FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

適材適所 02

ある先生が言ったとき、わたしは「じゃあ、自分は無理だ」と思ったものだった。
「あの人はね、レギュラーには向かないね。優しすぎる」

さらに、テンポラリーどころかアシスタントテンポラリーさんについても、その人は言ったのだった。
「優しさを勘違いしてる人たちがいるんじゃないかってことでね、テンポラリーの**さんがアシスタントの人たちと話し合ったそうですよ」

――え、アシスタントテンポラリーでさえ!?

「そうですよ。私が思うに、コーチするのに優しさは要らないよ」
――え、そんなスパルタ!?
「優しく教えるっていうのは、丁寧に教えればいいわけでしょ。教えるのに優しい必要はないですよ」

理屈は分かりますけど、厳しいってどういう感じですか?
近所の中学校の先生が、朝の校門前に立っていて、「ほらー、予鈴鳴ってるぞ!! 急げ!! い・そ・げ!!」と大声で生徒に声をかけたりしてるけど、あんなイメージ? 大昔なら竹刀持ってそうな?

しかしよくよく聞いてみると、この先生がおっしゃる「優しい態度」というのは、「子供を扱うような態度」のことらしかった。
年が若かろうが、高かろうが、「そうそう~、じゃ、やってみようか」というような、いわゆるタメ口はどうかと思うという。

でもそれ以外のやり方の先生にも納得はいかないようで、「実習生相手に丁寧すぎる敬語を使ってるのはどうかと思う」とも言う。
「このテキストを進めていただけますか、なんてさ、おかしいでしょ」

・・・・・・わたしも言うなぁ。

でもそこは難しいですよ。人によりますもん。
もし若い先生が、元会社重役だったような実習生さんに、いわゆる「厳しい」言い方をしたら? 馬鹿にされていると受け取る人もいるのではないだろうか?
しかしわたしの年になっても、上の人、元の地位の高かった人には敬語で、年若い人には敬語なしというのは、それはそれでどうかと思う。だからわたしとしては、すべて丁寧な言葉で通したい。
お高い社会人同士、そういう姿勢が必要だと思ってきた。

その先生は「ああ、まあ、それはあるね」と認めてくれた。

ところで、テンポラリーの**先生とアシスタントテンポラリーさんたちの話し合いはというと――
「話し合いの結果はね、結局平行線だったって**先生は言ってましたよ」
――おやまあ、じゃ結論は出ないまま終わったんですね。アシスタントテンポラリーさんたちも頑張ったんですね。

「人に言われて信念を曲げるようでは、コーチには向きませんけどね」

その言葉で、わたしも少し気が楽になったのだった。
優しくてはいけないと思っている人が一人ならずいるというのは、ちょっと考えさせられる。
わたしは間違っているのだろうか?

でも「優しさ」とか「厳しさ」というのは、曖昧な基準で難しい。
優しさが非難されるとき、どうやらそれは「甘やかすな」の意味のようだ。
厳しさが非難されるとき、どうやらそれは「押し付け」「上から目線」「感情的に接している」ということのようだ。

わたしが今のようなおまけでなく、アシスタントテンポラリーやテンポラリーだったとしたら、わたしは失格なのか。それを考え始めると、「そもそも優しさとは?」「厳しさとは?」から始まるので、判断がつかなくなる。

でも「人に言われて信念を曲げるようでは、コーチには向かない」の一言が、わたしを開き直らせてくれた。

それならわたしにも信念がある。
わたしは自分のやり方を信じている。
もし軌道修正したほうがいいことがあれば、受け入れる冷静さと柔軟さを持っていたいが、それなりの信念もある。

わたしは今の仕事では適材適所だと思うし、その適材適所ぶりは他の先生方より優れていると思う。
わたしは他の先生方のような仕事をするにはちょっと足りない部分が多いかもしれないが、今の仕事をしていくのなら適している。

