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発達障害のいま

「発達障害のいま」
杉山登志郎 著

この本は本当に、読んでよかった。
発達障害に対する、わたしにとってのバイブルだと思った。

きっと知っている人にとっては当たり前のことだと思うが、わたしにとっては新しい知見、そうだったのかとすべてがきちんと整理された気持ちだった。
現時点での(この本が出た時、2011年)発達障害に関する研究が、きちんとまとめられている。

専門的だったけど、素人が読めないほどではなく、具体例を引いて説明してくれているので、面白く読める。

この本を最初に読んで良かったと思う。
他の本にしろ、公開講座にしろ、この本である程度下地を作っておいたから理解できた、というところもあった。

このような本でした、とまとめるのはやめておく。
とてもわたしには要約できない。
この本自体が、多くの、または大きな研究を、誰でもわかるように要約したものだからだ。
無駄なく書かれた本なので、これ以上要約できない。

わたしがなるほどと思った点は、まず「発達障害は脳の問題」ということ。
そういえば以前にも聞いたことがあったと、過去のメモを見て思い出した。
どうやら前に知ったその知識は、忘れたらしい。

でも今度は忘れない。
どうして「脳が違う」と分かるのか、という証明があったからだ。

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扁桃体の自閉症スペクトラム障害における異常は、すでに1980年代に指摘されていた。亡くなった自閉症者の脳を、同年齢、同性の健常者の死後の脳と比較するという地道な方法によって、脳のいくつかの部位の異常が見出された。それは小脳のとくにプルキシエ細胞という巨大な神経細胞の減少と、大脳辺縁系とくに扁桃体における異常所見である。
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そんな地道なやり方で研究されてきたとは。

最近では医学的研究はどんどん進んでいる。
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 二一世紀になって、自閉症スペクトラムを引き起こす原因として、大脳辺縁系、とくに扁桃体・小脳の異常、セロトニン系の機能障害、ミラーニューロンの機能障害、オキシトシンの障害、神経節号不全などが分かってきた。
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脳のどの部分が違っていて症状が出るのか、そこまで分かっているとは!
これらについて説明されている部分は、(素人にもわかる程度なので)それほど詳細ではなかったが、とても興味深かった。
けれど、それは直接本を読んだほうがよいと思うので、ここでは省く。

それからもうひとつ、遺伝子の問題。
発達障害の子供が診察にやってきて、両親とも話してみると、両親のどちらかも発達障害らしいということがよくあるらしい。
そこから始まって、発達障害は遺伝するものであるということが語られる。
ここまでの論理の道のりも面白かったけれど、それを伝えるには全部引用しなければならないので、ここでは省く。

さらにこの遺伝子だが――「遺伝子にその形質がある」というだけではなく、「日常的な多型変異」も関係しているらしいそうだ。
それというのはつまり、わたしなりにこの本の言っていることを乱暴にまとめると、「糖尿病になる遺伝形質がある人全員が、同じ程度に糖尿病を発症するわけではない。肥満だとか飲酒だとか、日常の条件で加速されたり、発現しなかったりする」ということ。

さらに、エピジェネティクスということが明らかになっているらしい。

なんでも、胎児は小さな個体が存在していて、それが大きくなっていくのか、それとも最初は単なる細胞で、さまざまに変化して器官を作って行くのか、という論争があったのだそうだ。
これは、後者だった。最初から豆粒より小さい完全な人間がいるわけじゃない。なんでもない細胞が、育つにつれて、この細胞は肝臓へ、この細胞は腎臓へと変化・成長するのだそうだ。

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細胞はすべて、同じ遺伝子を細胞のなかにもっている。この発生過程の途中で、神経細胞になるものは神経細胞に分化し、肝臓の細胞になるものは肝臓の細胞になる。つまり神経を作る細胞は、神経を作るという遺伝情報のスイッチがオンになっていなくてはならず、肝臓になる細胞のスイッチはオフになっていなくてはならない。一方肝臓の細胞は肝臓を作るための遺伝情報がオンになっていなくてはならず、神経細胞の遺伝情報はオフになっている必要がある。これが200の器官すべてについて、それぞれの機能ごとに、スイッチのオン・オフが決められているのである。これは何を意味するのかというと、大多数のゲノム情報は、スイッチがオフになっていなくてはならないのである。
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本来オフであるべきスイッチがオンになったとき、あるいは逆にオンであるべきスイッチがオフになったとき、たとえばがんなどを発症することもある。
もちろんわずかなことではオンオフは切り替わらないが――

発達障害についても、スイッチが切り替わる条件というのがあって、外的要因によってもなりやすい・なりにくいがあるらしい。
「糖尿病における肥満に相当する」、発達障害の最大の増悪因子は「トラウマ」だそうだ。
たとえば子供虐待などは、大きな原因になる。

こういった医学的な解明というのは、目からうろこが落ちる思いだった。
そういうことに一言二言触れられることはよくあるけど、この本は簡単に分かりやすくながら、きちんと説明してくれているので、頭に入りやすい。

もうひとつ、はっきりしたことがある。

そもそもこの著者は、「発達凸凹」という言葉を提案している人である。
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発達凸凹とは、認知に高い峰と低い谷の両者をもつ子どもと大人である。そして狭義の発達障害とは、発達凸凹に適応障害が加算されたグループである。式で表せば次のようになる。
発達凸凹+適応障害=発達障害
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大雑把にまとめると、たとえばちょっと発達気味の人は、空気を読んだり、人とうまくつきあっていくのが苦手。谷の部分。
でもたとえばその人は、そういった曖昧なことが苦手なことの裏返しで、数や図形やプログラミングなどが得意なときもある。
こういった山(峰)あり谷ありの状態を「発達凸凹」と言いましょう、というのだ。
(ちなみに「凹凸」と言わないのは、峰(凸)もあるという主張からだそう。)

つまり、そういう面があるだけでは「障害」とはいえない。
そのことが社会での生活をできなくしている――難しくしている――つまり「適応できない」=「適応障害がある」という状態にしている。
その場合にのみ、発達障害と言う。
凸凹があっても「適応障害」がなければ、それは発達障害以前なのだ。

そしてわたしは「スペクトラム」という言葉の意味を知った。
連続体という意味だそうだ。

つまり「自閉症スペクトラム」とは、自閉症につながる連続体なのだ。
ここからここが自閉症!と線があるわけではない。
健常者から自閉症につながる連続体の中に、アスペルガーやADHDや広汎性発達障害がある。
それも「ここからここまで!」とはっきり決まった線引きはできない。

白黒はっきりしているものではなくて、グラデーションになっている。グレースケールのほうが合っているかな?
なるほど、その「スペクトラム」の中に全部が含まれるのか。

それ以外にもトラウマがどのように影響するか、トラウマに対する治療はどのようなものがあるか、など興味深いところもあった。
でもわたしの職場に子供が来ることはないので、子供虐待についてはただ「なるほど」と読んだだけ。

だから「わたしにとって」良かった、ということだ。

でもわたしにとっては、良かった。本当に読んで良かった・・・・・・



●6年目:高次脳機能障害・発達障害
Chapter 2 発達障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


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特性について

スクール以外でのわたしは、障害者とよく会っていることなど知られていない。
友達には言ったりするけれど、友達以外の人に何でもかんでもいちいち言うわけではない。
だから特に、空いたときに行く入力事務の職場では、わたしが障害者に関係するところでもうひとつの仕事をしているとは知らない人ばかり。

わたしがダブルワークをしていることは、席が近い人と人事の人とこれまで同じ部署だった人は、誰でも知ってる。
でも「パソコンを教えているんですよ」ということは、自分からは言わないので知らない人も多い。
そりゃ「もうひとつの仕事って、何をしてるの?」と聞かれたら、嘘までつかないから言うけど。

でもそこでいちいち「こういうところで教えてるんですよ」と言ったりしない。
相手がそこまでわたしに興味を持っているとは思えないから。

「へぇ、パソコンスクール? それとも専門学校か何か?」と聞かれたら、もう少し詳しく答えるかもしれない。
しかしながら、そこまで聞いてくる人というのは、今までほとんどいなかった。やはり相手はそこまでわたしに興味を持っているわけではないのだ。

だからわたしは普通に人の話を聞き、普通に相槌を打ち、普通にへりくだる。
わたしの地位は低いから。

この職場に、障害者雇用が導入されたとき、人はいろいろなことを言った。
仕事において上の人というのは、何事においても上の態度を取るから、身近な社員さんや上司たちは、障害についても教えてくれたりする。
または、アルバイトさんに「上から目線で」教えている言葉が聞こえてきたりする。上の人なんだから、上から目線でも問題ないんだけど。

役付きの人が平社員さんに、自閉症の原因について語っているのも聞こえてきた。
役付きの人がアルバイトさんに、発達障害や自閉症などの特性を説明し、どのように対応したらいいか語るのも聞こえてきた。

ふうん、と思った。

そこまで専門的に話している場面じゃなくても、普段の会話で発達障害や行動障害について語られることは、意外と多い。

友達と話していて、「友達の友達がADHDでね、あれってほら、これこれじゃない? だからこうなんだって」とか、「友達の旦那さんがアスペルガーで、アスペルガーだからこうなんですよ」とか、当たり前に言っているのを聞くことがよくある。

皆、ある程度のイメージがあるらしい。
それだけメジャーになっているということなのだろう。

でもたとえば、「アスペルガーだから頭はすごくいいんですよ」と言うのを聞いたりする。
知的な遅れがある場合はカナー型と言われたり、低機能自閉症と言われたりするわけだから、「頭が悪いわけではない」というのは正しい。
(「頭がいい」「悪い」という言い方は問題もあるだろうけど、一般の会話では専門用語は使われないから、そのまま記す。)
「頭が悪いわけではない」ところまでは正しいけれど、頭が「すごく」いいかどうかは、人による。

その人のIQが、知的障害と健常者の境界ラインを超えていたら、「カナー」ではなく「アスペルガー」になる。
でも「アスペルガー=健常者よりIQが高い」というわけではない。高い人もいるだろうし、そこそこの人もいるだろう。

本を読んだり、講座で専門家の話を聞いたりする前は、「皆よく知ってるなぁ」と感心していた。
わたしのように、「聞いたことはあるけど、詳しくは知らないんだよね」という人もいると思う。
また、知っているように思っている人も、もしかしたら間違っているかもしれない。
なぜなら、どこかで知った知識をそのまま話し続けていたら、今は研究が進んでそれは間違いだと分かっている――なんてこともあるかもしれないから。
専門家以外の人で、(子供がそういう障害があって常に最新の情報を追っているというのでもなければ)、研究結果をチェックしているなんてほとんどないだろう。

そこで、本を参考に、特性を書きだしておこうと思う。
ただ、分かりやすいように事例をたくさん出そうとすると、本を読んだほうが早いということになってしまう。
ひと口で語れることではないし、症状はさまざまだからだ。

片手落ちっぽいが、項目だけ挙げて終わることにする。
詳しくはこの本を読んだほうがいい。素人のわたしが述べるより、断然いい。
水上先生は「臨床心理士さんが勧めてくれた本」と言っていたが、なるほど最初に読む本としては良いと思う。



「発達障害のいま」より
第九章 未診断の発達障害、発達凸凹への対応
大人の発達障害の特徴

1.二つのことが一度にできない
2.予定の変更ができない
3.スケジュール管理ができない
4.整理整頓ができない
5.興味の偏りが著しい
6.細かなことに著しくこだわる
7.人の気持ちが読めない
8.過敏性をめぐる諸々の問題
9.特定の精神科的疾患の注意
10.クレーマーになる


「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか?」より

ローナ・ウイングの自閉症を説明する「三つ組み」仮説
①社会的相互交渉の障害
他者とうまく関われない。たとえば、そもそも他者との関係に興味がない、あるいは興味があっても奇妙であるなど。
②コミュニケーションの障害
会話や意思の伝達が苦手、あるいはできない。
③想像力の障害
直接目に見えること、具体的に明言されたこと以外に気がつかない。たとえば、“場の空気”や“暗黙の前提”がわからない。

著者の仮説
情報処理過剰選択仮説
・シングルフォーカス特性・・・・注意、興味、関心を向けられる対象が、一度に一つと限られていること
・シングルレイヤー思考特性・・・・同時的・重層的な思考が苦手、あるいはできないこと
・ハイコントラスト知覚特性・・・・「白か黒か」のような極端な感じ方や考え方をすること
※すべてのアスペルガー者に共通して認められると述べられている。

周辺的な特性
・記憶と学習に関する特性群・・・・エピソード記憶の障害、手続き記憶の障害
・注意欠陥・多動特性群・・・・不注意、衝動性など
・自己モニター障害特性群・・・・自分の身体的・精神的状態に気がつけない
・運動制御関連特性群・・・・不器用、姿勢の悪さ、運動学習の障害
・情動制御関連特性群・・・・気分変動、“やる気がコントロールできない”など
※すべてではないとしても、かなり多くのアスペルガー者に見られる特性があると述べられている
 そうした特性は非常に多様だが、主要なものは限られている、として上記が挙げられている



うーん。やはり項目名だけではよく分からない。
でも記事を読んでいただくにも、どこかにこうした列挙部分があったほうが役に立つと思う。
ああ、何日か前の記事に書いてあったのって、これのことか、と思っていただけるかもしれないから。

なにしろわたしの話はとりとめがないので・・・・・・



●6年目:高次脳機能障害・発達障害
Chapter 2 発達障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


用語について

3冊ほど本を読んで、とてもはっきりと整理されたことがある。
用語とその意味、それら用語の何がどのように位置しているのか。この3つだ。

これまでただ聞きかじるだけだったので、わたしには用語の区別がよく分からなかった。

誰かが言う。「彼はアスペルガーが入っているんですよ」
これでもうその人の行動の原因がわかったでしょ? と言わんばかり。
だからわたしも「そうか、彼のような人をアスペルガーというのか」と認識する。

ただ、わたしの思う「彼のような人」のイメージが、他の人が言っている内容と同じとは限らない。
わたしは最初に「彼はアスペルガーが入っている」と聞いたとき、その「彼」の一番目立つ特徴が「じっとしていられなくて先生によく注意されていること」だったから、じっとしていられない人がアスペルガーなのかと思っていた。

だから何年も後に、人が「私の知り合いの旦那さんがアスペルガーで、アスペルガーだから頭がすごくいいらしんですよ」と言っていたとき、違和感を感じた。
え? アスペルガーってじっとしていられない人のことじゃないの?

じっとしていられないのはたぶんADHD――多動だ。
最初にわたしが「アスペルガー」と聞いた人は、ADHDもアスペルガーも併せ持つ人だったのだろう。

スクールではだいたい「発達障害」と聞くことが多い。
それはスクールだけに通じる一種の内部用語で、「テクニカルスキルだけでなくソーシャルスキルのトレーニングが必要な人」で「高次脳じゃない人」のことだ。

だからこんな感じになる。
歴代のPCプラクティス担当事務の宇奈月さんや万願寺さんが、言う。
「今度の発達のクラスは、×人がPCプラクティスに来ます」
「今回のコースはどうですか? アスペルガーの人がいるから、突っ込まれたりしませんか?」
「多動の人はいないから、大丈夫ですよ」
スキルアップ研修担当の花咲さんが言う。
「今度のスキルアップ研修には、学習障害の人が来ます」
「このときは発達の人が入ります」

「精神です」と言われると、それはいったいどういう分類になるのか、判然としなくなる。
スクールでは、精神、発達、高次脳の人たちは、いったんプレスクールみたいなクラスに入り、慣れるための期間をとる。
それからそれぞれの専門コースに配置されるようになっている。
だからこの3つが、わたしのイメージの中では一緒くたなのだ。

でも精神障害は違う分類になる。
高次脳機能障害も違う分類になる。
アスペルガーは広義の「発達障害」に入る。

「広義の発達障害」だの「狭義の発達障害」だの、同じような用語なのがまた、混乱の原因だ。

――わたしの「混乱」だ。
世の中の人は皆さん勉強家で、賢くて、働いているわたしよりも知っていたりする。

友達と食事をしていて、「私の友達の親戚がLDでさー」とか、「私の友達、ADHDだと思うんだよね」とか、普通に用語を使っているのを聞いて驚くことがある。

以前の記事で語った公開講座に行ってみたら、「カナー症候群」「レット症候群」など聞いたことのない単語も出てきて、ぽかんとした。

でもそんなあれこれの用語を全部考えていると、なんだかわけがわからなくなる。
まずどういう関連になっているのか、図で整理してみる。

ところでわたしは、読んだ本の中で「これは分かりやすい!」と思った図があって、ぜひそれで説明したいのだが、ネットなどにはない。
著者のオリジナルなのかなぁ?
同様の図を自分で作ってみたので、詳しくは原典にあたってください。

まず「自閉症スペクトラム」という語について。
「スペクトラム」とは連続体というような意味だそうだ。

図を見ると分かる。
どこからどこまでが「障害」というはっきりした境界はない。

発達障害01
(「発達障害のいま」(杉山登志郎 著) P51図 自閉症スペクトラム障害)

一般人でも、空気を読むのが苦手という人はいる。
人とつきあうより、一人でいるほうが好きという人もいる。
度合いが大きくなれば自閉症スペクトラム障害となる。

自閉症スペクトラム障害の中に、アスペルガー症候群や発達障害が入っている。

「発達障害のいま」では、「障害」まで至らないが、社会性などの発達に凸凹がある人を「発達凸凹」と呼んでいる。
どこから凸凹であり、どこからが障害であるかは、「適応障害があるかどうか」で決まるという。
度合いだけでなく、症状の種類、その人の置かれた環境によっても、「社会に適応できない」度合いが障害レベルかどうかは違う。
だから数値化は難しい。たとえば知的障害が一応「70」というラインを定めているようには、はっきりと決められないようだ。

自閉症は、先天性の脳機能障害であるが、生きている人間の脳を「どこがどう違っている」と細かく見ることは今の技術ではできないという。
そのため、診断は臨床心理的になされているらしい。

上の図は、素人のわたしが「自閉症スペクトラム障害」というものを理解するにはとても良かったが、アスペルガーや発達障害はいったいどこに位置するのだろう?
本当に心を閉ざしたように見える自閉症には至らないが、健常者でも凸凹の段階でもない、自閉症スペクトラム障害の中にある。

発達障害02
(「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか?」(米田衆介 著) P131図 知能指数と重症度にもとづく分類)

上の図によると、知的な遅滞のない健常者もいるし、グレーゾーンの人もいるし、発達障害の人もいるし、アスペルガーの人もいる。その先には自閉症の人もいる。

IQは70が境界線で、それより下はいわゆる「知的障害」となる。
70~85はグレーゾーンの人。グレーだから「知的障害」の水準ではない。でも境界だ。
70より下にも、ただの(というのも変だけど)知的障害、発達障害があり、自閉度が重症になると自閉症の人がいる。

「自閉症スペクトラム」も、「自閉症」も、同じ「自閉症」という語句が使われているけれど、両者はまったく別のものだと分かった。
「自閉症」と言った場合は、より狭義の意味。俗な言い方をすると、「正真正銘自閉症」ということ。(語弊があるかもしれませんが、ご容赦を。)
「自閉症スペクトラム」は、自閉症へと至る連続体。
「自閉症スペクトラム障害」は、その連続体の中にある一部分。もう「凸凹」を超えて適応障害があるけれど、完全な自閉症よりは手前。
凸凹は障害者と認められないが、自閉症スペクトラム障害の範疇なら「障害者」となる。

発達障害03
(Wikipedia 自閉症スペクトラム障害 概念図)

こちらは同じ内容を違う図で示したもの。
Wikipediaの図は境界部分も書いてあるのだけれど、パッと見で分かりやすいように省略してある。
詳細は原典をあたってください。

この図はとても分かりやすい。

同じ自閉症でも、高機能(IQが高い)だったらアスペルガー症候群、低機能(IQが低い)だったらカナー症候群。なるほど。
自閉度が中くらいで、IQが高めならグレーゾーンの人、IQが低めならちょっと自閉傾向のある知的障害者。
自閉度が低いなら、IQが高い人は健常者で、低い人はただの(というのは語弊がありそうだが)知的障害者。

見やすいほうを見ていただけばいいと思う。

ADHD(注意欠陥・多動性障害)、LD(学習障害)などは、行動上の障害である。
これらも先天性の脳機能障害で、自閉症スペクトラム障害の中に含まれるらしい。
発達障害は併存して現れることがある。(特に知能指数が低いグループでは多い、と「発達障害のいま」に書いてあった。)
発達障害とADHDが併存している人もいるわけだ。あるいはLDが。

「発達障害」という言葉も、どうもはっきりしない。
ただ単に「発達障害」と言われるときと、「特定不能の広汎性発達障害」と言われるときは、何か違うの?
と首をかしげたくなる。

これも整理しておくと、「発達障害」と言うときは、「自閉症スペクトラム障害」とほぼ同義語と思われる。
さらに、それは実際は「広汎性発達障害」の略語。
「広汎性発達障害」の中に、アスペルガー障害も自閉症も入っている。(たぶんADHDもLDも。)
「特定不能の広汎性発達障害」のほうが狭義で、つまりは「その他」ということらしい。
「広汎性発達障害だけれど、アスペルガーでも自閉症でもない、特定できない」。

ただ言葉を使う側が明確な区別をしていないこともあるので、それがさらにややこしくしている。

今日は長くなってしまったが、用語の整理はどうしても必要だと思うので、長いままにしておく。
これは記事2つに分割すべきではないし。

わたしはこういった用語の区別がはっきりして初めて、「ああ、なるほどね!」と視界がハッキリした気がした。
なので本や講座の話に入る前に、ハッキリさせておこうと思った。

ところでこれらの用語は、診断基準としても使われるそうだが、これはバージョンが変わっていく。
Word2003がやがてWord2007になり、Word2010、Word2013となるように、診断基準もバージョンアップするそうだ。
アメリカ精神医学会の診断基準DSM、最新の5では、これまでのいろいろな診断はすべて「自閉症スペクトラム障害」として一括されるらしい。
アスペルガーも特定不能の広汎性発達障害もすべて、「自閉症スペクトラム障害」。

賛否両論あるらしいが、わたしのような門外漢には意見を言う資格はないと思うので、黙ろう・・・・・・


●6年目:高次脳機能障害・発達障害
Chapter 2 発達障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


水上先生のオススメ

水上先生と会ったとき、とにかく本のタイトルは絶対に聞こうと思った。
先生の企画する発達障害についての研修が聞けたら嬉しいけど、それは無理な相談だから、せめて本を読みたいと思った。
それは、この企画で講師に名の挙がっている臨床心理士さんが、「まずはこれ」と推奨する本だそうだ。

