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マルファン症候群

とても珍しいスキルアップ研修があった。
「タイピング入門」。

わたしがインストラクターになりたての頃は、「ブラインドタッチができなくて」という人がまだ結構いて、タイピングの講座もときどきあった。
スクールに入ったのはインストラクター歴6ヶ月のときだったから、1、2度タイピングのスキルアップ研修をした。
そして今書こうとしているのが、3度目で最後の「タイピング入門」となった。

受講者さんは3名。

2人は聴覚障害で、同じ事情で同じ会社から来ていた。
彼らは製造だったか印刷だったか、工場のラインのような感じの仕事をしていた。
たぶん長年やっていて、技術も高くなっていたのだろう。製造現場では、かつてよく聴覚の人が雇われていたらしい。基本的には同じ作業の繰り返しで、指示を頻繁に伝えなくていいからだ。

しかしやがて時代の流れで製造ラインの仕事が減ったからと、パソコン技術習得に送られてきた人もいた。
今回の2人は定年を迎えるのだそうだ。

定年になっても、同じ会社で嘱託として働いたり、他の会社に再就職したりして働き続けるのが、昨今の定番だ。
「彼らはパソコンができないのに、定年後仕事があるだろうか? 体力だの視力だのは年と共に衰えて、体を使う仕事は難しくなるというのに」
そう心配した会社だかソーシャルワーカーだかが、2人を送り込んできた。

なにしろもうすぐ定年の年で、ほぼ初めてパソコンをするという2人だったので、想像どおり難しかった。

この聴覚の2人と、もうひとり、男性が来るということだった。

「この方は『まるわん』なんだそうです」
と花咲さんは始まる前に教えてくれた。

まるわん何かの略称?

「初めて聞きました。どういう障害なんですか?」
「わたしもよく分からないんですけどね。今はキーボードを打つとき画面を見るから、姿勢が悪くなるんだそうです。
それは体にとてもよくないから、なるべく画面を見ずに打てるようにブラインドタッチを覚えさせてほしいっていう、担当の方の希望なんです」

ますます「?」である。

ブラインドタッチを覚えさせてほしいと希望している人は、なんとなくソーシャルワーカー的な担当者という印象を持った。
正式な名称をなんというのか知らないが。

その人が本人と会社の担当者にアドバイスして、会社が有給で研修に行かせることにした。
もしその想像が正しいなら、「姿勢が悪いと体によくない」というのは、一般的に「体によくないよ」というのより、深刻なことかもしれない。

とにかく『まるわん症候群』とやらを一度調べてみよう。

事前情報といっても、これは第1日目の朝聞いた。
その日はとりあえず普通にブラインドタッチの基本を説明して、練習をしてもらった。
確かに指が長かったので、小指などが使いにくければ薬指でもいいかもしてない。
手探りでそういう相談に乗った。

その日、家に帰ってインターネットで『まるわん症候群』で検索してみたら、「マルファン症候群」だった!

マル「ファン」だったのかぁ~!

症状は心臓や呼吸器や大動脈などに及び、程度や出る症状は人によって幅があるそうだ。
特徴的なのは手足が長い、指が長い、高身長の人が多いことらしい。

猫背や側弯症が深刻になる場合もある。側弯症とは簡単に言うと、背骨が曲がる状態らしい。
高い身長だから、机の上のパソコンモニターを見たり、手元のキーボードを見たりするためにかがむようになる。
そうすると側弯症の悪化などにつながるから、「身体に悪いからブラインドタッチを」という意味だったのだろう。

ただ、指が長いためキーボードに収まりきらない。
薬指や小指など、とても窮屈そうにキーボードに置いていた。
健常者でも、中高年からパソコンを始めたばかりの男性は、「指が窮屈」と言うことが多い。
男性でまるわん症候群なのだから、この人が大変なのは当然だ。

そもそもブラインドタッチを数日間で覚えようというのは、かなり難しいことだ。
朝から晩までやっていて上達するものでもない。毎日継続して長く続けることが重要なのに。

結果は散々だった。
わたしにとってはかなり悔いの残るスキルアップ研修になった。

それはまた機会があったら語ることにする。

それよりも、このときわたしは初めて「マルファン症候群」という言葉を知った。
遺伝子の欠陥によって、症状が出る。
両親の片方がこの病気の場合、子に遺伝する確率は50%だそうだ。
しかし両親ともこの病気の因子を持っていなくても、突然変異的に生まれることもある。

大人になってから症状が自覚され、病院でマルファン症候群と診断されることも多い。30代以降に分かることも多いとか。
――ある日突然、「あなたはこんな病気です」と言われるわけで、衝撃も大きいと思う。
「夫がマルファン症候群と診断されました」と綴っているブログだったかコメントだったかも見た。
遺伝によってマルファン症候群となった人の中には、「親に生んでほしくなかった」と言っている人も多かった。

そうして見たいくつかのサイトの中に、マルファン症候群の女の子のブログがあった。
まだ高校生で、大きすぎる身長に悩みも抱えていて、高校生らしい悩みもあって、たくさんのコメントが書き込まれていた。
このスキルアップ研修が終わってからもしばらく見続けたが、更新が止まってしまった。

先日、久しぶりに更新されているのを見つけた。
手術で側弯症も改善され、とても大人びて昔の自分を客観視していた。
良かったな、と思った‥‥‥



●2年目:いろいろな障害
Chapter 5 その他の障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


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エイズ

ある日のことである。

PC実習室に一人残っていたら、白鳥さんがやってきた。
白鳥さんというのはレギュラースタッフさんで、PCプラクティスの担当もしていた。
もちろん他にもお仕事はたくさんあって、お若かったがレギュラーさんだったので、テンポラリーさんやアシスタントテンポラリーさんを従えて業務をこなしていた。
ご本人はとても優しげなおっとり見える方なので、「従えて」とは見えなかったが。

わたしはたぶん、スキルアップ研修の後片付けをしていたのだと思う。
もう受講者さんは帰っていて、実習室にはわたししかいなかった。

白鳥さんの他に2人ほど、かり集められたらしい人がいた。

白鳥さんはわたしに言った。
「ちょっと作業をさせていただいてもよろしいですか?」
「はい。もう作業は終わりましたから。お邪魔してすみません」

「じゃあ、前から始めましょうか」
「私はこちら側から始めます」
白鳥さんと他の2人の方たちは、キーボードに薄いカバーをかけ始めた。

カバーはなかなかよい品のようで、脇のところでぴたりと留められて、次々とかけられていった。
かけたところは消毒アルコール綿のようなもので拭かれた。

まあ、飲食禁止と言ってはいる教室だけれど、万一のことがあってキーボードが壊れたりしても困るから、大切なことだ。
でもずいぶん遅まきながらという感じ。だって、このキーボードになってもう何年か経っているもの。

「カバーをかけるんですか?」
「そうなんですよ」
わたしには何も手伝えることはなさそうだったので、帰ることにした。

わたしが次にその教室を使ったときには、全部のキーボードにカバーがかかっていた。

このカバー、実は非常に不評だった。
この頃、美和先生は出産と育児でスクールからいなくなっていて(のちに戻ってきたけど)、久慈先生と仕事をしていた。

わたしも久慈先生も、何かというとこのカバーの不満を訴えた。
「これ、やっぱりどんなに薄くても、使いにくいようなんですよね」
「指の力が少ない実習生さんなんかは、カバーがあるととても苦労されてます」
「自分では打ったつもりが届いてなかったりするから、それをBackSpaceするのもまたひと苦労で」

でも「そうですよねぇ。すみません。決まりになってしまっているので、申し訳ありません」。

「これ、だんだん浮いてきちゃってるんですよね。余計にやりにくくなってしまって」
「片手で、おもりを使ってShiftキーやCtrlキーを押している方なんかは、置いても全然だめ」

でも「使いにくいですよねぇ。なんとかできるといいんですけど。買い換える予算もなくて」。

講師用のパソコンは、カバーがあると入力しづらいので、すぐに勝手に取ってしまった。
説明から何から、聴覚の人用に全部入力するっていうのに、やってられない。
――でもさすがに白鳥さんに「取っちゃいましたよ」とは言わなかった。

1年経ち、2年経ち、もうカバーは浮いて浮いてどうしようもなかった。

やりにくいと思ったスキルアップ研修の受講者さんなど、勝手に取ってしまうので、なおさら浮くようになる。
スキルアップ研修の受講者さんなどはスクールの人ではないので、取ってしまったものをまたつけて矯正するのははばかられる。

PCプラクティスでも、「このカバーがあるから、おもりを置いてもうまくいかないんですけど」と言われると、他に解決策がないので「じゃあ取ってしまいましょう」と取るようになった。
PCプラクティスでも勝手に取ってしまう人が増えた。

勝手に取ったものは、また講習の終わりにつけるのだけど、取ったりつけたりしているので粘着も弱くなる。
ますます浮くので、ますます使いにくくなり、ますます取ってしまう人が続出。その悪循環。

そうこうしているうちに、ずっとはずされたままになるマシンも出てきた。
「あ、こんなところに置いてあった」「なんだここにカバーがまとめてあったのか」

教室内はカバーがあるマシンとないマシンが混在している。
それでもなお、はずせない。
「はずしていいですか?」と聞けば、「どうだろう。確認してみますね」とかになって、結局はそのままに違いない。

白鳥さんはもう異動しちゃって、このスクールにはいないっていうのに。

あるとき、PCプラクティス担当の上級マネジャーも事務のテンポラリーさんも変わると知って、わたしはこっそり全部のカバーを取り払った。
取ったカバーは、まとめて実習室内のキャビネットに入れた。

誰にも何も言われなかったし、たぶん誰も気づいてさえいなかったと思う。

ホントに、せいせいした!

そして全然関係のないところで、わたしはこのカバーの意味を知ったのだった。
皆さんが話しているのを横耳で聞いたのだ。

来月からエイズの人が入ることになるというので、カバーをつけたらしい。
その人は実習生さんなのだから、最長一年しかいなかったはずだが、つけられたカバーをはずす決断は誰にもできないのだろう。

やれやれ――

もちろんスクールの人は分かってる。――分かってると思う、当然。
パソコンにカバーをつけたからって、HIV感染を防ぐことに効果があるわけじゃないってこと。
つけたカバーを消毒用アルコール綿で拭いたからって、それが感染防止になるわけじゃないってこと。

もちろん分かってる。
そもそも同じパソコンを使ったからって感染するものじゃないってこと。
そんなふうに偏見を持たれるのが、本人にとってとてもストレスになるってこと。

だから入ってくる前に作業した。まるでずっと前からカバーをしていたかのように。

スクールの人たちは分かっていたけど、でもカバーをかけた。
他にも何か対策をしていたのだろうと思う。あまり意味のない対策を。

でも分かっていてもやらなければならないときがあるのだ。こういう組織では。
たまたま同時期に通っていた誰かが、たまたま神経質なところがあって、なぜかたまたまそのことを知ってしまったとき。
そしてその人が「どういうことですか!?」と目くじらを立てたとき、「できるだけの対策はしました」と言うためのもの。
もしかしてどこかからこのことが洩れて、万が一マスコミなんかが面白おかしく「もし感染なんてことがあったらどうするつもりだったんですか!?」と問い詰めてきたら、「当方としても通っていた方々の安全を守るためにできることは、全部したんです」と言うためのもの。

それは仕方のないことだ。
身を守るためにやらねばならないことってある。
そしてわたしたちのような知る必要のない者には何も言わずに、実習生さんの居心地の良さを守ったのだ。

今、内部障害を調べてみたら、そこには「ヒト免疫不全ウィルスによる免疫機能障害」という項目があったから、その人は「内部障害」だったのだろう。

もうカバーは取ってしまったから、わたしに文句はない。
また次にエイズの人が入ることになったら、またそのとき改めて防備が確認されるだろうし、と思っていたが、PCもふ古くなって、交換された。
もしカバーを残していても、新しくなったキーボードには合わない形だったから、はずすしかなかったろう。
だからわたしは、気が咎めることもない‥‥‥



●2年目:いろいろな障害
Chapter 5 その他の障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


酸素ボンベ

内部障害のことを初めてちょっと調べてみて、その中に「呼吸器機能障害」があることを知った。
疾患などによって肺呼吸がうまくいかなくなるらしい。

症状を安定させるために、酸素療法、薬物療法、吸入などの方法があるようだ。
近年、HOT――在宅酸素療法が取り入れられているそうだ。
携帯用酸素ボンベから酸素を取り入れることで、日常生活の息苦しさが改善されるという。

――そういえば、酸素ボンベの人を見た!!

一番最初に見た酸素ボンベの人は、呼吸器疾患だったのかどうか分からない。
以前に書いた。
「意識して呼吸しないと止まってしまう。だから夜は人工呼吸器をつけて寝る」という話を聞いた。
そう思うと、やっぱり彼は呼吸器機能障害だったのかな。

とすると、わたしが「最初に見た内部障害の人」と思っているのは、2番目の話なのかもしれない。

それからもう一人、酸素ボンベを持ち歩いている人がいた。
この人もPCプラクティスで見た。

そのときは、PCプラクティス新人の五ヶ瀬先生、進行役デビューの年だった。
「新人といってももう3、4年はやってるし」ということで、「交代でやりましょう」とわたしから提案した。

最初だから五ヶ瀬先生は、うまく説明と入力を同時にできないときもあった。

で、この酸素ボンベの人が、「だからさぁ、講師は2人いるんだから、もう一人が要約を入力すればいいんだよ」とクラスメイトに話しているのを聞いてしまった。
廊下で話していたのだけど、わたしもちょうど廊下に出たので、聞こえてしまったのだ。
――そんな設備になってないんだって!

この人は悪気ではなく、「これこれこうなんだよ」とつい仕切ってしまう男性というだけだ。
わたしたち講師に嫌な態度をとるわけじゃなかった。
仕切るタイプということは裏を返せば面倒見がいいということで、クラスメイトとも仲良くしていた。
入校してまもなく学校公開があったが、まるで何年もいる人みたいに自信を持って、一般客の相手をしていた。

そのときは酸素ボンベを持っていたと思うのだ。

廊下ですれ違うときも、彼はいつも酸素ボンベを引いていたので、それも大変だなとよく思っていた。
――いや、勝手な想像だ。こういうのは控えなければ。

とにかく常に酸素ボンベを携帯して、鼻のところにチューブがあったのだが、あるときすれ違ったらふと気付いた。

――酸素ボンベがない!

どういうことか、謎のままだ。

呼吸機能障害の説明を見て推測するに、状態が安定したから酸素ボンベが必要なくなったのかな?
吸入器とかに変わったとか?

