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適材?

自信を持って自分を「適材適所だ」と思えるようになった。
しかしその自信を失う日もある。

やっぱり特にそう思うのは、他の人の適材かもと思う一面を見つけて、自分と引き比べるとき。

スクールの人ではないけれど、知的障害児童に関わる仕事をしていた知り合いが、あるアイドルグループの出る番組をよく見ていた。
そのグループが好きなのかと思ったが、どちらかというと仕事のためだと知った。

嫌いではないし、どちらかというと好きらしいけれど、主な目的は生徒の話が理解できるように。
担当する児童の一人が、そのグループが大好きだったらしい。
よくそのグループの歌や踊りを真似していたし、前日にテレビに出ていたりすると、翌日は朝からその話で持ちきり。
でもその児童は舌が長くてもつれるのか発音がはっきりせず、話だけ聞いて理解するのは困難なのだ。

自分もだいぶ以前の知的障害クラスのPCプラクティスのとき、気づいたことがある。
そのときそのときの流行を知っておいたほうがいいのかも、ということ。
もし担当として長く深くつきあう相手がいるなら、その人の好きなことを自分も知っていたほうがいいのかも、ということ。

インターネットで検索しているとき、あるいは文書に好きな画像を挿入しているとき、その女の子は必ず同じキャラクターを選ぶ。
「***、好きなんです」と嬉しそうに言う。わたしが声をかけたので、わたしもそのキャラが好きだと思ったのか、「先生も***好きですか?」と聞く。
そもそもわたしは、そのキャラの名前さえ知らなかった。***っていうのか。

後から調べたら、有名なキャラクターだった。
某世界的アニメ会社の映画キャラだったのだ。

わたしはほんの数日しか知的障害クラスとは接しない。
他のPCプラクティスと比べても、かなり短い。
だから「かわいいですね」とかなんとか答えて、それで済んだけれど、明日も明後日もその次もつきあっていくなら、知らないことはバレてしまうだろうからごまかせまい。

スクール以外だったら――、知的障害クラス以外だったら――、正直に答えるだろう。
「わたしはあまりそういうの、見ないんですよ。だから全然知りませんでした」

でもそのときの「***が好きなんです」という嬉しそうな顔と、「先生も***好きなんですか?」という期待感は、なんだか裏切れない気がしたのだ。
「そうねぇ、かわいいですよね。でもわたしは×××のほうが好きなんですよ」くらいは言えるかもしれない。同じ映画に出てくる他のキャラクターとか、同じ会社の他の映画の主人公キャラとか。
だけど「知らないです」とは言えない空気だった。

わたしは実は普通の会話にもついていけないことがよくある。
テレビを全然見ないので、今出ているタレントさんも知らないし、どんな番組があるかもしらない。
世間話では、実に当たり前に「***って番組あるじゃない? あれのさー」「***子がこの間テレビでね」などと語られるのだ。
当たり前すぎて、こちらがその存在さえも知らないなんて、あり得ないのだ。「知らないかも」という意識さえないのだ。
「この間、**首相がさー」「**氏(アメリカ大統領)が言ったらしいね」なんて言われたとき、「今の首相って**って人なの?」「**氏って知らない、誰?」と答えるようなもの。

正確にはテレビは実によく見るのだけれど、CS放送ばかりで一般のチャンネルを見ない。一般のチャンネルは年に10分見るかどうかくらい。
わたしが「この前、**(イギリスの料理家)がさー」「***ってドラマでさー」と話しても、相手は「は?」だろう。

そういう人は知的障害クラスには向かないかもしれない。
マーケティングの仕事をする人が、最近の動向を知っておいたほうがいいように、営業をする人が、ゴルフを練習しておいたほうがいいように、ちゃんとテレビを見ておくべきなのじゃないか。

でも結局やらないので、自分は熱心ではないのかも、と思うこともあった。

それからPCプラクティスで一緒に仕事をする人は、やはり気になる。
何か相手の良いところを見ると、自分はダメだと思うこともある。

わたしは障害について配慮する。この先生と比べて、わたしのほうが経験値が高いから、知識もあるし必要性も分かる。それにわたしは進んで配慮する。でもこの先生は気を遣わない。まるで「自分はパソコンを教えるために雇われていて、障害は専門じゃないのだから、やらなくていい」と考えているみたいに。

そんなふうに自己満足に浸っていたとする。

で、「今回は精神障害の方たちです。こういうときこんなふうになってしまう人がいますので、注意したほうがいいかもしれません。それから、こういう言い方をされるとこんなふうに捉えてしまう人がいます。そうなったときは、これこれこうしてください」なんて言われると、わたしは気にする。
気にするあまり、不自然になっているかもしれない。

ところが組んでいるもう一人の先生は、平然。
そのほうが自然で、いいのだろうと思う。
あの先生はあまりデリケートでない、配慮に気を配っていないと普段は自己満足に浸っているけれど、それは自分のことは高く考えてしまう人間の常であり、その先生だって心の中では気にかけているのかもしれない。
そして場合によっては、気にしすぎるより、気にもかけていないふうでフラットに接したほうがいいのかもしれない。

わたしは自分では満足していたけれど、本当はこの先生のほうが適材なのかもしれない。
わたしが自分のほうが頑張っていると思うことも、本当は相手にとってはどちらも違いはないかもしれない。

やっぱり同じ立場で働いている人と比べるとき、もっともあれこれ考えてしまう。

本当に自分は適材かな?

いつもいつも自信たっぷりで、自己満足に浸っているようだったら、それはそれで講師としてどうかと思うけれど。
あまりため息つきすぎるのもね。

でもやっぱり思うときもある。

本当に自分は適材かな・・・・・・



●9年目:ハートの中心
Chapter 1 ハートの中心



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