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支援、別の角度から 01:特別支援学級

知人が特別支援学級を担当することになった。

特別支援学級――もちろんどういうものかだいたいは知っているけれど、詳しくは知らない。
はるか時の彼方の自分の頃の養護学級とは、もしかしたらやり方もあり方も違っているかもしれない。でも、「どう違っているか」どころか、「違っているかどうか」さえ分からない。

知人は2年か3年くらい、特別支援学級の担当をしていた。その期間ずっと、知的障害の子たちのクラスだった。

あれこれ聞いたわけではないが、ときどき会ったとき聞く話からして、どうやらクラスは特性ごとに分かれているようだった。

発達障害の児童のためのクラス。
知的障害の児童のためのクラス。
言語障害の児童のためのクラス。(ここには、外国から来てまだ日本語がおぼつかない児童も含まれる。)

1クラスは少人数。10人なんて全然いない。
もし発達障害の児童が10人いたら、クラスは2つ3つと分けられる。

クラスは流動的なようだった。

たとえば言語のクラスの子が、朝から晩までこのクラスにいるわけではない。
わたしは専門ではないし、伝聞もいいとこなので、正確な例は出せないのだが――
国語の時間だったら、日本語がまだよく分からない外国から来た子は言語クラスに来る。しかしそれ以外の授業は、所属クラスで一緒に受ける。

同じ外国から来た子でも、日本語のレベルに差があるだろう。児童によっては「国語も算数も理科も言語クラスで受ける、でも体育や音楽は所属クラスで」となるし、逆に「国語以外は所属クラスで」という児童もいる。

どのクラスの子も、所属はそれぞれの組のようだった。3年2組とか、5年4組とか。
必要なときだけ、特別支援学級に来る。

言語のクラスはもしかしたら、多くの授業を所属クラスで受けるのかもしれない。
発達障害のクラスは、その児童その児童で、どこまでを所属クラスで受けられるか、ずいぶん違うかもしれない。
知的障害のクラスは、多くの授業を特別支援学級で受けることになりそうだ。
――想像するに、だが。

特別支援学級は、普通の小学校の中にある支援をするクラスだ。
先生は一般教諭。
特別支援「学校」となると、専門教育を受けた先生でないとなれないらしい。

とはいえ、知人も特別支援学級担当になってから、通信教育で障害について学んだり、研修やセミナーに行って対応方法を学んだりしていた。

知人が知的障害のクラスを担当することになった年、3人の子が入学してきた。
Aさん、Bさんとするとイメージが湧きにくいと思うので、名前をつけておこうと思う。

ダンスが好きなダンスくん。体の弱い小柄くん。同じ年なのに背の高い大柄くん。

その時点で、以前から知的障害のクラスには「まあちゃん」という6年生もいた。
特別支援学級はさまざまな学年の児童が、一緒に所属している。来る時間が重なると、先生は1年生の授業も6年生の授業も同時にやることになるから、大変そう。

6年生のまあちゃんは、1年だけ一緒にいたけれど、卒業していった。
そして3人の1年生たちは、3人だけで2年生、3年生になっていった。

ダンスくんは、ダウン症児。ダンスが大好き。好きなアイドルグループもいる。
アイドルの歌を歌いながら踊るけれど、ダウン症児の特徴で舌が長いためか、何といっているか素人には聞き取れない。

小柄くんは体が弱いが、それは「風邪をひきやすい」というようなレベルではなく、たとえば心臓が弱いとか、気管支がひどく弱いとか、そういうレベル。
精神的によく緊張するらしく、心の中でパニックが起こったり、固まったりしてしまう。

大柄くんは3人の中では、一番目端が効く。もしかしたら知能指数も一番高いのかもしれない。
だから油断できない。母子家庭の大柄くんの家では、当然お母さんは朝大忙し。大柄くんが自力で上着を着るまで待ってなんていられない。大柄くんが叱られても上着を着ないでいると、お母さんが着せてくれる。分かっているから、大柄くんはわざと自分では着ない。

同じような3人でも性格は3人それぞれ。
家庭も3人それぞれ。

ダンスくんは年上の兄弟姉妹がいて、よく面倒をみてもらっている。ダンスくんはこの兄弟が大好き。

小柄くんは教育に熱心な家庭。
うまく発語できないこともあるので、あるクリニックの言語のおけいこクラスにも通っている。
スポーツも習う。でも激しい運動をすると体に悪影響があるので、配慮してもらいつつのスポーツだ。
小柄くんの場合、危険があるといけないので学校の体育は見学――のはずだったが、ご両親は「他の子と同じことをさせたい」と熱心で、同じように授業を受けている。
当然同じことをするのは危険なので、知人はかなりつきっきり。他の子には手が回らなくなる。「支援員さん頼み」と言っていた。こういう兼ね合いは、なかなか難しい。

大柄くんは、ちょっと語ったように忙しいお母さん。
子供はずるいところがあるものだけれど、そういうことができるので要注意。
学校でも、帰るとき上着を着ようとしない。知人は決して手を貸さない。「先生はやってくれないんだ」ということが分からないと、そういう行動をやめないから。
やがて悟って、自分で着るようになった頃には、知人は「鬼」と呼ばれていたという。

3人の子たちは、国語・算数・理科・社会(名称は今は違うだろうけど)などは、特別支援学級に来る。
で、ゆっくり算数を――するかというと、なかなかそうもいかない。
どんなに「1年生だから足し算をさせなきゃ」「2年生だからこういう計算を覚えてもらいたい」と思っても、何回繰り返してもできるようにならなかったら児童にとっても時間の無駄だ。

1年生のときは、小学校受験を目指す子供たち用の教材(の中のできるだけシンプルで簡単なもの)を使って勉強していた。
やがて、足し算ができるようになった。でも2桁以上になると難しい。それもやがてできるようになった。でも掛け算は難しい。
そうしていくうちには、3人は3人それぞれの進度・理解度になっていき、個別に支援することが増えてくる。

それに、「自分で上着を着る」というような、生活支援も必要だった。

1年生のときは、もっぱらトイレばかり指導しているように聞こえた。
1人ではトイレに行くのが怖いと思う子が複数いて、トイレに行くときは付き添う。

トイレでは、うまく思ったところに排泄できない。
おしっこに行ったら、ほとんどすべて便器以外のところに排泄されてしまったりする。
当人たちの下着が汚れれば着替えさせなければならないし、汚れた床は掃除しなければならない。

ときには――というか、頻繁に、粗相をしてしまう。
3人は全員、毎日替えの下着や服を持ってきている。うながしうながし着替えをさせ、教室が汚れれば掃除する。

それでも3年も経つ頃には、全員がちゃんとトイレに行けるようになった。(まだ粗相する日もあるけれど、最初に比べたら。)
決められた簡単な日課をこなせるようになった。(日によってできないときもあるけれど、何百回と繰り返してきたかいがあった。)

同じ支援だけれど、まだ成長し始めたばかりの児童を対象としているのは、スクールとはまた違う支援だと思った。

3年経って、知人は異動によりやむなく去ることになった。
「あの子たちはきっと、全然気にしてないよ」・・・・・・そうかもね。



●8年目:いろんな出会い
Chapter 4 どこかの誰かのストーリー



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■まえがきにかえて(おことわり)■


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Yさん 13:必要な装具

以前、見学した話の中で、「義肢・装具・座位保持装置製作をめぐる価格と製作費用のはなし」というパネルのことを語ったことがある。

こちら↓
http://koori2.blog18.fc2.com/blog-entry-2593.html

文章の長い話で、正確なところはそのまま読んでいただいたほうがよいと思う。
とはいえ、軽くまとめも載せておかないと、上の記事を読んでいない人にとっては何のことやら?

もう一度お断りしておくと、わたしのまとめがうまくいっているかどうか、心もとない。正しくはパネルを引用した記事でどうぞ。

・義肢、装具、座位保持装置を総称して、以下「義肢等」とする。義肢等は制度によって、どの部分にどういう種類のものを使用するかによって、細かく価格が定められている。
・ところが、価格は昔の実態調査に基づいて決められていたりする。20年も経てば、実態は変わる。昔の実態調査に基づく製作費用の想定は、実際にかかる費用と差ができてしまうかもしれない。
・近年、義肢等製作事業者の採算が厳しくなっている、という声が聞かれる。採算が厳しくなれば、質の良い義肢等を安定供給されなくなり、義肢等利用者にとっても困ったことである。

それから具体的に、素材費、その他費用、人件費について考察されている。これについてはここでは省く。

ここから先はわたしの感想になるけれど、この記事内では「義肢等」という言葉を使い続けることにする。

まず第一に、義肢や装具を作る仕事をいている人たちのお給料の話が出てくるので、興味を持った。
やはり、わたしも労働者。お給料の話は気になるところ。

前にも少し書いたことがあったが、友達がある日突然、それまでの仕事に疲れ、「ものづくり」をしたいと言って、義肢装具製作の勉強をしたことがあった。
仕事を辞め、義肢装具製作の訓練に通い始めた。

最初の頃は、ひとつひとつの技術を教えてもらい、練習し、会得することに夢中だった。本人は自分の不器用さに落ち込んでばかりいたけれど。
やがて就職を考える時期がくる。その頃には知り合いも増え、先輩との懇談会などもあったりして、技術以外のいろいろな情報も得るようになる。

友達は「義肢装具の仕事って、給料安いらしいんだよね」と言っていた。
また友達が通っていたのは、半年だったか1年だったかの訓練コースだった。「正式な義肢装具士は国の資格だからさ、大変なんだって。私が通ってるのはそういうのじゃないからさぁ。それなのに私、不器用だから授業についていけないんだよね」

友達は「そんな国の資格をとるような学校、無理」と思っている。
それほど高い技術を頑張って習得して、労働に見合わないお給料だったら―― 耐え難い話だわ、と思いながら、実際のところはどうなのかと熟読。
・・・・・・読んだ結果は、仕事内容もよく知らないし、これが高いのか安いのか、ちょっと分からなかったけれど。

このパネルは、Yさんの記憶もよみがえらせた。

強い意志で自立を目指し、食べ歩きが好きだと言うYさん。
段差があったりして行けない店も多いと言いながら、一人カラオケだって行ってしまうYさん。
好きなアイドルの握手会や舞台に一人で行くYさん。
舞台を見るときは、車椅子のままで見るので、好きな位置から見ることはできず、場所が決められてしまうけれど、「**ちゃん、めっちゃかわいい」と楽しんでいる。

Yさんが自立のために仕事をするにも、休日に出かけるにも大切な電動車椅子。
ちょうどスキルアップ研修に来たとき、「調子が悪くて、直さないといけないんですよ」と言っていた。

でも「費用の問題があって、自分の希望通りには変えられないんですよ」というようなことも。

法律上の問題で、費用補助の対象となる修理や回数が決まっていて、補助を受けられないととても高いから、自分としては便利なものに買い換えたいと思っていても無理だという。

そういえばずっと後になって出会った人、生まれつきではなく長い病院生活の末に車椅子に。でも元気になって本当によかった。仕事復帰を目指してスキルアップ研修にやってきた。
仕事に復帰するためには、自力で通えないといけないので、運転免許(障害者の)を取ることにした。車も買う予定。
しかし車の乗り降りは、今の車椅子では無理。重すぎて、車に乗り移ったあと、自力で車内に格納できない。
早くどんどん運転して慣れたいが、補助の関係で新しい軽い車椅子が買えないと言っていた。

法律って、いったん決まるとなかなか時代に即して変えるのは難しいみたいだし、がんじがらめになってしまうとひずみが生じるなと思った。
このとき見たパネルは、そういうことを扱っていたので、関心を惹いたのだった。

Yさんが自由にやりたいことができるような、Yさんたちのためになる制度が常に整備されているのが理想だろうけどね・・・・・・



●8年目:いろんな出会い
Chapter 4 どこかの誰かのストーリー



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■まえがきにかえて(おことわり)■


Yさん 12:電車に乗るということ

Yさんと2人きりで、いろいろなことも話したりしたスキルアップ研修、最後の日。
これがこの年最後のスキルアップ研修でもあった。

翌日からPCプラクティスが始まるので、周囲は騒がしかった。
いつもはそんな準備なんて特にないのだけれど、そのときはたまたまバタバタしていたのだった。

まず、不調なPCを直しに、情報系に詳しい先生がやってきた。
お若いけれどレギュラースタッフで学事グループの白鳥さんも、途中で様子を見にやってきた。それは、スキルアップ研修が終わった時点から翌日までに、すべてのPCにキーボードカバーをかける作業をするためだった。
そのときまでカバーはなかったので、たまたまそうすることになった時で、今回だけの話。
実際に終了時間になると、インターンシップとして働いている知的障害のあるスタッフさんがやってきて、白鳥さんと共にキーボードを消毒、カバーかけ。
何台もあるPCを順々に作業していった。

「明日から使うテキストを置いておきますよ。どれを置けばよいですか」と白鳥さん。
朝来たらやるので全然いいのだが、「大丈夫ですよ。遠慮なさらないでください」と言ってくれる。

そんなところへ、当時の岩室上級マネジャーもやってくる。
難しい顔で作業を見回っている。
あとから知ったところでは、今度入ってくる実習生さんのための措置で、単なる備品装着とは違ったようだ。だから上級マネジャーまで来て、監督していたんだ・・・・・・
・・・・・・まあ、そのわけを知ったのは、後も後、何年も経ってからだった。

上級マネジャーとは最後に少し話をした。
PCルームで使用されているMicrosoft Officeのバージョンを、できれば今回から変えたかったがやむなく延期になった話。
当時、PCプラクティスは人手不足のためPCインストラクターやITトレーナーをしたことがない人が、メンバーとして入っていた。そのことについて、いつまでもそういうわけにはいかないので、適任者を知っていたら紹介してほしいという話。
わたしもスクールで多くの時間を働くようになり、他での講師の仕事は激減していた。紹介するほど深く知っている人というのは、あまりいない。

そんな話をいろいろしていたら、この日で最後だったYさんとゆっくり挨拶を交わせなかった。

やれやれ、すっかり遅くなった―― 急ぎ足で駅まで行ってみると、ちょうど改札のところにYさんがいた。
Yさんは3つくらいのスキルアップ研修に来ていたが、帰りに一緒になったことはない。道の途中で出会ったことはあっても、同じ電車に乗って帰ることはなかった。

最後だし、改札で出会ったので、そのまま一緒に乗車することにした。

Yさんは切符を買う(当時はまだICカード全盛ではなかった)。回数券を買って使っていたけれど、なくなったのだそうだ。Yさんはしっかり者だ。

駅員さんのいる改札脇の窓口へ入る。
自動ドアが開いて、車椅子で中に入っていくと、駅員さんが察して来てくれる。車椅子でやってくる人のほとんどは、電車の乗り降りの介助を求めているのだろう。
「**まで行く」ということを告げる。その場合、1駅乗って同じ鉄道会社の別路線に乗り換えだ。
駅員さんは「次は――」と、チラッと時刻表を見て、「じゃ、エレベーター降りたところで待っていてもらっていいですか」と言った。

自動改札を通り、エレベーターでホームに降りる。
まもなく電車がやってきた。しかし駅員さんは来なかった。
人々が電車に乗り、ホームががらんとして少し経った頃、さっきとは違う駅員さんがやってきた。
「遅くなってすみません。次の電車でいいですか?」

――嫌とも言えないでしょう。もう電車行っちゃったし。

よく見かける光景だけど、ホームと電車の間のわずかなすきまにボードを置いてくれて、そこをYさんが車椅子で通る。
「ご案内、終了です」 駅員さんがマイクで知らせ、電車は発車する。

1駅行ったところで乗り換えなくてはならない。でも、降りるホームに駅員さんはいない。
電車が出てしまうのではないかとひやひやした。
もし、来てくれなかったらどうなるのだろう? このままこの電車で全然行きたくないどこかの駅まで行ってしまうのだろうか?