ご興味のある方のために、教えてもらった本を挙げておこう。

ギフテッド (杉山登志郎・岡南・小倉正義)
アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? (米田衆介)
発達障害のいま (杉山登志郎)
自閉症児のためのTEACHハンドブック (佐々木正美)

わたしは家に帰って、まず図書館ネットで検索してみた。
大きな書店に行くより、すぐに手に入る。
待っていれば区内の一番近い窓口まで運んでくれるし。

見つかったのは3冊だった。
「発達障害のいま」「ギフテッド」「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか?」

この3冊をその日のうちに予約した。
在庫があったので、すぐに届くはずだ。

研修も面白そうだけれど、行くのに時間もかかるし、聞くのに時間もかかる。
本は重要な情報が詰まっているし、それを電車の中でも寝る前の短い時間でも、好きなときに読めるからかえっていいかもしれない。

わたしとしてはもう本を3冊も借りることで満足だったが、水上先生から思わぬメールが届いた。

「発達障害の講座に興味があれば、まもなく××大学で社会人講座が始まります。
発達障害についての全10回の講座で、私も受けます。
発達障害では有名なクリニックの先生も講師として来ますし、とても興味深い内容です。
この内容で25000円なので、受講料もとても安いと思います」

――うーん。
正直言って、これは受けなくていいかなぁ。

水上先生が企画する研修にとても興味を示していたから、「それは受講できないけど、こういうのがありますよ」と教えてくれたのだと思う。
ありがたいけど、水上先生が企画する研修に興味があったのは、実践的だろうと想像したからだ。
大学の社会人講座っていうのは、ものにもよるだろうけど、一般的な説明に終わりそうに感じる。

ちなみに、後に検索したところ、実利的で評判が良かったのは産業能率大学の講座だった。
これは高すぎてわたしには無理そうだ。
水上先生ご推薦の××大学は、大学名からして「概念的・抽象的な内容が多そうだな」と感じた。
でも産業能率大学の講座に比べると、確かに安かった。
安かったが、全10回は長かった。毎週1回、夜間講座に通うのは大変だ。
産業能率大学の講座はその点でも実利的で、週末1日のもの、2日のもの、3時間くらいで軽く受けられるものなど、短期集中型だった。
働く者にとってはありがたい。サービス業などの人にとっては、週末っていうのは厳しいだろうけど。

話がそれた。

わたしとしてはあまりそそられなかったが、一応、「ありがとうございます、大学のサイトで見てみます」と返事をした。
水上先生から、また返事が来た。
「受講するなら、早めの申し込みがいいと思います。今週で締め切られてしまいますから。
私も通えない回もあると思うのですが、半分くらい行ければいいかなという気持ちで受けるつもりです。
もし○○さんも受けるなら、とても心強いです。一緒に通えるといいですね」

迷った。
でも水上先生の誘いだ。

正確には誘いではない。「こういうのもありますよ」というお知らせだ。
一緒に行きましょうと言われたわけではない。
「検討したけれど、わたしは無理です」と答えてもいい。

でも―― でもお世話になっている方にこう言われたら、それはもう断れないことじゃないだろうか。
わたしはフリーに近い身で、(というか、名称がそうなっていないだけで、完全にフリーだろう)、そのくせ人脈は少ないので、水上先生は非常に重要人物なのである。
そういうのとは別のところで、わたしは水上先生の明るさや話しやすさが好きだけれど、「友達だったら断るかもな」と思うことでも無理をすることはある。

わたしにとって25000円は、ポンと出せる金額ではない。
これは役に立つと思うならポンと出したいが、本で読んでも学べるようなことだったらちょっと悲しい。
仕事の後、夜出かけるのは、わたしにとってはストレスだ。
その分余計な交通費もかかる。

でも。断れない。
何かは役に立つことがあるだろう。
水上先生と通うということも、いつかわたしの人脈的プラスになるかもしれない。

水上先生と講座で会って、そのときでも後からでも、内容について話をするのは楽しいだろうと思う。
だけどそれは、25000円と夜間通うストレスと引き換えるものじゃない。
実利を計算して、天秤にかけて、思い切って通うことを決めた。

心のどこかで、「定員に達したので」と断わられてもいいと思いながら電話したら、「まだお席はございます」と明るく言われてしまった。
振込期日は迫っているのでこうしてくれ、受講証はもう開講が迫っているのでこうする、と指示され、電話を切った。

早々に払込用紙が送られてきて、銀行から振り込んだ。

水上先生に申し込みをしたことを伝え、「良かった! 楽しみにしています。お休みしたときなど、何をしたかお互いに教えあいましょう」とメールが来た。

そして当日は、あっという間に来た。
もともと時間の余裕がなかったのだ。

今日は初日、夜行くのかぁ。
水上先生は来るだろうか。初日だからたぶん来るだろう。

その日は空き日で、第二の職場で入力事務をしていた。
退社時間になって建物の外に出たら、メールが来ていることに気づいた。
――水上先生かも。

メールを読んでみると――
ごめんなさい、今回の講座、とても楽しみにしていたのですが、通えなくなりました。

ええっ!?

それから理由がいろいろと書いてあったのだが、なにしろ驚いてしまった。
じゃ、わたし、なんのために――!?

いやいや、そう思うのは間違いだ。
水上先生とは何の約束もしていたわけじゃない。
わたしが勝手にいろいろ計算して、欲をかいて申し込んだだけだ。
きっと勉強になるだろうし、いいじゃないか。楽しんで通おう。

頑張って自分に言い聞かせたけれど、当日、始まる直前になってのメールに気持ちが翻弄された。
お金がもったいないから一人でも通うけどさ。

というわけで、ひょんなことから発達障害に関する大学の公開講座を受けたのだが、講座の内容については後にしよう。
まずは読んだ本のことについて語ろうと思う・・・・・・



●6年目:高次脳機能障害・発達障害
Chapter 2 発達障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


水上先生と発達障害

わたしをスクールに紹介してくれた恩師、水上先生から連絡が来た。

ときどき会いに行っているが、「今年はどうも忙しくなりそうなので、今を逃したらもう1年くらい会えないかも」という内容のメールだった。
そう言われては、「では今のうちに会いにまいります」と答えて行くしかない。

行ってみると、その日も水上先生はプライベートな用事が急に入って忙しく、それほど時間をとれなかった。
わたしはとにかくお会いできたのでそれで良かったが、水上先生はどこかでお茶をと連れていってくれた。

なぜこの年、水上先生がそんなに忙しいかというと、ある業務を担当することになったからだそうだ。
「実は今度ねぇ、発達障害についての研修を企画しなくちゃいけなくなってね」

発達障害と言われると、先日いろいろと迷い、考えさせられたわたしは興味津津だ。

「私が所属している組織も、いろいろなところに支部みたいなのがあったりするけど、そこの事務なんかに結構発達障害の人が働いているらしいの」
――ほうほう、そうなんですか。
「でもやっぱり難しいことが多いらしくて、周りの人や上の人が困ってるらしいのね」
――なるほど。
「それで、発達障害とはどういうことか、どういう対応をすればいいのか、っていうのを研修としてレクチャーすることになったのよ。
その企画を、私にしてくださいって言うのよ。困ったわよ」
――その研修、わたしも受けたいものだ!
「これまでまったくしたことない、初めての業務でしょう? 全部一からで大変なのよ」

水上先生のその新しい仕事は、まだ始まったばかりなのだそうだ。
「とりあえず、知り合いの臨床心理士さんにレクチャーをお願いすることにして、でもその時給がねぇ――」

組織内の煩雑な事務がどうのという話は、省く。

「今、私も、臨床心理士さんに教わった本を読んでみてるところなのよ。
これとこれがいいっていうのを教わってね、とにかく買って、少しずつ読んでみてるの」
――その本、わたしも読みたい!

「実はわたしも最近、仕事で発達障害の方と関わって、ちょっと考えさせられたことがあったんです。
今までも発達障害の人ばかり集めたコース(PCプラクティス)など、何回かやっているんですけど、でも一斉授業はそれほどの問題は起きないので、なんとなくやってきちゃったんです。
今回これこれのことがあって、どうしたらいいかととても迷ったんです」
「あなたも発達障害の人と接することあるの?」

・・・・・・ええ、まあ、そりゃ障害者のための学校ですから、ありますとも。

「ありますね。今は、入って来る方も発達や高次脳の方、多いですし。
臨床心理士さん推奨の本、ぜひタイトルを教えてください。読んでみたいです」
「えーとね、今読んでるのは杉山さんて人の本でね、でもそれは途中で虐待の話がたくさん入ってきちゃうのでどうかわからないんだけど。
あと、ギフテッドっていう本は読み終わったのよ。これは読みやすいと思うわよ。
待ってね、後でゆっくり教えるわ」

このときケーキ屋さん目指して、水上先生の車で移動中だったのである。

「そのことでねぇ、江津さんに会いに行ったのよ。でもそのとき、○○さんとは時間が合わなくて」

江津先生も、水上先生が担当する職業訓練に通っていた。
わたしより後の期で、わたしの後輩ということになる。
さらにその期にわたしは講師をしていたので、そのときは先生と生徒として出会った。
わたしはこのときもう、スクールで働いていた。
江津先生も職業訓練終了後のあるとき、水上先生の紹介でスクールで働くことになった。

わたしも「半年だけ」と言われていたが、江津先生も「半年だけ」と言われて働き始めた。
でも結局、どちらも辞めずに済み、何年も続けていた。

「江津さんはたくさん経験してるから、いろいろ聞こうと思ってね」
――そうでしょうとも。わたしなど、あまりの豊富さに圧倒されて、言いたいことがつかめないときがあるくらいですから。
「江津さんはとても残念がっていてね。できればレクチャーをしたかったみたいで」
――すごーく想像できます。江津先生ならその話を聞いたら、ご自分の経験や、そこから導き出される理論を多くの方に語りたいと切望されると思います。
「でもうちとそっちの組織は、別だといっても少しつながりがあるでしょう」
――だからわたしたちが紹介されたりするわけですもんね。
「だからそっちのテンポラリーの人を、うちで講師としてレクチャーさせるのは、ちょっと問題が起きそうでねぇ。
残念だけど、江津さんには頼めないと思うのよ。後で問題になったら困るものねぇ。
でも江津さんがとても残念がっていて。どうしたもんかと思うけど、やっぱり無理よねぇ」

とにかく水上先生はその後、江津先生とは何度も話し合いを持ち、いろいろなことを聞いたらしい。
正式に要請して、江津先生のクラスなどに見学にも行ったらしい。
江津先生が結局レクチャーしたかどうかは知らない。

どういう内容で行われたのか分からないが、そのときわたしは、水上先生企画の研修をとても聞いてみたいと思った。
きっと勉強になることがあるに違いない。
それは、実際に役立つことに違いないと思ったからだ。

研修は、「今現在、発達障害の部下や同僚に困っている」という人を対象に行われるわけだ。
実践的なことが多く、活用できることがたくさんあるだろう。

――しかしもちろん、受けることはできない。
それはいわゆる社内研修みたいなものなのだから、部外者が聴講できるわけがない。

「わぁ、その研修、わたしも受けられるものなら受けたいです。
きっと実践的なことがたくさん学べるでしょうねぇ。受けられなくて残念です」

ちょっとわたしは、八方美人と思われるときがある。
「ほめるときは盛大に」「いいことはオーバーなくらいに」がモットーだからだ。

そのために今回も、自分の感じているポジティブな感情を前面に押し出した。
それは後になって、思わぬ実を結んでしまった・・・・・・



●6年目:高次脳機能障害・発達障害
Chapter 2 発達障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


花咲さんの対応

Kさんが来ていたスキルアップ研修は2日間の日程だった。
1日目はほぼ時間通り終わったが、2日目は早く終わった。
短い研修だが、一応、開講式や閉講式のようなものがあり、担当の上級マネジャーが簡単な挨拶をしたりする。
念のため、余裕を持って終わるようにしているのだ。話が長くなったりして、誰かがバスや電車に乗り遅れてはいけない――障害によっては歩くのに時間がかかる。

このときは他にも事情があったのだったか、とても早く終わった。
(たとえば天候が悪く、ますます悪くなる予報だったとか。今は悪くないが、悪くなる予報だったとか。
障害のある人が集まるので、不測の事態に陥る危険はなるべく少ないほうがいい。天候などですぐ休校になるのだ。)

さあ帰りましょう、と支度をしたり、挨拶をしたりしているとき、Kさんが言った。
「今から会社に戻ろうと思えば戻れる時間ですが、家に帰ってしまってもよろしいですね!」

いい。と思う。

相手が健常者だったら、いや、発達以外の人だったら、「いいんじゃないですか? 戻れとは言われてないんですよね?」と軽く言うかもしれない。
「えー、これから会社に行くとしたら大変じゃないですか?」と言い、「でもやっぱり戻ったほうがいいかな」と相手が言えば、「××さん、真面目ですね~、偉いなぁ」と笑顔で冗談を言うかもしれない。

でもKさんにもそう言っていいのだろうか。

「戻るように指示されているんですか?」
「されていません。だから帰ってもいいと思います」

わたしが答える前に、花咲さんが助け舟を出してくれた。
それまでもう一人の受講者さんに「気をつけて帰ってね」などと挨拶をしていたのだ。

「Kさん、会社に電話して、上司の××さんに、今終わりましたがこのまま帰宅してもよろしいですか、って、確認して」

――ああ、なるほど!

「はい! わかりました!」

――ああ! なるほど!!

花咲さんは、まるでお母さんのようだった。
まあ、Kさんは若かったので、年齢的にお母さんだが。

発達障害の人は、人間関係や社会性を発達させていくことが難しい。
だから明確な指示が必要になるときがある。

意味のない相槌は、通じないか、あるいはそのまま「指示」と受け取られかねない。
幸いなことに職場があって社会人として働いているKさんには、「社会人はこうすべき」という規範を伝えるためにも、なあなあな返事は避けるべきだ。

「帰っても大丈夫でしょう」と答えた場合、意味しているところはこうだろう。
「本来は会社に戻るべき、または上司に報告して指示を仰ぐべきだが、たぶん帰宅していいと許可が出るだろうし、このまま帰っても問題はないと思われる」
普通は「帰っても大丈夫でしょう」と言われたら、上記のような内容だということを、暗黙のうちに分かっている。
で、「大丈夫ですよね。帰ろうっと」となる。
これもまた、「そうだよね。どうせ会社に戻っても、終業時間がすぐに来てしまって仕事なんてできないし、本当は上司に報告するべきだけど、今日のところは帰ろう。問題ないだろう」という意味だ。

でも発達障害があると、こういった暗黙のうちの合意が汲み取れない。

花咲さんの言わずもがなの指示を聞いて、開眼する思いだった。
「言わずもがな」というのはないのだ、発達の人に対しては。

そして自分を振り返って、危険に気づいたのだった。

花咲さんが「まるでお母さんのよう」だったことが、わたしにとって警鐘だった。
つまり――花咲さんはお母さんなのだ。お子さんがいて、もう全員育て上げて成人している。
そしてPCプラクティス講師の美和先生もお母さんだ。まだ小さいお子さんたちがいる。
ときどき、美和先生が保母さんのような口調になることがあると思っていた。
わたしはなんとなく、その口調に違和感を感じていた。

『先生』業はバランスが難しい。
――小中学校や高校の先生以外は。

相手が大人だと、子供に対するような口調はどうかと思われる。
よく年配者が、耳が遠くなったり介助が必要になったりすると、子供扱いされると不満を語ったりする。
お世話をしたり、ゆっくりと分かりやすく話そうとしたり、何かを教えたりすると、つい保母さん的になってしまう。
わたしはこれまで、なるべくその罠に陥らないようにしようと気をつけてきた。
落ちなかったかどうかは自分では定かじゃないけど、心がけてきた。

相手は対等の大人、もしかしたらわたしよりずっと尊敬すべき大人。
これを忘れないことは、大切なことだ。

でもときには、お母さん的に見えても、具体的な指示をする必要がある。
そのことにハッとしたのだった。

ところで「明確に指示をする」「お母さん的に見えても」というのは、「命令する」ということではない。
相手を尊重しない態度をとってはいけない。

発達障害の人は繊細なところがある。
自分としては頑張っているつもりなのに、どうも障害のために周りの人の意図や考えが理解できないことがある。だから傷つきやすい。
自分としては頑張っているつもりなのに、どうも障害のために周囲が求めるものと違う結果を出してしまうこともある。だから傷つきやすい。

認めるべきところは認めて、讃えるべきところは讃える。
そういう配慮も必要になるようだ。

ただわたしには、「受講者さんを子供扱いすることは絶対ダメ」という自分ルールがあったので、「お母さん」のように見えたことが少しばかり衝撃だったのだ。
悪い衝撃ではなく、目からうろこが落ちるようなものだった。
ああ、そうか! と。必要なときもあるんだ! と。

このワザは難しくて、わたしより年上だった久慈先生は上手に使っていたが、それでもたまに通じないこともあった。
知的障害があるわけではないので、「講習がスムーズに進んでほしいなぁ、そのためにこの人を最後まで上手に励ましていきたいなぁ」なんて考えると、その考えが読み取られてしまう。
ありていに言ってしまえば、「あ、裏があるんだな」と悟られてしまう。

もしこれが健常者だったら、「そういう思いがあるんだな」と思う一方で、「仕方ない、つきあってやるか。この人はそれが仕事なんだもんな」と相互的な気持ちがわいたりするが、そこは発達障害だから――

わたしはこの日、Kさんから質問を受けていた。
「聞きたいことがあったら、すぐに質問してください」と宣言したためか、「これは、これこれという意味ですよね」と聞かれたのだ。

――ちょっと違うかも。

でも否定はせず、「そうですね」と言った。
それから「Kさんがおっしゃるように、これこれという意味なのですが、もうひとつ、こういう意味もあります。こういう意味でもよく使うので、覚えておいたほうがいいと思いますよ」と付け加えておいた。
Kさんはさらに、「ではこれこれということですか」と言うのだが、わたしにはちょっと違う気がする。

もしかしたらKさんには、わたしには理解できない、物事の本質を突くやり方で捉えていたのかもしれない。
発達障害の中には、健常者が回りくどく考えるところを、ズバリと本質を見抜ける人がいるそうだから。

とにかくまた否定はせず、自分の思うところを付け加えておいた。
果たしてKさんがわたしの言わんとするところを理解してもらえたかどうか、自信がなかった。
どうもわかってもらえなかった気がする。いつも思うのだが、わたしはあまり説明がうまくないようだ。

わたしとしてはこのことで気落ちしたのだが、アンケートでKさんは「質問に丁寧に答えてくれたので分かりやすかった」と書いてくれていた。

――分かりやすかった!?
ごめんなさい、わたしは素直に喜べないんだけど、それは「分かりやすさ」の問題でなく、対応が良かったってことかな?

何度も繰り返しているが、Kさんは頭がいいので、わたしがまずい説明をしても最後には解にたどりつく。
大切なのは、対応の仕方だったというのも、あながち間違いではないかもしれない。

まとめると、障害によっては明確に指示をしたほうがいい場合がある。相手を「立てる」ことよりも。
そもそも「立てる」とはどういうことかを理解するのさえ、苦手な障害なのだから。

でもだからといって相手が下だというわけではない。自分の態度には気をつけたほうがいい。

というところだろうか・・・・・・



●6年目:高次脳機能障害・発達障害
Chapter 2 発達障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


ジョブアドバイザーのお話

終わった!