まあ、そういうことは、親しくても安易に聞いてはいけないことだ。
今回内部障害について調べたとき、障害者接遇マニュアルに書いてあった。
「原因の病気などを安易に聞いてはいけない」と。

そのマニュアル、またその他のところでも、内部障害は見た目で分からないので苦労が多いと書いてあった。
たとえば電車で優先席に座っていると、「元気そうなのに」という目で見られるとか。
小腸機能障害のため食事に制限がある人が、宴会で飲食を強く勧められるとか。
HIVの人にとっては、宴会の回し飲みの際、「僕は悪い病気は持ってないから大丈夫だよ」という冗談もストレスに感じるとか。

そういう意味では、酸素ボンベは「見た目で分かる」かもしれない。
でも逆に、目立つので、人目が気になって外出にストレスを感じたりするそうだ。

ずっと持ち歩かなきゃならないから面倒だろうし、階段しかないところとか重そうだしね。

内部障害というのも、苦労の多いものらしい‥‥‥



●2年目:いろいろな障害
Chapter 5 その他の障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


内部障害

いろいろな障害の人が短期間だけ集まるスキルアップ研修。

車椅子の人、杖の人、片麻痺の人、手が麻痺している人、弱視が進んで白い杖を持っている人、聴覚の人。
それから、見ているだけでは分からない障害の人もいる。
――たとえば精神障害とか、内部障害とか。

どうしてか分からないけど、見ただけでは分からない障害の人がいると、「彼は何の障害?」と聴覚の人によく聞かれる。
まあ、わたしの経験は専門家のように多くはないので、統計的にどうかは語れない。
「聴覚の人と見た目で分からない障害の人が同時にいた」という状況の回数も不明。
分母がはっきりしないのでなんとも言えないが、5、6人くらいには聞かれたと思う。

確かに内部障害の人は、全然分からない。
身体に不自由がありそうにも見えない。どうも精神や知的な障害がありそうにも見えない。

わたしが出会った内部障害の人は、それほど多くなかった。

最初の一人はPCプラクティスに来ていた人。

わたしたちに伝えられる情報は名前くらいのもので、担当事務の人や担当マネジャーの意向で障害名がつく年もある。
 東京 太郎 聴
 千葉 次郎 肢
 埼玉 三郎 精
とか。
そこに見つけたのだ。「内」の文字を。

最初は「内って何だろう?」と不思議に思っていた。
当時一緒にやっていた先生――たぶん久慈先生と、「内って何でしょうね?」「内臓?」「内臓障害かもしれませんね」などと話していた。

かなり後になって、「自分は内部障害なので」というセリフを聞いて、「内部だったのか」と知った。

けれど具体的にどういう症状が内部障害なのかは、想像がつかない。
わたしに「内部」という言葉を教えてくれた人は言っていた。
「自分は腸の障害なので、授業中頻繁にトイレに行くことがあるかもしれない。迷惑をかけるかもしれないがよろしく」と。
なるほど、そういった内臓による何らかの支障があるのだな、と思った。

ただ、これでは「何が何やら分からん」という状態で記事が終わってしまうので、一応調べてみた。
簡単に記すことにする。

内部障害は7つの種類があるらしい。

●心臓機能障害
薬物療法、手術、ペースメーカーなどの適切な治療で症状はかなり安定するとのこと。
でも動悸、息切れ、疲れやすい、他の病気になりやすい、風邪をひきやすいなどの特徴があるようだ。

●呼吸器機能障害
肺結核後遺症、肺気腫、慢性気管支炎などによって、肺呼吸が不十分。
慢性的な呼吸困難、息切れ、咳の症状があり、いつも息苦しい状態。だから階段の上り下りなども苦しい。布団の上げ下げなども息苦しい。
酸素ボンベを持ち歩いている人も増えたとのこと。
――じゃ、わたしが2、3回見た酸素ボンベを引いてる人って、これだったのかな?

●腎臓機能障害
日常生活上それほど困難はないが、疲れやすいという特徴がある。
食事、薬物、運動などで改善できない場合は、透析。透析になると時間的制約が大きく、かなり大変。

●膀胱・直腸機能障害
排泄機能が妨げられるらしい。具体的にどのように妨げられるかは、人によって様々のよう。

●小腸機能障害
小腸機能の低下または喪失により、栄養の維持が困難になるもの。
食生活にかなりの制限があるとのこと(経口摂取できないとか、絶食とか)。

●ヒト免疫不全ウィルスによる免疫機能障害
つまりエイズウィルス。HIV感染のこと。

●肝臓機能障害
平成22年4月から障害として追加されたらしく、詳しいことが見つからない。

内部障害の場合、見た目で分からないので苦労することが多いとあちこちに書かれていた。
実際、腸の障害だと言っていた人も、そういうことを言っていた。
「必要があって頻繁にトイレに行くと、サボっていると思われる」

そこでハートプラスというマークができた。
マタニティマークと同じような感じ。

えーと。
調べてみて思ったこと。

――もしかして、わたし、思ったより内部障害の人と出会ってるかも?

やっぱり、内部障害って外から見ると分からない‥‥‥




参考URL
http://www.city.hamura.tokyo.jp/0000004136.html
http://www.normanet.ne.jp/~h-plus/
http://www.geocities.co.jp/Beautycare/8826/NAIBUSYO.html



●2年目:いろいろな障害
Chapter 5 その他の障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


●2年目:いろいろな障害

Chapter 5 その他の障害




●2年目:いろいろな障害
Chapter 5 その他の障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


また違う人

スクールは学校と同じ期間を「1年」としている。
つまり、4月から3月が「今年度」。

働き始めた最初の年、その次の年も、年度末の3月には一切出勤がなかった。
年度末というのはとても忙しいらしい。
異動はだいたい4月付で行われるし、バタバタしているから、よそもののわたしたちなどに来てもらわないほうがいいのだろう。

ところが4年5年と経つうちに、PCプラクティスもすっかり定着してきた。
「入校した人たちは、初日はこうで、2日目はこういうことをする、そして×日目からPCプラクティスに行く」とリズムができてきた。
そうなると、2月や3月に入校した人たちだけ、PCプラクティスに行かずずっと所属コースにいるというのは、逆に現場にとっては面倒なことになってきた。
この月だけ、別な進行管理、カリキュラムを考えなくてはならないからだ。

そして一応、「皆が平等に同じ実習を受けられる」という権利確保のため(?)、後からPCプラクティスを受けてもらう。
しかし2月や3月に入校し、次のPCプラクティスは年度末と年度初めを外すので5月です――ということになると、「えー、今さら基礎ですか?」という話になる。
1日2日行ったって、「もう受けなくてもいいですか? 知らないことはないし、今やっている専門の学習を先に進めたいです」と直訴されてしまう。

経理や総務的な部署のスタッフがどう思っていたかはともかく、実習を指導するスタッフとしてはあったほうがいい。
というので、やがて例外なく行われるようになった。

そんなことで始まった年度末、3月のPCプラクティス、2年目。
まだ2年目のことで、若干いつも通りにはいかない。

期間は確保され、それぞれのコースに「これこれの日にPCプラクティスをする」と通達もされていたが、PCルームの確保ができなかった。
何日か別の用で、PCプラクティス時間中にPCルームを使うとのこと。
初日から3日間だけ、違う場所で行うことになった。

総合ビジネス課程の一角を、PCプラクティス用に配置替えしてくれて、そこで行うそうだ。

このときは美和先生の代理で入った久慈先生が、美和先生が休職するに伴って大幅に日数を増やしていた。
そこで進行役とフォロー役も交代でやりませんか? とわたしから申し出ていた。

久慈先生、2回目か3回目の進行役だ。

わたしはフォロー役として、座席表を作った。
ここが誰、というのを書いておくのだ。

遅刻してくる人もいるし、早退する人もいる。
始まる前に出席をとっても、少し遅れてくるのかもしれないから、正確な出欠にはならない。
だからなんとなくPCプラクティスのルールができあがり、出欠確認はせずに始まる。
フォロー役が座席表と照らし合わせて、「あの席は空白だから休みかな?」と出席簿に記入する。

瑣末なことだが、出席している人にしるしをつけて、いない席の人は空欄にしておく。
遅刻してきたら、何時から来たということをメモする。最後までいなかったら、欠席と考える。
朝出席していた人も、途中で早退した場合は、何時から早退したとメモする。

その日、出席している人たちが全員休憩から戻ったかどうかの確認も、座席表でする。
事務職のスタッフさんが来て、「××さんに書類のことで用があるんですが、どの席ですか?」と聞くこともある。

席に座ったらあっというまに、「どの席がどんな顔の人で、名前は何さん」と覚えられるほどの記憶力はないので、座席表は重要なのだ。

教室が違うので、少し混乱もあったが(あるコースの先生が、受講する人を案内してきたとき、間違えてPCルームに行ってしまって慌てたり)、無事に集まった。

わたしはほぼ全員が席に着いたとみて、端から名前を聞いていくことにした。

「お名前を伺ってもよろしいですか?」「××です」「ありがとうございます」
そして持ち歩いている座席表に書き込む。
「お名前を伺っても――」隣の席の人との会話を聞いていた人は、即答えてくれる。「△△です」「△△さん、ありがとうございます」

このときは肢体障害や聴覚障害、精神障害の人がいた。

「お名前を伺ってもよろしいですか?」
「**です。今日も朝から気分を害されました!」

――えーと。どうしよう。
無視もできないし。・・・・・・できないよね?

「何があったのですか?」
「別な教室に案内されて待っていたら、こっちだって言われて移動しました」

ああ――今日から3日だけ違う教室なんだよね。

「申し訳ありません。教室の都合で3日間だけこちらで行います。
×曜日からは最初にいらした教室で行いますので、よろしくお願いします」

正しい対処法は分からなかったが、とりあえず予防線だけ張っておくことにしたのだった・・・・・・



●2年目:いろいろな障害
Chapter 4 精神障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


もうひとりの人と、そのほかの人

2人いた精神障害の人、Gさんとは対照的に、もう一人のHさんはとてもおとなしい人だった。

講習中ずっと無言。休み時間も無言。
何か言われると、おとなしい声で答える。長話をすることはなし。
パソコン操作はゆっくり。
美和先生の画面を見ながらその通りやっているので、操作が遅くてもついていける。

わたしは専門家ではないので、Hさんの様子が自閉症など、何かの症状なのか、性格なのか分からない。
もしかすると服薬をしていて、その作用だったのかも。
それも分からない。

Hさんはまったくわたしの手を頼まなかった。
つまずくこともなし。会話をすることもなし。話しかけてきたり、質問をされたりすることもなし。
静かにやってきて、時間の間は静かに講習を受け、静かに帰って行った。

初期の頃に出会った精神の人は、あとは若い女性が一人だけだ。

GさんとHさんに出会ったPCプラクティスより、しばらく後。
精神ていうのは肢体障害のように見た目で分かるものではない。
彼女もどういう障害なのか、具体的には何も分からないままだった。

彼女はとても普通の人だった。
Gさんのように元気いっぱいでもない。Hさんのように気配もないほどおとなしいわけでもない。
普通に話をして、普通に笑って、普通に黙っているときもある。
派手な服も着ないけど、地味というわけでもない。
メイクをばっちりしているようには見えないけど、身だしなみを気にしないという人ではない。

ある日、朝の通勤電車で彼女と偶然出会った。

ちょうど向かい側の席に座っていた。
わたしの田舎にはかなり最近まで4人がけ席みたいな車両があったが、普通は横長の座席が右と左にあって、まんなかが通路になっているものだ。
そういう普通の電車の向かい側なので、わたしと彼女の間には広い通路がある。

「おはようございます」とあいさつしてくれた。
「おはようございます」とわたしも返した。

その場であいさつしているので、かなり大きな声になる。

他にも何か少し話したと思う。二言三言。
そしてわたしは言った。
「××さんは寮じゃないんですね。通っているんですね」
彼女は明るく元気に答えた。
「私は精神なんで。精神障害は寮に入れないんですよ!」

大きな明るい声だった。
その車両の他の人たちがチラリと見るくらいの大きな声だった。

でも彼女自身はにこやかに答えていて、気にしている風はなかった‥‥‥



●2年目:いろいろな障害
Chapter 4 精神障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


Gさん、その後

わたしたちのPCプラクティスは、短期間で終わる。
Gさんとも2週間で接点がなくなった。

Gさんは一般ビジネスコースか経理ビジネスコースか忘れたが、所属先で実習を積むわけだ。

あるとき、食堂で派遣さんたちとお昼を食べていた。
派遣で来ている先生もいるのだ。わたしも登録して何度か単発をしたA派遣会社だった。
派遣さんたちは、Gさんが所属する総合ビジネス課程の人たちだった。

派遣さんたちは週5ではなく、週に2~4日で働いていた。人によって曜日や日数が違った。
この日は、いつも面白くて明るい九重さんがいた。九重さんの他に2人くらい。

テレビの話とか、家庭の話、世間話、女性ばかりだからいろいろな話をする。
ときどき仕事の話もする。

その中に忘れられないGさんの名前が出てきた。

「あの人さ~、困るときあるよね~」
「わたしもPCプラクティスのとき、思いましたよ。わたしは短い期間だからいいけど」
「話を聞いてくれないからさ」

「九重さんもGさんに教えることあります?」
「あるある。、Gさん、Excelの資格試験のときも、こっちが何か説明しようとすると『分かってます分かってます!』って言うから、『わ、かって、ない!』って言っちゃった」

九重さんは笑いながら話していた。

え! 九重さん、すごい。
「で、Gさん、なんて?」
「いや~、言われちゃいましたか~、って笑ってた」
九重さんはひょうきんに笑う人で、とても面白いキャラなのでそれが通じる。
自分はどうすればよかったのだろう?と思った。

「人によって態度を変えるからね」
「そうそう。偉い人にはコロッと変わってね。すごい愛想よくするよ」

――そうなんだ。

「そういうのもあの人の障害の一部なんだって」
「偉いとか、偉くないとかで自分の中で順列をつけて接するの。それがあの人の障害の特質として現れることもあるんだって」

――そうなんだ‥‥‥
じゃあ、わたしは、進行役をしている美和先生と比べて後ろでフォローしている下っ端だから、余計に横柄にされたのかな。

まあ、このことは、派遣さんが「そうなんだって」とまた聞きのこととして話していたので、本当かどうか分からない。
誰から聞いたことなのか、情報ソースも分からないし。

なんとなく、なるほどそうかも、と思ってしまうけど。

そしてこの会話からさらにまた時が経って、ある日、コーヒーを前にしたGさんを見かけた。
混んでいて、同じテーブルに何人も相席していた。わたしも相席することになった。

相席している中に、とても偉い女性がいた。
わたしは何しろ、ここの序列がよく分かっていないので正確な役職が分からないが、その人の偉さはわたしでも察していた。

Gさんは笑顔の大安売りといった感じで、愛嬌を振りまいていた。
「いやあ、部長はいつも存在感があって立派な方だから、まいっちゃいますよ~」

――部長という名称ではないけど、分かりやすいから部長にしておこう。
笑顔プラスほめ言葉の連続だった。

「そうですかー? 部長に言われちゃ、まいったな~! ありがとうございます、本当に」

順列説が本当だとすると、わたしはすごーく「下」だったんだろうな‥‥‥



●2年目:いろいろな障害
Chapter 4 精神障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


「Gさん」

PCプラクティスのその回は、人数が多かった。
一番後ろの席までぎっしりだった。

わたしはまだスクールで働き始めて一年目か二年目で、進行役はいつも美和先生。わたしはフォロー役ばかりしていた。

その回は、出欠のチェックをするための実習生名簿に、見たことのない文字を見つけた。

名簿には名前と障害名が書いてある。
詳しい情報はわたしたちごときには知らされないのだけれど、障害名くらいは知っていたほうがやりやすいので、教えてくれる。
たとえば「聴覚」とあったら筆談できるようにペンとメモを持っていく、「視覚」とあったらモニターの設定を変えたほうがいいかどうかこちらからも確認する、など気を配れるからだ。