でもこのままこの電車に乗っていたって、どの駅に着いても、駅員さんが近くにいなければどうにもならない。電車から降りられないのだから、ちょっと顔を出してホームから呼ぶってこともできないだろう。
通りすがりの人に頼んで駅員を呼んでもらうとか? 見ず知らずの人に?

自分はホームに立ってみたものの、駅員さんはいない。またYさんのところに戻る。でも電車が動き出してしまったら困るから、駅員さんを探そうとホームに降りる。
そんなふうに、不安になって電車を降りたり乗ったりしているうちに、駅員さんがやってきた。「すいません、場所間違えちゃって」

――あ、そうですか。いつもこんなに待つわけじゃないんですね。そうですよね。いつも待ってる様子を見てますよ。

駅員さんが「一番前に乗りましょうか」と言うので、前まで行った。
駅員さんは先に歩いていったので、歩きながらYさんに聞いてみた。
「心配になっちゃいました。こういうことはよくあるものなの?」
「よくありますよ」

思えば、人の善意と、システムや仕事の正確さに頼ったやり方だ。ちゃんと駅同士の連絡をとってくれているはず、という信頼、駅員さんが仕事を果たしてくれるはず、という信頼。数々の信頼をしなければ移動できない。

来た電車は途中駅を飛ばす電車だったので、途中まで一緒に乗り、途中の駅でわたしは降りた・・・・・・



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■まえがきにかえて(おことわり)■


Yさん 11:趣味や楽しみ

YさんはSNSをやっていると言っていた。
主にテレビのこと。テレビ好きなのだそうだ。たくさん見るらしい。

「でも休日は出かけてしまうことが多いので、平日の夜に見てます」

休日、出かける? 一人で?
――と、ちょっと失礼かもしれない驚き。

そう、一人で出かける。
「ちょっと贅沢ランチとかしたり」

Yさんはいつも会社にはお弁当を持って行く。
休日くらいは1000円くらいするランチを食べてみたい。

「この前は錦糸町にあるビルの中のレストランに行ったんですよ」

このときのわたしは、少し前に知人たちと5、6人で集まったイタリアンがおいしくて、印象に残っていた。安いし、おいしいし、イタリアの航空会社の人も利用するという噂。
「あそこはおいしかったですよ」と言ってみると、Yさんはその場でインターネットで調べた。

「**ビル、ビルならエレベーターがあるから行ける」

Yさんがそう言ったとき、ふとどうだったろう?と不安になった。
確か、中2階みたいになっていたかも。エレベーターはあったろうか?

Yさんには「車椅子で行けるところ」という枠がある。Yさんのは電動車椅子だから、がっちりしていて、ちょっと大きく見える。

よく行く店を思い浮かべてみると――
飯田橋の**、地下で、歩道からエレベーターまでの間に3段くらい階段がある。
有楽町の**、2階で、建物の外についた階段しかないから、ダメ。
今はないけれど、家庭料理風のバイキングがおいしかった**、でも車椅子でバイキング、ちょっとバイキングスペースの通路が狭かったな。
それに、あの店の席は椅子じゃなかった。ファミレスみたいなボックスシート風だけれど、車椅子の場合どうなるだろう?

ほかにもいろいろな店を思い出してみたが、これがなかなか難しかった。
エレベーター、トイレ、店内の通路や椅子。
それから食べ物によっては、もしかしたら食べられないものもあるかもしれない。たとえば、口から物がこぼれやすかったり、ホチキス留めが大変だったりするなら、大きなハンバーガーが売りのお店とか。お皿にかっこよく巨大ハンバーガーが、お肉や野菜やフルーツなどで背高のっぽで盛り付けられてくるところって、あるよね。
カレーだったら? ナンをちぎったりするのは大丈夫なのかな。

あれもこれも考えていると、どれだけ門戸が閉ざされてしまうだろう。
どれだけ自分は気軽に考えて、気軽に店を選んでいるだろう。

Yさんによれば、それでも一人で行くときは、行ける店を探して行けるからいいのだそうだ。
会社の人たちがランチに行くときは、彼は置いていかれる。――確かにそうなるかも。行ける場所を考えるのが非常に面倒になってしまう上、行ってから不都合があった場合、1時間の休憩では違う店に方向転換するのが難しい。
きっとYさんのほうも気を遣って、僕も一緒にとは言わないのだろう。

Yさんの歓迎会のようなものは、「Yさんでも行けるホテルのどこどこ」などで行われる。
Yさんにとっては、それも気が引けるらしい。

Yさんとの最後のスキルアップ研修のさなか、休日が入ったので出かけて、恵比寿でなんてことないラーメンを食べて帰った。
ふと、Yさんがこの店に来るとしたら?と、後から考えた。
エレベーターはあったと思う。段差は――あったろうか?
自分が何も考えずに行動していることを思わされた。

Yさんはテレビ好きで、たくさんテレビを見ているので、当然好きなタレントがいる。
まあ彼も若いので、アイドルの女の子なんかのファンだったりするらしい。

なんとかいう女の子アイドルが好きで、握手会にも行った。一人で。
たぶん、CDを買った人は握手してもらえるとか、そういうような企画。
長い行列で、並んでいるとYさんは係の人から、「車椅子だと邪魔になってしまうから、別室で順番が来るまで待つように」と言われて、別室で待ったらしい。

順番が来て、別室から呼ばれていき、大好きなアイドルと握手。
「***ちゃん、やっぱ、めっちゃかわいい」と感動したそうだ。

Yさんは恋もしてみたい。
以前ボランティアの若い女の子と仲良くなったけど、恋人にはなれなかった。

Yさんのひたむきさは、感銘を受けた。
ただ、わたしにとって、こんなふうに深く踏み込んでいくことが正しいかどうか、分からない。
自分の仕事では、受講者さんとの間にきちんとラインがあることが望ましい、と思っている。それは一般の講習会でも同じことだ。サービス業時代に、お客さんとの間にちゃんと一線引いておいたほうが良かったのと似ている。

深く知るということは、プラスもあり、マイナスもある。

・・・・・・この当時はそんなことを思っていた。
でもそれは、仕事として続ける限り、永遠のテーマでもある・・・・・・



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Yさん10:社会見学

「Yさんはとても自立心があるんですね」

Yさんは自分一人で、将来の道としてエコールを選んだ先輩に会いに行ったこともあるという。
「話を聞いてみようと思って、行ってみたんです」

当時のYさんにとって、一人で出かけるなんて、人生初のことだった。
親と出かけたり、学校の先生が引率していたり、ボランティアが介助していたり――。今でこそ一人で通勤もしているが、まだ養護学校時代(旧 特別支援学校)までは、一人で出かけるなんてあり得なかった。
一人で出かけることが「あり得ない」という自分になりたくなくて、Yさんはエコールを選び、一般企業への就職を目指したのだ。

「**のアパートに一人暮らしをしているっていうので、行ってみて、話したりしたけど、そういえばずっと会ってないなぁ。今度会いに行こうかなぁ」

もちろん養護学校でも、生徒が自立できるように少しずつ促す。ただYさんが、そのステップの小ささと到達地点に飽き足らなかっただけで、逆にYさんが求めるほどのスパルタをしたら、ついていけない生徒もいるだろう。
遠足はいってみれば自立の最たるイベントだったそうだ。

最近は、電車の中で見かける遠足らしいお子さんたちも、どうやら事前に目標を立てて班行動らしい。
目標を書いた紙を持っていたり、「何班」と服に付けていたりする。

Yさんたちも目標を立てて、班行動をする。
確か、班は上級生も下級生も混じっていると聞いた気がする。・・・・・・が、昔のことすぎて定かでない。
社会見学のようなもので、遠足ではなかったかもしれないという気もする。

とにかくそれをするために、班で集まって話し合う。
着いたらどこに行くか、何をするか。
計画も立てる。どこどこまで行くのに何分、何々をするのに何十分、どこどこを見て何十分――。

目的地はひとつだったか、複数あって選べたのだったか、忘れてしまった。
とにかくそのとき、目的地の中にお台場があった。

お台場!
Yさんはとても嬉しかった。

Yさんはテレビ好きなのだ。見たいものは録画もして、見逃さない。
好きなタレントもたくさんいる。男性の渋いタレントも好きだが、やはり可愛い女の子タレントは大好きだ。特に好きな女の子が、やはりいる。ファンなのだ。

お台場といえばフジテレビがある。
ぜひ行きたい!!

現地に着いたら、先生たちは手出しをしないことになっている。
班で考えたように自分たちで行動する。誰にも頼れない。頼るとしても、自分たちで周囲の人に頼まなければならないのだ。
「でもちゃんと見てるんですけどね、離れたところとかで」

――Yさんは生徒10人に担任5人みたいな話もしていたから、班ごとに見守り役の先生が2人くらいついていても不思議ではない。

これから先の話では、フジテレビ用語や階・場所などはもう忘れてしまったので、正確ではない。
言いたいことが伝わればいいと思って適当に書いているので、悪しからず。

「絶対行ってみたかったのは、2階のフジテレビショップだったんですよ」

「1階にもショップはあるんですけど、2階のショップにしか売ってないものがあるんですよ。**のストラップとか、**番組のグッズとか」

「2階まで上がって行くのは時間がないよって言う同じ班の奴もいたけど、どうしても2階のショップに行こうと思って。ここまで行って2階に行かないと意味がないって説得したんですよ」

「自分たちには行けっこないって思ってる奴も多いから」

「他の班は、外から見て終わりだったり、簡単に行ける場所にいくつか行って終わりだったり、フジテレビの中に入らない計画が多かったし。中まで入る班は少なかったんですよ。だからそこまで行ければ充分じゃないかって言う奴もいて」

Yさんにとっては、大好きなテレビの局がある場所。行かないなんて考えられないだろう。
行ったら絶対、限定グッズも欲しいだろう。
Yさんがそれほど「行きたい」と願ったなら、その強い意志に皆は押し切られるかもしれない。

「下級生たちは、自分たちだけでフジテレビの中に入るってこともビクビクするくらいだから、説得しましたよ。絶対行ける、僕が計画を立てる、せっかくだから行こう、って。時間内には帰って来られないって心配してるから、僕が責任持って計画を考えるって言ったし」

――ある意味、Yさんの苦手だった熱血先生並みに、熱血の説得だったかもね。

Yさんは言葉通り、あれこれ事前に調べた。
自由行動の時間は限られている。その時間内で、フジテレビまで行き、見学し、2階のショップで買い物をする。そして集合場所に戻る。

見学できるのは、こことこことここくらいだろう。そうでないとフジテレビショップに行けなくなる。
何時までにショップに着いておきたい。

大人の考えとしては、もしYさんたちが多少遅れたとしたって、先生たちが置いて帰るわけはない。
何かあれば、見守り役の先生もいるという話だから、助けに来てくれるだろう。

でも生徒にとって先生は強大な存在らしいから、時間に遅れるなんてタブーなのだろう。
それにYさんだったら、「もう時間がないから戻りなさい」と先生がどこかから現れたら、それは最悪の結果になるだろう。クライマックスの2階のショップまで行けなくなるかもしれない、行けても買い物できないかもしれないのだから。
当時のYさんに、「買えなかったらまた別の日に来よう」と一人で行くことはできないだろうし、親御さんに頼んでも連れていってもらえないのだろう。
――今は、子供に手をかけ、時間をかけ、「やりたいことはできる限り体験させてやろう!」という親御さんも多いようだけれど、話を聞いたのも相当昔のことで、さらに当時のYさんにとっても過去の話なのだ。

「行く前にすごく調べたんで、着いたらとにかく「フジテレビに行こう!」って言って向かったんです。中に入って見学もしました。でも本当は、**も行きたかったんだけど、時間がなくなってパスしたんですよ」

どこのテレビ局にも見学できるエリアが広くとられていて、来訪客を楽しませるようになっているだろう。Yさんとしては、こことこことここに行きたいと考えて決めていたけれど、やはり全部回るには時間が足りなかった。
その時点で、「もう時間がなくなっているから、帰ろう」と言い出す仲間もいた。

「でもフジテレビショップは絶対行きたかったから、まだ大丈夫だから急いで行こうって行ったんです」

――買いたかったものは買えました?

「時間があまりなかったけど、いくつか買いました。急いで見なきゃならなくて。本当はもっとゆっくり買い物したかったけど」

「下級生の中には何を買っていいか分からない奴もいたから、一緒に見てやらなくちゃいけなくて」

買い物に行って、何を買っていいか分からないなんて、不思議に思える。
テレビ局のショップなら、自分の好きな番組の何かを買えばいいし、好きでなくても人気番組のものを買ったりするだろうし。
欲しくても値段が高すぎれば買えなかったり、重くて持てないようなものは買えないけど、これなら買えるかな、と自分なりに決められる。
そりゃね、「うわ、これ買おうかな」「これ、買っちゃってもいいかな?」「えー、それ?」と迷ってわあわあ話すことはあるかもしれない。女の子同士だったら、きゃあきゃあ話すかもしれない。
でも時間がなければないで、「時間ないよ」「これ、買うわ」「じゃ、俺、これにするわ」と適当に決めそうなものだ。

だけどそれが、Yさんがこだわり続けた、自分の限界が狭まることなのだろう。
手厚く守られることが悪いわけじゃない。必要な人もいる。
でもYさんは殻を破りたかったのだ。

同じ電動車椅子に乗っていても、あるとき事故などで中途障害者になった人とYさんは違う。

中途の人は、自由が何かは知っている。
Yさんたちはことによると、扉が開いていても鳥かごから外に出られない、外に出られるということを思いつきもしない、かもしれない。

それまでできていたことができなくなり、それまで広かった世界が狭まり、中途の人は適応に苦労するかもしれない。
逆に、Yさんが描いてみせた生まれながらの障害者は、はじめから世界が狭いことがあるのだと知った。

もし周囲が、「うちの子には他の子と同じようにさせたい」と思っていたら、世界は広がるかもしれない。
でもそれが合わない場合もある。当人にとってとてもきつい、苦しい場合だってある。

Yさんのように、自分で飛び出して行きたくなる人もいるだろう。
でもできない場合もある。あえてしないこともある。
飛び出さないからといって、それが間違いだと安易に非難できない。
どちらが正しいかの基準はない。「絶対飛び出すべき、それが正しい」と押しつけることはできない。それはただの「その人の意見」だからだ。

正しい正しくないではなく、ただ――
Yさんの話は強く印象に残ったということだ・・・・・・



●8年目:いろんな出会い
Chapter 4 どこかの誰かのストーリー



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■まえがきにかえて(おことわり)■


Yさん 09:就職

就職は***社に決まった。***社は初めての障害者受け入れだ。

***グループは大きな企業グループだし、会社全体としては障害者もたくさんいるのだと思う。ただ、***グループの中の「***社」としては初めてだった。

9時から17時までが勤務時間だが、入社前の話し合いでは10時から16時の時短勤務でいいことになっていた。
でもYさんは自分で電話して、「フルタイムで働いてみたいです」と言ったのだそうだ。
Yさんはこれまでの話でわたしも察していたが、意志が強く、自立心が大きかった。すごいと感心しながらも、Yさんなら自然なことに思えた。

会社ではみんな優しくしてくれる。
でもあまり優しくされると、甘えることに慣れていってしまう。だから残業もする。
ほかの人が残業しているのに、自分だけ先に帰るのはなんとなく気が引ける。

