半身は問題なさそうだった。

このようにまだ完全に心が落ち着いていない時期に研修に来ていた人は、何年もやったけどあまりいなかった。
現場でバリバリ働く会社員だったけれど、事故で受傷。
会社は休職して治療、リハビリと進んできた。
ご本人は早く復帰したいと思っている――有給の休職期間がまもなく終わってしまうのだそうだ。
車椅子になった以上、現場に出ることはもう適わないだろうから、事務に回れるようパソコンの研修に来た。

――それにきっと、「どこかに通う」ということを思い出すためもあるのだ。
社会に戻るためのリハビリとして研修に来る人もいる。

「医者が体重を減らせっていって、ビールをやめろって言うんだけどね。毎晩の晩酌が楽しみだったのに、ダメだって言われてもねぇ。でも自分もこんなになっちゃったからね」

スキルアップ研修は花咲さんが担当だ。
「××さん、低温やけどしたって言うんですよ。ストーブにずっとあたっていて」

麻痺しているところは感覚がないので、こういったことが起こる。熱いと思わないからだ。
怪我などもしやすくなるので、注意が必要だ。

「自分でちゃんと管理できるようにならないと、会社復帰したとき困るって言ってやりましたよ」
――花咲さんは強い。誰のことも同じように、普通に扱う。

その方は、ずっと後に「××さん、やっぱり会社復帰は難しいみたいですよ」と聞いた。
でもきっと、その頃には適応できていたと思う。
お給料ほどではないけれど、障害者手当も出るだろうから、充実した生活を送っていてくださればと思う。

さて、同じセリフも人によって違う響きになる。

PCプラクティスに来た人の座席名簿を作るため、「お名前は?」と聞いてまわっていたときだった。

「矢川です」と、その車椅子の男性は首からさげていた名札を前に出した。
名札にはフルネームが書いてあり、顔写真もついている。
「矢川さん、矢川 直矢さんとおっしゃるんですね」
「そうなんです、父は矢川 淳矢というんですよ」
「そうなんですか!」
「うちは代々、長男に『矢』をつける決まりなんですよ。祖父は知矢だったんですよ」
「伝統があるおうちなんですね。すごいですね!」
「でも自分、こんなふうになっちゃいましたから、もう僕の代で終わりですけどね」

文字で見ると悲観的にも見えるけれど、明るく言っていた。
少なくとも、明るく聞こえた。

本当はいろいろな思いがあったのかもしれないけれど、彼はさらりと言ってのけた・・・・・・



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■まえがきにかえて(おことわり)■


車椅子を使っている人たち 01

車椅子を使っている人たちと会話していて、なるほどそういう注意点があるのか、と知ることがあった。

前にも何度も書いているけれど、褥瘡にならないように体を持ち上げるのもそうだった。

PCプラクティスのとき、車椅子の両側のアームを握って、ぐーっと体を持ち上げる男性。
まるで懸垂のよう。すごい筋力だなぁ、と思った。
「疲れました?」――何気なく声をかけた。
「いや、ずっと同じ体勢でいると血行が悪くなって、褥瘡になることがあるんですよ」

これも前に書いたけれど、PCプラクティスの最中に突然ガタガタと大きな音がした。
痙攣している人の足が当たって、机が音を立てているのだ。
「嫌気性の痙攣なんで、雨が降りそうなときとか、気候で痙攣が起きちゃうんですよ」
と彼は説明してくれた。

車椅子の人は、あまり体重を増やさないようにしなくてはならない。
かかる体重が大きいと、褥瘡ができやすくなるからだ。

腕の筋肉もつけなければならない。
褥瘡のために体を持ち上げるだけではなくて、生活を上半身だけでしなければならないからだ。

上半身まで麻痺がある人は、自分の力だけではなく介護の力や、福祉器具の力を借りる。
実にいろいろな福祉器具がある。

でも必ずそれを使うというわけでもないようだ。
わざわざ専門の道具を使うのではなく、自分で工夫したものを使っている人もいた。
たとえばキーボード入力に使う手袋と棒がセットになっているような福祉器具がある。
それを使わずに、指なし手袋と棒を使って、自分なりに工夫して使っている人のほうが圧倒的に多かった。