その障害名のところに「精神」と書いてあったのだ。

でもそれを見つけても、何をどう気配りしていいのか分からない。
精神障害の人が来たのは初めてだったし、どんな障害も特に何かを教えてもらうことはない。
いつも行き当たりばったりのわたしたちPCプラクティス講師なのだ。

「精神」と書いてあった人は2人いたが、すぐに顔を覚えたのはGさんだった。

「今回、精神の方おふたりは、初日と2日目は別の予定が入っているので、3日目から参加します」
と事務の方。

言われて迎えた3日目。表を入れたビジネス文書を作成する内容だった。
わたしはPCインストラクター歴まだ1年か2年というところ。
「このテキストなら、何があってもたいていフォローできるわ」なんて、まだまだ先の話。
――Gさんのフォローで泣きを見たのだった。

Gさんはあまり講師の話を聞いていない。
よく、もう既にできる人が一人で先に進んでしまうことがあるが、そういうことではない。
講師画面を見ながら同じ操作をしているのだけれど、美和先生のやっているのをよく見ないで自己流でやってしまう。
クイズ番組の早押し解答者みたいに、説明の最初のほうで「あ、何々をやるのか」と勝手にやっている。
――そして、間違っている。

放っておくとGさんの画面は大変なことになっている。
だって、そうは言ってもこれはWordなんだし、ぐちゃぐちゃになるにも限界があるでしょ、と思う。
でも見ると「どうやってこんなふうにしたんだ!?」と思うくらい、ぐちゃぐちゃ。
本当に、「ぐちゃぐちゃ」という形容詞が一番ぴったり。

PCプラクティスでは、「ここまでできたものがご用意してあります」式のファイルを開いて、ちょこちょこっと表を加えれば完成するはずなのだが。

しかし「ぐちゃぐちゃ」というのは、わたしもまあ、未熟だったからだ。
今ならもう少し落ち着いて対応できるだろうけど、当時は「こんなになっちゃって‥‥‥」と涙が出る思い。
――だけど付け加えておくと、今でもGさんの作った表を直すことはできない。最初から作り直してもらうだろう。とても直すことはできないのは確かだ。

なので翌日は、ぐちゃぐちゃになる前に見回って、変なことをやっていたら「ここはこうです」と軌道修正することにした。
そうしたら「あのさぁ~、先生さぁ~、好きにやらせてくれよ!」と怒られた。

これはわたしも悪かった。
Gさんを軌道修正するには実に頻繁に「あ、Gさん、こっちのボタンです」と口を出すことになるので、うるさかったと思う。

仕方がないので放っておくことにした。

しかし、その後一人で納得いくまでやっていた彼は、にっちもさっちも行かなくなって、
「ちょっと最初から教えてくれないかなあ! 全然できないから! メモ取るから一から説明してくれ!」
と怒って言う。

美和先生が察して、「それでは次に進みますから、途中の方もとりあえず保存して、新しい単元に入りましょう」と宣言。
しかし彼は、「ちょっとさあ、俺これやっててもいいかな、出来てないから!」と怒った口調で宣言。

どうしようもないので、他の23人はほったらかしで彼の横で一から説明。
ところが彼は、横で言っていても聞かないことが分かった。

「次にこの列の幅を狭くするので、ここにマウスをぴったり合わせてください。
そうです、今のそのマウスの形で、ドラッグしてください」
と言おうとしているのに、
「次にこの列の幅を狭くするので、ここにマウスをぴったり合わせて――」「わかったわかった!!」
ガチャガチャッ!!

ち~~が~~う~~!

「ちょっと違う操作になってしまったので、元に戻すをクリックしてください」

こちらの話はかなり最初のほうで、「ああ、だいたい分かった!」と遮る。
『大体分かった』彼がとりあえず自分でやってみて、うまくいかなかったらそこで「このボタンなんです」と言う。
恐ろしく時間がかかる。しかも、それでもやっぱり「このボタンだ」とは言われたくない様子。

どうも自分でテキストを見ながらやっても同じ経路をたどるらしい。
テキストを読んでいる途中で「だいたい分かった!」と操作して、それがほとんど必ず間違っている。

見ればテキストの図と違うことは一目瞭然だと思うけれど、「だいたいできた!」「まあだいたい同じだな!」と進んでしまい、どんどん違うものになっていく。

そしてわたしを呼ぶ。「これテキストと微妙に違うみたいなんだけど」

――微妙!?

Gさんにはとても苦労させられたが、でもそれが障害だったのか性格だったのか、分からない。
障害によるものだとしたら、腹を立てても仕方ない。どうしたらよいか、方法を模索していくしかない。

それから、テキストの図と違うのにそのまま進めていることは、「不注意」と一概には言えない。
空間や図の違いを認識するのが困難という障害の人もいた。
これもはたして障害だったのか、不注意な人だったのか――

障害がどういう症状、状況を呈するか分かっていないので、障害なのかただの面倒な性格なのか分からなかった。
今でも分からない。

まあ、どちらにしても、この人は忘れられない‥‥‥



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Chapter 4 精神障害



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まえがき?

そもそも「精神障害」とは?

うーん、これは、わたしには分かりやすくまとめることは困難かも。
なぜなら自分でも整理がついていないからである。
――しかし説明を読むと、「はっきり線引きできるものではない」と言われているので、難しい問題なのだろうと思う。

統合失調症などの疾患により、日常生活に困難が生じる場合などは、「精神障害」になる。
双極性感情障害(躁うつ病)など、感情障害も「精神障害」になる。
そのほかにも、たとえばてんかんの発作を起こす人の場合も、状態によっては「精神障害」に含まれるらしい。
アルコールや麻薬などで人格が変わることも「精神障害」の一部と言える場合がある。
学習障害、発達障害、自閉症など、心理発達の障害も「精神障害」に含むことがある。

――どうもいろいろなケースがありそうだ。

もっと詳しく触れるには、まだ時期が早い。
わたしも最初は右も左も分からず、ただ「この方は精神障害です」という情報だけで担当した。
もう10年になろうかという今になって、「そもそも精神障害って?」と調べてみた。
そうしたら、「発達の方です」「学習障害です」「精神です」って言われてきたのが、全部精神障害に含まれるらしいと分かったわけだ。

「脊損」と「頸損」の違いで「?」がいっぱいになったときよりも、一層「?」だらけになった。

これは体験記なので、学術的にひもといていく専門記事とは違う。
そう割り切って、少しだけ「初めて担当した精神障害」について語って、後は後日にしようと思う。

というのも、精神障害の人は、後になるほど多く出会ったからだ。
働き始めた頃は、実習生として学んでいる人も、スキルアップ研修に来る人も、精神は少なかった。

スクールで働くようになって二、三年経って、わたしはこの仕事を紹介してくれた水上先生と話したことがある。
「昔はあそこは車椅子の人が多かったのよ。今は違うの?」
「聴覚の方が増えましたね。肢体の方たちはだいぶ社会に出て行けるようになって、仕事にも就けるようになったので、次は聴覚という国の方針なのだそうです」
――いったい誰に「方針」のことなんか聞いたのか、忘れてしまったが。

それからさらに二、三年経って、今度は水上先生から聞いた。
「あなたの後にそのスクールに紹介した江津さんね、来年度も契約が決まったらしいわ」
「良かったですね。江津さん、いつも頑張っていらっしゃるから」
「それに今、江津さんのいるコースは忙しいらしいわね。これからもっと重要になっていくだろうって」
「そうなんですか」
「精神障害や高次脳(機能)障害の受け入れが遅れているから、国は次にそこに重点を置いていくつもりなんですって。
江津さんはそういう人たちのコースで働いてるでしょ。これからどんどん実習生の受け入れも増えるんでしょうね。
だから今辞めてもらうわけにはいかないらしいって江津さんが言ってたのよ。良かったわ」

方向性が決まると、それに合わせて社会も変わる。スクールに来る人たちの比率も変わる。

この話を聞いてから、さらに二、三年経ち、実際に法律も変わった。
障害者の雇用率が上がると同時に、精神障害者の雇用についても規定が加わった。
しかし法律ができる前から、雇用をバックアップするべき施設や学校では、精神障害者を多く受け入れ初めていたのだった。

この流れでいくと、わたしのスクールでの経験の中に精神が増えていくのは、もっとずっと後のことになる。
わたしの最初の経験は肢体、それから聴覚だった。この時代の精神の経験は、乏しかった。

そこで勝手ながら皆さんにも、まずはその乏しい体験談だけ、聞いていただこうと思う‥‥‥



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Chapter 4 精神障害



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●2年目:いろいろな障害

●2年目:いろいろな障害

Chapter 4 精神障害


盲導犬

実は盲導犬て、あまり見たことがなかった。

――そもそも全盲の人も多くはなかった。
少数の全盲の人たちは、白い杖を使っていて、盲導犬を連れている人はいなかった。

初めて見たのは、学校公開のときだった。それも何度目かの見学で。
「学校公開」は一年に一度しかしない行事で、文化祭みたいなものだ。一般の人が見学できる。
近くの別の施設も日を合わせて学校祭を開催する。

わたしはそちらを見学したかったので、行ってみた。
教室に入っていろいろな展示を見ていたら、ある教室に盲導犬ちゃんがいた。

連れている視覚障害者の方は、粋な服装をしていた。
つばのある帽子にサングラス、ミュージシャンみたいなジャケットにジーンズ。
その人も施設の人ではなくて、見学に来ていたのだろうと思う。
見学していた健常者の家族連れと話をしていた。

仕事中の盲導犬には、話しかけたり触ったりしてはいけない。

――とはいえ、家族連れには小学生くらいの子供が2人いた。

視覚障害の粋な男性は、快く「なででいいよ」と子供に許可していた。
そして大人たちとは犬に関する四方山話をしていた。

ざっくばらんな方だなぁ、と思った。

盲導犬は男性の足元にぴったりと伏せていて、実におとなしかった。
吠えるなんてもちろんしないし、あちこちをキョロキョロ見回すこともなかった。
ただじっと伏せ目がちに待っている。
子供たちがなでても、動かなかった。
喜ぶとか嫌がるとかもなく、鳴いたり匂いを嗅いだりもせず、忍耐強い。

盲導犬て、なんてすごいんだ、と思った。

それからたぶん、4~5年経って、ついに盲導犬を連れた実習生さんが登場した!
――もちろんわたしは、全然関わらない。

でもそのときの事務担当の人も興奮気味に、「今度、盲導犬が来ることになったんですよ!」と話していた。

わたしはあまり出会わなかったが、一、二度電車の中で見かけたことがある。
見かけるのはたいてい、スキルアップ研修が終わった夕方の電車だったので、人はいつも少なかった。

前に見た盲導犬と同じような大きさの犬で、わたしは犬に詳しくないので分からないが、同じような犬種だったのだろうと思う。

ただこの盲導犬は、前に見た盲導犬よりせわしなく動いていた。
若かったのかもしれない。それとも性格なのかもしれない。

飼い主(と言うのか? ハンドラー?)の足元に静かに伏せている。
だけど顔はよくあちこちを見まわしていた。まさにキョロキョロ――
音がしたり、人が乗ってきたりすると、ハッと起き上がりかけたりする。

興奮気味に話していた事務担当の人は、しばらく経ってから笑いまじりに言っていた。
「なんだかあの視覚の方、せっかちなのかすごい勢いで盲導犬ちゃんを引っ張ってること、あるんですよ」
――そうなんですか。
「ゴーストレート、って言っても、どうも飼い主さんと盲導犬ちゃんのタイミングが合わないのか、ゴーストレート!ゴーストレート!ゴーー!!ストレーートー!!ってこう、リードをぐいぐい引っ張って」
と、まるで綱引きみたいにリードを引っ張る様子を実演してくれた。

この事務担当の人は、楽しい人で、よくちょっとオーバーに話をして笑わせてくれたから、本当に綱引きみたいに引いていたわけではないのかもしれない。

盲導犬にも性格や相性があるのだなと思った。
とはいえ、長年二人(一人と一匹)でやってきているのだから、この視覚の人と好奇心旺盛な盲導犬は、これで合っているのだろう。

とにかく10年の間に、わたしはこの二匹しか、ここで盲導犬を見たことはない‥‥‥



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Chapter 3 視覚障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


通うってこと

最近、全盲の実習生さんが入ったのだなあ、と思っていた。
全盲の実習生さんてあまり数がいないので、改めて気付いたのだ。

わたしは、どのコースの人も受ける短期間の基礎コースを担当している。
だから多分、9割以上の実習生さんと出会うことになるが、全盲の人は別だ。パソコンの使い方が違いすぎて、わたしたちごときには対応できない。
なので全盲の人が入ったかどうかというのは、直接は知らず、廊下などで見かけたときに知る。

背が高く、積極的なイメージだったので印象が強かった。
積極的に見えたというのは、顔の表情もそうだったし、いつも姿勢が良く、歩く様子も堂々としていたからだ。

朝の電車で見かけることもあった。
スクールもこの頃にはすっかり慣れて、他の講習会とは違い緊張もなくなって、わたしは早めに着くなんてことはなくなっていた。
「こんな遅い電車でも間に合うの?」と思うくらいの電車で見かけるのだ。

実はわたしは他の職員さんたちより出勤時間が遅い。
さらにその後に来る実習生さんたちよりも5分ほど遅くていい。
実習生さんたちは自分のクラスで出席をとってから来るからだ。
そのわたしが「あまり余裕がない」と思う電車で見かけるから、「こんな遅い電車で?」となる。

でも全然平気、問題ないと分かった。

ある朝スクールまでの道を歩いていると、彼はわたしより後ろから来た。
もうひとつ遅い電車だったのだと思う。だってもう道のりの半分は歩いていたから。

背が高いということはつまり、足も長いということで、スタスタ堂々と歩く彼は、白杖を手にしながら颯爽とわたしを追い越して行った。
「余裕しゃくしゃく」というほど早い電車ではなかったので、わたしだってゆっくり歩いていたわけではない。
どちらかというと速足だった。

でも全然追いつけない。
差はどんどん開いていく。

なんて速いんだ――!

