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感覚の違い

わたしには少し納得のいかないこともあった。

PowerPointのスキルアップ研修をすることになり、早く終わってしまった人のために資料を作った。
総合的な問題ということで、テキストに出てきた機能をすべて使い、何枚ものスライドを視覚的に作り上げる問題を作ったのだ。
途中、「この2枚のスライドは別紙資料の内容をまとめて作ること」という問題も入れ、A42枚ほどの別紙も作成した。

「図形を使ってこのように作りなさい」というような部分もあったので、カラー印刷したかった。
でもカラープリンタはPCルームにはなかった。
「そういうときは言ってください」と花咲さんに言われていたので、お願いすることにした。
花咲さんにファイルを渡すと、それをカラープリンタで印刷してくれる。
学事グループのところにはカラープリンタがあったのだ。

すると花咲さんは言った。
「これ、××先生にも渡してあげよう。○○先生はこういうのを使ってますよって渡したら、今度のスキルアップ研修で使えるかもしれない」

――え?

わたしにとっては若干聞き捨てならない言葉。
印刷物ならまだしも、花咲さんが話しているのは元データのことである。

こういうデータは財産だ。
今後、自分が担当する講習で使えるかもしれない。
また、こういったものによって、分かりやすい講習、あるいは充実した講習にすることで、他の講師との差別化ができる。

たいしたことのない資料ではあるけれど、個人的な思いとしては、著作権があるのである。

それ以来わたしは、花咲さんに印刷などを頼まなくなった。
ケチ根性を振りきれない性格なので、共有化に耐えられなかったのだ。

作並先生からも同じような不満を聞いたことがある。

作並先生はビジネス教養プラクティスの講師だ。
PCプラクティスにも絡んでくる前は、スクールにおける数少ない同じ立ち位置の人として話をするのも楽しみだった。

「ビジネス教養プラクティスって、コースごとにやってるんですか?」
「コースは関係なく、入校して○ヶ月経った人が来るって決まってるんです」
「そうなんですか。じゃあ、PCプラクティスと同じですね。どのコースの人もいっぺんに集まってくるんですね」
「知的障害のクラスだけは別だけれど。あそこはあそこだけでまとまってするから」

そう、どのコースも障害に関係なく実習生さんが集まっているけれど、知的障害と視覚障害だけは、別途コースが用意されているのだ。
一緒にはできないことが多いからだ。

「知的障害のクラスもなさるんですか! 今年はもうなさいました?」
「もうやってないんですよ。最初の1年だけで」
「え、そうなんですか? じゃあ今は、知的障害の人たちはビジネス教養はやってないんですか?」
「資料ごっそり全部持って行ったから、自分たちで同じようにやってるんでしょ」

――ええ!?

わたしも「ええ!?」と思ったし、作並先生も最後のセリフはトゲがある言い方をしていた。

知的クラスの先生方で同じようにやっているかどうかは、想像にすぎないのだろう。
だとしても、資料を持って行くのって、どうなの?

――まあ、ここも想像といえば想像だ。
わたしには作並先生の言葉しか証拠がない。
受講している人には資料って配るものだし、知的の場合先生方が引率してきて、その場にいてくれることが多いから、どういうやり方をしているかも分かる。
そのことを「持って行った」と言っているのかもしれないし、詳細は明らかでない。

でもなんとなく理解ができた。
欲しければ、スクールの人たちはまったく悪びれず、「今回使った資料を、データで全部ください」と言うだろう。

これは一方的な関係ではない。
だから理不尽さは減るし、不公平ではないのだ。

わたしがスキルアップ研修で、ビジネス文書作成法を担当することになったとき、花咲さんは笑顔で言った。
「××先生が作ったテキストがありますが、それを使いますか?」

自分はこういう資料を使っている、というのを見せてくれた先生に、「分かりやすくていいですね!」と言ったら、「良かったらあげますよ。データで渡しますよ」と言われたこともある。

どうも感覚が違うらしい。

わたしはインストラクターとして働いているとき、誰かの自作資料を「いいな」と思うことがあっても、「いただけませんか?」とは決して言えない。
それどころか、同じものを作って使うのもはばかられる。
それはその人のアイディア、アイディアは財産だからだ。
説明の言葉でさえ、少なくとも元のインストラクターが聞いているところでは、同じものは使わない。

相手もくれると言ったことはない。
言ったことはないから想像だけど、「ください」と言ってもくれないと思う。
(でも一度、職業訓練時代の先生にお願いしたことはある。あれは今思い返しても気が遠くなる。なんてことを言ったんだろう。)

スクールはたぶん、学校みたいなもので、講習自体の出来不出来はスタッフの皆さんには関係ない一面があるからかもしれない。
「自分が他の人より良い講習をする」という差別化は、それほど大切ではない。
それより「あの先生の作った資料、すごいよ。使いやすいよ」とスタッフに有難がられるほうが、のちの有利不利につながるのだろう。
そういうところで「与えて」おくことで、何かあったときは逆に「何かを得られる」だろう。スタッフ同士の人間関係のほうが、やはりのちには有利不利につながるのだろう。

――と、これはわたしの勝手な推理だが。

今ではスクールのそういう感覚も少なくなってきた。

通常の学校自体、そういったことは少なくなってきている。
小学校や中学校の先生も、「私が作ったものは私の手柄」という時代だ。
与えたから与えられる、という暗黙の了解に基づく人間関係も薄れてきた。与えるなら、与えるときに「私はこれだけのものを与えるから、何かあったら返してね」とハッキリ伝えないといけない。

だから今は、自分のケチ根性を通すのも、良心の呵責が少なくなった・・・・・・



●3年目:楽園? それとも‥‥
Chapter 3 わたしたちの世界



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■まえがきにかえて(おことわり)■


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ルールの違い

スクールは、障害者を支援しているし、公的な色合いが濃かった。
障害者支援となると、どうしても公的な機関か、または公的な資金援助を受けるか、なかなか営利活動だけでは成り立っていかない。

受講する障害者さんたちから高い月謝を受け取って、そこから運営費も人件費も捻出するというのは、ちょっと難しい。
そもそも就職したくてスクールに通っているという人の場合、現時点では収入がない。
障害者の手当や年金などは受給しているかもしれないが、そこから月謝を出せと?
――とまあ、どうしたって公的な援助が必要になる。

だからスクールは、これまでわたしが働いてきた「インストラクターはサービス業」というところとは、どうも違うのだった。

一番最初に働いたイロハPCスクールでは、当然ながらお金を払う受講者さんがお客さまだ。
区がお金を出してくれるという委託訓練の仕事を、オーナーが勝ち取ってくても、やっぱり受講者さんもお客さまだ。もちろん区もお客さまだけど。

また次もご利用くださいね!と、できるだけのおもてなしをする。
それは、クリーニング店時代と同じことだ。「クリーニングの腕が良ければ、受付なんて事務的でいいでしょ」というわけにはいかない。
インストラクターだって、インストラクターとしての技術プラス、サービス業的な気遣いが必要だ。

むしろクリーニング店時代より、わたしはサービス精神を発揮しなくてはならない。
「私はどうせアルバイトだし」なんて思うのが、サービス業の常だけれど、それで多少ぞんざいな接客をしたってそうそうクビになるものじゃない。
会社だって、それほど高くない時給で雇っているのだ。クビにして後任を募集するなんて手間と余計な経費がかかる。

極端に言って、そんなホテル並のサービスをお求めなら、ワイシャツ1枚1000円くらい出すような店にお持ちになってください、という話である。
お客さまのほうだって、そこいらへんのクリーニング店員に多くは求めない。

ところがインストラクターは、常にアンケートを取られたり、人気の講師とそうでない講師に分かれてしまったり、評価され続ける。
仕事を減らされたくない、次も自分を使ってもらいたい、と頑張り続けなければならない。

今となっては時給はそんなに高くないのだが、こういう仕事が好きな人にとっては人気の職なので、競争が激しいのだ。

長くなったが、民間というのはそんなもので、それはパソコンスクールだけでなく派遣会社も同じだ。

でもこのスクールは違う。
たぶん、専門学校や大学などもそうなのかもしれない。
――つまり、学校なのだ。

先生と生徒という関係。
相手は学生ではなく大人だから、そりゃ批判もするかもしれないが、それでクビになるということもそうそうない。
少なくともレギュラースタッフは、実習生さんに何か言われたからといってクビになることはない。
あまりにも不人気だったら出世に響く? ――周りや上司であるレギュラーも「そのとおり」と認めるならね。

テンポラリーだったらもう少しことは簡単になるけれど、でもたぶんレギュラーが「使える」と認めていて、生徒のほうは認めていなかった場合は、レギュラーの「使える」判断が優先だと思う。

特にわたしが働き始めた初期の頃は、若い実習生さんも多かったせいか、学校のイメージが強かった。
ある若いレギュラースタッフの先生が、PCプラクティスをよく見回りに来てくれて、寝ている子がいると厳しく起こしていた。
――まあ、だいたい厳しく起こされるのは「子」っていう感じの若い子だ。

それは講習が退屈だからかもしれない。
でもたとえそうであっても、それは理由にならないらしかった。
「会社に行ったら、退屈だからと寝たり、好き勝手なことをしたりできない」
「これは就業のためのトレーニングなのだから、我慢することを学ぶのもトレーニングだ」
ということらしいのだ。

当時わたしはフォローオンリーで、進行をしたことがなかったから、教室の様子がよく見える。
学校を卒業したばかりという若い人も多く、寝ていたり、私語をしていたりする。
そういう人は、例の若い先生が見回りに来ると、ぐいっと起こされる。恐い顔で注意される。

あるときとても優秀な人が集まる情報ビジネスコースの実習生さんが2人、ほとんど話を聞いていなかった。
なにしろここにはできる人ばかり集まっているので、基礎的なことなど知らないことはなかったのだろう。
たまたま2人並んだ席で、その上仲も良かったらしく、私語をしているか、適当なことをして時間を潰しているかだった。

一番前の席だったので、それは進行をしている美和先生にも丸見えだ。

終わって帰るとき、よく玉名上級マネジャーは様子を見に来てくれることが多かった。
それで何気なく話したのだった。
「基礎は皆できるんでしょうね」「前に座ってる2人なんて、全然聞いてませんものね」というようなことを。
わざわざ話したのではなく、美和先生とわたしの話を玉名上級マネジャーが聞いたのだったか――?

「誰? どこの実習生?」

そうしたら次の日、2人は反省文を持参したのだった!

「このような態度は前代未聞だということで、反省している」というような内容の一文もあった。
――いや、結構いるけどね。

そんなつもりではなかったので、あわてた。
ごめんね、と思ったが、まさかそうも言えないし。
彼らはその後、退屈でも暇をつぶすこともできなくなったから、特例措置をとった。
勝手に進めていいことにし、終わってしまったら、予定にない応用編やPowerPointのテキストを貸し出した。

普通の講習会だったら、受講者さんが好き勝手なことをしていたとしても、注意することはない。
その人が「ちょっとやってみようかな」とふらりと講習内容に戻って、今いったい何をやっているのかわけがわからなくなったら、サブを呼べばいい。
そのためのサブじゃないか。――というくらいの意識である。
(もちろん、実際に全員がそんなことをし始めたら、とても1人や2人のサブでは対応できないが、立場・気持ちとしてはだ。)

ここは学校なんだな。
つくづく悟った。

ここまでの厳しさは、通う人たちの年齢層も上のほうが増えたので、今は感じない。
でも今でも学校らしさは残っている・・・・・・


●3年目:楽園? それとも‥‥
Chapter 3 わたしたちの世界



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■まえがきにかえて(おことわり)■


五ヶ瀬先生

五ヶ瀬先生は、作並先生が連れてきた代打チームの一員だった。
結局のところ、代打チームで最後まで残ったのは、この人だけだった。

五ヶ瀬先生は何年もいた。
――でもほとんど出番のない年もあった。

たとえ出番が一年間で2日でも、五ヶ瀬先生はやる気があった。
というか、野心があった。

なんていったらいいのか――
「自分がどれだけ満足のいく仕事ができたか」に対するやる気ではなくて、「もっと出勤日を増やす」ことに対するやる気。
「もっと生徒さんの役に立ちたい」と言ったりするけど、正確に言うと「もっと役に立つ自分になって、出勤日を増やしたい」という気持ち。

このやる気は、わたしと同じだ。

ただ、彼女はわたしよりも数年後に入っただけに、わたしよりも数年遅れていた。
同じ新人同士だったら気づかなかったかもしれないことも、わたしは気づくようになっていた。

いかなる野心であっても、野心を持つ者はうまくいかない。

わたしはそれを悟って、なるべく期待を抱かないことを学んだ。
求めていても、せめてそれを表に出さないように努力するようになった。

五ヶ瀬先生は頑張りやさんで、自分をアピールすることにも頑張りやさんだった。
それはうまくいかないんだよ、ということを、わたしは身を持って感じた。
――わたしに向けてアピールが行われたとき、「応援しよう」と思ったかといえば、否だからだ。

そうか、こういうことだったのか、とわたしは目の当たりにしたわけだ。
なんと自分も、人からこんなふうに見えていたのかもしれない。
やれやれ、思い出したくない過去である。

上手な方もいる。
「いえ、私はいいんだけど、それじゃ実習生さんたちが大変でしょう?」
「私は一緒にやらないからいいんだけど、あの方と組むと○○さんが苦労するでしょう?」
自分の気持ちとしてではなく、他の人のためにと言う。
それを持ち出されたら反論できないな、という人を引き合いに出すのがコツだ。

「私は本当に、もう辞めてもいいと思ってるの。やりたいという方がすればいいですよ」
「私なんてとてもできないわ。どうぞ○○さんが全部やってください」
そんな、そんなことになったら皆、すごく困りますよ――と言わないわけにはいかない言い方をする。

五ヶ瀬先生も同じような「辞めます」という脅しを使おうとしたことがある。
でもあまりに直截的すぎて、うまくいかない。

上手と言っても、もっと大きな組織で、たくさんの絡み合う人間関係の中で生き抜いている人からしたら、笑ってしまうレベルかもしれない。
でもわたしには、その程度でもうまく真似できないのだ。

五ヶ瀬先生はその後、「とにかく辞めない」という方法で、最初から考えたら相当出勤日数を増やした。
一番少ないときは年に2日の代打だったのが、出られない人の代わりを繰り返しているうちに、PCプラクティスの3分の2を勝ちとったのだ。
飛躍的な増加だった。

しかしその後は伸び悩んで、結局は辞めた。
3分の2から全部までの道は、思うように進まなかったのだ。
他の人がもっと出勤したいと言い出したら、次の年は減る可能性もある。

五ヶ瀬先生に3分の2も持っていかれて、わたしはどうしていたかというと、全部出ていた。
PCプラクティスの枠は2人だ。進行役&フォロー役で常に2人体制。
1枠はわたしが全部持っている。
残りの1枠は美和先生が埋めていたが出産で休職状態になり、久慈先生が埋めることになった。が、出られない月もあるからと五ヶ瀬先生が埋めることになった。
やがて美和先生が復帰したので、久慈先生と美和先生と五ヶ瀬先生が交代で埋めるようになった。
と、1枠は変遷し続けていた。その変遷の中で、五ヶ瀬先生はいつしか3分の2を勝ちとり、残りの3分の1を久慈先生と美和先生が分け合うほどになった。

それでも1枠全部にはならなかった。
美和先生と久慈先生を辞めさせるわけにもいかないし、これ以上減らすこともできないほど少なくなっていたからだ。

1枠を全部埋めているわたしがいなければ、五ヶ瀬先生も「そういうものか」と納得できたのかもしれない。
それにわたしはスキルアップ研修も抱えていて、五ヶ瀬先生としては諦めきれなかったろう。
自分だって全部出勤したいし、他にも仕事があるのならそれもやりたい。

野心のために辞めることになったわけではないけれど、結局、お辞めになった。
家庭の事情が変わってやむなく辞めたのだったが、ジンクスは続くことになった。

野心を持っている者は、消えていく。

わたしも心して、大それた望みなど抱かないようにしなければ・・・・・・



●3年目:楽園? それとも‥‥
Chapter 3 わたしたちの世界



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■まえがきにかえて(おことわり)■


雲仙先生

もう一人、野心を抱いたビジネス教養プラクティスの先生がいた。

この講座も幾多の変遷を経て来た。
それというのも、そのときの上級マネジャーの意向が関係している。
「この派遣会社はどうもダメだから変えよう」とか、「やっぱりこの派遣会社は高いから変えよう」とか「そもそも派遣にしないで、アシスタントテンポラリーとして雇ったらどうだ?」とか。

まあ、そう思えば、しかるべき人にしかるべき敬意を払っておくのは、大切なことだ。

雲仙先生は作並先生より相当お年も上だった。
作並先生の後を継いだのは、また別の女性、弁天島先生だったが、この方は野心を方を感じさせない方だった。
その後また派遣会社が変わって、雲仙先生が来ることになった。

雲仙先生は、面白い先生だった。
「あ、あの方が新しいビジネス教養の先生かしら?」と思ってふと見たら、リュックを背負っていたのだ!
ビジネスマナー系の先生で、スーツか、またはスーツに準ずるジャケット姿でない人も初めて見たし、バッグがリュックというのも予想外だった。

海外経験もあるし、外国の会社でも働いていたことを、ご自身の強みと捉えていて、型にはまらないビジネス教養の授業を組み立てていた。
――とわたしはご本人から伺った。

派遣スタッフとして来ていたが、年度の終わりに「来年度からアシスタントテンポラリーとして契約したい」と打診された。
この年、当時の上級マネジャーの意向で、派遣さんたちは全員アシスタントテンポラリーになった。
毎週何曜日と決まっている人たちと違うから、雲仙先生は少し変わった勤務形態のアシスタントテンポラリーさんだが。

派遣会社を通さなくなったことは、雲仙先生には良かったようだ。自分の力と意思で何事も進めていけるからだ。
ただ、派遣会社を通さないということは、雲仙先生に何かあった場合、代わりの手配をしてくれる営業担当がいなくなるということだ。
そこで、その前まで来ていた弁天島先生が呼び戻され、1年間のビジネス教養プラクティスを2人で分け合うことになった。

雲仙先生にしてみれば、青天の霹靂、突然の落雷だ。
なぜ!? 今まで1人でやっていたのに、どうして他の先生と2人でやらされるの!?

