FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

適材適所 01

以前、水上先生から「適材適所ね」と言われたことがある。

水上先生というのは、スクールの玉名上級マネジャーがPCプラクティスの人員を探していたとき声をかけた人で、たまたまわたしは水上先生が所属する学校で求職者向けの職業訓練を受けたのだった。
当時は求職者訓練が花盛りで、水上先生たちも学校側から言われて普段の業務とは別に、職業訓練コースを立ち上げることになって、わたしは3期生となった。

それまでのわたしの仕事はずーっとサービス業で、年齢的なことと、ほとほと嫌になることがあったのとで、業種転換をしたかった。
先行きを考えずに辞めたけれど、最後の最後、もうあと1ヶ月ちょっとで失業給付が切れるというときに、水上先生たちの職業訓練コースのチラシをハローワークで見た。
もうあと1ヶ月で給付が終わってしまうし、今はどうか知らないけれど、当時は職業訓練に通うとその期間は給付が続く。つまり給付期間が延長されるという素晴らしいメリットがあった。
適性検査や面接があるので、無理かもしれないと思ったけれど、ほかに道がないので書類をそろえて出かけていき、無事に合格。

水上先生の職業訓練コースに入って、6ヶ月間勉強させてもらった。
次の職は、待望の事務職に就いたけれど、ひょんなことからダブルワークでPCインストラクターをすることになり、それがきっかけとなって水上先生がPCプラクティスの話を持ちかけてきてくれた。
もちろんもっと優秀なベテランの先生を考えたり、当たったりしたそうだが、どうも条件が悪くて紹介するのもためらわれる、という話だった。毎日の仕事でもなく、半年しか雇えないということだったからだ。

水上先生はわたしにも「断っていいからね」「面接だけ行ってくれたらありがたいわ」と何度も言っていたけれど、面接に行ったらわたしは「ここで働きたい」と突如思って、後先考えずにスクールで働くことにした。
結局、半年しか働けないはずが、「もしかしたら次年度もあるかも」と言われ、「もしかしたらまた次年度もあるかも」となり、やがて「次年度も大丈夫ですよね」と定着していって、何年も働くことになった。

水上先生はわたしをスクールに紹介した責任を感じていてくださったのか、まだ働き始めて2年目くらいの頃だったか、スクールに見学に来た。
もちろんきちんと玉名上級マネジャーを通して、正式に見学に来たので、あちこちを見て、ついでにPCプラクティスの様子を見て行った。

美和先生が授業形式で進めていき、わたしは後ろのほうをうろうろしていて、皆さんをフォローしていた。
美和先生がいったん休職で退くまで、わたしは常に二番手だった。
ときおり、「今回は人数が少ないから講師は1人で」と言われるときや、美和先生が家庭の事情で休んだりするときは、わたしが代わって授業を進めた。

でも水上先生が見学に来たときは、普通に美和先生が進めていて、わたしはいわゆるサブをしていた。
水上先生は、PCプラクティス終了後に会ってくれて、「半年だけだから紹介するのはどうかと思ったけれど、続いているから良かったわ」と言ってくれた。

そのときに、美和先生のことを「あのメインの人はすごいわね。話しながら、言ったことを入力しているなんて」と言い、わたしは心の中で「美和先生が休んだときはわたしもやってるけど」と複雑な思いだった。わたしには当然できないと思われているようで、ちょっとがっくりきたのだ。
――言葉を飾って「思われているようで」と書いているが、言ってしまえば実際思われていたわけだし。

そして水上先生はわたしのことは、「人はそれぞれ、合う場所があるんだって思ったわ。○○さんには、ああやって皆さんの補助をして回るのが合ってるわね」
――これも以前にも2度も書いているが、水上先生は励ましてくれたのだろうが嬉しくなかった。

わたしには「補助」が「合う場所」ですか?
それはつまり、いずれもっとベテランになっても、わたしには「補助」に留まっているのが合うってことですか?

そんなわけではなく、ただの励ましだと分かっているけれど、どちらかというと励まされず、意気消沈した。

その後、江津先生がスクールに入ってきた。
この人も水上先生の職業訓練コースに通った人だ。
わたしが3期生で、江津先生は5期生、そういう意味では後輩だったが、年は江津先生のほうが上だ。
でもわたしは、水上先生の好意で、そのときは講師をさせてもらっていた。つまり、わたしは先生で、江津先生はそのときは生徒だった。

しかし立場は逆転、江津先生はテンポラリースタッフとして入ってきて、バリバリ働き始めた。
わたしは相変わらず、「仕事があるときだけ来るどこかの誰か」でしかない。それが気楽でいいのだけれど――。
江津先生はやがてわたしに気遣うのをやめ、普通に接するようになった。「○○先生は元は私の先生だから」というような社交辞令発言がなくなり、「そういうときはね、私はこうしてる」「私は何百人も見てるから」と先輩風になった。
やがて最後は「PCプラクティスがためになったって声も聞きますよ。基礎で抜けてるところもあったとか、知らなかったこともあったとか。だから役に立ってますよ」と慰めてくれたりするようになった。別にわたしが「PCプラクティスみたいな基礎なんて、今さらですよね」と言ったわけでもなんでもないのに。

あるとき水上先生と会ったら、江津先生の話になった。
「江津さんは頑張っていて、テンポラリーながら江津さんがいなけりゃあそこは回らない、って言われてるそうね」「適材適所ね。江津さんはテンポラリーが合ってたのね。○○さんは今の位置がとても合ってるわね」

合ってると思うよ、自分でも。でも本当のことだけれど、まあそれほど面白くはなかった。

わたしの場合は「○○さんがいなければ困る」とは言われない――そういう背景まで加味された言葉に思えたから。
実際そうだから、まあいいのだけれど。

PCプラクティスとスキルアップ研修は、わたしにとっては楽しく、達成感ややりがいを感じる仕事だが、スクールからしたらおまけのようなものである。
おまけであってもいい。やりたいと思う仕事などそうあるものではないし、楽しく続けていけるなんてなかなかない。それというのも、おまけだからなのだし。

とにかく。
良かれ悪しかれ、わたしは適材適所なのだろう。

言っておくが、美和先生とは立場が逆転したと思っている。今やわたしのほうが経験が多く深いし、講師としても歴が上になった。
それに何百人も見てきたということにかけては、わたしも江津先生に負けないと思っている。一人一人と密に何ヶ月もつきあうことはないが、見た数だけだったらコースに限られる江津先生より多いはずだ。

でもまあ、やっぱり、自分はダメだなと思う日も結構ある。
以前より自信がついたけれど、かなわないなと感じることもある。

なんともいえないところかな・・・・・・



●9年目:ハートの中心
Chapter 1 ハートの中心



■目次へ■

■まえがきにかえて(おことわり)■



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。