意志の強いYさんではあるが、高校までずっと養護学校や親御さんに守られて生きてきた。Yさんにとっては過保護だと感じる環境だったくらいなわけで、きっと心身ともに危険がないように、守られた環境だったに違いない。

だから少しナイーブなところもあるようだった。
たとえばいろいろと気にしてしまうようで、上司が近づいてくると「また何か怒られるのかな」と思ってしまうという。もし何か言われたら、へこむ。

毎日のように同じズボンを穿いていたら、上司に注意された。
「臭いというわけじゃないけれど――君が清潔にしているのは分かるけれど、毎日のように同じズボンをはいているのは周りも嫌なものだよ」

もちろん上司はやんわり言ったのだろうし、言われないと気づかなかった可能性も高いから親切心だろう。
でもYさんはやっぱり、へこんだ。

それまで親御さんが同じスーツを使いたがっていたのだったが、さすがに買うことにした。
「上司に言われたからとは、親には言えないから、自分でそう思ったって話したんですよ」

たぶん別の話をしているとき、何気なく「今度の連休は何をするの?」ということを聞いたら、「ズボンの寸法直しに行く」という答えだった。
買ったスーツはズボンの寸法を直してもらったけれど、うまくいかなかったので、また持って行って直してもらうそうだ。

考えてみればYさんは立てないわけだし、寸法直しもテクニックがいるかも。
またこれでいいと思っても、長時間座っていると合わないと分かることもある。普通は立ったり座ったりするが、Yさんは立つことはない。立ったときに服を直すということができない。

車椅子の人の服は、その状況を考え合わせないと、使い勝手の悪いものになると実感した。

Yさんはもうひとつ、上司から注意されたことを話していた。

彼は食べているときに喋ろうとすると、口から物が落ちてしまう。
飲み会などで、口に物が入っているときに話しかけられると、答えようとしたとき口の中のものが落ちてしまう。
それは――もしかしたら障害が関係しているかもしれない。違うかもしれないけれど。Yさんは障害の特性上麻痺があるのだから、話すことに不自由がなくても、筋肉の動きが健常者とまったく同じかどうか分からない。

こういうことは、今後Yさんが乗り越えていかなくてはならないことだ。
特に、一般企業で自立して働くことを選んでしまったのだから――

きっといろいろな工夫をする。話しかけれても、口の中に物があるときは答えないとか。人と一緒の場では、なるべく小さいかたまりで食べるとか。周囲の人に、食べている間は答えを待ってもらうよう、だんだんに伝えていくとか。

養護学校を出た先輩や仲間は、ほとんど福祉作業所へ行くとYさんは言っていた。(繰り返すが、今の状況は知らない。また当時のことであっても、すべてYさんだけの経験だ。)

周囲が理解するべきなのはもちろんだけれど、やっぱり本人も努力しないと伝わらないこともある。想像できないことがあるからだ。
わたしもこうして話を聞くと、「あ、そうか」と思うことがたくさんある。実際に一緒に行動してはじめて、実際の様子が分かることもある。だから、周りの人の想像が至らないこともあるだろうと思う。わたしよりずっと優しい心の人たちであったとしても。

たとえばYさんは車椅子だ。
Yさんは24階で働いているが、その階には身障者用として使えるトイレはない。
トイレに行くときは、16階まで降りているという。

もともとYさんがトイレに行くとしたら、健常者より時間がかかるはずだ。
衣服の脱ぎ着にしろ、便座への移動にしろ、手を洗ったり拭いたり、車椅子に移動したり、ドアの開け閉めでも、健常者より時間がかかる。
Yさんがどうかは知らないが、人によってはトイレのやり方が(医学的な意味で)違ったりして、相当以上に時間がかかることもある。

プラス、2基しかないエレベーターを待って8階分も下に行くのだから、時間がかかる。

Yさんによると、同じ部署の中には、Yさんのトイレの時間が長いと思う人もいるらしい。
つまり――ちょっと休憩も入ってるんじゃないかと。

「でもエレベーターが来ても、乗れないときもあるんですよ。人がいっぱい乗ってると、自分は車椅子だから、あと1人か2人は乗れるときでも自分は乗れないんです」

言われてみればそうだ。
でも気づかないかもしれない。その場に居合わせなければ。

仕事をするというのは、友達づきあいとは違う。
わたしもサービス業の頃、喫煙する人は「タバコ吸いに行ってきます」と当然のように休憩に行くのが、ちょっと理不尽な気がしていた。
目くじら立てなくても別に忙しい時間帯でもないし、大らかに送り出せばいいのに、でもやっぱり「タバコを吸いに行く」と言えば、3時間に2回くらいは休憩に出ることができるのは、大らかにはなりきれなかった。行ったらやっぱり15分くらいはかかるものだし。
吸える場所が決まっているからそこまで行かねばならず、それは仕方ないとして、1本2本吸って、10分? その場にいた別部署の喫煙者の人との談笑の、きりのいいところで「じゃあ」と切り上げて15分?
でも「あなたもタバコを吸いに行くし、わたしもちょっとその辺を散歩してくるわ」とは言えない。タバコは「体が必要とすること」だけれど、散歩は必要ではないからだ。

まあ、ほかにもいろいろと、仕事だと大らかになりきれないことは多かった。わたしは器が小さいのだ。

だからこそ分かる。
Yさんは日常生活からしていろいろな不都合をしのばねばならない。全体としてはそのことを分かっているし、優しい気持ちでいる。だが、いざ仕事で、彼だけが一日のうち1時間も2時間もトイレに時間を費やしているように見えてしまうと、なんだか理不尽な気がしてくる。かもしれない。

これも、大まかには「彼はいろいろ不都合があるんだな」と知っていても、ひとつひとつの具体的なことまで思い至らないことがあるから、Yさんはやがてあらかじめ「僕はこういうわけでトイレが長いんですよ」と申告することを覚えるだろう。
配属されたとき「こういう事情でトイレが長いことがあるので、みなさんにご迷惑をおかけすることもあるかもしれませんが、よろしくお願いします」と。

Yさんの選んだ道はちょっと険しい自立の道で、選んでしまった以上はYさんも努力していかなければならないことがたくさんある。
でも、Yさん自身のせいではないことなので、人の善意だけに頼らず、法律などで守られなくてはならないのだなと、思わされる・・・・・・



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Chapter 4 どこかの誰かのストーリー



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■まえがきにかえて(おことわり)■


Yさん 08:障害者施設時代

養護学校を出たあと、Yさんは障害者が職業に就くための訓練をしてくれる施設に行った。
Yさんは「エコール」と当たり前に略称で呼んでいた。当時のわたしは知らなかったけれど、福祉関係の人なら「エコール」と言われればすぐ分かるところ。

養護学校を出たあとの進路は、Yさんの話ではいくつかあったようだ。
でもそれほど道が拓けているわけではない。
たとえば「高卒で就職しよう」と思っても、たぶん養護学校の高校卒では職場が見つからないし、大学や短大はYさん曰く(当時の)養護学校の授業内容では無理だった。

「同じ学年の3人と一緒に、××県の××にある『スコーラ』にも行ってみたことがあるんですよ。
『エコール』は××立だけど、『スコーラ』は**立なんです」

そこでは青年企画とかいうものを見学したと語っていた。
(「青年企画」とは仮称で、正式名称によるプログラムは終了している。)

Yさんによると、生活するための訓練をするというところだそうだ。
Yさんの言い方だと、「一年もかけて!」という感じ。

「1日中話していたりするんですよ。どこへ行くかについて9時半から15時半くらいまで」
「行くってどこへ?」
「あんまり外に出たことがないから、社会勉強みたいな意味で外に出るんです。それをどこに行くか、ずっと生徒同士で討論してる」
「1日中?」
「先生が『もっと意見ださなきゃだめだろ!おまえらやる気あんのか!?』って怒ったりしてる」

うーん・・・・・・まあ、いろいろと思ったけど、わたしは自分で見たわけではないし、何も言えない。

とにかく、そんなふうに「どこかに出かける」だとか「どこに行くか話し合う」みたいな、生活についての訓練をするのが青年企画。あくまでYさん談だが。

「親はそこへ行かせたかったんですよ。同じ××県で安心だから」
――それはそうでしょうね。
「でも自分はエコールに行くことにしたんです」

「親は反対でしたよ。ちょっと遠くなっちゃうんで、心配だし、何かあっても何もしてやれないからって。でも自分で申し込んで、受けちゃったんです」

Yさんが苦手だった、養護学校の暑苦しい熱血先生は、そのときも熱かったそうだ。
「それでいいのか!? みんなと同じに、同じことしてるだけでいいのか!? 挑戦してみろよ!」

――Yさんはその熱血先生が相当嫌だったみたいだけれど、その人も役に立つこともあったんだね。

「もしスコーラに行ってたら、一人では外出もできなかったと思います」

スコーラに行った先輩や同級生からYさんが聞いた話では、たとえば近くのコンビニに行くにしても、「何の目的で行くのか?」と問いただされ、申請は却下される。
危ないから一人で行ってはいけない。ずっと施設の中にいなければならない。

Yさんが話してくれたことは、わたしにとってとても大切な思い出なので、お茶を濁して終わるのが難しい。

正直言って、スコーラのやり方を「それはない」と思うのは簡単だが、スコーラという施設の気持ちも分かる。
もし万一の事故があったら、絶対マスコミなどに言われる。
「いったいどうなっているんでしょう? 安全を守るシステムをもっと考えておくべきだったのではないでしょうか?」とかなんとか。
言ってしまえば、「外に出たほうがいろいろな成長はできると思うよ。でもそれはここではなくて、別のところでしてね。うちは万一のとき責任負えないから」ってことだと思う。
スクールだって、スキルアップ研修に来る人に対して、上級マネジャーもしつこく言う。「通ってくるときは気をつけて」
急いだために事故にあったり、体調を崩したりするのは困る。別にそう考えてると思ってはいないけど、露骨に言えば「会社に通勤するときに事故があってもそれはスクールには関係のないことだが、スクールに通ってくるときに事故があったら何を言われるか分からない」ってこと。
「絶対遅刻しないようにとか、プレッシャーがあったのではないですか?」「事情があって遅れる場合の連絡先などを伝えてましたか? 連絡がとれないと焦ったのではないですか?」――「そんなことはありません、きちんと連絡先は伝えていました」と言えなくてはならない。
スコーラだって、「そんなことはありません。危険がある場合は職員がついていくようにしていました」と言いたいだろう。まあつまり「職員がついていけない場合は、申請は受理しませんでした」と。

エコールでは、Yさんは寮に入り、外出することもできた。
午後10時が門限で、それまでに戻らなければならなかったけれど。
とはいえ、そうそう夜遅くまで遊び歩きたいものでもないので、不自由はなかったそうだ。

エコールは就職するためのところである。
わたしも長く働いた店員を辞めたあと職業訓練に通ったが、同じようなイメージらしい。
スコーラもどうやら本当の目的は「職業に就けるように」ということだったようだが、エコールが目指すところのほうが上であり、スコーラはもっと基本的な日常生活を送るということも含めてトレーニングしていこうということらしい。

YさんはエコールでOA系のコースに入って、主にパソコンなどを勉強した。
ご両親がずっと「そんな遠いところに行くなんて」と言っていたし、自分にとってエコールのある場所は遠いところというイメージだった。でも寮に入ってみると、もっと遠い都道府県から来ている人もたくさんいた。

「自分の中で、「遠い」「近い」の意味が変わりました」

一年学んで、自分はパソコンの知識を得た。
検定試験も受けた。本当は2級までとりたかったけれど、2級は受からなかった。それでも3級の資格は得た。

エコールを選んだことは、Yさんにとっては重要な選択だったようだ。
わたしにとって、職業訓練に通ったことが人生の転換点になったように。

エコールに行ったからこそ、今一般企業で普通の社員と一緒に働いている自分がある。
スコーラに行っていたら、ここまで自立できなかったろうとYさんは感じている。
きっと一般企業になど入れなかった。入ろうともしなかったろう。自分は障害のある体だから仕方がないと、どこかの施設で仲間と仕事をするか、暮らすかしていたかもしれない。

あのとき、自分が不安に負けずに困難な道を選んだから、一年後に一般企業への就職にチャレンジできた。
健常者の人たちの中で、一人で新入社員として働く自立心を持つことができた。

自分にはYさんの勇気はなさそうに思えて、とにかくため息の連続だった・・・・・・



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■まえがきにかえて(おことわり)■



Yさん 07:養護学校時代

その秋――つまりその年度と同義だが、その年最後のスキルアップ研修は、Yさんとの文書作成術だった。
わたし自身は、VさんとWさんとYさんがいたひとつ前のWordが最後で、Yさんとの最後の文書作成術はおまけみたいなものに感じていた。

まず内容が緊張しない。
たとえばVBAの応用講座などに、会社でVBAを使って仕事をしているという人が来て、「こういうことをやっていて、こうしたいんだけど、うまくいかないんですよ。どんなふうにコードを書けばいいですかね?」なんて聞かれたら、わたしなどパニックである。ひとまず明日までとか時間をもらうとして、それで明日にはなんとかなるのかどうかも、まったくもって定かでない。
当時のわたしには、VBA基礎だってひーひーいう内容だった。Accessでさえ、ちょっとドキドキした。

文書作成術なら、細かいルールはいろいろあるにせよ、そういった緊張がない。
「どうやったらいいですか」ったって、プログラミングやシステム設計などと違って、きちんとルールが決まっているのだからルール通りにやればいい。
ルールはたくさんの参考書に書いてある。そして当時のわたしは、持てる参考書はすべて、えっちらおっちら初日に持ち込み、最終日に持ち帰っていた。(今はもう、「必要かな」と思うものだけだ。)

Yさんとはそれまでのいくつかのスキルアップ研修で会っているので、真面目な好青年だということは分かっている。
実にリラックスした気持ちのスキルアップ研修だった。

マンツーマンだったので、休憩時間なども自由自在だった。
もう少しで終わるというところでチャイムが鳴ってしまっても、「それならやってしまいましょう」として、終わってから休憩にすればいい。
逆に、休憩でないときでも、疲れたり煮詰まったりしているときは、「少しひと息入れましょうか」とすることができる。

もともとわたしが担当するスキルアップ研修に関しては、基本的に「自分の体調や作業状況に合わせて」なのだが、Yさんも他の人の目を気にせず自由自在にできる。

休み時間には、研修の内容以外の話をして気を紛らわせた。
ずっと同じ相手と一緒にいるわけだから、全然違うことを話題にして気分転換したほうがいい。(それに当時はまだ今ほどスマホ全盛ではなく、少しでも時間があればスマホという時代ではなかった。)

Yさんは脳性麻痺。電動車椅子。歩くことはできない。手などの上半身も少し麻痺しているが、家ではいざって部屋から部屋へ移動するそうだ。上半身にはそのくらいの力がある。
脳性麻痺の人の場合、発語も少し困難になっている場合があるが、Yさんは話すことは健常者と変わらない程度にできる。

ちなみに彼は大変ハンサムな青年だった。
そして意志の強そうな顔をしていた。

彼は小さい頃からそういった肢体障害があったので、養護学校に通っていたそうだ。

――ここでひとつ、お断りを入れなければならないだろう。
「養護学校」という単語は今は使わない。「特別支援学校」となっている。
Wikipediaによれば、学校名の末尾に「養護学校」とつくものもあるようだ。だがそれは、学校名の一部であって、「養護学校」という学校種別ではない。
でもここでYさんが言っている「養護学校」とは、学校名のことではなく、特別支援学校という種別の旧名の意味だ。