でも聞きたくても、そういう配置をした上級マネジャーはもう異動していた。
この「派遣をアシスタントテンポラリーへ」企画は、ある種、置きみやげのようにして行われたのだった。
思えばその2代前の上級マネジャーの「この派遣会社を切って、別の派遣会社に」企画も、異動の直前に置きみやげのようにして行われた。
――それが通例なのか?

ともあれ、その年から「派遣からアシスタントへ」「オール1人体制から2人で交代制へ」と、2つの大きな変化があった雲仙先生。
たまたまその年の4月、わたしはお昼に同じ控室を使わせていただいた。

ちょうど大きな災害があったときで、品不足のためスクールの食堂は営業を停止していた。
いつも食堂だったわたしも、朝どこかでパンなどを買ってきて控室で食べることになった。

雲仙先生たちビジネス教養プラクティスの先生は、講習室の近くに部屋を確保してもらって、そこを控室としていた。
お昼もそこで食べていた。

――作並先生のときは、学事グループの事務スタッフからマネジャー方まで集まっているテーブルで食べていたけれど、どうもその後、そのやり方は廃止されたらしい。
学事グループと一緒にお弁当を注文したとしても、食べるのは控室、というルールにいつのまにか変わっていた。

雲仙先生はPCプラクティスにはまったく野心がなさそうだったので、気楽におつきあいすることができた。

「急に今年から2人で交代でやってください、って言われたでしょう? 驚いたわよ。
どういうことなのかしら、私に不満があるのかしら、と思ってね」
――そうですよねぇ。

「満願寺さんとはうまくやっていかなきゃね。あの人が宇奈月さんに代わって、全部仕切るわけでしょ。
でも重要なのは旭さんよ。あの人はテンポラリーだけど、去年までは統括マネジャーだったんだから」
――そうですね、同感です。だからといってわたしには、どう旭さんのご機嫌を伺えばいいか分からないので、何もできないでしょうけど。

やっぱりビジネスマナー系を教える人というのは、作並先生といいい雲仙先生といい、政治家的なのかしら・・・・・・とちょっと面白く思った。
雲仙先生がどのように旭さんを重要扱いなさったのか、具体的には知らないが。

「もう派遣じゃなくなったから、いろいろ勉強しようと思ってるのよ。
障害について、知らないままにやってるでしょう? やっぱり勉強しないとね」
――わたしも思いつつ、なかなかしてませんよ、すごいですね。
「そうして、それを各地の行政に広めていきたいのよ。
やっぱりこういう教育って、もっと広く行われるべきでしょう?
私はNPOにも関わってるのよ。地方自治体なんかでも、もっと考えていかなきゃならない問題だと思うのよ。
もっと勉強して、そういった企画をプロデュースしていけたら、それが私のライフワークかなと思ってるの」
――はぁ~、壮大ですね。
「私ももう年だから、これが最後のライフワークになると思うのよ」

その後、その計画が進展しているのかどうか、聞いてはいない。
具体的な計画ではなくて、そのときはたまたま「そういうのもいいかも」と考えていただけのことかもしれない。
だからあまり詳しく聞いてもいないのだが、アクションを起こすとしても、長い根回しや準備が必要になるのだろうから、まだ固まっていなさそうだ。

「私は別に、もうひとりいなくても、やっていけると思うのよ。去年もやったわけだし」
――半分になっちゃいますもんね。もうひとり現れたら。
「まあ、でも、どうしてもというなら仕方がないけど。
でも本当は、質の違う講座を開講するより、同じ人がずっとやったほうが実習生さんのためだと思うのよ」
――なるほど。一理ありますね。
「ときどき、教養講座っていうのをやっているでしょう?」

・・・・・・?

ああ~!! ときどき張り紙を見ますね! 大きな講義室でやっているやつですよね?

「実はあれも私に任せてほしいと思ってるのよ」

え!

――なんて、大胆な。

でもそうでもないのかな。
作並先生もまったく畑違いのPC講座にも出張ってきていたものね。
教養講座だというなら、そちらのほうが近いかも。

とにかくこの発想と、自信には目をみはった。
自信のある人というのはすごいと思った。
真似をしたいけれど、わたしにはいつも真似しきれない部分だ。
「偉そうに言ったくせに失敗してるじゃないか」という未来ばかり想像してしまうからだ。
――もっとポジティブに、自信を持って生きるべきなのかもしれない。

しかし後から分かったが、教養講座は、ビジネス教養プラクティスとはまったく違う内容のものだった。
たとえば冬になったら、看護師さんがやってきて「インフルエンザ予防について」とか「予防注射を受けましょう」なんてことを言ったりするそうだ。
または、管理栄養士さんがやってきて、障害に合わせた栄養管理について講義することもあるそうだ。
あるいは卒業生がやってきて、「障害者として社会で仕事をしていく上で困ったこと」とか「それをどう解決したか」などを語る場合もあるらしい。

それは――全然違うなぁ。
雲仙先生もどこかの時点で、それを知ったのだろう。
その後、教養講座への野心について、伺ったことはない・・・・・・



●3年目:楽園? それとも‥‥
Chapter 3 わたしたちの世界



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■まえがきにかえて(おことわり)■


作並先生

作並さんは、わたしとはまったく違うジャンルを教える人だった。
ビジネスマナーやコミュニケーションスキルを教える教養プラクティスの先生だった。

ただこの講座、タイプはPCプラクティスと似ていて、毎日でもなく毎週何曜日でもなく、断続的だった。
つまり、4月10日から15日、次は5月20日から25日、次は6月30日から7月5日、という具合。

だから最初はこの人も外部委託の講師なのかと思ったら、派遣だったのだそうだ。

美人の部類に入る人で、それは講師業にはプラス要素だ。

たまに挨拶をするくらいだったが、それだけでも、この人が小規模な社内政治を展開していると分かった。
何せ派遣スタッフにすぎないから、小規模の上にも(下にも?)小規模だったが、わたしのような組織慣れしていない者には驚きだった。
だって、こんな小さな取るに足らない役職で政治を考えるなんて、それだけで目からウロコが落ちる思いだ。

ビジネスマナーを教える先生というのは、大変時給が高いと聞いていたので、わたしたちPCインストラクターなどとは違うのだろう。
「元客室乗務員とかね。なかなかなれないんだよ」と聞いたことがあった。

作並先生は元客室乗務員ではなかったようだが、美人ではあった。

あまり会う機会のない人だったが、偶然顔見知りになった。
たぶん廊下で事務の宇奈月さんと話していたら、作並先生が通りかかって声をかけられたのだ。
それとも逆で、作並先生が宇奈月さんと話しているところに、わたしが通りかかったのかも。
とにかくわたしたちは会釈や挨拶をし、宇奈月さんがなんとなく紹介めいたことをする、ということになった。

それからは、ときどき短い世間話をすることもあった。

作並先生は統括マネジャーや上級マネジャーの顔と名前をよく知っていた。
統括マネジャーはこのスクール全体でも1人か2人という偉い人だから、わたしも知っているけれど、偉い人すぎて話をしたことなどない。いいとこ挨拶程度。
上級マネジャーは何人かいるので、自分が直接関わる人以外は、どこの担当の上級マネジャーか混乱する。
作並先生にはそんなことはなく、きちんと把握していた。

それというのも、お弁当を事務室で皆さんと食べているのだった。

学事グループの人たちは、作業用の大きなテーブルで一緒に食べていた。
統括マネジャーも、4人の上級マネジャーも、事務のテンポラリーさんたちも。
お茶は女性陣が淹れ、お弁当は出入りの弁当業者に注文する。

わたしもスキルアップ研修のときに、花咲さんから言われたことがあった。
「お弁当とりましょうか? 食堂まで行くのは面倒でしょう?」
でもわたしはのんびり違う空気を味わうのが好きだったから、食堂に行っていた。
一度、午後までの特殊なPCプラクティスのとき、宇奈月さんに強く進められてお弁当にしたことがある。

でもこれはやっぱり、食べにくかった。
何を話していいかいらぬ緊張をするし、皆さんもわたしがいるせいで心置きなく話すことができないのではないかとあれこれ考えてしまったからだ。
やっぱりふらっと食堂に行くほうが気楽だった。

でも作並先生は上手にその中に入って、会話を楽しんでいるようだった。
実際のところどうだったとしても、確かにこれはいろいろな情報を得る機会なのだ。

作並先生はわたしと会話していても、「これこれはこうみたいだし」とか「あれはこうらしいし」など裏事情に通じていることを示していた。
裏事情っていうのは、人に噂される程度のことは大したものではなかったりするので、実はわたしの知らない裏事情はなかった。
でもわたしが「へえ」と面白半分で聞いていることも、この人には大切な情報なんだというのは感じられた。
情報こそ命。それは国の政治でも、会社の政治でも、こんな小さな政治でも、同じことなんだ。
持っている情報をどう活用するかというのは、非常に重要なことなんだと思った。

作並先生はそういった情報を利用して、自分の仕事を広げたこともあった。
PCプラクティスで美和先生が出産のために休職状態になったとき、「人を探しているらしい」と知ったのだ。
そして自分の手勢を送り込んで来た。

最初は困ってわたしや久慈先生に、「どなたかいい方がいたら紹介してください」と言っていた当時の上級マネジャーが、急に言わなくなったと思ったら、決まったというのだ。
そしてその人たちは作並先生の紹介で来るという。

作並先生はご自身で派遣業なども営んでいたのだ。
――どのくらいの規模だったのか、わたしは知らないが。
ただ「会社として」紹介するというわけにはいかないので、ただの「知り合いにいい人がいますよ」という紹介だった。

でもそうして紹介した人たちの都合がつかないときは、ご自分でもPCプラクティスに入った。
そしていつのまにか、いつもご自分がPCプラクティスに入るようになった。

わたしと久慈先生と、久慈先生が都合が悪いときは作並先生。
作並先生がご自身のメイン講座、ビジネス教養プラクティスがあるときだけ、当初紹介した人たちがやってくる。

このままPCプラクティスが、乗っ取られてしまうのかも!?

さすがは作並先生である。
やはり、どんな小さな地位だと思っても、政治活動は必要なのだ!
――そんなことをわたしに実感させた年だった。

その上、作並先生は、そんなに毎回自分で出てくる割には、PCインストラクターとしてはかなり今ひとつだった。
いや、これはわたしがひがんで言っているのではない。・・・・・・と思う。
Office製品に対する知識という意味でも、PCインストラクターとしてのやり方・進め方という意味でも、今ひとつだった。

「その上」というのも変な言い方だが、乗っ取ろうとしているのかと思うほどの進出ぶりなのに、「実力は全然じゃん!」と批判的な気持ちになってしまったことを言いたいのだ。

しかしそこでも、作並先生は政治活動のプロだった。

朝、やって来る。
教室使用簿や教室の鍵などを取りに、早く来たほうが事務室に行く。
これまでは、どちらかが持ってきていたら、もう一人はそのまま教室に入った。
でも作並先生は違った。
たまたま階段で出会って、わたしが「あ、鍵は持ってきましたよ」と言ったときでも、「そうですか。じゃあ、ご挨拶だけしてきます」と事務室に行った。

ご挨拶だけしに行くんだ!!

自分はそうやってちゃんと顔を売っているかといったら、否だった。
わたしが最も挨拶を交わしている人といったら、守衛さんやお掃除の人という――(だってよく会うから)。

さらに作並先生は、PCプラクティスを牛耳るには、欠かすことなく出勤しているわたしを牛耳るべきと思ったのか、仕事のオファーをほのめかしてくれたりする。
「私が効果的なプレゼン技法を教えて、PowerPointのテクニック部分は○○先生が教えるとか、何かそういうコラボができないかと考えているんですよ」

それに、仕事はどうもあまりうまくやってくれないが、実習生さんにはとても優しく微笑んだり、話しかけたりする。(優しく「教えて」はくれない。教えずに一緒に私を待っていることはよくあった。)

ちょっと露骨すぎかな?という気はしたが、なるほど、こういうことをしないといけないのか、と思わされた。

でもやっぱり仕事はきちんとするべきだと思う。
政治的努力でわたしが「ぜひこれからも作並先生に来てほしい!」と思ったかというと、やっぱりそうはいかないからだ。
作並先生の所属する派遣会社が契約解除となったとき、PCプラクティスだけでも来てほしい!とは――やはり思わなかったもの・・・・・・



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■まえがきにかえて(おことわり)■


秋保先生

秋保先生は、わたしにとってはまったく関わりのない人だった。

情報ビジネスコースの派遣スタッフさんで、「デキる女」だった。
「デキる」というのは、パソコンに詳しいという意味だ。
WordやExcelなんて、できて当たり前のものだけじゃない、VBAだってできる。Javaだってできる。何だってできる。

花咲さんという人は、わたしにとってこのスクールでは窓口みたいな人で、花咲さんが紹介してくれなかったら知らない人、知らない世界を覗かせてくれる。
「とてもデキる先生なんですよ」と紹介してくれた。
確か、「とてもデキる先生が今情報ビジネスにいるんですよ。見学に行ってみません?」というような感じだったかな?

秋保先生は、以前の川南さんたちとは違う派遣会社から来ている。
A派遣会社がバッサリ切られた後に契約した会社のスタッフだった。

花咲さんに連れられて行ったときは「おお、すごい! デキる人なんだ!」と挨拶をしただけだった。
しかし後に、この人のことは、嫌というほど考えさせられることになってしまった。

前の記事で少し書いた、ちょっと領域の違うデザイン系のスキルアップ研修をわたしにやらせよう、という話の出た頃だ。
そのとき花咲さんには目論見があった――のだと思う、たぶん。
スキルアップ研修講師を増やして、もっと楽に組んでいこうという。

最初、美和先生とわたししかPCプラクティス講師がいなかった頃は、普通のOffice製品関係のスキルアップ研修は美和先生かわたしがしていた。
美和先生はお子さんが小さくて、時間の都合や急なお休みの可能性もあり、わたしが7~8割担当していた。
でもこの時期、美和先生は産休に入っていたのだと思う。

少し前から、美和先生がお休みのときに代打をするようになっていた久慈先生が、大幅に出番を増やしていた。

花咲さんは強烈に久慈先生に働きかけ、「ぜひスキルアップ研修を!!」とくどいた。
久慈先生は、「でも私より○○先生が」と上手に謙虚さを表現し、花咲さんはさらに「○○先生も一人じゃ大変だから、久慈先生が助けてくださったら喜ぶと思いますよ。まずは簡単な基礎編から少しずつでも!」とプッシュ。

大変かどうかが理由なら、わたし別に大変じゃありませんけど。
でもそうは言えないですよね。「そうですね。有難いです」

久慈先生は「じゃあ、基礎編とか、あとはWordみたいな簡単なものなら」と言い、WordとExcel基礎編は久慈先生の担当になった。
Excelは基礎の後に応用に来る人が多いので、「もし同じ人が応用にも来るようなら、講師が変わらないほうが受講生さんにとってはいいのでは?」とわたしは思ったが、久慈先生は「応用は無理! 私も忙しいので、充分な準備ができないと思います。それじゃ受講生さんに申し訳ないから」と拒否。

わたしにとっても楽で有難い基礎や、楽しいWordを持っていかれて、ちょっとがっかりだった。
特にWordは、やっぱりいろいろな文書を練習課題として作るので、準備も楽しいし、やっていても楽しいものだ。
次はこういうのもいいかもしれない、と実は用意したりしていたが、無駄になった。
――だからやっぱり、「ずっと継続できる」と考えないほうがいい、「来年度は分からないから」というのは本当だ、とつくづく考えたものだ。

さて、美和先生のときは「日数の短いものが美和先生、長いものはわたし」という感じだったが、今度は「簡単なものは久慈先生、それ以上のものはわたし」となった。
Wordは「簡単なもの」に入れられたが、これはもっとも日数が長かったので、わたしの収入という意味では痛手だった。

でもまだわたしのほうが多い。いただけるものを有難くやらせていただこう。

と思っていたら、前述の秋保先生が登場した!

秋保先生は派遣スタッフをしていたが、その会社が切られてしまった。
そしてなんと、以前ごっそり契約を切られたA派遣会社に戻ってしまった。
秋保先生も、会社ごと切られてしまった形になる。

そこで花咲さんが「それならぜひスキルアップ研修で活躍を!」と、秋保先生に依頼した。
――実はこの裏側には、切られてしまった秋保先生を気に入っていた偉い人の肝いりがあったとか、なかったとか聞くが、真相は分からない。

とにかく秋保先生は、スキルアップ研修のパソコン部門、難しいものを担当することになった。
つまり、下は久慈先生、上は秋保先生、中間がわたしだ。

この時期は本当に辛かった。
収入が減ったからだ。

でもだからといって、わたしがゴネても何にもならない。
たとえわたしが辞めたって、他の先生方(特に秋保先生)が埋めるだけだろう。
なんならPCプラクティスだって、秋保先生がやったっていいのだ。

秋保先生はなにしろデキる人だったので、重宝された。
花咲さんの信頼も絶大だった――ように見えた。

もうこれから先は、自分の担当分は減る一方だろうな、と諦めたが、1年か2年して、秋保先生はめっきり見かけなくなった。
そして秋保先生に移っていたものが、わたしに依頼されるようになった。

「でもAccessなどは秋保先生のほうが――」「VBAなら秋保先生のほうが――」

すっかり弱気になっていたわたしは、「やったー!ラッキー!」という単純な気持ちにはなれず、遠慮がちだった。
デキる人と比べられても、自分が大変なだけだし・・・・・・。

ところが、秋保先生は本当に姿を消したらしかった。

「秋保先生、ご自身で起業なさったんですよ。
まあ、ご主人が起業なさって、そこで働く形をとっているということらしいんですけど」
――すごいですね。
「それで、会社組織になってしまったので、会計が面倒になったんですよ」
――あ、なるほど!
「そもそも、会社の場合は、単純にはお願いできないんですよ。
平等に各社に条件を出してもらって、検討して会議の結果決めなければならないので。
個人だとすぐに頼めるんですけど、会社となるとことが大きくなるんですよ」

そういうことか!