小さくなっていく彼の背中を見て、目をみはった。

‥‥‥たぶん最初はそんなふうには歩けなかったと思う。慣れたのだ。

あるときスキルアップ研修にやってきた弱視の若い女性は、前もって下見に来たそうだ。ご家族なのかボランティアさんなのか、案内の人と一緒に来たらしい。
弱視にも度合いがあるけれど、彼女は相当進行していて、もう周囲はぼんやりとした光にしか見えなかった。
拡大読書機もパソコン画面も黒地に白文字のハイコントラストで、なんとか読み取れる。
白い杖も持っている。

初日に花咲さんが聞いていた。「明日、大丈夫そう?」
「今日も一緒に来てもらって、帰りは一人で帰ってみるはずなんですけど、大丈夫だと思います」
「何かあったら、すぐに電話してね」
「はい」

知らない土地にやってきて、いきなりさっさと歩きだすことは、さすがに難しい。

一度、見たことのない人が、朝の敷地内をふらふらと歩いている光景に出会ったことがある。
点字ブロックから外れてしまったのか、方向は合っているのだけれど、通路の端に行ったり真中に行ったりしながら進んでいた。

わたしはその人の後ろから歩いていた。
わたしがその人に追いついて声をかけるまえに、もっと前を歩いていた他の人が「どちらへ行くんですか?」と言った。
「あ、実務能力トレーニングスクールに――」
「それなら同じだから、ご一緒しますよ」
さすがスクール関係者、慣れた様子で相手を案内して、さっさと行ってしまった。

あんなふうにふらふらと歩いている人にはあまり出会ったことがないが、それというのも各自が気をつけて下見をしたり、しっかり記憶したりしているからなのだろう。
見えないっていうのは、分かってはいたことだけど、やっぱり困難が多い‥‥‥



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Chapter 3 視覚障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


大岳先生のランチ

前回出てきた大岳先生は、前回も言ったけど全盲だった。
男性で、「若い」という年ではないが、定年退職まではまだ10年はありそう――という印象だった。

白杖を持って施設内を歩いている。
もうずっと働いていて慣れているから、戸惑う様子はない。

わたしは直接話をしたことなどなかった。関わることなどない先生だったのだ。
スクールでは、見知らぬ人に出会っても挨拶をしたりするが、大岳先生と廊下ですれ違ってもほとんど声をかけなかった。
いきなり「お疲れさまです」なんて声をかけても、大岳先生は自分に言われていると気付くだろうか?
そう思った。

晴眼者なら、知らない人であっても、その人が自分に顔を向けて挨拶していたら、「自分に挨拶しているんだな」と分かる。
「ああ、ここでは直接知り合いじゃなくても挨拶するんだな」と思ったりする。
でも大岳先生は、廊下を歩いている他の人に対する挨拶なのか、自分に対する挨拶なのか分からないだろう。
だからといって、存在も知られていないわたしが「大岳先生、こんにちは」と言うのもどうなんだろう?

そんなふうに勝手に推測して声をかけなかったけれど、本当のところはどうすればよかったのだろうか。

大岳先生とよく出会うのは、昼休みの1階の廊下だ。
それ以外の休憩時間はあまり出会わない。
やはりあまりふらふらと出歩かないようだし、トイレも近くて慣れているところを使うのだそうだ。
(何かの話のとき「大岳先生とはあまり出会わない」と言ったら、そういうことを言われた。そりゃそうだ、と思った。)

昼休みは別建物の中にある食堂に食べに行くので、1階の廊下を歩いていることが多い。
わたしもお昼を食べるときはこの食堂を利用するので、廊下で見かけなくても食堂で見かけたりした。

大岳先生はいつも玄武先生という男性と一緒に、お昼を食べていた。
二人で話をしながら歩いていき、二人で食堂で食べる。

食堂では、今日のメニューのサンプル(実際調理したもの)が並んでいて、それを見て選んで食券を買う。
後ろに並んだときに見るともなく見ていると、玄武先生が説明しているのだと分かった。

サンプルの前で玄武先生は言う。
「今日はですねぇ、まずA定食はハンバーグ。B定食はさばのごま焼きですね」
大岳先生はそれを聞いて、「じゃあ、A定食にします」とか「そうですか。今日はそばにします」とか言う。
AとBの定食以外に、常時あるメニューとしてそばとかカレーライスなどがある。

玄武先生は「A定食ですね」と言って、自分の分と大岳先生の分の食券を買う。

食券を出したら、出来上がって呼ばれるまで、席を見つけて座って待つ。
呼ばれたら、取ってくるのは当然いつも玄武先生だった。
箸やスプーン、紙ナプキンなど、必要なものは自分で持ってくる形式だが、長年一緒にお昼を食べていて分かっているらしく、玄武先生は大岳先生の分も聞かずに必要なものを取っている。

一度、近い席になったので見るともなく見ていると、食べる前に簡単に玄武先生が説明していた。
「手前にご飯とみそ汁、それからハンバーグと小鉢です」

大岳先生は静かに手を触れて、場所を確認する。
そして食べ始めるけれど、食べている様子は自然だった。

あれ? どこだ?と手や箸をさまよわせることもない。
口に入れようとしてうまくいかないこともない。
見えないために手や口元が汚れることもない。
お盆に食べ物をこぼしたりすることもない。

たとえば、あまり器と顔を遠い距離に置かないとか、器を持ち上げないとか、無理なく食べるための工夫はあるように見えた。
普通なら箸を使うかな?と思うものも、やむを得なければスプーンを使ったり――
だけど、子供みたいに何でもスプーンで食べるわけでもない。「まあ、大人でもスプーンがいいと思う人もいるかな」というものだけ。

つまり実に自然だった。

玄武先生のフォローも絶妙だったのだろう。

――後年、食堂が事情があって一時期閉鎖したことがあった。
そのときは、大岳先生が一人で売店にお昼を買いに来ていた。
売店は食堂の隣にあって、わたしもその時期は売店でパンやいなりずしなどを買っていた。

大岳先生は、店員さんに声をかける。
そして店員さんに説明してもらう。

「今残っているのは、ポテトサラダのサンドイッチと、卵サラダのサンドイッチ、ツナのおにぎりと、梅干しのおにぎりです」
店員さんは順番に商品名を列挙していく。
大岳先生は決まった時点で、「ポテトサラダのサンドイッチと梅干しのおにぎりをください」と言う。

ときどき玄武先生も一緒に来ていることがあった。
たまには売店で買ったものを食べていたようだったけど、他の日はどうしていたのかな?

やがて大岳先生は玄武先生を完全に失ってしまった。
玄武先生が定年で退職したのだ。

それからは、食堂が再開しても大岳先生は食堂には行かなかった。
廊下を歩いて行くのは見たから、どこかに憩いの場所があったのだろうと思うけれど、どこなのか分からない‥‥‥



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Chapter 3 視覚障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


全盲の場合のパソコン学習

視覚障害の人たちのパソコン使用法といっても、弱視と全盲では違う。
で、弱視の場合は、これまでに乏しい経験から語ってきたような方法になるのだと思う。
拡大読書器を置いたり、パソコンに特別な設定をする必要が多いので、通常の教室では「この辺が視覚の人が使う領域」と場所が決まっていた。
PCプラクティスやスキルアップ研修は短期間なので、そのつど「ここにしましょうか」と決めていたが。

弱視の人の場合は、手持ちの拡大鏡や拡大読書器でテキストの字を読み、パソコンのモニターも設定やソフトで拡大し、必要ならハイコントラストを使って、なんとか操作する。

全盲の場合は、わたしはそもそも出会わないので、知らないままだった。
ただ、自分も担当するので「これが今年のラインナップです」と見せてもらったスキルアップ研修のパンフレットに、「インターネットリーダー」という講座を見たことがある。
それはいったいどういう講座なのか聞いてみたら、音声リーダーでインターネットを見るやり方を学ぶのだという。
「視覚の人が使うソフトですよ」

そこで、ああそういうソフトで画面上の文字を読み取るんだ、と知った。

自分が入力するときは、入力した文字が読み上げられる。
Wordでも、Excelでも、インターネットでも、それを聞いて正しく入力できているかどうか確認する。
漢字が正しく変換されたかどうかも、こういったソフトがどんな漢字を使っているか読み上げてくれるので、分かるようになっている。
ーー申し訳ないが、どういう言い方をしていたか、忘れてしまった。

もうひとつ、すごいやり方も見たことがある。
花咲さんと一緒に情報ビジネスコースに行ったときだった。
どうしてそんなところに行ったのか忘れてしまった。

ちょうど全盲の先生が何かをしていた。
そう、ここには全盲の先生がお一人いて、その方が全盲の人の授業を見ていた。
果たして健常者に点字や音声リーダーやその他のソフトが使いこなせるかといえば、そんなのは無理だ。
だから全盲の実習生さんには、全盲の先生が対応していた。WordやExcelなどの基本も専門的な内容も、全部その先生だったかどうか分からないけど。

大岳先生としておこう。

大岳先生はプログラムだかネットワークだか知らないが、とにかくかなり専門的なことができる方と聞いていた。
全盲の実習生さんはいつもそれほどいないので、先生が一人しかいなくても大丈夫。0人のときも多く、いても1人。2人なんていたときあったのかなあ?

大岳先生が使っているキーボードは特別なものがついていた。
ついていたというより、普通のキーボードに接続していたのかもしれない。
ひとつになっているものなのか、普通のキーボードに福祉機器を接続しているのか、そういえば知らない。
今さらだけど、機会があったら今度調べてみよう。

とにかくその物体は、キーボードの手前に置かれていた。
小さめのキーボード? ーーそんな大きさで、一面小さい突起。
びっしりと突き出た点が並んでいる。
等間隔に。といっても隙間なく並んでいるので、間隔はないんだけど。

大岳先生がキーボードを打つと、そこに点字が現れるらしい。つまり、突起の一部が上にでっぱって点字を表す。
すごい速さで手が、キーボードと突起物体を行き来する。
「ここまでOK」となったら、リセットボタンみたいなものを押すと、突き出ていた突起は全部下に引っ込み、すべて同じ高さになる。

なるほど。
たとえばA450枚にもなるような文章を全部表示はできないもんね。
表示したら、どこが今確認したいところか、分からなくなるしね。

点字ができる人にとっては、自分のペースで進められるので、音声読み取りソフトよりいいのかも。

ここでちょっと補足を。
「全盲の人」というと「点字」というイメージだったわたし。
でも点字ができない全盲の人もいる。それを知ったのは、もう8年目くらいになってからのことだ。
偶然知ったある研究所の一般公開に行って、展示パネルを読んだら分かった。

中途失明の人の割合は実はとても多い。失明の時期が中高年になってからだと、点字を覚えることは困難なのだそうだ。
言われてみるとなるほどである。
たとえば視覚がないと、その分ほかの感覚が鋭敏になって補完する。指先の感覚も鋭いので、点字も操れるけれど、中高年は健常者だっていろんな感覚が鈍感になっていく年齢だ。
その年齢から感覚が発達して、触ったら点字が分かるようになるというのは、難しそうだ。
また、まったく新しいやり方を覚えるのも、その年齢からでは難しい。

というわけで、音声読み取りソフトや機械の需要が多くあるのだそうだ。

さて、話を元に戻すと、このとき大岳先生が使っていた突起キーボードみたいなものは、文字確認以外にも使えるということだった。

Excelを考えてみる。
Excelはセルでできている。文字がずーっと順番に入力されているWordの文章とは違う。
A1に何かが入力されていて、B1やA2には何もデータがなくて、C3にデータが入っている、というようなこともある。
――つまり、空間認識が必要なのだ。
もし目をつぶって、音声読み取りソフトの声を聞いたとしたら? そもそもどうやって読み取るのだろう?
「A1、売上表、A3、川上店、A4、川中店、A5、川下店、B2、4月、B3、1000、B4、2000‥‥‥」
わけがわからない。頭の中にイメージを作るのは大変そうだ。

そういうとき、突起キーボードみたいなもので空間を把握するのだそうだ。
具体的にどう突起が配置されてセルを把握できるのか知らないが、これを使って把握できるという。

そうか。音声読み取りソフトだけではうまくいかないこともあるよね、そりゃ。と驚いた。

本当はいろいろなやり方があって、人それぞれ合ったものを選ぶのかもしれないけれど、専門でないわたしは見たことしか語れない。
まあその、「へぇー」程度に読んでいただければ幸いである‥‥‥



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Chapter 3 視覚障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


視覚障害について情報、少し

視覚障害について詳しいことを何も知らないまま、なんとなく仕事をして年月が過ぎた。
全盲の場合は素人では対応できないから、PCプラクティスでもスキルアップ研修でも、わたしは関わることがない。
それにそもそも視覚の人は少ない。あまりスクールを利用しないのか、スクール側の受け入れ態勢の問題なのか知らないが。
だから「視覚の人が来るたび、なんとかかんとか対応して、若干経験値が上がる」を繰り返すだけだった。
――いや、まあ、ほかの障害もそうなんだけど。

最初の1年2年3年――そのくらい経った頃かな?
それとも4年かな?

学校公開に見学に行って、弱視についての説明展示を見たのだった。
割と近くの施設も毎年同じ日に学校公開を開催しているので、そちらの展示も見に行ったとき、そこで発見した。

教室ごとにいろいろなグループが展示をしている。(と思う、たぶん。)
グループはさまざまで、クラスだったりサークルだったり地域の人たちだったりするようだった。正確には分からない。

ある教室で、ここの生徒(?)なのか有志の人たちなのか知らないが、弱視について説明を掲示していた。
「弱視」という言葉は聞いたことがあり、弱視の人たちにもパソコンを教えたりしていたわけだが、「弱視=すごく視力が少ない」という漠然としたイメージしかなかった。
ここで初めて、弱視にもいろいろな種類があることが判明した。考えてみれば当然のことだけど、それまでは考えたことがなかった。

「視力が弱い」とだけ思っていたが、「視野狭窄」という性質もあるらしい。
周りが見えにくくなるタイプと、中心が見えにくくなるタイプがあるようだ。

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また、眩しさを過剰に感じるタイプと、暗く感じるタイプもあるらしい。

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きっと本当はもっと細かいのだろうと思う。
でもとりあえず、大まかなタイプの違いを知っただけでも、わたしには新しい知識だった。

この説明は、大きく分けてこういうタイプがある、と簡潔に教えてくれていたので、素人にもとっつきやすかった。
細かい医学的な説明だったら、意味も分からず、混乱するだけで終わったかもしれない。
効果的な展示だと思った。

結局、わたしは「視覚障害」と名のつく障害の人は、弱視しか担当していない。
しかし今、改めて調べてみたら、そもそも「弱視(ロービジョン)」と「盲(全盲)」の区別しかないのだった。
全然見えないなら「盲」となり、残存視力が残っていたら「弱視」となる。
「弱視」ではなく「ロービジョン」という言葉を使う人も多い。

「弱視」は「視覚障害」の70%以上を占めているそうだが、「視覚障害」というとメディアで取り上げられるのは「全盲」が多いので、「視覚障害=全盲=見えない」というイメージで捉えられることが多いそうだ。
――わたしは間違ってなかった。いや、間違っていたけれど、誰でもする間違いだった。

「弱視」の中に、夜盲症、視野狭窄、色覚異常、その他いろいろなタイプがあるのだった。

知らないことはたくさんある。
実はつい最近「晴眼者」という言葉を知った。
障害者の反対語として「健常者」が使われることは知っていた。
聴覚障害の人と話しているとき「聴者の人は――」と言ったり、「健聴者は――」と言ったりするのも、聞いたことがあった。
でも「見えない人」の反対語として「晴眼者」という言葉があるのは、スクールで働き始めて10年近く経ってからのことだった。

「視覚障害の人たちにWeb技術を教える仕事を受けた」とある先生が話していて、後学のためにとテキストを見せてもらったのでお礼と感想を伝えた。
そのとき「視覚障害の人たちに教えるのは、やはり晴眼者に教えるのとは違う難しさがある」と言われて、そんな言葉があるのかと驚いた。
――驚いたというのは、自分の知らなさ加減に呆れたという意味だ。

ちなみに本当は「天気」の「晴れ」の「晴」ではなく、「目が開いている」という意味での「睛」を使うそうだが、これは常用漢字ではないので「晴」を使っていることが多いそうだ。

まあ、わたしなどは漢字をどうこうという以前の段階だったわけだが‥‥‥



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Chapter 3 視覚障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