しかし話の中では、「特別支援学校」に変換せず、「養護学校」のままにしておく。

というのも、内容においても、もしかしたらYさんが通っていた当時と今とでは、だいぶ違いがあるかもしれないからである。
これは今の特別支援学校が「養護学校」と呼ばれていたほど昔の話で、しかもYさんが通った学校に限った話である。
ここで語られることが、すべての養護学校に当てはまるわけではないし、もちろん特別支援学校にはたぶん当てはまらない。きっと指導法だって、教育論だって、進化していると思う(あるいは信じたい)からだ。

さて、長い断りを入れさせてもらったあとは、Yさんの話に集中したい。

わたしはそういった、「障害者等が「幼稚園、小学校、中学校、高等学校に準じた教育を受けること」と「学習上または生活上の困難を克服し自立が図られること」を目的とした学校」の内部を知らないので、興味深いことが多かった。
また、Yさんの自立の精神に感銘を受けた。

「僕は、小学校から高校まで、12年間、養護学校だったんですよ。ずーっと同じところに通っていたんです」
そこには彼のように肢体障害がある子が多かった。たとえば聴覚障害だったら、聾学校などに行っていたのかもしれない。

「養護学校って、2時半で終わっちゃうんですよ」とYさん。
だから勉強だって、もちろん進まない。高校になっても小学校や中学校の教科書を使っている場合がある。
「本当に中1って書いてある教科書なんですよ」

そういう養護学校に通ったことで、Yさんにはなんとなく怒りの気持ちがあるのだそうだ。
そんなふうに勉強だって遅れてしまったし、だから大学に行くという選択肢だってなかったし。

彼は養護学校の担任が好きではなかったそうだ。
12年間で1人のはずはないだろうが、とにかく最後の担任が苦手だったと。

悪い人ではなかったけれど、熱い人だったらしい。要するに熱血先生。
――熱い人というのは、一見いい人だが、押しつけがましくなりがちだ。
自分の信じるものが絶対の正義だという確信があると、嫌われるなんて思いもよらないし、遠慮も会釈もなく突き進んでくる。

わたしが右も左も分からなかった頃、玉名上級マネジャーが言っていた言葉を思い出す。
乱暴にまとめてしまうと、「肢体障害の人の場合は、言い争いになって相手が腕力をふるってきたら負けてしまう。車椅子の人がもし、階段の上で押されたら? 杖の人がもし、強く押されたら? だからあまり向かってこない」 その後に「聴覚障害の人にはそういった腕力のハンデがないから、反抗することもあるし、犯罪社会で生きてる聴覚障害者だっている」と続いていた。

つまり気持ちの問題である。
相手が力の強い人であれば、その力が腕力であっても、暴力であっても、権力であっても、やはりむやみなことはしない。やっぱり――自分だって引く。
電車で押されても、相手がヤバイ筋の人かと思えば、「ちょっと!」とは言いにくい。別にいい人であっても、相手が会社の幹部だったら、その人が言ったことに対して、安易に「それは断然違いますよ!」と反対はできない。そういうこと。

きっとYさんは、熱血先生に反発したり、暴言を吐いたりはできなかったのだと思う。
高校生だったら、気に入らない先生には何か言うかもしれない。面白くないことを態度に出すかもしれない。でもYさんには、普通の高校生のようには、言ったり態度に出したりすることができなかった。

Yさんがもし、自分が感じたことや思ったことを言ったとしたら、「なんだ、お前、そういう後ろ向きな考えじゃいけないぞ」とか「そういうことじゃないんだ、こういうことなんだよ」とお説教になったりとか、そういうのが嫌だったら黙るしかない。
成績を気にして黙るのとも、もっと面倒な話になるのが嫌だから黙るのとも違う――もっと、押さえつけられた心情になってしまうのだろう。Yさんの身体的事情からして、どうしても。

だから、嫌いだと思う気持ちが、より大きくなってしまうのではないだろうか?

何の根拠もない想像だけれど・・・・・・。

とにかくYさんは、熱血先生の押しつけが嫌いだったので、「どうしていますか?」なんてメールが来たりすると、「なんだよ、こんなメール送ってくるなよ」くらいに思って、返事もあまり出さないと言っていた。
しかし卒業後も3年は様子を見る義務が担任にはあるのだそうで、先日会社へもやってきたという。
上司とYさんと熱血先生の3人で話をしたそうだ。

養護学校を出た人は(当時は)、一般企業で働いているのはYさんくらいのものだったので、担任の熱血先生も、それをどうやったら今後に活かせるか知りたい。
「実際のところ、どういうところに惹かれて、彼を採用しようと思ったんですか?」
熱血先生は、本人を目の前にして、上司の方に聞いたそうだ。Yさんはとても嫌だったそうだ。

そして彼には、素晴らしいご託宣をくれた。
「マラソンでいえば、スタートラインに立ったところなんだから。これから頑張ってずっと勤めて、定年になるときにゴールするんだ」

「養護学校の先生って、たとえ話するの、好きなんですよ。よく富士山にたとえたりするし」

Yさんに「そんなに気にしなくてもいいじゃない」と言うのは、簡単だけれどたぶん違うのだと思う。
養護学校は外の世界を知らないような場所、とYさんは語っていた。
Yさんはその殻を破りたくて、そのまま養護施設などに残る道ではなく、就職を目指した。
でも12年間Yさんはその場所にいたのだ。そういう意味で、ピュアであり、まだ打たれ強くなっていない。

暑苦しい先生を、暑苦しいと切り捨てることはできない世界だったのだ。

養護学校は生徒数はあまり多くない。面倒をみきれないからだそうだ。
1学年10人とかで、担任は5人。単純に考えて、担任1人が生徒2人を見る計算になる。

そんな密な関係で、その上、嫌だからと出ていくこともできない。
息が詰まってしまうかも。

きっと今は、Yさんもさらにいろいろな経験をして、違う目で熱血先生を見ているかもしれないし、Yさん自身も変わったかもしれない。
でもこのときのYさんの話は、忘れられない・・・・・・



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■まえがきにかえて(おことわり)■


Yさん 06:スキルアップ研修 Word

わたしはスクールに向かっていた。
今日からまたスキルアップ研修。Word。
――Wordなんて実に久しぶりだ。パソコンなど当たり前に使える時代が来て、Wordなんてものは教えてもらう必要性がなくなっていた。このときでさえ久しぶりだったし、今ではもう皆無。

受講者は、脳性麻痺で電動車椅子のYさん。少し前にパソコン入門やキーボードタイピングに来ていた、聴覚障害のVさんとWさん。

VさんとWさんは、パソコンを使ったことがほとんどなかった。
当時はスマートフォンではなく携帯の時代。VさんとWさんは、学校で習うという世代からは程遠い。

VさんとWさんについては、少し前にたくさん語り、このWordのスキルアップ研修についてももう語り済みだ。
VさんとWさんは、3ヶ月にわたり断続的に来ていたスキルアップ研修が、ついに最後。
講師としては目が離せない人たちだったので、なんだか感慨深かった。

「わたしの仕事は、こうしていつも送り出していくのだなぁ」などと思った。

秋はスキルアップ研修が多い。
年間を通して行うといっても、実際は5月の連休明けから秋(8月除く)が、スキルアップ研修の時期。
8月あたりは受講者さんの夏休みの都合もあるし、スクールも実習生さんたちがいない夏休み期間は人員が減るしで、あまりスキルアップ研修も入らない。

いろいろなスキルアップ研修の事情で、年が明けてから次の年度まで――つまり1月~3月はスキルアップ研修がない。まれに何かの事情でどうしても開催しなくてはならなくて、なんてこともあったけれど、本当にまれだった。
12月は開催してもいいのだけれど――年の瀬で、企業さんも受講者さんも、スキルアップ研修の利用が減る。
だから秋で終わってしまうことが多かった。

実際この年も、実は12月にもひとつ、スキルアップ研修があったのだが、もともと申し込み人数が2人と少なく、そして申し込んでいた人2人がいずれもキャンセル。
そのコース自体がなくなってしまった。

もうこれでほぼ最後である。
次はというと、連休明け頃から始まるだろうから、半年近く空くことになる。それも「来年度もやってください」という話があれば、だ。

その秋は、なんだかバタバタとスキルアップ研修での対応に追われていて、スキルアップ研修の時期的な終わりと、自分の気持ちとしての「終わり」が同じだった。

Vさん、Wさん、もっと前に送り出していたXさん、さらにその前に来ていたUさん・・・・・・
わたしが未熟なせいもあるし、逆にわたしも気が付くようになって「こうしよう、ああしなきゃ」と対応を考えた部分もあるし、常に今と明日に追われていた。

でもやりがいはあった。ぐったり疲れるときもあるけれど、それがまたこの仕事の醍醐味でもある。

VさんとWさんに気をとられることが多かった。わたしとしても少しでも多くパソコンにさわって、慣れてほしかった。
Yさんは課題を進めるにあたってもそれほどトラブルがなく、VさんとWさんに比べると、わたしが口を出すことが少なかった。

それでもときどきはYさんと話をした。
特に彼は帰り支度に時間がかかるので、VさんとWさんが帰ったあと、花咲さんと3人で話すことが多かった。
花咲さんにとっては息子のような年だったし、わたしと違って動じることがないので、わたしが訊いていいかどうか躊躇するような質問も自然に出た。Yさんも自然に答えていた。

Yさんはちょうどその年の春に、新入社員として働き始めていた。
その前の年は、障害者の就職のための支援をするところに通っていたという。話を聞いてみると、ちょうどわたしが働くスクールみたいなところらしい。

週末をはさんでのスキルアップ研修だったので、翌日は休みだった。
「明日はそこの学校祭なんですよ」とYさんが言う。

通った期間は一年間だが、懐かしの母校。「明日は学校祭に行くんです」

Yさんとは、このあともうひとつスキルアップ研修をした。
このWordのあとに、文書作成術のコースがあったのだ。

しかし申し込みがYさんしかなかった。
・・・・・・こういった場合、わたしはお役御免になる。いろいろな事情のからむルールで、少人数コースといっても1人しかいない場合は、わたしは呼ばれないことになっていた。

それでもやらせてもらえたのは、たぶん、たぶんだけど、花咲さんのおかげではないかと思っている。
秋の一連のスキルアップ研修であたふたしているのを見ていて、最後にごほうびとして、それほど難しくない内容で、人数も少ないやりやすい講座をさせてくれたのではないかと。
公には不可だと思うので、もしかしたら違うかもしれないし、想像通り花咲さんのおかげだとしても、どういう寝技を使ってやってくれたのか分からない。――だって、花咲さんだって、公的な地位は決して高くないのだから。

Yさんとマンツーマンで行う文書作成術で、この年のわたしのスキルアップ研修は終わりだった。
2人しかいない講座の中で、わたしはYさんの話をいろいろ聞かせてもらった。

それはとても印象に残る話だった・・・・・・



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■まえがきにかえて(おことわり)■



Yさん 05:脳性麻痺

けっこう日が経ってから知ったが、Yさんは脳性麻痺。電動車椅子。本当に若くて、まだ二十歳前。

ところでYさんは脳性麻痺だが、車椅子。健常者とまったく同じように話せる。ただ手足が麻痺していて、特に足は立てるほどにも力が入らないようだ。
脳性麻痺という人で、足がおぼつかない程度で杖の人も知っている。その人は話し方が滑らかではない。筋肉が緊張して、頭が揺れたりするし、言葉もハッキリしないときもある。

脳性麻痺というと、後者の人が多いような気がしていた。筋肉に必要以上の力がかかって、話し方や歩き方が健常者と違う。手に力がうまく入らなかったり、麻痺があったりして、細かい作業や力加減の要る作業が不得手。

でもYさんは健常者と同じように話せるし、話すときに顔に力が入ったりしない。
ご本人が「話は普通にできます」と言っていたが、本当に「普通に」話ができる。そしてそれを言うのも分かる気がする。脳性麻痺というと、発声がスムーズでない人も多いから。

脳性麻痺というのは、「受精から生後4週までに何らかの原因で受けた脳の損傷によって引き起こされる運動機能の障害をさす症候群。」ということだそうだ。(Wikipedia)

その後「脳卒中で脳性麻痺になった場合」というような、リハビリについての記事を見たことがあるが、確かにそれも脳性の麻痺だと思った。でもここでは、従来の「受精から生後4週までに」のケースに限って脳性麻痺と考えることにする。

とにかく「受精から生後4週までに何らかの原因で受けた脳の損傷によって引き起こされる運動機能の障害」である。
だから一律ではない。
Yさんの場合は、障害がそういう形で出た。ほかの人は、ほかの形で出る。症状はみんな同じというわけではないのだった。

Yさんは話ができて、足はほとんど完全に麻痺していて、杖のあるなしに関わらず歩くことができないので、一見したところ頚椎損傷の車椅子の人と同じように見える。

ただこのときは、わたしはあまり深く考えることはなく、場当たり的に対処していた。
名称が何であるかより、どういう症状があり、どういうふうに進めるのがいいかということが大切だからだ。

後日、わたしは脳性麻痺の症状について検索してみた。
特にスキルアップ研修では、毎日が「今日の、今の進行」「明日以降の対応」に忙殺されて終わってしまい、たとえ必要があって何かを検索しても詳しく見ることは、あまりない。
日が経って、自分が落ち着いてからふと、「そういえば」と思い出すことが多い。

Yさんは脳性麻痺だと言っていたけれど、最初は頸椎損傷の人と同じように捉えていた。
それというのも「発声、発語は健常者同様」「車椅子」――「電動車椅子だったから上半身にも麻痺がある」という特徴だけを見ていたからだ。
Yさん自身「話は普通にできます」と言っていた。実際のところ、脳性麻痺の人は話すことについては、どのような症状があるのだろう?