起業したなら、きっとスクールみたいなところは有難い顧客になったに違いない。
でも起業してしまったら、顧客になることもできなくなってしまった。

秋保先生はこの結果を予想していたろうか?
わたしだったら、スクールが顧客になることを夢見たろうけど――秋保先生はわたしよりもっと世の中の仕組みが分かっていたかもしれない。

ステップアップしようと頑張ると、その頑張りは身を滅ぼす。
つくづく思ったのだった・・・・・・



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■まえがきにかえて(おことわり)■


出る杭――

出る杭は、あまりいい結果にならない。

でもそのことを実感していなかった頃は、わたしは失敗していた。
出る杭っていうのは、江津先生みたいに「レギュラーになりたい」という大それたものでなくても、充分「出る杭」なのだ。
美和先生よりわたしのほうがいいって言ってもらえるように頑張るわ!――これも充分出る杭。

野心の匂いをわずかでもさせたらダメなのだ。
――でもいろいろと見てくると、むき出しの野心はダメでも、陰でうまいこと誰かを貶めるのはいいらしい、と分かってきたけど。
思うに、「相手を貶める」というのは、「自分が上に行く」というのとは違うから、問題ないのかな?
つまり、誰かの足を引っ張ったって、それはその人が引っ張った人と同じか、もっと下に落ちるだけであって、引っ張った人が上に行くとは限らないから? 引っ張った人は「私はいいの、上にいける器じゃないって分かってるわ、でもあの人はねぇ、あれはないわよねぇ」と言えばOKで、「あの人なんかより私のほうがよっぽど――」と言ったらNG。
――とまあ、そんなふうに、自分の中では整理している。

立場的に、そうそう出る杭になれるものでもないので、わたしはいつも外側からちょっとだけ覗き見てる。
たいして覗けもしない役職なので、ほんのちょっとでしかない。

そうしてほんの少し、覗いているだけでも、わたしは実感した。

どんな種類でも、どんな大きさでも、野心というものを持っては、身を滅ぼす。

分を守る。求めない。
いただいたときは、ありがたく受ける。
――なぜかというと、「その仕事はわたしなどには荷が重すぎます」というのも、分を超えているのかな、と思うことがあったから。

「この講座をお願いしようと思う」「こういう仕事をしてくれないかな」
それがもし自分には実力不足の仕事だと思っても、そんな不相応に立派な仕事を提供してくれようというのに、こちらが断るなんて――それも「あんた、ずいぶん度胸いいね」という話である。
いや、本当は、自分にはできない仕事ならきちんとお断りするのが正しいと思うが、それが「せっかく言ってあげてるのに断るなんて、度胸いいね」と受け取られかねないということだ。

でもせっかく言っていただいても、ことによっては断ったほうがいい場合もある。
たとえ「度胸いいね」と思われても、行った先でずっと苦労し続けるのは厄介だ。

花咲さんがあるとき、「今度こういうスキルアップ研修も担当してくれませんか?」と言った。
「デザイン課程のほうの先生方がいつもやってくださってるんですけど、お仕事の合間だから、全然こなせてないんですよ。
申し込みの数からしたら、もっと開講したいんです」
それはわたしでもなんとかできるかも?と思うものだったので、いったん引き受けた。

それで、「挨拶に行きましょう」と言われて、一緒に行った。
するとレギュラーなのかテンポラリーなのか知らないが、「そこでスキルアップ研修をするとしたらこの人!」という先生が、大変怪しげにわたしを見ていた。
花咲さんは「今度、この○○先生にお願いしようと思ってるんです。そのときは、場所をお借りするので、よろしくお願いします」
でも相手方は、「このソフトの経験があるんですか?」「どのバージョンを使ったことがあるんですか?」「別にうちでやりますよ」「じゃあ、夏休み前に一度やりますよ」と、声も顔も険しかった。

後からわたしをスクールに紹介してくれた水上先生に話したら、言っていた。
「うちもそうだけど、そこも同じだと思うのよ。先生方っていうのは縄張り意識っていうかね、そういうのが強いから。
知らない人に入ってこられると、警戒するのよ。たとえ自分の得にならなくても、持っているものを人に渡して減らすっていうのは、すごく嫌がるのよね」

あの雰囲気の中で研修をするなんて、無理だと思った。
それを断ったためか、それとも他に理由があったのか、花咲さんとは少しぎくしゃくした時期があった。
それでも、あのときはやらなくてよかったのだと思う。

その後、開講が遅れがちだったデザイン系のスキルアップ研修は、スムーズに開講されるようになったようだ。
よその誰かに持ってかれるくらいなら、というのが、思わぬ効果をあげたらしい。

今だったら、もっとうまくやれる気がする――
たとえば、「わたしなんて到底できませんから、本当に今回だけというのなら」という形で担当して、それを積み重ねていくとか。
その間に、仲良くすべき人と仲良くなって、認められるようにするとか。

まあ、でももう開講はスムーズなので、そんな心配はしたって意味がない・・・・・・



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Chapter 3 わたしたちの世界



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■まえがきにかえて(おことわり)■


わたしはその場限りの人

ただその回ごとに契約している外部の講師。
わたしにはたくさんの制限があると思っていた。

あまり知りすぎなくていい。
むしろ分を守って、福祉や障害のことなど知らないくらいで、ちょうどいい。

でもまったく知らないと、そのためにうまくいかないことも起こるだろうから、少しは知っていたほうがいい。

どこまで学んで、どこからは控えるか、難しい。

美和先生は潔くて、「わたしはパソコンを教えるために雇われている」という断固としたポリシーがあった。
聴覚の人がスムーズにコミュニケーションをとれるように手話を勉強する? 契約外!
事故で高次脳になった人だから、とめどない会話を断ち切ったら傷つけるかも? 配慮は管轄外!
障害について時間外に学ぶ? とんでもない!

――そのほうが、潔くていいのかも。

「でも少しは知っておいたほうが」なんて考えると、立ち入り禁止区域の境目が分からず、地雷を踏みかねない。

わたしも最初は美和先生のように考えていた。
だって「半年間だけの仕事」と言われていたのだ。
そのために勉強するのは割に合わない。

継続できた翌年も、「来年はない」と言われた。
毎日の仕事でもないし。
割に合わない。

でもその後、なんだかんだと何年も仕事をした。
そうなると、手話のひとつも知っていたほうがいいかもしれない。
自分のアピールポイントになるかもしれない、と欲が出る。

それにインストラクターとしての満足感の問題でもある。
前の章で「わたしはいつも「よくやった!」と最終日に自分を褒めようと、頑張っている」と書いた。
障害者だから健常者だからに関係なく、インストラクターとして「よくやった」と思える達成感やがっかり感がある。

今回はうまくいったな、と喜ぶためには、知っておいたほうがいいことがある。
「和気あいあいとした雰囲気で良かったな」と思うために、手話でおはようくらい言えたほうがいい。
「具合が悪くなった」と言われてがっかりしないために、体温調節がうまくいかない人がいることを知っていたほうがいい。
「黙っててください」「近寄らないでください」と言われて傷つかないために、発達障害の中には途中で話しかけられたりするのが苦手な人もいる、と知っていたほうがいい。

つまるところ、美和先生もわたしも自分のために行動しているわけだ。
PCプラクティスの他の講師も、なんだかんだ言っても同じことだ。

というわけで――

あるとき花咲さんが言ったときは、心の中で苦笑い気味になった。

「だから私は上級マネジャーにも言うんですよ。部外講師の人にも勉強の機会を作るべきだって。お給料は出せないけどねって言って。希望すれば、勉強会を受けられるようにできれば、すごくいいと思うんですよね」

面白そうではあるけれど、そう何回もだときついだろうな。
他の仕事を休んでその分収入が減ったり、その分他の日に残業したり、午前で終わってから無駄に時間をつぶしたり、そもそも出勤のない日でわざわざ交通費かけてやって来たり、代償が大きい。
1回2回ならそれも楽しいかもしれないけど、何回もあったらストレスになりそうだ。
熱心なところをアピールしたいと思って無理をしたり、ほどほどでやめておきたいと思ったのに断わりきれなかったり、厄介そうだ。

ほどほど、バランス、出すぎない、出なさすぎない。

そんな器用なまねは、ここで働き始めたばかりの頃のわたしには、全然分からなかっただろう。
振り返ってみると、「知らないほうがいい」くらいに思っていて正解だったと思う。

だから素人でも仕方ないのだ・・・・・・



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Chapter 3 わたしたちの世界



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■まえがきにかえて(おことわり)■


江津先生の思い

テンポラリーの江津先生は、自他共に「頑張っている」と認める人だった。

江津先生は最初のコースは半年で契約解除になってしまい、別のコースに入った。
それから同じ系統の違うコースに移った。
その後確か、もう1度、移っていると思う。

最終的に、あるコースに定着した。
高次脳機能障害や精神障害やその他いろいろな理由で、「技能習得の授業だけでなく、その他の面でもさまざまな支援を必要とする人たちが集まる」というコースだった。

そのコースで働いて、2年目だったのだろうか? 3年目だったのだろうか?
――それとももっと経っていた?

テンポラリーの江津先生はあまり部署を変わったりしないが、レギュラーの人たちには異動がある。
同じスクール内のこともあるし、違う地域のスクールに異動することもある。事務局本部みたいなところに異動することもある。

で、江津先生の上司に当たるレギュラーの方が、入れ替わった。
ところがこの福地マネジャーと江津先生は決定的に合わなかった。

江津先生はとても頑張り屋さんだ。
誰よりも仕事をしていると自負している。
もともと福祉に興味もあり、自分の知識や経験にも自負がある。
さらにスクールでも何年か働いてきて、ここでのキャリアにも自負がある。
テンポラリーとはいえ、自分がこのコースをまとめあげてきたようなものではないか?

福地マネジャーのやり方は、江津先生にはあまり納得できないことが多かった。
「そんなこと実習生にやらせなくても! 今どきの企業ではそんなこと勉強したって使えないわ!」
「やり方が効率的じゃないから、実習生も困るわよね!」
「話が長い割に、全然要点がつかめないし、言ってることもどうかと思うことばかり!」

ちょっと極端に話してるので、実際はこれほど激してはいなかったかもしれない。

ところが福地マネジャーは福地マネジャーで、熱意と情熱と責任感のある方だった。
江津先生には間違ったやり方と思えるものも、福地マネジャーは福地マネジャーで良かれと思ってのこと。
「自分は仕事が少ないほうがいいから、江津さんの好きにしていいよ」という人ではなかった。
「こうしたほうがいい」「きっと実習生たちのためになる」と考えて、情熱と責任感を持って指導しているが、それがことごとく江津先生の考えと合わない。

まあ、ことごとくというのは大げさだけれど、最後は「ことごとく」というくらい対立していた。

江津先生は、一度は上級マネジャーに辞表を出して、慰めの宴会を開いてもらっていた。

福地マネジャーはやがて異動した。
同じスクール内にいるが、コースが全然違うので、もう江津先生と衝突することはない。
そもそも顔を合わせることもめったにない。

次のマネジャーは福地マネジャーのように、困ったやり方(それは江津先生の見方だが)をゴリ押しすることはなかった。
だが、仕事をしなかった。(と江津先生は思っていた。)

何もしてくれない!
授業もろくにやってくれない!
人数が足りるわけない!!
――と、江津先生は腹を立てていた。

「こういうカリキュラムにしよう」とか「こういう内容を取り入れよう」ということはなかったが、実習生さんに何か問題があったとき、上手に相談に乗れなかった。(と、江津先生は思っていた。)

「ああいう言い方をしちゃうと、よけい実習生は混乱しちゃうんですよ」
「あの人に何回も対応されると、下手したら不登校みたいになっちゃう」
「対応してほしいときには、何もしてくれないんですよ」

それというのも、江津先生にはなんとなく理不尽さを感じる部分があったからだと思う。
純粋に「このやり方はどうか」ということもあったろうけど、それに加速をつけたのは「私のほうがこれほど頑張っていて、よりよい仕事をしているのに、どうしてレギュラーだというだけでこの人たちのほうが上なの?」という――

「これが普通の会社だったら、これだけ長く働いたら今頃正社員ですよ」
とよくこぼしていらしたそうだ。

でもわたしは思うのだ。今どき、普通の会社だって、そうでもないって。
入力業務をして穴埋めの仕事をしていた株式会社ハッピーだって、正社員は貴族みたいなものだ。
平民(アルバイトや派遣)から、貴族(正社員)になるのは、もう今の時代皆無。
正社員並の仕事をして頑張ってるアルバイトさんもいるけど、それほど頑張っても正社員なんて、めったなことじゃなれない。

どの会社も、昔みたいに「よくやってくれるから、社員にならない?」とはいかない時代じゃないかと思うのだ。

それはともかく、江津先生を見ていても、やっぱりわたしにはテンポラリーは無理だなと実感する・・・・・・



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■まえがきにかえて(おことわり)■


江津先生のいきさつ

江津先生というテンポラリースタッフの人がいた。
この人は、あるとき急に空いた穴を埋めるために、半年だけ雇われた人だった。

実はこの話、わたしにも打診があった。
レギュラースタッフの誰かが体調を崩し、どうしても穴を埋めなければならないので、PCプラクティスからそちらに移ってくれないかという話だったのだ。
「ただ、半年しか確約できない。だけど、テンポラリーになれるなんて、いい機会だよ」と玉名上級マネジャーに言われた。

なるほどそうだと思ったが、「半年のみ」というのがネックだった。
たまたまPCプラクティスのほうは、「半年のみ」と言われながらも続いてきたが、レギュラースタッフの人は戻ってくる予定だというから、今度は本当に半年で終わってしまうかもしれない。

「そうしたらまたPCプラクティスに戻ればいい」と言われもしたけれど、それも難しいのではないかと思った。
半年の間、美和先生に一人でやらせるわけはない。誰かを入れるだろう。
その人は半年経ったらどうなるのか? 「最初から半年の約束だから、さようなら」とはならない気がする。
そうすると、3人で仕事をシェアするのだろうか? 今でも充分少ないのに?

とまあ、そういった打算を働かせて、結局は「わたしには実力不足です」とお断りした。

そこで玉名上級マネジャーは、またしても水上先生にSOSを送り、江津先生が紹介されてきた。
わたしも江津先生を知っていた。同じ職業訓練コースの別の期生だったのだ。
そのときわたしは水上先生の温情で講師をしたので、先生と生徒として出会っていた。

江津先生は精力的に働く人で、わたしより合っていたと思う。
配属されたコースには障害のある先生がいて、その人は雑用はできなかったから、体力のあるテンポラリーが求められていた。
たとえば、学校祭があるからポスターをあちこちに貼らなければならない――が、たまたま先生の数の少ないコースで、お二人はそういった仕事は戦力外。他の1人なり2人なりでしなければならない。
だから、この穴を「半年空けておこう」というわけにはいかなかったのだ。

半年経つと、体調を崩したレギュラーの人は無事に復帰することになった。
江津先生は最初の予定通り、半年限りとなった。

しかし江津先生は、そんなことで諦める人ではなかった。

「悪いね、本当に半年限りになっちゃって」と気遣う玉名マネジャー。
「いえ、最初からの約束ですから」と江津先生。

ここでゴネずに、笑顔で引き下がっておいて、後日「ご相談したい」と切り出した。

別のコースでテンポラリーを募集しているのをハローワークの求人で見たが、それに応募してもいいものだろうか?
ここで半年働いてしまったけれど、もし問題はない、バッティングしないということであれば、応募したい――

「ぜひ、応募して!」と、そりゃ安心するよ、玉名マネジャーも。

江津先生はハローワークを通して応募書類を提出、面接を受け、他の人と同じように応募した。
――他に何人いたのか、そもそもいたのかどうか、知らないが。

何人いたにせよ、裏では玉名上級マネジャーが、「よかったよかった、これで心が痛まずにすむ」と思っている。
面接を担当した人が誰であれ、「いや、実は、彼女にはお世話になっちゃってるんだよ。××くんが病欠の穴を埋めてくれたからさ」と言われたろう。
当然、江津先生はテンポラリーとして雇われたのだった。

とまあ、これはわたしの想像でしかないのだが、そう外れてもいないのじゃないかな。

めでたくテンポラリーになった江津先生は、その後何年もテンポラリーとして続けているが、わたしは「あのときわたしがなっていれば!」とは思わない。
たぶん、わたしには、目ざとく募集情報を見つけて、それを上手に玉名上級マネジャーにお話するなんて、できなかったろうから。

だいぶ社会性が身についてきた今ならともかく(それでも怪しいが)、あの当時、そういう工作を上手にできたとは思えない。

だからわたしは、自分の居場所を守っておいてやっぱり良かったと思う。
わたしだったら半年で終わってしまっただろうから。

それにテンポラリーになりたいかどうか、微妙なところでもある・・・・・・



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■まえがきにかえて(おことわり)■


テンポラリー?

