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時代の変化 04:いろいろな変化

時代は流動的である。必ずしも一方向に向かっていくものではない。

講師は変化に対応していく必要がある。
また頑固に自分の方向性を守るのではなく、臨機応変に対応することが求められる。自分が少し前に見た状況と、また変わっているかもしれないからである。

理想だけれど、なかなか難しい。
ベテランになればなるほど難しい。かつていいと思ったことを切り捨てるのには、柔軟さが不可欠だが、信念や自信と柔軟性を両立させるのは、なかなかに難事業なのだ。

わたしもずいぶんベテランになった。
凝り固まらないように注意しなければならない。自分にそんな日が来るなんて、10年前なら信じられなかった。

初期の頃のわたしは、とにかくできるだけ成果をあげてもらいたい、楽しんでもらいたい、と考えていた。
中期になると、「需要」とか「時代の要請」とか「企業の要望」なども絡んでくることを知った。
受講者さんだけの満足や達成感では不充分で、会社が望んでいることを身につけてもらわなければならない。
受講者さんが楽しければいいわけではなくて、のちのちその人の役に立つように考えなくてはならない。
両面から考えていかなければならないと知った。

ベテランといっていいかな、というくらいになった今でも、受講者さんと会社さんと、両方にとって実のあるものにしていくのはなかなか大変なことだ。
どれだけ達成できているかどうか、いつも四苦八苦。

言ってしまうと、会社は「この機能を使った仕事を頼んでいるから、これを重点的に」と考えていても、受講者さんは「いずれ違う部署に行きたいから、関数も知りたい」と思っているかもしれないし、もしかしたら転職することだってあるかもしれない。
会社さんの利害=受講者さんの利害、というわけにはいかないのだ。

とにかくいろいろな変化があった。
単純に「パソコンが使えない人なんて、いなくなったなぁ」というようなものから、「障害者雇用も進んできたんだなぁ」と思うものまで、いろいろ。

前にも書いた、パソコンに関する社会の変化。
使えない人が減ってきて、教える人の需要が減った。

これはもうスクールだけの話ではなく、世間全体にパソコン教室というものが存在する余地がなくなった。
今でもときどき看板を見かけるけれど、数は激減した。

スクールで教えるにも、初心者なんていない時代が来た。
「初めてです」と言われても、昔みたいな操作もおぼつかない人というのは、もはやいない。
たとえ本当に触ったことのない人がいるとしても、たぶん昔とは違うのだ。
かつて「今日初めて触る」という人たちは、おそるおそる操作をしていた。なんだか特別なものを操っている気持ちだったのだ。
でも今もし「今日初めてパソコンに触る」という人がいても、昔よりもスムーズに操作できるはずだ。
なんだかとても高度な難しいものを操っているという感覚はないし、自然なのだ。誰でもやっていることだから、自分にもできると自然に思える。

でも決してなくならないものもある。
わたしは一時期、スクール以外にある企業の社員研修を請け負っていた。年間にほんの5日か6日くらいのものだったが。
2度ほど、新入社員研修もさせてもらったことがある。
今どきの新入社員さんは、高校でも大学でもWordやExcelやPowerPointを習っている。レポートをWordで作成したり、卒業発表をPowerPointでしたりもする。
それでも「念のため基本を」と新入社員研修には、その会社が最もよく使うExcelの講習が組み込まれている。

結局スクールでも、誰でも知っているとしても、PCプラクティスがある。

それほど一般的であり、会社でも当たり前にヘビーに使われるパソコン――特にExcel。
逆のパターンもある。

難しいこともいくらでもできる人がスキルアップ研修に来る。
ところが、「一応ひととおりはやってください」と渡した練習問題などで、基本的な内容が抜けていることがある。

たとえば罫線。
格子線をつけることは、知らなくてもボタンを探すことができる。
でもちょっと「ここに二重線、ここに点線」と設定するような問題があると、戸惑ってしまう。