体温調節ができない人もいる。
これは脊髄損傷の症状としても書いてあった。
暑いと体内に熱をもってしまい、発熱するという。
言ってくれれば、だいたいのときは何かの手段をとれる。エアコンを強くするとか、扇風機を借りるとか。

でも世の中が節電になって、施設全体として何割の電力をカットしなければならないと決まった年は大変だった。
暑くても勝手にエアコンの温度を下げたりできない。

特にスキルアップ研修――
PCプラクティスだって同じことだけれど、これはまあ、スクールの「生徒」の問題。
その日は早退させたっていいかもしれない。
でもスキルアップ研修は、数日間だけ会社は出席扱いで来ている人がほとんど。
「今日は帰っていいですよ」と気楽に言えるものではない。別の日に振り替えも難しいのだし。
何かあったら、会社から預かった人材だから責任問題ともなって困る。
というので、気を遣った。

仕事に就いている人は、だいたい受傷してすぐということはなくて、自分の体のことを理解している。
だから自分で注意もしてくれるし、調子が悪くてダメならそう言ってくれる。
「ちょっと今日は暑くて調子が悪いようだから、予定のところまでテキストを進められないかもしれないですね」
「今日は少し熱があるみたいで、凡ミスをするかもしれません」

「大丈夫ですか!?」とこっちは慌てるけれど、相手はあっさりしたもの。
「大丈夫です。ダメだったらナースルームに行かせてもらいます」

だからわたしたちPC講師のような素人でも務まるのだ。
それ以前の基本的な生活指導をするような施設では、もっと専門知識が必要だと思う・・・・・・



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Chapter 1 肢体障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


『頸損』と『脊損』

『頸損』と『脊損』、よく使われる言葉だろうし、すぐ分かるかと思ったら難しかった。
もともと詳しく書く気はなかった。これは仕事体験記であって、専門知識説明じゃないから。
「簡単に言うとそれぞれはこういう意味であって、違いはこう」とだけ書きたかったのに。

まず第一に「頸損」が、頸椎損傷なのか頸髄損傷なのか、両者はどう違うのかでつまずく。
脊椎損傷と脊髄損傷でも同じことが言えて、そしてきわめつけ、「頸椎損傷と脊髄損傷は同じこと」という説明にはてなマーク。

スクールでは「頸損だから」「脊損だから」が使い分けられているようだったのに、同じこととはどういいうこと?
みんな間違った知識で話しているってこと? いくらなんでも、まさか!

整理してみよう。

背骨の図を頭に思い浮かべると、細かい骨がつながってできている。
首から腰くらいまでのこの骨が脊椎。

脊椎の中に脊髄が通っている。
脊髄からは2本の神経が出ていて、1つは脳の命令を身体に伝える(運動神経根)。もう1つは身体の感覚を脳に伝える(感覚神経根)。

事故が起こって、骨(脊椎)が骨折したりする。
するとすぐ内側の脊髄も損傷を受けてしまう。脊髄が損傷すると、脳との伝達経路が断たれて、麻痺となる。
つまり、脊椎の損傷だけなら麻痺などの障害にはならない。脊髄が無事であるならば。
――ただ、くっついているものなので、実際には脊椎が損傷したのに脊髄が無事ということはないらしい。

これが脊椎損傷・脊髄損傷の仕組みだ。

脊髄は首から腰まであるものなので、長い。
どこを損傷したかによって、麻痺の度合いが異なる。

簡単に言うと、首のところで損傷したなら首から下が麻痺、腰のところで損傷したなら腰から下が麻痺。

ただし、完全にポッキリと切れてしまうとは限らないので、損傷の度合いが少なければ麻痺の度合いも少ない。
――わたしが思い起こしたのは、手に力が入らなくて、棒で入力していた人たち。
手に麻痺があるということは、首に近いところで損傷している。
でも「完全損傷」ではないから、麻痺はあるけれどまったく動かないわけではない。(これを「不完全損傷」というのだそうだ。)

さて。ここまでで「脊椎損傷」「脊髄損傷」の仕組みは終わり。
次のステップを整理してみよう。

首だろうが、腰だろうが全部「脊髄損傷」ではあるけれど、それでは分かりにくい。
それぞれの部位に名前がついている。

頸椎(首)  胸椎(胸)  腰椎(腰)  仙椎(骨盤)  尾椎(尾てい骨)

