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居心地のいい場所

スクールが、障害のある人にとって居心地のいい場所であることは、事実だと思う。
100%の真実だとは言わない。だけど、ある一面において、「居心地がいい」と言っていいと思う。

まず肢体障害の人のことを考えてみよう。
一番最初にわたしが気付いたのは、その点だったからだ。

なんといっても廊下が広い。車椅子が2台、ゆうゆうとすれ違える。
普通に歩いている人が両方向から来て、さらに車椅子の人が両方向から来ても、4人がゆうゆうとすれ違える。

両脇に松葉杖のようなものを抱えて歩く、若い男の子がいた時期がある。たぶん、足が麻痺している。
彼がトイレなどに行くと、廊下に杖がつくときの「カチャン」という音で分かる。
「カチャン カチャン カチャン カチャン」と移動していく。
脇に抱えた大きな杖は、つくとき両側に開くので、移動するにはある程度の面積が必要になる。
その彼も、誰も気にすることなく、自分のペースで歩いていくことができる。
誰かが前方、あるいは後方から来たからといって、端によけたりあわてたりすることはない。

廊下は手すりがついている。
手すりが必要な人は、伝って歩くことができる。
視覚障害の人も、安全に手すりを伝って歩いていける。

扉はスライド式になっている。すべての部屋のすべてのドアがスライド式になっている。
車椅子の人が押し戸や引き戸を開けるのは厄介もあるが、スライド式なので問題ない。

実習生さんが使うのは、1階と2階。なので1階と2階をつなぐスロープがある。
車椅子の人にとっての階段だ。スピードは階段を下りるより断然早いけど。

エレベーターもある。
車椅子のまま3人くらい入っても、まだ他にも義足や麻痺の人が何人も乗れるほどの大きさのエレベーターもある。
店舗などの業務用エレベーターくらいの大きさ――いや、あそこまで大きくはないけれど、普通のよりはかなり大きい。

トイレも完備。
よく見かける「誰でもトイレ」のような、広くて車椅子の人でも使えるようなトイレももちろんある。
場所は限られているけれど、座位では排泄できない人のための、寝台みたいなトイレだってある。

こういったことは見てすぐ分かる。

見た目で分からないことも、考えてみよう。

聴覚の人にとってはどうだろう?

説明会があるとなったら、要約筆記や手話通訳が用意されている。
PowerPointなどで作ったプレゼンテーションのスライドは、箇条書きや図しか載っていなくて、後は口で説明されたりする。
だけど、もし要約筆記や手話通訳がいないなら、スライドに説明が細かく記入される。

手話が分かるスタッフも多い。
分からない人も、「聞こえないから筆談で――」とか説明しなくても、すぐに察して筆談してくれる。

チャイムが鳴っても聞こえないから、点滅して知らせるライトがある。

そしてどの障害の人にも言えることだけれど、不都合を理解してくれる環境がある。
一緒に実習や研修を受ける仲間同士も、お互いに何らかの障害がある。だから違う障害でも、自分の不利な点や不都合を察してくれる。
スタッフは毎日さまざまな障害の人と接しているので、やはり察しがよい。
不利や不都合を理解しようという気持ちが最初からある。

――失言。健常者で、特に障害者と接することがない人でも、理解しようという気持ちがあると思う。
でも何をどう理解すべきかは分かりにくいときもある。予想のつかない不都合もあって、「あ、そうか」と目からうろこが落ちたりする。
そういうことの察しが早い、ということだ。

「予測のつかないこともあるかもな」と最初から分かっている。――そう言い直そう。

それから好奇の目に晒されない、というのもある。

今は障害者の社会進出も以前より進んだけれど、わたしが働き始めたばかりの頃は、街中で車椅子の人を見かける率もずっと少なかった。
「あ、車椅子の人だ」とつい気付くし、ついチラッと見てしまう、ということも多かったと思う。
大きな杖を持って歩いている麻痺の人を見かけたら、「大丈夫かな」と善意で見守ることもあるかもしれない。

でもここではほとんどの人が普通の人扱い。(すごく珍しい障害の人だったら、分からないけど。)

そりゃ、いいことばかりじゃない。何事にも短所とか、マイナス面などはある。
でも、転んだりしない限り振り返られることもなく、放っておいてもらえるなんて、きっといいことだよね?

スクールは居心地がいい場所なんだろう、とわたしが思うのは、戻ってくる人がいるからだ。

学校公開のときにやってきて、担当だった先生方に挨拶をしたり、もう一度スクールの空気に浸ったりする人も多い。
スキルアップ研修という形で数日間、会社を休んでスクールに戻ってくる人もいる。
特に何の日というわけでなくても、担当だった実習コーチの先生や就職コーチに、今の会社での活躍を報告しに来る人がいる。
ときには‥‥‥今の会社での悩みやストレスや問題点を相談しに来る人もいるようだ。

楽園じゃないかもしれないけど、でも悪くない場所なのだと思う‥‥‥



●3年目:楽園? それとも‥‥
Chapter 2 実習生さんの世界



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■まえがきにかえて(おことわり)■


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ほほえましい話?

まだこの記事に出てきていないが、知的障害の人たち用のコースがある。

知的のコースには他とは違うルールがある。
たとえば、他のコースでは年に何度も入校式があって、ちょっと大学的に「僕は今度はこの実習」「私は次の時間はこの講習」というやり方をしている。
知的のコースは、入校は年に一回。全員同じ日。
一年間ひとつの「クラス」、同じクラスの「クラスメイト」として過ごす。
少しはコース分けや、個別の特別実習もあるが、基本的に高校みたいな感じでそろって同じことをする。

時代はもうわたしがここで働いて9年になろうとする頃。
何人か入れ替わったPCプラクティス担当の事務の方も、4人目の万願寺さん。

万願寺さんはいつも面白おかしい話をする人だった。
深く突っ込んだ深刻な話や、苦労話や愚痴、シリアスな話などはあまりしない。
いつも当たり障りのない話題を、当たり障りなく笑い話にする。
「当たり障りのない面白い笑い話」というのは変かもしれないけど、つまり毒がないということだ。

「今ですねー、知的に可愛らしいカップルがいるんですよ」
――知的にカップルが!?
「そうなんですよー。これがまた、ちょっと不思議なカップルでねぇ。
二人で座り込んで地面を見てるんですよ。花でも見てるのかな?と思ったけど、花もないし。
虫でもいたんですかねぇ? ずーっと二人で下を向いてるんですよ」

本当につきあっているのだろうか?

「そうなんじゃないんですかねー? だってよく手をつないで歩いてるんですよ。
ほほえましい話ですよねー」

手をつないで登下校して、休み時間には二人にしか分からない何かを見つめている。
ほほえましい恋だ。

でも同時に、何かあったら困ると心配されてもいそうだが、どうだろう?
恋のトラブルなんかに発展しても、知的の人はご両親があれこれ心配なさりそうだ。

「あれはやっぱり恋人同士なんですよねー、大丈夫なんですかね?って言ったら、怒られましたよ。
変な想像しないで見守ってやったらいいじゃないか、ほほえましい話じゃないかって」
万願寺さんは笑いながら、面白おかしく話していた。

わたしたちPC講師には、その程度の会話しかしないよね。
とわたしも、少しほほえましい(苦笑いの?)気持ちになった。

本当のところは、まったく心配がないなんてことはないと思う。
だけど、口に出して言うのはスクールの暗黙のガイドラインに反している。
そういうのはこっそりと、オフレコのときにしか口に出されない。

はっきりと「心配だ」と言うのは、それはそれで自由を侵害する人権問題になるかもしれない。
まあ、ちょっと微妙でよく分からない領域なので、触れないでおこう。
でも問題が起こって「何もしなかったのか」と責められるのも、困る。

とはいえ、まだ何も起こっていないのだから、今は静観しておこう。
だけを目は離すまい――

くらいの感じだろうか?

――おっと、わたしはまた想像が暴走してしまった。
勝手な想像は慎もう。

でも実際、レギュラースタッフの人たちも、微妙な気持ちで見守っていたのじゃないだろうか‥‥‥



●3年目:楽園? それとも‥‥
Chapter 2 実習生さんの世界



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■まえがきにかえて(おことわり)■


恋がこじれることもある

職場恋愛が疎まれることもある。
破局を迎えたり、もめたりしたとき、職場だから離れるわけにいかなくて厄介だからだ。

スクールも当然そうだ。

あるときPCプラクティスにやってきた人の中に、髪の長い女性がいた。
印象に残る人だった。
なかなかの美人だったというのもあるけれど――ピンク好きだったのだ。

持ち物は全部ピンク。
バッグ、ペンケース、ペン、ストラップ、ケータイ(まだスマートフォンのない時代)。
服もピンク系。
たとえば白いシャツブラウスに、ピンクのカーディガンとか。
ピンクのスカート、ピンクの靴とか。

オールピンク。

わたしと美和先生が組んでいて(ということはかなり初期の頃の実習生さんで)、美和先生が必ず進行役、わたしはいつもフォロー役という時代だった。

Wordの講習、何回目かにクリップアートやワードアートを使ってビジュアルな文書を作る、という章がある。
「検索ボックスに『花』と入力してください」

‥‥‥美和先生は少し時間をおいて、皆が入力するのを待つ。

「検索ボタンをクリックしてください」

‥‥‥それほど遅れている人はいなかったので、わたしはのんびりとフォローをしている。

「一覧が出てきたら、上から4つ目くらいにある、この白い花をクリックしてください」

‥‥‥美和先生は選んでほしいクリップアートにマウスをのせたまま、少し時間をおく。
皆がちゃんと同じものを探せるまで待つのだ。

「クリックすると、白い花のクリップアートが挿入されます。
今度はサイズを小さくします」

ここでちゃんと入ったかどうか見回らないとね。
わたしは教室内を見回って、皆さん同じようになっているかどうか、チェックする。

すると、オールピンクさんの文書には、ピンクのデコレーションされたハートマークが入っていた。
一瞬、足が止まってしまい、「これは――(違いますね)」と言いかけた。
オールピンクさんは、「分かっているけど、こっちのほうが可愛かったから」と言った。

本当にピンクが好きなんだなぁ、と思った。
わたしの記憶ではとにかくピンクの印象が強くて、何の障害だったかも覚えていない。
でも車椅子ではなくて、杖も持っていなかったから、聴覚とか内部障害とかだったのだろうと思う。

わたしは2週間で実習生さんとのおつきあいは終わってしまう。
後は、廊下ですれ違ったときに挨拶するくらいだ。
オールピンクさんとも、2週間でお別れだったが、実習生さんはその後も何ヶ月も通い続ける。

誰から聞いたのだか忘れてしまったが、あるとき聞いた。
ある実習生の女性がスクール内で恋愛遍歴をしていて、トラブルが起きているらしい。
どの女性か分からなかったが、特徴を聞いているうちにピンと来た。
「ピンクが好きな方ですか!?」

確かに彼女は女性らしさが前面に出ているタイプだった。とうなずいた。
髪もメイクもいつもきちんとしていて、ちょっとした持ち物にも気を配っている。すりきれた物なんて持っていない。

女性ならたぶん分かってもらえると思うのだが、「恋愛受け入れ態勢オッケー」だったのだ。臨戦態勢と言ってもいい。
恋愛に興味がないとき、または年をとったり結婚したりして興味を失ったときは、人の目を意識した生活をしない。
身だしなみだけではない。小物など些細な持ち物も、人前での笑顔やしぐさも、いろいろなことを意識しているのだ。――臨戦態勢のときは。

というわけで、彼女にはすぐに崇拝者ができた。『崇拝者』は「赤毛のアン」風の言い方だ。
「赤毛のアン」とは時代が違うので、崇拝者はすぐにボーイフレンドや恋人に昇格した。

でも破局。

破局したけど、またすぐに崇拝者ができた。
そして崇拝者はボーイフレンドや恋人に昇格し、また破局。

そういうことが3度ほどあって、三角関係四角関係になっているという。
破局したからって、すぐに忘れられるわけじゃないものね。

どうやら恋がこじれることもあるらしい‥‥‥



●3年目:楽園? それとも‥‥
Chapter 2 実習生さんの世界



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■まえがきにかえて(おことわり)■


恋が芽生えることもある

ずっと以前に、弱視の若い男性にスクールで知り合った彼女がいるってことを書いた。
彼女は一足先に実習期間を終え、故郷の東北に帰っていた。
遠距離恋愛はつらい。電話で彼女に「寂しい」と言われたりすると、今すぐ会いに行こうかと思うこともある。
そんなことを話してくれた。

毎日顔を合わせていたら、恋も芽生える。
学校だって、職場だって、恋が芽生えやすいものだ。

弱視の彼の場合、彼女もスクールに通っていたのだから障害者だったろうけど、弱視ではなかった。

そんなふうに違う障害同士で知り合って、結婚した話も聞いたことがある。

あるときスキルアップ研修にやってきた聴覚の若い女性、もう卒業して会社で働いていた。

卒業してからも本人の希望で、あるいは会社の希望で、短期間の研修に来ることはよくある。
わたしはPCプラクティスでほぼ全員と会うことになるので、卒業生はだいたい知っている。
――ただ、あまりに数が多すぎる上、会うのがほんの2週間、わたしにはカリスマ的記憶力はない。
だからはっきりと名前を思い出せないこともある。
「知ってる!」「見覚えある!」「こんな人だった」というのは、たいてい覚えているんだけど。
――まあ、間違ってるかもしれないが。

彼女も顔は覚えていて、「お久しぶり!」と再会を喜んだ。

今の会社の話、仕事の話など、近況を聞いているうちに、「子供が生まれた」と彼女は言う。
若そうな彼女なので、驚いた。

「おめでとう! 男の子?女の子? 写真ある?」

彼女は可愛い赤ちゃんの写真を見せてくれた。若い人は(今や若くなくても)、スマートフォンやケータイに写真がある。
まだ生まれて間もないそうで、1歳になっていないと話していたと思う。

彼女は聴覚なので、わたしのブロークン片言手話とジェスチャー、彼女の口話能力で、なんとか会話した。

「会社に行っているときは、赤ちゃんはどうしているの?」
「夫のお母さんがみてくれてる」
「旦那さんのお母さんは近くにいるの?」(「お姑さん」という手話は分からないのだ。)
「一緒の家に住んでる」
「それはよかったですね。――助かりますね」(「よかった」は手話ができるけど、「助かる」は口話。)

お姑さんと一緒では、嫁姑の問題なんかもあるのだろうか?
それともとてもいいお姑さんで、そして彼女も素直な人で、とてもうまくいっているのだろうか?