宇奈月さんとわたしは誕生日が近かった。同じ年の同じ月だったのだ。

宇奈月さんは退職後、一応就職活動をしていた。
本当は辞める前に就職活動をして、できれば間を空けず働くつもりだったが、タイミングが悪かった。
忙しすぎて就職活動なんてしていられなかった。

退職後、「一応」していたというのは、子供もいなかったしご主人は立派に働いていたので、切羽詰まってはいなかったという意味だ。
それに、災害があって辞める前の1ヶ月は混乱していて、宇奈月さんは事務として対応に大わらわ、それがある日急にパタリと仕事に行かなくなったのだから、ポカンとした気持ちになったろうと思う。

ぼちぼちと就職活動をしていた宇奈月さんは、年齢のことを考えることもあったようだ。
当然だ。わたしもよく分かる。

よく30を超えてしまうと職を探すのは大変だというが、それなら40においては――!

「○○さんももったいないですよ」

もったいないってほど、わたしは能力やキャリアに恵まれてないけどね。
でも宇奈月さんはもったいないですよ。

「仕事が気に入ってるなら、スクールを辞めたほうがいいとは言わないけど、外部契約はもったいない。
テンポラリーになったらいいのに。
募集があったら応募してみたら?」

――でも、宇奈月さんの働きぶりを見てたから、大変だってよく知ってるし。
レギュラーと変わらない仕事をしてたじゃないですか。

「まあね。自分はレギュラーじゃないからここまで、って働くことはできないからね。
テンポラリーだから、レギュラーより適当な仕事量で、責任も負いたくないって考えてる人には向かないよね。
それはあると思う」

――やっぱりね。

「下手したらレギュラーより作業するきとは多いかもしれないしね。
レギュラーは指示は出すけど、実際に何かするのはテンポラリーだってときもあるし、そこで気を配ったり修正したりなんとか間に合わせたりっていうのは、テンポラリーが自分でやるしかないし」

――でしょうね。

「でも絶対もったいない。外部契約じゃなくてテンポラリーになったほうがいいですよ。
まあ、年限決まってるけどさ」

――宇奈月さんが退職したあのときは、上級マネジャーは異動、宇奈月さんは退職期限、災害があっててんやわんや。
その状況でも例外にはならず、すっぱり辞めることになりましたものね。

「でも事務じゃなくて、ジョブ・トレーニング部のテンポラリーになればいいんですよ。
あっちは年限ないから」

そう。なぜか先生業には年限がなく、何年でも更新できるのだった。
技術職だからという説や、事務職のテンポラリーは給料がいいからという説など、いろいろある。
が、誰もはっきり教えてくれないので、本当のところは分からない。

昔だったら、なんだか損をしているような気がして、絶対に嫌だと思ったろう。
でもわたしも年をとったので、そういう安定がちょっぴり欲しいようにも感じられた。
もし募集を見かけたら、応募してみようかなあ。

と惹かれたものの、募集を調べもせず、そのままになっている。
わたしには、そういう状況で平静な気持ちで働くことは無理そうだから、いいかな?と思っている。

ほら、わたしって、心が狭いから・・・・・・



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■まえがきにかえて(おことわり)■


満願寺さん

アシスタントテンポラリーからテンポラリースタッフになった宇奈月さんは、退職した。
テンポラリースタッフには既定の年限があり、契約時にはそれを了承の上でサインする。
年限が来たら終わりなのだ。
ずっと正規雇用になれないままこき使われてはいけないと、法律がいろいろと決まっているので、スクールは抜け道を利用したりすることなく、きちんと年限通りで契約解除していた。

でも何もこんなときに! ――というような、とんでもないタイミングでの退職だったが、たとえば大災害があってその余波で大混乱、という時期であっても、年限は年限なのだった。

宇奈月さんの後にやってきたのは、満願寺さんという女性だった。

初めて見たときはリクルートみたいな、分かりやすい「いかにもな」スーツ姿で、頬を赤くして緊張していた。
でもみるみる打ち解けていき、気づいたら相当カジュアルな服装になっていた。
わたしもオフィスカジュアルらしくない格好をしているし、人によっては個性的な服を着ているが、満願寺さんのようにカジュアルに見える人は見たことがない。

宇奈月さんが相当できる人だっただけに、満願寺さんはあまりパソコンが得意ではないらしい、という可哀想な比較もされていた。
花咲さんはずっと間近で宇奈月さんを見てきただけに、「満願寺さんはあまり仕事をしていないように見える」と少しばかりおかんむりだった。

でもわたしは、満願寺さんはちょうどよい人材だったように思う。

その年、前年まで統括マネジャーをしていた偉い上にも偉い人が、めでたく定年を迎えてテンポラリースタッフとしてやってきた。
つまり、普通の会社で言う「嘱託」というやつだ。

前年まですぐ隣の席の統括マネジャーの席に座っていた偉い人が、今年は「統括マネジャー」という尊称なしで、「旭さん」とさんづけになっている。
旭さん――元・旭統括マネジャーは、満願寺さんと共にテンポラリーとして業務をこなすことになった。

人数を整理してみると――
最初は、レギュラーの白鳥さんとアシスタントテンポラリーの宇奈月さんだった。
つまり、週5の人と、週3だか4だかの人だ。

次にテンポラリーの宇奈月さんと、アシスタントテンポラリーさんになった。
つまり、週5の人と、週3だか4だかの人だ。
ただし、このときの週5はレギュラースタッフではない。

そして今、テンポラリーの旭さん(元偉い人)と、テンポラリーの満願寺さんと、アシスタントテンポラリーさんはそのまま。
つまり、週5の人と、もう一人週5の人と、週3だか4だかの人だ。

人数が多いのである。
そりゃ、花咲さん、仕事をしてないようにも見えますよ!
――でもそれは、満願寺さんのせいではなく、満願寺さんが運が良かっただけですよ。

だけどもし宇奈月さんが今もいたら、仕事量が減って楽になって嬉しかったろうか?

これは難しい問題だと思うのだ。

同じテンポラリーといっても、旭さんは元偉い人だ。
それもマネジャーの上の上級マネジャーのさらに上の統括マネジャーだ。
ここまでいかずに退職を迎える人だっているのだ。

当然、旭さんを尊重して、旭さんを上司として立てていかなくてはならないだろう。

宇奈月さんはもちろん、立ててやっていったろう。
でも満願寺さんはもっと楽に立てていける人に見える。
むしろ、「あなたが決めてくれ」と言われたら、ちょっと困りそうな感じ――

ちょっとしたことでも、面倒なこと、決断が必要なことになると、「あ、じゃあ、確認してみます」という満願寺さん。
宇奈月さんも「確認してみます」と言うけど、その中身は違う。
たぶん満願寺さんは「どうしたらいいですか?」と丸ごと投げる。
宇奈月さんは「どうしたらいいですか?」と指示は仰ぐが、もし指示が遅れれば「どうなっていますか?」と聞くだろうし、「こうするべきではないですか?」と建設的な意見も述べてしまうかも。

いい・悪いを言っているのではなく、二人の違いを語っているだけなのでご了承を。

良かれ悪しかれ、満願寺さんは丸ごと決定を任せてしまう。
聞いた時点で仕事は終わりだ。
もしこちらが「あれはどうなっていますか?」とせっついたら、「言ってみたんですけどねぇ。もう一回聞いてみます」と言うだろう。

良かれ悪しかれ、宇奈月さんは意思を強くもって事に当たる。
解決するまで宇奈月さんの手を離れないし、責任感が強いから上の人にも何度でも確認して結論を出してもらおうとする。
決断の際、知っておくべき、と考える事実については、あらかじめ説明をしておく。

花咲さんは「今まで宇奈月さんが一人でやっていた仕事を、今は二人がかりでやっている」と言っていたが、結局その満願寺さんの対応は正しいのだ。
求められているのは、旭さんより上に出すぎないことだし、二人でうまくやっていくことなのだ。
二人がかりもちょうどいいのだ。定年後にゆとりで働くはずの旭さんが、宇奈月さん並に残業するのでは!
そして満願寺さんは、その体制の中で求められる自分の立ち位置を守っている。

仕事ができることが、良い方向に働く場合と、望ましくない方向に働く場合がある。
爪を隠した状態の鷹で、ずっといなければならない立場もある・・・・・・



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■まえがきにかえて(おことわり)■


ノーブルオブリゲーション

その昔の西洋の貴族たちには、貴族の責任や義務があった。
自分の領地や国を守り、運営していく責任や義務。

平民はただのんきにその日その日を暮らしていけばいい。
自分のことだけ、自分の利益だけを考えて行動していい。

でも貴族と生まれた者には責任があり、誇りを持ってその責任を果たす。
自分や家族のことだけ考えているわけにはいかないのだ。
時には身を挺して国や領地のために行動しなくてはならない。

それは、今はどうか知らないけれど、以前は日本の会社にもあった。
正社員は、会社に所属し、会社の浮沈と一蓮托生。
会社のために尽くしたり、会社のために頑張ったりしたが、アルバイトなどはそんなことは考えず、気楽に働けばよかった。

貴族と平民の関係は、生まれで決まってしまって能力や努力ではどうにもできないし、貧富の差や身分の差はあるし、「平民て気楽なんだな、自分も平民がいいな」と単純には言えない。
でもそういった関係が映画や小説などでは、のどかに描かれていることもある。
主人公や、描かれている世界が貴族側や中流階級側のときに、よく見かける。

自分のこととしてではなく、別世界のフィクションとして見ていると、そういう世界の雰囲気を楽しめる。
実は嫌いではないのだ、そういう古典的な物語。

そんなノーブルオブリゲーションが、このスクールにもある。

レギュラースタッフは、言ってみれば貴族だ。
気持ちいいくらいの、爽やかで明朗な誇りと愛社精神。
組織を守り、情熱を持って仕事に取り組み、目下の者には鷹揚だ。

皆さんとても性格がいい。
組織に守られているというのは、安心と信頼に満ちていて、ギスギスしていないのである。

入力事務をしている出版社も、この時代にあってはまあまあゆとりのある会社で、あるアルバイトさんが社員の上司に言っていたことがある。
「この会社は気持ちにゆとりがありますよね。前にいた会社は不景気でリストラもたくさんあったし、もっと殺伐としてましたよ。
皆さん、おおらかですもんね」
正確なセリフじゃないけど。

社員の上司は「ゆとりなんかないわよ!」と言っていたが、あった。
こんなに余裕があるのに「ない。苦しい」と本気で思っているなら、それこそゆとりのある証拠だ。
外の寒風や嵐を知らないのだ。

そんなふうな、育ちのいい鷹揚さが、スクールのレギュラースタッフにはあった。

そういう意味で、働くには雰囲気のいい、良い職場だった。
ただ、テンポラリーやアシスタントはどうやっても貴族にはなれないが。
頑張ろうが仕事ができようが、「熱心な平民」「有能な平民」にしかなれない。

昔の会社が、組織という名の家族みたいだったように、ここでもファミリーな雰囲気があった。
ただ、レギュラーでなければ、真にその家族になることはできない。
方針や予算が変われば、割とあっさりと「ごめんね」と言われるかもしれない。

この貴族システムは、「平民の気持ち」としてはやれやれというものがあるが、うまく機能すればいいところもある。
見ていると、仕事そのものに情熱を燃やせるのは、やはり安定した年功序列や終身雇用のおかげだと思う。
いい意味で「いいとこのおぼっちゃん」でスレていないのだ。
だから、下なら下なりに、自分の担当する実習生に、いかに役に立つことを伝えられるかを考えられる。
上なら上なりに、いかにしたらもっと有用な体制を作れるか考えたり、後進の指導をしたりできる。
自分を無理にアピールしたり、人を蹴落としたり、ということに時間や労力を割かなくて済むので、仕事のことに使える。
障害者のためにあるスクールなのだから、情熱をなくさずにいるのはいいことだと思う。

もちろん全員が聖人君子ではないけど、いい人だなあと思う人が多かった。

それにわたしは平民とはちょっと違ったのだ。
わたしはそのキングダムにまったく組み込まれていない存在。「外部の人」だった。
つまり外国人。

階級制度もルールも何もかも違う国からのお客だ。
だから特別待遇で対応してもらえるのだ。
重要なことは何も知らされないけど、それに予算がカットされればすぐに切られちゃうだろうけど、なかなか悪くない面もあるのである。

でもこのスクールで「平民」として長くいる人の中には、やりきれない思いを抱えている人もいるかもしれない。
――もちろん、「これで充分」と満足して働いている人もいると思うけれど。

なんにせよ、わたしはまあ、今の立場で満足だ。
大きな責任なんて担う器じゃないもの・・・・・・



●3年目:楽園? それとも‥‥
Chapter 3 わたしたちの世界



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■まえがきにかえて(おことわり)■


宇奈月さん

求められるものは立場によって違う。
わたしがそれをさらに実感した、宇奈月さんという人の変遷をたどってみたい。

その当時、わたしや美和先生や――この時代はさらに他にも講師がいたが、それら契約講師たちが担当するPCプラクティスは、学事グループの担当業務だった。
講習をするのはわたしたち講師だけど、受講者の管理も、事務的手続きも、教室の予約や出席簿などの用意も、講習以外の事務は学事グループがやってくれる。

もちろん学事グループはそれだけを仕事にしているのではない。
PCプラクティスはあくまで業務のひとつであり、実習生さんたちに関する事務をいろいろ担当していた。――大学で言ったら、学務課とか学生課みたいなものかな?

大学みたいに何千人もいるわけではないので、学事グループもそう多い人数ではない。
当時は、レギュラースタッフの白鳥さんがいて、アシスタントテンポラリーの宇奈月さんがいた。
花咲さんもこの学事グループに所属している。
でもPCプラクティスは白鳥さんと宇奈月さんが担当していて、花咲さんはスキルアップ研修を担当していた。
こじんまりしたグループだった。

アシスタントテンポラリーは、毎日出勤するわけではない。
週に3日とか4日程度。

宇奈月さんが最初の年、週に何日出ていたのか、忘れてしまった。
あまり接点がなかったのだ。
基本的には、わたしたち講師と関わりがあるのは白鳥さんで、宇奈月さんは補佐だ。
たまたま教室の鍵や教室使用簿を返却しに事務ルームに行ったら、宇奈月さんしかいなかった、というようなときしか話すこともなかった。

白鳥さんはとても若くて、愛らしい印象の女性で、おっとりしていた。
しかし若くて期待の新人だけに、翌年は異動してしまった。

新しい誰かが入ってくるのかと思いきや、体制が変わった。
宇奈月さんが、アシスタントではなく、テンポラリースタッフとなり、その下にアシスタントテンポラリーの人が入ることになったのだ。

前年、アシスタントとして業務をひととおり見ていたので、宇奈月さんは仕事そのものにはそれほど戸惑わなかったと思う。
仕事のできる人だったし、誠意をもって完全な仕事をする人だった。

でも、そのために大変な思いをしていた。
前の年も白鳥さんと宇奈月さんで業務をこなすのは大変そうだったが、レギュラースタッフがいなくなったわけだから、当然すべて宇奈月さんにかかってくる。
アシスタントとテンポラリーならテンポラリーのほうが上だからだ。
PCプラクティスに関しても、宇奈月さんとやりとりするようになった。
その他の業務も宇奈月さんがバリバリこなしていた。
月末月初など繁忙期は、退勤時間が8時9時になることもしばしばのようだった。

「お仕事、多そうですよね。大変でしょう?」
何かの折に何気なく言ったら、宇奈月さんは言った。
「もう、大変ですよ~! 全然終わらないときもあって~!」
「都合のいいときにお食事にでも行きましょうよ、って言ったって、宇奈月さんそれじゃ全然行けないですね」
「月末とか月初なんて、9時とかになっちゃうんですよ。だから月なかでないと無理ですね」
「そんなに働いてるんですか~!?」
「だって、終わらないんだもん!」
「うわー、大変!」
「でもほんっとに終わらなくて、ほんっとにどうしようもないんですよ。やらないわけにもいかないし。
なのに、残業が多くてダメらしいんですよ」
「え~?」
「副ディレクターに呼ばれて、この残業量はどういうことなのか、本当に必要なのか、って言われたんですよ。
帰れるなら帰りたいけど、本当に仕事が終わらないから――その場で泣いちゃいましたよ」

レギュラーの人たちは、遅いときも多いように思う。
でも宇奈月さんはテンポラリーだから、そんなに残業してはいけないのかもしれない。
――だけど、何日までに何をするというのが決まっていて、たぶん遅れることはできなさそうだから、帰れないのも事実だろう。

わたしには絶対できない仕事だ、と思った。

宇奈月さんは前の職場でも相当パソコンを使っていたらしく、Excelなどわたしもかなわないと思うくらい知っている。
人のことを勝手に言うのは恐縮だが、他のPCプラクティス講師もかなわないと思う。

完璧に仕事をする人なので、そういう点では、時間がかかったかもしれない。
でも作業はだいぶ早い人だと思うので、差し引きすれば遅いことはないと思う。

もしかすると、テンポラリーとしては「私にはこれ以上できませ~ん」というくらいがちょうどよかったのかもしれない。
たまたま頑張ればレギュラー以上にできそうな人だったので、最初は大変だったのかもしれない。

白鳥さんがずっと後になって会う機会があったとき、こっそり教えてくれた。
宇奈月さんができる人だったので、レギュラーの先輩の中には「テンポラリーの管理をしっかりしたほうがいい」と忠告してくれる人もいたそうだ。

こういうところでやっていくのは、なかなか難しいものなのだと思ったものだ。
わたしにはきっと無理だと感じた。

でもほんのわずかにしろ、そいうったことを見聞きできて、少しは自分もその輪の中に入り、ずいぶん鍛えられた。
なにしろ正社員経験がなく、元がゼロに近かったから。

おかげで、わたしもだいぶ、「社会性」が身に付いたと思う・・・・・・



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Chapter 3 わたしたちの世界



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■まえがきにかえて(おことわり)■


水上先生の視察

スクールに水上先生が見学に来た。

水上先生はわたしをここに紹介してくれた人。スクールにはパイプがある。
別にわたしを見に来たわけではなく、他のことで訪れた。ついでにうまくやっているかどうか、見て行こうということだ。

美和先生が休みの日は、わたしが進行をすることもあるし、その年は「この回は人数が少ないから、1人でやってくれ」と言われて交代でやっている回もあった。
でも水上先生が見学に来た日は、いつもの通り、美和先生が進行をし、わたしがフォローをしている回だった。

後から水上先生と話をした。

「半年だけだから紹介するのはどうかと思ったけれど、続いているから良かったわ」
「仕事は楽しいです」

水上先生は、言った。
「あのメインの人はすごいわね。話しながら、言ったことを入力しているなんて」

――「そうですよね!」とは、素直には言えなかった。自分だってやるからだ。
でもわたしはインストラクターになって2年目、駆け出しだったから「わたしだってできますよ!」とも言いにくかった。

水上先生は慰めてくれた。
「人はそれぞれ、合う場所があるんだって思ったわ。
○○さんには、ああやって皆さんの補助をして回るのが合ってるわね」

――あまり、嬉しくなかった。
それは、わたしはそこまでってこと?
補助をするのがわたしには合ってる――それは、時が経ったとしても、メインになるのは合わない、ということ?