さらにそれらは細かく分けられ、頸椎01レベルでは呼吸も困難、――02、03、04を省略して――、頸椎05レベルだと腕は僅かに曲げられる、というような具合。
(実際は、頸椎はC、胸椎はT、腰椎はL、などと決まっていて、C1、C2、C3・・・・・・T2、T3、T4・・・・・・という名前。)

そしてこれらの「椎」と「髄」の関係も、脊椎・脊髄と同じ。
頸椎に事故などで外傷ができると、その内側の頸髄も傷ついてしまい、障害が残る。
つまり、脊椎・脊髄と同じで、頸椎だけが損傷したなら麻痺はない。
しかしおおかたの場合、頸椎を損傷すると頸髄も傷ついてしまう。だから「頸椎損傷」といえばほぼ「頸髄損傷」と同義。

一般的には「頸椎損傷」と言っても、障害が残ってしまった状態(頸髄損傷)を指す。

以上。説明終わり。

でも疑問が残る。
わたしが聞いた会話の中では、『頸損』と『脊損』は違うことのような言い方だった。

それについては、あるサイトにこのような説明があった。
上記のような説明を詳しくした上で、「頚損(首をやっちゃった人)や脊損(胸や腰をやっちゃった人)という呼び方もあります。」

これだ!

他のサイトで「脊髄損傷の中で、重症だという意味で頸椎の場合だけ頸椎損傷と言うこともある」とも書いてあった。

便宜のための現場用語だったわけだ。
だから医学的知識とは少し違う使い方をされているのだ・・・・・・




参考
http://www.h5.dion.ne.jp/~ababa-55/ababa_otakebi5.spinalcord_scirehab.sub1.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%8A%E9%AB%84
http://piroweb.com/keizui_04.html



●2年目:いろいろな障害
Chapter 1 肢体障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


「車椅子」とひと口に言っても 02

PCプラクティスではなく、スキルアップ研修のときだったと思う。

「なかなか難しいんですよ、僕はけいそんなんで」と言われた。

何を難しいと言っていたのかは忘れた。
パソコン操作のことではなくて、日常生活的なことだった。
たとえば暑い夏で「暑い中、体温を調節するのは」とか、褥瘡予防のため「手で体を持ち上げるのは」とか、そういうこと。

けいそん?
何だろうと思ったが、わたしの習慣「主要テーマ以外のことには突っ込まない」が顔を出し、そのまま話を続けた。
つまり、「体温調節が難しいから、こういう工夫をしている」とか「手で体を持ち上げられないので、こういうやり方をしている」とか、そこのところについて彼が語るのを聞いたのだ。

で、そのままになっていて、しばらく経ってから、花咲さんと会話しているときに分かった。
前述のスキルアップ研修とは何の関係もない話だった。
「ほら、頸椎損傷の人って、そうじゃないですか」

何がどうだったのかは忘れてしまったが、そのときに「ああ」と納得した。
『頸損』だったのか。

「僕は頸損なんで」と言うということは、他にもあって、それとは違うってことだよね?
しかしその疑問もまた、特に追求することはなく、日々に取り紛れてしまう。

そして後日、「あの先生はせきそんだから――」という言葉を聞いた。
だから何だと言っていたのかは忘れたが、頸損を知った後なのでこれはすぐわたしにも分かった。
『脊損』――脊髄ですね?

なるほど、事故で車椅子生活になった人にも、『頸損』と『脊損』があるわけか。

さて。
またしても「さあ、どうしようかな」とフリーズしてしまい、「さて。」と止まってしまう。

ここまで読んでくださった方としては、「で、どういう違いがあるのか」と言われるのではないかと思う。
でも説明できないので、調べてみた――なんとこの件に関して初調べ。
この仕事の記録を書き始めてから、わたしはずいぶん調べる機会が増えてしまった。

言いわけめいてしまうけれど、普段こういうことを調べないということについて、話しておきたい。
――まあ、つまり、・・・・・・言いわけしたい。

スクールで働いているからといって、必ずしも福祉や介護の知識すべてが必要というわけではない。

このようなある程度の人員がいる場所では、それぞれに職掌と役割がある。
わたしに看護師としての医学・理学の知識は必要ないし、事務としての法律や必要書類の知識も必要ない。