「よくやった」と満足することができたわけではないが、やれるだけのことはやった。
いつもは「基本的にチャイム通りで、随時自分で判断して休憩を」だけど、きちんきちんと50分ごとに声をかけた。そうでないとチャイムからチャイムまでは1時間40分くらいあるのだ。
Kさんには「この問題とこの問題が終わったところで、言ってください」と、コミュニケーションをとる機会を増やした。
「スケジュールの区切りごとに質問を受け付ける」とし、「覚えておいたほうがいいと思う効果的なやり方があれば、そのときにこちらからも提案する」とあらかじめ宣言した。

Kさんは一度は質問してくれた。
はたして納得できたどうかわからないが、素直に説明を聞いてくれた。

最終的には解答にたどりつく人なので、こちらから言うことは多くはなかったが、一度くらいは口出しもした。(もちろん途中でではなく、一段落したところで。)
「さきほどKさんが操作していたやり方で合っているのですが、これも覚えておいたほうがいいかもしれません」
――この「否定せず、ほめるべきところはほめてから」というのは、後から聞いたところでは正解だった。
でもわたしは別に、発達の人に対してじゃなくてもそうするが。なにしろ「インストラクターはサービス業」がしみついているので、「先生」らしくはできないのだ。

終わって、廊下で花咲さんと話しているとき、たまたまジョブ・アドバイザー部の人が通りがかった。
「あ、加古川さん」花咲さんが挨拶する。
わたしも顔は今回把握した人だ。Kさんに会いに教室に一度来たのだ。
職場でのジョブコーチ的な指導など、Kさん、またはKさんが働く企業さんと、何か関わりがあるのかもしれないと思っていた。

「Kさんも無事に終わりましたよ」
「会社に帰って役立つといいですけどね」

花咲さんは軽く挨拶をした後、わたしを紹介してくれた。
「今回担当した○○先生。PCプラクティスをいつもやってる――」
加古川さんとわたしは挨拶を交わす。
「今回は大変でしたよね。○○先生、加古川さんにも聞いてみたらどうですか?」

そう言われたので、Kさんに「自分で考えたいんです」と拒絶された話を簡単にして、それでも放っておくわけにはいかないからいろいろ考えさせられたと言った。

「分かります、分かります。私も同じですよ。ほっといてくださいとかね、よく言われます」
「そうなんですか。ちょっと安心しました。自分に問題があったのかと思って、心配していたんです」
「誰にでも言うんですよ。それに、そのときによって違ったりしますからね。
ほっといてくださいっていうから放っておくと、なんで放っておくんですかなんて言ったりね」

――それは大変だ。放っておけばいいっていうものでもないのか。
「放っておいて」という言葉で表現しているけれど、実際の気持ちは違うのかもしれないな。
「今は集中しているから気を散らさないでほしい」という意味だったり、「途中でやめたくない」という意味だったりするのかも。

「最初のうちは私も一言一言に落ち込んだりしてましたけど、あまり気にしなくなりましたね。
というのも、気にしているとこちらが持たないから」
――わたしはくよくよ考えるたちなので、気をつけよう。こちらが倒れてしまっては、相手を支えることもできないもの。

この機会に聞いてみよう、とわたしは質問してみた。
「スキルアップ研修は短い期間なので、時間をかけてつきあうことができないですけど、でも結果を出したいので本当に放っておくわけにもいかないんです。
今回はそれでどうしたらいいか迷ってしまって――わたしなりにいろいろ考えたりはしたんですけど、こういうやり方をしたほうがいいという、基本みたいなものはありますか?」

「私の場合は、最初に言いますね。じゃあ、ここまでね、と。
彼らは途中で中断されるのが苦手なんですよ。だから最初から、ここまでやったら話しあおう、と言っておくんです」
花咲さんが「○○先生がおっしゃってたこと、合ってましたね」と合いの手を入れてくれた。
そうか、合ってたのか。――正直、嬉しかった。

「あとは、報告を義務づけます。ここまで終わったら報告してください、と言っておくんです。
報告させるようにすれば、そのときに次の指示ができるので」
――なるほど。時間で区切るだけじゃなく、相手に報告させる。
これはいいかもしれない。「時間です」というのも、ひとつの中断ではある。
終わったとき報告してもらえば、中断ではなくなる。

具体的に言うと、各自で進めている場合、たとえば第3章が終わったら自動的に第4章に進んでしまうけれど、「3章が終わったら報告してください」と言っておくわけか。

「やるべきことは順番をきっちりつけて、この順番でやってくれと言います。
順番をきちんと指示してもらわないと混乱してしまうことがあるんですよ」
――ふむふむ。この順番でやってください、とわたしが明記したのは正しかったわけだ。

PCプラクティスのときも、わたしは練習問題の順番を指示するのが好きだけど、計らずもそれは発達の人には正しかったんだ・・・・・・

なんとなくPCプラクティス講師は、こんな言い方をしていた。
(言いつつ聴覚の人用にモニターに入力し、練習時間中そのまま表示しておく。)
「ではここで、練習問題の時間をとります。テキストの問題を進めてください。
テキストの問題が終わった方には、プリントを配りますので、声をかけてください」

でもわたしは長年同じ講習を繰り返すうちに、自分なりの理論が出来上がっていた。
「このプリントを先にしたほうが、簡単なものから難しいものへとステップアップになるのでいい」とか。
「このプリントはここまでの内容をすべて含んでいるので、一番にこれをしてもらいたい。そうすれば操作が遅くて何問もできない人でも良い復習ができる」とか。
「まずこの3枚のプリントでテキストと同じようなグラフを作って、それから違う種類のグラフを作る問題に進んだほうがいい」とか。

何も言わずにただ「プリントを配ります」と言ってしまうと、進行役とフォロー役が手当たり次第に問題を渡すことになる。
「わたしはこういう順序でやってもらいたいんです」というパートナーへの意志表示もあって、わたしは順番を記載する。
---------------------------------------------------------------
 練習時間にします。

 テキストの練習問題
 終わった方は、名前を付けて保存
 保存先:××フォルダ
 ファイル名:練習問題5完成

 プリント:レッスン10、レッスン11

 プリント:グラフ作成練習1、グラフ作成練習2

            11時まで練習時間にします。
---------------------------------------------------------------

プリント問題に保存の指示がないのは、問題自体に書いてあるからだ。

時間は――わたしの好みだ。
わたしが受講者だったら、いったいあとどのくらい時間があるのだろう?と思いながら問題をするのは、好きじゃない。
知っていたらぴったりの時間に問題を終わらせられるとは限らないが、とにかく知っておきたいのだ。
実は問題の順番を記載するのも、わたしの好みも入っている。
もしわたしが受講者だったら、いったい何枚プリントがあるのか、知っておきたいのだ。
「終わりました」と言ったら、「はい、これが次です」と渡される。これはいったいいつまで? 全部で何枚あるの?
もちろん、たくさん用意されているから終わらないのだけど、終わりを知っておきたいのだ。

気にしない人も多いだろう。
それにわたしは、映画や舞台の録画を見ているときも「終わりが何分?」というのを先に知っておきたいほうなので、夫などは理解できないと言う。終わりを知らずに楽しみたいのだそうだ。
でもとにかくわたしは嫌なのだ。わたしにも少し、発達凸凹があるのかもしれない。「凸」はないけど。
(発達凸凹については、後の記事で述べることにする。今は脱線しすぎてしまうので省くが、まんまの名称なので言いたいことは伝わると思う。)

ときどき、「30分くらい練習時間をとろう。でもあのプリントは全員やってもらいたいから、終わらないようなら延長しよう」と考えることがある。
そういうときは「11時まで練習時間にします」の後に、「様子を見て延長するかもしれません」と書いておく。
――神経質。かもしれない。部屋の片づけなどは苦手なんだけど。(やっぱり発達凸凹がほんの少しあるのかも。)

加古川さんに話を聞いたことは、さんざん迷った後だけに考えの整理がついて、とても良かった。
話だけ聞いても分からなかったかもしれないけど、今なら理解できる。

その日、次にスキルアップ研修に発達の人が来たときのため、覚書を作っておいた。
わたしは絶対忘れてしまうからだ。
加古川さんからのアドバイスを取り入れた修正版だ。

●最初に「今日やること」リストを作成して渡す(順番をきちんと指示するため)
●注意事項は箇条書きにして配布する(一度に1つの指示しか吸収できないことがあるため)
●「定期的に各自のところを回って、質問を受けたり、こちらから提案したいことをお話ししたりする」とあらかじめ宣言(1時間ごとなど具体的に言う)
●1問終わるごとに報告を義務づける(そのときに注意点を話す)

あと、もうひとつあるのだが、それはわたしオリジナルなので、うまくいくかどうかわからない。
まだ結果が出ていないので内緒にしておく・・・・・・



●6年目:高次脳機能障害・発達障害
Chapter 2 発達障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


わたしの対策

それでもわたしなりに考えた。
「状況が違うからあまり参考にならない」と、意固地に切り捨ててしまうのはよくない。
見習える部分があったら、ありがたく取り入れさせてもらうべきだ。
江津先生と別れて、電車に揺られて帰りながら、冷静に検討してみることにした。

江津先生の話で役に立つことは、何だろうか?
今回のことに限らず、今後のことも含めて考えてみよう。
主にスキルアップ研修について、考えることにする。PCプラクティスでは、それほど結果を求められていないからだ。

「まずは気のすむまで自分で考えさせる」
――これはちょっと無理がある。
どう考えても、長くて数日の講習では、こんなことをしている余裕はない。
2日間のものより4日間の講習のほうが内容も多くなるので、長い講習だからといって時間的余裕があるわけでもない。

これはやっぱり無理がある。
わたしの状況では使えない。

「気を悪くされることがあっても、必要があれば注意する」
「繰り返すうちに、相手も聞いたほうが早いと悟る」
――これもちょっと無理がある。
気を悪くされたら、アンケートにそのまま反映されかねない。
そして、相手に悟ってもらう時間はない。
つまり、気を悪くしたままのタイミングで終わりの日を迎えてしまい、気を悪くしたままアンケートに記入してもらうことになる。

これは不安要素が大きすぎる。
わたしの仕事では使えない。

ではアレンジしよう。自分の状況に合うように。

「悟るまで待つ」のではなく、あらかじめ宣言したらどうだろう?
その人だけのこととするのではなく、全員に対して「定期的に各自のところを回ります」と朝、開口一番に宣言する。
「分からないことがあったら、そのときに聞いてください。できるだけたくさんの内容を進めていただきたいですから、ずっと考えているよりも講師をどんどん活用してください」

これは後から考えても、悪くないアイディアだ。
本を読むと「発達障害の人に仕事の手順を教えるときは、なぜそういう作業が必要なのかを説明したほうがよい」と、一度ならず書いてあったからだ。
「あなたにとってそのほうが時間の無駄もなく、より多くの学習ができるから」分からないところはどんどん聞いてくださいね、と理由を説明している。

小冊子にもそういう事例があったし、障害特性の理解のための資料にもまとめてあったことがある。
「発達障害がある場合は、1つのことをやっているときに別の指示があるのが苦手」

つまり、「自分で考えて問題を解いている」というときに、横からわたしが何か言うのは、別の指示と同じような意味で苦手だったのかもしれない。

それから江津先生は「時間を区切る」と言っていた。
これは使えそうだ。
ただ、1つの問題に対していちいち時間を区切ってはいられない。
受講者さんは1人ではないからだ。
これは、さっきの宣言と合わせて使ったらいいかもしれない。

「定期的に」回る、というのは曖昧な言い方だ。
「50分ごとに教室内を回りますから」とか「休憩前に声をかけますから、つまずいた箇所があった方はそのときに」とか、具体的に時間を区切ったほうがよさそうだ。

それ以外のときも聞いてくる人はいいとして、そのときしか伝えるチャンスがないKさんのような人の画面は、後ろから確認していて気づいた点をメモしておこう。
そして、注意点があったら、まとめてそのときに伝えるようにする。
「さきほどたまたま拝見していたら、このようなやり方をしていましたが、こうするほうが効率が良いです」

ただ、まとめて注意点を指摘すると言っても、50分に1度では「さきほどのこの問題は」なんて言われたって、覚えていないだろう。
同じような問題を複数用意しておいて、反復してもらうのがいいかもしれない。

どの問題をするか指示するときに、「この問題が終わったら、教えてください」と言っておく。
一連の練習問題が終わったところで、まとめて「どうでしたか?」と聞いてみたり、自分が気づいたことを伝えてみる。

今回はもう1日目が終わっているので、2日目になって突然違うやり方をし始めたらおかしい。
全部は実行できないだろう。できることだけやってみよう。

「今日が最後ですから、時間を効率よく使うために、分からないところはすぐに聞いてください」
このくらいは言えるかもしれない。

翌日花咲さんに、江津先生に渡りをつけてくれたことに対してお礼を言った。
そして「長く時間をかけてつきあっていく江津先生のやり方は、スキルアップ研修で実践するのは難しいものが多い」ということは正直に伝えた。
「でもある程度時間を区切るということは、参考にしてアレンジ版を今日試してみようと思う」と説明した。

わたしも人のことは言えないくらい饒舌なので、「これこれこういうふうにするつもりです」と具体的なことまで話してしまった。
でも花咲さんはわたしよりよほど多くの障害者と出会ったり、事例を見聞きしたりしているので、言ったほうが良いかもしれない。
間違いがあれば指摘してくれるだろう。

なんとか頑張って、今日一日を乗り越えよう。
そして次に発達障害の人が受講することがあったら、もっとうまく教室を運営していけるようにしよう。

あ、そうだ、指示はきちんと、はっきりしたほうがいいっていうのも、小冊子や資料に書いてあったな。
「今日やること」のリストをモニターに出しておくことにしよう。

そう思って、モニターに受講している2人分のやることリストを入力しておいた。
Wordの白紙文書を2枚開き、右側にKさんに対するリスト。

Kさん
 1.テキスト第○章
 2.テキストの練習問題
 3.テキスト第○章
 4.テキストの練習問題
 5.プリント問題でさらに復習(この部分は重要なところなので)
 6.総合問題(時間があまった場合)

左側に同じようにして、もう一人の人のリストを入力しておいた。
Kさんだけというのは、ちょっとどうかと思われるから。

これは次回があったら、プリントとして出力して配ろう。
モニター画面は説明にも使うし、2人分がせいぜいだから。

このリストは、花咲さんによると、Kさんにずいぶん好評だったようである・・・・・・



●6年目:高次脳機能障害・発達障害
Chapter 2 発達障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


江津先生のお話

「発達障害に関する小冊子は事例が具体的で読みやすかったけれど、具体的すぎて応用の仕方がよくわからない」
「今回は明日までと切羽詰まっているし」
とこぼしたら、花咲さんは「江津先生に聞いてみますか? 私から話しておきましょうか」と心配してくれた。

でも、うーん、江津先生か。

江津先生は何事にも熱心な方で、また教えようという意欲も大変高く、わたしは江津先生のご高説の奔流に飲み込まれ、わけがわからなくなってしまう。
それはまさに、奔流に飲まれた後、岸にたどりついて、呆然と「あれ? ここは?」と辺りを見回すような気持ちだ。

ご自身の豊富な知識や経験を惜しみなく与えようというご親切、有難いけれどわたしには全部受け入れるだけの素地とキャパがないようだ。

「そうですねえ。でも江津先生に伺ったら、江津先生は博識だから、情報が多すぎて余計混乱するかも。
今日明日のことで混乱している時間はないから、もっとゆとりのあるときにお話ししてみます」

以前わたしは、スキルアップ研修でガックリしたことがある。
ある知的障害の人が、やる気を持って「頑張ってExcelをやってみたい」とやってきたのに、2日目に来なくなってしまったのだ。
せっかく希望に燃えて挑戦すようとしたのに、「やっぱりExcelは無理だったみたい」と諦めてしまった。
後から花咲さんが「支援所の人に聞いてみたんですけど、彼女は空間認識が苦手だったみたい」と慰めてくれた。

でもわたしがそうと気づいて対策をとれれば、最後まで続けることができて、自信につながったかも。
――研修の構造上たぶんそれは難しかったと思うのだが、残念な事件としていつまでも気にやんだ。

だからある日、江津先生が空間認識が苦手という特性について熱弁を振るうのを聞いたときは、注意深く聞いてみた。
「空間認識が苦手っていう人もいるんですよ。
こうしか(と手で示して見せて)見られない!
あとこう!とかね。こう!とか。こう!なんてのもあるんですよ。
最近こう!っていうのもあることに気づいたんですよ。
なかなかExcelが進まない人がいて、どうしてかなあと思っていたんですよ。
でもね、あるとき気がついた。もしかして見え方が違うのかも。
そこでモニターのこっちを紙で隠してみたんですよ。どう?見える?って聞いたら、見える。
そこで次にモニターのここを隠してみたんですよ・・・」

その後も熱弁は続くが、ちょっとはしょる。

「つまり空間認識が苦手だということは、経験豊かな方が何日も観察して初めて分かるんですね。
それじゃあ、期間の短いスキルアップ研修には当てはめられないですね。
――実は前に空間認識が苦手という人が来ていて、ついてこられなくなちゃって。
後から分かったから何もできなかったんですよ。
すぐに見分ける方法があったら素晴らしいなあ、と虫のいいことを思ったんですけど」
花咲さんもその場にいて、「そうですよね!」と相槌を打ってくれた。

「あのね、空間認識が苦手かどうかは、2つの質問をすれば分かる!」

ええ!? 本当に!?
なんて素晴らしい! ぜひ教えてもらいたい!
2つの質問で分かるなら、期間が1日しかなかろうが、2日しかなかろうが、すぐ分かるじゃないか!

「2つの質問てどんな質問ですか?」

「空間認識が苦手な人っていうのはああでこうなんですよ。
だからそんなときは普通のやり方じゃExcelなんかは覚えにくいんですよね。」

それからそれから?

「そんなとき私は、まず自分の見え方をよく理解して、ああだからこうで・・・こうだからああで、そのき私はこう言って・・・」

どこまでも続く熱弁の奔流に飲まれ、2つの質問が何だったのか、まったくつかめなかった。
もう一度奔流に襲われるのが怖くて、「2つの質問て何だったんですか?」とも聞けなかった。

そのときの記憶が鮮明で、どうも江津先生に相談するというのは、気が進まなかった。
あのときはもう終わった話だが、今回は現在進行形で、しかも時間がない。

でも心配した花咲さんが頼んでしまったらしい。
江津先生がやって来て、「帰り一緒に出られるから。ロビーで」と言われてしまった。

駅まで歩きながら、わたしは切り出さずに話を聞いていたが、「それで、何を聞きたかったんですか?」と切り出されて、さすがに観念した。
簡単に事情を説明したが、求めているものをハッキリ伝えようと思った。
そのほうが、江津先生の豊富な解説の中からピンポイントに適切な解が出てくるかと期待して。

「スキルアップ研修は企業さんにも目に見える成果を出したいし、明日1日という限られた時間の中でできるだけたくさん練習などもしてもらいたいんです。
どうしたらご当人の負担にならずに、声をかけたり説明をしたりできるか?
できないなら、ほかにどういう方法があるか? 反復練習をさせるとか、何か良い解決策があるのか?
それをちょっと悩んでいるんです」

「声をかけられたくないって人はいますよ。
自分で考えたいって言ってね、うちのコースにもいますよ。
考えたってできないんだけど、ずーっと考えてるのよね。それで一日終わっちゃう」

ええ、それは知ってます、わたしもPCプラクティスで出会いますから。
で、そういうときいったいどうしたら?

「ひとつにはね、ほっとくんですよ。
一日中考えてさせとく。それで、ほらね、できないでしょ? 今度からはわからないところは聞いたほうが早いでしょ、って言うんですよ。
自分で納得いくまでやらせとくんです」

――それは江津先生のように1年かけてじっくりつきあう場合は有効でしょうけど、1日待ったらそれで終わってしまうんですよ。

「やっぱりね、自分で考えても答えを出せないってことを認識しないとね、そこから先の成長がないでしょ。
だから時間を区切るんです。
自分で考えますって言ったら、いいですよ、でも1時間経って解けなかったら、一緒にやりましょう、って言って、あとはほっとくんです。
最初は面白くなくても、そうやって何ヶ月かやっていくうちにね、だんだんに、自分の限界が分かってくるから」

――でももう既に声をかけないでくれと言われているのに、しつこく口出しすることはできないですよ。
口出ししなければ「自分でやります」とも言われないわけで、言われなければ「いいけど、30分までね」と伝えることもできない。
無視して口出しすることもできるだろうけど、そうして関係が悪化したら、修復する時間はない。
なんといっても明日までしか時間がないのだ。

――それに、どうもKさんはそれほどできない人ではない。
大学も出ているし、高次脳の人のような障害とは違う。
1時間も考えたら自分でできてしまう。
わたしがしたいことは、「できれば系統だてて伝えたい」ということと「むやみにクリックしなくて済むようにしたい」ということ。
考えても自分一人ではできないと悟らせることじゃない。Kさんは一人であれこれやれば、最終的にはできてるし。

「やっぱりねぇ、どうしてもそういう人はいるのよね。私なんかは――」
と江津先生の方法論は続くが、どれも江津先生の状況にマッチした方法論ばかり。

――何度も言いますけど、わたしの場合は、その人の特性の発見に何週間もかけられないし、結果を出すまでに限られた時間しかないんです。

せっかく親切に教えてあげようと熱弁をふるってくれているのに、「でも」ばかり言っているようで、自分が嫌になった。
でも本当に、「でも」だったのだ・・・・・・



●6年目:高次脳機能障害・発達障害
Chapter 2 発達障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


小冊子

Kさんにフォローを断られたが、明日までに少しは成果を出さなくてはならない。
Kさんのストレスになるようなこともしたくない。

困り、切羽詰まったわたしは、発達障害についての小冊子を引っ張り出した。
たまたま花咲さんが、少し前にわたしと久慈先生に「読んで参考にしてください」と小冊子をくれたのだった。
同時に障害特性についての発表資料らしきものもくれた。
小冊子は発達障害について、発表資料はいろいろな障害についてだった。

発達障害についての小冊子は、マンガで事例を説明していて、読みやすかった。
それだけにサラサラッと読んでしまった。
もう一度見てみよう。

1日目の後半、Kさんがわたしに何もさせてくれなくなったので、手が空いた。
わたしはこっそり小冊子を持ってきて、何かよいヒントはないかと見てみた。
小冊子は1冊しかなく回し読みしたので、教室に置いてあったのだ。

とにかくマンガの印象は強い。
面白く読めるが、マンガが終わって見開きページで文字説明が現れると、マンガの後だけに読みにくく感じる。

まず、ある男性の話。
仕事がうまくいかず、離職してばかり。
テレビで発達障害について見ていて、自分もそうではないかと思い始める。
そして、支援センターに行き相談、病院で発達障害との診断をされた。
支援センターでの職業訓練を通して自分の得意不得意を整理、ジョブコーチ制度を活用して仕事も順調。

途中、彼を面接した職場の偉い人が言う。
「そうですか。実は我が社では障害のある方が既に数名いて、コピーや資料整理をしてもらっている。
○山さんにもそういった作業を考えていたのだが、今のお話ではデータ入力もお願いできそうだ。
データ入力でも大丈夫ですか」

○山さんの顔がパアッと明るくなり、「はい!」と感謝に溢れている。
――発達障害の人は相手の気持ちを汲み取ることが得手ではない。
どんな本でも講習でもそう言われているから、感謝ではなくてデータ入力が好きだから喜んだだけかもしれないが。

マンガの後には利用できる支援センターや制度についての説明がギッシリ、文章で書かれている。

うーん。ここはあまり、今の状況には使えそうにない。

続いて田○さん。
彼女はスーパーで働いているが、仕事を教えている先輩が困っている。
「田○さんは掃除をするよう頼んでも、通路の真ん中をモップで拭くだけ。
隅のほうは全然やってくれないんですよ。
お客さまがいてもそのままモップをかけようとするし(お客を押しのけてモップがけをしている1コマ)。
この間なんて、商品の場所を聞かれたらしどろもどろになって(とその様子がマンガで)」

彼女は、この教育係が掃除のやり方をやってみせながら教え、無事に掃除ができるようになる。
ルールも決めた。
・お客さまがいたら待つ。
・何か聞かれたら「分かる者を呼んでまいります」と言う
これで、戸惑うこともなくなった。

そのあとの○川さんは、仕事がうまくいかず、さきほどの指導係の持ち場に異動する。
まずトマトの袋詰めを教わり、調子よく作業。
「トマトは覚えたね」と、次はきゅうりの袋詰め。

これも調子よくもくもく作業しているので、指導係は「じゃあ○川さん、続けていてください。僕は売場をみてくるから」とその場を離れる。
そこへパートさんが突然やってくる。
「ちょっと、あなた。トマトがなくなりそうだから、トマトのほうをやって!」
○川さん、「え!? え!?」

とにかく始めようとしたら、
「それじゃないわよ、パックのほう!」
○川さん、パック詰めはまだ教わっていないので、「え!? え!?」
そこに救いのヒーロー、指導係が戻って来て、「どうしたんです?」

実に理解のある理想の上司が、指導係の話を聞き、
「そうか。○川さんは途中で違う作業を言いつけられるのが苦手らしい。
周りの人にも周知してもらったほうがいいね」

他にも、ずっと同じ作業では飽きてくるようだから、時間を区切ってやるようにしたり、工夫をする。
(1時間トマトの袋詰めをしたら、次は1時間ダンボール整理、次は・・・・・・という具合)

でもKさんは作業を覚えてもらっているわけではないし、1時間ごとに違うことをするわけにもいかない。

今、冷静な頭で考えれば、状況は違ってもいろいろなヒントがあることがわかるが、あのときはわからなかった。
具体的なことにばかり目が行ってしまい、スーパーじゃないし、つききりで教えることは拒否されてるし、と否定的に考えてしまっていた。

最後のほうにはまた別の、男性の○本さんが出てきた。
○本さんは朝、会社で昨日入力していたデータが見つからず、周りの人がああだこうだ言っている。
結局間違ったファイルに入力していたことが判明する。
○本さんは人に質問をするのが苦手なのだ。

質問に関しては、ルールを作ったり、周りの人もいっぺんに言わずひとつひとつ指示をするなど工夫したりして、失敗が減った。
でも今度は違うことで周りの人から不満が出た。

○本さんは人のミスを大声で指摘する。
この間も誰かのミスを見つけて、「なんとかさん、ここ間違ってましたよ! 僕はちゃんとファイルと見比べながらやっているから、ミスをしません!」
そのくせ、上司が○本さん自身のミスを注意すると、「過去のことは振り返らず前向きに頑張りましょう!」と謝りもしない。

これもルールで「人のミスを見つけても、自分の業務に支障がなければ指摘しない」などと決めることで対応。

ふうん、と思うがどう活かしていいか分からない。

今考えれば、「ルールを決めることで解決する」というのはヒントだと思うのだが、でもそれはその後他にも本を読んだりしたから思えることだ。
この小冊子を見ただけのときは、なんだかピンとこなかった。
その具体例のどこまでが個人差で、どこまでがほとんどの人が持っている特性なのか、よく分からないままに読んでいる。
その具体例から概念を抽出できずにいる。

わたしの混乱を少し収めてくれたのは、もうひとつもらった発表資料だった。

身体障害の場合の特徴や注意、聴覚障害の場合の特徴や注意、発達障害の場合の特徴や注意。
発達障害だけではないし、様々な状態を包含する身体障害に関しての説明がどうしても長くなるから、発達障害についての部分は少なかった。

でもそのおかげで、コンパクトにまとまっていた。まとまっていると簡潔で、分かりやすかった。
・途中で違うことをするのが苦手
・複数の指示を処理するのが苦手
・同時進行が苦手

「だからこうしよう!」と何か発見したわけではないが、概念が抽出できて安心した。
だけど具体的にはどうしたらいいだろう・・・・・・?