自身が脳性麻痺で、ブログやSNSなどで活発に情報を発信している人が見つかった。
記事を見ていると、筋肉の不随意運動について、よく書かれていた。力が入らなかったり、逆に入りすぎてしまったり。
それからしゃべるとき、どうしても発音がはっきりしなかったり、なめらかにしゃべれなかったりすることについて。
日頃からできるだけ歩く練習をしているというのも、よく出てきた。散歩などをするようにして、転ばず歩けるよう、バランスをとる練習をしている。(この方は既に20代30代という若さではなかったので、年をとっても歩けるようにと健常者よりも努力していた。)

もう一人、脳性麻痺の人を見つけて、その人の記事もいくつも読ませてもらった。
最初の人は人を面白がらせる語りに長けていて、このもう一人の人は文学的な文章に長けていた。
どちらも読み物として楽しめて、Yさんとの思い出がだいぶ昔のことになってからも読ませてもらった。

文学的な脳性麻痺の人のほうは、麻痺の度合が大きかった。
もちろん多少は手足を動かせるのだと思うけれど、「起き上がる」「ベッドに移動して横になる」などは難しいようで、介助の人が朝や昼や夜に来る。座らせてもらえば、座ってパソコンに向かったり、テレビを見たりできる。寝かせてもらえば、自然に眠ることができる。その「立つ」とか「座る」とかいった動作が一人ではできない。
パソコンは当然手では打てない。自分で工夫して道具を作って、入力している。
なんとサンバイザーに棒を取り付け、サンバイザーを頭に装着すると、額から棒が突き出ているような格好になる。その棒でキーボードを打つという。

自分が今までスクールで出会った脳性麻痺の人たちを思い起こしてみると、面白い語り口調の人に近い人が多かった。

仮名は適当に割り振って、また時代順ではなく思い出した順に考えてみると――
Aさん:自力で歩いていたが、バランスは完全ではなく偏った歩き方。発語に少し麻痺あり。
Bさん:松葉杖のような、両脇に1本ずつはさむ杖。足はまっすぐではなく、ちょっと不思議な方向に曲がった形。足と杖とを交互につきながら、かなり早い速度で歩く。足を怪我した人がこういう杖を使っているときよりも早いペースで、「カチャン、カチャン、カチャン、カチャン」と杖をつく音が聞こえてくる。慣れているのだ。「カチャンカチャン」と音がしていたのだから、木製ではないのだと思う。
Cさん:杖だけど、1本。発語に少し麻痺あり。

ほかにもきっと出会っている。でも全員は思い出せない。

学生時代に有料ボランティアというのをしたとき出会ったDさんは、文学的文章の人に近かった。
なんという種別になるのか知らないが、施設で暮らしている。ほぼ寝たきり。というのはたぶん、文学的文章の人と同じで「起き上がる」「ベッドに横になる」「座る」などの動作ができないため。
本を読むには、ベッドに横になった状態でちょうど読める位置に、装置を使って本を固定する。ページをめくるのは施設の職員。読書中ずっとそばにいてめくってくれるのか、定期的にやってきてはめくっていくのか、聞かなかったので分からない。
その人は高校にも行けなかったので、夜間高校に通うことになり楽しみにしていて、そこに付き添いでついていくのがわたしの仕事だった。――もちろん一人じゃない、もっと分かる人と一緒に。
車椅子は「座る」というより「横になっている」に近いタイプのもの。
話すのはとても大変そうだった。筋肉をスムーズに動かせないので、必死で力を入れて、首を振りながら一生懸命唇を動かそうとして、ようやく一語絞り出す。あまり必死になると、力を入れすぎたあまり硬直してしまう。

もう一人、Eさんという人も、学生時代のボランティアで出会った。
その人は完全に寝たきりというほどではなかった。たぶん、いざって移動できる。でも立つことはできない。たぶん立たせてもらっても、杖などを使って歩けはしない。
トイレ介助で便器に座らせると、体勢を維持して用を足すことはできる。しかし自分で拭くことはできない。

そういえばFさんという人にも出会った。
Eさんとだいたい同じ。でも、やろうと思えば、スムーズではないが自分で拭くことができる。

そしてまたスクールの話に戻ると、スキルアップ研修で出会ったGさんは、症状がとても軽かった。
Gさんは断続的にいくつもスキルアップ研修を受けていて、とても気さくで人当りがよく、いろいろ話もした。
年に1回か2回、多ければ3回4回来た年もあって、何年かにわたってスキルアップ研修を通して会い続けた。が、Gさんがどういう障害なのか、よく分からなかった。
わたしには詳しい情報は伝えられないし、ましてスキルアップ研修はスクール外の会社向けのコースだから個人情報の管理は厳しい。単に「肢体障害」ということしか知らなかった。
でもどこが障害部分なのか分からない。そのくらい軽度だった。
歩くのも健常者と同じように見える。話すのも食べるのも、違いがないように見える。キーボード入力は遅めだったけれど、「あまり得意じゃないのかな」と見える程度。
――今にして思えば、それが障害だったのかもしれない。でも一目で「ああ、手に力が入りにくいから入力が遅いんだな」とか「ああ、手が震えてしまうから入力に時間がかかるんだな」とか、分からないくらいなのだ。たまたま「すごく速い人から比べると、ちょっとゆっくりめかな」と思う程度。

Gさんはずーっとどこが障害なのか分からず、しかし発達障害や精神障害、内部障害など、目に見えない障害ではないことだけ、知っていた。
「CPサッカーという脳性麻痺の人たちがするサッカーがあって、そのチームに入ってプレイしている」と聞いて、脳性麻痺だったと知った。

つまり本当に、どこに症状が出るか、どの程度の症状かというのは、人それぞれ違うのだ。

Yさんは下半身の麻痺が強かった。歩くことはできない。
上半身も若干麻痺がある。でも痙攣することはないようだったし、少し不自由はあっても比較的自然な動きだった。
だから家の中ではいざって移動するそうだ。上半身の力で下半身を引っ張ることができるわけだ。

首から上にはまったく麻痺は見られず、話すときも自然。スムーズ。表情も動かし方も声も健常者と違いはない。

「脳性麻痺」とひとくくりになってしまうと、どうしてもイメージが偏ってしまう。
Yさんと出会って、そのことを知った・・・・・・



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■まえがきにかえて(おことわり)■


Yさん 04:再び雨の日

この日も途中から雨になった。

またYさんをバス停まで送っていく。
Yさんには以前案内してあるけれど、雨の日ルートは分かりにくいのだ。

バスが来て、またYさんがバスに搭乗するための作業が始まる。
バスのエンジンを止め、運転手さんが運転席を離れ、車椅子スペースの座席を畳み込み、畳んだ座席をしっかり固定。
ステップをウイーンと出し、Yさんバスへ、運転手さんはステップ格納、Yさんはチェーンなどで車椅子ごとがっちり固定、固定が完全か力を入れてみて確認、また確認。よし。
運転手さん前に戻って、エンジンをかけ、発車の合図。

この日の運転手さんは感じの良い態度だった。
前回の人は特別意地悪な人だったのかな、と比べてしまうくらい、愛想よく仕事をしていた。
今回の運転手さんは、ごく普通の態度で、たとえば「高齢者の方が乗ろうとして苦労しているから、ちょっと手を貸しにやってきた」とでもいった感じ。ナチュラルだった。

感じよくエンジンを止め、感じよくステップを出し、感じよく乗せてくれたけれど――でも、なかなか固定ストラップをセットできない。
床にかがみこんであれこれしてくれてる。時間としては、前回よりもだいぶかかっている。

その間ずっと出発を待つばかりのほかの乗客。
なんか、気まずい。

障害がありながらこうして外に出ていくというのは、目に見える苦労だけでなく、目に見えない苦労もあるということを、またしても改めて感じた。

たとえば運転手さんが、待っている乗客たちに「すみませんねぇ」と謝るわけにもいかない。それは搭乗に時間がかかる人が乗ってきたせいで申し訳ない、と言っているようにも聞こえて失礼である。
だからといって、「私の手先が不器用で、時間がかかっちゃって申し訳ない」なんてことを言うのも、なんだか変だ。それはそれで、やはりYさんだっていたたまれない。
まだ若いYさんが、知らない人たちに「すみませんねぇ」と声をかけるのも難しい。それに、そこでYさんに負担がかかるのは筋違いである。

乗客がフレンドリーに「大変ねぇ」などと声をかけたら? 場が和んで、いい雰囲気になる?

・・・・・・Yさんとの出会いから年単位で時が経ったとき、脳性麻痺の人のSNS記事を読んだ。
その人は自分で体を動かすことが難しいレベルで、生活のほぼすべての場面で介助が要る。
それでもアクティブに生活を楽しもうとしている人で、介助者の人に外に連れていってもらうことも多いらしい。日常の買い物など必要以外でも、花火を見に行くとか、散歩に行くとか、機会を作っているようだった。
その人が語っていた。親切そうな女性が温かい気持ちから、介助者の人に「あら~、こんな時間まで、この人のために介助で来てるの? 大変ねぇ~」と頭越しに話しかけていて、傷ついた、と。まるでその人が小さな赤ちゃんで、何も分からないかのように、介助者だけに話しかけていた。その人自身のことを大声で。

親切のつもりで話しかけても、理解が足りなければなおさら傷つけてしまう。

それほど極端な例でなくても、そういうことはいくらでもあるし、人によって感じ方は違うから難しい。
健常者同士だって同じ問題はいくらでも起こっている。
電車の中で赤ちゃんを抱いた若いママに「かわいいわねぇ~、いくつ?」と聞く年配女性。嬉しそうににっこりして答えている人もいれば、鬱陶しそうに言葉少なに降車駅を待ち望む人もいる。嬉しそうに答えていた人も、相手が「あら~、ここ虫に刺されちゃったの? 可哀想にねぇ~、虫刺されにはこうすればいいのよ、こうしたら刺されにくいわよ、ああいうところに行っちゃだめよ・・・・・・」となってきたら、有難いと思う人とうるさいと思う人がいるだろう。
天気のいい週末、人で賑わう山にハイキングに行ったら、畑で働いている地元の人がいて、あいさつした。「こんにちは! 山登りですか、どこまで?」と答えてくれる人もいれば、仕事の邪魔をされてうんざりする人もいる。あいさつしたハイカーは、「あいさつしたのに、愛想が悪かった」とブログに書いていたりする。相手にもよるだろうし、その日すでに何人もが通り過ぎ、そのたびにあいさつされて仕事が進まなかったとか、状況にもよるだろう。

――とにかくYさんの話に戻すと、「ほかの人も何か言ってあげればよかったのにね」と安易に考えることはできない。

Yさんがどういうことを好む人か、初対面では分からない。和ませるつもりが、逆になおさら恐縮させてしまうかも。
Yさんが日頃どういうことで苦労しているか、初対面ではなかなか想像がつかない。慰めるつもりの言葉が、相手を傷つけてしまうということだってある。

Yさんに出会った当時、ちょうど友人が義肢装具を作る仕事につきたいと勉強していて、障害についても障害者についても興味を持つようになっていた。
(その友人は結局、1年くらい勉強したけれど義肢装具の世界から離れて行った。稀有な時期だったのだ。)
その友人が、障害のある人のための仕事をしているので、わたしにもいろいろ聞いてきていた。
そんなことがあって、わたしはいろいろなことに気づくようになった。いろいろなことを考えるようになった。

何度も書いてきて、また繰り返しになってしまうけれど、わたしのスタンスは「パソコンを教える人」。
福祉や障害については、知識も経験もない。だから誰とでも一般人として接し、自分に求められること、つまりパソコン知識を教えることをする。
裏返せば、半端な知識や経験で余計な口出しをするのは、求められていない。むしろ、自分の分をわきまえ、そこに留まることこそ求められている。

だから、前は意識的に考えないようにしていたという一面もある。

だけどこの時期、友人がそれこそ素人の気安さと初心者の情熱を持って、障害についていろいろ言っていたので、わたしも少し枠をはみだしてしまっていた。

さらに、自分自身の仕事も変わってきていた。

職場への障害者の受け入れが進み、普通の企業の普通の部署に、普通に障害のある人が入社することも増えて来ていた。
それはとてもよいこと――だけど、別に何を勉強したわけでもない普通の人が、それこそスクールに入ったばかりのわたしと同じ右も左も分からない人が、迎え入れる側になる。

そういった現場では、「?」が増えていた。
どうしてこんなことをするのだろう? どうして言った指示がきちんと伝わらないのだろう? どうして「なんかうまくいかない」という状況になるのだろう?

スキルアップ研修に社員や従業員を送り出す会社の中には、「なんかうまくいかない状況を打開したい」という意図のところが増えてきた。単純に「この人、Excelに関してうちのレベルに達してないなぁ、研修に行かせよう」という考えではなく――。

PCプラクティスではそういうことを必要とされていないけれど、スキルアップ研修では「もしかしてジョブトレーナー的な役割が求められている?」と思うことが増えていた。
Yさんが来たのは、わたしにとっての転換の時期だったということかもしれない・・・・・・



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Chapter 4 どこかの誰かのストーリー



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■まえがきにかえて(おことわり)■


Yさん 03:雨の日

YさんはAccessにExcel応用にWordに文書作成術と、いくつかのスキルアップ研修に立て続けにやってきた。

最初のAccessのとき、ある日雨が降った。
花咲さんが「バス停まで濡れない道を行きましょう」と言って、肢体障害のYさんとZさんを帰りのバス停まで案内することになった。
うまく軒下や建物の中を通って行けば、すぐそこのバス停までほぼ屋根の下を行ける。ただちょっとややこしかったので、口では説明できなかった。

わたしはほとんどバスを使わないし、屋根の下コースは遠回りでもあるので、普段行かない道だ。
「○○先生も一緒に行ってみます?」と言われたので、行くことにした。
つきあいがいいというより、こういうとき「いえ、わたしは早く帰りたいので」というようなことを言えないだけだ。
普段通らない道なので、ちょっと面白かった。

Zさんだけだったらともかく、Yさんは車椅子なので雨は困りものだ。
自走の車椅子の場合、手は車椅子を動かすのに使うので傘がさせない。車椅子用レインコートなど売られているが、電車の人は駅までの道がちょっとつらい。
電動車椅子の場合、電動であるということは上半身にも何らかの障害があるということなので、やはり傘を自在にさすことが難しい。
YさんやZさんが普段は駅まで自力で行っていたとしても、雨の日はバスのほうがいい。

このときYさんとZさん以外に、もう一人聴覚障害の若者がいたが、彼は絶対屋根の下を通ったほうがいい理由はないし、屋根の下コースは遠回りになるので先に帰っていた。

花咲さんは「ここを曲がるんですよ」などと話しながら歩いていく。
一度案内しておけば、これから先、また雨の日があっても今度は一人で帰れる。
それに朝、雨が降っていたときも、バスを使って駅からここまで来て、そして濡れずにスクールまで来ることができる。

そのバス停は広い屋根もあって、濡れないようになっている。
そこでわたしたちはバスを待った。花咲さんとわたしは、ZさんとYさんが乗り込むのを見届けるつもりだった。

バスがやってきた。

最近のバスはずいぶんバリアフリーになっているが、さすがにYさんのような車椅子の人が乗るとなると、自力では乗れない。
運転手さんが運転席を離れてやってくる。

この日の運転手さんは、常にそういう人なのか、たまたまひどく疲れていたとか虫の居所が悪かったということなのか、Yさんを載せなければならなくて、実に不愉快そうだった。

確かに面倒な作業ではあった。
実はわたしはバスをあまり利用しないし、こういった状況に出くわしたことがない。
だからそのとき初めて、車椅子の人がバスに乗るところを見たわけだが、時間のかかるものだと知った。

まず運転手さんが運転席を離れる。
バスの乗車ドアの向かいの席を畳み込む。補助椅子みたいにパタンと折りたためるということを、初めて知った。
折りたたんだ座席は、落ちたりしないようにきちんと固定する。
それからYさんをバスに乗せる。スイッチ操作ででウイーンとステップが出る。こういうステップは普段は見たことがなかった。
しかし結構時間がかかる。出てきたステップにYさん移動、今度はウイーンと上に上がる。Yさんがバスに乗り込んだら、ステップは再び格納。
乗せたYさんは、車椅子ごとガッチリ固定。バスは揺れるので、しっかりと車椅子を固定しておかないと危ないらしい。固定用の金属の鎖のようなもので、手すりのようなところにしっかりとつけていた。
しっかり固定されているか、力を入れてみて確認。
それからようやく出発だ。

ちょっと乱暴な手つきで運転手さんが作業をしている間、Yさんは「すみません」と何回も言っていた。
花咲さんは大人なので、わざと明るい声で外から中の運転手さんに「よろしくお願いします」「ありがとうございます」と言ったり、Yさんに「気をつけてね。また明日ね」と言ったりしていた。

しかしもちろん、そんなことで運転手さんの機嫌が直るものでもない。何も答えず、ただ仏頂面で作業をこなしていた。まさに「仏頂面」という言葉がピッタリの表情だった。
たぶん、こういうことはよくある。このバス停は、スクールや近くのほかの施設の人も利用するのだから。
この運転手さんにすれば、「あー、今日はいたか、運が悪かったな」ということなのだろうと察することができた。

Yさんは、駅についたらまたこの運転手さんの手を煩わさねばならず、また嫌な思いをして「すみません」と言わなければならない。

PCルームを出る前、花咲さんがYさんに「明日の朝、もし雨が降っていたらタクシーで来るのよ」と言ったが、Yさんは「いや、大丈夫です」と言っていた。
「風邪ひいたらどうするの! ちゃんとタクシーで来るのよ!」と花咲さんは言い、Yさんは「タクシーは、ドライバーによっては嫌がられるから」と答えた。
そのことを思い出した。