わたしに求められているのは、その障害名が何を意味しているかの知識ではなく、一人一人の状況の把握である。
頸椎損傷だと知らなくても、「手が動きにくいから入力はこうしている」とか「キーを2つ同時に押すのは大変」と教えてもらえばいい。
「キーを同時に押すには、こういう方法がある」と言えたり、「いくつか方法があるけれど、どれが一番あなたにとってやりやすいですか?」と相談できればいい。

詳しく知っていることで、必要以上の感情が顔に出てしまうこともある。
特にわたしはポーカーフェイスが苦手なので。
たぶんわたしは、「普通に接してくれたほうがいい」と相手が考える立場・役割の人間。
だから、知りすぎないことも仕事のうちかもしれない、と最近は思う。
顔に出さない能力があれば、知っているほうがいいのかもしれないけれど。

そういったわけで普段は必要以上に調べることはしない。

今回は調べたわけだけれど、言いわけしていたら長くなったので、それについてはまた明日にする・・・・・・



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■まえがきにかえて(おことわり)■


「車椅子」とひと口に言っても 01

わたしの最初の頃の「車椅子」のイメージというのは、「足が動かない人」という単純なものだった。

もちろんわたしには詳しい等級や症状は分からない。「契約している外部の人」というレベルなので、情報が与えられないからだ。
でも見ていれば分かることもある。
・立って歩くことはないし、足を動かすときは手で持ち上げているから、足は麻痺している。
・手は普通に動かしている。物を持つところを見ると力が入ることも分かる。
・休憩時間などに上半身をひねって運動していたりするから、上半身には障害がないように見える。

でも中には状況の違う人がいて、いろいろなんだなと思わされる。

動かないのではなく、片足がなかった人。
どうして義足でなかったのかは分からない。
もしかしたらまだ作っている最中だったのかも。

どうやら手など上半身も動かしにくいようで、入力するとき棒を使っている人。
車椅子も自走車椅子ではなく電動車椅子になる。

足を曲げられないらしく、伸ばした状態で車椅子に座っている人。
この方は机に座るのが難しいかもしれない。
PCルームにやってきたときは、「大丈夫ですよ」とそのまま使っていた。
――PCルームの机はかなり広々としているのだ。

わたしをスクールに紹介してくれた水上先生も車椅子を使っていたけれど、歩くこともできた。
長時間立っていたり、歩いたりはできないので、自分の部屋を出るときは車椅子。
でも研究室内や、自分の家の中で少し動く程度は、歩いていた。
水上先生は足だけの麻痺ではないので、電動車椅子だ。

Part 1で書いたが、横になれそうな重装備の車椅子に乗っていた人もいた。

脳性まひで電動車椅子に乗っていて、話や入力は普通にできる人もいた。

原因も違う。
最初の頃出会った車椅子の人は、事故が原因という人がほとんどだったようだ。
今でもやはり交通事故やその他の事故で負った損傷が原因ということは多いだろうけれど、病気の場合もある。
事故ではないけれど、病気というのとも違う――たとえば、何かの薬の副作用とか、そういうこともある。

「肢体障害といってもいろいろある」
そして、「車椅子といってもその中にもいろいろある」。

さて。
本当はここで、「このように分類できます」と体系図でも示せればいいのだろうが、専門でないわたしには手に余る。

これは知識を得ていただくためのブログではなく、体験談だからと割り切ることにする。
つまり――

ここで筆をおかせてもらいます・・・・・・



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■まえがきにかえて(おことわり)■


部活動

前回部活動についてちょっと触れた。

就職が決まったらその時点で卒業になるけれど、基本は1年コース。
学校みたいに部があって楽しむことができる。

入所は年に10回弱あり、そのときそのときで入所人数にばらつきがある。
PCプラクティスは入所してすぐに行われる。
PCプラクティス時期は、お互いに新入生同士、なんとなく連帯感がある。

数日経つと、既にだいぶ通った人と友達になったりする。
そういうときは、休み時間は廊下で話していたりする。
ときどき、受講していない人がPCルームに入ってきて話していたりする。
今は先輩の彼らも2ヶ月前、あるいは半年前にこの教室でPC講習を受講しているから、勝手知ったる教室なわけ。