●6年目:高次脳機能障害・発達障害
Chapter 2 発達障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


Kさん

「自分で考えたいんです」

これは今までにも何度か出会った状況だ。
この状況への対応は、難しい。
――正直に正確を期すと、「わたしには」難しい。

これがPCプラクティスだったら?
――少しはやりやすい。

「どうぞご随意に?」と離れればいい。
PCプラクティスでは多くを望まれていない。
その人が自力で好きなだけ考えて、時間ばかり過ぎて、結局テキスト分全部身につかなくても、全然かまわない。
レギュラースタッフの先生方はそんなこと気にしてない。
できなくて当然と思っているし、本当の学習は専門コースに入ってからと思っている。
そこでこちらが躍起になって「素晴らしく有益な講習に!」と張り切るのも、可愛げのない話だ。

でもスキルアップ研修は違う。
求められているのは成果なのだ。
それも、直接報告することもできない相手、受講者さんの会社の人に「成果」を感じてもらわなければならない。

だからといって無理矢理なこともできない。
最後にアンケートを書いてもらうから、受講者さんにも満足してもらわないと。
それに、繊細な人は「やっぱり自分にはスキルアップ研修は向かないみたい」と来なくなってしまうことがある。
これこそ最悪の事態だ。それは絶対に避けなければ。

この状況は、もちろんPCプラクティスでも難しいものなのだ。
比較すればまだましというだけで。

声をかけずに本当に放りっぱなしにしておくと、つまずいたところから先に進めず、他の人からどんどん遅れてしまう。
どこで声をかけていくか、わたしのような反射神経に欠ける者には厄介な問題なのだ。

ましてスキルアップ研修は短期間、このときのコースはたった二日だった。
時間をかけて待っているゆとりはない。

つくづく失敗したと思った。
なんとなく声をかけてほしくなさそうに感じたのに、自制が足りなくて「自分でやりたい」と言わせてしまった。
言われていなければ、ぎりぎりのところで――「だましだまし」いけたかもしれないのに。

・・・・・・まあ、時間の問題だったかもしれないけど。
「だましだまし」で最後までいけるとは思えない。

ただ、前の記事でもチラリと書いたが、結論からすると、それでもKさんは全部やってのけたのだ。
彼女なりの不可思議な方法で、はたから見たら「やたらめったら知ってるボタンを押しまくっているだけ」に見えるやり方で、最終的にはちゃんと計算されたり、集計されたりする。
そして2日目になると、不思議なやり方をしている部分がどんどん減っていって、適切に選べるようになっていた。

わたしはこの後、Kさんがきっかけとなって、少しばかり発達障害の勉強をしたのだが、もしかしたらそれが彼女のやり方だったのかもしれない。

これは素人の推測だ。
「少し勉強した」というのは、本当に「少し」で、本を3冊くらい読み、講座に数回通っただけ。
だから専門家の意見とは違うかもしれないのだけれど――

今、振り返ってみて、わたしなりに思うのは、こんなことだ。

発達障害の人は、記憶を継続することが苦手な場合があると、本で読んだ。
(題名忘れました。)
「合計と書いてあったらここから「合計」、最高と書いてあったらここから「最大値」、平均と書いてあったらここから「平均」」と、全部覚えておいて、そこから選ぶのは難しかったのかもしれない。
そこでとりあえず、これまで使った「合計、最大値、平均」を全部使ってみて、「あ、これか」と最終的には最大値に決めた。
そういうことだったかもしれない。

または。
アスペルガーの人はシングルフォーカス思考、シングルレイヤー思考だと、本で読んだ。
(「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか?」)
これだけでは通常の心の働きがピンとこないけれど、その本では、分かりやすい具体例をあげていた。
たとえば「本がある」と思ったとき、アスペルガーの人は「本がある」――それだけ。
健常者の場合、「本がある」としか思っていないようでも、その裏側では「***というタイトルの本だ」「割と装丁のしっかりした本だ」「著者は××という人か」「××社から出ているんだな」「値段は××円なのだな」といった認識が並行して行われている。
ここからはわたしの想像だけど、だから健常者の場合、後から誰かに「***ていう本があるんだけど」と言われたら、「ああ、××社から出てる××さんの書いた本でしょう? 装丁の割に安い本だよね」と答えたりできる。

もしかしたらKさんにもこういった特性があって、「オートSUM横の▼をクリックして、最大値をクリックしましょう」と書いてあったら、言われたとおりオートSUM横の▼をクリックして、最大値をクリックした、終わり。だったのかも。
その操作をしながら、わたしたちは知らないうちに、「そうか『最高』と書いてあったら、最大値を使うんだな」「オートSUMにはいくつも関数が入っているんだな」「どれも日本語で分かりやすくなっているから、ただここをクリックして探せばいいのだな」と、いくつものレイヤーを働かせているのかもしれない。

だからKさんはどこを探したらいいかわからなくて、あれこれやってみたのかも。
でも何度かやって、自分なりの理屈で「こういうときはこれを使う」とルールづけができれば、それからはもう迷わない。

それに、「テキストを読みながら進めてください」と言っても、読んでもKさんには分かりにくいテキストだったのかも。
発達障害の人には、まず最初に全体像を示したほうが理解しやすい場合がある。これも本で読んだ。
このことに関しては、逆に「順次処理」が得意なタイプもいるそうなので、一律ではない。

つまり、最初に葉を見せて、それから枝を見せて、それから根も見せて、そして木全体を見せて「全部集まって木です」と言われても、分かりにくい。
木の全体図があって、そこに「ここは葉」「ここは枝」「ここは根」と書いてあるほうが分かりやすい。
(「ギフテッド」)
仕事の手順を教えるとき、まず最初に「なんのためにこういうことをするか?」の説明をしたほうが、覚えやすい。
(「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか?」)

テキストは自然に、健常者にとって理解しやすいようにできてしまっている。
「説明を読んで」と言われても、読んだ説明が分かりにくかったかもしれない。

「同じようにして問題をやって」と言われても、「同じように」というのが分からなかったのかもしれない。
(「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか?」には、「上司の報告書を真似して、同じように報告書を書け」と言われても、なぜか的外れなものを作ってしまう思考過程が説明されていた。)

でもKさんは、練習問題のまわりくどいような難解な言い方には、あまり翻弄されないのだ。
問題の意図するところは、何の障害もなく理解できるらしい。
使っていたテキストの問題文は分かりにくく感じる人が多くて、よくそのために間違う人がいるのに。
――発達障害の人の中には、問題の本質を捉えるのは得手という人がいるらしいが、これはそういったことなのかもしれない。
(「発達障害のいま」もしくは「ギフテッド」)

2日間しか見ていないので、彼女の持つ特性まで分からないけど、もしかしたらそういうことがあったかもしれない。

でもとにかくこの1日目は、思ったものだった。
明日までしかないから、何か方策を考えないと・・・・・・



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Chapter 2 発達障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


スキルアップ研修にて

その研修は受講者さんが少なかった。
なんとたった2人。
――でも開催される。なぜなら必要だから。

まるでお役所のような話だが、実績が必要だから。
前の年の受講者数と比べるとだいぶ少なかったので、花咲さんは少し困っていたのだ。
不景気なときは、会社も厳しくなる。仕事を休んで研修なんかに行ってほしくない。
だから受講者数が少なくても仕方ない年だってあるけれど、そんなことは知ったこっちゃないのがお役所ってものの仕組みだ。

集まった2人の人たちは、聴覚障害と発達障害のどちらも女性。
冬で年度末に近い時期にやってくる人たちは、やっぱりあまり多くない。
そういうときに来るのは、切羽詰まった理由があるからってこともある。

聴覚の女性はそうだった。
今までCADを使って仕事をする部署にいたが、一般事務的な部署に異動することになった。
そこで主に使うソフトはExcel。Excelを使えないことには話にならない。
そこで、研修のお知らせを見た会社が、渡りに舟と送り込んできたのだった。

わたしも花咲さんも、「会社の要望に応えねば!」と気を張った。

ちょっとそれにつられたところがあるかもしれないが、もう1人の発達障害のKさんに対しても、「会社に帰ったとき、研修に行かせた甲斐があったと思ってもらえるように」と気を張った。

スキルアップ研修は少人数なので、一斉授業はしない。
各自でテキストを進めてもらって、わたしはきめ細かなフォローをする。(できてるかどうか心配だが、するべく努力する。)

見ていたら、効率のよくない方法を使っていたり、練習問題になると「あれ?」と思うようなことをしていたり、2人とも気になるところがあった。
こういったところをできれば直して、会社に帰ってもらいたい。

注意深く見ていて、「あ」と思ったら声をかけるようにした。
2人しかいないので、なぜこうしたほうがいいか、こうしないほうがいいか、丁寧に説明できた。

聴覚の女性はわたしの口出しを自然に受け入れてくれて、「あ、そうか!」という楽しい雰囲気が続いた。
とにかく自力でやりたくて、あまり横から口を出されたくないという人もいるが、なぜか聴覚にはそういう人が少ない。
むしろ口出し歓迎、分からなければ向こうから呼んじゃう、という人が多い。

もう一人の女性Kさんは発達障害。
若くて――当然わたしと比べたら何歳も、いや10~15歳くらいは若い。下手をしたら20歳くらい若いかも?
大きな声ではきはき喋る人だった。

Kさんのほうも後ろから見ていると、不思議なことをしている。

「最大値を求めなさい」という問題に、一生懸命AVERAGEを入れている。
これがSUMなら納得なのだ。
オートSUMのアイコン横の▼をクリックしようとして、誤ってアイコンそのものをクリックすることはよくある。
「あ、SUMが入っちゃった」という。
でもAVERAGEというのは、明確に選ばなければ入らないものだ。
それに入った後、範囲選択をしているし、「何か違う」と思ったのか別の範囲を選択してみたり、どこかをクリックしてみたり、ボタンをもう一度クリックしてみたり、いろいろしたあげく、元に戻している。

とにかくさまざまなところで、「?」と思う操作をしている。
「テキストを読みながら進めてください」と言ってあるけれど、もしかしてテキストを読んでいないのかも? と思った箇所もある。
さっきテキストでやったはずなのに、この練習問題の解けなさを見ていると、テキストの内容を理解していないとしか思えない、という箇所もある。
問題文に対して、やり方を考えて操作するのではなく、今まで出てきたボタンをとりあえず全部クリックしてみてる? と思った箇所もある。

これはもう、相手が思いつくのを少し待つというレベルではない。
そう思って、目に余るときは介入してみた。

授業形式をとっていないので、正しいやり方を覚えてもらう機会がない。
介入しなければ最後までそのままで進んでしまう。

「これは問題に最大値と書いてあるので、このボタンから最大値をクリックしてください。
今はAVERAGEが入っています。
AVERAGEは平均の関数だから、それでうまく答えが出ないんです」

Kさんは頭の良さそうな印象だったし、たぶん大学も出ている。
それになんとなく、おせっかいを好まなそうでもあったので、説明は短めにした。

でも割と早い時期に、彼女の限界が来た。
1日目の午前中、まだ始まって2時間も経たないうちに来た。

「自分で最後まで考えてみたいんです」

うわー! 来てしまった!!

これは最後通牒だ。
「口出ししないでください」という――
これを言われてしまったら、もう何もすることはできない。

「ああ、そんなやり方をしていては答えが出ないなぁ」
「ああ、あんなにいろんなボタンを次々クリックしてるけど、覚えてないんじゃないかなぁ」
「あのまま進むと、後からどうにもならなくなるんだけどなぁ」
――と思っても、もう何も言えない。

彼女がえんえんと思いつく限りの操作を無駄に繰り出すのを、ただはがゆく見ていることしかできない。

「自分で考えたいのは分かるけど、ここはまずヒントを読んでから進めたほうがいいですよ」なんて口を出したら、Kさんはストレスがたまってキレてしまうかもしれない。
キレるというのは限界が来るという意味だ。乱暴なことは言ったりしたりしないだろうけど、Kさん自身がイライラしてしまうだろう。

結論を言うと、まあ、なんとななったのだ。

Kさんは知能の高い人だ。
だからわたしには不思議に見えるやり方でも、結果的には正しい答えにたどりつく。
2日目になるとわたしもそのことを悟ったが、1日目は「うわー」という思いだった。

時間中に花咲さんがそっと覗きに来て、「どうですか?」と言った。
「今回は人数も少ないし、内容もExcelだから問題ないですね?」
(わたしは難しい内容、VBAとかHTMLとかになると、ときどき壁に当たるけど、今回は平気でしょ、という意味だ。)
「内容の壁はないんですけど、発達の壁にぶち当たってます」

明日までしかないから、何か方策を考えないと・・・・・・



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Chapter 2 発達障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


Mさんの発表

発達障害のMさんが言った。
「10日は僕は雇用説明会に出ることになっているんですけど、その日もPCプラクティスがありますよね。どうしたらいいですか?」

うーん、それは分からないなあ。

そもそも雇用説明会が何なのかも分からない。
基本的に他の用がある人はPCプラクティスは後回しだと思うけど――
でもたまに、それは出なくていいからPCプラクティスに行ってくれ、というときもあるし――

「確認してみますね」

事務担当の満願寺さんに内線で聞いてみると、満願寺さんも確認してみるとのことだった。

結論は「雇用説明会に出てください」。

その日の講習が終わった後、満願寺さんが言った。
「今日はMさんの件ありがとうございました。
あれねえ、Mさん、発表するんですって」

――発表って何の?

「私も知らなかったんですが、雇用説明会っていうのは、障害者雇用を考えている企業さんに、障害の説明をするんだそうなんですよ」
「そうだったんですか。実習生さんたちが講習を聞くんじゃなくて、逆なんですね」
「そうなんですよ。Mさんはそこで、発達障害とはこういうものです、っていうのを発表するんですって」
「じゃあ出ないわけにはいきませんね」
「そうなんですよ」

「それは皆するもの・・・・・・じゃないですよね?
Mさんは選ばれたわけですよね」
「選ばれたんです」

Mさんは戸惑うこともなく、過度の緊張をすることもなく、聴衆の反応をあれこれ思い迷うこともなく、堂々と――と見える態度で発表を行うことだろう。
Mさんは自分でPowerPointでスライドを作って発表するそうだ。

――そう、Mさんはデキる。
PCプラクティスはいらないのじゃないかと思うときもある。

ある日、皆さんが帰った後、施錠をして帰ろうとしたら、忘れ物があった。
Mさんが座っていた席で、PowerPointのスライドを印刷したものだった。
表紙スライドには「発達障害について ~私の特性~」とタイトルが書かれていた。

――これはきっとMさんの発表資料だ!

座席表と見比べて、Mさんの席だということを確認した。
それから、念のためパラパラと中身を見てみた。

・・・・・・「念のため」と自分では思っているが、興味があったからだろうと言われると、100%否定はできないかもしれない。

でも本当にパラパラめくって確かめただけなので、どんなことが書いてあったか詳しいことは覚えていない。
実はさきほどのタイトルも、全然記憶にないので適当に考えた。

当然、障害特性が書かれていたと思う。
何が書いてあったか忘れたが、一般的に言われていることだろう。
それとも、発達障害は十人十色だから、自分に関してだったかもしれない。

ふと目に飛び込んできたのは「脳機能の問題」という言葉だった。

●脳機能の問題
●気持ちや性格の問題と誤解される

症状というか特性というか、とにかく状況が状況だけに誤解を受けやすそうだ。

空気が読めない――嫌味な性格に思えたり、馬鹿にされてるように感じたり、やる気あるの?と思われそう。
夜眠れず、昼眠い――やる気の問題に見えるし、甘えにも見えそう。
返事をしない、お礼を言わない――社会人としての常識だ。覚えなさい、実践しなさいで終わりそう。

こういう内面の問題に見えることって、つい「精神的」なことと考えてしまう。
やる気とか、性格のよしあしとか。

脳の問題では、それはどうしようもない。
「やる気がないからだ」とは言えないし、「性格なのだから矯正しなさい」とも言えない。

でも難しいだろうなぁ。
だって誤解されやすいと思うもの・・・・・・



●6年目:高次脳機能障害・発達障害
Chapter 2 発達障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


MさんとNさん

ベーシックビジネスコースだけは、他のコースの人と一緒になることなく、まとまってPCプラクティスを行う。
その人たちも本来の所属は別で、やがてはそれぞれのコースに進むのだから、「いろいろなコースが集まる」といえば集まるのだけど。

高次脳の人たちと発達の人たちは同時に来ることはなかった。

大まかに発達と言っているが、その中にはアスペルガーと診断された人もいれば自閉症の人もいた。
ただわたしたちPCプラクティス講師には、どの人がどうなのか、詳しいところは分からなかった。
そういった細かい情報は伝わってこないからだ。

覚えているのはあるときの発達のコース。

ベーシックビジネスコースの人たちは、生活面でも困難を抱えていることが多い。
だから技能習得のための専門コースに入る前に、ベーシックビジネスコースで地ならしをするのだ。
ベーシックビジネスコースの先生方は、ただ講習を見るだけではない。もっと広範囲に目を配り、導かなければならない。

ベーシックビジネスコースのPCプラクティスは、初日、先生がやってくる。
そして気をつけるべき点を教えてくれる。

普通はPCプラクティスというのは入校してすぐの人たちに行うが、ベーシックビジネスコースだけは違う。
何週間だか、ベーシックビジネスコースで学んだ後にやってくる。それが2週間なのか4週間なのか、あるいはもっと長いのか、よく知らない。
とにかく先生方が問題点を把握できるくらいの期間はある。

「今回のクラスは疲れやすいので、休憩を途中にはさんでもらったほうがいいかもしれません」
「あそこに座っている方は、本当にパソコン初心者で、もしかしたら遅れがちになるかもしれません」
「あの方は、すぐに先生を呼びます。呼んでも来ないと少しイライラしてしまうようなので、注意が必要かもしれません」
「あ、できればこの方は隣に誰もいないほうがいいのでー―人がいないほうが落ち着く方なんですよ。
席を変わってもらって、一人で座るようにできますか?」

「ダメ」という言葉はダメ、と言われたこともある。
たとえば「このセルを指定するとダメなんです。こっちでないと」というような言い方は、ダメ。
「この方は、よく質問をしてきます。で、ダメという言葉はダメなんです。気難しいっていうか、その言葉に反応しちゃうんですよ」

ダメというのは何気なく使ってしまいそうなので、緊張した。

この人たちは仲が悪い、と言われたこともある。
「あそこの男性、Mさんと、この列の真ん中のNさんは、天敵なんです」
――天敵?
「席が離れているので、大丈夫だと思うんですけど」

Mさんは話しかければ流暢に答えてくれるし、ハキハキしていて、元気がいい。
若い発達障害の人によく見かける気がするけど、屈託のない感じ。

なんといったらいいのか――
たとえば、「あなたは練習問題も早く終わるし、とても優秀ですね」と言ったとする。
すると「はい、僕は(私は)優秀なんです」と答える。
実際にそう言った人はいないけれど、そう答えそうな素直さがある。
「僕は大学も出ているので」とか「Wordは大学の論文などでも使うので、このくらいなら問題ないですね」という返事が返ってくるのだ。
それが素直に返ってくる。
謙虚さを装うために言っているのでもなく、「自分はこう見えても大学を出ているんです」というアピールでもなく、ただ素直に自然に「確かにこの程度なら、自分の能力からしたら簡単です」ということを答えている。

この人は自分をほめているけれど、もしかしたら社交辞令としてお世辞を言っているのかもしれない。
そういう暗黙のことは気づかないのが発達障害だ。
ほめてくれているけれど、謙遜して答えておこう。「いや、でもここまでですよ。もっと難しくなったらどうだか分かりません」と言っておこう。
そういう暗黙のうちの社交ルールはなかなか分からない。

Mさんはちょうどこういう人で、屈託もなく、悪びれもせず、マイペースに見える。
ハッキリ大きな声でしゃべる。
――そういえば、発達障害の若い人には、大きな声でハッキリしゃべる人をよく見かける気がする。
「よく見かける」といっても、詳しい情報をもらわずにやっているし、何千人と見ているわけではないので断言はできないが。

だがこのMさんの物言いが、Nさんは好きではない。
Nさんのほうも、発達障害かアスペルガーか自閉症だ。何かはわたしは知らされないが。

Nさんはどうやら、気になることを無視できないらしい。
Mさんが嫌いとなったら、とにかく嫌いなのである。
顔を見たら嫌でたまらなくなる。声を聞いたら嫌でたまらなくなる。
本当にたまらなくなって、泣いたり沈みこんだり嫌悪感で吐き気を催したりするほど、たまらなくなる。

しかし席は離すことができるが、声は聞こえてしまうのだ。Mさんが大きな声でハッキリ話す人だけに。

そしてMさんのほうは、Nさんにこれほど嫌われていることに気づいていない。
発達障害に関する本を読むと、「上司に叱られると自分はいじめられていると思うことがある」と書いてあったりする(詳しくは後のほうの記事で)。
上司に何度も叱られて(それは発達障害によるお互いの理解の難しさによるのだが)、それをいじめだと思うくらいなら、Nさんの嫌悪にも気づきそうなものだ。
でもこれら架空の上司は「言葉にして叱っている」。ただ嫌な顔をしているだけなら、発達障害の人は他人のことを気にしないのだ。
Nさんは声も小さくあまり話さない。直接Mさんに嫌悪感を伝えたことはない。

Mさんは誰はばかることなく、マイペースに自然体で生きている。
Nさんが一方的にMさんを嫌い、Mさんの存在につらい思いをしている。

――その状況、分かっていたとしても、わたしたちに何ができるだろう?