タクシーの場合は、ドライバーさんはYさんを座席に運び入れる。
それから雨の降る中、電動車椅子をトランクに積み込まなければならない。
自分が濡れるということもあるし、泥や水がついた車椅子をトランクに入れるのも嬉しいことではない。そういうことらしい。

快く乗せてくれるドライバーさんもいるだろうし、たとえ心の中はどうあれプロとしてきちんと接客してくれるドライバーさんもいると思う。
でも運が悪かったら今日の運転手さんみたいな人に当たっちゃうこともあるのだから、確かに「そのくらいなら濡れても自力で行く」という気持ち、よく分かる気がした。

――先方にしてみたら、運が悪いのは自分だってところだろうが。

わたしには安易にこの日の運転手さんを非難することはできない。自分が同じ立場だったとき、「嫌な顔ひとつせず」が徹底できるかどうか自信がない。1回だけのことではないのだから。毎日のルーチンな仕事の中で、そういうことがある。そのために遅れるとか、もしかしたら自分の手や膝がちょっと痛かったりする日でも、仕事としてやらなければならない。

この人の気持ちは分かる。
しかしYさんもつらいだろうと思う。だって、Yさんにとっても、これ1度のことではなく、日常のことなのだから。
レインコートを着るのでも、傘をさすことが難しいのでも、いつものこと。「すみません」と人の善意に頼るのもいつものこと。嫌な顔をされても怒ることもできないのもいつものこと。――だって、放り出されたり、蹴飛ばされたりしたら、力ではかなわないのだもの。つい「すみません」と言ってしまうだろう。

そういうすべてのことが、日常のことなんだものな・・・・・・



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■まえがきにかえて(おことわり)■


Yさん02:Yさんの仕事

Yさんの会社では障害者雇用は初めて。
大きい企業だったから、企業グループ全体としては初めてではないだろうが、その会社では初の障害者だった。

Yさんは、新人であると同時に、これまでになかった初の障害者でもあった。
会社の人たちはYさんに気遣いをしていたろうけど、なにしろ初めてのこと。
そしてYさんの側も、「会社で働く」というのは初めてのことだった。いや、そもそも「社会に出る」ということからして、初めてだった。アルバイトなどをしたことはないだろうから。

Yさんは新人らしい仕事も割り当てられているようだった。
たとえば書類のホチキス留めとか。
たまたまわたしが紙資料を配ったときに、そういうことを言っていた。

スキルアップ研修では一斉授業をしない代わりに、知っておいたほうがいいかもしれないことを印刷資料にして配ることがある。講師によっては板書するかもしれないし、一斉授業をしている科目もあるが、わたしの科目はほとんどが自習タイプになるので、適宜配っている。
渡す資料をホチキスなどで留めるかどうかは、そのときどきで決めている。
手も麻痺があったり、片手しか使えなかったりする人には、ホチキス留めをしていないほうがいい場合もあるように見える。
こだわりがあって、ホチキスを留める位置はここがいいと思う人もいるかもしれない。
留めずに渡して、「ホチキスはここに置いておくので、留めたければ自由に使ってください」と言うこともあるし、そのままがいいかホチキス留めがいいか、先に聞くこともある。
随時いろいろな補足資料を渡して、最終的にかなり多くなる場合は、あらかじめ留めて渡すこともある。もしかしてめくりやすくても、日が経つにつれ増えて、わけがわからなくなる。

Yさんの場合は、手にも少し麻痺があるようだったので、まず留めずに渡して、ホチキスがあるということを伝えた。
受講者さんは少ない回だったので、Yさんが見終わったらわたしがホチキスで留めてもいいと思った。

Yさんがホチキスで留めるというので、「(わたしが)留めましょうか?」と聞いてみた。
Yさんは「大丈夫です、自分で留めます」と言う。

「これも練習だから」

会社でもたとえば会議資料や書類などのホチキス留めを頼まれることがあるらしい。
しかし手にも不自由があるので、ぴったり角を合わせた状態で留めるのが難しい。
麻痺というより、若干の筋肉の不随意運動だ。頚椎損傷の人のような、握力がないとか、力が入らないというのではない。逆に、意思に反して急に力が入りすぎたりする。そうでないときも自在に動かすのは難しい。あとからYさんは脳性まひだと分かった。

「ぴったり角を合わせて留めるのが、自分には難しいんです」と、なんとなく危なっかしい手つきでホチキスを操るYさん。
危険があるというわけではなく、手元がふらついているというような感じ。確かにこれではピッタリ角を合わせたまま、パチンとホチキスに力を入れるのは難しそうだ。

「会社の資料なんだからきちんと角を合わせて留めて、って言われちゃうんで。これが結構難しいんですよ」

そりゃ難しかろう。
あまり気にしない性格だからとか、無造作に作業するタイプだからとか、そういうことなら「きちんとそろえて」と注意するのも必要だと思うが、Yさんは気をつけるとかそういう問題ではないようなので、ただYさんのストレスになるだけのように見える。

しかしそれはわたしが言うべきことではない。
会社の上司や周囲の人も、やがて分かってやり方を考えるだろう。Yさんに依頼する業務の内容に配慮するとか、その分Yさんができるほかの業務を多く割り振るとか、便利な補助具を準備するとか。
Yさんのほうも、やがて工夫するだろう。あったほうがいい補助具があれば、会社に購入を依頼するとか。そもそもこの業務は無理があると思ったら上司に相談するとか。
自立を望んでいるのだから、自分にできることとできないことの判断をして、それを上司に相談したり、周囲に説明したりできるようになることも、大切なステップだ。

花咲さんも「そうね。練習ですね」と励ます。

今、手探りで歩み寄っている段階の会社側とYさん。余計な口出しをする時期ではないということだったのだろう。

会社側、あるいは上司の方は、手探り段階に見えたが建設的な手探りだった。

ホチキス留めのような、いかにも新人さんがとりあえず頼まれそうな業務だけでなく、もっと踏み込んだ業務も頼んだりしている。
Yさんが「会社ではExcelをよく使っていて、VLOOKUP関数を今はよく使って作業している」と言っていたからだ。

Excelはどんな会社、どんな部署でもヘビーに使われているように思える。全部とは言わないが、かなり多くの会社でヘビーに使われている。
使い方はさまざまなので、ひたすらグラフなどを駆使して報告書を作っている人もいれば、データを抽出したり加工したりするだけで計算はしない人、関数をバリバリ使ったファイルで仕事をしている人、いろいろだ。
で、その関数を使うとき、「関数使ってます」と言いながらΣボタンをクリックするだけのSUMしか知らない人もいれば、使いこなすのがちょっと難しい関数まで使っている人もいる。
VLOOKUP関数は、ワンランクアップな感じの関数だ。今や使える人は多いが、「あ~、あれが使えるんですか」というひとつの基準になっている。

Yさんが学校で習ったであろうその関数を、「じゃあ使ってこの仕事をお願い」と頼んでくれるのは、Yさんに新入社員として成長を期待している証と感じられる。

かつて「その会社で初の障害者雇用」として雇われた聴覚障害の人が、「ちょっとそこに座っていて」状態だと言っていた。忙しくて誰も仕事を教える暇もなく、どう扱っていいかも分からないため、「座ってて」から抜け出せない。スキルアップ研修に行くとなったら、「そのテキストを就業時間中いくらでも勉強していていい」と言われる。
ようやく仕事を頼まれても、誰でもできるようなコピーとり。と嘆いていた。

Yさんは、たとえ今、多少彼に合わない業務を割り振られていたとしても、それは新人なら誰でもそうである程度のものだ。彼には未来がある。
良い未来になったらいいと思った・・・・・・



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■まえがきにかえて(おことわり)■



Yさん 01:Accessにて

あたふたしていたある秋の一連のスキルアップ研修、YさんはAccess基礎、Excel応用、Word、文書作成術と連続で来ていた。

Access基礎は3人だった。肢体障害で電動車椅子に乗っているYさん、肢体障害のZさん、もう一人は聴覚障害の若い男性。
その秋の一連のスキルアップ研修では、個性の強い人たちがいたけれど、このコースは講習らしい講習だった。

それなら楽だったかというと、そうでもなかった。
わたしはAccessを業務でディープまたはヘビーに使用したことはない。Accessを使って業務用システムを作ったことなどないのだ。
そういうPCインストラクターはそりゃ多い。わたしだけじゃない。
AccessをプログラマーやSE並に駆使して、業務用システムを構築した人なんて、そうそういない。

でもAccessの講習としても、わたしはスクールで何度かスキルアップ研修をしただけだから、自信を持てない。

これが講習会なら、決められたテキストに沿って進めるだけ。休み時間の質問程度で恐ろしく突っ込んだ質問をされることは少ない。
テキストがあってその通りに全員で進んでいる講習会というのは、求めたレベルより低くても何も言わずに帰る人が多い。知りたかったことをすべて講師に聞こうという意気込みで、休憩時間も終了後も高度な質問をしまくることはない――時にはあるとしても、めったにない。
もし求めたレベルでなかったとしても、「この講習会は思ったより簡単な内容だったんだな、次はもっと応用的な講習会を探して申し込もう」と考える。わたしだってそうだ。基本的に質問というのは、今回の講習内容に沿ったものになるのであって、日頃の業務で困ったことがあるから相談に乗ってくれというのは多くない。それに、そういう質問に対して「それは現物を見ていないので、なんとも言えませんね」とか「今回のテキストにあったように、根本的な考え方としてはこれこれこうですが、業務となると仕事の流れに沿って考えますし」とか、そのものズバリでない答えが返ってきても、それほどガッカリしない。「そうだよな」と納得してもらえることが多い。

しかしスキルアップ研修は、個人個人のペースで進めてもらって、ことによると希望で多少内容を変えることがある。
たとえば、Aさんは初めてだからテキストを繰り返し進めるが、Bさんは以前も勉強したことがあるのでテキスト確認は最小限にして問題集をたくさんやる、Cさんは自己流で使っていてきちんと基礎固めをしたいということだから、基礎コースだけど終わったら応用テキストに進んでもらう、というように。
こうなってくると、「僕は今、業務で以前に作られたAccessシステムを使っているのですが、それをこういうふうに変更したいんです。どんなふうに直したらいいでしょう?」なんて言われるかもしれない。それを「そうですねぇ、今回のテキストとは違う内容なので、お答えできませんねぇ」とは言いにくい。
「実物を見ていないのでなんとも――」と答えても、「今日、帰りに会社によって、サンプルデータを明日持ってきます」なんて言われかねない。

それでも来る人がAccessを使ったことがなくて、「やってみようかな」とやってきた程度だったらいい。わたしもゆとりの心でじっくりフォローできる。
本気でやろうと思っている人が細かく突っ込んでくるのでおろおろするのだ。そういう人は仕事上の必要に迫られて来ているので、あやふやなまま答えるわけにもいかない。

このときはZさんという人がいて、会社ですぐにでも使うということだった。
現在はExcelのシステムを使っているけれど、それをAccessシステムに移行するのだそうだ。
だから小さなところを突っ込んで質問してきて、かなりドキドキした。
今だったらもう少し余裕を持った気持ちでいられたろうが、当時は今よりもっとドキドキだった。今よりさらに能力が低かったからだ。

Zさんにドキドキさせられた分、Yさんをフォローするのは楽しかった。
楽しかったという言い方は誤解を招くかもしれないが、YさんはAccessは初めてだと言い、そして熱心だった。
熱心な受講者さんというのは、やはり講師をするこちらも楽しいものだ。でもZさんの熱心さとは違って、基礎を一からやっている熱心さなので、ハラハラドキドキすることもない。質問されても答えられるし、「ああ、そこは確かに分かりにくいけど、こういうことなんですよ」と自信を持って説明できる。
――さすがに当時のわたしだって、基礎のテキスト内容くらいは堂々と答えられる程度にはなっていた。

Yさんは二十歳くらいの若者で、顔立ちは整っていた。でもとても若く見えたので、当時倍とはいかなかったがかなり年上のわたしからしたら、「かっこいい!」というより高校生さんのような感じだった。
でもスキルアップ研修は一応「社外研修」という扱いになるので、毎日スーツを着てきていた。クールビズ風にノージャケット、ノーネクタイの日もあったが、少なくともワイシャツとズボンは会社用だった。
花咲さんに「会社じゃないから、楽な服装でもいいのよ」と言われても、「いや、やっぱり研修だから」と答えてビジネススタイルを通した。

Yさんは本当に若くて、後で知ったらまだ二十歳を越えていなかった。
会社では彼のような肢体障害者はあまりいないようで、上司もYさん自身も手さぐりの就職。Yさんは若かったので、他での就職経験はなかったのだ。

――大きなグループ企業の会社だったので、企業全体では法定雇用率を達成しているのだろうと思うけど、詳しいことは分からない。Yさんが働いているのはその中のひとつ。特例子会社ではなかったし、親会社でもないようだった。

上司の方は、Yさんにいろいろと気を配っているようだった。花咲さんとあれこれ相談していたらしいからだ。
花咲さんはスキルアップ研修運営のための事務をするが、その中で企業と連携をとる役割も果たしている。
たとえばPC系のスキルアップ研修であれば、バージョンを確認する必要もある。業務でどのようなことをするから、どういうことを覚えてきてほしい、と会社側から希望がある場合もある。必要な配慮について花咲さんから確認することもある。
そういった折に、困りごとの話になることもある。花咲さんは上級マネジャーに報告して、スクールとして相談窓口となるか、上級マネジャーが話をするか、指示を受けて花咲さんが対応するか、状況を見ながら対処する。

Yさんの上司は、Yさんに友達がいないことを心配していたそうだ。
もちろん「友達」というのは、会社内の話だと思う。お昼を一緒に食べる人、仕事中に軽く話をしたりする人、帰りに駅まで一緒に帰る人、そんな同僚のこと。
「この研修で、友達と仲良くできるといいのですが」というようなことを言っていたそうだが、その点は大丈夫だったようだ。
YさんはAccessの期間中、同じ肢体障害のZさんとお昼を一緒に食べていて、楽しそうに話していた。Zさんとは年がずいぶん離れていたけれど、年が近いもう一人の若者は聴覚障害で手話が必要だったから、仲良くなるには時間がかかる。

こういうスクールみたいなところは当事者にとって過ごしやすい部分がある、と改めて思った。
そのためか、最終日にわたしが「明日からExcel基礎だ」と言うと、Yさんは「受けたほうがよかったかな」と言っていた。Yさんは基礎は受ける予定がなく、そのあとのExcel応用だけ来る予定だった。
――いや、いらないと思う。会社で既にVLOOKUP関数を使っているくらいなら。

3人目の聴覚障害の若者は、手話族のいないスキルアップ研修だったので、若干寂しかったかもしれない。杞憂かもしれないし、本当のところは分からないが。
彼は昼休み、携帯をカフェテリアのテーブルに置いて、手話で話していて驚いた。そういうテレビ電話みたいな使い方ができるのか。

Yさんに関しては、やはり周りが構えてしまうところがあって、まだお昼仲間ができるところまでいっていないのかもしれないと考えた・・・・・・



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■まえがきにかえて(おことわり)■


ある秋の一連の日記 11:そしてWord

またVさんとWさんがやってくる。
Wordのスキルアップ研修だ。

Wordは久しぶり。
Excelの需要はうなぎのぼりだが、Wordのほうは減っていた。だいたい使えるし、複雑に使うことは特殊な職業以外ないし、会社によっては使わないこともある。文書だってExcelで作っちゃうんだから。

VさんとWさんに、Excel応用から来ているYさん。

前回のAccessと、前々回のExcelのときは、Yさんのところにいることが多かったが、VさんとWさんがいてはだめだ。VさんとWさんにつききりになってしまう。
2人とも、「へぇ~、なるほど」と言ったりしても、忘れちゃう。何度も何度も同じことを繰り返す。

でもふたりともすごくパソコンに慣れた。

特にWさんは、最初のときから比べると、見違えるよう。
Vさんのほうは会社でも少し使っていたそうだけれど、Wさんはまったく初めてだった。

家にパソコンはあると言っていた。
「でも息子の」「自分は触らない」と笑顔で言う。

掲示板に自分の言葉で入力してもらう練習のときは、「てにをは」が適当すぎて、文章の意味が通らないことばかりだった。
SNSその他ネットでの交流や、携帯やスマートフォンでのやりとりが増えた世代は、「てにをは」が苦手な人などいなくなったが、Wさんはその前の世代だ。
でも新聞はいつも持っていて、電車の中で読むと言っているのに、そこは不思議だ。

前回の復習で、「まずExcelを少しやってみましょう」とやってもらったら、今までとは違ってサクサクできた。
もちろん全然サクサクなんてしてないんだけど、「何から手をつけていいのやら??」とフリーズしていることはなくて、自然にセルをクリックして入力を始められる。

わたしがいつも驚かされるのはこういうとき。
わたしが何をしたわけでもないのに、勝手に自分でブレイクスルーしてる。
スクールだけじゃなくて、PCインストラクターとしてほかで講習をしたときも思った。
わたしの役目って、「教える」とかじゃなくて、きっかけを作ったり、場を整備したりするだけなんだよね――と思う。

――ほんの2問の小さい表作りだったのに、1時間以上かかってしまったけれど。

Wordに入っても、問題なくできた。

Wさんは入力もだいぶ早くなった。
日本語も覚えた。読めない字は積極的にメモしていた。

どうも前と違う・・・・・・?