なるほど、Excelを企業で使っていたら、そこまで罫線にこだわることはない。

昔だったら、パソコンを習うとか学ぶということがよくあって、こういうことは知っている人も多かった。
でも今や、いちいち習わなくても使えるものになったので、使わない機能は知らないままということも増えた。

これはいろいろな機能で言えることである。
会社でゼロから表を作ることはそれほど多くない。今では既にできている表を活用することが多い。
基本的な機能ほど、「え、あれは分かるのに、それを知らない?」ということがある。

変化の中には二転三転するものもある。

これも前にも書いたが、PCプラクティスのはじめの頃は、「パソコンではメールを使ったことがない」という人もいた。
やがてパソコンの普及に伴って、そういう人は減った。
一人もいないというときが多くなり、もう使ったことがあるかどうかなんて、聞く意味ないなぁと思うようになった。

しかしやがて、「一家に一台以上のパソコンが当たり前」という時代は変わっていった。
スマホでいいや、という時代が来たのである。
そうなるとまた、「パソコンではメールを使ったことがない」という人も現れるようになった。

社会のビジネスマナーも変化した。
ペーパーレスが叫ばれ、メールでのやり取りが奨励される時代が来た。
しかしメールは見たり見なかったり、リアルタイムではない。「なんでもかんでもメールにしないで、電話も使え」と言われるようになった。

また、メールというのは顔が見えないだけに、表現に気を遣う。残ってしまうものだからなおさらだ。
だから形式や表現に気を配って書く。すると時間がかかる。「すぐに済む用件はメールのほうがいい」と注意されることもあるという。

こういった電子デバイスによる変化としては、もう一つある。仕事以外ではあまり気づかない、特徴的なものだ。
聴覚障害の人たちの文法力、文章力である。

聴覚の人は「てにをは」が苦手。
年代と受けてきた教育によっては、「てにをは」だけでなく、文法全体、文章全体が意味が通らないこともある。
手話文化で生きてきた人に多い。

しかしわたしはあるとき気がついた。
若い聴覚の人たちは、そんなことないのだ。スムーズに文章を書ける。
こちらが入力した文章も抵抗なく読んでもらえる。
筆談も同様だ。入力するよりは時間がかかるので、それほど好まれはしないが、文章と見るとそれだけで読む気をそがれるような人はいなくなった。

これはインターネットの普及による、と気づいた。
インターネットの中でも、SNSだ。

聴覚の人たちは、人との交流が好きなタイプが多い。
そうでない人もいるけれど、傾向としてはフレンドリーな人が多い。
だからブログのようなものより、相互に対話するSNSのほうが合うようだ。SNSをやっている人は多かった。
「いいね」をクリックすれば済むFacebookよりも、互いに一言つけあうタイプのものが良かったようだ。
今はFacebook式があちこちに取り入れられ、以前ほどの面白さがあるかどうか分からない。

その代わり、たぶんLINEなどがさかんなのだと思う。

ところがこうなると、文章力はそれほど必要でなくなる。
長々と「記事」らしきものを書くのとは違って、簡単な話し言葉が多くなるからだ。読むのも打つのも、正しい文章にそれほど気を配らなくなる。

「もう今どきは文章が苦手なんていう聴覚の人は、いないなぁ。少なくとも若い人には」
な~んて思っていたが、しばらくして「あれ? やっぱりいるかも?」と思うようになった。
「やっぱりいる」どころではないかも、と感じるようになった。

文章力が自然につく時代が来たけれど、また方向転換したのだな――

これは聴覚の人に限ったことではなく、メール力が下がるのは健常者でも同じかもしれない。
メールがさかんだったよりも、ビジネスメールで迷う人が多くなった。
会社で働いたことがあれば、ビジネスメールもなんなく作れるけれど、そうでないと就活時や入社してから覚えることになったり。
正しく就活をした人は、その時点で覚えてしまうかもしれないけれど。

語り出したらきりがなくなるので、この辺でやめておこう。
とにかく、どんな世界でもそうだと思うが、変化というのは避けられず、変化に伴って自分も変わらねばならないことがある・・・・・・



●9年目:ハートの中心
Chapter 1 ハートの中心



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