彼女曰く――

「夫のお母さんとは問題はない」
「あったとしても、お母さんは手話ができないので、言えないのかもしれない」
「もし何か言うとしたら、お母さんはまず夫に話して、夫が自分に手話で言うことになる」
「夫からは何も言われていない」

それはそれは。

「旦那さんのお母さんは手話ができないんですね」
「健常者だから」
「旦那さんとはどこで知り合ったの?」
「ここで」

――旦那さんは車椅子だという。
写真を見せてもらったら、顔に見覚えがあった。PCプラクティスに来ていた。

「ああ! 彼ですか! じゃあ、二人はコミュニケーションは手話でするの?」

彼女はにこにこ教えてくれた。
彼が彼女を好きになって、話がしたいから手話を一生懸命覚えて、そしてアタックしてきたのでつきあうようになったのだそうだ。

お子さんは聴覚障害はないそうだ。
「(家族の中で)自分だけ聞こえないから、小さいうちから手話を教えて、仲間にするつもり」
とにこにこ話していた。

お子さんも、今頃はもうだいぶ大きくなっただろう。――小学生にはまだ早いかな?
手話は覚えたかな?

彼女は、旦那さんが優しくしてくれてとても幸せだと言っていた。

恋が実るのはいいものだ‥‥‥



●3年目:楽園? それとも‥‥
Chapter 2 実習生さんの世界



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■まえがきにかえて(おことわり)■


寮の苦労

「寮ってなんだか楽しそうだ」と単純に思っていた。

そういえば派遣の単発で、医療システムのユーザーサポートに行ったとき、遠くの会社から出向してきているSEさんたちは「近くに寮がある」と言っていた。
寮ではないのだけれど、その賃貸アパートだかワンルームマンションだかにいくつも会社が部屋を借りていて、全員がそこに住んでいる。だから寮みたいなものだ、と。

仕事が終わって家に帰ってからも、DVDの貸し借りをしたり、一緒に見たり、話を聞いていると楽しそうだった。

でも自分にもそういうことができるかな?
たまたま気の合う仲間ばかりだったらいいけど、わたしはちょっと気難しいところがあるからな‥‥‥

――よく考えれば、そういうことは多かれ少なかれありそうだ。
すぐ誰にでもぺらぺら喋りはしないだろうけど。

たぶん、最初の頃のわたしは、いかにも単純に「いいですねぇ~、素敵ですねぇ~」という感じで、本音はちらっと漏らすこともできなかったかもしれない。
実年齢だけでなく、世間の見聞や考え方も少しは大人になって(いい意味でも悪い意味でも)、わたしもこなれたのだと思う。

「寮に入っているんですか。皆さん仲良くしていらっしゃるイメージですよね」
なんて単純に言ったら、相手が一瞬口ごもったことがある。

「うーん、まあ、だいたいはね」
「あら。ときどき問題も起こるんですか」
「まあ、他人が集まってきてますからね。いろいろありますよね」
「言われてみればそうですよね」
「二人部屋とか三人部屋とかは、合わなくてどっちかが出ちゃうってことがありますよ」
「部屋をですか?」
「一人部屋に移りたいって希望したりしてね。逃げ場がないですからね。ちょっとした争いがエスカレートしちゃうこともあったりして」
「希望すれば移れるんですか」
「空いてれば。まあ、そこまでいくのはめったにないですけどね」

そういえば、前に玉名上級マネジャーが言っていたことがあったな。
「今度入ってくる中に、以前いた施設で、同室のやつを使い走りのようにして問題になったのがいる」って。
あれも寮の話だよね。

「同室のやつにすごくムカつく」という話を聞いたこともある。
詳しいことまでは知らないままだったが。

それからあるときのPCプラクティスでも、寮の暗黒面の話を聞いた。
これは聞こえてきただけで、わたしは会話に参加していない。
このときのPCプラクティスは、ほとんど全員が同じコースから来ていて、「同じコースの同期」という感じで仲が良く結束していた。

「昼は弁当?」
「弁当は頼んでない。皆で食堂に行く?」
「寮で食べなくていいの?」
「いいよ、どうせ夜は帰らなきゃならないんだからさ」
「寮って、大変なの?」
「いろいろあるよ。なあ?(と他の人に)」
振られた人は曖昧にうなずいていた。
「二人部屋なのに大きな音で音楽聴いてるとかさー、そういうことする人がいるんだよね」

話は続いていたが、休憩時間に教室から出ていきながら話していたので、そのあたりで皆さん廊下に出てしまった。

彼らは別の日にも寮のことを話していた。

「人の迷惑を考えない人間がいると、周りはたまらないよ」
「ふうん」
「でもアパート借りて一人暮らしなんて、お金かかってできないしさ」
「食事も出るんだよね?」
「そう。探すのも大変だしさぁ。だから寮にいるしかないんだよね」

――いろんな人が集まっているのだから、人間関係が100%うまくいくことばかりじゃないよなぁ。
わたしにもだんだん分かってきた。

それからまたずっと経って、またPCプラクティスでのこと。

PCプラクティスは入校してからすぐにあるので、まだまだ友達や人間関係はできていない。
いつも皆、スクールにも少しずつ慣れようとする時期、他の人にもためらいがちにアプローチする時期。
そのときは、友達を作ろうと積極的にアプローチしている人がいた。
積極的だけど「とにかくガンガン行く!」というわけではなく、ほどよい感じだった。

「××さんは寮なんでしょ? いいなぁ。寮って皆、仲良さそうだよね。どんな感じ?」

うふふ。それ、6、7年前のわたしですね‥‥‥



●3年目:楽園? それとも‥‥
Chapter 2 実習生さんの世界



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■まえがきにかえて(おことわり)■


寮の利用

「寮」と呼ばれるものがあった。
家が遠くて通えない人は量に入ることができた。

入寮の条件などもあったのかもしれないが、わたしは知らない。
お金がかかるものだったのか、寮の規則はどんなものだったか、そういったことも知らない。

PCプラクティスに来ていた人と話していて、「寮」の存在を知った。
「あ、自分、寮なんで」
「寮があるんですか~!」

「寮」の逸話は断片的に耳に入る。

スクールを卒業して、社会人になってから、短期間のスキルアップ研修来た若い男の子。
脳性麻痺で、ちょっとしゃべったりするのはたどたどしい。体も麻痺しているけれど、車椅子も杖もなく歩ける。ーースタスタは歩けないけど。
「寮にいた頃はよく飲みに行ったなあ」
「寮では飲まなかったんですか?」
「寮では禁止されてたから。でも、飲んでた」
「規則違反して?」
「夜、部屋に、皆、集まって、朝まで飲む。楽しかったなあ~」
「若いなあ」
「もう、今は、できない」
「まだ若いでしょ」
「いやあ~、もうできない」

たまたま見る機会があったある日の終了時の報告会。
卒業する人がいて、卒業式とは別に報告会でもちょっとしたイベントをやっていた。
「では××さんから送る言葉を」
言われて前に出た××さん、男性。肢体だったかな。でも少し足を引きずる程度。
送られるには、車椅子の男性。
「**さんとは寮で同室でした。いつもいろいろなことを教えてくれて――」
語られたのは、一年近い同居生活での面白いエピソード、感動の逸話、**さんへの感謝。
一年も一緒にいたら、ケンカしたことや嫌になったこともあったかもしれないが、それを乗り越えた友情が感じられて心温まった。

PCプラクティスで見かけた仲の良い車椅子数人のグループ。
「皆さんはいつも一緒にいますね。仲がいいんですね」
「全員、寮なんですよ。だからなんとなく行動が一緒になるんです」

「通いやすくていいですね」
「そうですね。でも寮って門限あるんですよ」
「あ、門限があるんですか」
「そうなんですよ。飲み会なんかがあると困りますよ」
「本当ですね。遅れたらどうなるんですか?」
「こっそり入っちゃいますけどね」
「こっそり入れるんだ~」

「お昼はどこで食べてるんですか? 食堂ですか?」
「寮に帰って食べてるんですよ。寮のほうが食堂よりうまいんで」
「ああ、そうなんですか~! おいしいほうがいいですもんね」
「夜もなんで、飽きたときは食堂行きますけどね」
「食べたいときだけ寮の食堂を利用することができるんですか?」
「紙が置いてあって、食べる日は名前を書くんですよ。朝も夜も同じ仕組みなんです」
「ああ、なるほど」

わたしは共同生活の経験が少ない。――ほとんどない。
仲の良さそうな寮の話は憧れの反面、自分にはうまくやっていけるか自信のないものでもある。

でも障害がある場合は、一人暮らしをするよりも安心な面があるかもしれない。

とにかく「寮」って、経験のないわたしには青春の響きがある。
実際はスクールは、若い人ばかりというわけではなく、いろいろな世代の人がいるのだけど‥‥‥



●3年目:楽園? それとも‥‥
Chapter 2 実習生さんの世界



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■まえがきにかえて(おことわり)■


職場として楽園? それとも‥‥

あるとき磯原さんがポロリと言ったことがある。
「自分が障害のある人がこんなにいるところで働いてるなんて、不思議」

この一言だけでは意味が分からないかもしれないけど、わたしには通じた。
わたしも同じ感慨を抱くことがあるからだ。

なんていうか――

別に深く考えもせず普通に生活をしていた。
普通に主婦で、普通に昔OLなんかしてたこともあって(わたしはないけど)、ごく自然に派遣に登録した。
――だって仕事は必要よね。大金持ちってわけじゃないんだし。

できればこのくらいの通勤時間で働きたいなあ。
週5じゃなくてもいいかなあ。
職種は特にこだわらないけど‥‥‥でも××とかじゃないほうがいいかなあ。

なんて条件をつけておいたら、「こんな仕事どうですか?」とこのスクールの仕事が来た。

条件は良かったし、受けた。
そして今、働いてる。

もともと福祉の意識が高くてそういう仕事を希望していた、ってわけじゃない。
もしそんな人だったら、なるべくしてなったわけで、熱意と情熱に燃えて仕事しまくってるだろう。

けど、自分にとってはこれは「仕事」だという認識で受けて――もしかしたら経理の伝票入力だったかもしれないし、証券の資料ファイリングだったかもしれない。
つまり、たまたまこのスクールだった。たまたまこの仕事だった。
「嫌だ」ってことはないけど、「この仕事こそ夢だったの!」ってわけでもない。
高い志があるわけじゃない。悪くない条件だから続けてる。

でも世間的に見たら、こういう状況ってちょっと特別だよね?
だって、「障害者の施設で働いてて、こんな仕事してるんですよ」って言ったら、「皆さんすごく頑張ってて素晴らしいですね」とか「もっと理解ある世の中にならないといけませんね」なんて言われたりする。

仕事だからおろそかにする気はないし、仕事として最善を尽くしているけど、それはこの仕事じゃなくてもすることなのだ。
条件さえよければ、ずっと続けていきたいものだから。

――うまく説明できていないと思うけど、それらが「不思議な気持ち」となって感じられる日がある。

たまたま自分がこの仕事に出会い、今も続けているということは、ある意味で「運命」とか「天命」だと思えるかもしれないけど。
でもそんなことを言うのはちょっと我ながら苦笑いしちゃうから、やめておこう。

だってわたしはこの仕事を「仕事」として捉えている。
そこにあるのは、時給と業務だ。シフトと通勤だ。感動じゃない。
他の仕事に就いたときと同じ。

仕事の条件としては悪くない。
派遣さんにとっては、残業はなくいつも定時で帰れるし、定時は早かった。
たくさんの人と出会って、「先生」をするというのも、楽しみがある。教えることって面白いし。

どんな仕事だって、いいところと悪いところがある。
この職場は、いいところのほうが多めだったんじゃないかな。

だから楽園というなら、確かに楽園だった。
でもやっぱり、楽園ではないとも言えるのだった‥‥‥



●3年目:楽園? それとも‥‥
Chapter 1 派遣さんの世界



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■まえがきにかえて(おことわり)■


派遣さんたちの退場

仲良くしていると、いいときばかりではなく悪いときも共有することになる。
いや、「共有していた」って言ったら、実際に身をもって体験した派遣さんたちにしてみれば「あんたはしてない!」って思うだろうけど――
その『悪いとき』におつきあいすることになる。

ある日、派遣さんたちに衝撃が走り、そして憤懣やるかたない思いをわたしも派遣さんたちから聞いた。

今となっては磯原さんと浜脇さんが言っていた言葉を、正確に思い出すことはできない。
たぶん、思い出して記述しても、わかってもらえないだろうと思う。
だってお二人ともショックを受けて興奮状態にあったから、理路整然と話していたわけではなかったもの。

この当時の総合ビジネス課程の派遣スタッフは、わたしが前から知っていた磯原さんと浜脇さんと、そしてわたしは挨拶くらいしかしたことがない花山さんだった。
花山さんは、お昼はお弁当だったので、わたしはゆっくり話したことはなかった。

この3人は同じA派遣会社から来ていた。

そして3人とも、来年度は契約を更新しないと通告されたのだそうだ。

現場は混乱していた。
――つまり、磯原さんと浜脇さんとのランチということだが。

A派遣会社が切られる、それに伴って、当然A派遣会社からの派遣スタッフは切られる。
営業さんが能力がないからだ、A派遣会社が高いからだ、など、いろいろな憶測。

そしてバタバタとお別れの挨拶。
週3日で来ていた皆さん、通告はぎりぎり1ヶ月前、3月の頭だった。
あと何回も来ない――3月の末はスクールが春休みになり、数日間お休みだった。
皆さんは残った有給休暇を消化するのが、もうぎりぎり。
「もう今日以降、全部休み!」

思えば、川南さんはよいときに辞めたのかもしれない。
あのときなんとか残っても、もう次の年にはこのゴタゴタに巻き込まれたわけだから・・・・・・。

翌年度、違う派遣会社さんから来た派遣さんをチラリと見た。
もうわたしは、川南さんのような橋渡しをしてくれる人はいないので、誰とも親しくならなかった。

派遣スタッフに関しては、その後も変遷があった。
A派遣会社の後の派遣会社はA派遣会社より時給が高く、結局またA派遣会社に戻った。
そのとき、既に辞めたA派遣会社の方は、帰ってこなかった。