もちろん、水上先生にはそんな意図はなかった。それは分かっている。
わたしを慰め、励ましてくれたのだ。

でもわたしとしては、ちょっぴり、美和先生と最初にペアを組んでいたという男性講師の気持ちになったものである。
「自分はずっと美和先生のサブですか!」

その男性講師に対して、玉名上級マネジャーはこう言っていた。
「だいたいサブとかメインとか、そういうのもうちにはないしね。どっちも平等ですよ」

でも水上先生が「慰めて」くれたということが、それは建前だと証明している。
慰めてくれるっていうのは、「あなたのほうが下の役割だけど、悲観することないわよ」という意味だもの。

「どちらも平等」という建前を知らない外の人が、客観的な目で見たら、やっぱりメインとサブに見えるのだ。
そしてメインが上で、サブが下、と捉えるのだ。
受講生さんも当然そういう目で見る。
皆がそういう目で見ている中で、自分だけが「でもわたしも美和先生と平等の立場なのよ」と心の中でいきがっていても、なんだか空しい自己満足だ。

だから潔く認めたほうが、よほどいい。
美和先生のほうが上の扱いなのだ。

そう思った当時も、「自分も大差ないレベルのベテランになった」と思える今でも、美和先生は悪い先生ではない。
見習うべきところもやっぱりあるなぁ、と思う。
――自分なりのやり方というのがそれぞれあるので、やみくもに真似をしたからいいというわけではないが。合うやり方、合わないやり方というのはある。

いつになったら心にゆとりを持って、美和先生を見られるだろう?
入って3年、4年はそう考えていた。
今はゆとりを持って見られるけれど、今度は思う。
――いつまで心にゆとりを持っていられるだろう?

きちんとした年功序列のエスカレーターに乗っているわけではないので、いつひっくり返るか分からない。
若手が出てくれば、いつ自分が抜かれるだろうと思うし、先にいた人を追い越しても、いつまた追いつかれるだろうと思う。
全然安心できない。

楽園・・・・・・? いやいや、とてもそうは思えない・・・・・・



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■まえがきにかえて(おことわり)■


玉名上級マネジャーと美和先生、そしてわたし

玉名上級マネジャーは美和先生を可愛がっていた。
わたしも大人だから「ひいきだ」なんてことは思わなかったが、美和先生を可愛がっているんだなぁと感じていた。

ある人に言わせると、それはこういうことだった。
「玉名上級マネジャーが引き抜いてきた人なんですよね、美和先生って。
PCプラクティスを発足させることになって、××学校の校長に話をしに行ったりしたんですよ。
そのときに美和先生のことを聞いて、スクールで働かないかって連れてきたんですって。
だから責任があると思ってるんじゃないですか」

なるほど。
わたしも聞いたことがある。

大手の資格取得やパソコン技能を教える学校で働いていた美和先生は、ちょうどそのとき出産でその学校を辞めたばかりだった。
そこで「辞めたならうちで働かないか」と誘われ、午前中だけならちょうどいいということになったと聞いていた。
その学校の校長が「ちょうどうちを辞めた人がいる」って紹介したのかな?

玉名上級マネジャー自身に言わせると、同郷なのだそうだ。美和先生のお父上が。
「いやぁ、美和さんに家族のことを聞いたら、お父さんが××県だって言うからね。
奇遇だなぁと思ってねぇ。なんだか身内みたいな気がしちゃうんだよね。同郷だからさ」
「父がですけどね。私は全然そこで育ってないんで」
「××県ていうだけで嬉しくなっちゃってね。××県は郷土愛が強いんですよ」

でも仕事は平等だった。
美和先生の都合優先だったとしても、それは美和先生でなくても同じことになったと思う。
スムーズに運営していくために「どっちが上」「下」というのを決めないことにしていて、そのために回数や待遇をなるべく同じにしようとした結果なのだ。

分かっているけど、ため息をつくときもあった。

それから時が流れ流れて、PCプラクティス講師にも変遷があった。

上級マネジャーというのは異動や定年がつきもので、4年以上いる人はいなかった。
短いときは1年や2年で担当が変わった。

美和先生の第1子がプレ幼稚園に通うことになり、代打の久慈先生が入ってきた。
美和先生は第2子ができ、「お休み」という名の「辞めた人状態」になった。

わたしと久慈先生で数ヶ月やったが、どうしても穴が空いたとき代打の先生が3人ほど増えた。
わたし、久慈先生、代打1、2、3‥‥‥の時代。
わたし、久慈先生、代打3の先生だけ残った時代。

やがてひょんなことから美和先生が戻ってきた。
わたし、久慈先生、代打3の先生、美和先生の時代が2年ほど続いた。

わたしはこの頃には、なんとなく「押しも押されぬ一番手」のような存在になっていた。
そんなもの吹けば飛ぶようなものでしかないので、全然安泰とは思えないが‥‥‥

そしてある年、久慈先生と代打3の先生がいっぺんに辞めることになった。
美和先生はお子さんもだいぶ大きくなり、PCプラクティスに関してはフル勤務に戻ることになった。

でももはや、スクールにおいては、わたしのほうがいつのまにか「一番手」PCプラクティス講師だった。
わたしがフォローに回るときでも、講師紹介をする上級マネジャーはわたしの名前を先に言う。

かつてわたしが感じた気持ちを、美和先生はもしかしたら感じているだろうか?
で、わたしのほうは、「美和先生のほうが優れているのに、申し訳ない」と思うだろうか?

思ったとしても、自分にとって有利なことは有難く受けておこう。
「わたしより美和先生のほうがずっと優れています」なんて、口に出しては言わないことにする。

それに半年も経つ頃には、二人しかいない生き残った講師、また平等に戻っていた‥‥‥



●3年目:楽園? それとも‥‥
Chapter 3 わたしたちの世界



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■まえがきにかえて(おことわり)■


「手話を覚えてください」

玉名上級マネジャーがお疲れ会に誘ってくれた。
事務の花咲さんがまたもや手配をしてくれて、美和先生のお子さんも来られるように座敷の居酒屋さん。

忘年会の時期だったと思うけど、年度末だったろうか?

「今年もありがとう。いや、助かりましたよ」
――玉名上級マネジャーは大変お上手な方で、こちらの気分をいつも良くさせてくれる。
だから人望もあり、定年になる頃にはかなり上のほうに登りつめていらした。

「来年度だけどねぇ――まだ、ちょっとどうなるか分からんのだけど、たぶんまたあると思うんだよね」
――そうですか、それはよかった、とうなずく美和先生とわたし。
「ただねぇ、もしかしたら、ちょっっっと、お願いすることが増えるかもしれんのよ」

「手話をねぇ、ちょっとは覚えてもらわないといかんかもしれない」

意外なセリフにびっくり。

これまでずっと言われてきた。
「大切なことは結局筆談。手話では誤解があるといけないから。だから筆談でOK」
それが急に逆の話になった。

「まあ、お疲れさまとかね、おはようとか、その程度でいいんだけどね。
でもやっぱりまったくできないっていうのはどうなのかって話も出てきそうなんでね」

今にして思うと、実習生さんの誰かが不満を訴えたのかもしれない。
「手話を一言も知らない人が教えている。手話通訳をつけてほしい」とか。
それとも別の事情があったのだろうか?

手話はなんとなく抵抗があった。
スクールで働く以前の話、電車の中で、一度とても表情豊かな手話会話を見て、「あれはわたしには無理だ」と思っていた。
わたしは笑顔コンプレックスがあった。ましていろんな感情を表情で演じるなんて、無理。

「ちょっとね、これができないとなると、もしかしたら次はお願いできないかもしれないんですよ」

美和先生は「はい」とにこやかに笑っていた。
――すごい。美和先生、仕事のために手話を覚えることも辞さないんだ。

でもわたしも勉強するしかないだろうと思った。
「覚えなければ次はない」と言われたからだ。
玉虫色の回答が上手な玉名上級マネジャーがそこまで言うなんて、本当に次年度はないかもしれない。

手話を勉強するに当たっての、怠け者ゆえの悪戦苦闘はいつか語ろうと思う。

とにかくわたしは勉強を始めることにした。
右も左も分からなかったので、聴覚の人に「こういう場合は手話で何と言いますか?」というのを筆談で聞いてみたりした。
ボキャブラリーは一向に増えなかったが、始めることは始めたのだった。

美和先生のほうは――

「手話を覚えて」と言われた1日か2日後、「ちょっと嫌なことがあって」とわたしが何気なく言ったら、「手話のこと?」と即座に言われた。
「あれは私も嫌だった」と美和先生。
わたしの「嫌なこと」は全然その話とは関係がなかったのだけれど、言いだせなくなった。

美和先生、嫌だったなんて全然分からない笑顔で「はい」と答えていたのに。
やっぱりすごい人だ。
そして「はい」と笑顔で答えて、決して覚えようとしなかった。
すごいと思った。これがあるべき大人の対応なのかもしれない。
「でもそんなの契約に入ってないし」とか「それに見合う対価をもらっているかどうか」とか批判するより、にっこり「はい、分かりました」と言って、何もしない。
――わたしは子供すぎるな。

美和先生は手話を頑として使わなかった。
わたしが指や鉛筆で画面のボタンを指してフォローするのを見て、ご自分もそうするようになったが、手話は一言も使ったことがない。

あまりたくさん出勤しない代打の先生が、PCプラクティスに増えた時期があった。
その人たちも長くやれば、見よう見まねで「お疲れさま」「ありがとう」くらいは手話で言うようになる。
美和先生は一言も使ったことがない。

ところでわたしは、せっかく勉強を始めたので、玉名上級マネジャーに雑談の中で報告した。
「少し手話を覚えました。でもなかなかボキャブラリーが増えないので、手話検定を受けようかと思っているんです。
目標があれば勉強もしやすいと思って。総合ビジネスの派遣さんと一緒に検定を受けようって話してるんです」

玉名上級マネジャーは花咲さんを通じて、PCルーム用に基本の手話単語のイラスト資料を用意してくれた。

わたしはその部分はもう覚えてしまったので、あまり使わなかったが。
そして美和先生は、持って来てくれたとき「へぇ~」とにこやかにパラパラ見て、それっきりだった。

曲がりなりにも「おはよう」「お疲れさま」「ありがとう」は言えるようになったわたし。
「○○です。よろしくお願いします」と手話で自己紹介できるようになったわたし。
大きな手話辞典と持ち歩き用ポケット手話辞典、検定受験料など、投資もしたわたし。

美和先生は一切なし。

――それで何か違いはあったろうか?
本当に契約をしてもらえないことがあったか? 待遇に差はついたか? せめて言葉だけでも「あなたのほうが頑張った」と認めてもらえたか?

お察しの通り、もちろんそんなことは一切なかったのである‥‥‥



●3年目:楽園? それとも‥‥
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■まえがきにかえて(おことわり)■


「平等」という名の‥‥‥

玉名上級マネジャーはとてもいい人だった。
いつもよくしてくれたし、磊落で楽しい人だった。

美和先生とわたしを平等に可愛がってくれた。

ただこの「平等」というのが、わたしのような心の狭い人間にはちょっぴりため息なのだった。

美和先生はスキルアップ研修は、それほどやらなかった。
まだお子さんが小さいからということで、夕方までかかるスキルアップ研修は難しいとのことだった。

「今度また少しスキルアップ研修をやろうと思っているんですよ。
それで美和さんはやっぱり夕方まではあんまりできない?」
「そうですね~、ちょっと‥‥‥」
「どこならできるかな?」
「PowerPointなら2日間なので、やりやすいですね」
「じゃあ、そこを美和さんに頼もう。残りは○○さん、大丈夫?」

美和先生と一緒にやっていて突然辞めた人じゃないけど、「わたしは美和先生の残りものですか」。
――美和先生が「そうですね~、今回はPowerPointの他に、ここのWordもできますよ」と言ったら、その2つが美和先生の担当になるんでしょ?
で、残りがわたし。どのくらいこちらに振られるかも、美和先生次第なのだ。

言い訳をすると、これはのちにPCプラクティス講師として登場する第3の人、久慈先生も言ったものだ。
「とにかく美和先生が休みたいとこ休んじゃって、代わりにそこを埋めてくれって言われてもねぇ」
さらに他の先生のことだけど、「××先生がいいとこ全部取っちゃって、残りをやれっていうのも――こちらにも予定がありますからねぇ」
わたしだけじゃない。多くの人が抱える思いなのだ、きっと。

じゃあどうだったらよかったのかというと、たぶん最初に分けてほしかったのだ。
「はい、半分にしましたよ」
その上で、「私はここが出られなくて」「じゃあ、代わりに出ましょう」と話し合う。

でもどうせその後で、「じゃ、ここの代わりに、こちらは美和先生が出たら?」と面倒な話し合いをするなら、最初から美和先生の都合を聞いたほうが早いじゃないか。
――ってことで、美和先生の都合優先だったのだと思う。確かにわたしは「いつでもOK」だったし。

まあ、年なのでおばさん風に開き直らせてもらうと、「わたしは心が狭い」のだ。

スキルアップ研修だけでなく、PCプラクティスにも年に1回、一人だけでいいものがあった。
知的障害のコースのPCプラクティスである。

最初は半分ずつ出た。
この日とこの日は美和先生、この日とこの日はわたし、というふうに。

次からは――
「知的のPCプラクティスは、美和さんスキルアップ研修やれないことが多いから、全部美和さんに頼もうか」

「そうですね」とわたしも笑顔を装うが、やっぱり心の中では納得していないのである。

美和先生がスキルアップ研修ができないのは美和先生の事情であって、その分を別なところで補填するのは「機会」としては平等でないと思えたのだ。

つまり、わたしにしても久慈先生にしても、それからサービス業時代にも同じようなことはあったけど、「言ったもん勝ち」という言葉が頭に浮かぶのである。
好きなように休んだもん勝ち。それで不利になることはない。やりたいようにやったほうが得なのだ。

でもうまくやりたいようにやれなかったり、うまい理由がなくて割を食うことになった人は、「なんだか損だ!」と感じることになる。

美和先生が悪いわけじゃない。
「私がここで出なかった分、ほかのところでたくさんください」と美和先生が言っているわけじゃない。
久慈先生に代理を頼んで休むときも、「休むけれど、クビにはしないでください」とは言わなかった。
――「こんなに休むので、いっそ久慈先生にこの回全部お願いします」とも言わなかったが。

なんとなく、「平等」という名前だけど、「不平等」だなと感じてしまうのだ。
つまり「結果の平等」だからだ。

どんなふうに働いても、何をしても、いつも平等のお給料になるのなら、頑張っただけ損じゃない?

いやいやそんなことはない。
働いたことで素晴らしい勉強ができたかもしれない。仕事の、あるいは人生の。
働くということ自体に価値があるのであって、収入というのはそれに付随するものに過ぎない。
人と比べずに、自分の内なる満足のために誠心誠意働くことこそ、理想と言えるのじゃないだろうか。

だけど人間て、そんなに高潔ではいられないことが多いのだ‥‥‥



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■まえがきにかえて(おことわり)■


スキルアップ研修の喜び

PCプラクティスでのわたしは、いわゆる「サブ」だった。
スクールでは「フォロー」と言っていたが、それは言い方を換えただけのことだ。

ひとつ前の記事でも少し触れたけれど、メインにはメインの醍醐味がある。

だけどスクールで働く限り、わたしはメインの醍醐味からは遠ざかったままだった。
このままでは、もともとなけなしのメインとしてのテクニックが、どんどんさびついてしまう。

インストラクター派遣にもいくつか登録し、仕事があればなるべく受けるようにしていた。
――でも、なかなか日程が合わない。
区や市のIT講習会が、1ヶ月の間に断続的に4日×4回ある。‥‥‥でもPCプラクティスと重なる日が4日ほどある。
一応応募はしてみるけれど、全日程出られる人に決まってしまった。
そんなことばっかりだった。

ついでに言うと、土日の講習会は狙い目だった。スクールは絶対土日祝にはないからだ。
――ところが、少しでも副収入をと、単発派遣で隔週土曜の大学事務の仕事に入ってしまった。
これは派遣単発時代の話だが、とても痛かった。
翌年はその仕事を受けなかったけれど、今度はそういった講習会自体減ってしまった。

まあ、それはちょっと脇道にそれた話だ。

できる仕事は全部したけれど、あまり頻繁には講習会講師はできなかった。

だからわたしはスクールでの「スキルアップ研修」の仕事があると嬉しかった。
スクールの実習生さんではなく、外部からやってくる受講者さんのための短期間の研修だ。
数日間の研修。少なくて2日、多くて5日。

スキルアップ研修の担当講師は一人。
その人がメインなのである――サブはいないけど。

少人数と決まっていたので、大勢を相手にする場合の醍醐味はなかったが、とにかく進行はする。
最初から最後まで進行役をする数少ない機会なので、張りきった。

人の講習をサブとして聞いていて、「こういうふうに説明したほうが分かりやすいんじゃないかな」と感じることは、よくあることだと思う。
それを試せるチャンスだ。
また逆に、「今の説明の仕方はいいな」と勉強になることもある。
それも試せるチャンスだ。

この章をずっと読んでくださった方がもしいらしたら、「スキルアップ研修は、各自でテキストを進める自習のような形式って言ってなかったか?」と思われたかもしれない。
――そこに気づくほど読んでくださった方がいらしたら、感謝に堪えない。

実は「各自で進める形式」は、後からわたしと花咲さんが相談して改良したもので、最初のうちは授業形式だったのだ。
――「あんた、最初は授業形式だったって、前も言ってたよ」とおっしゃる方がいらしたら、もう感激である。

とにかくそんな時代を経て、結論として各自形式に変わったのである。
数人なのに授業をする。
数人しかいないけど、つまずいている人がいるとフォローに回るので、皆が待ち時間。

美和先生はある講習で、「2002と2003の人がいて大変だった」と言っていた。
「ボタンもちょっと違うし、テキストの例題が違うの」
「どうやってやったんですか?」
「まず2002の人からやりましょう、って言って2002で少し進めて、今度は2003の人やりましょう、2002の人は待っていてください、って言って2003で少し進めて、大変だった」
――そりゃまた、ホントに大変だな!