とりあえずその回はわたしが進行をしていたので、できるところは注意した。

この頃は、WordとExcel以外にメールの講習もしていた。
近頃ではメールも使えないと就職できないから、というので、何年か前からメールがカリキュラムに加えられていた。
ついでに職場におけるインターネット使用のルールやセキュリティなどについても、解説する。

解説はいいとして、メールを学習するには、誰かに宛ててメールを出さなければならない。
「送信の練習として、隣の席の人にメールをしてください」
「返信の練習として、届いたメールに返事をしてください」
「CCの練習として、誰でもいいので3人にメールを送ってください」

なるべく変化をもたせて、少しでも面白く進めていけるように、普通は宛先を工夫する。
いくつものコースが集まる回なら、「同じコースの人にメールを」とか「違うコースの人にメールを」と指定するとか。
「誰でもいい」と言ってしまうと、1通もメールが届かない人も出てしまうので、「隣の席の人」「前の席の人」と指定するとか。
(嫌われていてメールが届かないということではない。たまたまそのコースに所属する人が1人しかいない、など知り合いが少ない場合があるのだ。)

でもこの回はMさんとNさんが、なるべくメールをやりとりしないように指定に気を配った。

CCとBCCになると、複数の宛先が必要だし、全員同じになるようにわたしは指定している。
なるべく、誰もが何らかのメールを受け取るように、「Aさんに送信」「Bさんに送信」「CさんとDさんにCCで送信」「Eさんを宛先にし、FさんをCCにし、GさんをBCCにして送信」など順番に割り当てていく。
そのとき「メール本文は自由」とすることが多い。好きなメッセージを楽しむ人も多い。講習なんて、基本退屈なものだし。

でもこの回は本文も指定した。「CCでメールを送っています」など、当たり障りのない本文にしておけば、やむを得ずMさんとNさんの間でメールを送ることがあっても、問題が起きにくいだろう。

「誰でもいい」というのは、できるだけなしにした。
思い余ったNさんがMさんに憤りをぶつけても困るし――しないだろうけど、わたしは素人でしないかどうか分からない。危険な可能性は避けることにした。

そうなると送れる相手が少なくなるので、フォロー役をしていた五ヶ瀬先生も指定の中に入れることにした。
通常はフォローの先生宛のメールはあまりしない。でも五ヶ瀬先生はそういうことを楽しめる人だったから、気楽に「では今度は五ヶ瀬先生の席にメールを送ってください」と指定できた。

この日、講習が終わると五ヶ瀬先生が言った。
「Nさんからメールが来て、Mさんがうるさくて耐えられません、と書いてあってどうしようかと思いました」

――あらら、そんなことを?
「どうしようかと思ったんですけど、もう少しで終わるので、がまんしてください、と返事しときました」

なるほど。五ヶ瀬先生もやりますね・・・・・・



●6年目:高次脳機能障害・発達障害
Chapter 2 発達障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


発達障害の人たち

発達障害の人は、素直であると言える。
思ったままを口にしてしまうから、「え?」と驚かれる。
そこは暗黙の了解でしょう、というところが分からない。

ちょっと考え方も違うのかもしれない。
不思議な言動を目にすることがある。

あるPCプラクティスで、休憩時間にある若い女性がつかつかとやってきて、急に質問された。
「質問がありますが、よろしいでしょうか」
――このセリフは、自分で考えてしているのか、以前にどこかで教わってきたものか、分からない。
スクールで覚えたものではないと思う。まだ入ったばかりだったし。

「はい、何でしょう」
「高次脳障害の人は、覚えたことをすぐに忘れてしまうということがあるから、記憶するためには繰り返し勉強する必要があるのでしょうか」
「そういうこともありますね」

これは質問だろうか?
答えをそのまま言ってるじゃないか。
それにこのクラスはベーシックビジネスコース、高次脳と発達の人は別々にやってくるからいないだろうけど、万が一いたらどうするの?

でも悪気もないし、本当にただ聞いているだけなのかもしれない。

「ありがとうございました」

彼女ははきはきしていて、いつも髪をきちんとセットしていて、スーツのような服装だった。

そしていつも言う。
「あの、質問がありますが、よろしいでしょうか?」
「はい」
「この問題、終わりました」
「では次の問題をお持ちしますね」

「あの、質問がありますが、よろしいでしょうか?」
「はい」
「さきほどの説明をもう一度教えていただけますか」

少し驚くくらい、はきはきした話し方。颯爽とした歩き方。
どことなく「わが道を行く」という感じ。

万願寺さんがある日、言っていた。
「この間、食堂でお昼食べてたんですよ。
車椅子の子たちがいて、ここに座ろうって空いたテーブルに行って、椅子をどかしてたんですよ。
どかしてあげようか? 大丈夫ですありがとう、なんて言ってて、椅子をどかしてふと見たら、発達の子が座って食べ始めちゃってるんですよ」

それはどういうことだろう?

「単に、空いてるから座ろうってことじゃないんですかね?
でもこっちで椅子をどかしたりしてて、車椅子の子は何人かいて、明らかにそのテーブルを使おうとしてたから、車椅子の子たち、困っちゃって。
どうしたらいいんですかね?って言って――だけどもう食べ始めちゃってるしね」

万願寺さんはいつも笑顔で明るく話すので、嫌な響きはまったくない人だ。

「発達の子たちだからねぇ。悪気はなく、あ、空いてる、って座っちゃったんでしょうね。
でも車椅子の子たちはねぇ、混んでるときにお盆を膝に置いて席を探すの、大変だし。せっかくテーブルとってたのにねぇ」

「普通は見れば分かる状況だと思うんですけどね」と万願寺さんは言う。「でも発達の子だからね」
それは性格などの問題ではなく、脳機能の問題で、「席が空いている」と思ったらそのことしか目に入らない。
ああ、あそこに車椅子の人がいるな、あのテーブルに座るつもりなのかな、ということは気づかない。
あそこが空いてる → 座ろう → 座ったから食べよう。
横で車椅子の人が何かしているのは、単に気にならない。目に入らない。気づかない。

まったく悪気はない。
たいてい素直に見えて、竹を割ったように見える。
もちろん人によると思うけど、スクールには若い発達の人が多かった。だからなおさら、そう見えたのかもしれない。

わたしにとっては、最初のうち、特性がとらえにくかった。
なにしろ素人のままで働いているから・・・・・・



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Chapter 2 発達障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■



発達障害

発達障害の人たちが集まるコースに、それほど問題を感じたことはなかった。

思うにそれは、PCプラクティスが一斉授業をしていたからだろう。
発達の人は空気を読むことが得手でないと言われるが、一方的にこちらが講習し、一方的に相手は聞くだけなので、コミュニケーションは最小限だ。
また発達の人は同時に複数のことを進めるのが苦手だそうだが、授業形式だったら授業だけにシングルフォーカスしてもらえばいい。
それから、会社などでは納期に間に合うよう業務を調整することが苦手らしい。
でも授業形式なので、むしろ自分で調整されては困る。今は説明を聞く時間、今は練習問題をする時間、とこちらが管理する。

休憩時間は短く、1回しかない。
何かツッコミを入れられるほどの付き合いに発展しない。

今から思うと、発達の人に適した説明をしていなかったかも?
でも指示通りクリックしてもらえれば、操作はできる。
そうして自分で「こういうことか」と納得してくれていたのかもしれない。

問題はなかったといっても、それほど数をこなしているわけではない。
関わるようになったのは、何年も経ってからなのである。

わたしたちPCプラクティス講師が関わるようになる前から、ベーシックビジネスコースはあって、このコースの先生方がPCプラクティスを行っていたのかもしれない。
または、ベーシックビジネスコースが近年創設されたものなのかもしれない。
その辺りはよく分からない。

時代の変遷もあるから、発達障害の人たちを受け入れる率が高くなったのかもしれない。

風の噂で聞いたことがあったのだ。
「昔は肢体の人が多かったけれど、肢体はだんだん社会で働けるようになっていって、次は聴覚。
それもだいぶ進んだから、今度は発達や高次脳の人たちが社会で活躍できるように、力を入れられている」

なるほど、肢体や聴覚の実習生さんの割合は、そういう変遷をたどっているように見える。
入ったばかりの頃は、肢体と聴覚の人が多かった。
聴覚の人がとても多い時期もあった。「聴覚の人、最近多いですねぇ」と、何も知らずに言っていたものだ。
でもなんだか減ったような気がする――という時代がやってきて、発達や高次脳の人を受け入れるコースが強化された。

そしてさらにその2年後か3年後、「残った精神への支援を強化しなければ、と言われている」と聞いた。
それから少しして、精神障害者の雇用を義務づけようという動きや、指針の話を聞いた。

どこの省庁がやっているのか知らないが、やみくもに障害者支援をしているわけではないのだなぁ、と思った。

スクールでも受け入れる人数が増えたのだと思う。
だからわたしたちにも仕事が回ってきた。

ただ、本当に少しの関わりなので、よくは分からないままだった・・・・・・



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Chapter 2 発達障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


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Chapter 2 発達障害



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Chapter 2 発達障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


参考サイト

いざ記事を書こうとすると、何も知らないことに驚きます
知っていると思っていたことも、漠然とした知識だったと気づきます。

大したことは書いていないけれど、一応調べなければということが多くあります。
見かけたサイトはリンクしておこうと思います。

いつか誰かの役に立つかもしれません。
また、ちょっと見てみようと思っていただければ、一人でも理解者が増えることで当事者が暮らしやすくなるかもしれません。

――それはちょっと大きく出すぎですね。
わたし自身、仕事までしながら、なんとなくの知識しかなかったのですから、偉そうなことは言えない立場です。


高次脳機能障害情報・支援センター
http://www.rehab.go.jp/brain_fukyu/

※こちらの説明は分かりやすいと思います。
 難しい言い方をしていないので専門家でなくても読みやすく、でもページが多いので詳しく知りたい人にも対応しています。


東京都心身障害者福祉センター
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/shinsho/kojino/

埼玉県 高次脳機能障害者支援
http://www.pref.saitama.lg.jp/site/koujinou/

※このように各行政単位でも支援のページがあるようです。



日本高次脳機能障害学会
http://www.higherbrain.gr.jp/



●6年目:高次脳機能障害・発達障害
Chapter 1 高次脳機能障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


ジョブ・コーチ

PCプラクティスは、基本を学習してもらうコースだ。
全部完璧に覚えなくてもいいが、ひととおりWordとExcelの基礎を固めてもらう。

これから先、それぞれのコースでの日々はまだ長い。
それぞれのコースの必要に合わせて、今後も実習する機会はあるだろう。
だから完璧でなくてもいいのだ。

できる人にとっては退屈かもしれないが、抜けたところがないかどうかの確認や、「あ、こんな方法もあったのか」の発見、使わずにいて忘れている部分の復習をしてもらう。
できない人にとっては全部を習得しろというのは大変だろうが、ひととおりやって慣れてくれればいい。
本格的な実習に入る前に、全体を均等にならしておきたい、そういう講習だ。

高次脳機能障害のコースだったら、ゆっくり進めたり、なるべく反復練習ができるようにしたりして、工夫する。
説明の言葉も平易なほうがいいかもしれない。(そうだ、これからはそうしよう。こうしてまとめると発見があるなぁ。)

高次脳のコースでフォロー役だったら、つまずく人がたくさんいてもいいようにスタンバイしておいて、スムーズにフォローする。

たとえ覚えきれなくてもいい。
これからまだ卒業まで時間があるのだから。担当スタッフの先生方がじっくり教えてくれるだろう。

スキルアップ研修のほうは会社前提なので、ある程度希望に合わせていく。
それでも一応、指定テキストは全員にやってもらう。
いくら希望を聞くといっても、これはあくまで「こういった内容でやります」と謳っている研修なのだ。

けれど、OさんとPさんの研修を担当してみると、高次脳の人の場合はマンツーマンの研修のほうが良いように思える。

全体的なスキルアップやブラッシュアップは必要ないのだ。
今覚えても、使わなければどんどん忘れていく。
でもそれでいいじゃないか。使わない機能なら、覚えなくてもいい。
大切なことは、今やっている業務の手順を覚えること、忘れないこと、ミスしないことだ。
だから記憶障害があった場合は、無理にテキスト通りやる意味はない。

OさんやPさんがスキルアップ研修に来たのは、Excelのスキルを上げるためではない。
今現在、業務を進める上で困っていることがあって、その解決法を探しにやってきたのだ。

高次脳の人以外でも、質問をしようとやって来る人はいる。
「仕事でExcelを使ってるんですけど、苦手なところがあるんです」「こういうことをしているんですけど、もっと効率の良いやり方はないでしょうか」「テキスト外のことですけど、聞いてもいいですか? 会社で作っている表なんですけど――」
インストラクターを開始したパソコンスクールでもそういう人がいたし、スキルアップ研修でもいる。

でもこういう人たちと高次脳の人たちのケースは違うと感じる。

質問を持ってきていても、やっぱりテキストはやっておいて損はない。
いつか役に立つかもしれないし、やってみたら「あ、これ使えるな」というものがあるかもしれない。
だから「テキストもひととおりやってみてください」と言うことに抵抗はない。

高次脳の人たちの場合は、「いつか役に立つ」頃には忘れてしまっている可能性がある。
Pさんのように日頃の業務も手順書と首っ引きの場合は、「あ、これ使える」なんてところまで思いつかないかもしれない。

また、知りたいところを覚えてもらうにも、時間がかかる。
説明の意味を捉えることに時間がかかったり、操作をしているときにミスをしてしまったり、覚えるためには何度も反復しなくてはならなかったりする。
テキストをひととおりやっていたら、貴重な時間がどんどん食われてしまう。

一律の内容など捨てて、すべての時間を一人一人に合ったものだけに絞れたらどんなにいいだろう。

そしてそれは、スキルアップ研修の場合は、「会社に所属している」という条件があるから、やはり業務中心となるだろう。
実際にその人がしている業務、実際にその人が覚えられずにいる手順、実際にその人が困っていることの改善――それらを片づけることだけが重要かもしれない。

それにはマンツーマンが必要だ。

少なくともOさんとPさんには必要だった。
じっくり話を聞いて、何が問題か一緒に見極め、解決に向けて一人一人に合ったやり方を模索していく。
提案をするためにはわたしも相手の業務を把握しなくてはならない。
そのための時間もかかるし、解決策を探す時間もかかる。
Pさんには同じような問題をひたすら反復してもらったが、手順に迷ってフリーズしている時間も多いので、常に注意していて手を貸さなければならなかった。
――確かにテキストを見れば載っているけど、テキストのどこに載っていたのか忘れている。そもそもテキストに載っていたことも、言われるまで思い出せずにいる。

マンツーマンだったら、もっとよかったに違いない。
でもそうしたくても、他にも受講者さんがいるとマンツーマンにはなれない。
(誰もわたしなど必要としなくて、問題配り以外に仕事などないようなときもたまにあるけど。そういうときにたまたま来てくれれば、マンツーマンに近い形でできるけれど。)

カスタマイズ研修の形で、マンツーマンで行われているものもある。
でもわたしはそれを担当することはない。
――だから、わたしにできることは、やはり限られた中で最大限の効果を上げるにはどうしたらいいか? それを考えることだけだ。

わたしが感じたことを実践しているのが、ジョブ・コーチという仕事なのだと思う。
企業の中の障害者雇用の担当者のこともあるし、自治体が用意しているジョブ・コーチもいる。

もちろん、高次脳の人だけではない。いろいろな障害の人と、企業との仲介役をしている。

「もっとこうしていただけるとやりやすいようですよ」という仲介をするだけのケースもあれば、どのような仕事をしているか把握して一緒に業務をこなしながらサポートするケースもあるらしい。

興味はあったけれど、わたしにはジョブ・コーチになることはできなかった。
そもそも資格職ではないのだ。
企業内の担当者か、障害者の就職支援をする職に就いたことのある人向けに研修を開いて、その修了者に「ジョブ・コーチ」という名を与えている公的機関もあった。
自治体が研修を開催して、終了したら地域から派遣されるジョブ・コーチになれるものもあった。
わたしにできるのは後者だけだったが、研修期間が仕事と重なってしまって受けられないのと、「修了したら月○時間以上働けること」という基準を満たせないからだ。

それからもうひとつ。
一緒に業務を見たりしたりして、支援することになったら、わたしのスキルで業務ができるだろうか、ということ。

――わたしは未だに自信がない。
インストラクターとしては年数だけはベテランの域に達したが、仕事で使っている人の高いスキルにはかなわないと思っている。

それはともかく、この制度は高次脳の人にとってはとても役に立つものではないかと思う。

もちろん人によっていろいろだ。
同じ高次脳でも必要ない人もいるだろう。

でもPさんにはいたほうがいい。
そうしたら、クビになりそうになるなんて、避けられたかもしれないもの・・・・・・



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Chapter 1 高次脳機能障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■



Pさんのスキルアップ研修――02

印刷機能を覚えなくてはならないと言われて、その夜わたしは問題を作った。
問題そのものは多少のバリエーションはありながらも、似たようなものにした。
ページレイアウトモードで確認したり、改ページプレビューで改ページ位置を調整したり、ヘッダーやフッターを設定する。
使用するファイルは、テキストや問題集の大きな表を、さらに行を追加して作った。業務となると、テキストや問題集の表よりも大きいものを使うことが多いからだ。
印刷の問題用のファイルは少ないので、データベース機能の表が役に立った。
問題に合わせて調整は必要だった。たとえば「社員番号30(サンゼロ)番台までを1ページにして、40番台からは2ページ、60番台からは3ページに」という問題にしたなら、社員番号を調整しておかなければならない。

翌日Pさんに、「今日は問題をたくさん解いてみてください」と渡した。

たとえ前の日に2人でじっくり見た内容は忘れていたとしても、今日1問目を教わりながらも自力で解けば、2問目からは少しは解きやすくなるかもしれない。

でもPさんはなかなか手ごわく、2問目でも「ん? もしかして理屈がわかってない?」と思うところがあった。
3問目でも同じところでつまずくかと思うと、そうでもなく、違うところで迷ったり、違うことをしていたりする。
4問目もまた全然違うところでつまずくのかと思うと、今度はスムーズに行き、2問目でも3問目でも迷っていたところでまた迷っている。
5問目になる頃には、わたしはつまずく箇所よりも「今日中になんとか印刷機能を習得できるのだろうか?」ということが心配になっている。

Pさんはわたしに、業務で使っているという紙を見せてくれた。

PさんがExcelでする仕事を印刷したものだ。
それはどうやら会社の人が作ってくれたマニュアルで、吹き出しやテキストボックスで手順が書き込まれている。
「商品が届いたら、このシートに入力する」とか、「合計のセルをクリックして、D6にコピー・貼り付け」のような指示が書かれているわけだ。

Pさん曰はく、「最初はこれもとても分かりにくかったんですよ」だそうだ。

「××さん(会社の人らしい)が作ってくれたんですけど、見ても分からないところがあって、自分の分かりやすい言葉に変えたんです」

だいぶ手を加えた手順書だが、まだ今ひとつ分からなくなるところもある。
なぜ今さら分からないことが? と不思議になるけれど、きっとこういうことだ。
Pさんはこの作業を覚えてはいない。
毎回、この紙を見ながら、書かれている手順通りに進めている。
でもいつも「あれ? どういう意味だろう?」と思うところがある。
言い方によって頭に入ってこないことがあるのだ。

手順書はとてもこまかく指示が書き込まれていた。
作った人もマニュアルを作るプロではないので、たとえばテキストだののようなわけにはいかない。
詳しさが箇所によって違ったり、表現方法が箇所によって違ったりしている。
でも健常者なら問題なく分かるだろう。たぶん、Excelを初めて使うという人以外なら。

でもPさんには難しい。
わたしが何かを説明しても、それをメモするとき「これでは僕は理解できないかも」「この言い方だと僕には分からないかも」とよく言っていた。
中には、どう言っても分からなさそうだと嘆く場合もあった。

花咲さんにPさんのことを話すと、顔を曇らせていた。
「Pさん、会社を辞めさせられそうになっていた時期もあったらしいんですよ。全然飲み込めないから。やっぱり研修でもそうですか」

辞めさせられそうなほど?
――でもそれも若干うなずけるほどの、飲み込みの悪さだ。

Pさんは決して悪い印象の人ではなく、どう見てもキレそうにはない乱暴な言動のなさそうな人だった。
まじめに仕事を覚えようとしているし、人のアドバイスには従順に従うようだ。
素直に自分の障害を認め、上から目線に見えたり、虚勢を張ったりすることもなかった。

でもそれらの人格の良さを帳消しにして余りあるかもしれないくらい、業務を覚える、一人で進める、応用をきかせる、ということが難しいようだった。

高次脳だということは、大変なことだと思った。
なんとかPさんに、印刷機能を習得してもらおうと思った。
――ただ、予想より時間がかかり、用意した問題も全部は終わらなかったが。