何年かA派遣会社が続いたが、その後はなんと、派遣スタッフそのものをやめた。
アシスタントテンポラリーとして、非常勤講師みたいな形で直雇用することにしたらしい。

わたしはそういった波の中でも、何の変化もなく「一番下っ端」を驀進し続けた‥‥‥



●3年目:楽園? それとも‥‥
Chapter 1 派遣さんの世界



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■まえがきにかえて(おことわり)■


川南さん退場

かつて通った職業訓練時代のクラスメイトで、偶然このスクールでわたしより先に派遣として働いていた川南さん。
川南さんがいてくれたおかげで、わたしは派遣さんの仲間に入れてもらえたのだが、わたしより一足先に辞めることになってしまった。

浜脇さんと磯原さんは同じコースにいて、特に変更もなかったようだ。
でも川南さんは、更新のとき違うコースになり、また次の更新のときまた違うコースになったりしていた。

わたしがスクールに入る前、川南さんは「ビジネス演習コース」の派遣スタッフだった。
ビジネス演習コースは、いろいろな事情で、より手厚い支援が必要な人たちが学ぶコースだった。

たとえばだけど、高次脳機能障害の人は、記憶する力が落ちていることがある。
今日「Wordでコピーをするにはこのボタン」と覚えても、明日には忘れていたりする。
何度でも繰り返し、それこそ何日でも何週間でも「コピーはこのボタン」を繰り返して、ようやく身に付ける。
あるいは身に付かないなら、他の方法を考える。その業務でよく使うボタンを一覧表にして、見えるところに貼っておくとか、ルーチンワーク用の図入りマニュアルを作るとか。
――そのコースでは、「コピーはこのボタン」以外に、「もし就職先で困ったら、こうしよう」という方法も学ぶ。

川南さんがこのコースにいた頃は、高次脳とは違う障害の人が多かったけど、とにかくやり方とか生活習慣などにまで及ぶ支援をしているコースだ。

ここでの川南さんは、週3日か4日くらいで、不満は「時間外にお茶くみ当番があること」だった。
他にもあったのかもしれないけど、わたしはまだスクールで働き始めていなかったので、知らない。

わたしが入った年は、川南さんは週3日で、情報ビジネスコースに変わっていた。
このコースはそれまでのコースの対極にある感じのところで、プログラムだのネットワークだのシステムエンジニアみたいなことを学ぶところだった。

実はこの情報ビジネスコースだけ、同じ総合ビジネス課程でもちょっと離れたところにあり、川南さんは他の派遣さんとも離れてしまった。
ランチを食堂で食べるときは会えるけれど、仕事中も休憩時間も仲間がいない状態だった。
――レギュラーやテンポラリーも、情報ビジネスコースだけとなると全員合わせて2~3人。プラス、派遣の川南さん。

実習生さんたちは、できる人たちだけにちょっと手ごわい。
川南さんのように基本的なOffice製品を教える役だと、なめられかねない。
――まあ、その辺は、川南さんは上手にやっていたようだ。そういうことに関するグチも聞かなかった。

その後、川南さんは磯原さんや浜脇さんたちと同じところに戻った。
コースは同じだったか、違うのか分からない。
でも情報ビジネス以外は場所が隣り合っているので、同じところで働いているようなものだ。

そしてこの年――

川南さんは、「次の更新は、この条件で」と言われた。
●情報ビジネスコース
●週2日

情報ビジネスコースは、まあ許容範囲だとして(そりゃできれば皆と同じコースがいいが)、週2日は困る。

川南さんとしては週4日くらい働きたいが、3日しかダメというなら仕方がない。他の派遣さんも3日だし――
でも2日というのは少なすぎる。

派遣は、派遣会社に希望を伝えて交渉してもらうので、もちろん川南さんもA派遣会社 月瀬支社の担当営業さんに相談した。
「週2日だったら、更新は困難です」

この営業さんは、わたしは会ったこともないし、実際どうなのか分からないけど、何しろ派遣さんには評判が悪かった。
磯原さん、浜脇さん、九重さんは、口をそろえて「役に立たない」「何もできない」と裁定を下していた。

だからなのか、それとも彼はよくやってくれたけどそれでもダメだったのか、派遣会社側からは何もできなかった。

川南さんは担当の上級マネジャー、阿久根さんにも話してみた。
「ダメ」とは言われなかったが、「OK」と言われたわけでもなく、ただ日だけが過ぎた。

翌年もスクールに残ったわたしが見たのは――阿久根上級マネジャーは異動だか定年だかでいなくなり、新しくやってきた上級マネジャー。
いなくなるなら、派遣さんの進退なんてどうでもいいか。
――でもそのとき「自分は何もするつもりはない」ってことをはっきり言ってくれたら、川南さんだってもっと早く決断ができたろうに。

まあ、でも派遣のことを考えてやる義理なんてない。レギュラーで、その上偉い人なんだもの。
世の中ってそういうものなのだろうけどさ。とひとつ年をとった気持ちになるわたし。

結局、川南さんは更新しなかった。

後年、川南さんは言っていた。
「派遣はダメだと思った。結局何もしてもらえないし、いいようにされちゃう。あのとき派遣は二度としないって思ったわ」

いい派遣会社、いい担当さん、いい派遣先、そのどれかに当たれば悪くないなって思うんだけどね‥‥‥



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Chapter 1 派遣さんの世界



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■まえがきにかえて(おことわり)■


九重さん退場

夏のある日、九重さんが言い出した。
「知り合いが会社をやってて、ときどきそこの仕事を手伝ってるのよ。
今度大きな仕事を受けたから、一緒にやらないかって言うのよ」

九重さんは派遣さんの中でも能力が高かった。
VBAというExcelなんかでよく使うプログラム言語の授業も担当していた。
Word、Excel、PowerPointはインストラクターなら誰でも一通り教えられる。
Accessは人による。
VBAも教えると言えば、一目置かれる。
――今は誰でもパソコンが使えて当たり前の時代だから、VBAまでできるインストラクターも多いけど、まあやっぱりAccessとVBAはレベルを表すラインだ。

九重さんは資格試験の授業でも、2級や1級を主に教えていた。
他の派遣さんたちは、3級や2級を主に教えていた。
それは担当しているグループにもよるのだろうけど、もともと1級を受けそうなグループの担当になっていることを考えても、九重さんはやっぱりレベルが高い。

それは他の派遣さんたちも認めていた。
九重さんはその腕を買われて、大きなプロジェクトを一緒にやろうと言われたのだ。
どうやらシステムを構築する必要があるらしい。

「中小っていうか、零細なんだけどね。社長一人でやってるようなとこだから。
でもそれだけに利益が出たら相当くれるっていうしね」

「それはここに来ない日に行くってことですか? それともまさか辞めちゃうの!?」

「ん~、両方はできないだろうねえ。
今までは半端な仕事をもらってたんだけど、今度は大きなプロジェクトだからねえ」

九重さんが辞めちゃうとは!
九重さんはひょうきんな物言いで楽しませてくれたり、一番年上でまとめ役だったりして、いなくなるなんて想像つかなかった。

「スクールは楽しいけど、同じことの繰り返しでしょ。
新しいこと教えることはないから。
ちょっと新しいことやりたくなっちゃったのよね。
もちろん今の私のスキルじゃ足りないから、大変だよ。Webとかも勉強しなきゃいけないしね。
でも楽しそうじゃない?」

九重さんは、まだ迷っていると言っていた。
冒険に漕ぎ出すのはワクワクするけれど、リスクもある。
安定した職を捨てて、失敗すかもしれない新規ビジネスにチャレンジしようというのだ。

それに――

「九重さん、契約はどうするんですか?
ここ、派遣には珍しく一年更新ですよね?」
「そうなんだよねええ~~!!
でも3月まで待ってるわけにいかないからさ。
そうなったら辞めるしかないよね」

まあ、依頼している企業側が契約満了前に切るのは難しかったり、罰則があったりしても、派遣側には直接的な罰則はない。
病気になりましたとでも、家族の介護をすることになりましたとでも、なんとでも言える。
契約を打ち切れなくたって、その後毎日休まれたら意味ないんだから、辞めるというなら許可するしかないのだ。

結局、九重さんは辞めた。
1ヶ月の予告にさえ足りなかったくらいだ。「今月いっぱいで!」

新しい冒険に乗り出していって、その後どうなったか噂は聞いていない。
でもお子さんたちももう大きかったし、もしその冒険が素晴らしいものにならなかったとしても、次の冒険に乗り出したに違いない。

前向きな人だったもの‥‥‥



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■まえがきにかえて(おことわり)■


有馬さん、退場

わたしにとってはテンポラリーの人たちは、かなり上のほうの人だ。
トップの人にとっては、テンポラリーは下のほうの人で、その下の派遣なんて目に入ってなくて、さらにその下のわたしなんててんとう虫くらいの小ささかもしれないけど。

とにかくわたしにとっては、この人たちはボーナスも出る人たち。
交通費も出る人たち。有給休暇もあるし、忌引もある人たち。

だからなんとなく思ってたし、言ってた。
「有馬さんはテンポラリーですもんね。来年もいらっしゃるでしょうけど、わたしは来年度は仕事があるかどうか――」

「私もどうなるか分からないですよ。一年契約なんです」

えっ!? 一年契約!?
――ここで初めてわたしは、テンポラリーの人たちが一年契約だと知った。

実はこの当時、わたしにとってはレギュラーとテンポラリーは一緒くただった。
どっちも正社員だけど、どっか違う施設に異動することもあるのがレギュラー、異動がないのがテンポラリー。
だって、「テンポラリーは、スクールが直接雇った人たち」って聞いてたから。

テンポラリーは「スクールが募集して、スクールのレギュラーが面接して、スクールが雇った人」だった。確かに。
その契約は一年間で、更新されれば次の年もまた働ける。
ずーっと更新し続けて、10年でも20年でも働く人はいる。昇進や昇給はないけど。
つまり、正確に言うとテンポラリーは正社員ではないわけだ。

レギュラーは、本当に正社員。
たとえば資格の学校みたいなところで、丸の内校と新小岩校と横浜に事務局があったら、丸の内で働いていた人が来年は新小岩校に異動するかもしれない。
先生だった人が、来年は横浜の事務局に移って、どこかの課の課長になるかもしれない。
実際は資格の学校の先生が総務部の人になったりするのかどうか分からないが、そんなふうに異動がある。

レギュラーを辞めさせるというのは難しい。
正社員というのはなかなかクビを切れないように、どこの会社でも守られている。できないわけじゃないけど、難しい。

テンポラリーは一年契約なので、年の途中で辞めてもらうのは難しいけど、
翌年はなしというのは簡単にできる。契約を更新しなければいいのだから。

有馬さんがそういう立場にいたと知って、少しビックリした。
わたしには何度聞いてもそういう違いがわかっていなかったからだ。

だって――
「レギュラーの方とテンポラリーの方って、どう違うんですか?」
「やってることはほとんど変わらないよ。ただレギュラーはうちの人間だからね。テンポラリーはスクールが雇ってる人たちだから」
なるべく控えめにおとなしくしていようとしているので、こういう質問をすることさえ稀なのに、聞いてもこんな返事では・・・・・・まったく「?」である。

有馬さんは「私も来年はいないかもしれませんよ」と言っていたが、次の年もいた。契約は更新されたようだ。

しかしそのさらに次の年はいなかった。更新されなかったのだ。

あんなに頑張っていた有馬さんだったのに!
もう手話でも普通に会話できるくらいで、食堂では通訳みたいなことまでしていたのに!
(見てないけどたぶん)どんな仕事も熱心にこなしていたのに!

2月になってもわたしには「来年度はどうなるか」というのが分からなかった。
それを言ったら、有馬さんも言った。
「私もまだ決まってないです。来年度は本当にないかもしれません」

「え! 有馬さんが更新されないなんて、そんなことないですよ!
だって手話もすごくできるし、仕事も一生懸命してらっしゃるし!」
「でも来年度は、もしかしたらレギュラーの方が異動してくるかもしれないそうなんですよ。
まだ異動は決まっていないそうなんですけど、もしその人が来ることになったら私は更新されないんです」

ええ~? レギュラー何人、テンポラリー何人て決まってるわけじゃないの?

「そのレギュラーの方は、しばらく体調を崩してお休みされていて、復帰したらはじめはあまりハードワークでないポジションに就くみたいなんですよ。
総合ビジネス課程か、もしかしたら星宮スクールのほうに回るかもしれないんですけど、星宮スクールのほうだったら私は来年もいます。
でもここの総合ビジネス課程に来ることになったら、私は来年度はいないんですよ」

でももったいない。有馬さんはとても優秀なのに。
――わたしにとっては、何しろ一年であんなに手話をスラスラ使えようになるなんて、信じがたかった。

だけどどうやら、そのレギュラーの方は総合ビジネス課程で軽い仕事をすることになったようだ。
4月、新しい年度になってみると、有馬さんはいなかった。

「来年度は更新しない」と決まったのは、もう3月下旬になってからだったそうだ‥‥‥



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■まえがきにかえて(おことわり)■


有馬さんの苦労

派遣さんたちと仲よくしていた有馬さんだが、やっぱりテンポラリーだからちょっと派遣さんとは違うところもあった。

まず休憩時間。
レギュラーとテンポラリーは10分短いのだった。
だから一緒に食堂で食べていても、「じゃあ、私はもう帰ります」と一足先にお盆を下げて出ていく。

そして10分早く戻った有馬さんは、レギュラー&テンポラリーのスタッフミーティングに出る。

派遣さんたちやわたしも、「私たちももう出るわ」というときもあったけど、トイレで歯磨きやメイク直しをゆっくりしたいからとか、そんなときだ。
急いでいるわけじゃないけど、食べ終わったから出ようか、ということもあるけど、早く帰ったからといって派遣さんたちはスタッフミーティングには出ない。

テンポラリーである有馬さんは、派遣さんよりも見られる情報が多い。
だからランチのときなども、ときどき派遣さんから「実習生の××さんて、これこれなの?」と聞かれたりしていた。
「**について今朝説明があったじゃない? あれってどういう意味? 何か問題があったの?」とか。

派遣さんたちも大人だから、有馬さんが「それはちょっと答えられない」と言ったとしても「そうだよね~」と軽く流したと思う。
有馬さんが答えられないような質問は、せずにおいたと思う。