PCプラクティス時期は入所すぐなので、まだ部に所属していない人への勧誘を目撃したりする。
学校みた~い、となんだかわたしもわくわくする。

「だから、バスケやりましょうよ。楽しいですよ」
と若い人が年上の人を誘っていたり。
逆に年上の人が若い人を誘っていたり。
「××くんも写真部に入ろうよ」

お、写真はちょっと興味あるぞ、わたしも。

「**さん、写真部なんですか?」と割って入ってみる。
「あ、そうなんですよ」
「へえ~。どんな写真を撮るんですか? 部で撮影に行ったりもするんですか?」
「この前、休みの日にどこどこ植物園に行って撮りましたよ」
「どこどこ植物園!? あそこは広くて季節の花がたくさんあって楽しそうですね~」
「楽しいですね~。だから××くんも入れって誘ってるんですよ~」

××くんは苦笑している。
たぶん全然写真に興味がないのだろう。あるいは部活動に興味がないのかもしれない。

車椅子の人に人気の部活動は、ウィルチェアバスケとウィルチェアラグビーのように見えた。
正しくは「ウィルチェアーバスケ」と表記するのだろうけれど、会話で聞いていると「ウィルチェア」と聞こえるので、ここではそのように表記する。

スポーツじゃない場合は、写真だったり生け花だったり、それぞれだったようだ。

後年はなぜかあまり部活動の話を聞かなくなったが、働き始めたばかりの頃は皆さん部活動に熱心だった。

ウィルチェアバスケだったかラグビーだったかの模範試合を、年に一度の学校祭で見たことがある。
一度はPCプラクティスに通った人たちなので、どの顔も見覚えがある。
意外な一面を見ているようで、面白かった。

そのうちに気づいた。
――あれ? あの人は車椅子だったっけ?

そうしたら、試合後に司会の人が説明していた。
「××さんは聴覚障害で車椅子ではありませんが、部に参加しています。
健常者であってもルールに従って車椅子を使えば参加できるので、興味のある方はぜひ――」

そうなんだ!

部活動をしている姿というのは普段見ることが全然ないので、学校祭のような機会に見ると新鮮だ。
第二の学生生活みたいで楽しそうだった・・・・・・



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■まえがきにかえて(おことわり)■



金髪の若者

彼はまだ若くて19歳、車椅子で生活している――
それだけの説明だったら、どんな若者を想像するだろう?

わたしは勝手なイメージで、頑張ってる若者を想像してた。

でも、もっと長く説明すると・・・・・・
 彼は金髪に染めている。
 講習中はずっと寝ている。
 まともにテキスト通り操作したことはない。
 科の先生が様子を見に来ては、彼を起こす。
 ――講習中なので低い声できつく注意する。
 それでも彼は、先生がいなくなると、また寝る。

いずこも同じだな~と実感させられた。
いろんな人がいて、いろんな性格や考えがある。

接する機会が少ないので、テレビや雑誌の感動実話ふうのものしか知らなかったわたしなんかは、障害がありながら生きている人はみんな感動的な人たちばかりと思ってしまいがち。
彼らに苦労がないという意味ではないし、それを乗り越えることが感動的でないと言っているわけではない。
うまく言えないけれど、そういうふうに「感動的な人たち」と十把ひとからげに思うのは間違いだと気づかされた。
それぞれに個性や性格や違いがある人間だと認識すべきだと思った、ということ。

この仕事を紹介してくれた水上先生のことは、知り合いなので『障害者』と思ったことはなく、そういう特性のある個人と受け止めていたと、はじめの頃の記事に書いた。
でも結局、水上先生以外はわたしも『障害者』というくくりで捉えていたのかもしれない、と痛感した最初の出会いだった。

「男(女)ってこうだよね」「××県の人ってこうなんだってね」なんて言っても、一人一人と知り合ってみるといろんな人がいる。
分類ごとに「こういうところが多い」という傾向はある。
「障害がある」ということは、苦労が多いと思う。
だけど一人一人と知り合うと、健常者がそうであるように十人十色なのだ。当たり前か――。

ボランティアをしたり、福祉の現場で働いたりしている人には、何を今さらってことかもしれない。
別に福祉関係でなくても、そんなことを言われたら何を今さらって思うかもしれない。
でも「障害者の施設で働いている」とわたしが言うと、「えっ、素晴らしいですね」と目を潤ませる人もいる。
それも現実なのかな、と思う――