Pさんに趣味のことを聞いた。
話の流れで、受講者さん全員に「趣味は?」という質問をしたのだ。

Pさんは言った。
「僕は、こうなる前は本屋で働いていたので、本が好きです」
「ああ、そうなんですか! どのようなジャンルがお好きなんですか?」
「前は分厚い長編小説とか好きだったんですけど、今は短編小説とかマンガを読んでます」

分厚い長編小説は、登場人物たちやストーリー展開を翌日翌々日まで覚えていられないから、読むのをやめたのだそうだ。
でも本は好きで、短編小説などは読む。
また、言語理解に障害があるので、絵がついているマンガは読みやすいという。

そうか、高次脳機能障害が、読書という趣味にまで影響しているんだ――

こんなPさんに、なんと同僚が言ったらしい。
Pさんはわたしにこう語った。
「あのー、ショートカットキーについても知りたいんです。ショートカットキーを教えてもらえますか?」
「ショートカットキーですか?」
「職場の隣の席の人が、僕はマウスを使いすぎるって言うんです。もっとキーボードだけで操作しなくてはいけないって」

ええっ!
失礼ながら、それは同僚さん、余計なことを・・・・・・

書式設定からファイルを開く・閉じる、シャットダウンまで、Ctrl+BだのCtrl+OだのWindowsキーだの、ぜーんぶ覚えていくのは、Pさんには不可能な技だ。
でも同僚の人はかなり断定的に言ったらしく、「キーボードだけで全部操作できるようにならないとダメだって、言うんです」と言う。

この「すべてをキーボードで」派は、強固なものなのだが、こういった障害のある人の場合は必ずしもショートカットキー万歳!というわけにはいかないものだ。

Pさんのように記憶障害があるなら、ボタンをひとつひとつ探していくほうがいい場合もある。
ボタンにマウスをのせると、何の操作をするボタンかヒントが現れるからだ。

何もしないわけにはいかないので、ゆっくり丁寧にいくつかのショートカットキーを説明した。
Pさんが使えそうなものをいくつかと、それ以外にもいくつか。
「あなたはこれが便利ですよ」と押し付けるのではなく、Pさんにとって必要なものを理解してもらうために、用意した。

「こういう機能もあります」と説明し、一緒にやってみる。
操作が終わったら確認する。
「今の操作はいかがでしたか?」
「自分にも覚えられるでしょうか」
「Pさん、言われるままにやみくもに覚えることはないと思いますよ。
必要なものだけ、覚えていただければいいと思うんです」

「もしお隣の席の方が、もっとショートカットキーを使用して…とおっしゃっても、きちんと説明なさるのもいいと思いますよ。
ご自分の障害についてと、自分にはショートカットキーはあまり合わないかもしれないと思うなら、それを説明なさってもいいのじゃないでしょうか?」

花咲さんにこの話をしたところ、花咲さんも言っていた。
「自分の障害を説明して、僕は記憶障害があって覚えられないから、ときちんと説明するのも、社会人としてのトレーニングだと思いますよ。
Pさんに、私から言いましょうか?」

一応、そういった内容のことを自分も言ってみた、と話した。

やっぱり、花咲さんから見てもそうですか・・・・・・



●6年目:高次脳機能障害・発達障害
Chapter 1 高次脳機能障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


Pさんのスキルアップ研修――01

Pさんは確か、スクールの卒業生だった。
――顔に記憶があった。

高次脳機能障害だった。
たぶん脳卒中によるもの。だって体の片側に麻痺があったから。
今は無事に働いていて、Excelの研修にやってきた。

スキルアップ研修というのは一斉授業ではないので、わたしはある程度希望を聞くことにしている。
最初に希望を聞くが、進めている間も随時相談しながら進める。

Pさんは最初、Excelを全般的にスキルアップしたいと言っていた。
テキストが印刷機能に進んだら、「これをやりたかったんです」と言い出した。

業務用の表を印刷する仕事があり、それがいつもうまくいかないのだそうだ。
会社の同僚には「改ページプレビューが便利だ」と言われているという。

改ページプレビューかぁ~!
それは健常者でも嫌いな人は嫌いな機能だ。(好きな人は好きだが。)
何ページにもわたる報告書を整える仕事をしたとき、わたしもうんざりした。
こうだったらこうなる、こういうときはこうなってしまう、こうするとここは良くなるが向こうが崩れる、と一筋縄ではいかない。

Pさんは記憶障害が強く出ているように見えた。
あれこれ出てくる「こうだったらこう」という状況を覚えきるのは大変そうだ。
印刷する表が常に同じ大きさの表だというなら別だが、そのつど範囲が変わるなら「必ずこの手順で行えばいい」というマニュアルを作るのも難しいだろう。

印刷機能について丁寧に説明して、仕組みを分かってもらおう。
それから知識が定着するように、何度も繰り返し問題をやってもらおう。

しかしひとつ問題がある。

印刷機能はテキストの中ではあまり重要なパートではない。
ひととおり見て「なるほどね」と思えば、それでいい。
それほど練習しなくても使える。使っているうちに「あれ?」と思うことがあれば、「ああ、こういうふうにしかならないのか」とその場で覚えて、「それならこうしよう」と方向転換すればいい。

というわけで、練習問題というものが非常に少ないのである。
「ドリル」だの「問題集」だのというものを見ても、作表や関数、シート間の計算やグラフなどと比べると、格段に数が少ない。
問題集によってはひとつもないこともある。

全部集めても3つか4つ?

その3つなり4つなりを1日の間に何回も繰り返すのは、あまり意味がない。
その表でしかできない――応用がまったくきかなくなってしまうかもしれない。
できれば「やることは同じだけれど、使う表は違う」という問題の繰り返しがいい。

――自分で作るしかないか。
今日、家に帰ってから。それで間に合うかな?

とにかく、この日は一緒に印刷機能についてじっくり確認することにした。

「Pさん、業務で印刷するのはどのような表ですか?」

人によっては「ここを教わりたい」と、業務で使っている表をUSBなどで持参する人もいる。
そのまま持ってくる人もいるし、社外に持ち出すからとあちこち伏せた表にして持ってくる人もいる。
Pさんは持ってきていないそうだ。

「大きな表ですか? 印刷する範囲は、毎回変わりますか?」

まずはPさんがどのようなことをしなければならないのか、できるだけ汲み取っておきたい。
だけど分かったことは、「とにかく毎月印刷しなければならない」ことと、「印刷をしてみると、ここがこうだあそこがこうだと言われる」こと。

なるほど。
やはり、こういった場合はこうなる、こういうときはこうなる、というのに苦労しているようだ。

勝手な想像だけど、「××の表を印刷して提出してください」と言われ、印刷する。
すると「ここがページに収まりきらなくて、2ページ目ができてしまってるよ」「適当な位置で別れてしまっているけれど、ここがちょうど区切りだから、ここで次のページになるようにしたほうが良くないかな?」などと言われる。
でもそれをどうやって直したらいいかということになると、困ってしまう。
人に教えてもらってようやくできたとしても、次回はまた違うことを注意されるからまた困ってしまう。

印刷というのは、やってみて「あれ?」と思ったら直す、というケースバイケースな編集が多いので厄介だ。

わたしはテキストの表を使って、もう一度印刷機能の章をたどりながら、ひとつひとつを説明していく。
「この青い線が、ここからここまでを印刷する、という意味の線です」
「この線は、どこまでが1ページで、どこまでが2ページか、ということを表しています。ページの分かれ目です」

「この線をドラッグしてください。――線の上にマウスをのせて、そうです、その形になったら、ドラッグです。――そうすると、ここまでが1ページとなります」
「こんなふうに青い線をドラッグすると、どこまで1ページにするか、自分で決められるんです」

それから、こうして改ページ位置を変更すると、それに合わせて拡大・縮小率が変わることがあると説明する。
ここを見てください、ほら、青線をドラッグしたら84%になりましたよね。
もっと大きいほうが見やすいからと、もしここを100%にすると、ほら、1ページに収まりきらなくなって、また青線がここに出ましたよね?

Pさんはふと言う。「これは点線ですね。さっきのはただの線だったのに」

――さっきのも最初は点線でしたよね? ドラッグすると太線に変わるんです。
自動的に出てくる線は、点線なんです。ドラッグして自分で位置を変えると、点線でなくて太い線になるんです。

Pさんは、さきほどドラッグして今は太い青線になっているところが、最初は点線でしたよね?と言われても、ピンとこないようだ。
そこでいったん改ページを削除して、「最初はこうだったんですよ。こことここは点線ですよね?」「そうですね」
「ドラッグすると――点線じゃなくなりました」「ああ、そういうことですか」

ここでPさんは少し固まる。
「どうやって書いたら分かるだろう?」

メモを取りたいが、今はなるほどと思っていることも、明日になったら忘れてしまう可能性がある。
忘れてしまった自分でも分かるように書かなければならない。

「自動的に出る線は点線、自分で動かすと実線になります」
「……それじゃ僕は分からないかもしれない。なんて書いたら分かるだろう?」
「そうですね。Excelが勝手に出す線は点線で、Pさんが決めると実線になるってことなんですけど、どういう言い方をしたら分かりやすいでしょうね?」

それからわたしは手を変え、品を替え、「こういう意味だ」というのを繰り返す。
するとPさんが、分かりやすいと思って採用してくれたり、わたしが無駄に提案しているうちに自分で思いついたりする。

ときどき「その書き方のほうが分かりにくそうだけど」と思う表現もある。
でもこればっかりはPさんがよく知っているはずだ。
スクールでもそれをずっと習っていただろうし、会社でやっていけてるということは自分の障害とうまくつきあえているということだから。

それにしても、時間がかかった。
Pさんが納得できるよう説明するのに時間がかかる。それをPさんが実際にやってみるのに時間がかかる。どういう言い方なら後から見たとき思い出せるか、考えるのに時間がかかる。それをメモして、ようやく終わり。
じゃあ、改ページの線はこれでいいですね、次は余白を調整してみますね。
そしてまたPさんが納得できるよう説明し、Pさんが実際にやってみて、メモの表現方法を検討し、メモをとる。

この間、ほとんどPさんにつききりになるので、他の人にはまったく注意を払えない。

本当は、Pさんのような人には、こういった研修よりジョブ・コーチ制度のほうが合うのかもしれない。
なんて、考えさせられた・・・・・・



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Chapter 1 高次脳機能障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


特別なスキルアップ研修――03

若いほうの聴覚の人が、今日、花咲さんに相談していた。
彼女の住んでいる地区の役所が、福祉電話の取り付けの日程を知らせてよこしたが、それが明日で、スキルアップ研修の最終日と重なってしまうのだと言う。

果たしてスクールの人間が代理として役所に電話をしてもいいものなのか?
役所的にどうというより、スクール的にどうなのか?
――ほかにどうしようもないので、花咲さんが電話していたけれど。

それにしても――

聴覚障害の人に郵送で「じゃ、この日に行きますから」と伝えるのって、返事のしようがないかも。
郵送で伝えるなら、どうやって返事をすればいいか、方法についても明記するべきかも。
だって書類を見たところ、FAX番号が書いてあるでもなし、メールアドレスが書いてあるわけでもなし。
電話番号が明記されていたって、聴覚障害があったら電話は無理だ。
返事を手紙で書けってこと? 「この日は都合が悪いです」って?
で、またその返事が手紙で、「じゃあ、いつならいいですか?」って届くの?

研修自体は、聴覚の女性たちはこの日は順調だった。
グラフに入ったからだ。
数式や絶対参照について理解するのは、視覚重視の聴覚の人は時間がかかる。
でもグラフは視覚的なものだから、分かりやすいのだ。

Oさんのほうはというと――

果たして明日までに作業管理表作りが終わるのか?
疑問だ。大いに。

Oさんはあまり教えられたくないように見える。
偉そうに見えるというわけでもないのだけれど、反発しているように見えてしまうのだ。
――本当に反発的な気持ちになっているのか、そう見えるだけなのか、分からない。

Excelの機能の説明にしろ、こうしたほうがいいのではないかという提案にしろ、言われる。
「分かってます」「大丈夫です、できます」「知ってます」

何か指摘すると言われる。
「でもこれは――なんです」「いやこれは――なんです」

そもそもの主目的、Oさんの作業管理表作りも、難航していた。
今の段階で、たいして改善されたようには見えない。
とても作り込んだ表なので、変えるとなったら抜本的な改革だ。
だけど苦労してここまでにした表だから、あまり変えたくないようだ。

なにしろ派手な表だったのを覚えている。

1回目の問い合わせが終わった案件には、黄色の塗りつぶし。
2回目の問い合わせが終わった案件には、赤色の塗りつぶし。
完了したものは文字の色が変わっていて、今お返事待ちのものは緑の塗りつぶし。
といった具合だ。

しかし日南さんにもあれこれ指示されて、少しずつ変更は加えられている。

だた業務内容を一番よく知っているOさんが、常に「いや、これはこうなんです」「ここはこうでないといけないんです」と抵抗するため、改革はなかなか進まない。
言葉は悪いが、受ける印象はまるで抵抗しているかのようなのだ。

これは高次脳の人の特性から来ているのだろうか?
――つまり、この人の努力の問題ではなく、「もっと考え方を柔軟に」とただ繰り返しても意味はないということ?

完成まで、先は長い。
しかし時間はもうまもなくタイムアップだ。

1日に2回参加中の赤目さんは、なかなかできる。
けれど、仕事を自分でできるレベルまで持って行けるかどうか分からない。

明日はロールプレイングをしてみようと思う。
実際の業務のように「これこれの表を、これと同じように作ってみて」というような。

でも、「最後に確認をする」「文字や線の間違いを見つけられるようになる」「ミスをそのままにしない」というようなことが、1日でできるものだろうか?

最終日、それまでの3日同様、バタバタだった。

そんな中、若い聴覚の女性は関数をやってみたいと希望した。
でももちろんできなかった――ただでさえ聴覚の人は、人によっては計算や関数が苦手だ。
そういう人でも何度も問題を繰り返して体験学習的に覚えると、「あ、そうか!」と理解につながるのだが、今回は時間が足りなかった。

いつもならできる人たちは勝手に進めてくれて、わたしは彼女のような人にかかりきりになれるのだが、今回は全員にかかりきりたいくらいだった。

結局、「ゆっくり進めるExcel」は、自分としてはさんざんな結果に思えた。

Oさんの管理表は、はたして改善されたかどうか微妙なところだ。
改善されたとしても、劇的な改善ではなかったと思う。

関数をやりたがった若い聴覚の女性は、何度やっても、何度説明されても、やっぱり混乱していた。
最後は悲しそうになっていた。
申し訳ない。
もっと簡単な関数の問題をひたすら用意して、やってみたらよかったかも。

中年世代の聴覚の女性は、着々と進めてくれたが、歩みは遅かった。
フリーズして無駄に考えていることもあった。
もっとフォローできたらと思う。

赤目さんはミスを自分でチェックできるようには、ならなかった。――全然。
作表はなかなかできたが、そんなことはこれまでもできていた。
わざわざここに通わされた意味はなかったかもしれない。

そもそも、このスキルアップ研修は、わたしが普通の研修としてやるべきではなかった。
誰が担当するにしろ、マンツーマンが良かった。

つまり、ジョブ・コーチの役をしなくてはならなかった。

彼の代わりに作業内容を把握し、効率的なやり方を一緒に考え、考えたらそれを会社にも提案してくれるジョブ・コーチ。
高次脳の人にはジョブ・コーチがついていたほうがいい。
毎日一緒にいなくても、定期的に面談をするだけでもいい。

肢体障害や聴覚障害以上に、ジョブ・コーチのような存在が必要そうだとつくづく思わされた・・・・・・



●6年目:高次脳機能障害・発達障害
Chapter 1 高次脳機能障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


特別なスキルアップ研修――02

2日目から、スクールの事務補助員、赤目さんがスキルアップ研修に参加。
1日に2回くらい、Excelの練習にやってくる。

赤目さんは、花咲さんや、当時のPCプラクティス担当だった宇奈月さんと同じで、学事グループの人だった。
通常のスタッフとは少し違う。――給与面や階級面でどうだったかは分からないが、障害者雇用枠で入っているのだと思う。

永続的な雇用ではない。
一般の会社で雇用されるのが最終目的で、インターンシップとでもいうか、トライアル雇用とでもいうか、そういったことで雇われている。
2年とか3年とか働ける年限は決まっていて、それを過ぎたら契約更新はない。
終了前になると就職活動をしている。

この枠は1人枠で(他の部署はまた別の枠を持っているのかもしれないが)、赤目さんが年数いっぱいいた後は、また違う人が入ってきた。
わたしはこの枠の人を何人か見たが、知的障害のある人が主に雇われていたと思う。
赤目さんはもしかしたら、知的障害だけでなく、発達障害なども併せ持っていたのかもしれない。それとも単なる人見知りだったのだろうか?

当然、この枠の人たちは即戦力を求められていない。
一般就労に至らなかった人たちが、練習のために入って来るようなイメージだと思う。――正確なところは分からないけど。

赤目さんも高度な仕事を任されるというよりは、雑用的な仕事をしていた。
重要なことは、仕事の中身ではない。(それは将来就く職場によって違うから。)
組織に属して社会人として仕事をすること、そのトレーニングを行うのが目的だ(たぶん)。

雑用的な仕事をあれこれ頼んでいるけれど、仕事がない状態で「じっと座って待っててね」というわけにはいかない。
そこで「これをやってください」とExcelで作表をする仕事などを依頼したりするのだそうだ。
しかし花咲さんの言葉を借りるなら、「ぜ~んぶ用意して、ただ入力するだけにして頼まなきゃならないから、他のスタッフの時間をとられちゃうんですよ~」ということらしい。

以前から何度か聞いたことがあった。
「PCプラクティスでExcelを習ってきてくれればいいのに」
「スキルアップ研修で基礎的な内容のときに、ちょこっと行ってもらおうかと思ってるんですよ」

――それがついに来たわけだ。

PCプラクティスはやはり実習生さんが受けるものなので、一応スタッフである赤目さんが受けるわけにはいかないと言われたらしい。
まあ、確かに、実習生さんはずっとここにいる人たちだから、「あの人、スタッフだな」と分かってしまう。
「なぜこれを受けているんだろう?」と不審がられるかもしれない。

この当時、スキルアップ研修に久慈先生も参戦し始めたところだった。
まずは簡単なものから、と言って、Excel入門の研修を担当した。
Excelを受けるのが不安な人用、あまりExcelを使ったことがない人用の内容だ。
そのときに赤目さんの話も花咲さんはしていたが、赤目さんを送り込むのは見送ったらしい。
久慈先生はスキルアップ研修を担当するのが初めてだったから、負担を考えて遠慮したのだろう。

次のわたしが担当したExcelでも見送られた。
「できる人たちが来ると、赤目さんにかまっていられないですものね」ということだと思う。

そして今回は――
「今回は『ゆっくり進めるExcel』だし! 赤目さんが参加するのにちょうどいい!」

それは分かるけど、実際には赤目さんに向けられる注意や時間は、その前の『早く進んだExcel』よりも断然少ない。
ゆっくり進めてほしいメンバーというのは、すぐにつまずくメンバーであって、あっちでもこっちでも火の手が上がっている状態だから。
そして消しても消しても火はまたつく。

いや、この状態でも、Oさんの作業管理表作りさえなければいい。
これはずっとつききりで状況を聞きながら一緒にやっていかなければならないので、マンツーマンが一番理想なのだ。

この日もまた、スキルアップ研修が終わる時間になると、ジョブ・アドバイザーの日南さんがやってきた。
「どうですかね、昨日の説明で業務の流れは全部分かりますかね?」と聞かれた。
分かるわけないですよ!――と言いたいが、さすがに言えない。

Oさんは業務フローを資料にしてくれている。
――つまり、Excelで作った図入りのフローを、印刷してくれている。

それを見ながら、日南さんが根気よく洗い出していく。

「ここいらへんの作業が、一番きみが苦手な作業なんだよな?
このあたりの作業をさ、もう少し詳しく、どんなことをするのか、隣のシートにちょっと書き出してみたらどう?」
と言っていると、内線電話。
わたしが出ると、「日南さんに**さんがいらしてると伝えてください」。

「**さんがいらしているとのことです」
「あぁ~、そうか。じゃ、Oくんさ、ここにさ、作業をもっと具体的に書いてみよう。そうしないと僕らには分からんて。・・・・・・分かる、そりゃ、分かるよ。これはこれでええんやけど、具体的な作業はさ、君が一番よく知ってるわけやから・・・・・・そう、そりゃ、分かってるて。だから、今書き出してみたら、ゆうんよ」

Oさんは「こうしてみたら?」と言われたとき、よく「でもこれはこれこれなんです」「でもそれは分かってるんです」と言って、すぐには納得してくれない。
日南さんはなんとかOさんに、もっと具体的な作業を書き出すということを納得させた。

「じゃ、ちょっと一緒に(とわたしに向かって)作っててもらえますか。――じゃ、Oくん、すぐ戻ってくるからな」

一緒に・・・・・・

そう言われては、「もう時間外です」とは言えない。
スキルアップ研修が終わってから(つまり時給が発生する時間を過ぎてから)、Oさんに隣のシートに作業内容を書き出してもらう。
できるだけ適切な質問をして、作業内容を洗い出そうと努力しながら。

日南さんが戻ってきたのは(レギュラースタッフさんたちの)終業時間近くだった。

行く前も戻ってからも、「とにかく、この管理表をもっと使いやすくして、君が混乱しないように、作業がもっとうまいこと進むようにするのが今回の目的やろ」と何度も言っていた。(何度も言うのは、Oさんが納得しない人だからなんだけど。)

――そうか。それが今回の目的なのか。

日南さんにとってみれば、他の2人の受講者さんはOさんのおまけみたいなものだ。
Oさんのこの目的を果たすための必要悪。その人たちがいないほうが当初の目的は達成されやすいが、いないと開催できないというので来てもらっている人たちだ。

だけど来た人たち、送り込んだ会社側としては、きちんと研修をしてもらって、しっかりスキルを身につけたい。
「それなりにやっておけばいい」というわけにはいかない。
だからなんだかバタバタなスキルアップ研修だった。

そんな中、赤目さんは意外とできた。
計算などのないただの表なら教えなくても作ることができた。

安心したが、それならどうしてスキルアップ研修を受けさせたいなんて言っていたのだろう?

研修終了後、花咲さんに聞いてみると――
「作業は早くて、ササーッと作っちゃうんですけど、間違いが多いんですよ。
任せておけなくて、結局スタッフが終わってから確認しなきゃいけないから、時間ばかりとられちゃって。
自分で見直して、間違っているところを発見するくらいになってくれると助かると思って」

あ、そうだったんですか?