でも大人だから処世術にも長けていて、ぎりぎりの質問をしたり、若くて拒みにくい有馬さんに突っ込んだ質問をしたり、そういうこともあったと思う。

だから、有馬さんにもいろいろな苦労がちょっぴりあったのじゃないかと、想像する。
テンポラリーとして「それは洩らせない」ということもあったろうし、どうやって質問をかわそうかと迷うこともあったろう。

有馬さんの苦労は派遣さんとのことだけではない。
上と下に挟まれるテンポラリー、レギュラーとの間にもいろいろとありそうだった。

有馬さんには、派遣さんにはない特権もあったけど、義務もあった。
「お弁当当番」だ。

食堂でランチを食べる人もいるし、お弁当を持ってくる人もいる。
でもコンビニで買うっていうようなことは難しい。
近くにコンビニがないし、それでなくてもただ敷地を出るのでも時間がかかる。
――そこで、お弁当屋さんがスクールに配達に来ていた。

総合ビジネス課程では、たぶん知的障害者の人なども働いているNPOなのか作業所なのか、そういうお弁当屋さんから取っていた。
「今日はお弁当屋さんの弁当にしよう」と思う人は、スタッフでも実習生さんでも、一覧表に名前を書く。
そしてお金ボックスにお金を入れる。

この一覧表とお金ボックスを所定の位置に置き、決まった時間になったら回収するのが「お弁当当番」。

詳しい仕組みは分からない。でも面倒なことみたいだ。

ある日言っていた。
「注文の名前の数と金額が合わないとか、お弁当が1個あまってたとか、いろいろ注意されるんですよ」
お金の管理をしているのはレギュラーの誰かなので、有馬さんにしてみれば文句だけ言われて非常に面倒だったようだ。

有馬さんは若いからなおさらだったと思うのだが、求められていることを過不足なくするのはなかなか難しい。

レギュラーさんが求めていたのは、こういった補佐的業務を不足なくこなすことだった。
でもさらにもっと下の補佐である派遣さんとは、それほど交流しすぎなくてもよかった。つまり、過剰だった。

有馬さんは実習生さんと真剣に向き合っていた、という話を前の記事でも書いた。
それも過剰だった。

有馬さんが心配していた体調を崩して入院していた実習生さんは、亡くなってしまわれた。

同じ時期に学んでいた実習生さんたちのうち、有志がお香典を集めて持っていくことになった。
これは「有志」。スクールとは関係ないところで、自主的に(勝手に)おこなったことだ。

実習生さんたちに慕われ、人気が高かった有馬さんは、有志たちに相談されてだんだん取りまとめ役のようになってしまった。
実習生さんが集めているお香典にスタッフなのにお金を出す、というのも過剰だ。
まして相談を受けて、自らが陣頭に立っているというようなのも、過剰だ。

有馬さんは、「前に皆で遊園地に行ったりしたこともあって、何もしないなんてできなかった」と語っていたけど――
一部の実習生さんたちと休日に遊園地に行くというのも、過剰だったのだと思う。

「一部の」といっても、それは結果的に全員ではなくなっただけで、誘い自体は全員にかけていたのかもしれない。
だけどやっぱり、実習生さんたちと遊びに行くというのは過剰だった。

とはいえ、この線引きは難しい。

有馬さんがいなくなってからしばらくして、テンポラリーとして入った人は年齢が高かった。
有馬さんは20代前半。後の人は50代。
有馬さんは美人、辛口の人でも「可愛いよね」くらいは絶対言う。
後の人は、わたしと同じ。「見たくない」とまではいかないだろうけど、絶対「美人」とは言われない。

後の50代の人もある日、言っていた。
「担当している実習生さんの一人が入院しちゃってね。
忙しいけど、今日帰りにお見舞いに行こうと思ってるんですよ。
やっぱりほら、気にかけてる人がいるって嬉しいものじゃないですか」

これを聞いても「過剰」とはあまり思わなかったし、たぶんこの方は他の人にも言いまくっていたろうけど、誰も「過剰」とは評しなかったろう。

そんなものだ。
難しいのだ。ルールがあるわけじゃなくて、「周りがどう感じるか」という問題だから。

若いだけに、有馬さんは苦労が多かったことと思う‥‥‥



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■まえがきにかえて(おことわり)■


有馬さんの努力

有馬さんは努力家だったのだろう。
――少なくとも手話についてはそうだった。

わたしは長いこと「筆談」オンリーで、手話には手を出していなかった。
言い訳させてもらうと、玉名上級マネジャーはじめスクールの人が「筆談でいいから。結局、講習内容とか質問とかは、すれ違いがないよう筆談のほうがいいから」とおっしゃるので、素直にそれでいいと思っていたのだ。

でも「せめて『おはよう』とか『お疲れさま』くらいは手話ができてもいいのに」というのはあったらしく、「少し覚えてほしい」と言われてちょうど勉強を始めていた。

同じ頃、派遣の磯原さんが「手話を勉強してみようかと思って」と言っていて、「一緒に頑張りましょうよ!」と話したりしていた。
だけど始めてみたら挫折もあったし、英語だって何だって違う言語を使いこなせるようになった過去も、わたしにはない。怠け者なのだ。
だから全然手話で会話ができるようにならなかった。まさに「おはよう」と「お疲れさま」くらい。

自分が挫折したし、その後また少しずつ語彙が増えて多少使えるようになったので、振り返るとよりそのすごさが分かるのだが――
有馬さんはすごかった!!

勉強してもなかなか話せるようにならない。わたしの世代の人なら英語で必ず一度は思ったはず。
それは手話も同じだ。ただ相手は同じ日本人。口話で理解してくれるから、会話としては成立しやすいけど、手話だけで口なしでは会話なんてできない。

でも有馬さんは、一年も経つうちには、なんと聴覚障害者と健聴者の会話を取りもっていた。
――つまり、通訳していた!!
国家試験に通った手話通訳士になったというわけではないけれど、食堂で3人座って、有馬さんが他の2人の話を手話で通訳している光景を目にしたのだった。

これって、信じがたいことだ!

自分の場合を考えてそう思う。でもわたしは怠け者だからね。
「一緒に勉強しよう~」と言っていた磯原さんを考えてみると、やっぱり有馬さんはすごいと思う。
結局、磯原さんも辞めるまでに、それほどたくさんの手話は覚えなかったようだ。
同じPCプラクティス担当の美和さんを考えてみよう。美和さんは「覚えてほしい」「はい」とにっこりして、でもひとつとして手話を使ったことはない。

やる気においても、結果においても、有馬さんは並外れていた。

あるときこんな会話を聞いたことがある。

忘年会で、わたしはまたも呼んでもらって、派遣さん仲間に入れてもらっていた。
その年は、前回までの男性講師2人に加えて、もう1人男性講師がいた。
普段は自営業(というか個人開業?)をしていて、週2回だか3回だかスクールに来て教えている。経理ではなくて、Web言語。

男性「有馬さんは手話、相当できますよね」
有馬「いえ、まだまだです」
男性「あそこで働いていれば、僕も自然にそのくらい覚えられますかね?」
有馬「できません! 勉強しないと」

「今、わたしは3年くらい働いてますけど、全然できませんよ。だからいるだけで覚えられるってことはないですよ」とちょっと言いたくなった。
でもわたしも最初は思ったものだ。
手話で話しているレギュラースタッフを見ると、「すごいなぁ。毎日聴覚の人と接していればできるようになるのかなぁ」

ならない。
やっぱり「覚える気」で「勉強」しないと。

有馬さんは、聴覚の人たちに対して真剣に向き合って、手話の勉強をしたのだろう。
そして優秀な人だったため、めきめき上達した。

同じように他の障害の人たちにも、真剣に向き合っていた。

「××さん、具合が悪くなって、もう長いこと休んでるんですよ」
――××さん? どんな人だったっけ?
「実習に戻って来られるかどうか心配です。お見舞いに行く実習生たちがいるようなので、一緒に行こうかどうしようか考えてるんです」

わたしは毎日有馬さんと会うわけではない。
そもそも勤務日が毎日ではないし、ランチに行くのは勤務日の中でも半分にもならない。
だからこのくらいしかエピソードを知らないけれど、どの人に対しても誠意をもって対していたのだろうと思う。

若いからできる、っていうこともある。
でもたぶん、若くてもわたしにはそこまでできたかどうか。

間違いなく言えるのは、言語習得の才能がないわたしは、絶対あの期間であんなに手話が出来るようにはならないってこと‥‥‥



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■まえがきにかえて(おことわり)■


有馬さん

派遣仲間に新しいメンバーが加わった。
有馬さんという若くて可愛らしい女性だ。
本当に若かった。「わたしたちと比べて」ではなく。
22歳という瑞々しい年齢なのだ。

そんなに若くては、おばさん同士の話について来られないかも?
でもおばさん派遣たちのうち2人はお子さんがいなかったし、残りの2人もずっと働いてきたひとたちなので、「仕事仲間」として話ができる。
そして有馬さんのほうも、若いけど既婚者だったので、一応主婦なのだった。

「最近ジムにはまってるんですよ」
「週末とかに行くんですか?」
「いえ、毎日行ってます」
「毎日? すごいですね。晩ご飯の支度をしてから行くんですか?」
「駅前にあるんですけど、うちは駅からちょっと遠くて、一度帰ると面倒なんですよ。
荷物を置いておけるから、帰りに直接寄るんです」
「一人で?」
「妹が近くに住んでいるので、妹と待ち合わせして、一緒に行きます。
サウナもあるし、ジャグジーもあるから、お風呂に行ってるようなものですね。ずっと二人で入ってますよ」
「ご主人は?」
「主人は帰りが遅いんですよ。
仕事終わって駅に着いたら、主人も合流します。
11時頃まで3人でジムにいますね。
お風呂にも入ってるから、うちに帰ってすることも特にないし」

そういう話を聞いたときは、「若い人はなんかすごいな」と思ったけど。

わたしはたまのランチのときしか会わないけれど、他の派遣さんたちは一緒に仕事をしている。
彼女だけ飛び抜けて若いけれど、すっかり仲間になっていた。

でも有馬さんは派遣スタッフではなかった。
テンポラリースタッフだったのだ。
正社員に相当するレギュラースタッフではないけれど、派遣スタッフよりレギュラー寄りの位置にいる。

実習生さんの資料も、同じように関わるのに「派遣さんはここまで」「テンポラリーはここまでOK」「レギュラーは全部」と、見られる範囲が違う。

有馬さんの気持ちとしては、明らかにレギュラーではなく、つまり昇給も昇進もなく、継続して雇用されるかどうかも分からない、補佐的地位ということで、派遣スタッフの側に近かったようだ。
彼女は頑張り屋さんで、皆に感心されていたけど、謙虚でもあったので「私はテンポラリーよ! 派遣とは違うのよ!」というふうにはできなかったのだと思う。

いつも派遣さんたちとランチを食べていた。

派遣さんたちは「この人は月水金」「この人は火木」「この人は月木金」というように出勤日が違っていて、2~4日で組み合わせられていた。
有馬さんはテンポラリーだから毎日いる。

わたしの場合、「何日から何日まで、この期間は毎日いる」という勤務形態だったから、「今日は××さんがいるな~」「今日は××さんと××さんがいるな~」という感じ。
でも有馬さんはいつでもいるので、とても親近感がわいた。

とっても美人さんで、ジャケットなんて着てるとわたしなど恐れをなすくらいだったけど、ナースサンダルをロッカーに入れて、スクールではそれを履くようになった。
ナースサンダルに気づいて以降は、さらに親近感がわいた‥‥‥



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忘年会

忘年会に呼んでいただいた。
派遣さんたちの忘年会だ

だいたいこういう組織はいろんな忘年会があるものだ。
たとえば川南さんたちのいる総合ビジネス課程なら、まずは全体で総合ビジネス課程の忘年会。
その中に一般事務コースや経理事務コースがあるわけだけど、そのそれぞれのコースの忘年会。
レギュラーとなれば、なんとか課程を全部含むジョブ・トレーニング部の忘年会。同じようにジョブ・アドバイザー部はアドバイザー部だけのレギュラー忘年会。
レギュラーの中でも管理職だけで集まる忘年会。

わたしはもちろんこういった正式な忘年会に呼ばれることはない。
どこにも所属していないからだ。

玉名上級マネジャーが企画してくれたこじんまりした忘年会が唯一だった。
指令を受けて花咲さんが、玉名上級マネジャーと花咲さんと美和先生とわたしの4人分の席を予約してくれた。
おっと、プラス美和先生の幼いお子さんだ。
美和先生は「子供が一緒でよければ行ける」と言っていたのだ。

わたしが参加するのは(美和先生もだけど)、この小さなお子さま同伴の忘年会だけ。
それも玉名上級マネジャーのときだけだった。
次の上級マネジャーからは、わたしたちのような半端な職のための会などなかった。
玉名上級マネジャーはわたしたちを雇った人だったし、お酒がとてもお好きな方だったから、特別だったのだ。

そんなわけで、派遣さんたちの忘年会はわたしにとっては2つ目だ。
派遣さんたちのほうは、総合ビジネス課程のと、各コースのと2つはあったと思うから、3つ目あるいはそれ以上だ。

でも派遣さんたちが全部に出たとは限らない。
「浜脇さんは課程忘年会、出る?」
「あれは迷ってる。コースの忘年会は出るつもりだけど」
「会費がさー、高いんだよねー」
「4000円でしょう? コース忘年会と両方出ると7000円になっちゃうからさあ」
ランチのときそういう会話を聞いたこともある。
「コースのは出ないわけにもいかないものねー」
「どっちをやめるかって言ったら、課程忘年会だよねえ」

忘年会にかけられる金額として、やはり週に3日や4日の派遣スタッフとレギュラー管理職などでは、感覚が違う。
会費の問題は重要だ。派遣さんだけの忘年会はリーズナブル価格で飲み放題のお店だった。

人数が多かったから個室みたいな部屋で、知らない男性も2人来ていた。
「◯◯先生と◯◯先生もいるよ」と聞いていたおふたりだった。

男性の派遣スタッフもいるとは。

2人ともお昼はお弁当なので食堂には来ないのだ。
お弁当というのはお手製ではなく、業者さんのお弁当だ。
食べる日は朝用紙に記入して、取りまとめ役に代金を払う。
たぶん障害者を雇っているNPOとか、作業所などのお弁当屋さんだ。