拡大読書機

弱視の人はパソコンを見るにも拡大する必要があるが、テキストももちろんそのままでは読めない。
ミニ拡大鏡を使っている人もいたが、大型の機械もある。

口で説明してイメージしていただけるかどうか、自分の描写力に自信がないが、やるだけやってみる。

まず大きさだが、かなり大きい。
変な形のパソコンデスクに見えなくもない。
椅子に座って机に向かっていると想像していただきたい。
あなたが座っているところの横に機械がある。
座った状態で、ちょうど手を伸ばしやすい高さにテキストを置く台がある。
ページをめくりやすい高さにあるわけだ。この高さは調節可能。
テキストの上に、テキストを読み取る映写機みたいなものがあるはずだけど、これは使う人には気にならない。
そしてあなたが顔を横に向けたときちょうどいい位置に、パソコンのモニターみたいな画面がある。これも高さは調節可能。
映写機的部品によって撮られた映像は、この画面に映しだされる。
映写機というより鏡みたいなものなのかもしれないが、拡大読書機というのはものものしい重そうなものなので、映写しているように思えるのだ。

テキスト1ページを画面に全部映しだすことはできない。
だって相当拡大しているのだ。全部いっぺんに映すとしたら、やたら大きい画面が必要になる。
そんなの、見るほうも大変だ。

ではどうするかというと、テキストを置く台部分は動くようになっているので、映る部分をずらすのだ。

この拡大読書機の画面も、通常のまま使ったり、反転させて黒背景に白字にすることができる。
当然、赤字などは見にくくて、良かれと思っての重要ポイント赤字テキストは、逆に見にくい。

さらにここで使っているテキストが大きめサイズで、拡大読書機で1行いっぺんには表示できない。
ものすごく拡大した文章を横に移動させて読むのって、ちょっと面倒だ。横スクロールはなるべくないほうがいい。
どこを読んでいるか分からなくなる。
横は一度に表示できるサイズで、縦にスクロールしていければ多少楽だが、このテキスト縦も横もスクロールが必要である。

まあ、テキストを作ってる会社は健常者向けに作っているんだものね。
そんなことは予想もしていないに違いない。

なにしろテキストを見るのはひと苦労。
「練習問題をしてください」なんてときは、ほかの人よりやたらと時間がかかる。
テキストを読んで問題の意味をつかむのに人の3倍4倍かかる。
既にそのソフトを使いこなしていて、障害がありながらもそれなりに早く操作できたとしても、問題を解くとなると‥‥‥
問題を読まないわけにはいかない。

拡大読書機はいろいろなものがあるようだ。
スクールで使っていたような巨大なものは、家には置けないだろうし、職場にだって会社によっては難しいかも。
スクールは広々と空間をとっているから、この巨大な機械を置いても問題ないのだ。
もっとコンパクトな製品もある。

それらはずっと後になって福祉関連の機器を出す企業の展示ブースで見た。
(誘われてイベント見学に行ったら、そういうコーナーがあったのだ。)

ただ、場所の問題さえなければ、このスクールの巨大機械は使いやすいのじゃないかと思う。
もちろん大きい分、高価だとは思うけど‥‥‥



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Chapter 3 視覚障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


ハイコントラスト

画面のコントラストを変えたほうが見やすい、というタイプの人もいる。
これは視力の状態によると思うのだけど、確かめたことはない。
ひとくちに「視覚障害」「弱視」と言っても、その内容は様々らしいので、たぶん自分の障害に合わせて使っているのだと思うけど。

ハイコントラストはパソコンの設定でできる。「設定」とか「画面の設定」などでする。

ハイコントラストと言って真っ先に頭に浮かぶのは、真っ黒い画面に白抜きの文字。
Excelなんかを開いていると、タスクバーは外枠が白抜きで、中は紫。
画面全体は黒いし、Excelのセルも黒いし、真っ黒だ。
だから初めて見たときは少しぎょっとした。

白背景のハイコントラストもある。
まだハイコントラストが何かも知らなかった頃、これに出会って焦ったことがある。
WordのPCプラクティスのとき、「クリップアートを挿入しても入らない」と言われたのだ。

「あ!もしかしたら!」
Wordのオプションで「描画オブジェクトを表示しない」とか、そんなふうになっているのかも?
この教室は試験などにも使われることがあって、オートコンプリートなどが知らないうちにはずされていて、講習をしているとき「出ませ~ん」と言われて困ったりするのだ。
普通オーソドックスな講習をする教室って、設定をいじったりしないけど、PC実習室はときどきいろんなものが消える。
こんなことも分かるようになっちゃって、わたし、すごーい!

――だが表示のチェックはついてた。

まったく、あのときはよくなんとかしたものだと思う。
結局ハイコントラストの設定だった。
詳しい設定状況を忘れてしまったが、ハイコントラストを設定していると図が真っ黒に見えたり、真っ白に見えたりする。
そのときのパソコンの状態は、画面は黒く反転もしていないし、一見ハイコントラストを使っているとは分からなかった。(使っている当人も分からなかった。聴覚の人で、設定したのはその人ではなかった。)
だがハイコントラストになっているので、図は真っ白になってしまい見えなかったのだ。

なぜハイコントラストのところまで行きついたのだろう?
我ながら本当に運よく設定を直すことができた。
こういう非常事態を乗り切りつつ、少しずつ知識がついていったのだが――最初から勉強して分かっている講師なら問題ないのだから、自慢にはならない。

そうそう、スキルアップ研修に可愛い女の子が来たこともある。
いつも笑顔で明るい人で、可愛い服や色の鮮やかな服が好きだと言っていた。
目はかなり白濁していて障害は進行し続けていたけど、休日はお出かけするのが好きで、友達の結婚式で手話で歌を歌いたいと練習していた。

彼女がやってきたのはVBAの入門講習だった。
ヴィジュアルベーシック フォー アプリケーションという、WordやExcelなどで使えるプログラム言語。
ちなみに初級編――だからわたしでも担当できる。

プログラムを打ち込んでいくには、彼女は本当に大変そうだった。
見える人でも初めてのプログラム打ち込みは大変だ。
テキストを見てはパソコンに打ち込んでいく。見るのも打つのも耳慣れない言葉なのだから、時間がかかる。
彼女はそこに「見えない」という苦労が加わるから、テキストを終えられるかどうか分からなかった。

初日に気づいてあげられなくて申し訳なかったが、「VBAを記述する画面がどうにも見にくい」と反転表示することにした。
黒い画面に白い文字。

「このほうが見やすいです」
と彼女は言ったが、落とし穴があった。

予約語などの色はそのままなのだ。

VBAを打ち込む画面、VBAエディタでは、こういう種類の単語は何色と決まっている。
色が変わらないってことはスペルミス?と気づけたり、コード全体を見たときわかりやすかったり、便利なのだが、黒い背景に水色の文字では見にくい。
せっかく反転したのに、見にくい‥‥‥

彼女は「でもこのほうがまだ見やすいです」と言うので、しばらく様子を見ていたけれど、やっぱりどうにも見にくそうだ。

なんとかならないのかな?

VBAエディタをほかのマシンでいじって探してみた。
――あるじゃん!予約語などの色を変えるところが!

自分でもよくあきれるのだけど、わたしはこの仕事をするにはニブすぎるのかもしれない。
反転したとき「見にくそうだ」と思ったのだから、そのとき方法を探せばよかった。

「こうすると色が変えられるから、見やすい色を選んだら」と伝えると、とても喜んでくれた。(実にいい子なのだ。)

もっと早く教えろって言われても仕方ないのに、笑顔で「ここで直せるんですね!」と言ってくれた。
ありがとう‥‥‥



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■まえがきにかえて(おことわり)■


ズームテキスト

わたしがたまたま出会う視覚障害の人たちが、どの程度の障害なのかは分からない。
ほとんど見えないのか、少しは見えるのか――
「1.5」とか「0.8」とかの視力のほかにもいろいろな状況がある。

けど、わたしには詳しいことは分からないので、「こういう場合はこういう方法でやる」というような目安が分からない。
――と、断りを入れているのは、どうしてミニ拡大鏡を使っている人と、これから語るズームテキストを使っている人がいるのか説明できないからだ。
視力のレベルによるのかもしれないし、単に好みの問題かもしれない。
ミニ拡大鏡の人は初期に見かけたから、時代の流れという可能性もある。

ズームテキストというのは、画面を拡大するソフトだ。
有料だったが、購入前に無料でお試し版を使うことができる。無料期間は1ヶ月くらいだったかな。

まずはダウンロード、インストール。するとデスクトップにアイコンができる。

デスクトップのアイコンをダブルクリックしてズームテキストを起動すると、画面上のアイコンやらメニューやらが巨大になる。
「大きくなった」と思うけれど、実は下のほうのタスクバーやスタートボタンなどが見えなくなっていたりする。
なんとこのソフトはデスクトップそのものを大きくするのだ。だから、下や右がはみでているのだ。

マウスを動かしてスクロールできる。
スクロールして下のほうが見えてくると、上のほうのタイトルバーやボタンなどが見えなくなる。

ズームテキストを起動すると、ズームテキストのツールバーが出てくるので、いろいろな設定を自分仕様にカスタマイズできる。

慣れるまでは、少し使いにくく感じたりする。

わたしも10年も働くうちには、「今度スキルアップ研修を受講する××さん、視覚なんですけど、ズームテキストを試しに使ってみたいってことなんですよ」なんてことにも出会う。
「これまで使ったことないんですか?」「ないんだそうです。だから研修中に使って、良かったら会社のパソコンにも入れてもらうって」
スクールに来る人たちは「そのことについては本人が分かってます」という人も多いので、わたしたちPC講師は知らないままでも働ける。
でもこんなときは、わたしがやり方を教えるしかない。たとえ頼りなくても。

初めて使ってみるという人たちは、たいてい戸惑っていた。
画面全体をスクロールさせたいのか、Excelなどのファイル部分をスクロールさせたいのか、使い分けがうまくいかなかったり。
「スタートボタンがないんですけど!」と慌てたり。

でも慣れると大きくて見やすいのだと思う。

パソコンの設定で拡大表示すると、バーだのボタンだのが大きくなるかわりに作業領域(ファイルの部分)が少なくなる。
スクロールの回数が増える。
で、たぶん、ズームテキストのほうがスクロールしやすいとか、そんなことがあるのかもしれない。

解像度などで大きくすると、思わぬところにレイアウト崩れが起きたりすることもあるけど、ズームテキストの場合はそういうことがないということもあるだろうし。

ズームテキストで大きく表示してもジャギーもでないし。

ただ、ズームテキストを使うとこうなっちゃうよ、と気づいたことが、わたしの乏しい経験でも2つある。
使う人本人は関係ないかもしれないけど、わたしの仕事では知っておいたほうがいいこと。

1つめ。
ズームテキストを入れると、パソコン起動時に自動的にズームテキストが立ち上がることがある。

そりゃ、実際弱視の人がずっと使うマシンなら、そのほうがいい。
でもいろんな人が使う教室のパソコンだと、知らずに座った聴覚や肢体の人は驚く。
「こんなふうになっちゃってるんですけど」
ズームテキストが勝手に起動すると知っていれば、あわてなくて済む。
「この×をクリックしてください」
出てきたツールバーを×で閉じれば、ズームテキストは終了。普通のサイズに戻る。

いろんな先生や受講者さんが使うから、知らないうちに入っているかもしれない。
設定をして次回からは自動的に起動しないようにできれば良いし、できなくても(あるいは事情があってそのままにしておくとしても)「×をクリックしてください」と言えればいい。

2つめ。
なぜかズームテキストを入れたパソコンでは、Wordの選択範囲が黒くなる。

Word2007以降は、選択した文章のところは水色の背景色になる。
でもズームテキストを入れたパソコンでは、選んだところは黒くなり、文字が白く反転する。
一度入れるとズームテキストをアンインストールしても黒いままだった。

たぶん、弱視の人は画面全体を反転させることもあり、当然ズームテキストでもそういう機能があるからそれが関係しているのかと思うが、直し方は分からない。
ないのかもしれない。
それとも最近のバージョンのズームテキストは直るのだろうか?

――どうでもいいじゃないか、そんなこと。
黒だって水色だって何色だって。

その通り。
実際、黒くなる席に座った人は百人二百人といても、誰にも指摘されなかった。
わたしもだいぶ経ってから、ふと気づいたくらいだ。
後ろから皆さんの画面を見渡していたとき、「どうしてあそことあそこは黒いんだろう? あ、あそこもだ」と考えて、自分がスキルアップ研修のためにズームテキストを入れた席だと気がついた。
ほんの数日しか使わないスキルアップ研修では、体験版を入れてはアンインストールしている。
体験版は同じパソコンに何度もは入れられないので、前のほうから順に使っていた。

まあどうでもいいことだ。

ただ自分がWordの講習をしているとき、「選択すると水色になります」って言わないようにするだけだ。
水色じゃないマシンがあるからね‥‥‥



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■まえがきにかえて(おことわり)■



拡大鏡持参

前にも語ったので繰り返しになってしまうけれど、最初に出会った視覚障害の人は弱視だった。

WordやExcelをするときは、解像度を設定するとか、そういうことは何もしていない。(Vistaや7以降ならdpiを設定するという名称。)
大きいアイコンさえ使っていなかった。(2003までのWordやExcelはアイコンを特大サイズで表示することができた。)

作成中のファイルの部分だけ、200%にしていた。

ボタンを確認したいときは、小さな拡大鏡を画面に当てて、そこに5cmくらいまで顔を近づけて見ていた。
テキストを見る必要があるときも、テキストに拡大鏡を沿わせてよんでいた。

その後同じように使っている人をほかにも見た。
その中で、ある若い男の子はキーボードを使いこなしていた。「すごい!」ととても感動したので、忘れられない。
「なんでもかんでも、できるだけキーボードで操作する」という考えの人がよくいるがわたしはというと、恥ずかしいくらいショートカットキーを使えなかった。
わたしが使っていたのは、せいぜいCarl+Cでコピーしたり、まあ当時はそんなものだった。(今だって多くはない。)
それなのに彼は、起動も終了もウィンドウの切り替えも、何でもキー操作でやってしまうのだ。

WordやExcelの操作だってキーボード。
Ctrl+Cでコピー、Ctrl+Vで貼り付け、そういうショートカットキーが割り当てられているコマンドはもちろん、割り当てがないものもキー操作。
ご存じかもしれないけど、Altキーを押すと、メニュー(あるいはタブ)やコマンド(あるいはボタン、バージョンにより呼び方が変わる)にアルファベットが表示される。キーで操作できるモードになるのだ。
その状態で、表示されているアルファベットのキーを押せば、入力ではなくボタンをクリックしたことになる。


02_zu01.png
(ホームタブの「H」のキーを押すと、今度はホームタブのボタンに表示が出る。)


02_zu02.png
(ボタンに表示されているアルファベットのキーを押すと、クリックしたことになる。)

「わあ、すごいな」と思ってワザを盗もうとしたが、彼の操作は神技のように早くて分からなかった。
なんでも、ここに来る前にどこかの訓練所にいて、そういったキー操作を徹底して教えられたのだそうだ。
「パソコンは仕事に就きたければ必須だし、パソコンを使うなら君の状態だと絶対キーボードで操作したほうがいいから、って言われたんですよ」
なるほど、彼もときにはやっていたけど、ミニ拡大鏡でボタンを探すよりずっと早そう。

この彼が前にいたというところは、「学ぶ」といっても、主に学ぶのは日常生活の仕方。
たとえば事故にあって車椅子生活になったとして、体は回復してもすぐにうちに帰って生活できるようになるわけじゃない。
そこでまず生活の仕方を学ぶ。
どうやって体の残された機能だけでベッドから車椅子に移るか?
どうやって服を着るか? どうやって入浴したり、車椅子で外にでたりするか?
また注意事項も教わるのだと思う。
ずっと同じ姿勢をとっていると褥瘡になったりするから、定期的に自分で体を持ち上げるなどして予防することとか。

そういった「日常生活に必要なこと」の中に、パソコンもあるんだなあ、と思った。

ところでこういう受講者さんは「この方は弱視です」と事前に言われたりするが、視覚障害とひとくちに言ってもいろいろだ。
だけどそれについてはもう少し後に語ることにする‥‥‥



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■まえがきにかえて(おことわり)■


●2年目:いろいろな障害

●2年目:いろいろな障害

Chapter 3 視覚障害

「聾者のネットワーク」

スキルアップ研修に来ていた聴覚障害の若い男性と女性が、休憩時間に仲良く手話で話していた。
会話にまじれるほどの手話力は、わたしには今でもない。

でも何かの折に声をかけた。仲良くなって良かったとか、そういうことだったろうか?
若い人たちが楽しそうにしているのは、見ているのも爽やかだ。
たぶんわたしは気を許して、軽い冗談なども言った。
彼女は可愛いとか、そういうことだったかな? 忘れてしまった。

若い男性のほうは、笑いながらあわてて見せた。
「ダメダメ、冗談でも何もできない。
つきあい始めたばかりの彼女がいて、実は××さん(若い女性のほう)、彼女の友達だった」

えー!! すごい偶然!!

