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本当の優しさ

「優しい」ということは、ある意味簡単だ。

当たり障りのないようにして、相手の言うことには反対せずに、楽しいことだけ、相手が望むことだけ話せば「優しい」と言われる。

友達のような関係。
友達には「こんなこと言ったら怒るかな?」というようなことはあまり言わない。正直な意見を言い合って、喧嘩して、なんて、テレビドラマじゃあるまいし、そうそうあるもんじゃない。
ホント、そういう――相手のことを好きだし、気にかけているけど、親でもなんでもないんだから注意したりできない。アドバイス好きの友人なんて、鬱陶しいし。

でも極端な例だけれど、たとえば親子だったら、嫌なことも言わなくてはならない時がある。
小さい子だったら、人の家に行って靴を脱がずに入って行ったら叱る。「叱ったりしたら、娘に嫌われるわね」とスルーするわけにはいかない。スーパーで、まだお金を払っていない商品を開けようとしたら、注意する。電車内で走り回っていたら、危険だからと言い聞かせる。
大きくなったわが子が、免許もないのに乗り物を運転しようとしたら、やっぱり叱る。やめさせる。「こんなこと言ったら、息子が怒るわね」と好き勝手させるわけにはいかない。1回だけやってみたいとドラッグを試したら? お金を払うのがもったいないと万引きをしたら?

関係性を大切にするあまり、必要なことも言わないのは、本当の優しさではない。

スクールでの教えるほうと教わるほうの関係は、親子ではないからそう極端なものではないけれど、根本は同じだとも言える。
本当に相手のことを思うなら、安易に楽しい関係を築くだけでは足りないのではないか、ということだ。

スクールで、わたしとはあまり接触のない先生だが、顔は知っているし、どのコースの先生かも知っている人がいた。紀乃島先生という。

実習生さんたちに対してとても熱心で、遅くまで残って仕事をすることも辞さない人らしい。
技術を教えるだけでなく、普段の生活も就職活動も、親身になって支えている。

なぜ知ったかというと、たまたまひょんなことで何度か話をする機会を得たのだ。それきりだったが。
ほんの少し話しただけでも、紀乃島先生が真実、心から、実習生さんたちのことを考えているというのが伝わってきた。

相変わらずわたしは横で聞くだけ。
話しているのは紀乃島先生と花咲さんだった。

「昨日も残ってたの?」
「少しね。**さんが**をやりたいって言うから、できるように準備しないと」
「大変ねぇ」
「できることはしたいから。できないことはやれないけど」

「・・・・・・」何か花咲さんが言っていた。
「昨日も言い合って、泣かせちゃった」
「え、そうなの」
「だってなんでもかんでも、文句ばっかり言うから。できないとか、難しいとか、やれああだ、やれこうだって。だから言ったの。もうなっちゃったものは仕方ないんだから、受け入れろって。前はどんなに偉かったって、今は障害を持っちゃったんだから」

たとえば以前は会社で管理職をしていたって、自分で会社を経営していたって、事故や病気で障害を受けることはある。
復帰できればいいけれど、できないこともある。会社を辞めることになったり、自分の会社をたたむことになったり。
それでも生きていかなければならないから、リハビリに通い、それからスクールのようなところに通う。そしてどこかに入って一社員として働くのだ。
やりきれない思いがあって、素直になれない。でもそれでは就職できない。新しい扉を開けない――つらくても受け入れないと。もう昔とは違うんだってことを。
紀乃島先生はそのことを言っているのだろう。「そうよね、難しいわよね」となだめることは簡単だけれど、その場だけなだめたって解決にはならない。
だからきついことも言うんだろうな。
――なんて考えたけれど、わたしの悪いクセは想像が一人歩きすることだ。確かなことは分からない。

「そうしたら泣き出しちゃって。だからもう帰れって言った」
「帰った?」
「帰らない、実習する、って言うから、そんな状態じゃどうせ実習にならないでしょ、今日は帰って、落ち着いたら明日来ればいい、って帰した」

紀乃島先生は厳しい。「厳しい」と言われるだろう。
でも必要なとき厳しくなれる人こそが、本当に相手のことを考えているのかもしれない。

もう一度、繰り返しておく。
それはわたしの想像だ。一般論であって、紀乃島先生がどのくらい相手のことを考えていて、相手との間にどのくらい信頼があるのかは知らない。知らないから、それこそ本当の優しさだと断言することはできない。

ただ少なくとも、これは言えると思う。
一見優しく見えても、その場だけの当たりのいい言葉や態度は、真の優しさとは限らない――ということ。

そのとき相手のためを思って厳しい言葉を言える、というのもいい。
優しくなだめるのもいい。

ただどちらにしても、最後まで支えきれるかということ。
今日穏やかになだめたなら、明日も明後日も、来週も再来週も、いつか受け入れられるように少しずつ働きかけ続け、崩れかけたときは支えていく。
今日厳しく迫ったなら、明日はさっぱりと迎えて、または温かく迎えて、傷が癒せるようにする。そして倒れたときは手を貸して起こす。

最後まで見きれる強さが必要なのだ――本当の優しさには。

見た目の態度だけで、「優しい」か「厳しい」かというのは決まらない。
そうわたしは思う。

自分はというと、優しいと言われるのはたぶん、見た目だけのことだな・・・・・・
だからこれでいい、この短い期間しか関わらない今の立場が合っている・・・・・・



●9年目:ハートの中心
Chapter 1 ハートの中心



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