なんていうことさえあったのだ。

‥‥‥また脇道にそれたので話を戻す。

最初の2年ほどだろうか? スキルアップ研修も授業形式で行っていた。

わたしにとっては貴重な機会。
それにただ進行するだけじゃない。授業全体を好きに組み立ててよかった。
テキストさえ「何がいいですか?」とこちらに選ばせてくれる。

こういうテキストを使おう。
こういう課題を用意しよう。
この部分は大切だから課題をたくさん用意して、この部分は一応用意だけはしておくけれど、それほど時間をとらなくてもいいかもしれない。
もし順調にいって少し早めに終わったら、こっちのテキストからこの章をやることにしよう。

授業を組み立てるのはとても楽しかった。

来た人のレベルや希望によって変更することもあるから、遊びを持たせた構成にしたほうがいい。
そうして実際の研修は臨機応変、当意即妙にできたと自分で満足できれば、とても気分がいい。
――受講者さんも満足してくれていれば最高だけど。

ただスキルアップ研修は、楽しいことは楽しいけれど、失敗したときのダメージも大きい。

PCプラクティスがつまらないわけではないし、そこにも楽しみや喜びはある。達成感もある。
でもあまり逸脱できないし、一人で采配を振るっているわけではない。
PCプラクティスの喜びはまた少し違うところにある。

それに、今語っている頃は、PCプラクティスではフォローしかしていなかった。
スキルアップ研修のほうが断然楽しいと思えるのも、仕方ない時期だった‥‥‥



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■まえがきにかえて(おことわり)■


美和先生とわたし

わたしは美和先生に遅れること半年、スクールで働き始めた。
なぜかというと、美和先生と組んでやっていたもう一人の講師が辞めたからだ。
いや、辞めた後、美和先生は一人でやっていたらしいのだが、ついに「この日出られません」という日が発生してしまった。
そこで「誰でもいいから」くらいの勢いで急募されて、インストラクター経験の浅いわたしなのに雇われた。

美和先生と一緒にやっていた前の方が辞めたことは、玉名上級マネジャーには納得がいかなかったようで、最初の年はときどき話に出た。
「僕は、講習しながら話したことを入力できるか美和さんに聞いたら、できるっていうからさあ。じゃあお願いって言ったんだよ。
そうしたら、自分は美和さんのサブなんですか!って言ってねえ」

どうやら美和先生が進行、もう一人の方はフォローに回るように固定されてしまい、たぶん優秀だったその方は面白くなかったのだろう。

「それを僕に言わずに派遣会社に言って、派遣会社から「どういうことですか!」って言ってきたからなあ。
聞いてないんだから、僕は。そんなこと思ってるなんて」

――それは大変でしたね風な顔をしていたけど、さすがにそれは心から同意はできなかった。
玉名上級マネジャー、派遣はそういうものですよ。

「だからもう派遣はこりごりだと思ってさ」

この思いはずっとあったようで、わたしを仲間に入れてくれた派遣さんたちをのちに会社ごと切ったのは、実は玉名上級マネジャーだった。

「うちはそんなどっちが偉いとかないからさ。時給だって同じだし。
サブだとかなんだとかじゃなくて、単に進行してる役目の人とフォローしてる役目の人がいるだけで、平等なんですよ」

うーん‥‥‥理屈としては分かりますけど、でも‥‥‥

大抵の会社はメインインストラクターとサブインストラクターという考え方をしている。
メインが講習をリードし、サブはメインに従う。
そういうふうになってますからねえ。

まあ、どうやらここは他とは違うんだなってすぐに察しをつけられなかったのも、インストラクター業としては気がつかない人だな。
それともそうだと分かって「やってられるか!」ってなったのかな?

正直言って、少しはメインとサブ的であっていいと思う。
長くやると、フォローのときでも自分のポリシーを通そうとしがちになる。
船頭が多い船に乗った実習生さんもやりにくくなる危険がある。

辞めた先生にしてみれば、「え? 自分ずっとサブ?」と愕然としたと思う。
普通は募集のときに「メインインストラクター」か「サブインストラクター」とか、はっきり分かっているものだ。
「サブは嫌だな」と思ったら断る。

たぶんこの人は何も言われなかったんだと思う。
たとえば最初に「どちらが進行をしますか?」なんて話もなかった。2人がいるところでそういう話があったら、「じゃあ交代でやりましょう」とか、そういうことになったかもしれない。
「まずは美和さんにやってもらおう」とかもなかった。もしあったら、「じゃ、次回は私が」と言ったかもしれない。

気づいたら美和さんが前の講師席に座って講習を始めて、次に来たときもやっぱり美和さんが前の方に行って、「え! もしかしてこれ、ずっと!?」

で、3回目で爆発。

サブにも喜びや誇りはあるけど、メインにはメインの面白みや充実感があるのである。
同じテキストでもどう説明するか、どういう具体例を出すか。
どのくらいの時間配分で各章や練習問題を進めていくか。
退屈しているようだと思ったら講習スピードを速めたり、即興の練習をさせて気をひいたり。
ついてきてないなと思ったらゆっくり時間をかけて説明したり、即興の練習でリピートさせたり。
ある程度キャリアを積んだら、サブばかりでは物足りなくなってしまう――

はっきり「あなたはサブ」と言われたならともかく、玉虫色の平等説ではね。

「やっぱり男は駄目なのかね」
――そう、その人は男性だったのである。
だからなおさら「自分はずっとこの女講師のサブ?」という思いがわいたのかも。
なんて勝手な想像をしては、フェミニストとか公正な男女平等論者だったとしたら申し訳ないが。

「とにかく○○さんが来てくれたから。美和さんとうまくやっていってくれる人が一番だからね」

――「美和さんとうまくやれる」のところに変な含みはないと思う。
こういう言い方だと普通は「この人は厄介なところがあるから」という意味を含んでいたりするが、美和先生にはそれはなかった。
それに玉名上級マネジャーは、美和先生をとても可愛がっていた。
言わんとするところは、今風に言えば「コミュニケーションスキルが高い人のほうがいい」ってことだと思う。

「何回かやって慣れてきたら、○○さんもときどき交代で進行をしてくださいよ。
そのほうが美和さんも楽だろうから」

でも一年経ち、二年経ちしたが、わたしはずっとフォローだった。
美和先生がお休みの日だけ、代理で進行をした。その日はフォローはいない。
たとえば普通のインストラクター会社だと、「全日程出られるほうがメイン」という明確なルールがあることが多いが、このスクールにはない。
だから毎日美和先生がやっていて、ある日「今日は美和先生がお休みです」とわたしが進行する。翌日からはまた美和先生に戻る。

わたしは後輩として、「慣れていませんし、わたしは(今回は)フォローでいいです」とフォローに回り、そのままずっとフォローだった。
これって、自分では言えないことだ。「そろそろわたしも慣れました」なんて。

美和先生は決して「進行をしますか?」とわたしに聞くことはなかった。
美和先生はこだわらない人だから、「わたしにもさせてください」と言ったら、「じゃあ交代で」と言ったかもしれない。
でもわたしは「美和先生と同じくらい上手にできる」というほどの自信は持てなかった。
美和先生より能力が低いなら、フォローに回るべきだ。そのほうが実習生さんにとっていいはずだから。

玉名上級マネジャーはあるとき、わたしに言った。
「ずっと美和さんが進行してるんだよね」
「はい、わたしは今のところ、美和先生がお休みの日しかしていないです」
「交代しようとか、美和さんのほうから言ってきたことはないんでしょ?」
「ないですね」
「じゃあ、そのままでいいね」

いいですよ。
わたしが雇われてる条件は、「美和さんとうまくやっていってくれる」ことですから。

だからPCプラクティスでは、美和先生と組んでいた最初の三年間、ずっとフォローだった‥‥‥



●3年目:楽園? それとも‥‥
Chapter 3 わたしたちの世界



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■まえがきにかえて(おことわり)■


スクールでのわたし

スクールの仕事は楽しかった。

前のPCインストラクターの章でも語ったけれど、当時わたしは会計事務所のパートをしていて、変化のない毎日に少々うつうつとしていた。
同じ5人で毎日顔を合わせて朝から晩まで、小さい逃げ場のない一室で働く生活。
その前のクリーニング店も同じようなものだったが、サービス業にはお客さんが来る。後半はスーパー内の店だったから、スーパーの人もいる。
PCインストラクターとしてダブルワークをするようになって、自分は人と接しているほうが合っているのかなと思った。
サービス業は苦手だとずっと思っていたのに。

でもやっぱり人と接するのが得意ちは言えなくて、不満やストレスを感じないタイプではない。
長く一緒に仕事をしているといろいろある。
たいがいの人はそうみたいで、派遣で単発をしていた頃、「単発は期間が短いから、人間関係の問題が起きない。それに人や業務に不満があっても、「一週間だし」と思えばストレスにならない」と言うと、多くの人が同意してくれた。

だから長くても2週間のPCプラクティスは、ストレスがたまりにくくて良かったのかもしれない。
PCプラクティスに来る実習生さんも、たった2週間のことなので、わたしたちにはあまり手厳しくなかった。
一年間付き合う先生方は苦労もたくさんあるだりうけれど・・・

スクールのスタッフさんとは長く付き合うが、断続的な付き合いだ。
さらにこちらは「お客さん」みたいなもの。スタッフさんとは地位や職務の利害関係がない。
利害がなければ、相手もこちらも不満や衝突に発展しない。

どんな仕事でもそうだと思う。
「あの人ってあんなことしてるわ」と噂しても、自分とまったく関係のない部署で、将来も関係を持ちそうにない人なら、「あれはないわよねえ」と笑って言える。
でもそれが、自分のライバルだったり、年齢の差があまりない直属上司だったりしたら、「あれはないわよねえ」にはもっと非難がこもるだろう。

スクールではわたしの仕事は独立していて、それぞれのコースのレギュラーやテンポラリーの人とは挨拶するくらいしか接点がない。
派遣さんよりもさらに外側の立場だけど、外側すぎて皆が優しくしてくれる。
そして時給はよかった。

仕事そのものは出会いが多くて楽しい。
でもその出会いは一番いいところのみ。実習生さんたちのいい面だけを見て終わる。
たまに困った面が見える人がいても、短い期間のことである上、その困った面をいかに克服して就職に結びつけるかというのは、わたしの仕事ではない。

というわけで、スクールでのわたしはかなり楽園に近かった。

物足りない!もっとディープに関わりたい!という人には向かないだろうけど、わたしのような怠け者にはこれで充分。
実習生さんのために、受講者さんのために、と少しばかり考えたり、工夫したりすると達成感もあった。

このスクール、わたしにとってが一番楽園だったかもしれない。

でも玉にキズだったのが、「ここのお給料だけではやっていけないこと」。
時給は良かったが、出勤日数が少ない。
――でも「出勤が少ない」っていうのも楽園条件のひとつなんだから、文句は言えない。

仕事自体は面白かったので続けたかった。
そこで派遣の単発を探してダブルワークすることにして、前に語ったような「派遣単発時代」を送ったのである。

迷う時期もあったが、「でも仕事はやりがいもあって楽しいし」と辞められないまま、年月が過ぎた‥‥‥



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Chapter 3 わたしたちの世界



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■まえがきにかえて(おことわり)■


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■まえがきにかえて(おことわり)■


ここは楽園? それとも‥‥

スクールは、障害者がたくさんいるから居心地がいい。

障害に対して理解がある。――それが世間と比べて「相対的に」ってことであっても。
障害に対応した施設が既にある。障害者用のトイレも、エレベーターも、その他も。
学校の養護教室みたいなものまであって、そこにいるのは養護教諭ではない。看護師さんだ。
同じ障害を持つ仲間もいる。同じ障害でなくても、「障害者」という意味では同じ人たちがたくさんいる。

同じ意味で、特例子会社も過ごしやすいだろう。

理想は「健常者も障害者も同じ場所で、一緒に仕事をすること」だ。
そういうふうにしている会社もある。
健常者と同じ場所で頑張っている人もいる。

特例子会社には問題点もある。それも分かる。

でもやっぱり、普通の会社で健常者と同じように働くのは大変なのだ。
もしその会社の居心地がいいなら、特例子会社を選んでもいいと思う。
「雇われやすい障害があることが問題」であっても、自分が雇われやすい障害なら、それを利用してもいいと思う。

雇われにくい障害があるならそれは是正すべきだけれど、是正のために障害者自身にさらに義務や重荷を課すのは酷だ。

知人の何人かと集まって食事をしていたとき、職場の話になり、障害者の話題が出たことがある。
わたしが言いだしたのかもしれない。
「どんな仕事をしているの?」「障害者の人にパソコンを教える仕事なの」というように――

わたしの言葉か、ほかの誰かの言葉か忘れたが、何かに反応して一人が言った。
「分かる! 怖いよね!」

ちょっとすれ違っている気がしたが、意図が分からなかったのでそのまま聞いていた。

「私の会社にも障害者の人がいたのね。でもそれを上司は隠してたの!
昼間もよく眠ったりしてるし、おかしいと思ってたのね。
それでも注意されないし、クビにもならないし。
そうしたら、ある日急に仕事中に泣き出しちゃって。もう声出して泣いてるの。大人なのに。
それで上司が、実は彼はこういうことで――って説明して」

「ひどいでしょう? そんなこと黙ってるなんて。
何かあったらどうするの? 知らないで普通に話しちゃったりするじゃない? 怖いよね。
ちゃんと言っておいてくれないなんて、無責任だと思う」

それが障害だったのか、うつ病などの病気だったのか、分からない。
たぶん、どちらだって関係なかったろう。話している知人にとっては。いずれにしても怖いものなのだから。

わたしはそんなことを考えない高潔な心の持ち主だ、なんて言わない。
実はある精神障害の人とネットで知り合って、若干トラブルに発展したことがある。だからちょっとトラウマがある。
わたしの仕事は基本的に短期間の講習だが、会社では何年も何年も同じ場所にいあわせるかもしれない。

だからその知人を非難したり、偉そうに眉を顰めたりはできない。

言う人ではなく、言われる人を考えてみよう。
偉そうなことを言ったって、わたしも心の中で密かに不安を感じるかもしれない相手のことを。

障害をオープンにするかどうかは、実は選べるそうだ。
人事の担当者だけが知っていて(上の例のように直接の上司も知っているかもしれない)、他には非公開にしておく。
その代わり理解を得にくくなるので、仕事を進める上でやりにくいかもしれない。人間関係で苦労があるかもしれない。障害ではなく人格と思われるからだ。
でも障害をオープンにしたら、配慮は受けられるかもしれないけれど、周囲の好奇や不安の目にも晒される。

言いたくない人もいるだろうね‥‥‥。

それでも皆が殻を破って出ていかなければ、いつまでも社会の偏見はなくならない。
だから頑張ってどんどん世間に出て行きなさい。
――そう言われても、それは大変なことなのだと思う。

だからもし、相対的にスクールや特例子会社が楽園なら、入りたい人は入ればいい。
――採用されれば、という条件はつくけれど。

もしここが楽園だとしても、それは相対的に――他と比較してということだ。
どこにも100%の楽園なんてない。
だって苦労はなくなるわけではないのだもの。

それにスクールだって特例子会社だって、完全な仕組みじゃない。
そこで働く人たち、見守る人たちだって、完璧な人間じゃない。

楽園といえば楽園だけど、でもやっぱりここは楽園じゃない‥‥‥



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■まえがきにかえて(おことわり)■


精神障害者の雇用――Jさん

あるスキルアップ研修。
いつものように花咲さんは、受講者さんに関するさまざまな情報を事前に伝えてくれる。

「××さん、この方は聴覚です。手話はできないそうです。
今はデータの入力くらいしかExcelを使っていないそうですが、今後は業務が増える予定だと会社の方が言ってました」
「××さんは肢体です。上肢となってるから車椅子とかじゃないですね。会社からは特に何も言われてません」

その回は精神障害の人がいた。Jさんという男性だった。
「Jさんは精神です。ご自分で見つけて会社に希望したようですよ。
特に注意することはないっていうことですけど、まあ来てから様子をみましょう」

Jさんはその後、Accessの研修にもやってきて、真剣に取り組んでいた。
理解の早い方で、Accessも以前独学で勉強したことがあるそうで、ーテキストを進めるにあたって問題はなかった。
でも彼はそれだけではなくて、Accessの考え方を会得しようとして、テキストを読みこんだり、操作の手を止めて考えたりしていた。
Accessは「テキスト通りやるのはできたくど、よく分からないままやっている感じ」とか「仕組みみたいなのがよくつかめてないですね」とか、よく言われる。
Jさんはそこのところをしっかりマスターしたいと考えていた。