わたしはとても驚いたが、彼はサラリと言った。
「聾の世界は狭いから」

狭いかどうか知らないが、確かにどこかでつながっていることは多かった。
スキルアップ研修では、PCプラクティスのときより一人一人に深く関わることになるので、主にスキルアップ研修でそのネットワークを目撃した。

もともと知り合いだった、ということもあった。
たまたま講習に出かけたら、そこに自分の知り合いがいたなんて、なかなかあることじゃない。

同じ大学を出ていた、ということも多かった。
聴覚障害の優秀な人は、どうやらたいていT技術短大を出ているようだ。そのくらい多い。
若い人だ。わたしより年齢が上の人たちは、たぶん、聴覚障害を乗り越えて大学に入るのは不可能なくらい大変だったのだと思う。
T技術短大は、聴覚障害の人でも通える受入態勢があるのかもしれない。
レベルが高いので、ここの卒業生は当然わたしよりずっと頭がいい。

「友達の友達だった」「共通の知り合いがいた」という冒頭の人たちのようなことも、何度もあった。

これも手話文化が関係していると思う。
やっぱり、どうしたって手話で話せる同士で集まることは多いだろう。
そういうサークル、友達の友達が集まる遊び、そういう知り合いとのオフ会、いろいろあるんだろうなと思った。

それにもうひとつある。
障害があると不便なこと、苦労することがある。だから社会的意識の高い人も多い。

講演会やシンポジウムに出かけたり、NPOやその他の活動に参加したり関係したりしている女性がいた。
たまたま同じスキルアップ研修を受けた聴覚同士仲良くなって、彼女に誘われて友達が増えたという人もいた。
そういった勉強会や講演会の後で、仲間でお茶を飲んで語り合ったりするので、ネットワークが広がるそうだ。
わたしはその女性が、そんなに活動的な人だとは知らなかった。
可愛い普通の女の子に見えたのだ。
誘われて出かけるようになった人が、また別の研修に来て話していたので、そのことを知った。

まあ、その人は「友達は増えたけど、その分出費が増えて大変だから、もう行くのをやめようと思ってる」と言ってたけど。

ほかの障害でも、同じ障害を持つ人が集まる会が、そりゃもちろんあるだろうけど、ここで言っている聴覚ネットワークはそれとは違う。
「会」という独立したものではなくて、もっと広いもの――そう、まさに社会とかネットワークとか、そういうものだ。
会は会で、その社会の中にある。

「聴覚のネットワークはすごい」と、冒頭の男性とは違う聴覚の人からも聞いたことがある。
「10人集まったら、必ず1人は知り合いか、知り合いの知り合いがいる。そのくらい聴覚の世界は狭い」と言っていたが、つまりネットワークが広いってことだよね。

「だから下手なことはできない。どこからか絶対バレる」と冒頭の若い男性も笑っていた‥‥‥



●2年目:いろいろな障害
Chapter 2 聴覚障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


「聾者の文化」

わたしは研究者でも福祉専門家でもないので、まとめようとすると不備や間違いが生じてお叱りを受けるかもしれない。
だから、このような説明的なテーマだけど、体験談式に書いていこうと思う。

障害についてというより、「社会」についてだから、わたしの手にはあまるよね。

というわけで、まず最初にわたしが「聾者の社会」について知ったのは――
手話を勉強しようと思って買った本の前書きでだった。
殊勝な心がけからではなく、「少し覚えてもらわないと」と言われたのだ。わたしたちが関わる人の中で一番偉い人、玉名上級マネジャーにだ。

小さい本で、持ち歩けるからいいと思って買った。

まず前書きを読んだら、「聾唖」ということについて述べられていて、特に「聾」には「聾の文化」があると力説されていた。(話の中で聾のことがメインになっているのは、「唖」の人が少ないためか、聾のほうが「文化」という感じが色濃いためか、分からない。)
「手話を学ぶということは、聾の文化を学ぶということである。――そういう覚悟が必要である。」

うーん‥‥‥

わたしは前書きのところで挫折した。
そんな覚悟をする準備はできていなかった。
テレビ英会話に挑戦する程度の軽い気持ちだったのだ。

とはいえ、「手話を覚えて」と言われている。
言われてなければ挫折しっぱなしで終わったと思うが、わたしのクビを切るのも意のままな人からの指令があっては、いつまでも挫折していることもできない。
わたしは少し勉強を始めたが‥‥‥
なかなか進まず。そりゃ、そう簡単じゃないか。

そんなとき見たある手話の試験の募集。
低い級からたくさんあって、趣味とか生涯学習のような軽い気持ちで受けられる検定だった。

「4級はこの単語一覧から出題される」「3級はこの単語一覧プラス4級の範囲から出題される」「2級はこの単語一覧プラス3級4級の範囲から出題される」
と決まっていたので、手話単語を覚える目標になって良さそうだ。

受験してみようかな。

そしてちょっとネットで検索してみたら――

聾唖の協会のような機関がその検定を批判していることを知った。
その検定の有用性や効果を認めないのはもちろんだが、そんなものじゃなく有害だという勢いなのだ。
聾の文化や聾者に対する理解もなく、ただ単語を覚えて喜ぶような、そんな人を増やすだけ。悪い風潮を作り出し、助長するだけ。
やるだけ迷惑、というように受け取れる非難だった。

実は前から手話の試験というのはあるらしいのだが、それはわたしも調べて断念していた。
だってとてもじゃないけど挑戦できそうもない。難しそうだったのだ。
筆記試験に受かった人は、面接試験まで受けなければならない。
気軽な気持ちでできるものではない。

それに批判を読んで分かったが、試験は聾者の文化を理解していなければ合格しないようになっている。
どういう問題で理解度を測るのか知らないが、手話単語だけではない、もっと深い理解を求められているのだそうだ。

立派なことだと思う。
――でもその試験を受ける気になるか? 「私などにはとてもとても」と思うよ、そりゃ。
そんなわたしみたいな人間には受けてほしくない試験なのだと思う。

でもそこに、もっと簡単にチャレンジできる資格が現れたら?
――ちょっとやってみようかな、って気になるよ、そりゃ。
だってわたしは切羽詰まってるんだもの、どうにかして手話の単語を覚えなきゃいけないんだもの。
目標設定としてちょうどよく利用できそうな試験なのだから、社会を理解することはおいおいで、とりあえず受けてみたいと思う。

理解もせずに手話を使えるようになって慢心する人が増えるのはよくないだろう。
でも、だからといって、手話への道を狭めてしまったら、そもそも手話をやってみようと思わない。
ハードルを上げないで、まず手話を使える人を増やすほうが、聴覚障害者のためになる。
――そう考えた検定試験なのだろうと思う。

理屈は分かるが、その人たちがやがて聾者の文化まで理解しようとするかどうか分からない。
ただ手話だけやる人が増えても、聴覚障害を理解しなければ意味がない。
最初からセットで覚えるべきものなのだ。安易な「手話やってみようっと」ではなく。
――そういう思いからの批判なのだろうと思う。

どちらが正しいか、わたしにも、そしてたぶん誰にも決められないことなのだと思う。

アメリカではもっと強い文化意識があるらしい。(ドラマでもそういう世界を垣間見られる。日本とは少し違う気がしたので検索してみたら、そういうことだった。)

聴覚障害者には、経験の少ないわたしでも気付いたように、たとえば文章より視覚で見るほうが好きだとか、いろいろな特徴がある。
手話は障害とも密接に結びついているし、手話を使うこともまた、特性を作っている一面もある。
たぶん、いろいろな人種が住むアメリカでは、自分たちの文化を大切にする気持ちがより強いのだと思う。
つまり、聾者の文化も出身地や人種による文化と同じ扱いなのだ。(と想像する。)
ネイティブアメリカン(差別用語になっちゃうけど要するにインディアン)にはネイティブアメリカンの文化があるように、聾者にも聾者の文化がある。

彼らは文化を大切にするあまり、生まれた子が聴覚障害者だった場合、人工内耳で聞こえる障害だったとしても、手術をしない決断に至ることも多い。
それは生まれた子から、聾者の文化を奪うことになるからなのだそうだ。
(人工内耳の手術をすることにはリスクもあるけれど、それ以外に「文化を奪う」というのがどうも深刻な問題らしい。)

なるほど、それならその子が物心ついて、自分で考えられるようになったら、人工内耳の手術をするかどうか決めたら?
――というわけにはいかないのだ。
年をとってしまうと、手術をしても音を聞き分けられないらしい。聞こえるけど、ただの雑音になることが多い。
なんと、手術に適しているのは2~3歳まで。それでは「判断できる年まで待って」とは言えないなぁ。

「ER」というドラマでは、耳に障害を持って生まれた息子の人工内耳手術をめぐって、父親と母親が対立。(ちなみにベントン医師。離婚していて、手術について口論していた。)
「CSI:NY」では、子供に人工内耳の手術を受けさせたくて、若い父親が赤ちゃんを誘拐。(そのとき誤って若い母親を殺してしまったという事件。)
「HOUSE」では、若い恋人たちの男の子は手術を受け、女の子は今の友達や世界が変わってしまうのが怖くて受けられずにいる。

‥‥‥あれ? その年でも手術すれば聞こえるようになるのだろうか?
技術は進歩したのかもしれないし、ドラマだからちょっとリアルでない部分があるのかもしれないし、人工内耳ではなかったのかもしれない。

――まあ、それは本題ではない。

日本はアメリカほどではないと思うけれど、やはり聴覚障害は「文化」という意味で、他とは違うところがあるようだ。
今は、携帯電話やスマートフォンを使ってチャットのように話をしたり、ネットで障害に関わらず交流したりするので、聴覚の人たちと健聴者の人たちとの交流も多い。
文化は混ざり合って、差異が分からなくなりつつあると思う。

でもやはり、触れておかずにはいられないことだ‥‥‥



●2年目:いろいろな障害
Chapter 2 聴覚障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


掲示板を利用する

Fさんが受けた最初のスキルアップ研修コースは、PowerPointだった。

手話はできない、相手の話を口話などで理解することもできない、大声を出してもあまり分かってもらえない。
Fさんとほかの方のコミュニケーションをどうとってもらうか、迷った。
性格や相性にもよるのでいつも同じようにはいかないが、受講者さん同士仲良く楽しく過ごしてもらえたらいいな、と思っている。
でもFさんは今回取り残されてしまいそうだ。

考えた末、掲示板を作ることにした。
無料で作れる掲示板サービスはいくつかある。
掲示板を作ってそれをコミュニケーションツールとして活用してもらおうと思った。
パスワード付きでプライベートモードにできるサービスを選んだ。

これはいい考えだと自画自賛した。
休憩時など以外にも使える。
それは最後の発表のときだ。

ある程度自由に内容を組み立てていいスキルアップ研修では、わたしは最後に各自のプレゼンを発表する時間をとることにしていた。
前に職業訓練コースで自分が受けたPowerPoint授業の真似である。
自分の作品作りは楽しいし、発表は照れるけどワクワクする。

発表したら、ほかの人に感想を言ってもらう。
これがまた醍醐味だ。ーー職業訓練コースで自分が生徒だったときもそうだった。

しかしFさんにはどうやって感想を伝えよう?
初日の朝の自己紹介は、聴覚障害の人とそれ以外の障害が混じっているときは、講師席のパソコンまで交代で来てもらって入力という方法をとっていた。
でも発表会の感想には向かない方法だ。
発表者が講師席で発表した後、今度は聞いていた人たちが代わる代わる講師席に来て入力する?
1人の発表ごとにいちいち?
――それは変だ。効率も悪い。下肢に障害のある人には何回も出てくるのは大変だし。

しかし掲示板で問題は解決だ。

わたしはあらかじめ、使う予定の席のブラウザに掲示板をお気に入り登録しておき、「コミュニケーションツールとして使ってください」と告げておいた。

Fさんは折に触れて活用してくれた。
わたしはまめにチェックして、Fさんが誰かに宛ててメッセージを書いていたら、その人に伝えて返事を促したりした。
余計な干渉かもしれないけど。

発表のときは全員掲示板を開いてもらって、それぞれの作品に対する感想を入力してもらった。
コメントに返事を書くこともできるし、なかなか良かった。

発表をすると言ったら、事務の花咲さんも都合をつけて見に来てくれて、感想を入力してくれた。

花咲さんには最初から、掲示板を使うつもりだということを伝えてあった。
コミュニケーションを心配していたFさんも交流ができたので、花咲さんは掲示板をとても気に入った。
聴覚の人が来るときは掲示板を!と、花咲さんにはかなり好評だったが、結局その後PowerPointの発表時にしか使っていない。

手話ができる人同士がいれば手話で話してしまうし、聞こえる人同士がいれば口で話してしまうし、休憩時間にわざわざ掲示板を見たりしないし、あまり使われない。
Fさんのときのように、「××さんが掲示板に書き込んでますよ」とわたしが取り持ち続けるのも変だ。

PowerPointの発表の際は掲示板は非常に役に立っているが、それは別に聴覚障害の人がいなくても役に立っている。人数が少ないから、全員の感想が聞けて、口で言うよりいいのだ。

一番掲示板を使ってくれたのは、ほとんど分からないくらいの手の麻痺がある男性だ。
彼は自分の趣味を広告するブログやHPなどもやっていて、ネットで人と交流するのが得意な人だった。
お昼に食べた食堂の定食をUPしたりしていたくらいだった。
――そのときのコースに聴覚障害の人はいなかったけど‥‥‥



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Chapter 2 聴覚障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


再び難聴の人

もうスキルアップ研修も何度もこなした頃――そう、ここでの講師歴も4年か5年にはなっていただろう。
その頃、難聴の人がスキルアップ研修にやってきた。
PowerPointのコースだった。