それほど若い先生方ではなくて、2人とも女性陣と大差ない年齢だった。

おふたりは経理を教える先生だそうだ。

講師業というのは今どきなかなか仕事を見つけるのが大変なのか、ダブルワークをしているそうだ。
女性陣と同じく、週に2日か3日程度。曜日が決まっているので、空いている日は専門学校で経理の講師をしているということだった。

確かどちらかお一人は、週に4日しか仕事を入れていないと言っていたように思うが、違ったかな。
忘れてしまった。

相変わらず職場の話にはついていけないわたしだったが、男性の先生方が独身だったので彼女の話に突っ込んだりする話題が多くて楽だった。
女性たちは全員既婚者だったので、話題提供の餌食となったのは2人の男性の先生だけ。

名前を聞いても誰のことやらいつも分からないわたしには、気楽な飲み会だった‥‥‥



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■まえがきにかえて(おことわり)■


派遣さんと知り合ってよかったこと

ときどきランチを一緒に食べるようになったわたしと派遣さんたち。
お互い派遣会社に登録している者同士として、世間話などもするわたしたち。

わたしと派遣さんの絆はというと・・・・・・お察しの通り、たいしたものではなかった。
そりゃ、やっぱり違う教室で、違う立場で、違う実習生さんやスタッフさん相手にやっているものだし。

でも総合ビジネス課程の中に知っている顔ができたことで、教室に入って行きやすくなった。
――そうそう用事があるわけではないので、あまり行かないのだが、スキルアップ研修の関係でごくたまに入ることがあった。
もちろん一人ではない。花咲さんに連れられて、だ。
一人で総合ビジネス課程の教室に入って行けるようになったのは、7年くらい経ってからだった。
――機械ビジネス課程やデザインビジネス課程などは、10年経っても入って行けない。

ちなみに教室っていうのは、学校風に机が並んでいるわけではない。
どちらかというと会社風に、広い空間にいくつかの机の塊(島)がある形式になっている。

いっせいに皆が先生のほうを向いて授業を聞く、という場面にはあまり出会わない。
この島では今授業をしているが、この島では各自が実習していて先生は見回っている、この島では試験対策として「よーい、始め!」なんてやっている。
そんな具合に、それぞれにやっていることが違う。

全員がいっせいに「何月に入学して何月に卒業」というわけではないので、モジュール式に授業をするのだそうだ。
このスクールでは、年に何回にも分けて、10~30人くらいずつ入学してくるのだ。

それから、実習生さんの情報を知ることもできた。
――別に違法なほどの「情報」ではない。

前のPartで書いていたGさんのときなど、「わたしのやり方がいけなかったのかな?」と悩んでいても、専門のコースでも同じようなことをしていると知って「わたしのせいというわけではないのかな」と少し安心した。
その程度の話。

同じ例でいうと、九重さんがGさんに「こういうふうに言った」というのを聞いて、「なるほどそういう言い方もあるな」と参考になった。簡単に真似はできないけど。
まあ、その程度の話。

自分が「どうもうまくいかない」と思っていたことが、話を聞いていて「そういう障害の人には、そんなふうな説明の仕方をしたほうが分かりやすいのか」と気づいたり、考えさせられたり。
ホント、その程度の話。

「今度こういう人がPCプラクティスに行くわよ。こんな特徴があるわよ」という前情報はもらうことがない。

なぜならPCプラクティスはほぼ最初に行われるからだ。
まだコースの先生方も新しい実習生さんたちの特徴や問題点を把握してはいない。

わたしは最初の年、「次年度はありません」と言われて入った。
年度末が近づいたとき、「もしかしたら来年度もあるかも」と言われ、そして実際にあった。
でも「だけど次年度はたぶんありませんよ」とまた言われた。
やがて半年くらい経って、「もしかしたらこのまま来年度もあるかもね」と口の端にのぼるようになった。

そんな状態だったから、「わたし頑張ってます」アピールの機会があれば、してみたくなるってものだ。

でも派遣さんたちと仲良くなったということは、アピールとしてはどうだったのだろう?
今となっては、逆効果だったかもしれないと思う。

たとえば派遣さんと一緒に、初めて学校公開の見学に行ったとき――
毎年一回あったけど、派遣さんと仲良くなるまで、二回くらいはスルーした。
川南さんたちが誘ってくれて初めて行ってみることにしたが、そこで玉名上級マネジャーに会った。
「誘われて一緒に来てみたんですよ~」ということを言った。

果たしてそれはどうだったろうか?

わたしのような中途半端な立ち位置の人間は、どちらの側にも近寄ることができる。
派遣さんにも。レギュラーやテンポラリーの人たちにも。

もし、派遣さんたちを信用できないと思っている偉い人に、「こいつは派遣と仲がいい」と知られたら、いい結果にはならないかもしれない。
そんなふうに思っている偉い人はいなかったとしても、層ごとに壁で阻まれている部分のある職場である。
「こいつに口を滑らせると、派遣の人たちにも伝わっちゃうかもな」と思われたら、気の置けない話をしてくれないかもしれない。

いい面もあったけれど、微妙な一面もあったと思う。

でも仲良く話せる人が一人でも多いほうが、楽しいものだ。
それにいい面のほうが大きかったと思う。

だから川南さんを通して皆さんと知り合えたことは、感謝だな‥‥‥



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■まえがきにかえて(おことわり)■


初学校公開

スクールでは年に一度、学校公開をしていた。
日曜日に文化祭のようなものを開催して、一般の人に公開する。
大学の文化祭のように芸能人を呼んだりはしないが、それなりに盛大である。

でもどんなことをするのか、見たことはなかった。
休みの日に電車賃をかけて行くなんて・・・
わたしはお金に関して心のゆとりがない。

どちらかというと、わたしにとっては嬉しいものではなかった。
この行事があると、月曜日が代休になる。
たまたまPCプラクティスの最中だと、わたしは仕事がなくなる。
その1日だけ空いたって、1日の仕事っていうのはなかなかない。

でも派遣さんたちと仲良くなって、誘われたので初めて行ってみることにした。

入口近くで待ち合わせ。
派遣さんたちも出勤日ではないので、時間はゆっくりめ。

「おはよう~」
「おはよう~」

まずは知的障害のクラスがやっているカフェに。

知的の人たちだけではなく、先生も総出で働いている。
今日は理解ある(ありすぎるくらいある)スクールの人たちばかりではない。一般の人がやってくる。
先生方も緊張の一日だろう。

だけどわたしたちは気楽。
結構おいしいケーキやクッキーも、とても安い金額で食べられる。

ふうん、こんなふうなものなのか~。
――わたしは物珍しいし、楽しい。

「ちょこっとだけ顔を出してさ。向こうのほうも見てみない?」
近くの別の福祉施設でも、毎年同じ日に施設公開をするのだ。
確かにそっちも見てみたい。

でも派遣さんたちも「先生」だ。
ちょこっとだけで終わらせるのは難しい。

それぞれ自分が担当しているグループのところに行くというので、わたしは川南さんと行動を共にすることにした。

川南さんのグループの実習生さんたちは、占いソフトをプログラムしてお客さんに体験してもらっていた。
川南さんが近づくと、実習生さんの一人がさっそくやってきた。
体験してもらった占い結果は印刷してお客さんに差し上げる、という寸法らしいが、プリンタから出てこないらしい。

「出て来ない?」
川南さんはプリンタを見に行ったり、パソコンの画面の様子を見に行ったりして、印刷にこぎつける。
そんなことをしていると、別な問題を抱えた実習生さんが順番を待ち始める。

レギュラーさんたちもテンポラリーさんたちもいる。休みなのは派遣さんだけ。
でも人手が足りないのだ。
ありがたいことに盛況らしく、問題が解決しても川南さんは手伝ったりしていた。

「ごめんねえ。やっぱり見ちゃうと手を出さないわけにはいかなくて」
――ですよね。仕方ないですよ。

磯原さんや浜脇さん、九重さんもそれぞれ手伝うことがあったようで、予定をオーバーしてようやくまた集合した。

それから皆で別の施設に行ってみた。

プログラムを見てどこを見たいか考える。
「太極拳の体験だって。これに参加したいなあ」と川南さん。
「でもこれに参加すると50分かかるみたいですよ?」
「私はこのコンサートっていうのをちょっとだけ覗いて、それから適当にぶらぶら見て回りたいな」
「じゃあ適当に別れましょうか」

何時くらいにどこどこでね、と言って、それぞれに別れることにした。

わたしはコンサートチームについて行った。
ところが「ちょっとだけ覗く」つもりのコンサート、小さなお教室みたいなところでやっていた。
普通のじゃなくて、もっとガッチリした電動車椅子で、たぶん障害で普通よりも小さい体格の女性が歌を歌っていた。
途中から入るのは「どうぞどうぞ」と呼び入れられるのでスルッと入ってしまうけど、出るのはなかなか難しかった。
結局、かなりの時間を費やすことになってしまった。

そこを出てからあちこち見ようと思っても、もうだいぶ夕方になってしまっていた。
全員が主婦なので、あまり遅くまでいるつもりはない。

川南さんと合流して、帰ることにした。
川南さんの太極拳のほうは――
「入ったときはもう始まっていたから、全部はやれなくて残念だった」とのこと。

でも入ったことのない別の施設の中を見ることができて、面白かった‥‥‥



●3年目:楽園? それとも‥‥
Chapter 1 派遣さんの世界



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■まえがきにかえて(おことわり)■


派遣同士

わたしはスクールでは派遣ではなかったけど、同じ派遣会社に登録していた。
たまにそこから派遣されて、違う仕事に行ったりもしていた。スクールの仕事は毎日はなかったからだ。

だから「同じ派遣会社の登録スタッフ同士」として、話をすることができた。

「A社ってさー、あんまり向こうから連絡くれないよねー」
「条件を登録していても、こっちから聞かないと教えてくれないもんねー」

「でもA社は時給はいいですよね」
「えー、そう?」
「わたし、他にも登録してますけど、同じ仕事に行ってもB社から来てる人のほうが安かったことありましたよ」
「じゃ、やっぱりA社はいいんだ~」

「営業が全然使えないの」
「A社の人なのに? ここの営業さんて、テキパキしてますよね」
「月瀬支社だからじゃない? 本社の人とは違うのよ」「それともあいつだけかな」
「営業さんて当たりはずれがありますよねー」
「変えてもらうわけにもいかないしねぇ」「誰に言っていいか分からないもんね」

営業さんについては、本当のところは分からないが、ほぼ全員が「どうしようもない」と結論を出していた。

「休みを取らなきゃならなくなったんだけど、あいつ、代わりを探してるのかどうか、全然見つからなくて」
「でも早く探してもらわないと困りますよね」
「それを言ったらさー、大丈夫です、いざとなったら僕が出勤します、だって。あんたが来てどーすんのよ、って言ってやりたかった」
「ただ来たって意味ないですもんね」
「あいつじゃ、絶対、何の仕事もできないもの」

そういう話もできたから、半分はお仲間に入れてもらっていたと思う。

仕事の現場の話は、最初のうちはわたしがいて話しにくくて邪魔だったかもしれないけど、だんだん気にせず話してくれるようになった。
わたしには、「あの人がこんなこと言ってましたよ」と言う相手さえいないってことが、分かってきたのだと思う。

だってわたしは、レギュラー、コンテンポラリー、派遣、そのさらに下の「なんでもない人」だから。
そして話している途中に「××先生がさあ」とか「**マネジャーがさあ」なんて名前が出ても、わたしはほぼ100%その人を知らない。

「××先生がさあ――あ、○○さんは××先生知ってる?」
「知らないです。総合ビジネス課程の先生なんですよね?」
「そうそう。そういう人がいるの」

「**マネジャーがねぇ――**マネジャーは知ってる?」
「名前だけは話の中で聞いたことあるけど、顔は分からないです」
「一般事務コースの人なんだけどね」

これなら何を話しても安心そうだって、分かろうってものだ。

スクールでお昼を食べるときは、だいたいいつも派遣さんと食べるようになって、ときには食堂以外に行くこともあった。

「今日は中華屋に行かない?」
「中華屋? 近くにありましたっけ?」

障害者関係の施設は敷地を広く取る必要があるからか、田舎にあるか駅から離れているかだったりする。
敷地が奥に深いところにあるようなところは、そもそも外に行くというのが大変だ。
また、外にはすぐに出られても、周りはな~んにもない土地、というところもある。

「あの駅の近くの交差点を、スクールとは反対に行ったところにあるよ」
「え、あんな遠くまで行って、戻って来られます?」
「車で行くのよ~!」

車通勤の人もいたので、ときどきそういうこともあった。

2回くらいわたしも外に連れて行ってもらったけれど、車で行くとしたってやっぱり忙しかった。
車まで行く。皆が乗り込む。エンジンをかけて走っていく。駐車する。店に入って注文して食べる。そしてまた帰ってくる。というわけだから。

わたしはどの職場でも、外でのんびり食べるのが好きだけど、それは一人で息抜きに行く場合のこと。
皆でわいわい食べるなら、落ち着いて食べられるほうがいいなぁ‥‥‥



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Chapter 1 派遣さんの世界



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■まえがきにかえて(おことわり)■


派遣さんの地位

派遣さんの地位は当たり前だが高くはない。
どんな会社だって同じことだ。正社員の下に派遣がいるのだ。

スクールの場合は、大きく分けると3つの層になる。

まず正社員に当たる「レギュラースタッフ」。
――この層は厚い。
だいたいこういうところは公的な組織であることが多い。公的な組織では階級が何層にもなっている。人員も多い。

次に「テンポラリースタッフ」。
――レギュラーほどじゃないけど、この層もなかなか厚い。
実際に業務を行うには、新入りレギュラーや年数の若いレギュラーだけでは足りない。仕事って煩雑な事務も多いし、方向性や企画を話し合うだけじゃなくて作業が必要だもの。
そのために、スクールに直接雇われたが正社員ではないテンポラリースタッフがいるのだ。数が少なくては業務がこなせない。

テンポラリーさんたちは、昇進することはない。
給与も上がることはない。
一年ごとに契約を結ぶ。
でも派遣さんよりは立場は上だ。

はっきりと「あの人たちのほうが上」と言われなくても、だいたい分かるものだ。
でもスクールには明確な線引きがあった。

たとえば、入校した実習生さんたちの資料。
レギュラースタッフは全部見られる。
テンポラリースタッフはかなり全部に近く見られる。
派遣さんはここまでしか見られない。