納得がいかないことや、操作の意味がつかめないときは、ときどき質問された。
わたしが的確な説明ができたかどうか、ちょっと疑問が残るけど。

たまには休み時間に話をした。
Jさんは物静かな人で、人と接するのはそれほど得意じゃないと言っていた。「緊張するんです」
だから、たまに。少し話した。

Jさんは物作りをしていると心が落ち着くそうで、木工製作をしている話を聞いた。

今の会社は家から近い営業所勤務で、通勤は楽だった。
週4日の出勤で、2日働いて1日休み、また2日働いて週末になる。
そのくらいの勤務であれば、ストレスで変調を来たすこともなく、ちょうどいいのだそうだ。

「いい職場があってよかったですね。
働きやすい条件で働けるのが一番ですよね」
「実は不況でもあって、経営の合理化のために、営業所が統合されるんですよ。
自分が今働いている営業所も閉鎖が決まっているんです」
「そうなんですか! それは残念ですね」
「もしかしたら××にある営業所に異動ってことになるかもそれなくて」
「××ですか。それはちょっと遠いですね」

Jさんが住む**というところからは、××行きの路線が乗り入れている。
乗り入れ電車を選んで乗れば、乗り換えなしで行ける。
ただし時間はかかった。1時間はかかる。

「遠くて通えないと思うんですよ。
ドクターもそんなに遠くまで通勤するのは勧められないと言っていて。
結局状態が悪化して働けなくなるのじゃないかと思うんです」
「そうですねえ」

でも花咲さんはどちらかというとその考えに反対だった。
わたしがJさんから聞いたことを話すと言った。
「そうだったんですか。
でも通ったほうがいいですよ。今、就職厳しいから。
精神でしょ? 辞めたら次はなかなかありませんよ」

花咲さんはさりげなくやってきて、わたしを交えてJさんと話をした。
会社の話に持っていき、できれば通ったほうがいいという考えを伝えていた。

ドクターはJさんの体調や精神状態のプロだろうけど、花咲さんのほうは障害者の就職についてはプロに近かった。
花咲さんも直接就職に関わる業務はしていないが、わたしと違っていろいろなことを知っている。

Jさんは結局、会社を辞めた。

「どうしているのかしら」で普通なら終わってしまうのだけれど、Jさんは研修のときブログを教えてくれたのだった。
立場上、わたしはコメントはしないが、就職はどうなったかときどき見ていた。
――打ち明けると、Jさん本人のように物静かなブログで、実は好きだった。その後就職できたかどうか気になる、というのは口実だったかも。

Jさんはなかなか決まらなかった。
やはり花咲さんは正しかったのだ。

‥‥‥政権が変わったから、不況も少しは良くなって、就職ができるといいが。
‥‥‥精神障害の雇用について、方針が発表された。もっと雇用の幅が広がるといいが。
‥‥‥なかなか仕事が見つからず、超貧乏だが、小さな観葉植物を買った。気持ちがなごむ。
‥‥‥経済学の本を読んだ。難しいところもあるが、数字に強くなったほうがいいと感じた。
‥‥‥足を延ばして郊外の美術館に行った。建物が独特で良い。

そういう日々の思いが書いてあり、わたしは少しばかり楽しみにしていた。

落ち込んだり、引きこもりがちになったり、ウォーキングを始めて元気が出たり――
そして就職はなかなか決まらなかった。

精神障害者の雇用はまだまだこれからの課題のようだった‥‥‥



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■まえがきにかえて(おことわり)■


特例子会社のデメリット

特定子会社は一見いい制度に見えたけれど、デメリットもあった。
わたしはそんなことは知らないままに仕事をしてきた。
でもこうして記事にすると、最初に専門の方々の出した結論を見たほうが分かりやすいと思うので、挙げておこうと思う。

Wikipediaによれば、以下の点が問題点となっている。
・非正規雇用が多い。
・頭脳労働が優位の産業構造にあって、身体障害者がスキル次第で比較的採用されやすいのに対し、それ以外の知的・精神障害者を採用している特例子会社が少ないのが現状である。

高齢・障害・求職者雇用支援機構の「障害者雇用事例リファレンスサービス」によると――
「グループ適用は企業の合併や分割再編には有効だが、そうでない場合、障害者を雇用していない企業の意識低下や無関心につながりかねない。もしグループ適用を行うなら、何らかの条件を付けて、障害者雇用への関心が薄れないような仕組みを作る必要がある。また、傘下に多数の企業を擁するグループでは、どの企業を障害者雇用率のグループ適用の対象にするか、選択が難しい。」(ユニダス代表取締役社長 笠井敦夫氏)

立命館大学 伊藤修毅氏
長すぎて引用できない。
つきつめると、障害者雇用は健常者の中に混じってなされるべき(インクルーシブ)。特例子会社制度は隔離している(シェルタード)

ご自分の体験談から、意見を語っている人はたくさんいる。
本人以外にも、家族が障害者、障害者雇用の担当をしていたなど、いろいろな人が語っていた。
――それらについては、多いのでここで引用して紹介することはしない。

さて。
では、わたしも自分の見たことを語ろうと思う。

あるとき、スキルアップ研修に女性がやってきた。
どうやら会社の同僚と一緒に軽い気持ちで申し込んだらしい。
楽しく通うはずが、同僚のほうは仕事の都合でキャンセルになってしまった。

取り残されてしまった女性は、予定の日程の半分でさっさとテキストを終わらせて、「明日からは会社に戻ろうと思います」と言ってきた。
――もっとソフトな言い方だったけれど。

わたしはあわてた。途中で来なくなるなんて、講習に魅力がないってことだ!
「テキストが終わっても、演習問題もたくさんありますし、検定試験のサンプル問題で力試しをしていただくことも考えています。
ご希望を聞かせてくださったら、なるべく希望に沿う内容を考えますよ」

「練習問題ってどんなものですか?」
「これまでの内容を練習するものもありますし、関数の練習などもありますよ」
「関数は使わないので」
「じゃあ、ドリル形式でどんどん練習するようにしてみますか?」
「会社で使うものは限られてるので――。それはもうできますし」

結局、彼女はその日までだった。
わたしは激しく落ち込んだ。来なくなる人がいるといつもそうなる。

でもふと思った。
特例子会社でもそうでなくても、「障害者枠」として働く人は、今後の出世も限られる。
全部の会社がそうだってわけじゃないだろうけど、そういう会社だったら「もっとスキルを上げよう」なんて思わないよな。

そう思ったのには理由もあった。

少し前のスキルアップ研修で、同じ特例子会社から3人くらい来ていた。
皆さん優秀で、この会社の人たちは何度かいろいろなスキルアップ研修に来ているが、いつも驚く。

とてもできる人は、まじめにやらなくても後からすぐに追いつく。
うさぎとかめの話のうさぎだ。
この優秀な会社でも飛びぬけて優秀なある人など、もっと難しい仕事だってできるだろうにもったいないと思った。

でも彼は言うのだ。
「できると分かったら、難しい仕事も任される。だからできるって言いたくない。VBA? 何それ?って言う」
――だって、お給料はどうせ違わないんだし、と。

そうかしら、でも真面目にやってる××さんは「チーフ」なんでしょ?

‥‥‥と思ったが、確かにそういえば、「でもここまでですよ」と言っていた。
チーフの上は、その特例子会社をまとめている責任者のような人。
出世のために頑張ろうと思ったって、先が知れているわけか。

特例子会社からはたぶん、異動なんてないのだろう。
優秀だからって本社に異動になって、そこで頭角を現したら昇進して――ってことはなさそうだ。
そう考えたら、頑張る意味って何だろう?と思うよね。

さらにその後、しばらくして。
PowerPointのスキルアップ研修に来た女性がいた。
わたしはPowerPointでは必ず最後に発表の時間を設けるようにしている。
スキルアップ研修は受講者数が少なく設定されているので、全員に発表してもらう。

題材は自由。(決まらなさそうな人がいれば、適当に指定もする。)
この女性が選んだテーマは「特例子会社について」だった。

メリットとデメリットを紹介する構成だった。
彼女はまじめだったので丁寧に作り、紹介したかったことを全部は入れられなかった。
でも語りたいことはたくさんあるようだった。

やはり、メリットもあるけれど、デメリットもあるようだ‥‥‥





引用しているURL

特例子会社のデメリットについて
Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E4%BE%8B%E5%AD%90%E4%BC%9A%E7%A4%BE

障害者雇用事例リファレンスサービス
http://www.ref.jeed.or.jp/16/16040_5.html

障害者雇用における特例子会社制度の現代的課題 伊藤修毅
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ss/sansharonshu/474pdf/02-08.pdf



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Chapter 2 実習生さんの世界



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■まえがきにかえて(おことわり)■


特例子会社

「特例子会社」――スキルアップ研修ではよく聞く言葉だ。

PCプラクティスでは、「現時点ではこのスクールに通っていて、仕事をしていない」という人が来るわけだし、わたしは就職にはまったく関連しない業務。
だけどスキルアップ研修のほうは、「現時点で働いている人」が来るので、会社の話が出る。

「うちは特例子会社なんで」

ああ、そうなんですか。と相槌を打っているけれど、あまりよく分かっていなかった。

本社で10人、東京支社で10人、大阪支社で10人、と障害者を雇うとなると、本社でも東京支社でも大阪支社でも入り口のスロープ工事をしたりしなきゃいけなくて、それぞれの支社で特別に担当を決めると人件費などのコストも3箇所分かかる。
じゃ、東京に1箇所会社を作って、そこで30人の人を雇おう。
そうすれば、その会社だけ施設を整備すればいい。その会社だけ手話のできる人をおけばいい。東京支社あたりから出向した社員が指揮をとればいい。

って、そういうことでしょ?
くらいの認識だった。それも調べたのではなく、話を聞いているうちになんとなく推測したことだ。

だいたい合っていると思う。

けど、補足すべき点もあった。

グループ企業を考えてみる。大企業って、グループになっていることが多い。
たとえば銀行でも、「××銀行」だけではなく、いろいろな会社がある。
 ●株式会社××銀行
 ●株式会社××信託銀行
 ●××ファイナンス株式会社
 ●××証券株式会社
 ●××ファミリー証券株式会社
 ●××カード株式会社
 ●株式会社メディアン
 ●××リース

実際は、これらの会社はそれぞれに法定雇用率が決まっていて、それぞれに達成しなければならない。
××銀行でも従業員数の1.8%に当たる障害者を雇用するし、××リースでも1.8%に当たる障害者を雇用する。

だけど、障害者のための特別な配慮をした子会社を設立して、ちゃんと要件を満たしていれば、その子会社は「特例子会社」。
その子会社で働いている人を、グループ全体の法廷雇用人数としてカウントしていいですよ。特例として認めますよ。

ということらしい。

特例子会社を作らなかった場合も、「グループ全体で雇用者数を算定していい」というカウントに2010年から変わったらしい。

ところで「一定の要件を満たせば」特例子会社として認められるわけだけど、その「要件」て?
――うーん。大変分かりにくい言い方をしているので、把握しにくい。
正しく知りたい方用に一番下に脚注として記載しておくことにする。

特例子会社のメリット・デメリットについては、研究結果や評価が発表されてもいるし、私見を発信しているサイトもある。
本格的に特例子会社について考えたい方は、そういった専門のご意見を参考にしていただければと思う。

というわけで、わたしのは私見もいいところ。「見」なんて偉そうなものではないのである。

特例子会社にはメリットがある。

障害者を採用できる環境が整うので、企業も雇用しやすくなるだろう。ということは、雇用される人数も増えるだろう。
――ただ、達成率では分からない一面があるらしい。
計算式は「従業員数×1.8%」となるわけだから(本当はもう少し複雑な分数式だったけど)、不況などでリストラが進むと従業員数が減り、障害者の実雇用数も減る。

それから働く側にもメリットはあると思うのだ。

施設は障害に配慮して作られている。
スクールが居心地よいのと同じ理由で、最初から車椅子の人が動くことを考えて作ってあれば、そりゃ動きやすい。
そしてこれもスクールと同じ理由で、障害者が多いということは、それだけ理解されやすいということだ。

――「特例子会社って、すごい! なるほどと思う制度ですね!」と単純に感心した。

いい面ばかりではないらしく、それは専門家や福祉関係の公的機関も指摘している。

でもそれはまた明日にしよう。
「いいことだね、メリットがあるね」という気持ちを大切にして、今日は終わりたい‥‥‥


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親会社
●親会社が当該子会社の意思決定機関を支配していること。

子会社
●当該子会社の行う事業と当該事業主の行う事業との人的関係が緊密であること。
●当該子会社が雇用する身体障害者又は知的障害者である労働者の数及びその数の当該子会社が雇用する労働者の総数に対する割合が、それぞれ、厚生労働大臣が定める数及び率以上であること。
●当該子会社がその雇用する身体障害者又は知的障害者である労働者の雇用管理を適正に行うに足りる能力を有するものであること。
●その他当該子会社の行う事業において、当該子会社が雇用する重度身体障害者又は重度知的障害者その他の身体障害者又は知的障害者である労働者の雇用の促進及びその雇用の安定が確実に達成されると認められること。

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就職について後に聞いたこぼれ話

さて、では障害者雇用率について本当のところを調べてみよう。
2013年4月現在、この記事を書いている。また変わった場合はあしからずご了承を。

障害者雇用率は、一般の民間企業においては、法定雇用率1.8%。
特殊法人、国・地方公共団体は2.1%。(都道府県等の教育委員会は2.0%。)

短時間労働者は、1人を0.5人としてカウントする。
重度身体障害者、重度知的障害者は1人を2人としてカウント。(ただし短時間の場合は1人としてカウント。)
精神障害者については、雇用義務はないが、企業が実雇用率を算定するときはカウントできる。

これが2012年までの法定雇用率だった。
前の記事でわたしが聞いたこぼれ話は、この時代の話だ。

2013年4月からは法定雇用率が引き上げられた。

民間企業        1.8% → 2.0%
国、地方公共団体等   2.1% → 2.3%
都道府県等の教育委員会 2.0% → 2.2%

この変更で、次の点も変更になった。
2012年まで◆従業員が56人以上の会社から義務がある
2013年から◆従業員50人以上の会社からになる

罰金についても見てみよう。

「罰金」て名前じゃなかった。「障害者雇用納付金制度」だそうだ。
雇用率を未達成の企業から納付金を徴収し、達成した企業に調整金や報奨金を支給するのだそうだ。
あと、障害者の雇用促進のための各種助成金にも充てる。

――要するに罰金? でも名前は「障害者雇用納付金制度」なんだね。

◆未達成の場合
 不足1人当たり 月額5万円 を納付
※常用労働者200人超の企業から徴収。200人以下の中小企業からは徴収しない。
※2015年からは「100人超」となる。

◆達成した上、法定雇用率よりも多く障害者を雇用した場合
 超過1人当たり 月額2万7千円 を支給される

中小企業の場合は、もう少しゆるい基準で報奨金が出るらしい。
◆常用労働者200人以下で 4%または6人のいずれか多い数を超えて雇用した場合
 超過1人当たり 月額2万1千円 を支給される

他に障害者を雇い入れる事業主等への助成金としても配られる。
頑張らなかった人から罰金を取って、頑張った人にごほうびをあげる、という仕組みだった。

精神障害者については、2006年の障害者自立支援法施行に伴い、法定雇用率の計算対象となった。
2012年には雇用の義務付けの方針が厚生労働省内で定まった。(方針なので、まだ法律になってはいない。)

ここでちょっと脇道にそれよう。

2012年、法定雇用率引き上げの前の年、ある大企業の特例子会社で働く車椅子の人が言った。

「来年から雇用率が引き上げられるじゃないですか。
だからまあ、ひとつのチャンスかなぁ、って。転職するなら来年かなって思いますよね」

この特例子会社は、とてもいい会社だった。
働きやすそうだし、皆仲が良かった。

そして働いている人たちは、優秀な人ばかりだった。
――はっきり言っちゃうと、ExcelだのPowerPointだののスキルなんて、前の章「出版社見聞録」の会社の人たちの誰と比べても高いだろう。
ハードにも強い。HTMLくらいは、「前のHPのコードを参考にして適当にやって」と言われればできちゃう人が多かった。
前の章「出版社見聞録」の会社の、システム担当の人と比べても、それからシステム会社からユーザーサポートとして派遣されてた人と比べても、ほとんどの人が上だろう。
そういうレベルの高い特例子会社なのだった。

でもどんなところだって、楽園じゃない。

この会社は待遇も悪くなかったし、肢体障害の人にも施設が充実(それが特例子会社制のいいところ)、働きやすそうな会社だった。
――でもやっぱり、楽園じゃない。

「辞めたらもったいないっていうのも分かってるんです」と、頭のいい彼らは言う。
「でもまあ、いろいろあるんですよ。他の会社と比較したらいいってことは分かってるけど、やっぱり不満て出てきちゃうものなんですよ」と、客観的に言う。

そういう経緯があって、「本当に転職するとしたら、来年だ」という意味で言っていたのだった。

ただ、わたしが思うに、この人はしなかったろうと思う。
比較すれば多くの会社よりもいろいろな面で楽だ、って、心底分かっていて、もともとあまり「辞めたい」とは言わなかった人だからだ。

実際にどうだったかというと、2013年のスキルアップ研修はExcelなど基本的な内容が人気だった。
確かに法定雇用率の引き上げで、雇用された障害者は多かったようだ。
受講率が下がる一方だった基礎的な研修が定員超えで、「基本の内容は人気がなくなった」と設定した上級コースより人気だった。

だが、もともと法定雇用率を上回り、報奨金を得るほどだった企業は、特に変化はなかったようだ。
あわてなくても下回ることはない。増やしたいとしてもじっくり有能な人材を選ぶ余裕がある。

さしずめ、この人が働いていた優秀な人ばかりの会社は、「去年と特に変わりはない」採用人数だったろう‥‥‥



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就職について次に聞いたこぼれ話

グループ会社をいくつも持つ大企業で働いている人が、スキルアップ研修に来た。

わたしなど気圧されてしまうほどの、「キャリア」な感じだった。
ウーマンじゃないのだけど、キャリアマンて言い方するのかな?