Fさんは「中途失聴」と花咲さんから事前に聞いていた。
「中途失聴」という言葉はそれまで聞いたことがなかったが、そのままの単語だから意味は分かる。
生まれつき聞こえないのではなく、何らかの理由である程度大人になってから聴力を失ったってことだろう。

Fさんは真面目そうな男性だった。20代ではないが、中年には見えない。
どんなに上だとしても41、まあ30代後半くらいかな、という印象だった。
自分に当てはめて考えてみても、その年齢で一から手話を覚えるのは大変だと思う。

Fさんはまだ手話に手を出してもいなくて、「勉強したほうがいいでしょうか」と花咲さんに言ったりしているくらいだった。
「こんにちわ」さえ言えない。わたしより知らない――いやとにかく何も知らなかった。

それというのも、Fさんは難聴で、まだかすかに聞こえていたためがあると思う。
また、ついこの間まで普通に聞こえていたため、Fさんの話し方は健聴者と変わらなかった。
「ついこの間まで」かどうか知らなかったが、生まれつき障害があると、健聴者とまったく同じに喋れるようになるのは難しい。
Fさんは、少なくとも自分の話は完全に齟齬なく伝えることができる。相手の声もなんとなく聞こえる。
だからまだ手話の必要を感じていなかったし、もしかしたら感じたくなかったのかもしれない。

ただ、Fさんにこちらのいいたいことを理解してもらうのは、相当大変だった。
だから前に来た難聴のEさんのときより筆談が多くなった。

Eさんのことを語っているとき、「後に来た難聴の人は音が判別できなかったから筆談した」と書いたが、こうして思い返してみると違うかも。
Fさんは慣れていなかったのだ、たぶん。
――相手の話を予測することや、口の形を読むことに。
ついこの間まで聞こえていたからだ。

わたしたちが話しかけているとき、Fさんは一生懸命こちらの顔を見ている。
でも、なんとなく分かりそうなのに、やっぱり分からない、という表情になるので、こちらは紙を出して書く。

筆談にしても、Fさんは生まれつきの聴覚の人とは違った。
きちんとした文章を好んだ。
モニターに入力される説明も、長い文章でも苦にならないし、ぶっきらぼうな箇条書きなどより良いみたいだった。

慣れた今は、聴覚の人と会話をするときの筆談は、なるべく短くしている。
伝わらなさそうな単語だけ書き、あとはカタコト手話で口話でもなんでも使う。
たとえば――
「あなたは」と相手を指して(指じゃなくて手のひらでね)、「センス」と紙に書いて、「いい」と手話をして、「すごい」と口をはっきり開けて言う。
美しさよりスピードが大事なのだ。

たとえば、Excelの問題を解いている人に、「そこは入力ではなく計算してください。」と紙に書いて伝えたら、「計算」から先は見ていない。
画面に向き直って操作を始めている。こちらは取り残されてしまう。
だから全部別の机で書いて、持って行って見せるだけにする人もいる。

今のわたしなら、その人の画面上で該当のセルを指し、「計算」と手話をするだけだ。
意味が分かってもらえなければ、キーボードを叩くジェスチャーをしてから、両手の人差し指を交差させて×の印を作る。そしてもう一度「計算」の手話。

でもFさんはきちんと文章が完結されるまで紙を見ているので、「です」「してください」まで書く。

Fさんとは1度か2度のスキルアップ研修でご一緒しただけだったが、ずっと後になって花咲さんから噂を聞いた。
もう最後に会ってから5年くらい経っていた。
わたしが担当しないスキルアップ研修に来たのかもしれない。パソコン以外にもたくさんの研修が用意されているのだ。

「Fさん、もうほとんど聞こえなくなってますね。
Fさんの発音もだいぶ崩れてきましたよ。何を言ってるか分からないときも多いです」

やっぱり中途失聴でも、時が経つと自分の発音を修正できなくなっていくのだと分かった。

「手話を勉強しているそうですよ」

そうですか。
それはいいことなのでしょうね。

手話ができれば、手話の人たちとの方向に交友関係が広がりますよね。
聞こえる人と自由にコミュニケーションがとれなくなっているなら、大切なことですよね。

でもやっぱり後から覚えるのは大変だ。
きっとわたしが今からフランス語を覚えるようなものだろう。
と、勝手に想像する。
でも文法は日本語と同じに使ってもいいのだし、フランス語よりは楽かも。

Fさんは真面目な方だったから、わたしより真面目に勉強して、わたしよりずっと早く覚えただろうけど‥‥‥



●2年目:いろいろな障害
Chapter 2 聴覚障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


ちょっぴり厄介ごと

Eさんは、一連のスキルアップ研修のいくつかに申し込んでいた。

当時はPCプラクティス講師は美輪先生とわたししかいなかった。
スキルアップ研修も2人で担当していた。
えーと、くどいが説明すると、PCプラクティスは進行役とフォロー役の2人体制、スキルアップ研修は少人数で1人体制なのでコースごとに交替でやっていた。

さらにくどい説明を加えると、美輪先生は小さいお子さんがいらして、夕方まであるスキルアップ研修はあまりできず、2日程度の短いコースを1度2度担当するだけ。
わたしの担当分のほうが多かった。

このときどのようにコースを分けていたか忘れたが、彼はまず先に美輪先生のスキルアップ研修を受けた。
1つだったか2つだったか忘れた。
そして次がわたしのコース。確かExcelだった気がする。それともうひとつ何か――Wordかな?

わたしの最初の勤務日、事前に説明したいことがあるから、早く来てくれと言われて早めに行った。
(ちなみにこういうのはもちろん無給だ。民間の派遣とは違うのだ。そういうシビアさを求めたらここでは働いていけない。)

事務の花咲さんと玉名上級マネジャーが待っていた。
「ちょっと問題が起こっちゃってね」
と上級マネジャーは言うが、さすがキャリアな方はいつでもポーカーフェイスなので、笑顔だ。
「これを読んでみて」

渡された紙を読み始めると――意見書だった。
というか苦情書?

A4の用紙に3枚程度、ぎっしりとWordで打ちこまれている。
すごいな‥‥‥

内容は――

能力トレーニングスクールのスキルアップ研修を受けたが、その進め方には問題がある。
講師は自分のペースで進めてしまい、質問したくてもできずじまい。
各障害にも対応していない。
改善したほうが今後受ける人のためにも良いと思う。

というもの。

大枠はこんなところだが、A43枚になるほどの理論武装により、正論ぽく聞こえ、公憤に聞こえ、大変に困った文書だとわたしにも分かった。

「これが**に送られちゃってね」

えー!?

それはなんていうか――たとえて言えば、学校に対する文句を教育委員会に送るようなもの?
いや、もっとかな。
ある税務署の対応に対する文句を財務省に送るようなもの?

サービス業が長かったわたしには、それはクレームにしか思えない。それもあまりたちのよくないやつ。
こちらが場所を借りてやってるテナントなのを知ってて、その場はおとなしく帰って後から大手スーパーの本部に電話するパターン。
せめてスーパーに言ってくれればいいのだが、わざと本部に言う。
そしてこちらが悪くなくてもクリーニング物を弁償させられるのだ。
(これについてはクリーニング店時代の記事を参照していただきたい。
また今は時代も変わってむやみな弁償をしないところも増えた。)

で、話は横道にそれましたが、この文書の作成者がもしかして今日からのスキルアップ研修に?
「そうなんですよ。いや、**からこれが送られてきて参っちゃってね」

そうでしょいとも。
サービス業にはまだ、「売上をあげる」という救いがある。
売上の良い店舗、店長は地位だけでない暗黙の力があるのだ。
それはどの企業も同じだろう。仕事ができれば文句は言われない。
しかしここは公共の施設。売上も業績もない。
大切なことは、「いかに問題を起こさなかったか」「マイナスが少ないか」なのだ。
これじゃ大マイナスだよ!

「早めに来てもらってお話ししておかなきゃと思って。今日からよろしく頼みますね」

よろしく頼まれても、これは困ったなあ。大丈夫だろうか、わたし‥‥‥
下手をしたら、このコースそのものの存続さえ危うくなるのじゃないだろうか‥‥‥

こういった事情があったのだ。
そりゃわたしも花咲さんも、どんな大声を出さなきゃならなくたって、なんとか会話して気持ちをほぐそうとするわけである。

しかしEさんに媚びていたわけではない。
とわたしは思っている。人からどう見えたか知らないが。

わたしの持論では、本当は嫌いなのに表面だけ好意的なふりをしたり、思ってもいないお世辞を言うとバレる。
そしてより悪い結果につながる。
――わたしは臨機応変さや上手なあしらいや演技力に欠けるので、うまくいかないのだ。

というわけで、わたしはできるだけEさんのいいところを見、苦労を理解し、全員が満足できる研修を目指した。

花咲さんはもっとすごい。
何日間の研修が終わった後も、長いことEさんからメールが届いていたらしい。
「今日もすることがなく、やっていられない」とか「こういう仕事をするようになった」とか――
メールはEさんが組織の一員として忙しく仕事をするようになり、メールをする暇がなくなるまで続いたようだ。

友達なら「えーそれはひどいね!」だの「こうしたら?」だの好きに言えても、公的な立場では言動に注意がいる。
一線を超えずに親身な返事を返すのは苦労もあったと思う。

わたしのほうは、2週間に及んだが、2つの研修を終え、お役ごめん。
Eさんはまずまず満足してくれて、アンケート結果も悪くなかった。
花咲さんとの連携プレイのおかげだ。

玉名上級マネジャーは最後の日に一杯ごちそうすると言ってくれた。
お目付役で行きますよ、と花咲さんが一緒だったので、ありがたくごちそうになったのだった‥‥‥




●2年目:いろいろな障害
Chapter 2 聴覚障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


手話――Eさんにとっての

聴覚障害の人たちは手話のほうが自然に使えるので、手話を好む。

もちろんそうでもない人もいるし、世代によって、手話が使えなかったり、文章を読むのも苦がなかったり、いろいろだが――
まあおおむね「聴覚の人は手話が好き」と言える。

スキルアップ研修の申し込みカードには、留意事項あるいは希望として「手話通訳希望」と書かれていることが多い。
もっと固い言葉で「情報保障として手話通訳を希望します」と書かれていることもある。

でも大丈夫。
わたしはパソコンに説明を入力する。
モニターは各机にあるので、それを見てもらえば情報保障はバッチリだ。

でもやっぱり聴覚の方は「手話通訳がいたら」とアンケートに書いたりする。
手話で会話できる聴覚の人が複数いればいいが、聴覚は一人であとは肢体というときはコミュニケーションをとりにくそうだ。

せっかく入力してもあまりモニターでの説明や筆談は喜ばれない。
むしろ聴覚以外の人が熱心に見ていたりする。

ところが今回、難聴のEさんにはこの入力による説明が大変喜ばれた。
「これはいいですよね!」

彼に言わせると、「誰にでも分かるから」。
手話通訳は、手話ができない人にとっては分からない。
彼は手話はできないので、手話通訳がいても意味がないのだ。

なるほど。

わたしはこう思ってきた。
スキルアップ研修で聴覚の人が一人しかいないと、休憩や昼休みなど取り残されたようになってしまう。
車椅子の人と、半身麻痺の人と、治療で状態の落ち着いている精神障害の人と、内部障害の人が皆で会話をしていても、聴覚の人は加われない。
以前「視覚障害の人が聞こえないよりもいいと言っていた」という話を聞いたが、それも一理あるかもしれない、と。

しかしこのとき、また違う角度――難聴という視点から見ることを教わった。

健聴者の会話にはさすがに入れない。
聴覚同士の手話の会話にはもっと入れない。

健聴者に取り残された上に、さらに聴覚障害者にも取り残されることになってしまう。

まるでイソップ物語の動物にも鳥にも入れてもらえなかったコウモリのように、どちらにも入れない。
本人に非はないのに。

「聴覚障害」というと「手話通訳を用意したからOK」とされてしまったら、Eさんなどはどうしたらいいだろう。

それで「この入力された文章が出るのはいい。なぜなら聾者だって字が読めないわけではないのだから、これを読めばいい。そして手話ができなくても字なら読める。平等だ」という評価になるのか。

聾協会(正式名はたぶん違う)は手話と密接なつながりがある。
「手話は聾者の文化」とする考え方もあり、手話の在り方にも厳しく指導しようとする一面がある(らしい)。
そして聾協会の力は強いと聞く。
聾者のネットワークは広く緊密だ。

でもそこに難聴は入っていなさそうだ。
Eさんの話からはそういう印象を受けた。

わたしに初めて「難聴」という存在、苦労について、考えさせてくれた研修だった。

でもEさんは安易な同情の対象ではない。
たくましい側面もあるのである。
そのたくましい側面には、玉名上級マネジャーから花咲さん、わたしまで、振り回されたのである‥‥‥



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Chapter 2 聴覚障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


「難聴」

聴覚障害と聞くと、手話を好むイメージ。

長ったらしい文章での説明を嫌う。視覚的情報のほうが得意。理屈より体験で覚える人が多い。
わたしも多少経験を積み、そういうことが分かってきたように感じている時期だった。

次回のスキルアップ研修には聴覚の人が1人いると言われた。
わたしの頭には今までの聴覚障害のイメージが浮かんだ。

が、「手話は使えないそうです。」

じゃ、どうやって普段会話するの?
「難聴ですけど、大きな声でゆっくり話せば聞こえるそうです。」

手話は今でも片言のジェスチャーゲームみたいなものしかできないが、当時はひとつもできなかった。

手話希望って言われなくて済むのかあ~
「それはよかったな」と思った。しかも筆談に全部頼らなくても、大きな声なら聞こえるってことだし。

――さて。
この話の流れで察しがつかれたと思うが、こういう短絡的な考えは間違っていた。

そしてもちろん、しっぺ返しをくらった。

確かにEさんは大きな声なら聞こえた。
が、相当大きな声なら、だった。
怒鳴る一歩手前くらい。――でも怒っているわけではないから、「舞台俳優さんが大舞台でマイクなしでセリフを言ってるくらい」って言ったほうがいいかな。

この後も難聴の方が受講したことがあるが、その方の場合、聞こえるけど音を判別できなかった。
「何か言ってるな」とは分かっても、単語は分からないので基本的に筆談だった。

しかしEさんはちゃんと大きな声なら意味も分かるので、大きな声で話さなければならない。
だってやっぱり、声で会話できるなら声で話したいだろうと思ったのだ。
聞こえるのに筆談されるのって寂しくない?