金髪でずっと寝てる車椅子の男の子は、終わり近い時間になるとちゃんと起きる。
寝過ごしたことはない。

彼はわたしたち講師には不愛想だけど、仲間同士では話しもするし、笑いもする。
それは当然か――。

そのときのPCプラクティスには、車椅子の人が何人かいた。
彼よりもう少し年上に見える人や、さらに年上に見える人。
彼はそういう人たちとも仲良くしている。
席が離れていても休み時間になると一緒に話している。

彼らの車椅子は黒フレームで見た目もよく、マスコットをつけている人もいた。
後ろのフレームに、いつも同じ小さなぬいぐるみがついている。
まるで幸運のお守りみたいに。
ペットボトルを車椅子のペットボトルホルダーに入れていて、ベランダの喫煙コーナーに出て飲んでいる。(教室内は飲食禁止だから。)
煙草を吸いに行く人もいたのかも。

名簿を見たら違うコースの人もいるのに、なぜそんなに仲がいいのかと思ったら、バスケ部なのだそうだ。
車椅子バスケの部活をしている仲間だった。
『スポーツチームの仲間うち』って感じで、楽しそうだった。

その輪の中に、金髪の彼もいた。楽しそうに。
「生徒同士では明るくしてても、先生には仏頂面の高校生」みたい。そういう意味では普通だな・・・・・・




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■まえがきにかえて(おことわり)■


車椅子の人たち

「肢体障害」と一口に言っても、実はいろいろな障害状況がある。

義足や義手の人も肢体障害。手などが麻痺していて動かない、動きにくい人も肢体障害。
杖を使って歩いていても、車椅子でも肢体障害。

なんだけど、わたしにとっての初めての「肢体障害」というと車椅子の人たちだったので、まずは車椅子の人との出会いについて思い出していこうと思う。

車椅子――というと、頭に浮かぶのは、病院で使っているようなものだった。
けれど、こうしてスクールでいろいろな車椅子を見ていると、そんなのはほとんどないと分かった。

特に最初の頃に出会った人たちは、車椅子バスケをやっている人が多く、スポーツ車椅子だった。
これはかっこいい。
車輪の部分が斜めについている。
つまり、ハの字型になっている。

全体が黒で統一され、タイヤのところに黄色く筋が入っていたりして、高価なスポーツシューズのような印象のものもある。

素人としてパッと見たイメージでは、スポーツ車椅子がほかの車椅子と違うところは以下の点。
・タイヤがハの字型についている
・少し低めでコンパクト

つまり、普通の車椅子よりもなかなかかっこよくできている。
そんな銀色鉄パイプむきだしの、布地部分にチェック柄がついているようなものではないってこと。
――わたしの想像って古いんだよな、と自戒。

車椅子の人たちは、持ち手のところに手をついて、手の力でよく体を浮かせている。
床ずれを防ぐためらしい。
ずっと同じ姿勢で同じ場所に力がかかると、そこに褥瘡(じょくそう)ができてしまう。
寝たきりになるとできやすいから注意が必要なものだけれど、ずっと座ったままでいる車椅子の人たちもできやすいのだ。

一度できてしまうと、治すのも大変なので、できないように予防しなければならない。

なぜかPCプラクティスは100分やって10分休憩、また100分やってお昼、という長丁場。
なので講習中もときどきこの上体浮かしをやっている。

これはもちろん、足だけに障害が出ている場合で、手にも麻痺がある人はなかなかできないが。

最初の頃わたしがよく見たのは、上半身だけに障害のある車椅子の人だった。
だから皆さん腕の力があって、自分を持ち上げることはもちろん、車椅子用のスロープを漕いで登ってきたりして、驚かされた。

車椅子にたくさんのマスコットをつけている人も多かった・・・・・・



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Chapter 1 肢体障害

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このPartへのまえがき

●2年目:いろいろな障害


実はわたしは、この仕事を始めて10年近く経っても、やっぱり素人のままである。
障害について、ほとんど何も知らない。

たとえばある受講者さんの情報を与えられて、「聴覚障害で1級です」と言われても、それがどのくらいのものか分からない。
いったい何級まであるのかも、数字が少ないほうが重いのか、大きいほうが重いのかも、知らない。
「どっちなんでしょうね」と誰かと話したことはあった気がするけど、調べもせずそれっきり。