聞いてみたら、「会社で少し教えてもらった」と言っていた。
前に来ていたときは、「会社ではパソコンは使わない。**の仕事だから」と言っていた。
会社側は「定年後のためにパソコンを覚えてもらえたら」という、ちょっと切実な様子だと聞いていたが、それはご当人には伝わっていなかったようだ。
「どうせ仕事では使わない」と思っていた気持ちに、変化があったのかも。

やる気ってすごい。

もちろん、全然仕事レベルには達していないんだけど、でもとにかく最初から比べたらすごい進歩なのだ。
そして進歩できるってことは、この先も会社で進歩していけるってことなのだ。

わたしの仕事としては、成功したと言えるのじゃないだろうか。

VさんとWさんは、断続的にやってきたスキルアップ研修がついに最後。
3ヶ月にわたってスクールに来ていたが、このWordで終わり。
感慨深いものがあった。卒業って感じ。

一番最初のスキルアップ研修のBさんを思い出す。
正確には2度目だけど、最初のはイレギュラーだったから。
あのときもパソコンが初めてという聴覚の人で、Bさんも製造ラインの人で、会社の意図が伝わっていなくて「自分はパソコンは使わない」と言っていた。
あのときもフォルダやファイルの説明に苦労して、あのときも途中ブランク時期に会社に行ったときパソコンを使ったら、ちょっとやる気を出してくれて――

わたしの仕事としては、こうして常に送り出していくんだなぁ、と思う。
あまりにスキルアップ研修に集中していたから、明日はまた派遣の仕事に行くなんて、嘘のようだった。

翌月にもPowerPointのスキルアップ研修があるはずだった。
でもこれは中止になった。受講者2人が、どちらもキャンセルしたからだ。

1週間ほど空いて、次週の終わり頃からの文書作成術のスキルアップ研修が、この年の最後になる。
時期的に、冬はスキルアップ研修はほとんどない。――いろいろな事情があるのである。

このWordの間中、Yさんには一人で黙々とやってもらうことが多かった。
最後の研修は、今のところYさんしか申込者がいない。
しかしこのまま行われるだろう。
今度はYさんとマンツーマンの3日間になる。

Yさんとはまたそのときに会うし、ずっと2人で過ごすことになるので、わたしはVさんとWさんの卒業の感慨に思う存分ふけった。

VさんとWさんが、なかなか筆談が通じなかったりしたので、休憩中の会話などはやむにやまれず手話を使ってしまった。
手話検定を受けることで手話ボキャブラリーを増やそうと勉強したりしたが、ブロークンすぎるカタコト手話で会話をする勇気は出ないままでいた。
「英語上達の秘訣は、下手でもとにかく話すこと!」とよく言うし、手話も同じだと思うが、やっぱり勇気は出なかった。

でもVさんとWさんとの怒涛の3ヶ月で、さびついた記憶の引き出しから手話単語を引っ張り出し、カタコトで話すようになった。
それから先は、もう誰とでも、カタコトなことなんて気にせずに手話で会話することができた。

VさんとWさんによって、わたしもブレイクスルーしたのだった・・・・・・



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■まえがきにかえて(おことわり)■


ある秋の一連の日記 10:Access基礎

Excel応用も終わって、Xさんは仕事に立ち向かうため、スクールを去って行った。

最後の日、Xさんはかなり不安そうで、「今日で最後だが、もし今後仕事で分からないところがあったときは、どうしたらいいか?」と聞く。
たいていの場合、「花咲さんに質問をメールしてくれたら、できる限り答えますよ」というようなことを言う。
「あ、そうですか。よかった」と言いながら、ほとんどの人はメールしてこない。

このときは一緒に花咲さんがいたので、花咲さんが答えていた。
「分からないことがあったら、先輩でも上司の人でも、つかまえて教えてくださいって。それも社会人ですよ」
「そう、それは仕事だからみんな忙しい。でも聞かないと仕方ないときもあるでしょ。様子を見て、自分の状況も考えて、それで質問するの」
「大丈夫。Xさん、できる人なんだから。心配になってるだけで、ちゃんとできる」

いつもなら花咲さん自身も、「じゃ、そういうときは私にメールください。そうしたら私から先生に聞きますから。そして私から返信します」と言ったりするのに。

Xさんはたぶん、厳しい風土の会社にいたと思うから、ちょっと可哀想ではあった。
その後も長く仕事を続けて、すっかり堂々とした社会人になったろうか。

さて、Xさんを送り出して、次はAccess基礎のスキルアップ研修が始まった。

また電動車椅子のYさんが来た。
今度もわたしはYさんにかなりつきそっていた。

Accessはこの頃2日間と日数が短くて、サクサクと進めば余裕で練習問題などもできるが、テキストが終わらない人もいる。
(その後、1日増えて、ちょうどよくなった。)

使っていたAccess基礎のテキストは、だいたい2日間の講習で終わるものだ。
でもそれは、講師が説明しながら進めていくタイプの講習会なら、ということだ。
自分でテキストを見ながらやっていくと、人によってはちょっとギリギリになるか、終わらなくなる。

Yさんはやる気がある人なので、きっとテキストが終わらなかったらがっかりするだろう。
2日で終えてもらうために、わたしはかなり口出ししてしまった。

Yさんの感想は、「Accessはやっぱり難しいですね。でも使えるようになりたいですね」

Yさんは眉がビシッとした、なかなかのハンサムボーイであった。
そのせいもあってか、なおさらやる気があふれていて、意志も強い人のように感じられた。

彼は実際に、とても意志が強い人だった。
でもそれはまたいつか、ゆっくりと語ろう。

もしかしたらもっと練習したかったり、「こういうことか!」という理解につながらなくて、Yさんは不本意だったかもしれない。
だが、とにかくなんとかAccess基礎を終えたのだった・・・・・・



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Chapter 4 どこかの誰かのストーリー



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■まえがきにかえて(おことわり)■



ある秋の一連の日記 09:人生の先輩

XさんとYさんが来ていたExcel応用では、他にも受講者さんがいて、その中にGさんがいた。
Gさんは内部障害で、外側からは障害があるとはまったく分からない。

わたしはいつも初日に簡単な自己紹介をしてもらうことにしている。
Gさんはそのとき「自分は内部障害があり頻繁に室外に出たりするので、気が散るかもしれないがご理解ください」というようなことを付け加えていた。

期間中に会話の折りに聞いたが、外側から分からない内部障害の場合は、誤解されることもよくあるという。
内部障害とは、内臓など体の内部に障害があることだ。
車椅子だなとか、足が悪いんだなとか、見えない・聞こえないのかというような、見て分かる障害ではない。
たとえば頻繁にトイレに行く必要がある障害だったりすると、「あいつはいつもサボっている」「休憩ばかり行っている」と思う人がいる。
長い時間立っていられない障害があって優先席に座っていると、「若くてどこも問題ないのに席を譲らない」と非難する人がいる。
――そういう誤解を受けやすい。
最初に挙げた会社のトイレ問題などは、もし言ってくれれば「自分はこういう障害があるんです」と説明することもできるが、陰で噂されていると反論しにくい。

なるほど、そういう経験があって、最初に伝えておくわけですね。

Gさんは、今のわたしの年齢よりは若かったかもしれないが、当時のわたしよりは年上だったと思う。
人生経験の深さを感じた。

Xさんなどはまだ若くて、会社でも新入社員。
緊張していて、なんとかして頑張りたいと思うあまり、すさまじい質問魔と化していた。

Windows基礎の後半からやって来て、Excel基礎でも質問責め、確認責め。
いよいよExcel応用になって、「この関数については応用編のテキストに出てくるから」と後回しになっていたことも根掘り葉掘り聞かれるので、辟易しつつあった。

――まずい。講師がそんなことを思ってはいけない。

わたしは必死で自分を立て直そうとした。
なかなかその場で立て直すのは難しい。一日が終わったら忘れて、「明日は気持ちよく過ごそう」と自分をリセットする。

ところでわたしはいつも、「せっかく同じ教室に集まったのですから、ぜひ交流をして――」的なことを最初に言う。

Xさんにも「Gさんは社会で働く先輩でもあるのだから、社会人としての知識を聞いたりして勉強しては」と伝えていた。
Xさんは本当に聞きたいことがあったのか、わたしに言われて何か聞かなければと思ったのか、Gさんに会社のことについて質問していた。

筆談などで使った紙を、いつものように「持ち帰りたい」と言ったとき、Gさんは教えてくれた。
「ここには会社名なども書いてある。誰が見るかも分からないから、安易にあげることはできない。そういうことを頼むのもあまりよくないことですよ」

Gさんは自分も苦労をしている分、社会人として厳しい一面もあった。
「Xさんが教えてほしいというから、私は休憩時間を使って教えた。Xさんの会社の先輩でもなく、教える義務は本当はないが、好意で答えた。しかしXさんから感謝する言葉がなかった。教えてくれたことに対してや、時間を割いてくれたことに対して」

「会社でも同じだよ。仕事のやり方でも何でも、教えてもらったらお礼を言うこと」

確かに、Xさんほど熱心にずっと説明を求められ続けたら、「俺だって自分の仕事があるんだよ」と上司や先輩は思うかも。
実際に各自に仕事はあり、遅れればその分自分がつらくなる。

聴覚障害があるから、Xさんには不安もある。
きつい業界なだけに、より一層不安があるかもしれない。
Xさんを責めるわけにはいかないが、現実としてはXさんも改善していかないと、会社でうまくいかなくなる。
わたしも花咲さんも、会社についていってあげるわけにはいかないのだ。

Gさんの人生の先輩としての薫陶が、Xさんの糧になるといいが。

なんだかわたしは、Gさんに頼ってしまったな・・・・・・




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■まえがきにかえて(おことわり)■


ある秋の一連の日記 08:Excel応用

パソコン入門&タイピング、そのあとはExcel基礎と続いていたVさんとWさんは、Excel応用は受講しなかった。
そこまでは必要ないということで。

VさんとWさんがやっていたのは、「基礎」といっても、その中でも基礎――入門編といったほうがいいような内容で、それもまだ自力で作り上げるところまではいかない。
でもいいのだ。VさんとWさんは、もう少し後のWordにも来ることになっている。
Wordはその頃、1週間ほどやっていて、長い講習だった。
Wordのほうも別にたくさんの機能を覚える必要はないので、毎日WordとExcelの基礎を半々で練習しましょう、と話していた。もちろん、正しい指位置で。パソコンの起動・終了もして、ファイルを保存したり、印刷したりもする。
これまでのすべてを毎日復習して、どんどん慣れてもらえばいい。

Excel応用では、Xさんにかなりの比重がかかるはずだ。

――と思ったら、また新たな人がやってきた。
Yさん。この人も若い。

電動車椅子。――つまり、自分で手でタイヤを押して動かすことはできない。上肢にも麻痺があるということだ。

そのほかにもいて、たぶん4人くらいいたのではないかと思う。

今回一番手助けが必要だったのは、このYさんだった。

やる気があって、実際にちゃんとやる。地道に作業する。
ただ遅れがちである。
テキストの言っていることが理解できないわけではない。一度やったことをすぐ忘れてしまうわけでもない。
ただ遅れがちである。

放っておいて、その人のペースでやってもらうのもよかった。
今ならそうしたかもしれない。
自分のペースでできたほうが、やりやすい場合も多い。

わたしが手助けしているのなんて、それほどのことでもなかった。
どこに入力すべきか迷っているときに、「このボックスに入力します」と指してみたり、遅れ気味なとき「ここをクリックしてください。そこに***と入力してください。そうしたら、これをクリックしてください」というように口で説明してしまったり。

時間がかかっても自分でやってもらうというのもよかったかもしれない。
または、説明だけはこちらでしてしまって、操作は「ここの①から順番にやってみてください」とやってもらってもよかった。説明を理解しようと考えていると時間がかかってしまうことは、よくある。

なんとなく、みんなからあまり遅れないように、と思うと、つい口を出してしまっていた。

こういうときXさんは人に譲ってくれて、わたしを呼んだり、長く独占したりすることが少ない。

ありがたいのだが、その分、終わってから「こことここが――」となって、マンツーマンでずーっと付き合わなくてはならない。
30分程度で終わったことはなかったと思う。

あるとき、わたしはキャップ付きのUSBを持っていたのだが、帰ろうとしたらキャップがなくなっていた。
結局、どこからも出てこなかった。

わたしは、USBを持った状態でXさんに呼び止められ、ずーっと筆談で説明をしていた。
花咲さんがやってきて、「まだやってるんですか。Xさん、頑張りすぎないで。また明日もあるんだから」と言い、Xさんはニコニコ「はい」と答えて荷物を準備した。
なにしろすごい紙の量である。しかも散乱している。
Xさんは、とにかく全部かき集めて、トントンとしているが、多少揃っていなくてももう気にする余裕もない。
素直で真面目な人なので、帰りなさいと言われたら「あ、早く帰らなきゃ」と焦るのだ。
ガーッといろいろなものをかばんに流し込むようにして、慌しくおじぎをしながら帰っていった。

あのかき集めた紙の間にはさまっていたのではないかと、実はひそかに考えている。

花咲さんは子供を何人も育て上げた、しっかり者のお母さん世代だ。
「Xさんももうちょっと落ち着いて、あんなに心配性にならなければいいのにね」

でも子供を育て上げた人だから、分かってる。
「まあ、言ってもなかなか、性格だから直らないでしょうけどね」

「先生も、もう時間だからって、切り上げて帰らないとダメですよ」
「ですね」

でも言われてもなかなか、性格だから直りませんけどね・・・・・・



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■まえがきにかえて(おことわり)■


ある秋の一連の日記 07:Excel基礎

参加したのはVさんとWさんとXさん。前のスキルアップ研修から引き続きの3人で、3人とも聴覚。
VさんとWさんは今年か来年か再来年か、そのくらいには今の会社で定年を迎える人たち。
Xさんは若くて、会社に入ったばかり。「彼はうちのレベルに達していない」と会社から送られてきた。