ビシッとしたスーツ。あの「ビシッと感」は、それなりの金額を出さないと手に入れられないと思う。
颯爽としている様子。自信に溢れていて、鋭い。
堂々とした話しぶり。しっかりした論理。冷静で客観的に物事を見られる能力。

――たぶん、この人はデキる!
デキる人がつくべき地位についていて、それに比べたらわたしなど虫ケラだ!

前にも何度も言ったが、わたしは劣等感の強い人間なのである。
こんなすごそうな人、どうしたらいいの? と心の中であたふたした。

受講者さんと講師ではなく、すごい社会人とすごくない社会人として過ごそう、この3日間。
先生然とするほうがわたしには難しい。

この人をIさんとしておこう。
Iさんは人事部の仕事をしていた。

障害者枠で入社した人は、総務や人事に所属していることも多い。
勤務時間や内容、体力、その他、配慮が必要だから、分かっていて配慮できる人がいる部署に置くのだ。
そういう部署は事務作業も多いので、何かと仕事もあるし。
――何にせよ、現場では「配慮」とかに時間や手間や気持ちを割けない場合がある。
だけど自分からはなかなか言い出せないものだ。「こういう障害なので、こういう配慮をしてください」というのは。
特に相手がいつも仕事に忙殺されていて、殺気立っているとしたら‥‥‥。
ストレスに追い詰められることになってもいけないので、そういう事情を分かって採用した人事や総務に配属される。
――ま、そういう場合もある。現場で配慮されながら働いている場合もあるし、当人が気力や工夫で乗り切っている場合もある。

でもIさんはそういうふうではなかった。
人事部だけど、事務補助をしているのではない。採用を担当しているのだ。障害者の。
何しろ大きな会社である。人事部も大きい。障害者雇用の人数も多い。別枠で担当を置いているのか。

自分にも厳しい有能な人なのだろうと思った。

Iさん自身もスクールに受講しに来られるわけだから、障害者。
けれど一見したところは分からない。内部障害なのだ。

Iさんが教えてくれたことは、障害者の就職について何も知らなかったわたしにとって、初めて聞いたことばかりだった。
でも何よりもまず驚いたのは、初日にいきなり「今回の研修なんですけど、申し訳ないんですが仕事の都合で、明日はお休みせざるを得ません。明後日も早退することになると思います」と言われたことだ。
――え、ほとんどいないじゃん!!

しかしIさんは大人で、「休む日の分は会社でやってきますから、範囲を教えてください」と言ってくれた。
――いえいえ、基本的にこの研修は、各自でテキストを進めていただく形式なので、そんなに気を遣ってくださらなくても大丈夫です。

そして次に目からうろこが落ちたのは、たぶんそれが確信犯だったこと。
とにかくスクールに来て、内情を視察したり、就職担当の人たちに会ったりしたかったのだ。
花咲さんを通して、ジョブ・アドバイザー部との面談を取り付けたりしていた。
――障害者の採用担当だもんねー!!

仕事っていうのはこういうものか、とわたしは大変勉強になった。
なんというか、営業などのわたしが垣間見ることもあまりなかった職種を、少し覗けた思いだった。

さて、以下はIさんの話から知ったことだ。
でも昔のことで、さらに何も分からないわたしが聞き手なので、間違いもあるかもしれない。
でもここでは調べまい。「こぼれ話」だから。

機会があったら、きちんと別の記事で正確なところをお伝えしようと思う。

「わたしはここで働きながら、就職のことは何も知らないんですよ」というわたしに、Iさんはいろいろと教えてくれた。

「私自身は内部障害なので、理解されにくいんですよ。
見た目で分からないので、健常者と同じように考えられてしまって、あいつサボってると受け取られることも多いんです。
私の場合は××の障害なので、トイレに頻繁に行くのですが、あんなに行くのはおかしい、サボってると思われたりします。
そういったことを全員に理解してもらうのは困難ですからね。言って歩くわけにもいかないですし」

「会社によっては、内部障害を雇いたくないというところもありますよ。保険のことがありますからね」
――??
「内部障害は病院によく行くんですよ。必要があって定期的に診察を受けるんです。
保険は半分会社負担だから、病院によく行く内部障害は雇いたくない。
まあ、仕事もその分休むわけですしね」

「簡単に言ってしまうと、従業員何人以上だったら何人の障害者を雇え、というルールなんです。
達成しない場合は罰金を払わなければならない。でもここもちょっとミソで――」
――?
「罰金は1人**円です。(5万円だったかな? 当時で。)
つまり10人雇わなければいけないのに、5人しか雇っていなければ、**円×5人の罰金となります。
だけど、1人雇ったとしたら、初任給がいくら安くても月15万くらいにはなりますよね。保険だって入るし、福利厚生だって、手当だって、ボーナスだってあるし。
とすると、罰金を払ったほうが断然安いんですよ」
――でも、罰金以外にも罰則はあるんですよね?
「社会的イメージが下がる、というくらいしか、実害はないですね。
どの会社がどれだけ達成しているかというのは、官報などでも公表されてますけど、どれだけの人が見るか。
だから、達成していないことで社会的イメージがどれだけ下がるか、というのは疑問ですね」

「障害が軽いから雇われやすい、とは言い切れないですね。
分かりやすいように何人と説明しましたけど、実際は人数ではなくポイント制のようなものなんですよ。
障害には重さによって等級がありますよね。等級が高いとポイントも高いんです。
たとえば全盲の人はポイントが高いので、1人雇えば、もっと軽い障害の人を2人雇ったのと同じくらいになるんです。
もし全盲で優秀な人がいるなら、その人を雇ったほうがいいですよね。障害は軽いけど、能力の低い人を2人雇うよりも。
視覚障害は等級が高いので、雇いたがる企業もありますよ。設備はそのままでいいし」

「障害があると、外の世界に出ないでいることも多いですからね。
実際、甘ったれてる障害者はいますよ。面接に来る人たちを見てると腹が立つときもありますよ。
本人だけの問題ではない場合もありますけどね。でもやっぱりイライラしますよ」

Iさんはどう見ても甘えている人には見えなかった。
苦労もあって、でもそれを乗り越えて、努力を重ねているのだろう。

そうでなければ言えないセリフだもの‥‥‥



●3年目:楽園? それとも‥‥
Chapter 2 実習生さんの世界



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■まえがきにかえて(おことわり)■


就職について初めて聞いたこぼれ話

わたしが初めて聞いた、就職に関するこぼれ話は、もう既に書いた。

「肢体の人より聴覚の人のほうが、就職では採用されやすい傾向にある。
階段やトイレなど、施設を改良する必要がないからだ。聴覚の人は健常者と同じ施設でかまわない」

その後、わたしも経験が増えた。
特に、今現在働いている人が来るスキルアップ研修では、仕事や業務にまつわることを聞く。

その経験から考えると、聴覚の人は雇われやすいが、雇われてからお互い苦労することもある。

前のPartでいろいろと障害について書いたけれど、聴覚の人は独特の捉え方をする。
繰り返しになってしまうので簡単にしか述べないけど、生まれつき情報を主に目からのみ捉えることで、視覚的な理解に勝る。逆に、文章で話し合うと、すれ違いが生じることがある。
全員じゃないし、生まれつきの障害か中途失聴かでも違うけど。

会社では、まったく障害者と接点のなかった人が、先輩や上司として指示をする。
そしてわたしが最初の頃陥ったような羽目に、その方たちも陥る。「この人は本当に分かっているのか?」

ある聴覚の女性がスキルアップ研修にやってきた。Excelの研修だった。
技能に特に問題はないように見えた。「すごい! 一般事務職なんてもったいない!」ってほどじゃないけど、そんなにできないわけじゃない。
なぜ受けに来たのか本人に聞くと、「会社が行けと言った」とのこと。
「でもこの内容くらいのExcelはほとんどできるみたいですね」と言ったら、「自分もそう思う」と言う。

けれど、進めてみたら「あれ?」と思った。
「このテキストを自分で読みながら、進めてみてください。ここまで終わったら練習問題のプリントを渡すから、教えてください」とわたしは説明した。
彼女はうなずいて始めたけれど、どうもテキストを読んでいるとは思えない。自分で適当にやっている。
もう一度説明してみたけれど、やっぱり伝わらなかった。

適当にやるにしても、「この表の1行目に色をつける」という目的も見ず、ただただ「線引いてみようかな」「色つけてみようかな」「あ、ここちょっと広げてみようかな」といじっているようにしか見えない。

でも‥‥‥「私は好きなようにやりたいんです!」「自分でいじってみて覚えたいんだよね」というオリジナリティ派には見えなかった。
素直そうに見える。だから余計違和感がある。

そこで任せるのではなく、細かく指示してみることにした。
「ここからここまでを読んでみて」――彼女が読む。
「ここは、これから何をやるか、説明しています。今度はここを読んでみて」――彼女が読む。
「ここに書いてある××ボタンについて、位置はこの横の図に書いてあります。
同じボタンを探してみて」――彼女が探す。
「見つかったら、クリックしてみて」――クリックする。
「今度はここを読んでみて。次の操作が書いてあります」――彼女が読む。
「じゃ、また横の図を見て」――彼女が見る。
「同じボタンをクリックしてみて」――クリックする。

少し進めてみてから、もう一度言ってみた。
「今やったみたいに、テキストを読みながら、その通りに進めてください。
そうすると分かりやすいから」

そこから先は、問題なかった。

彼女には本当に困っていたらしく、会社のどうやら上司に当たる人が見学にわざわざ来た。

「彼女、どうですか?」
「順調に進んでいます」
「ちゃんと指示に従いますか?」
「そうですね。ときどき指示と違うことをしたり、分かっていないようなときはありますけど――」
「ですよね! そうなんですよ! 全然指示通りやってくれないんですよ!」

勢い込んで言っていたところを見ると、本当に苦労していたのだなぁ、と思った。

彼女はスクールを卒業した人だったので、スキルアップ研修担当の事務、花咲さんも心配していた。
わたしは自分が見た彼女の様子を話し、上司の方との話についても花咲さんに伝えた。

わたしと花咲さんの結論は――
「じゃあ、やっぱり、聴覚特有のいつもの問題ですね」

つまり見方、考え方、捉え方のすれ違いなのだ。
どこが分かっていないのか、なぜこういう結果になるのかさえすれ違っているので、「反抗的なのか?」と思えてしまったりする。

こういうすれ違いや、聴覚の人に指示を出す苦労については、何度か聞いた。

そもそも話の通じる聴覚の人にだって、全部筆談でやり方を説明するのは、実に面倒だ。
忙しい会社では、誰もが自分の仕事だって残業残業で、教えている暇なんてない。

「この関数とこの関数ができるようにならないと、仕事を教えられないから、研修に行って来い」
と送りだされてきた若い男性もいた。
「だいたいできるんだけど、ときどきおかしなことをやっている、って会社の方が言うんですよ」と花咲さんが会社側の希望を伝えてきたこともあった。「だから抜けている部分を再復習してほしいそうです」
「会社でも持てあましちゃってるみたいで」ということも何度もあった。

そういうときは、わたしはできるだけ会社の意向に沿った内容で研修をする。
研修上できるときは、今後の役に立つであろうアドバイスもする。「こういうふうに質問したほうが、教える人も分かりやすいと思いますよ」とか。
――まあ、でもたいしたことはできない。

そして花咲さんは、就職コーチと彼・彼女が話し合う場を設ける。
その場でどんな指導が行われるのか、もちろんわたしには説明できない。でもきっと有益なのだろう。

施設改装費をかけなくていいというのは、コスト管理に厳しい民間企業ではとても有難いことだ。
でも肢体以外の障害なら、ほとんど健常者と一緒だよね、というのは間違いである。

精神障害とか高次脳機能障害と言われると、「そうか、じゃあ面倒そうだ」と思われるので、やはり就職には不利な面がある。
実はそれこそ健常者と変わらない人もいるのだが。

聴覚の人たちはそういう意味では就職に有利な面があるが、苦労がないわけじゃない‥‥‥



●3年目:楽園? それとも‥‥
Chapter 2 実習生さんの世界



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■まえがきにかえて(おことわり)■


スクールと就職

スクールに来る目的は、「就職すること」だ。
そのためにスクールには「先生」と呼ばれる実習コーチの他に、就職コーチがいる。

大きく分けてスクールのスタッフは3つに分類できる。
ジョブ・トレーニング部。実習コーチ(「先生」)がいる。
ジョブ・アドバイザー部。就職コーチ(アドバイザー)がいる。
その他。管理部門のことだ。総務とか、経理とか。

大学や専門学校にも就職課などがあるし、わたしが通った職業訓練にも就職アドバイザーがいた。
ただスクールの就職コーチは、彼らより幅広い範囲の相談に乗り、また指導する。

たとえば、毎朝起きられなくて毎日遅刻してくる人がいるとしたら、そういった生活習慣についても指導する。
就職したら困るし、そもそもそれでは就職できないかもしれないから。

その人の性格ではなく、障害で支障が起きる場合もある。
いつも居眠りばかりしているけど、実は薬を飲んでいるからだったとか。
就職コーチはそういった相談にも乗り、指導しているようだ。
「眠くならない薬と換えてもらう」とか。
それができないなら、「就職先と話し合って、30分ごとに5分程度、席を離れてリフレッシュさせてもらおう」とか。「それを自分でちゃんと計ってやるんだよ。職場の人がいちいち『30分経ったぞ』と言ってくれるわけじゃないからね」というところまで指導したりとか。

実習コーチも、就職のことを視野に入れて教えているわけだし、コースによっては生活指導的役割も担うことがある。
知的障害の人たちのコースでは、実習コーチは技能を教えるだけでなく、かなり生活態度に踏み込んだ指導をしているようだ。
「会社で働く」には技能だけでなく、そういったことも必要になるから、やらないわけにはいかない。

でももちろん、わたしにはそんなことは求められていない。
PCプラクティスもスキルアップ研修も短期間のものだ。
障害の特性によって習得方法を提案したりすることが、ほんのちょっっっっぴりはあったとしても、専門的なものじゃない。
求められていないというのは、言い換えれば、出しゃばるなという意味だ。
素人のわたしに下手なことを口出しされても、後から関わる専門家が困るだけだ。

だから実は、詳しいことは何も知らないのだ。
洩れ聞こえてくるのを、ときどき小耳にはさむだけである。

ただ仕組みはほとんど、わたしが通っていた職業訓練と同じような感じだった。

実習生さんたちには、就職のためのいろいろなイベントが用意されている。
ビジネスマナー講習だとか、面接対応講習だとか、生活アドバイス講習だとか、実践アドバイス講習だとか。
就職コーチも早い段階からカウンセリングやアドバイスを始める。

実習生さんたちは、1年経てば卒業。ただし、就職が決まればその時点で卒業となる。
中には就職先が「1年ちゃんと終了してからでもいいですよ」と言ってくれる。
この率は、わたしが通っていた職業訓練よりも高い。
――わたしが通っていた職業訓練では、就職が決まった人はほとんど「即日から」「来週から」「いついつから」で、最後までやらせてもらっていない。(わたしはわがままを言ったけど。)

なぜかと考えると、2つの理由が考えられる。
推測なので本当かどうか分からない。(と断わりを入れるのは、臆病なので批判を恐れてのことだ。悪気で言ってるのではないとご了承ください。)

障害者を雇おうというのは、大きな会社が多い。というより、小さな会社は少ない。
不利を許容できる余力がないからだと思うんだけど、これはきっと合っているよね?
だから会社名としては、わたしなんか面接もしてもらえないような会社に受かる人が多い。
「会社名としては」の意味は、本社ではなく系列会社、あるいは特例子会社の人もいるので、含みを持たせているだけのこと。
巨大企業、大企業、結構大きいよね企業、中企業の中でもほとんど大だよね企業、など、とにかく「名前を聞いたら、ああ~と思う会社」が多い。

だから「今すぐ来てくれないと困る」ってことがない。

もうひとつの理由は、障害者を雇おうとするとき、それほど即戦力であることを求めていないから。
障害があるのだから、他の社員より多少不利があるだろう。作業が遅かったりとか、覚えるのに時間がかかったりとか。
そう考えているから、最初の期待値が少ない。それで「あと3ヶ月して、卒業してから入社したいんですけど」「ああいいですよ」となる。

障害者は能力が低いってことを言っているのではない。
また、企業は「彼らは能力が低い」と考えているだろう、と言っているのでもない。

たとえば手に麻痺があったら、同じ能力で考えても、そのビジネス文書なりプログラムコードなりを打ち込むのに時間がかかるだろう。
いったん覚えたら、怠けることなくきちんと仕事をしてくれるとしても、高次脳機能障害があったり学習障害があったりすれば、覚えるのに時間がかかったり工夫が必要だったりするだろう。
「多少そういう不利があるだろう」と企業は考えるだろう、ってこと。
そして、それを承知で雇う。法律でも雇用率が決められているし、企業イメージもあるから。

不利があることを承知で雇おうと考えているくらいだから、その人が「あと2カ月通いたいんですけど」というくらい何だろう?

何人も雇っていて、そういった採用をする人事の人自身も障害を理解していたりすると、そううまくいかないこともあるだろうけど。
「あと3ヶ月で卒業なので、最後まで勉強したいんです」
「いや、君の今の能力で充分だから、すぐに来てくれないか。期待しているよ!」
なんてね。

残業どころか、定時も普通の会社より断然早い3時。きつい勉強をしているわけでもなし。
飲み会をしたり、遊びに行ったり、サークルに入ったり。
友達と第二第三の青春を楽しんでいた人にはお気の毒‥‥‥



●3年目:楽園? それとも‥‥
Chapter 2 実習生さんの世界



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