レギュラースタッフとテンポラリースタッフの昼休みは50分。
派遣スタッフと実習生さんは1時間。
10分早く戻ったレギュラーとテンポラリーの先生方はスタッフミーティングをする。

そういうルールがたくさんあって、派遣さんは勘違いのしようがない。

どうしたって派遣同士、連帯感が芽生える。

(これは総合ビジネス課程だけのことかもしれない。レギュラーやテンポラリーの数も少なく、派遣も一人二人というところは違うのかも。)

さてわたしの立ち位置はどうかというと――

派遣さんのさらに下。というか圏外。
外部の人と同じ扱いなのである。

一度、玉名上級マネジャーが言ったことがある。手話のことをはなしていたときだ。
「うちでも手話の講習会を放課後にやっててね。
そこを利用してもらえればいいんだけど、だめなんだよね。
派遣の人でも出られるんだけど、契約講師はねえ^ 扱いとしては派遣の下になっちゃうんだよ」

「悪いねえ」とすまながってくれたけど、午後まで仕事がない日に放課後まで待って無給の講習会になんて、すごく出たいわけではないから問題ない。

でもこの話は役に立った。
「わたしは派遣さんより下なんで~」と謙虚さをアピールできる。
その後何年も使ったみのである。

「え~、そんなことないよ~」
「いえ、上級マネジャーさんにはっきり言われましたもん」と笑いながら。

「派遣さんまでは手話講習会に出席できるけど、わたしたちはその下なんでダメなんですよ~って~」

そうすると、皆さん構えなくなるし、同情票も入って、打ち解けやすくなるにだ‥‥‥



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■まえがきにかえて(おことわり)■


派遣さんたちとランチ

わたしはほとんどスクールではお昼を食べない。
PCプラクティスはお昼を食べるような時間までやらないからだ。

正確に言って、わたしたちPCプラクティス講師は「お客さん」だ。
契約講師で、用のあるときだけ呼ばれる人たち。――だから講習が終わったら、そこで終わりだ。
全然組織に所属していないのだ。

たまにお昼を食べるのは、スキルアップ研修のときだ。
スキルアップ研修は、ときおり外部の人たちのために開催している講習会のことだ。
こういうところはどこでも(と言っていいくらいあちこちで)やっている。
スキルアップ研修は夕方まであるので、ランチを食べる。

川南さんたち派遣さんと仲良くしていたときは、スキルアップ研修のときは一緒に食べさせてもらった。

待ち合わせて行くわけではない。
食堂に行って、誰かがいたら挨拶をして同じテーブルに座る。
わたしが先に行って食べていたら、後から派遣さんたちが来ることもある。

――でも一人でテーブルで食べていると、相席になることが多いので注意が必要だ。

人脈というほどの偉そうなものではなかったが、わたしなりの人脈だった。

‥‥‥こういった『組織』の中での人脈がどんなに難しいものか、そういう綱渡りをしたことのないわたしにはまだ分かっていなかった。
だから知り合いが増えて、素直に喜んでいた。
本当は、間違ったほうにつくと害があったり、自分の分を守る必要があったり、さりげない足の引っ張り合いやさりげない売り込みや、いろんなことがあるとわたしも学んだけど――
でもこの頃は、素直に喜んでいた。

ランチのときの話題は、やっぱり職場の話が多かった。
面白かったエピソード、ぐち、なんとか先生の噂話、実習生さんの間に起こったこと、最近の噂話。
他愛もない話だ。大人の女性は深入りしない。

それからテレビの話。
特にドラマが多かった。時代だったのか、ドラマ好きの人が多かったのか。
わたしは家ではまったくテレビを見なくなってしまっていたので、話についていけずに困る。
適当にへらへらと笑っているしかない。

「***見てる!?」「見てる見てる!」「私は××チャンネルの別なのを見てるのよ~!」
――わたしは「見てな~い」と言う。まるで「それは見てないけど、他のは見てる」とでもいうように。
「***がさ~、可愛くないよね」「×××はかっこいいよね~」
芸能人関係はほとんど誰も分からないけど、知ってるふり顔をして話が終わるのを待つ。

これはどこの職場に行っても、どんな集まりに行っても、同じことだ。

一番困る話題は他にあった。

「時給、いくら?」

これは仕方がないのだ。
派遣の職業病みたいなものだ。
一時間いくらで働くものだし、同じ仕事に行っても派遣会社によって時給が違ったりするから、時給には敏感なのだ。
そしていつも気になる。

わたしもそうだから仕方ない。

でもちょっと答えにくかった。
派遣同士としてなら答えられるけど、スクールではわたしは派遣ではなかった。

それに、他では派遣として働いたことがあったから、派遣スタッフが時給を気にするのは分かっていた。
そして自分の力で生きていかなければならない派遣スタッフは、ある意味たくましいし、つまり弱肉強食――自分の身は自分で守らなければならない。
わたしの時給が業務に見合わないほど高いと思われたり、もし派遣さんたちより高かったりしたら、誰だって「そっちのほうがいい」と思う。
「ずるいよね」「断然あの人の仕事のほうが得だよね」と噂になるかもしれない。
誰かが「それってどうなんですか?」とレギュラーの人たちに言うかもしれない。

それが自分の身に降りかかってきたら‥‥‥「時給の額なんて、人に言ったあなたが悪い」ということになるに違いない。

自分の身は自分で注意して守らなければならないのである。
「ん~~」とか「え~、言えないですよ」なんて、難しいけれど、はぐらかさなければならない。

「同じ派遣会社に登録している同士でしょ」と笑顔で聞かれても。
「いいでしょ~、いくら? 別に誰にも言わないわよ」と強く迫られても。

川南さんにだけは、「けっこういい時給だから、なんだか他の人には言えなくて」と打ち明けたけど、他の人には言わなかった‥‥‥



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■まえがきにかえて(おことわり)■


派遣さんたち

スクールで働くことになってみたら、実は偶然知り合いが派遣として働いていたことが分かった。
川南さんだ。

川南さんとは職業訓練コースが終わりかける頃、一緒に派遣会社に登録に行ったこともあった。
川南さんは、あのときの派遣会社から派遣されているのだそうだ。

「総合ビジネス課程の派遣さんは皆、あのA派遣会社でね」
――そうなんだ。
「でも登録に行ったところじゃなくて、月瀬支社からなの。私も月瀬支社から派遣されてるのよね」

当時の派遣会社の「案件」受注の仕組みをよく知らないが、なんとなく「××支社が獲得した案件だから、××支社から人を出している」というニュアンスだった。
どの支社に登録しても、どこの支社の仕事にも応募できるとわたしは思っていたが、――まあ応募はできるかもしれないが、募集前に自分のところの支社の登録スタッフでまかなえているようだった。

わたしは他の派遣さんを知らなかったが、やがて少しずつ知り合っていった。

スクールで働き始めて4ヶ月くらい経った頃、わたしたちPCプラクティス講師は新しい仕事をするようになった。
スキルアップ研修だ。
それはPCプラクティスと違って、時間が長かった。
PCプラクティスはお昼を食べずに帰ることになる。しかしスキルアップ研修は夕方近くまでかかる。

スキルアップ研修のときは、お昼をスクールの食堂で食べるわけだ。
そこでわたしは「川南さんと出勤が重なる日があったら、一緒にお昼を食べませんか?」とお願いしてみた。
川南さんは快く「じゃあ一緒に食べましょう」と言ってくれたが、行ってみるといつも一緒にランチをしている派遣さんも一緒だった。

わたしより、その派遣さんたちのほうが、居心地悪かったろうと思う。
心置きなくおしゃべりをしていたランチが、なんとなく話しづらくなってしまったと思うから。

でも川南さんは、おとなしそうな外見とはちょっぴり裏腹で、ゴーイングマイウェイなところもあったし、天然に気にしていないところもあった。(無神経だったというわけでは全然ない。)

派遣さんたちはそれぞれ、「Aさんは月曜と金曜」「Bさんは月火木」「Cさんは月水金」というようにバラバラの出勤日で、そのときそろったメンバーで一緒にランチを食べる。
仕事のことや、現場のグチなども話したいけど、この人(わたし)にどこまで知られていいの? と迷っていたと思う。
やがてわたしがときどき混じることにも慣れて、許容してもらえるようになった(と勝手に思っている)。

川南さんも含めて、派遣スタッフの人たちは、ほとんど40代だった。
42歳くらいから後半に入った人までいる――そういう感じのほぼ同じ年代だ。

ちなみにこのときわたしはこの中ではちょっと若め、まだ30代だった。
でもそれから2、3年後? 36歳か37歳のとき、派遣の磯原さんは言った。
「○○さんも同じくらいの年でしょ? 35過ぎると皆同じよね」
「そうですよね」
と言ったものの、顔はこわばっていたに違いない。
特に30代後半は、44歳の人に「同じくらい」と言われても抵抗を感じる年齢層。(わたしの場合は。)
確かにそう変わらないんだけど――でもやっぱり皆さんには敬語使っちゃうし、違うよ~。

それはともかく。

川南さん以外の派遣さんは、3人。
磯原さんと浜脇さんと九重さん。

九重さんは一番年上で、2人のお子さんももう大きい。高校生と専門学校生、そんな感じ。大学生だったかもしれない。忘れてしまった。
ひょうきんな人で、話ぶりが面白かった。
他の人たちはPCインストラクターらしく、WordやExcelやPowerPointなどOfficeと呼ばれる製品を教えていたが、九重さんはExcelはExcelでもVBAなども教えていたらしい。
何年かのち、野心的な中小企業の社長に、その腕を買われて転職していった。

磯原さんはと浜脇さんは同じくらいの年齢で、浜脇さんのほうが2歳くらい年上だった。
お子さんがいなくて、ご主人と二人暮らしというのも同じだった。

浜脇さんは犬を飼っていて、ワンちゃんにとっては「ママ」だった。
磯原さんはペットもいなくて、誰にとっても「ママ」ではなかった。

どちらかというと磯原さんのほうがオシャレな服を着ていることが多かった。
浜脇さんもちゃんとした服を着ていたけれど、たぶんその違いは「独身に近いか」「遠いか」だと思う。または「OLに近いか」「遠いか」と言い換えてもいい。
磯原さんのほうがよりオフィスっぽい服で、浜脇さんのほうは少し家庭よりの服。

違いはそのくらいだった。

そして川南さんは――
お子さんはいる。お子さんの年齢は、小学生なので九重家よりだいぶ小さい。
お子さんは学童を利用している。
全員の中で、一番おとなしい服装だったと思う。

もう一人、派遣の人はいたのだが、その人とはあまり会わなかった。
お昼はお弁当らしくて、食堂には来なかったからだ。

わたしがときどきお仲間に入れていただいていたのは、この4人の派遣さんグループだった‥‥‥



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■まえがきにかえて(おことわり)■


久しぶりの再会

さて、会計事務所でパートとして働いていたその昔のわたし、4月からPCインストラクターをバイト的にすることになり、忙しくなった。
といっても、毎日夜遅くまで残業して働いている方に比べたら、たいしたことはないのだが、のらくらと生きてきたわたしにはとても忙しく疲れる時期だった。

どちらかというと「小遣い稼ぎの副業」の気持ちで始めた仕事だったが、職業訓練時代お世話になった水上先生に話したら、自分の後輩を教えないかと言っていただいたので、にわかに真剣なものになった。
とにかく経験!! 修行!修行!!
(――とまあ、この様子は、前の章PCインストラクター編に書いてある。)

その「後輩に教える仕事」の前に、水上先生はわたしに別の仕事を紹介してくれた。
「面接だけでも行ってくれると助かる」と言われて、とにかく行ってみることにした。

で、このスクールで働こうと決意するに至った。

いよいよいついつから、新しい仕事に行くのか~!
と緊張したりしていた。会計事務所も思い切って辞めることになっていたし。

そのときふと、「わたしたちが学んだみたいな実習をしていて」「場所が××の近くで」「障害者向け」と、改めて考えたら、ようやく気づいた。

――もしかして、川南さんが働いてるって言ってたとこ!?

わたしはあわててメールしてみた。
「今度こういうところで働くことになっています。もしかして川南さんが前に話していたところですか?」
「それは間違いなく、私が今働いているところだと思います」

なんと川南さんという先輩がいたのか!!
少し心強いではないか!