聞いたときにはもう終わっていたので、あの練習では赤目さんが劇的に成長したとは思えない・・・・・・



●6年目:高次脳機能障害・発達障害
Chapter 1 高次脳機能障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


特別なスキルアップ研修――01

スキルアップ研修が始まった。
Excelの研修だ。

高次脳機能障害があるというOさんが来ることになっている。

Oさんは、一度にひとつの作業しかできない。
でも今の仕事は、取引先に取引先に問い合わせをし、返事が来たらまた問い合わせをし、何度もやりとりして終わるものなのだそうだ。
だから1件が終わらないうちに次の問い合わせをしなくてはならない。
いくつかの件を同時に進めるので、わけが分からなくなる。

Oさんは、わけがわからなくならないように、作業状況を記入したExcel表を作っている。
ところがこれが、完全には目的を達成できていない。
仕事をする傍ら、つけたしつけたしで作っていった表なので、それほど出来のいいものになっていないのだ。
Oさんがもっとスムーズに管理できるようにもっていきたい、という。

このような事情だったから、このスキルアップ研修は、オーダーメイド研修としてOさんが卒業した機械ビジネス課程で行いたかった。
そう、Oさんはスクールの卒業生なのである。
スクールはこうして、卒業した人のその後の面倒もある程度見る。

漠然と「相談に来ました」というのは、スタッフが時間を取るのも難しいので、このようにスキルアップ研修を利用することもある。
内容によっては面談を設定して、相談を受けたりもするらしい。

担当卒業生の職場を巡回していたジョブ・アドバイザー部の日南さんが、Oさんの苦境を見て会社やスクールと相談、セッティングした。
理想は、Oさんのことをよく知っている卒業コースの先生に頼んで、1対1のスキルアップ研修でじっくり問題解決を図ることだ。

まずOさんの仕事内容の把握、Oさんの進行上の問題点、それをどうやってOさんに分かりやすいように改善していくか――
ただExcelを勉強するというものではないので、マンツーマンが望ましい。

でもこの依頼は蹴られた。
――なぜかはもちろん、わたしなどには分からない。単純に想像するなら、誰も手が空かなかったのかも?

そこで通常のスキルアップ研修で、契約講師を使ってやることになった。
――契約講師とは、わたしたちPCプラクティス講師のような者のことだ。

ところが、契約講師を使う場合は、受講者1人というのはダメなのだ。
最初の年、まだ「契約講師によるスキルアップ研修」が始まったばかりの年は、受講者1人というのもあった。
(そしてその人が都合が悪くなってキャンセルしたため、わたしの1週間の予定も宙に浮くという事件もあった。)
やがてルールが確立してきて、外から契約で講師を呼んでくるとお金がかかるから、ある程度以上受講者がいなければダメ、ということになった。

「ある程度以上」が何人なのかは、実ははっきりしていない。
そのときの担当の上級マネジャーの意向もずいぶん関係している。
基本的ルールは「3人集まれば」だ。(もともとスキルアップ研修は少人数の研修なのだ。)
でも上級マネジャーによって、「2人だから内部のスタッフに」という人もいれば、「今回は2人でも開催しよう」という人もいる。

このときは「最低3人集まれば」ということだったので、花咲さんが急遽、企業さんに受講者募集のお知らせを送ったり、以前受けてくれた会社に「どうですか?」と聞いてみたりして、他に2人確保してきた。

計3人ということになった。

花咲さんは言った。
「これはスキルアップ研修なので、基本的なExcelの使い方をやる。練習時間になったとき、Oさんは自分の作業管理表を自分でやる。それを手伝うってことでいい、と上級マネジャーも言ってました」

でも「手伝う」の定義があいまいだ。

そのため、ジョブ・カウンセラー部の日南さんはずっと、わたしとOさんが2人で一緒に――つきっきりで――作業管理表を作成する、その間他の人は練習問題をする、と考えているようだ。

ところが、「他の人」というのは、自力で練習問題をしてくれない。
Oさんに時間をとられたり、Oさんが遅れたりすることを考慮して、「ゆっくり進めるスキルアップ研修」だと言ってある。
企業さんが送り込んできた人たちは、まさに「ゆっくり進める」のが適した人たち――つまり、平たく言えば手のかかる人たちだった。

他の2人はどちらも聴覚の女性だった。
1人は若くて、1人は中年世代。

若いほうの人は、5分と1人で進めることができない。
頭が悪いというのではなくて、覚える気がないのかもしれない。と、そう見える。
でも「気がない」というのも違うように思える。
明るくて、話好きで、そして若いので、「何これ、わかんな~い」と気軽に思う。
思ったら気軽に、「何これ、わかんな~い」とわたしを呼ぶ。

中年世代のほうの人は、今ひとつ理解できていないように見えるときがある。
でも「何これ、分からないわ」と思っても、まずは自分で考える。
考えても分からなくても、まだ考える。
まだまだ考える。
――そこまでいくと時間的にも効率が悪くなるから、どうぞ巻末の答えを見て、と言うが、見ない。

個人的には、わたしはWordやExcelなどの使い方を勉強をしているときは、答えを見てもいいと思っている。
そのときちゃんと「なるほど」とボタンの位置や手順を覚えようとするのなら。
理論や解法の手順などがあるものとも違うし、プログラミングのように考え方が重要というわけでもない。
見てしまったほうが効率よく時間を使える。

でも中年世代以降の人には、ときどきとても真面目で「絶対に答えは見ない、自分で考えることが大切よ」という人がいる。
たいていは、答えを見るのはズルに思えても、講師に指摘されるのは受け入れられる。

だからわたしはこの人からも目を離せなかった。

ちなみに若い人のほうには、巻末に答えがついていることを教えなかった。
彼女は見てやったら、たぶんいくら「ちゃんと手順を覚えながらやってね」と言っても、ただ機械的に答えの通り操作するだけだろう。
いくつ問題をやっても意味がなくなってしまう。

なのに若い人は、いちはやく解答があることを発見し、いちはやく見てやっていた。
だから答えのないプリント問題などを渡すことにした。
――すると、「何これ、わかんな~い」が発生してしまうのだが。

どうもOさんだけに時間を割くのが難しそうだ。

スキルアップ研修は、スタッフさんたちの終業時間より1時間早く終わる。
終わった頃、ジョブ・カウンセラー部の日南さんがやってきて、Oさんと「打ち合わせ」と称する話し合いをやっていた。
終業時間を過ぎてもやっている。
――わたしの終業時間(時給の出る時間)は1時間前にとっくに終わっているのだが。まだ続くのだろうか?

Oさんは言う。
「今日のところはExcelの基本操作なんですよね」
日南さんは答える。
「そうだね。明日以降、この作業管理表をゆっくり作っていけばいいよ。まずはExcelの復習をして、な」

明日もあさっても、Excelの基本操作で終わりそうですよ・・・・・・



●6年目:高次脳機能障害・発達障害
Chapter 1 高次脳機能障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


高次脳の人の性格

避けて通りたいところだけど、やっぱり避けては通れない。

「性格」というのは間違いだ。「社会的行動障害」が正しい。
でも性格の問題に見えてしまうことも否めない。

また、気難しく見えたり、自信がなさそうに見えたりするとき、それが障害なのか、それとも性格なのか見極めるのは難しいと思う。
この場合も「性格」ではない。「反応」のほうが正しそうだ。
急に記憶があやふやになったり、かつてのように思い通りに自分の能力や記憶を使えないことでつらい思いをしているのかもしれない。
そのために自信がなくなったり、逆に突っ張ったりしてしまうのかもしれない。
どこまでが障害で、どこからが反応なのか――もしかしたらすべて障害なのかもしれないし。

PCインストラクターの章でも、「この講習会ではこんなことがあった」なんて話をしたことがある。
「この講習会は皆さん初心者で――」とか「このときはパソコンを使い慣れている人が多くて――」なんて話もしたことがある。

「こんなことがあった」と語るとき、特に強い印象を残した人以外は、あまり記憶に残っていない。
なんとなく記憶に残っている人もいるけれど、20人の講習会で20人全員を覚えていることはない。

また「このときはこうで――」と言っているとき、確かにわたしの目には「ほとんどの人がこうだ」と映っているけれど、実際はそうでない人もいたはずだ。
だけどなんとなく、大多数がこうだったという印象で語っている。

こんな前置きをしているのはつまり、わたしが最初に抱いた高次脳の人たちへの印象も、そういった偏りがあるという説明だ。
すべての高次脳の人がこうだ、と決めつけるつもりはないし、後からまた違う角度からの発見もした。

偏りがあることを分かっていながら避けようとしないのは、大切なことだと思うからだ。
高次脳の人はこういうふうに誤解されることがあるということを、語らなければ分かってもらえない。
――自分の偏った見方なんてなかったことにして、最初からすごく理解のある人間だった風にしておきたい願望は、わたしにもある。
でも飾らずに正直に言っておかなくては。

わたしにとって、高次脳のクラスはデリケートな仕事だった。
何気ない言葉が引き金となって、反感をもたれてしまうかもしれない。
軽い気持ちの言動が、相手にとっては重い意味を持つかもしれない。

だからまだ高次脳のクラスの経験が浅かった頃は、注意点を頭の中にメモしていた。
(高次脳や発達のPCプラクティスは、わたしが働き始めた頃はなかったのだ。何年かしてから始まった。)

「早すぎる」と言われたときは、ずいぶん悩んだ。
実際に進行が早かったというより、「知らない単語が出てきてギブアップ」だったのだろうと思う。
「早すぎる」と言いながら、ゆっくり進めるとよくあくびをしていた。
もしかしたら、注意障害の現れなのかもしれないけれど、隠さずに大きくあくびをする人も多いので、退屈しているのかなぁ?とこちらは思う。

「自分は何でも忘れちゃって」と言う人もいるが、だからといってプライドが低いわけではないので、同調して「じゃあ工夫で補いましょうよ」なんて言っていいかどうかは人による。
これは健常者だって同じだと思うけど、やっぱり「そんなことないですよ」というのが常道だろう。
ただ、本当に忘れてしまう場合は、そうはいっても何らかの対策をする必要があるわけで――まあ、そこまでいくとレギュラースタッフなどの仕事になるから、わたしには関係ないが。
でもやっぱり、できるだけ覚えてもらいたいな、充実したPCプラクティスを過ごしてもらいたいな、という欲はある。
できる範囲、関われる範囲で、工夫していきたいと思う。
――そのときの一言一言は、普段より気を配る。

記憶障害があっても、覚えていることも多いので、言うほどできなくはない。
「なんだ、皆さん、結構できる」と思ったものだ。

でも自己流が激しくて、ときおり変なことをしている人もいる。
忘れてしまった部分を、少しズレたやり方で再記憶してしまったのかも。

だけどプライドが高い人も多いので、あまり説明を聞いてくれないこともある。
単純に指摘すると傷つけてしまうかもしれないから、気を遣う。

教えられたがらない。
でもだからってなるべく離れていると、教えてもらいたがる。
――これは「自己中心的になる」という特性の現れかもしれない。

わたしは初期の頃はそんなふうに注意していたが、やがて経験の数が増えると慣れてきた。
相手の長所も見えるようになってくるし、こちらがびくびくしなくなると相手の緊張も解けるのかもしれない。

皆さん努力家なのだ。
わたしが出会うときには、イライラしたりキレやすくなったりする一面も、影を潜めている。
病院→リハビリ→基本的な日常生活のリハビリ→就職のための実習→社会に復帰
この段階の中で、最後のほうに近いから、そういったところは努力で克服されてくるのだろう。

こちらがきちん社会人同士として接すれば、たいていの人は丁寧な対応を返してくれる。

ときどきあまりのゆっくりさや、繰り返しに、気が遠くなる気がすることはある。たまに。
それは障害だから仕方がない。

自分が難しく感じたように、高次脳の人と接するのは難しいと感じる人がいるかもしれない。
でも、皆さんいい方です――ということを言いたかった。

だけどそんなこと、ないのかもしれない。
社会はずっと大人で、高次脳の人たちはすんなり受け入れられているのかもしれない。
わたしは仕事として関わるから、どうしても結果を気にするので、あれこれ考えてしまうのだ。

心配することはないのかもしれない。
そうだといいと思う・・・・・・



●6年目:高次脳機能障害・発達障害
Chapter 1 高次脳機能障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


求められる配慮

自分たちPCプラクティス講師はパーフェクトではないし、時代によってはパーフェクトを論じるどころか、ごめんなさいと申し訳なく思うときもあった。
一番ごめんなさいと思ったのは、半分がビジネス演習コース、残り半分は他のいろいろなコースから来た人たちだった回だ。

ビジネス演習コースというのは、特別支援学級みたいなコースだと前回書いた。
「特別できない人たちのコース」という意味ではない。個々に特別な支援をして能力を最大限に伸ばそう、というコースだ。
詳しくは前の記事を見ていただきたい。

ビジネス演習コースの人たちは、普通ならベーシックビジネスコースに所属している間にPCプラクティスを受けるはずだ。
でもビジネス演習コースに入ってから来る人もいる。
もしかしたら、ベーシックビジネスコースは飛ばしてビジネス演習コースに入る、という人もいるのかもしれない。
またはいったんベーシックビジネスコースに入っても、人によってベーシックビジネスコースでの滞在期間が違うのか?

――単なる契約で来ているわたしには、分からないことだ。

能力が低いわけではない――けれど、一斉授業をしていると、いろいろなことが起こるのがビジネス演習コースの人たちだ。
たとえば、PCの起動や終了。だいたいやり方は同じだけど、バージョンや設定によって違う場合もある。
当時のPCルームは、起動や終了が他とちょっと違っていた。
これを覚えてくれなくて、毎回間違える、とか。

ベーシックビジネスコースの人たちが来るときは、高次脳の人たちはまとまってやってくるし、発達の人たちはまとまってやってくる。
だからこちらもそれに合わせて、やり方を工夫することができる。

高次脳の回だったら、毎日毎日終了の手順を全員で一緒にやるとか。
普通だったら、2日目以降は「パソコンを終了してください」で済ませるところを、「パソコンを終了します。××をクリックして、出てきたメニューの××をクリックしてください。説明モニターの電源については云々をしてください」というように順を追って一緒にやっていく。
通常は、こんなことしていたら勝手に皆さんさっさと切ってしまうから、むしろやらないほうがいい。

だけど今回は、両方混じっている!

起動と終了は毎回混乱が起こった。
この当時、PCルームのパソコンはかなり特殊な使い方をしていた。
特に終了は、間違ってしまうと厄介だった。

きっと「じゃあ、終了しましょう。ここをクリックして~、ここをクリックして~」とやっていけば、できない人はぐんと減ったろう。
でも無理だ。

練習問題をしていて、「時間になったから終わりにします」というのが多いからだ。
混乱が起きることを考慮して、8分前くらいになったら「そろそろ時間です。作業をやめて、保存して終了していきましょう」と言う。
一応、少し待ってから「終了は、ここをクリックして、こうですよ」というのも言ってみる。

でもビジネス演習コースの人は、こだわりのある人がこのとき多くて、「まだ終わっていない」とやめてくれないのだ。
「明日以降もまた、練習はできるから」「続きは明日またできるから」と言っても、やめない。
ビジネス演習コースの人たちは、逆にこちらの意図を分かっているから、やめない。
「どうせ遅い人がいるからって早めに言ってるんだ。チャイムが鳴るまで教室から出ていけるわけじゃないんだから、まだ3分やれるな」とか思っているのだろう。

そしてあちこちで、「そろそろやめるか」とてんでんばらばらな時間に終了作業。

これが仕事に慣れている人だったら――フォローしているのが、わたしか美和先生か久慈先生だったら、ヤバイ人を教室の後方から見張っている。
その人が終了作業に入ろうとしたら、すかさず近寄って、違うところにマウスが動いたら、「あ、××さん、そちらではなくこちらです」と笑顔で言う。
ヤバイ人は一人ではないから、あっちこっち見回る。2、3日すれば誰がどのくらいヤバイか分かるから、少しヤバイ人には「こちらですよ」とだけ言って離れてしまい、かなりヤバイ人のところに行く。
確実にヤバイ人のところには、他の人がまだ「じゃあ、あとこれだけ」とやっているうちに近寄って、「××さん、終わりました? では終了してしまいましょうか」と先に片づけてしまう。

言い方は悪く聞こえるかもしれないけれど、やはりこれは仕事である。
すべてがスムーズにいくように、手順よく片づけていくことは、大切なのだ。

ビジネス演習コースの人たちの名誉のために言っておくと、この時期の終了手順は厄介で、他のコースの人もよく間違えていた。
それでもさすがに後半に入ると間違えなくなる。
ビジネス演習コースの中で、一人だけ、最後の最後まで間違えていた人がいたが。

このような回に、PCインストラクターとしてはほとんど経験がない作並先生だったので、大変だったという印象が残っている。

見張っていてもくれない。
その上ヤバイ人はあっちにもこっちにもいた。
終了作業をするという、ほんの数分の間に、高度なフォローテクニックが要求されたのだ――

いつもバタバタだった。

他にもいろいろなことがあった。

プリント問題は、表やグラフがあって、ただ「同じように作りましょう」という問題もある。
「これこれのファイル名で保存」と問題文がついているわけでもなく、自分で任意につける。
(のちにすべての問題に保存の指示をつけたが、このときはなかった。)

「プリント問題を保存するときは、ご自分が分かりやすい任意の名前を付けてください」と伝える。
すると普通は、次も同じように自分で適当につけてくれる。

でも毎回聞いてくる人がいた。
「何の名前で保存するんですか?」

だから毎回言わなければならなかった。
「では、これから30分練習問題の時間にします。
プリント問題を保存するときは、ご自分が分かりやすい任意の名前を付けてください」

その人は、自分がどこまで問題をしたかも把握していない。

新しいプリント問題を配る前に、「昨日までにやっていた問題で、終わっていないものはありますか?」と聞いてみる。
完成していないのに次の問題をするのは、なんだか居心地がよくないという人もいるからだ。
終わっていないものがあったら、それからやってもらうときもあるし、「それを完成させますか? それとも新しい問題に進みますか?」と聞くときもある。
プリントの重要度や、その回の全体の流れにもよる。その人のペースにもよる。

「××さん、昨日までにやっていた問題で、終わっていないものはありますか?」
「分からない。どれが終わっていない問題ですか?」

そんなこと、見てないもの、わたしは知らん。
――そうも言えないから、「では確認してみましょうか」と言う。

普通は自分でファイルを開いてもらって、「これは終わっていますね」「これは途中みたいですね」と一緒に確認していくのだが、この人はマウスを指して「どうぞ、あなたが」というふうにする。
それでわたしがフォルダから、それらしい名前のファイルを開いて、これは終わってますね、まだですね、と見る。

つまずくことも多くて、よく「これは必ず選択してからです」などとお伝えした。
でも絶対にまた同じことをする。
3分後には同じ間違いをしている。

記憶障害があったのだろうと思う。
プライドも高く、それが若干自己中心的にも見えた。
つまり、それもこれも高次脳の障害特性だったのだと思う。

また別な女性で、とてもテンションが高く、元気な人がいた。
この人は、上がりすぎて急速に失速した。
でも失速したのが終了2日前くらいだったので、まだ良かった。
早い段階で失速したら、途中から来なくなってしまったかもしれない。
PCプラクティスが終わったら、ビジネス演習コースの先生がケアしてくださるだろう。

いろいろなことがあると疲れてくるけど、10日間も一緒にいると親しみがわいてくる。
もうときおり廊下ですれ違うだけだと思うと、さびしい気持になる・・・・・・



●6年目:高次脳機能障害・発達障害
Chapter 1 高次脳機能障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


体の記憶

高次脳クラスのPCプラクティスは、人数が少ないことも多かった。
いっぱい集まっていることもあったけれど。

あるとき、またしても人数が少なくて(2人!)、マンツーマンで行ったことがあった。
いやわたしも、他の先生が進行をしてくださるならやってもらっていい。
きっとフォロー役は暇で気楽に違いない。

でも最初の数日一緒にやる美和先生は、都合が悪くて途中からお休み。
久慈先生と交代することになっている。
どうしてもそのときは、わたしが進行することになるだろう。
――メインが休むときは、事情を分かっているサブが進行したほうがいいからだ。
昨日までメインがどんなふうに進めていたかも分かっているから、そのほうがやりやすい。

でもわたしはたった二人を相手に一斉授業するより、マンツーマンのほうが良かった。
受講する人も自分のペースで進められるからいいと思う。
そこで美和先生にもそう伝え、最初からマンツーマンで進めることにした。

美和先生が担当する人には、途中から講師が交代することをあらかじめ告げておく。

わたしが担当した人は、高次脳機能障害の特性である記憶障害が顕著だった。
ご自分でも「僕は前のを忘れちゃう」「今何をしようとしていたか、忘れちゃう」と言っていた。

「Excelのデータには数値と文字列があります。データは必ずどちらかに分けられるんです」云々。
「このセルに缶コーヒーと入力してください。――左揃えになりましたよね。左揃えなので、このデータは文字列です」云々。
「では、続いて、テキストと同じように項目名を入力してください」

「はい」とその人は入力を始める。
炭酸飲料、ジュース、・・・・・・シーン・・・・・・あれ? 今自分は何をしようとしていたのだっけ?

こんなことは健常者でもあるけれど、より頻繁で、特別な理由がなくてもいつでも起こり得るのが高次脳なんだと思う。
健常者だったら、「ぼんやりしてました?」「何か考えごとがあるんですか?」「窓の外に気を引くものがありました?」と言うところだが、高次脳の人たちにこんなことを言うのはきっと酷だ。

いやぁ――どうしてかなぁ?
と、きっと困ってしまうだろう。

ご当人は集中しようとしているのに、あるいは集中しているのに、ふと「あれ?」が起こる。

次の日練習問題をしてもらうと、前の日のことは忘れていることがある。
全部すっかり忘れているのではなく、記憶の虫食い状態というか、覚えていたりいなかったり。

忘れちゃうなんてことは健常者でもあるけれど、高次脳の人は「たまにある」のではなく、頻繁にある。何回でも忘れる。
だからビジネス演習コースなどは、同じテキストを何回でもやる。同じ問題集を何回でもやる。
違うテキストを使って同じ内容をやったりして、何度も同じ内容を反復する。

それにしても今回の人は、忘れてしまう度合いが大きい。
今日はちょっとややこしい操作が多くて、高次脳でない人たちもつっかかることが多い箇所。
大丈夫かなぁ?