数日間しか関わらないスキルアップ研修の受講者さん。もしかしたらまた別の回を受講するかもしれないけど、数日間しかないものと思って進めねばならない。
2週間しか関わらないPCプラクティスに集まってくる実習生さん。廊下ではすれ違うことがあるだろうけど、もう実習で関わることはない。

そういう状況では、臨機応変さが必要になる。
決め打ちで同じ内容を一から十までやってもらうのではなく、必要に応じて「もっとゆっくり練習してもらったほうがいいな」「だいぶ知っていることが多いようだから、ここはざっとでいいからどんどん進んでもらおう」と切り替えていく。

その変更には、経験もからんでくる。
たくさんの人を見てきて経験値が高ければ、「この人は聴覚だから、理論を説明されるより実際にやってみたほうがわかりやすいみたい」「この人は発達だから、一見めちゃくちゃに操作しているように見えても、それはわたしの理解と違うやり方をしているだけで、理解していないとは限らない」などと判断できる。
経験値が高ければ、机上の知識だけ勉強した場合と違って、ケースバイケースで考えられる。「同じ聴覚だけれど、Aさんは実際に練習を何度も繰り返して体験的に覚えるほうがいいみたい。Bさんは文章理解に問題がなく、理屈で覚えられるみたい」
そうしたら、Aさんの進度を見ていてどうしても理屈が必要なときは、寄って行って簡単に手話まじりで説明し、「まず一度やってみて」と伝える。やってもらってから、またもう一度丁寧に説明する。さらに練習問題を渡して、やってもらう。
自分が横にいても、絶対参照のつけ忘れなどは、あえて指摘しない。エラーが出てから「どうしてエラーが出たか、確認してみましょう」とどのセルを使っているか見てもらう。「ほらね、こんなところを使ってる。それはF4キーを押し忘れたから。いつもここを使いたくて、固定したいときはF4キーを押す」と、逆算の形で説明する。

でももし肢体障害の人だったりしたら、その場で「F4キー、忘れてますよ」と口を出してしまうこともある。特に、上肢にも障害があって、操作を何度もやり直すのが大変な場合は。
「F4キーを忘れると、さっきみたいにエラーになってしまいます。このセルは固定しなければいけないから」

ケースバイケースで対応していく臨機応変さは、絶対に必要だ。

そして短い時間しか与えられないのだから、臨機応変にするための「判断」は、早めにしなくてはならない。

わたしは人の顔色をうかがうタイプだ。ことなかれ主義で、臆病だからなるべくことが怒るのを避ける。
この性質がプラスに働いて、人を見るのが早いという利点がある。
「あ、この人はこういうところがある」「この人はこういうタイプ」

さらにその性質のおかげで、間違っていたらすぐに軌道修正できる。
「あれ、思ったよりこの人はこうだった」「こういうタイプだと思ったけれど、こんな一面もあるらしい」

いったん思い込んだら軌道修正しないってことはよくある。
特に「ああ、この人はあまりExcel得意じゃなさそう」というような否定的な判断をしたときは、「それほどでもないみたい」と翻すのは難しい。
わたしはこの点も結構柔軟に切り替えられる――と自分では思っている。

きつい人と思われない柔らかい声質、クールな人と思われない垂れ眉の顔立ち、優しそうに見えるので警戒されにくい&親しまれやすい。
美人でないので不利に働くこともあるが、美人でないため親近感を持たれる場合もある。
――こういうことも、短い期間の関係ではいい方向に働く。

でもどこをとってもあまりきつく思われないので、甘く見られたり、「ちょろい」と思われたりすることもある。
まあだから、優しさがマイナスになることも確かにある。

今のところ対処法は、「ときどきいろいろな先生が大丈夫かと覗いたりするから、まじめにやって」とか「見学の人が突然入ってくることがあるから、講習時間中は寝ないで」と、他の人を持ち出して注意するという、あまり褒められたものではないやり方。

やっぱりマイナスはなんとかしないといけないよなぁ・・・・・・



●9年目:ハートの中心
Chapter 1 ハートの中心



■目次へ■

■まえがきにかえて(おことわり)■


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。