よく聞いてみると、川南さんは前に話を聞いたコースから外れて、違うコースで講師をしているという。

「今度のところは時間外のお茶くみ当番もないから、気持ちが楽でありがたいの」
――わたしの業務には直接関係なさそうだが、なるほどコースによっていろいろ違うんだなぁ。
「派遣の人たちもたくさんいてね。私のほかに3人いるから」
――ああ、そうなんだ。そんなに派遣の先生がいるものなんだ。
「もう一人派遣の人がいるんだけど、その人は、私が去年までいて今は出ちゃったコースのほうに入った人でね」
――川南さんが苦労したように、時間外のお茶くみとかしてるわけですね?
「あ、なんかね、それはもうなくなったみたいなの。『レギュラー』の中に一人、お茶くみ制度に熱心な人がいたんだけど、その人が今年異動しちゃったっていうのね」
――どうも『レギュラー』というのは、「正社員」というような意味合いらしい。
「それなら別に、前のところでも良かったんだけどねぇ」

川南さんが同じ場所で働いていると知って心強くはあったが、まったく違う場所で勤務しているので、最初の年はほとんど会うことはなかった。
たまに「また何日から何日まで行くので、顔を見られたら嬉しいです」とメールをして、「じゃあ何日は出勤しているので、お昼に玄関前でちらっと会いましょう」と約束するくらいだった。
そして本当に、玄関を入ったところのロビーでちらっと、「川南さん!久しぶりですね~!」「○○さん、久しぶり~!」と挨拶をするだけ。

水上先生には、ご挨拶に伺ったとき、「なんと偶然、一緒に職業訓練を受けた川南さんも働いていたんですよ~」と報告した。

川南さんという前からの知り合いがいたおかげで、最初の二、三年、わたしの世界は広がった‥‥‥



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■まえがきにかえて(おことわり)■


偶然の出会い

職業訓練で一緒だった人たちとは、ときどき集まって飲み会を開いたりしていた。
何人かの特に親しかった友達とは、それ以外にも会っていた。

川南さんとは使う路線が同じだったこともあって、お茶に行ったり、ランチに行ったりした。
お子さんもまだ小学生で、会うのは平日昼間だった。平日の昼に誘える人は少ないから、川南さんも誘ってくれたのだと思う。

その頃わたしはパートだったから、暇な時期はたまに休んでも文句を言われなかった。

川南さんは就職先が決まらないまま職業訓練を終了した。
子供の用事がいろいろあるから、家から遠いところや残業のあるところはダメ。だけど、子供にお金もかかるので、働きたい。
というのが川南さんの状況だった。

会うと「(職業訓練時代の)誰かと連絡とってる? あの人どうしてる?」「仕事はどう?」という話をよくした。

でもそう頻繁に会っていたわけではない。たまにだ。

だから久しぶりに会っておしゃべりをしたとき、川南さんの新しい職場の話を初めて聞いた。
「今ねえ、仕事が決まって週に3日行ってるの」
「そうだったんですか~!」
「派遣でね。帰りがそう遅くならないからいいの」

「どういう仕事なんですか?」
「インストラクター」

川南さんは、職業訓練に来る前の前職がPCインストラクターだったので、経験ありなのだ。

川南さんによると、「私たちが通ってた職業訓練みたいなことをしているところ」「ただし相手は障害者」ということだった。
わたしはこの頃はまだスクールの存在さえ知らなかったから、もちろんピンときたりしなかった。

まだ自分の目で見る前の聞いた話なので、ただの噂話だ。
「じゃあ、そこでもわたしたちがやっていたみたいな授業をしているんですか?」
「うん、そうなんだけど、なんかねえ~、3ヶ月くらいずっとタイピングの練習とかさせてたりするのよねえ」
「3ヶ月もタイピング?」
「ま、それだけじゃあないんだけど、まずはきちんとした基本をって言って、びっちりタイピングをするの」
「へえ~」

「あとはねえ、パソコンだけじゃないのよね。
小学生くらいの漢字とか、算数とかね、そういうのも見なきゃいけなくて」
「一般教養みたいなことですか」
「もう算数なんて忘れちゃってるから、ちょっと大変。勉強しないとついていけなくて」

「すごく基本的なことからやるんですねぇ。わたしたちが受けたのとはずいぶん違いますね」
「うん。ま、そこはね、ちょっと特別でね。
普通のコースもあるんだけど、たまたま支援がたくさん必要な人たちが入るコースだから。
それでそういう内容になってるんだけどね。
でも3ヶ月もタイピングだけやらなくてもいいのにって思うときもあったりね」

自分が働くようになって分かったが、確かにそういうコースがあった。
わたしは「お客さん」の立場の人間なので、どういうことをやっているか知るまでには何年かかかったが、その頃には3ヶ月もタイピングなんてカリキュラムはなくなったようだった。

このスクールでは、なるべく多くの実習生さんたちが就職や自立に迎えるようにと、先生もアドバイザーも尽力している。
まあ、もし裏掲示板なんてものがあったら、不満をぶちまける人もいるかもしれないけど、とにかく良かれという気持ちは皆さん持っているのである。

で、もしかすると、当時はデータ入力なんていう仕事がたくさんあったのかもしれない。
昔は内職でまでデータ入力をさせてくれるような、そんな時代もあったのだ。

そして、まだまだ今よりもずっと障害者の雇用はすくなかったのかもしれない。
人一倍早く、正確な入力が、就職の大きな武器となったのかもしれない。

これはただの憶測だけれど、びっちりタイピングをさせるのは、正社員たる「スタッフさん」たちの親心だったのかもしれない。

何も分からず話を聞いていたこのときは、ただ「へえ~」と思うだけだった。

それより、しみったれのわたしは業務に関する他の話に興奮した。

「お茶当番ていうのがあってね、それがちょっとねえ。嫌なの」
「お茶をいれるんですか?」
「ううん。ただねえ、やかんでお湯を沸かしてポットに入れるだけなんだけどねえ。
そのときにその日の生ゴミの口を縛ってゴミ箱に捨てたりするの。
まあ、ほとんどないんだけど」

そういう仕事は契約外ってことかな?

「面倒そうですね」
「あんまり面倒じゃないんだけど、ただねえ、それが毎日3時にやり始めることになってるのねえ。
私の契約時間は3時までなんだけど、当番が回ってきた日は、3時に始めるからどうしても20分くらいになっちゃうのよねえ」

いわば正社員である『レギュラースタッフ』たちは5時まで。
だけど派遣の川南さんは3時まで。
自分はお茶を飲まないのにお湯を沸かし、ゴミ処理などをして2、30分遅れた分は無給。

わたしにはそんなの耐えられない! ただ働き!?

「派遣は当番からはずしてくれればいいんだけど」

ホントですね!

ひとごとながら憤慨した。
自分もいつか関係を持つとは想像しなかった‥‥‥



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■まえがきにかえて(おことわり)■


このPartへのまえがき

組織というのは、やはりいろいろなことがあるものである。

どれほど高邁な目的のために設立された組織でも、きっと何かしらの居心地の悪さのようなものがある。
それがどんな面で表れるか分からないが、この世に完全なものなどない。
ないからこそ、その対比として、「天国」だの「理想郷」だのといった完璧な世界が追い求められるのだ。

というわけで、つまり、スクールにもいろいろなひずみがある。

特に非難しようというわけでもないので、そういうところはスルーしても構わないだろう。
「障害のある人たちとの出会い」からは外れているし、触れないほうがいいかもしれない。

でもそもそもこれって、「障害のある人たちとの出会い」ブログだったか?
――と考えると、これは「体験記」のつもりだったのである。
そうすると、ここを避けてしまうと伝わらないこともあるな、という気がする。

それに「障害のある人たちとの出会い」に限ったとしても、その人たちにとってスクールが、あるいは社会が、どのような利点やひずみを持っていたかというのは、無関係ではない話題だ。
この点については触れたほうがいいだろう。

――とすると、やっぱりそれだけでは終わらないな。
双方向から語らないと、それこそ歪みが生じてしまいそうだ。

というわけで――

仕事をしてみて「へぇ」「ほぉ」「なるほど」と思ったことを、これまで記してきました。
それは主に、実習生さんや受講生さんとの出会いを通して知ったこと、見聞きしたことでした。

ですがこのPartでは、働く者同士として知り合った人たちに関することも、多く出てきます。
実習生さんや受講生さんのことでも、違う角度から見たことが出てきます。

言ってみればこのPartは、「組織」や「社会」といった観点から見たこと、聞いたことです。

たまたま障害者について知りたいと思って訪れた方には、あまり意味のない話も多いと思います。
――まあ、わたしは専門的なことは書いていないので、そういう意図で訪れた方のお役には、もともとあまり立っていないかもしれませんが。

でもこれは専門的な事例や考察を書いているものではないので、体験の一部としてここで少し違う一面を語りたいと思います。
わたしの友人には、人間関係などに興味がある、仕事の内容なんてあまり面白くない、という人もいます。
そういう向きにはお楽しみいただける――かと思いましたが、わたしの立場が外側すぎて、あまり絡まないので、やはり面白くないかもしれません。

お見限りされないといいのですが。

これからもご訪問、お待ち申しております。

以上、このPartへのまえがきとさせていただきます。



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●3年目:楽園? それとも‥‥

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「いろいろな障害」

障害があるということは、やはりいろいろな不都合がある。

わたしはPart1「実は皆できる」のあとがきで、書いた。
「同じ人間として対等につきあえる存在だ。いろいろな意味で、絶対に理解と配慮は必要だけど」と。

理解と配慮はやはり、必要だ。

頸椎損傷の人が、場合によっては体温調節ができにくいということを、もし知らなかったら?
「エコのために節電していますから」と、暑い日もエアコンを入れないことを強要してしまうかもしれない。

内臓障害の人が、見た目は普通に見えても、たとえば極端に疲れやすいことがあると知らなかったら?
「どうしてあいつは荷物運びのとき、いつもサボってるんだ!」と批判してしまうかもしれない。

高次脳機能障害の人が、記憶に困難を生じることがあると知らなかったら?
相手に仕事のやり方を聞かれたとき、「これ、昨日も教えましたよね? やる気あるんですか!?」と非難してしまうかもしれない。

一見普通の人に見えるけど、聴覚障害の人も電車には乗っている。
「次はどこどこ、どこどこです。左側のドアが開きます」という車内アナウンスだけでは、その人には分からない。
電光掲示板があり、次の駅名が出ていたり、「このドアが開きます」とか「反対側のドアが開きます」と文字が出ると、なるほどと分かる。

ある職場に片方の耳の聴力がない人がいたが、上司はとても忙しい人で、バーッとやってきて早口で指示をし、サーッと去っていく。
「え?」と問い返す暇もないくらい、いつも忙しい人なのだ。
「私は片方が聞こえないので、ときどきおっしゃることが分からないときがあります」と伝えてみたが、忙しすぎる人でそういう配慮は忘れられがちだ。
その部署に障害者が入ったら、やりにくいだろう。
会社側は、障害者を雇うなら、配置を考える必要がある。

理解や配慮は必要だ。
お互いのためにも必要だ。

たとえば発達障害があって、雑音が気になるタイプだった場合、特別にイヤーマフをして雑音をシャットアウトするのも有効かもしれない。
「そんなこと誰もしてないから、君だけに許すわけにいかない」と拒否したら、当人にとって厄介なだけでなく、仕事の能率が落ちて会社にとっても不利益になる。

これはただの例だけど、双方向に「知っておいてよかった」という場合もあると思う。

だけどいろいろな障害について、あれもこれも知っておくなんてできない。
専門の仕事をしているならいざ知らず、そんな面倒な思いをしてまで――と本音では思ってしまいそうだ。

これに対して、わたしは言えると思う。
「知らなくても大丈夫」

なぜなら、わたしは障害に関する知識も、福祉に関する知識も皆無な状態で、この職に就いた。
それでもなんとかやれたのだから。

後から「そうか、これを知っていたら、あのときもっとうまく対応できたかもな」と反省することは多い。
でも「どうにもならなかった」わけじゃない。「もっとうまくできたかも」、つまり、それなりに乗り越えてきたのだ。

「こういうことを知っているべき」「常に配慮をするべき」と言われると、「えー」と二の足を踏むものだ。
世の中には望んで面倒を引き受ける人も多くて、わたしなど頭が下がるばかりなのだけど、「えー」と感じる人もそれなりに多いのじゃないかな。

「知っているべき」「配慮をするべき」と強く主張するのは、障害者を支援していて、理想を掲げて頑張っている人だったりすることも多い。
当人は、配慮よりもまず、友達が増えることや、同僚が仲良くしてくれることを望んでいる場合もある。
面倒に感じて避けられるよりは、とにかく知り合いになってもらうほうが世界が広がる。
――と言える場合もあるのじゃないか、とわたしは思う。

だから何も知らなくてもいい。

ただひとつだけ、覚えておけばいいのではないかと思うのだ。

それは「もしかしたら、何かしらの配慮が必要かもしれない」ということ。

つきあってみたら面白い人で、楽しく友達づきあいをして、障害者だってことも忘れちゃった。――そんなこともあるかも。
でももしかしたら、何かの配慮が必要かもしれない。
必要だったとき、理解と配慮ができるように、「そういう必要があるかもな」ってことだけは、覚えておく。

たとえば友達と会う約束をしていて、もし相手が「骨折した」と松葉杖で歩きにくそうに現れたら、階段を使おうとは言わない。
「エレベーターにしよう」となるに違いない。
見て分かることだったら、深く考えなくても自然に配慮できる。

見て分からないようなことだったら、当人は何度も遭遇してきたことだ。
炎天下でバーベキューするからと誘われたら、「実は体温調節が苦手で、気温が高いと体調崩しちゃうんだ」と自己申告するだろう。
そうしたら、ケースバイケースで配慮すればいい。
「じゃあ、家で焼き肉パーティーにする?」でも。「大勢での約束だから、予定を変えられない、ごめんね」でも。

専門的に仕事をしているわけではないのだから、もし知り合う機会があったら、何も知らないところから始めてもいいと思う。

健常者同士が友達になるときも、最初は相手のことを全部知っているわけではない。
つきあっていくうちに、分かってくることが多い。
たとえば、「この人は好き嫌いが多くて、食事に誘っても行ける店が限られてるな」なんてことは、後から分かる。
「あの人は肉が嫌いだから、ステーキ屋には行けないな」とか、「生ものが嫌いだから、寿司屋には誘えないな」なんて配慮をするようになる。
それを面倒だとは思わない。いつのまにか相手の情報が増えただけだから。
同じように、「内臓障害だから、自分はこういうレストランには行けないんだ」「そうなんだ」と、自然に店の選択が変わる。

そういうことだと思うのだ。

相手に配慮が必要かもしれないということだけ押さえておいて、必要だと分かったときはする。

そして若干の理解。
ただの好みで「自分はこういう店は嫌なんだ」というなら、「わがままな奴だなぁ」「会社の飲み会なんだから仕方ないじゃないか」と眉をひそめてしまうかもしれない。
でももしそれが、障害によって仕方のないことだったら、理解してそういう批判はしない。

さて。
そうすると、わたしなどは曲がりなりにも関わる仕事をしているのだから、もっと知っておくべきじゃないか、ということになりかねない。

うーん。
だって、半年限りの仕事と言われてたし。また次の年も「今年限り」と言われてたし。

まあ、いろいろあるんですよ・・・・・・



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Chapter 5 その他の障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


アルコール依存症

後にも先にも、わたしがスクールの内側に入ったことは、これ一回きりだ。

あるとき、派遣さんが急に辞めてしまって、ビジネス演習コースの人手が足りなくなった。
詳しいことはまたのちに記すつもりなので、どうしてわたしが手伝うことになったかは、ここでは省略しよう。

とにかくわたしは、初めて――そしてこれが最後だったが、専門コースの中に講師として入ったのである。

でも長い話ではない。ほんの8日程度だった。
本当に「チラ見」という程度だ。

当時のビジネス演習コースの責任者だったレギュラースタッフは、権現先生だった。
男性で、若いようには見えず、それほど年をとっているようにも見えず、中間層の先生だ。
テンポラリースタッフとして女性の江津先生がいた。
それ以外に権現先生の助手的レギュラースタッフの男性先生と、江津先生の助手的派遣スタッフの女性先生がいた。

急に辞めてしまった派遣さんの代わりは既に募集しているそうで、さらにわたしを雇える予算は「ほんの数日分」ということだった。
どういうふうな割り振りでそういう予算の都合になっているのか分からないが、とにかく長い期間の話ではないと最初から通告されていた。
――そもそも、わたしが専門コースにチラッとでも行けたのは、当時の上級マネジャーが何事も「別にいいんじゃない?」という、大変融通をきかせる人だったという一点にかかっている。本来ありえないことなのだ。

ほんの少しの間ということだったので、わたしは「お手伝い」という気持ちだった。
たいしたことはできないと思っていた。
業務を覚える必要もない。覚えようとしたって、10%も覚えた頃には「今日で終わりです」という日が来てしまう。

そんな気持ちでビジネス演習コースに行った初日だったが、予想外の「新人教育」となった。
わたしが授業を担当することになる8名くらいの実習生さんについて、綿密な引き継ぎがあったのだ。
後から考えると、権現先生はわたしを2~3ヶ月来る人員と勘違いしていたのかもしれない。
そういえば「あと4日」と知ったとき、「え」と言っていた。

その綿密な引き継ぎの中で、「彼はアルコール依存症です」という人がいた。
――顔は知っていた。ほとんどすべての実習生さんが、PCプラクティスにやってくる。そしてわたしはすべてのPCプラクティスに出勤していた。

彼はアルコール依存症だったのか。
見た目にそれと分かる障害もなかったし、高次脳障害の人がほとんどの回だったので、彼も高次脳かと思っていた。
しかし高次脳だったにしては記憶がしっかりしていると思ってもいた。
高次脳の人は、「以前知っていたパソコンの記憶がなく(少なく)、ゼロから」とか「昨日覚えた内容を今日は忘れている」ということがよくある。それが障害なのだ。

そうだったのか、と思ったが、「アルコール依存症も障害なの?」と思った。

少し前の精神障害の記事を書くために調べてみたとき、精神障害の中に「精神作用物質による急性中毒又はその依存症」という項目があった。
このために障害とみなされて入学できるのかな?