花咲さんも朝や休憩時間や終了時、様子を見に来たときは大声会話でコミュニケーションをとった。
わたしもそうした。
ただ講習中の説明は、誤解がないように筆談も取り入れた。
全員に操作してもらったり、全員に向けて説明するときは、PCプラクティス時同様モニターにしゃべったことを入力もした。
だけどできるときはなるべく普通に話して会話した。

――花咲さんはまだいい。
会話はスクールの中でしていたからだ。

わたしは一度、帰る電車が一緒になったことがある。
駅の近くで出会ってしまい、一緒の電車で途中まで話しながら帰った。

夕方の電車、座る席は充分にあるくらい空いているが、ガラガラではない。
その中で並んで座って話す。

「会社は!!!残業!が!!お・お・い!で!す!か!!!?」
「残業なんて全然ないですよ」

――彼は普通に話すのだ。
わたしたち健常者は普通の声で聞こえるからである。

「それは!いい!ですね!!」

「いや良くないですよ。残業があるくらい仕事させてもらいたいですよ」
「そうですか」(ここからは「!」を省かせていただく。)「わたしなど、楽ならそのほうが嬉しいですけど、Eさんは立派ですね」
「だって僕が会社でどんな仕事を頼まれると思います? これをコピーしてくれって、コピー係ですよ、まるで」
「そうなんですか」
「それもたまにしかなくて、後はただ座っているだけで、することもないんですよ」
「それはツライですね」

なんとなく頭にイメージが浮かぶ。

「Eさん、この仕事をしてほしい。まずここにある伝票をこうしてああして、そしてこのソフトに入力してください。このソフトの使い方だけど、ああでこうで‥‥‥」

と言いたいがーー

「この!伝票を!!ああして!!! そうじゃなくて、あ!あ!し!て!」とやっていく?

普通の人にはそもそもそんな大声、抵抗なく張り上げるのは無理。
そこで全部筆談で教えることにする。
しかしこれはこれで面倒だ。
そこまで時間を割いていられない。誰だって自分の仕事がある。
Eさんに教えることは、その人の業務というわけではないから、自分の仕事を遅らせることはできない。
自分の仕事が終わらないのは困る。だからといっていつも以上の残業は会社も嫌がる。

Eさんは「規定の人数以上の障害者を雇わなくてはいけない」という法律のために雇われた第1号。
会社もまだ右も左も分からない。

わたしたちと一緒なのだ、きっと。
「大きな声で話せば聞こえるらしいよ」と安心していたら、思ったより大変だった。

――いや、まあ、「わたしたち」というのは一方的だった。花咲さんは予想していたかもしれないし。

実際は、「大きな声なら全部分かる」というわけではないのだ。
予測のつく一般的な会話なら問題ないが、少し突っ込んだ会話になると「?」が生じる。

たとえば、「Eさんはすごいですね」と言ったら100%分かってもらえる。
けど、「Eさんは哲学的なんですね」と言ったら、何回か繰り返しても分かってもらえないだろう。
「哲学的」でも「学者」でも「詩人」でもいいけれど、そういうのは頻繁に使う言葉ではない。だから予測がきかない。

予測による補助ありきの「大きな声なら分かる」なのだ。

そこでわたしはサッと紙を取り出し、「哲学的」と書く。

研修中に補足説明をしたり、質問に答えたりするときなど、紙は必須だ。一般的な会話ではないから、紙の出番が増える。
当然、仕事を教えるときも同じだろう。
大声で言いさえすれば、音をそのまま聞き取れる健常者と同じ、というわけではない。

とりあえず障害者雇用の第一歩として彼を雇ってみた会社側は、いろいろな予想外に直面して当惑。
しかし経済の流れは止まってくれないから、とりあえず仕事を進めて、彼のことは時間のあるときにゆっくり対処することにする。

でも時間のあるときなんてないからーー

「ちょっとここに座ってて」シーン ポツーン
「このコピーとって」「できました」
「ありがとう。お願いしたい仕事ができるまで、ここでゆっくりしてていいですよ」シーン ポツーン

スキルアップ研修にも二つ返事で来させてくれて、手の空いているとき(って何時間もあるらしいが)会社でも勉強していていいと言われたそうだ。

そういう状況を「ラッキー!」と楽しめる人もいるだろうが、彼はそういう世代ではなかった。
「男は仕事!」の世代とまでは言わないが、当時のわたしよりも年上だったくらいだから・・・
女性やフェミニストの方は腹が立つかもしれない「新人女子社員みたいな仕事ばかり」発言もあったし‥‥‥

同じ「聴覚障害」という名称でも、難聴という少し違う障害や苦労を持つ人たちがいることを、初めて考えさせられた‥‥‥



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Chapter 2 聴覚障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


時代の流れと変化

仕事を始めた頃は、聴覚の人は手話オンリーという印象だった。
筆談も好まないように見えるし、聴覚の人のために入力している説明も読んでくれないことが多い。
――もちろん、熱心に読んでくれる人も、中にはいるのだけど。

手話では、助詞を正確に表現しなくても、会話としては成り立つことが多い。
だから文章を書いたり、入力したりすると、「てにをは」が混乱している人も多かった。

手話はこだわらないものだと、聴覚の人たち自身がよく言っていた。
「あまり難しく考えなくても大丈夫。きちんとそこまでやらなくても手話はフィーリングで通じる」

ときどき生真面目の虫が動き出して、手話を細々と勉強し始めたわたしが質問することがある。
手話でたどたどしく会話していて、「・・・・・・なので、今はクリックしなくていい」と言おうとしてつまずく。
「なので、って手話で何て言うの?」――これは筆談で聞いてもいいし、「なので」と口をはっきり開けて言って、「手話」「何」と手話をすればいい。
すると言われる。「そんなに完全にやろうとしなくていい」「手話はアバウト」
単語によっては、質問すると相手も「何だっけ?」という顔をすることがある。
「えーと」と考えて、「こうかな。でも違うかもしれない。分からない。そんなにきちんとやらなくても大丈夫」
「これは?」「これは?」と何度も聞くと、「細かすぎる。フィーリングのほうが大事」

とにかく、聴覚の人たちは、文章よりも視覚的に理解するほうが得意なのだ。
そのほうが好ましいというだけでなく、それが「聾者の文化である」という意見があり、なるほどと思った。

しかし、時代の流れによって変化も訪れる。

若い世代の人たち、あるいは若いとはいえなくても仕事や生活のスタイルが変化した人たちは、聴覚障害があっても文章に抵抗のない人が増えた。
また、口話力が飛躍的に上がっていて、手話のできない人とでもかなり話せる人が増えた。

気づいたのは、あるスキルアップ研修でのことだ。
同じ会社から聴覚障害の人が2人来ていて、2人とも書いた文章を読むことに対し、まったく抵抗がなかった。
漢字の読み書きもまったく問題がなかった。

どこで分かるかというと、漢字の読みは入力を見ていれば分かる。
読みが苦手な場合は、手書き入力パッドの登場が増える。
漢字は読みが間違っていると変換しても出てこないからだ。
そういうこともない。

スキルアップ研修ほど人数が少なければ、筆談ではなくPCにメモ帳やWordを開いて入力して会話することもあるが、「てにをは」その他の文法に間違いがない。

特に流暢な文章を操る若い男性は、休み時間にインターネットをしていた。
SNS、Twitter、Facebook、時代によっていろいろなコミュニケーションツールがある。
若いから、ブログのようなコメントは時折つくかつかないか、というようなものではなく、もっと人とつながっていられるものが好まれる。

つまり頻繁に記事的文章や、会話文を読むことになる。
たとえ幼い頃、視覚的理解で物事を覚えたとしても、文章で理解する思考方法も身につける。
手話ももちろん流暢にできるから、バイリンガルみたいなものだ。

わたしは研究者ではないから、この見方が絶対正しいとは言えない。統計をとったこともないし。
あくまでわたしの経験に基づいた、わたしの推論である。

もうひとつ、理由がある。
これは若い聴覚障害の男性から聞いた。また別のスキルアップ研修に来ていた人だ。

「最近は聴覚障害児の教育も変わってきたから。
前は手話を使って、聾者の世界で、聾者同士コミュニケーションをとれるようにする、ということを目標にしてたけど、今は違うからね。
健常者と一緒の社会で、どうやって生活していくか、という方向に変わってる。
自分は小学校のとき、手話じゃなく、口話を使うように教えられた。
先生も授業を口話と板書で、普通にしてるんだよね」
「授業も口話で? どうやってっていうか――」
「クラスの人数は少ないから、先生を囲むように半円形みたいに一列に並んでる席。
距離が近いから、口を読み取れる。
自分が話す訓練もするよ」

もちろん、健常児童を相手にしているときよりゆっくり話したり、工夫はされているのだろうけど。

なるほど、そういう変化があるのか。
そして昔はそんな方向性で考えられていたのか。

同じように若いからといって、全員が彼のように――または前に来ていた人たちのように、何の問題もないレベルになるわけではない。

逆に、年をとっているからといって、昔ながらのままということもない。

わたしと同じくらいの年齢かな、と思う男性がさらにずっと後のスキルアップ研修にやってきたが、文章は自在に使いこなした。
文章での説明も、理解するのに何の苦労もないようだった。

彼は社会経験が長い。
「今の会社では、コミュニケーションをとるのにスカイプを使ったりしている。
会議も、発言をそれぞれがスカイプに入力するので、自分も参加できる」
と手話で語ってくれた。

他にもいろいろ話をしたが、わたしの手話知識では理解できない部分は、自らさっと筆談をしてくれる。
そのとき書く言葉は、わたしが最初の頃していたような、きちんとした文章の形式だ。

「素晴らしいですね」そして付け加えてくれる。「素晴らしいの手話は、良いから来ています」

――確かに、筆談で「から来ています」まで書かれると、「分かった分かった、もう分かった」という気持ちになることもある。
なるほど、かつてわたしに筆談で説明されていた人たちは、こんなふうに感じていたわけね。

聴覚障害の人との間にあった、思考形式の溝や言語の壁は少なくなってきている。
コミュニケーションはとりやすくなっているのだから、社会での活躍ももっと増えるだろう・・・・・・



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Chapter 2 聴覚障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


手話が少ししかできなくても

手話について語り出すと、それだけで本ができるほど長くなってしまう。
どういうふうに勉強して、どういうふうに挫折して、どういうふうに片言ながら使うようになったか――
長すぎる。
いずれそういうPartを設けたいと思うが、ここでは全体を見て簡単に触れるだけにする。

英語の学習でも言われているのを見ることがある。
「間違っていてもいいから、とにかく話すこと」

そう言われても、わたしなどは恥ずかしくなってしまい、ブロークン手話を使う勇気が出ないでいた。
でも流暢に会話できるようになんて、少しばかり勉強しても全然ならない。
だからいつまでも手話を実際の会話では使えない。

PCプラクティスやスキルアップ研修などで、注意事項の説明の後、「担当してくれる講師の方を紹介します。○○先生です」と言われたとき、なんとか手話で自己紹介はできるようになった。
「わたしの名前は○○です。よろしくお願いします」
そして朝、教室に入ってきた人に、その人が聴覚だったら「おはようございます」と手話で言える。
帰るときも「お疲れさまでした」と一人一人に声をかけるが、聴覚の人には手話で言える。

「OK」――これは、普通に「OK」というサインと同じ。親指と人差し指で輪を作り、残りの3本を立てる。
「OK」は大変便利だ。講習中の筆談を格段に減らせる、使える手話。

たとえば、やり方が分からないでいる人や、間違った操作をしておかしくなってしまった人に――
ボタンを指か鉛筆などで指す。「クリックして」と言わなくても、その人はマウスを持っていってくれる。
もしクリックしてくれなかったら、人差し指を動かしてクリックの動作。これで「クリック」。
シート名やセルなどを指す。「クリック」の動作。
ボタンを指す。「クリック」の動作。
うまくいったら、「OK」の手話。

たとえば、何か変なことをしちゃったかな? と不安になっている人がいる。
テキストの練習問題では、①の問題でいったんおかしくなるが、②でそれを直す問題が出たりする。
「OK」の手話。「ホントに?」という顔をされたら、2度3度「OK」。
筆談用の反故紙に「あとで直す」と書き、テキストを指す。
「あとで直しますから、今は気にしなくていいです」と鉛筆で書くより、早い。

手話を勉強して良かったことは、筆談が少なくなったことだ。
手話で完全に会話ができるわけではないが、1つ覚えるごとに筆談が少なくなる。

そして筆談が必要な部分も、補うための一言二言になり、あまり長々と文章で書かなくなる。

すると、相手もそのほうが良いらしい、ということに気づく。

どうしたらいいのかな? という顔をしている人がいる。
近寄って行って、机の上で紙に「名前を付けて保存をしてください」と書く。
目の近くに持ち上げて、見せる。(書き終わったら見ればいいと思って、紙を見ずに自分なりの操作をしている人も多いから。)
「ああ、なるほど、そうだったのか」と、名前を付けて保存してくれる。

でもその頃には、相手は「あれ~?」といくつか操作をしていたりして、保存の前に「このメッセージは消して」「ここをクリック」「ああして、こうして」と余計なことが必要になる場合だってある。

手話単語をいくつか覚えていれば、「あれ~?」と余計な操作をする前に説明ができる。
近寄って行って、「保存」の手話。
人によっては「これは名前を付けて保存だな」「上書き保存ってことだな」と自分で判断してくれる。
迷っているようだったら、「名前」の手話。「名前を付けて保存か」と分かってくれる。
「名前」の手話が分からなかったら、そのときは紙に「名前」と書いたっていい。これだけならたいして時間はかからない。

文章を全部紙に書くのは、相手にとっても分かりにくい。
でもぶっきらぼうに思えてしまうので、講師としてはついつい丁寧語で書いてしまう。
わたしも「インストラクターはサービス業」と思っているので、どうしても丁寧な文章で長くなってしまっていた。

ところが手話を勉強すると、ある種のぶっきらぼうな手話もかなりまかりとおっているのを発見する。
(手話には種類があるし、また、人によってきちんと使っていたり、簡単に使っていたりいろいろだ。なので一概には言えないが、ぶっきらぼうに思える話し方の人もいる。)
なぁんだ、手話での会話もこういうふうなら、むしろ丁寧に書いていたらまだるっこしい。

手話を少しかじれば、どこまで簡潔にしていいか、筆談のコツもつかめるようになる。

そうなると今度は、大切な部分を長く文章で説明しても聞いてくれる率が高くなる。
普段はそんなことをしないので、「何か大切なことかな?」と察してくれるのだ。

実際は、長く説明が必要なときもなるべく図解を用いたりして、目で見て分かるようにするほうがいい。
それでもやはり文字は多くなるが、長い筆談は特別なときだけに限定すれば、相手が注意して読んでくれるようになる。

どこをクリックすればいいかは、画面上を指す。
クリックは人差し指を動かす仕草。
ダブルクリックは人差し指を2回動かす仕草。
右クリックは中指を動かす仕草。
OKは普通のOKと同じ。

これでフォロー時の操作説明はできる。

あと、「保存」の手話が分かれば、充分。
「この問題が終わったなら、こちらのプリントをやってください」なんてときのために、「終わる」を覚えておくと、さらにいい。
「終わる」の手話をして、「終わった?」と聞く。本当は「?」なども手話があるけど、「終わる」だけでも通じる。だって、そういう場面なのだから。
相手が「終わった」と手話をしたら、プリントを渡す。
そのとき手に持っているなら、渡す。
持ってなければ、「待ってて」なんて手話が分からなくたって、取りに行けば相手が察して待っていてくれる。

まさに目からウロコが落ちた。
今までのわたしたちは、画面上でボタンの位置を指したとしても、「クリック」は紙に書いていたものね。

画面上を指す → クリック・ダブルクリック・右クリックはジェスチャー → OK
これは自慢じゃないがわたしが広めて、PCプラクティス講師は皆使うようになった。
わたしが「終わった?」とよく使うので、「終わる」の手話を覚えた人もいる。

でもやっぱり、美和先生は画面上を指すところまでしか、使わないかな・・・・・・



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Chapter 2 聴覚障害



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