「それでは、今度はこのシート間で集計するというのをやっていきますね」
とそこで、次の単語を言わないうちに、彼のマウスは正しい場所へ!

え、知ってる?
というか、まだどこに集計するとか言ってないんだけど。

わたしが一瞬フリーズしてしまったので、「違ってますか?」と彼が聞いてきた。
「いいえ、合ってます。覚えていらしたんですね、そこをクリックしてください」

一応最後まで操作をして、どうだったか聞いてみたら、あまり分かったようではなかった。
「今、このシートからこのシートまでのB5の数値を、足し算したんです」
――? という顔。

体が記憶してしまっているんだ!

だって、わたしは何をどうすると言っていなかったのに、あのページになったらスッとマウスが動いた。
考えてした行動ではないようだった。

反復練習によって、身についてしまったのだ、きっと!

でも残念ながら、このファイルのこの問題に関してだけの知識だから、応用がきかない。
就職して、仕事用のファイルを前に、「このシートとこのシートの数値を合計して――」という判断や操作はできそうもない。

なるほど、こういうことを避けるために、違うテキストを使うのだ。
同じテキストを反復するのではなく、同じような基礎的な内容だけど、違う出版社のテキストを使う。
そこでは、紹介されている機能は同じでも、シート名も違うし、合計するセル番地も違う。出ているページ数も違うし、説明や問題の表現の仕方も違う。

理屈を理解する前に、ただ機械的に反応するようになってしまう。
それは避けなければならない。

――でもこの人は身についてしまっているようだけど。

なるほど、そういうわけで、ビジネス演習コースには、やたらいろいろな種類のテキストが並んでいるわけか。

その後も同じことが2回か3回あった。
何をするか言わなくても、「このページではこの操作のあとにこのボタン」というのを体が覚えているらしい。
高次脳の人には繰り返しが必要だ。
でも繰り返す内容については、考えたほうがいいらしい。

またひとつ、経験の幅が広がった。
思いもよらないことに出くわすものだと思った・・・・・・



●6年目:高次脳機能障害・発達障害
Chapter 1 高次脳機能障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


求められる配慮?

それは人数の少ないPCプラクティスだった。たった5人。
ベーシックビジネスコース、高次脳の人たちだった。
人数が少ないから、PCインストラクターとしてはまったく慣れていない作並先生と一緒でも、たぶん問題ないと思った。

「WordやExcelを初めて使うという方は?」という問いに、手が挙がった人は2人。

初めての人が2人――ゆっくり進めないといけないだろう。特にフォロー役が作並先生だし。
でもあまりゆっくりやると、他の人は退屈だろうか?

――いや、大丈夫。
始めてみたら、他の人もそんなに「できてできて困る」というほどではなかった。
逆に「初めて」と言っていた人たちも、パソコンの扱いや入力には慣れているようで、問題ない。
パソコン初心者とWord・Excel初心者は違うのだ。

2日目、3日目と進むうちに、1人はかなりできると判明した。
どうも退屈していそうで、知らないことはないという風情だったので、休憩時間に聞いてみたのだ。
検定試験も受験済みで、合格している。

すごく上の級を受験したわけではないそうだが、PCプラクティスでやっている内容は基礎なので、もう学習済み。
退屈している人に、基礎ではあっても少し面白い問題など、適切なプリントを適切なときに渡すことは、作並先生には望めない。
わたしは前にいて、進行しているから、当然できない。

そこで臨機応変にすることにした。
たぶん、この回はこの先もずっとゆっくりペースで進んで行く。
初めての人も2人いるし、もう2人も基礎の復習をするのも良さそうだと思われる。
このようなフォローが必要になりそうな回では、作並先生の登場を願う場面をなるべく少なくしたい。
ご自身の分野では有能でも、PCインストラクターとしては頼りにならないと痛感していたからだ。(しかもご自身の分野で名を成しているため、わたしが指示しにくいという事情がある。)
そのゆっくりペースに、この方をただじっと「待て」の姿勢で待ってもらうのは、申し訳ない。

「PowerPointなども使ったことがおありですか?」
「いや、PowerPointはないですね」
「そうですか」

この教室には、たまたまそのとき、スキルアップ研修用のPowerPointテキストが1冊あった!

「では、PowerPointをご自身で進めてみますか?」
「ああ、それはやってみたいですね。PowerPointは使ったことがないので」

本当は、勝手にやってもらってしまうのは良くないかもしれない。
後から専門コースで「PowerPointをやりましょう」と言われたとき、「もう知ってます」となってしまってスタッフさんに迷惑をかけるかもしれないからだ。
――そのときは、わたしもまだ青かったので、情熱が先に立ったのだ。
有意義な時間を過ごしてほしいという情熱が。

たぶん今なら、もっと考えるだろう。
この人のコースのスタッフさんたちは、あまり細かく気にしていないようだから、やってもらってもいいな、とか。
この人のコースはビジネス演習コースで、何をどこまで覚えているか常にチェックされているし、実習生さんの管理が厳しいから下手なことはしないほうがいいな、とか。

「これとこれは資格試験には出てこないので、やったことがない」というので、「ではWordは第×章と×章は、ご一緒にやってください。Excelは第×章になったら、一緒にやりましょう」と伝えた。

できる人の退屈問題については、これで対応した。

他の人たちは、初めての人もいるから、なるべく反復するようにしていこう。
毎回、始める前に「昨日の内容を簡単に復習してみますね」という時間を設けた。
ひととおりステップが終わったら、「まとめます」と言って、もう一度そのステップ全体をまとめた説明をした。
復習するときは、全員で一緒に問題を解いてみるというのもやった。
作並先生に練習問題のフォローをお願いするのは難しいと感じていたので、問題を解く手順のサンプルとしていったん全員でやる。
それから各自の練習に進んでもらうようにした。

我ながらとても満足だった。

皆さん、問題なくついてきている。
進み具合も予定通り。これならちょうどよくテキストを終えることができるだろう。適度な練習もはさみつつ。

うまくいってるんじゃない!?

しかし、悪くないと思っていた回なのに、最後の最後でどんでん返しがあった。
「ついていけない」とコースの先生に訴えた人がいたらしい。

「今日は出席してみて。だめそうだったら帰って来ていいから」と言われているそうだ。

わたし、スタッフの先生方にどう思われただろう?
初めての人がいるのにやたら早く進めている、と思われているのだろうか?

――なんてことだ。
レギュラースタッフやテンポラリースタッフの先生に言う前に、直接言ってほしかった。

もしかしたら「も~大変ですぅ~、分からなくてついていけな~い」程度の軽い発言だったかもしれない。
そういうところのある人だったから。よく「もう、大変です~」と言っていた。
もっと休憩時間などに不満がないか探ってみたり、疑問点がないか作並先生任せにしないで自分でまめに聞いてみるべきだったか?
わたしの落ち度かとがっくりした。

納得いかないのは、できていることだ。
全然遅れてなどいないし、ちゃんと一緒にやっている。
むしろ、他につまずいている人がいるくらい。
この訴えた人は何一つ問題なく見えた。

ずーっとずーっと何年も経って、わたしが出会った人の中に「できない」と連発する人がいた。
「もうダメです。これ以上ついていけません」「自分はホント、苦手なんです」

引率してきたベーシックビジネスコースの先生が、こっそり教えてくれた。
「彼はネガティブな発言が多いんです。よくできない、ダメだって言っているんです」

彼はできないことなどなかった。
すごくできるとも言えなかったが、普通レベルだった。
一緒にやっていれば問題なくついてこられるし、練習問題でつまずいても教われば覚えられる。
「僕、この程度は全部もう知ってるんで」と言っていた人のほうが、「あれ?」と思うことが何度もあった。

引率の先生が2日目、様子を見に来たとき、ネガティブな彼はその先生に訴えた。
「もうついていけません。もうダメです。吐き気がしてくるくらいつらいです」
引率の先生は、穏やかな口調のまま、言った。
「どうしてもダメだったら、戻ってもいいですよ。そうしたらベーシックビジネスコースで同じ内容をやりますから」
「ダメです、もうダメです」
「じゃあ、戻りますか? もし戻ったほうがよければ、今からすぐ戻ってもいいですよ」
「戻ったらどうするんですか?」
「ベーシックビジネスコースで、もっと××さんに合った問題を用意して、同じ内容をもっと分かりやすく――分かりやすくっていうのは変な言い方だけれど、××さんに合ったやり方でやりますよ」
「でもどうせ、やらなきゃならないんですよね。いいです、やります」
「大丈夫ですか? 無理しなくてもいいんですよ。戻りたいなら戻っても」
「いいです、やります。どうせやらなきゃならないんだし」
「じゃあ、ダメだと思ったら言ってくださいね。すぐに戻れるようにしますから」

でもそれきり「ダメです」「もうついていけません」は言っても、「戻りたいです」とは言わなくなった。

不安な気持ちを口に出すという症状がある人だったのかも。
そういう特性がもしかしたら出ることがあるのかもしれない。
――ないかもしれないけど。

ベーシックビジネスコースの先生は慣れている。
だから無理に押さない。
「そう。ダメなら戻ってきていいですよ」と受け入れる。

あのときもそうだったのかもしれない、と今なら思う。

でもそんなこと知らなかったわたしは、とてもショックを受けたのだった。
実習生さんや受講者さんのちょっとした一言に、結構悩んだり傷ついたりしているものなんですよ、わたしは小心者だから・・・・・・


●6年目:高次脳機能障害・発達障害
Chapter 1 高次脳機能障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■



ビジネス演習コース

PCプラクティスを受け持つわたしたち講師も、パーフェクトではない。
時代によっては、パーフェクトどころか、ごめんなさいというときもある。

一番ごめんなさいと思った時期は、あまりインストラクターをしたことがない人と組んでいたときだ。
特にその時期でも、ビジネス演習コースの人が半分くらいで、その他はいろいろなコースから来ていた回が申し訳なかった。

今日はまず、ビジネス演習コースについて語っておこう。

ビジネス演習コースというのは、ちょっと特別なコースなのだ。
一般事務や経理などの総合ビジネス課程の中の1コースだ。だが、ベーシックビジネスコースの延長線上にある。

ベーシックビジネスコースは、高次脳や発達の人がプレスクール的に一定期間所属するところだ。
高次脳の人たちの記憶障害や注意障害、社会的行動障害の度合いを測り、どうしたらうまくいくか方法を模索していく。
そして軌道に乗ったら、専門のコースに進んでいく。
発達の人たちの社会生活を送る上での個々人の問題点を把握する。そして解消するべく道筋をつける。
軌道に乗ったら、専門のコースに進んでいく。

とはいえ、やはり特別に支援が必要な状況も多い。
専門コースに入って、皆で一緒に実習を受けたり、与えられた課題を個人で進めたりするのが合わないことがある。
持っている能力が高くても、その人に合った支援がないと伸びないときがある。
そういう判断がなされたときは、その人はいろいろな専門コースに分かれて行くのではなく、ビジネス演習コースにスライドする。

ここは義務教育における特別支援学級のようなところである。
――能力が低いと言っているわけではありません、念のため。ある本などでは、天才児への特別支援教育も必要だと語っていたくらい。特別支援とは、「一律でない、各個人の状態に合わせた特別な支援をしたほうがよい」ということであって、「特別できない人への支援」という意味ではない。

だからビジネス演習コースの先生は、大変かもしれない。

たとえばAさんは、発達障害である。
だいたい何でもよくできる。ただ、脳機能の特性上、ある一定のことが苦手だ。
たとえば「何が必要か自分で考えて、必要と思われることをしなさい」というようなことが苦手。
言われている状況が理解できなかったり、何に注目して考えればいいか分からなかったりするからだ。
だけど指示の仕方さえきちんとしていれば、彼は何でもよくできる。
だから、WordやExcelだけではもったいない。PowerPointもAccessも勉強してもらおう。
でもPowerPointを駆使して「インパクトあるプレゼンをしよう!」みたいな実習は省こう。

そしてAさんは非常に高度な内容を学習する。
ビジネス演習コースの先生は、Aさんがつまずいていたらフォローしなければならないから、自分も高度な知識を持っている必要がある。
レギュラーであれ、テンポラリーであれ、アシスタントテンポラリーであれ――。

Bさんも学習の理解は高い。
彼の問題点は学習能力ではないのだ。
生活習慣だ。遅刻が多かったり、休憩に行くと時間までに戻らなかったりする。
具合が悪いからとナースルームに行き、横になったら爆睡。ひどい寝不足だっただけらしい。なんてこともある。
これは就職までになんとかしなければならない問題だ。
就職した後も、自分で管理できるように道筋もつけてあげたい。
こういったことをそれぞれのコースでそれぞれの先生が、行き当たりばったりに対応するのはよろしくない。
そこでビジネス演習コースに入ってきた。

Bさんは「実習に関しては、他の人と一緒でもやれる」と判断され、他のコースの人と同じ実習に出席するようカリキュラムが組まれる。
スクールは大学みたいな授業形式をしている。
Bさんには「あなたはこの週はこの教室で、1時限目と2時限目、簿記の基礎を学んで来て。3時限目はこの教室でVBAを勉強して」というカリキュラムが渡される。
他のコースからやってきた人たちと一緒に受ける。
学習をする分にはBさんにはそれほど支援はいらない。

でも担当の先生が、毎朝Bさんとミーティング。
「今日もちゃんと時間通り来ましたね。昨夜はよふかしせずに寝ましたか? そうですか。いいことですね。この調子で頑張りましょう」

Cさんは高次脳機能障害で、記憶障害が強く出ている。
PCプラクティスで皆で一斉に講習を受けていたときも、人一倍操作は遅れがちだった。
「ここをクリックしてください」と一緒にやっているうちはいいが、翌日「練習問題をしましょう」と言うと、昨日やったことをすっかり忘れている。

それでも就職を考えたら、なんとかして身につけなければならない技能がある。
Cさんには一冊のテキストが渡される。
PCプラクティスで使っているような基礎的な内容のテキストだが、出版社が違う。
Cさんは自分でそのテキストを学習する。分からないところは先生を呼びながら。
終わると、また別の基礎的なテキストが渡される。
それも終わると、PCプラクティスで使っていたテキストが、また渡される。
次は2番目に渡されたテキスト、次は3番目に渡されたテキストが、また渡される。

覚えられないなら、反復するしかないのだ。覚えるまで。

練習問題もする。
問題集を一冊、ずっと解いていく。
終わると違う問題集を渡される。
それが終わると最初の問題集が渡されて、それも終わると2番目の問題集がまた渡されて――

反復するのだ。覚えるまで。

Cさんの状態を見て、できると判断されればPowerPointも同じようにしてテキストが渡される。
しかし難しいということなら、世の中でもっともよく使われるExcelに的を絞って学習するカリキュラムが組まれる。

Dさんは目標があったほうが頑張れる。
資格試験を受けてみてはどうかと勧められる。

Eさんはプレッシャーに弱い。
資格試験よりも実務能力をつけましょう、と説得される。
不合格になったら落ち込んでしまって、その後の実習にも支障をきたすかもしれないし。

Fさんは・・・・・・
Gさんは・・・・・・
Hさんは・・・・・・

ビジネス演習コースは個人個人に合わせて支援をするコースなのだ。

多少の個々の配慮はどんなコースだって、このスクール以外の普通のパソコン教室だって、やっていることだろう。
でもビジネス演習コースは、その何倍も配慮をするのだ。

そうして実習生さんたちは、能力を最大限に開花させる。

――もちろん理想通りにいかないことは多いだろう。
なんだって理想通りにはいかないものだから。

だけど、理想としては、これがビジネス演習コースである・・・・・・



●6年目:高次脳機能障害・発達障害
Chapter 1 高次脳機能障害



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■まえがきにかえて(おことわり)■


一筋縄では・・・・・・

一筋縄ではいかないときもある。
・・・・・・いや、わたしなど知らないことだらけで、しょっちゅうか。

高次脳のクラスだった。
どうしても必要というわけではないが、できれば休憩は多めのほうがいいと聞いた。
スクールの講習は1回が1時間半続く。10分休憩をはさんで、また1時間半。するとお昼になり終了。
1回が長いのである。
だから高次脳や発達のクラスでは、ときどき「間に休憩を入れてください」と担当の先生から指示されることがあった。

このときは、「絶対とはいわないが、もしかしたらあったほうがいいかもしれない」という話だった。
「だいたいの人は大丈夫だと思うけれど、途中に休憩があったほうがいいかもしれない人も何人かいる」

わたしは考えてみた。
本当は40分や45分で休憩を入れるのは、細切れになってしまい、やりやすいものではない。
だいたいの人が大丈夫というなら、できれば続けたい。

でもずっと説明を聞いて、のろのろと一緒に操作をしていくというのは退屈するし、疲れるものだ。
やったことのない内容なら、緊張していて退屈する暇もないかもしれないが、PCプラクティスはWordとExcelで、しかも基礎だ。

ではこうしよう。
できるだけ、間に練習の時間がくるようにする。
わたしもベテランなので、そのくらいの調整はできる。
たとえば45分――もしかしたら前後して40分や50分になるかもしれないが、そのときに「ここで練習時間をとります」と言う。
「30分、練習時間にしますので、これこれの問題を進めてください。休憩を入れたい方は、5分程度休憩を入れてから始めてください」

自分で表を作ったり計算をしたりするのは、それほどうんざりしない。
だからそのまま練習を始める人もいた。
集中が続かないとか、眠くなるという人は、教室を出て廊下を歩いたり、ペットボトル飲料を廊下で飲んだりしてから戻ってきた。

これなら時間に無駄がない。
必要ない人はたくさん続けられる。

細かい話だけど、休憩というのは時間がかかるものなのだ。
休憩そのものは5分、10分と決まっていたとしても、その前後に時間をとられる。

あと2分で休憩になるというとき、6分かかる一連の操作を始めるわけにはいかない。
だから多少早くても終わりにする。
間に入れる休憩は、確かにこちらが任意に決められるものではあるが、「では9時43分から48分まで、5分間休憩をとってください」とは普通言わない。
そのとき9時43分なら、「9時50分まで休憩をとってください」となる。

もし1つのファイルを作成途中に休憩が入るなら、休憩時間に未保存で誤ってファイルを閉じたりすることのないよう、名前を付けて保存したりする。
休憩の数が多いということは、「ではここまでを保存しておきましょう。ファイルをクリックしてください。名前を付けて保存をクリックしてください。――云々」という手順を踏む数も多いということだ。
無駄な時間が多くなってしまう。

開始も同様で、休憩後、全員が席に着いたかどうか確認して、「それでは始めましょう」などとやっているとこれまた時間がかかる。
「さきほどはどこどこまで進みました、これこれこうでした」なんてことを言うときもある。
2、3分の話――多くても5分くらいだろうけれど、毎日それが余分に2回ずつあり、それが10日あると思うと、時間がもったいない気がする。

まあ、わたしも当時は今よりも熱心だったというか、変に力が入っていたところがあったのだ。

でも上手に練習時間をはさんで調節する方法は悪くなかった。と思う。

ただひとつ、問題点があった。
初回はうまく練習をはさめないのだ。

ある程度講習が進まないと練習はできない。
たとえばExcelなら、入力して、その数値をもとに計算をして、罫線をつけて、項目名を塗りつぶしたりして、フォントサイズやらを変更して、基本的な表作成についてひととおり終わる。――その後ならいくつでも練習をすることができる。
罫線をつけたところで、「罫線をつける練習を20分してください」というわけにはいかない。

2日目以降になると、調整の幅がぐんと広がる。
長い章なら、10分休憩の20分前から始めて、途中で休憩がくるようにする。休憩後は続きを40分くらいしてその章は終わり。「どうぞ練習問題を。休憩したい人はその前に5分休憩を」とここでまたブレイクタイム。
そういうこともできる。

ただとにかく初日はダメなのだ。うまく調整できない。
わたしは「この計画を実行するのは2日目以降」と思っていた。

たぶん初日は「長いなぁ。疲れるなぁ」と思った人が何人もいただろう。

2日目の朝、時間になって皆さんが集まってきた。
すると一人が席に着かず、前にやってきて、ホワイトボードの前に立った。

――?

その人はボード用のペンを手にとって、図を書き始めた。
横長の長方形を書き、時間数を書く。どうやら講習時間の図のようだ。

「提案をします。注目してください。
授業は9時から10時半まで1時間半、10時40分から12時10分まで1時間半です。
そこで、9時40分から9時50分まで10分間、11時20分から11時半まで10分間の休憩を入れます。
このようにするといいと思います」

この人はわたしに言っているのではなく、あくまでも受講している仲間に向けて言っている。

「もっといいご意見があれば伺いたいと思いますが、いかがですか?」

なんとかしてわたしが話を引き取らなければ――
「ありがとうございます。確かに1時間半は長いかもしれません。
ですが、昨日は初日でできませんでしたけど、今日からはたぶん練習の時間をたくさんとれると思います。
そのときに少し休憩も入れていただけると思います。
なるべく時間配分については調整しますので、2日くらい、試してみていただけますか?」

試してもらって、4日目「どうでしたか?」と聞くのはあえてやめることにした。
講習はその後とどこおりなく進んだ。

いや、休憩時間については問題なく進んだということだ。

講師が自作したプリント問題については、質問してくる人がいた。
個別に質問するのではなく、手を挙げて質問するので、全員に対して答えることになる。

「この問題の文章は、主語がなくて分かりにくいと思います」
――なるほど。申し訳ありません。こういうことをしてほしいという意味です。

すると別の人も手を挙げる。
実はこの方は、お仲間からも少し距離を置かれている。
俯瞰できる高い位置にご自身が立って、いろいろとご指摘くださるけれど、今ひとつ、的が外れてしまうのである。
つまり、俯瞰しているつもりが、できていないのである。
――非難しているわけでも、批判しているわけでもありません、念のため。

「この問題ですけど、これはこれこれの状況が必ずあるという前提がある質問ですよね」
――いや、そういうわけでは。

でもなんて言ったらいいだろう。「いや、さっきの指摘は仕方ないけど、あなたの指摘は間違ってますよ」と言っているように受け取られたら問題だ。
えーと、えーと・・・・・・

「あと、ここも、これこれこういう意味ですよね」
――いやいや、そういうわけでは。

えーと、えーと・・・・・・

後日、このときのクラスの人たちがビジネス教養プラクティスを受けていると聞いた。
初日の朝から、「僕はビジネスマナーは要らないと思うんですよ」と演説をぶつ人がいたとか。

一筋縄ではいかないのは、わたしだけではないらしい。ホッ・・・・・・



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