VさんとWさんは、本当に基礎。
まずは一緒に表を入力して作ってもらう。

普通スキルアップ研修では、テキストを見ながら自分で進めてもらうようになっていたが、VさんとWさんにはそれは難しそうだ。
Excelがどうのこうのというより、パソコンがどうのこうのなんだもの。

その間、Xさんにはいつも通り自学自習してもらう。
練習問題もたっぷり渡しておく。
ときどき覗くが問題なさそう。

VさんとWさんには、まずセルに入力をしてもらいながら、また指位置を指摘する。
今度はテンキーで数字入力もするから、かなり崩れやすい。いったん手を放してしまうと、また手をのせたとき指がホームポジションに行かない。
いったん体にしみついたら、放してまたのせるときには、自然に人差し指がFとJを探すけど。

今度は計算がある。
でも足し算やSUM関数くらいのもの。
オートフィルなどは使ってもらう。

罫線を引いて、項目名のセルに塗りつぶしを設定して、完成。

とにかく慣れることが重要な時期なので、罫線は格子くらいしか使わない。
列幅を広げたりするのは、今回はできなくていい。だから用意した問題は、長い文字列などのない表ばかり。そのままの列幅で大丈夫なようになっている。
会社でExcelを使うとは決まってないし、必要になったら会社の人に教えてもらえばいい。
VさんとWさんに関してわたしの仕事は、会社の人が教えてくれたとき「ああ、なるほど」とすぐに理解できるくらい、パソコンに慣れてもらうこと。

1つ単純な表を作成したら、似たような単純で小さい表を作る問題を、いくつか渡す。
完成図があって、それを見ながら同じように作るタイプのもの。

①以下のように入力しましょう。A1:売上表 A3:東京 A4:大阪・・・・・・
②表全体に格子線を引きましょう。
③表の項目名に、黄色の塗りつぶしを設定しましょう。
というタイプのものではない。

VさんとWさんは聴覚だし、視覚的能力に優れているはず。
それに本当に簡単な表ばかりなのだ。問題文をいちいち読むより、見本を見ながら作るほうが早い。
プリントを渡したときに、「こことここは計算」と伝えてある。

同じことをするのだから、きっとサクサク進むはず――というわけには、残念ながらいかない。
「Vさん、指」「あ、そっか」(この辺は、適当なジェスチャー)
「Wさん、そこは計算です。け・い・さ・ん」(ジェスチャーと口話)
Wさんは「あ~」という笑顔。

1問終わるのにすごく時間がかかる。練習問題をするというより、結局全部一緒にやってる感じ。
「ここは線をつけてください」(と言いながら、紙に「線」と書く)
Wさんは画面を指さす。線はあるというしぐさ。
「それは、わかりやすいように線を見せてるだけで、このボタンを使ってちゃんと黒い線を引かないと、印刷しても出ないんです」(ほとんど筆談)
印刷プレビューを見せると、Wさんは「あ~」と納得。
でも罫線ボタンの場所も使い方も覚えていない。

この間、Xさんは順調にやっているはず――Xさんはそんなにできないわけじゃない。たぶん基礎には来る必要がない。ただ会社に言われて来ているだけだ。
そこにはきっと、Xさんに筆談で仕事用ファイルの構造や意味、使われている関数を説明するのが面倒だったというのもあるのだろう。

聴覚の人は雇いやすい。
施設設備が健常者とほぼ一緒でOKだからだ。
また知的障害などのように業務を限定されることもあまりない。電話は出られないとか、人と話す営業職などは難しいとか、その程度だ。
でもいざ雇ってみると、忙しい合間に筆談でコミュニケーションをとって、仕事のやり方を教えるのは面倒だ。
それに、聴覚の人は世代や個人差もあるが、少し考え方が独特だったりする。うまく伝わらなかったりして、少しばかり厄介なときもある。
ちゃんと分かり合えるのだけれど、その少しの手間が、忙しく仕事をしているときはかなり重荷なのである。

それでスキルアップ研修に、「ここで教わってきて」と送られることがある。
Xさんも多分にそういう事情があったのだろうと推測していた。

仕事は忙しいから仕方ないとはいえ、なんだかそれもどうなの? という気持ちが湧くケースもあるが、うーん、でもXさんの場合はちょっと気持ちが分かる。

Xさんはとても真面目で、熱心。
疑問点があると質問してくれる。答えるとその内容をメモしている。

自分なりに要点をまとめて分かりやすくメモするのではなく、一言半句メモしたいというような熱心さ。
彼のメモが終わるまで、どこにもいけない。
いったん納得して、それからメモをとるときにもう一度「こういうことか?」と確認が入って、その答えをすべてメモして、さらに説明の中のさまざまなことについて「これはこういうこと?」「あれはこういうこと?」と確認され、その答えもすべてメモして――
そして最後に、わたしが説明のためになぐり書きした筆談用の反故紙を、「これをもらっていいか」と聞く。

Xさんの周りは大量の紙が散乱していた。
すべての作例、すべての練習問題を印刷しているし。

心配性でもあるのだろう。
あとになって忘れたらどうしよう、と不安で、すべての紙を持ち帰る。
そんなに何十枚もの紙を毎日持ち帰ったって、家で見返すことなんてできないでしょう――
――でも、しているらしい。

テキストは、重かったら置いて帰っていいですよ、といつも言うけれど、必ず持ち帰る。
そして次の日の朝は、「昨日のここ、家で確認してみたのだけれど、もう一度教えてほしい」と質問から。
操作してみたら納得で、いちいち説明など要らない、という人もいるけれど、Xさんはまったく逆。

わたしはなんだか吸い取られているような気分だった。
とにかくいつも、びっちり質問があり、解説を求められるのだ。休み時間もびっしり。帰りも「放課後」的な時間帯にたくさん質問がある。
質問というか、多くの場合はXさんは分からないことはない。確認だ。「こういうときはこういうことか?」というような。
でも「そうです。そのとおり」では終わらない。

講師冥利に尽きる受講者さんかもしれないけれど、VさんとWさんにも時間と注意がたくさん必要だ。
するとXさんは我を通さず待っていてくれて、終了後に聞いてくれる。
だから、なかなか帰れないのだった・・・・・・



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ある秋の一連の日記 06:最終日

最終日である。

――マルファン症候群のUさんは、結局まったくタッチタイピングにならなかった。

Uさんにもやる気が少し欠けていたとは思う。
「今それなりに入力ができるのに、矯正しなければらなない」というときのほうが難しい。
どうしても慣れたやり方に戻ってしまうからだ。
矯正するには本人のやる気が必要だ。
または、まるで子供みたいにひたすら注意して、押し付けて、体で覚えるまで講師が手を緩めないか。

Uさんはそもそも、スキルアップ研修に来る必要をそれほど認めていなかったのだと思う。
「今できているのに」

もうひとつ、Uさんは大変な障害を持っている。
「自分は指が長すぎるからできない」「自分の手は大きいからやりにくい」「目も見えにくいから、どうしても顔を画面に近づける。それはどうにもできない」
なんだろう――言い訳とは違うのだけれど、できなくて仕方ない、できるほうがおかしいと思ってでもいるような。

とにかく最終日だ。
姿勢を崩さずに入力できる方法を考えなければならない。

Uさんは、手元→画面→手元→画面と見ているとどんどん姿勢が悪くなるから、なるべく長く入力して一括変換したらどうかと以前に勧められたようだ。
効率がよいからと、そういう方法を勧める場合も多いようで、そういう入力方法の人もよく見る。

たとえば普通だったら、文節ごとに変換することが多い。
『ふたりが』 変換 『もりのなかを』 変換 『みちにまよって』 変換 『あるいていると』 変換 『いえを』 変換 『みつけました。』 変換 確定

長く入力して一括変換する人は、少なくても一文。ときには何行も何行も入力して、順番に変換していく。
『ふたりがもりのなかをみちにまよってあるいているといえをみつけました。ちかづいてみるとそのいえはおかしでできていました。びすけっとのやね、ちょこれーとのかべ、きゃんでぃのどあ、おなかのすいたふたりはむちゅうになってたべました。』
変換 (この時点で全体が自動的に変換される。まず『ふたりの』が『二人の』と正しく変換されているか確認)
→キーなどで文節カーソル(太い下線)を移動
変換 (文節カーソルがとなりの『もりの』に移る。『森の』となっていれば、そのままスルーし、『盛りの』などになっていたら、変換し直す)

実際にはひとつひとつ『→』キーで文節カーソルを移動しなくてもいい。
すべて変換がうまくいっていたら、Enterすればいい。違っているところがあれば、そこまで文節カーソルを動かしていって変換し直す。

ちなみにもし、「道に」「迷って」が「道に間」「寄って」などになってしまったら、Shiftキーを押しながら→キーや←キーで文節の長さを調節し、「みちに」「まよって」という区切りにする。
たいていはうまくいくから、これも間違っているところだけでいい。

たしかにこれなら、ちょこちょこと画面と手元を見なくていい。タッチタイピングさえできていれば。
ひたすら入力してしまって、順番に変換していくのだ。

でもUさんはまだキーを正しい指で打つところまで達していない。
間違っているところがあると、変換したときうまくいかない。そこでつまずいて打ち直したりするので、そこから先の変換は消してまた入力し直す始末。
(Wordなら変換キーを使えば簡単に変換し直せはするのだが。)

「Uさん、正しい指で打たないとタイプミスが多くなります。間違いがあると、あとからまとめて変換する方法では修正が面倒だから、もし決まった指で打たないのなら、こまめに変換したらどうでしょう」

これは最初に花咲さんから聞いた「姿勢を保つためになるべく見ないで」という今回の目的とは違ってしまう。
でも「指を定めるか、こまめに変換するか」、どちらかだと思う。

Uさんにそのことを言ってみたら、「じゃ、変換する」ということだった。

けれどやってみたら、それでは画面を見ようとしてすごく姿勢が悪くなることに気づいた。
失敗だ・・・・・・

でも最終日なので、もう復旧する時間はない。
Uさんはもう次のスキルアップ研修の予約はないし、もう何もできない。

残念な結果だった。

Uさんはかなり障害が進行していて、背も湾曲している。
目も少し見慣れない状態になっている。つまり障害の症状が出ているのだと思う。
でもいろいろなことを楽しんでいる人だった。

食べ歩きが好きだそうで、あちこちの店に行くのが楽しみらしい。
せっかく来たのだからと、スクールの最寄駅や、沿線の途中の駅などで降りて、グルメを楽しんでいるそうだ。
「昨日は**駅まで行って、カレーを食べましたよ」
「へぇ、そうなんですか! 駅の近くですか? なんていうお店です? おいしかったら行ってみたいです」
「そうですねぇ、普通かな」
「なぁんだ、普通ですか~」

いろいろなところに写真を撮りに行ったりもするそうだ。

そういう話を聞いて、かなり活動的に過ごしている様子に刺激を受けた。
でも、わたしの仕事としては、残念な結果だった。

VさんとWさんは明日からのExcel基礎にもまたやってくる。
「今度はExcelだけれど、ちゃんと指を守って入力してくださいね」

仕事で必要なことを質問したいと言っていたXさんは、もういろいろな機能が必要なのだ。
「これこれこういう仕事なので、こういう計算と、こういうときどうするかと、これこれの関数と、これを壊してしまったときどうやって直すかと、こういう場合はどうしたらいいかと――」

Xさんは明日から行われるExcel基礎にもやってくる。そのあとのExcel応用にもやってくる。
「ひとつの関数がどうこうという話ではないから、明日からのExcel基礎と応用でもっと力をつけて、それからまた仕事の内容に戻りましょう」

Uさんが心残りだが、とりあえずパソコン入門とタイピングの研修が終わった。
ああ、終わった・・・・・・



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ある秋の一連の日記 05:翌月

今日と明日はスキルアップ研修。
先月の続き。

参加者はマルファン症候群のUさん。
聴覚障害のVさん、Wさん。

それに――特別参加のXさん。聴覚障害。でもVさん・Wさんと比べて、若者。
Xさんは前半の3日間には参加していなかった。この後半の2日間だけ、キーボードタイピングをマスターしにやってきている。
増えたのはつい昨日くらいのこと。急にXさんの受講が決まり、「後半からだけどキーボードタイピングに来て、その後のExcel基礎と応用にも来ます」と言われた。

始まってみると、案の定、VさんとWさんは指位置をだいぶ忘れていた。
Vさんは気を抜くとすぐ崩れてしまっていたけれど、Wさんは完璧にできるようになっていただけに、もったいない。

Uさんはもともと覚えていないから、同じ。

新しく来たXさんは、入力はなかなか早い。
でも自己流なのだそうだ。

会社が言うには、「彼はできると言っているけれど、うちのレベルにまで達していない」とのこと。
会社名を聞いたら、勝手なイメージだけど、「うわー、そうなんだ。なんか厳しい業界そうだもんね」と思った。
単発派遣でちょっとだけそういう業界の会社に行ったけど、スパルタな雰囲気を感じたっけ。

とにかくXさんはパソコン操作なんでできるのであって、タイピングをしに来ているのだから、それをしてもらった。
Uさんももタイピングのみ。

VさんとWさんには、パソコン入門の一環として、インターネットを講習しなければならない。
これは「自習形式で」とはいかないから、一緒に行なう。

この日、帰りがけにXさんに大変なことを言われた。
「会社でしている仕事で相談したいことがある」

印刷した紙を持参していた。
それには先輩から聞いたことが書かれていた。セルに矢印を引いて、「***関数と***関数が入っている」「***の計算をしている」など。

テキストで使うファイルと違って、会社のExcelで作られたシステムは大きいし複雑だ。
今はわたしも経験を積んだし、知識も増え、いろいろなものも見て、四苦八苦の質問も何度か乗り越えてきた。Xさんに言われてもそれほど動じなかったろう。
でも当時はまだ中間地点。わたしのスタート地点はかなりレベルが低かったことを考えると、この時点でもまだまだだった。

やたらと大きな表だというだけで、うぇ~、無理!

この少し前に、Oさんという人が来た「ゆっくり進めるExcel」のスキルアップ研修をしていた。
「6年目」の「特別なスキルアップ研修」に出てきた高次脳機能障害の人だ。
Excelを学習してもらうというより、ジョブコーチ的な内容が求められたスキルアップ研修だった。
ジョブコーチとは、障害のある人と一緒に仕事をしたり、定期的に訪問したりして、企業と障害者の橋渡しとなる人だ。場合によると、一定期間担当の障害者と2人で会社に行き、仕事をして、仕事内容を理解した上で、障害に合わせたやり方を考える。

Oさんに仕事の内容を説明されたとき、分かったような分からないような、若干の混乱状態だった。

その前にも、聴覚障害の人が来て、「こういうことを仕事でやりたいのだが、どういうふうにシステムを作ったらいいだろう」と質問されて困ったことがある。
これは確かAccessで、Access能力的にも困ったのだが、それ以前に仕事内容の説明が分かったような分からないような――そういう問題点もあった。

わたしは頭が悪いようだ。すぐに論理的に理解できない。
それとも、きちんとした正社員としての事務職経験とかがなく、手がかり足がかりがないということだろうか。
仕事の内容を説明されても、今ひとつつかめない。何度説明されても、なんだかあやふや。

だからこういう個別対応は苦手だ。
これは今も変わらない。説明されて、「こういうことですか?」「こういうふうになっている?」と何度も確認していくのだが、「私の説明が悪くて申し訳ない」と謝られたりする始末。
だって、自分でやったこともない仕事だもの。ほかの先生たちって、どうやってこういうことを理解しているんだろう?

Xさんには「今日はもう終わりの時間だから、では明日見せてください」と伝えた。
でも明日でも答えられないと思う・・・・・・



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