それでいいとも思ってる。

ここは公的な機関も絡んでいて、そういうところは階級社会。
最初から正規採用で入ってきた人たちは、知識も要求され、成長も求められるけど、わたしなどは違う。
わたしどころか、他のもっと重要な仕事に就いている人だって、非正規雇用の人たちはあくまでも非正規雇用。
将来この組織をしょって立つことなんてありえないから、そんな深い知識も求められないのである。
いや、むしろ、「このやり方はおかしい」とか「こんなやり方はこれこれこうで、障害者のためにならない」なんてうるさいことを言われるほうが困る。

「専門知識を求められない」というより、逆に役割に見合った能力・知識に留まることを求められる。

というわけで、わたしは素人。
でもこれは、福祉を語るブログではなく仕事体験記だから、あえていろいろ調べないことにして始めた。
会計事務所のことを語った章で、決算や税法など何も知らないまま語っていたのと同じ。

――なぜ、こんなにくどくど、前にも言ったことを述べているかというと。

いろいろな障害について語り始めようとしたら、結構難しいと分かったのだ。
間違っていることもあるかもしれないし、説明が不充分、あるいは不適切なこともあるかもしれない。

「これは素人体験記ですから、鵜呑みにしないでね」ともう一度言っておかねば、と思ったのである。
さらに「気楽に楽しんでもらうためのものなので、専門知識を知りたい人は期待外れかもよ」と念を押し・・・・・・
「もしちょっとなんかなぁ~ってところがあっても、どうぞ大目に見てくださいね」とお願いし・・・・・・
みたび「どうぞ大目に見てくださいね」とお願いしておこう、と。

思ったのである。

それでも「これは調べなくては」ということもあり、少しは調べた。
おかげでわたしの知識も飛躍的にアップした。――もとがゼロに近かっただけに。
それについては参考サイトなどを載せておくことにした。

ただ、福祉そのもの、障害者そのものにそれほど興味のない方は、そういうところは飛ばして、気楽に読んでいただきたい。

というわけで――

こちらは体験記のため、詳しい説明がなかったり、正しいあるべき解説がなかったりするかもしれません。
深い専門知識がある方、また日頃からこういった問題について深く考えていらっしゃる方には、ご容赦いただきたいと思います。

こちらに載せた参考サイトは、興味のある方だけどうぞ。
見なくても先の記事を読んでいただくのに影響はありません。
なお、参考サイトの内容が100%正しいとは、わたしのレベルでは判断できません。
参考としてご覧ください。

また、専門知識がある方、深い関心がある方は、この点もどうぞご容赦ください。

以上、このPartへのまえがきとさせていただきます。



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●2年目:いろいろな障害

●2年目:いろいろな障害



「実は皆できる」

最初の年、自分のイメージがどれだけ貧困だったかを、つくづく考えさせられた。
途中から入ったから、最初の年といっても半年だったが、半年で充分だった。

最初の回から、自分が思っていたものとは違っていた。
わたしが描いたイメージは、たとえばTVのドキュメンタリーなど、ごく限られた情報から想像したものだ。
でもそういったドキュメンタリーは、氷山の一角。ほんのわずかな部分で、もっとたくさんのさまざまなレベルの、さまざまな人たちがいるのだった。

言い訳をすれば、10年前は今よりも情報が少なかった。
街中で障害者を見かける数も少なかったし、普通校に通う障害者もいなかった。障害者が働いている職場も少なかった。
――まあ、それは言い訳にしかならないけど。

そういえば学生時代、工場で基盤の組立作業をしていたとき、少し離れたところに車椅子の男性がいた。
ある女性が「××さんはすごいのよ。私たちには難しい仕事もできちゃうんだから。技術はここで一番よ」と言っていた。
思い返せば、あの男性は普通に働いていたわけだ。
――わたしの漠然とした空想の、全身が麻痺して動きもままならない人ばかり、というのはそりゃおかしい。

それに一度、まさにわたしの漠然とした想像の人かというくらい、麻痺がある男性がPCプラクティスに来ていた。
どのくらいの重度に当たるのか分からないが、車椅子は相当大きく重量感のあるものだった。
首も回しにくそうだった。よだれを止めるためのタオルが、いつも首のところに置かれていた。
――それでもパソコンを使っていたし、わたしのフォローなんて必要なかった。