アメリカドラマで見るアルコール依存症の人は、治ることはないようだった。
一度なってしまったら、その後は断酒を続けるしかない。
ふらふらっと「一杯だけ」飲んだら、必ず二杯目、三杯目が続き、溺れるまで飲んでしまうと描写される。
――実際そうなのかどうかは知らないけど。
断酒さえ続けていれば、普通に生活していけるけど、「つきあいだから一口だけ」もできない。

PCプラクティスの間はそういうこととは知らず、ここで初めてアルコール依存症だと知った彼。
権現先生の説明によると、「今は落ち着いていて、生活もしっかりしてきているので、問題はないと思います」とのこと。
自宅ではなく、どこかの共同生活施設から通っているそうだ。それがどんなものなのか、詳しくは知らない。

PCプラクティスの間も、ビジネス演習コースでほんの何日か会った間も、口数の少ない人だった。
人の話に参加したり、自分は話さないまでも興味を示したり笑ったりするということも、ほとんどなかった。

でもそれが依存症から来るのか、もともとの性格なのか、わたしには分からない‥‥‥



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■まえがきにかえて(おことわり)■


魚鱗癬

あるPCプラクティス。

十数人が出席している。聴覚の人、上肢の人、下肢の人、精神の人。
いろいろな人がいる中で、どういう障害か分からない人がいた。

彼はとてもおとなしい。ほとんど口を開かない。
顔はいつもうつむきかげん。
服の袖からのぞく手は、皮膚病のような皮がたくさんついていた。ーーなんというか、古い皮膚がむけかけて、でもむけきれずついているという感じ。
それは手の甲全体を覆っていた。
薄着の季節ではなかったし、腕や足などは露出していなかったので分からない。

これが障害なのだろうか。
それともこれは、今たまたま皮膚炎か何かにかかっているだけなのだろうか。

うーん。障害について聞いてみてもいいものだろうか。
困った顔で「それは教えられなくて・・・」と言わせるのは居心地が悪い。
名簿に障害名まで書いてあったり、何も書かれていなかったり、そのときどきで違う。
それが「情報保護」に関する担当者の見解の違いなのか、単に書き忘れたのか知るよしもない。

でも数日して満願寺さんにチラッと聞いてみた。
「××さんの障害って何ですか?」
「ああ~、××さんね。ぎょりんせんていうんだそうですよ。古い皮膚が取れないんですって」

ぎょりんせん‥‥‥

聞いたことがなかった。
マルファン症候群の人が来たときから7、8年経っていた。ギランバレー症候群の人が来たときからも1、2年経っていた。
知らない病気というのはたくさんあるものだと思った。

魚鱗癬というのは、皮膚の代謝が正しくいかなくなる病気。

尋常性魚鱗癬、伴性遺伝性尋常性魚鱗癬、水疱型先天性魚鱗癬様紅皮症、葉状魚鱗癬、道化師様鱗癬、後天性魚鱗癬、と種類がある。
どの種類かによって、症状も異なるようである。
わたしが見た人がどれに当たるのか分からない。
だから、もしTVなどの特集で見たことがある方がいたとしても、そこで取り上げられていた症状と同じかどうか分からない。

わたしが出会った彼は、目立つくらいに皮膚がはがれていた。でもはがれ「落ち」はしない。
だからはがれかけの皮膚でいっぱいの手をしていた。

人と交わって暮らすのがきつい病気だと思った。
人は見かけで差別されるべきじゃないし、世の中の常識的な人たちは皆それを分かっているはずだ。
でもそう思ってもやっぱり、人と接するとき後ろ向きな気持ちになりそうだ。

彼の症状は彼のせいではないのに、彼にストレスを与えている。
障害があっても比較的過ごしやすいスクールにおいてすら、たぶん――

会社に入っても強い精神力が必要とされそうだ。
仕事そのものでなく、その場にいるといいだけのことに対して、多大な精神力が。
日常の外出にも同じストレスがあるだろう。

しかし、保湿クリームを毎日毎日塗って、わが子の症状をできるだけ抑えているお母さんのブログも見た。
はっきりした治療法は見つかっていないので、保湿やビタミンA誘導体の注射などによって、できるだけ症状を緩和するらしい。
――でもこのお母さんのお子さんと、わたしが見た人ではまた違う種類なのかな? なんとなく違うように見える。
――だけど、それは年齢の差によるのだろうか? このお子さんは乳幼児というくらい幼かった。

皮膚だけの問題かと思うと、種類によっては他の問題もあるらしい。
尋常性魚鱗癬は「汗がほとんど出ないため、体温調節がしにくい」「夏は熱中症になりやすい」「冬は乾燥がひどくなり、歩行に支障をきたすこともある」。
水疱型先天性魚鱗癬様紅皮症は、「ウィルスなどから体を守る皮膚機能の低下で、感染症にかかりやすい」「体温調節が困難」。
~Wikipedia~

魚鱗癬の会「ひまわり」というサイトの中に、この病気の園児を受け入れた幼稚園の園長さんの話が載っていた。
その中の一節「おおよその事については理解していたつもりでしたが、実際にその姿を見たとき正直に言って大変、驚きました。」に、共感した。
スクールでは障害のある人がたくさんいて、ときどき聞いたことのない障害や病気の人もいて、ここにいる人たちはある程度なれっこになっている。
ことさらに見つめたり、何か傷つけるようなことを言ったりする人はほとんどいないと思う。
わたしもそうだ。
――でも、やっぱり驚く。

それが顔に出ていなかったことを願う‥‥‥




ひまわり -魚鱗癬の会-
http://www.gyorinsen.com/modules/docs/content0001.html



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■まえがきにかえて(おことわり)■


ギランバレー症候群

スキルアップ研修がまたあった。
わたしが得意としないAccessで、わたしが得意としない優秀な方々が来る。

Accessといっても基礎編だし、と自分を慰める。

何人か受講者さんがいたが、特に優秀だったのは2人。
2人とも同じ会社で、2人とも車椅子、2人とも若い男性だった。――若いというのは、わたしの場合、アラサーを含む。

Accessにまで来る人はこちらが障害や内容について心配をしなくてもいい。
自分なりの体の使い方を知っていて、パソコンを使うことにおいては問題がないレベルに到達している。
たとえば手に麻痺があって入力が遅いとしても、それは遅いというだけのことであって、彼なりの最高速度も自分で知っている。わたしが「こういう入力をしたらどうでしょう」と考えることはない。
「彼にはこういう仕事を頼みたいのだが、なかなかうまくいかない。こういうことができるように学習させてください」と会社から希望が上がって、練習問題を用意したり、時間配分を考えたりすることもない。

Accessに来るような人はたいていがテキストを素直にやってくれて、ある程度やってみて満足したり、「こういうことがしたいのだがどうしたらいいか」と自分から聞いてきたりする。
で、Accessなんて奥が深いから、「これ以上は応用編で」と答えられる。

このときはAccessの応用編は違う先生が担当していたので、かなり気軽に「応用編に来てみてください。応用編の先生はディープなことも知っている先生ですから」と言えた。
このときの先生はそういう人だったのだ。その前の先生のことは「とても優秀な先生だそうですから」と言っていた。
自分が担当している年はそんなことは言わない。「Accessは奥が深いですから、応用編にいらしたとしてもなかなか‥‥‥」と言う。
もちろんそれだけで突っぱねてしまうわけではない。なんとか答えをと焦ったり、必死で考えたりする。
――ただしばらく後の応用編まで期待を膨らませすぎないようにするだけだ。そんな膨らんだ期待に見合う講習をする自信がないからだ。

そんなわたしだから、Accessで「デキる」人が来ていると言われたら、障害のことよりAccessのことが気になる。
なぜデキると分かるかというと、花咲さんが言ったのだ。
「××さんはうちの卒業生ですよ。情報ビジネスコースだから、優秀だと思いますよ」
――「情報ビジネスコース」イコール「デキる人」だ。

うわー、そうですか。

車椅子の人は2人で、1人がもとスクール実習生だということだったが、2人ともできそうな顔をしていた。
いかにもコンピュータができそうな理数系っぽい顔。クールな顔だ。

彼らはデキた。

わたしはAccessは久しぶりで、忘れてしまっていることも多くあり、ドキドキした。
いや、テキストを進めることそのものは、忘れているなら始まる前に確認したりするが、講習中はいろいろなことがあるのだ。
「うまくいかない」と呼ばれて、「ああ~、これ前もあったなあ。確かどこかをどうにか間違えるとなるはずだけど、どこをこう間違えたらなるんだっけ?」みたいなことが。
これはテキストを復習するだけでは思い出せないことだ。

とにかく、デキる人たちには、余った時間で応用編の一部をやってもらったりした。
「Accessで実際にデータベースシステムを作ろうとしたら、基礎編の内容だけではどうしても足りなくなります。
せっかく時間がありますから、応用編から知っておいたほうがいいところを抜粋して見ていただきたいと思います。
××の章と、××の章、ここはやはり知っておいたほうがいい内容ですから。
もし応用編を受けることになったら、担当の先生にどことどこは一通りやったということを伝えてくださいね」

そういう場合、残り時間とこれまでの様子から、「このくらいできるかな」「そうしたらこことここがいいな」など考えることはたくさんある。
花咲さんに頼んで応用編のテキストを借りられるよう手配してもらわなきゃ、とかやることもある。

わたしの頭はそういうことでいっぱいだった。
2人の車椅子のデキる人たちは、同じような障害に見えた。

3日くらいの研修で、もう明日でおわってしまう日、花咲さんが言った。
「××さんのほうはギランバレーなんですよね」
――あ、そうなんですか。
‥‥‥ギランバレーってそれ、なんですか?

家に帰ってから検索してみた。
筋肉を動かす運動神経が傷害され、手足に力が入らなくなる病気だそうだ。
場合によっては、呼吸もできなくなる。

10万人に1~2人という確率で、難病指定されている。
原因は、ウィルスなどに対抗するための免疫システムが、誤って体の神経細胞をも攻撃してしまったこと。
――ただし、これはまだ確実な説ではない。今一番有力な説ということらしい。

Wikipediaなどには、どのような感染症、ワクチン、薬剤などでこの病気になるかも載っている。
いくつもあったけれど、因果関係がはっきりしているのは、サイトメガロウィルス、EBウイルス、マイコプラズマ、カンピロバクターの4つだとのこと。

調べていると、どのサイトも必ず言っていることがある。
「予後がよい」「多くの人が回復する」「急性期を過ぎれば回復に向かう」
その割合は、「発病してから1年後の時点では、6割の患者さんがほぼ完全に治っている」「6~12ヶ月くらいで約8割の患者さんが完治する」とサイトによって違った。
そして「障害を残す方が3割、急性期やその後の経過中に亡くなられる方が1割」「後遺症を残したり、亡くなってしまう場合も少なからずあるので――」と続く。

※難病疾病センターサイトによれば以下の通り。
「症状は遅くとも1ヶ月以内にピークとなり、その後徐々に回復にむかい、6~12ヶ月で多くの患者さんがほぼ完全によくなります。しかし後遺症が残る場合もあり、欧米からの報告では、後遺症で自力歩行ができない方が約15%、経過中に亡くなられる方が約5%と報告されています。一方平成12年度のわが国の研究班の報告では、自力歩行ができない方は約10%、亡くなられた方は1%未満という結果でした。」
http://www.nanbyou.or.jp/entry/76

治ることが多い病気のようなのに、今来ている方は、後遺症が残ってしまった少ない割合の中に含まれるのだろうか。
「回復する」「多くの人が治る」という記述が多かったので、そのことが頭に残ってしまった。

――でも亡くなってしまわれる1割に入らなかったことを、幸運だったと感謝して生きるべきと、励ます人もいるのかもしれない。
わたしはマイナス思考が強いタイプだから、どうしてもそちらに考えがいってしまうのだろう。

「同じ車椅子の人」と思っていた2人だったが、原因は違った。
1人はわたしもよく出会ってきた頸椎損傷だったけど、1人は病気だったとは。

リハビリを続けてよくなる人もいるらしいので、彼があの後よくなっているといいが。

ところで、「ギランバレーさんという人が発見した病気なのかな?」とふと思ったギランバレー症候群、ジョルジュ・ギランさんとジャン・アレクサンドル・バレーさんが報告したから「ギラン・バレー症候群(GBS)」と呼ぶのだそうだ。
お二人はいずれもフランス人ということである‥‥‥

だから何? ――ごもっとも。



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