「障害者が通うところ」と言われて、わたしはなんとなく、身体障害の人たちがたくさんいる様子を思い浮かべていた。
車椅子だけど、明るく前向きに頑張っている人たち!・・・・・・みたいな。
ああ、言いたくないけど、そんな今となっては恥ずかしいような意識もあった。

けれども、よく考えてみれば、耳や内臓に障害があったりするのも「障害」だ。
そういう人たちは車椅子に乗ってなどいないわけだ。

聴覚障害の人たちに苦労がないかと言えば、もちろんある。
内臓障害の人たちにも、精神障害の人たちにも、それ以外の障害の人たちにも、それぞれの苦労がある。
同じ障害だって、程度やタイプによって、苦労の程度やタイプも違う。

そして身体障害だろうと、他の障害だろうと、皆が感動的な天使というわけじゃない。
健常者にいろんな性格の人、いろんな考えの人がいるように、障害があったって個性や価値観はそれぞれなのだ。

誤解する方はいないと思うけど、わたしは「苦労がない」とか「前向きに頑張っていない」とか「感動するほどのことじゃない」と言っているのではない。
一律に「障害があっても頑張ってるなんて、天使」と、型にはめこむのはどうかということだ。

それって、「女性なんだから当然素直で優しいはずよね」と言われるのと同じことだ。
あるいは「男性なんだから当然スポーツ好きで、車や家電が得意でしょ」ということと。

車椅子でも、金髪でピアスつけてて授業といえばいつも寝てて、注意されたら反抗的な態度の、高校生みたいな男の子もいた。
やたら偉そうに周囲の仲間に説教ばかりしているので、あまり好かれていない人もいた。
頑張ってたって、頑張りきれない日もあるし、前向きになりきれないときもある。

でも皆、できる。
勝手な想像で思うより、ずっと能力があって、頭が良くて、いろんなことができるし、いろんなことを楽しんでる。

障害によって苦労があったり、不利益をこうむったりすることはある。
それらについて理解することは必要だけれど、対等につきあえないわけじゃない。

だけど今は、社会にたくさんの障害者が出ていて、理解も進んでいる。
社会は少しずつ進んでいると思う。

それでもやっぱりまだ変わっていない部分もある。

最初の記事でも語ったが、あるところに単発の仕事で行き、よく聞かれることながら「普段は何をしているの?」という話になった。
「障害者の方にパソコンを教える仕事をしているんです」
これに対する相手の反応は、目をみはって、「そうなの!?」というものだった。
TVでドキュメンタリーを見て、何だかの障害のある女の子が、頑張って生きている様子に感動したのだそうだ。
「障害ではない、個性だと思っているって、言っていて――」
と、涙ぐまんばかりの勢い。

もちろんその女の子は、さまざまなことを乗り越えて頑張っているんだと思う。
素晴らしいと思う。

けど、わたしが「障害者に関わっている」と聞いただけでその反応は、やはりまだまだ「障害者というのは特別な存在」なのだと思った。

さらに何年も後になって、そのとき働いていた会社に障害者が雇われることになった。
障害者の施設から、たぶん知的障害の人が代わる代わる試験的にやってきた。
お互いに相性が良かった人を一人、雇おうという計画だったのだ。

わたしの隣の席の女性は、雑用で郵便物などを届けに試験雇用の人がやって来ると、後から必ず言った。
「頑張ってるねぇ。見ていると心が洗われるようだよねぇ。ピュアっていうかねぇ」
「彼らには悪い感情なんて、これっぽっちもないんだろうねぇ。なんかいいよねぇ」
「一人しか雇ってあげられないなんて、可哀想だよねぇ。決める人事の人たちも辛いだろうねぇ。あんなに頑張ってるんだもの、皆雇ってあげたいよねぇ」

頑張ってるだろう。
緊張しているだろうし、努力しているだろう。
全員雇われて、ずっと頑張って働けるなら、こんな素晴らしいことはないだろう。

でも――彼らだって人間だよ?
天使じゃない。

特殊な存在じゃない。同じ人間として対等につきあえる存在だ。
いろいろな意味で、絶対に理解と配慮は必要だけどね。

社会が受け入れるって、そういうことじゃないかと思うのだ・・・・・・



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