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時代の変化 05:わたしの変化

あるスキルアップ研修の日。
その時期は久慈先生もよくスキルアップ研修を担当していて、「久慈先生の基礎を先月受けて、今月は応用にやってきた」という人もいた。

このときもそういう人がいた。
わたしが担当したのはExcel応用だったが、その前に久慈先生が基礎を担当していた。久慈先生の基礎に来て、今回わたしの応用に来たというGさん。
Gさんは聴覚障害だった。

花咲さんは心配していた。
久慈先生の基礎に来ているとき、久慈先生がつきっきりになっていて大変だったのだそうだ。

以前わたしが担当したスキルアップ研修に来て、とてもよくできていた人もいたし、初めての人もいた。
そして事前情報をもらったGさん。
このときのスキルアップ研修は盛況で、6人くらいいた。

Gさんは確かに、いわゆる「手がかかった」。
言葉が悪いけれど、つまり、よくフォローしたということだ。

しかし頭の回転はいい人だ。

なぜ頻繁にフォローが必要かというと、Gさんは文章が苦手なタイプの人だったのだ。
テキストの説明を読むように言っても、あまり読んでいない。操作の図を見てパッパッと操作してしまう。
しかし図だけでは分からないこともある。単純な例でいえば、ボタンが丸印で囲まれていても、クリックしているのかダブルクリックしているのかは、読まないと分からない。
とりあえずやってみてはつまずくので、フォローが多くなる。

で、今度は練習問題を、ということになると、問題文を読まない。
問題文にしろテキストの文章にしろ、平易な文章ではないことがある。
「選びます」ではなく「選択します」、「こうなっていればOK」ではなく「**と表示されていることを確認」のように。
問題文も、「引き算してください」ではなく「減算して求めましょう」、「ヘッダー左に東京支店と入力」ではなく「ヘッダー左側に東京支店という文字列が表示されるように設定」とか。
だからGさんでなくても、「?」と思うことは多いのだ。

しかし読みもせず、完成図だけを見て同じようにしようとすると、わけが分からなくなる。
簡単なものなら完成図を見て同じように作ることもできるけれど、章が進むにつれてそういうわけにもいかなくなる。どういう目的のどういう計算式が入っているのか、どういう条件で抽出しているのかなどの情報が、どうしても必要になる。

ところで、こういう練習問題などでは、人は大まかに2つのタイプに分けられると思う。
分からない問題が出てきたとき、自分で考えて解きたいと思う人。
分からないと思ったらすぐに、講師などに聞く人。

科目にもよるだろうけれど、わたしが担当するような内容では、どちらでもいいと思っている。
どちらにしても度が過ぎるのはよくないが、過ぎなければ自分に合うほうでいい。

ボタンの位置が思い出せなくて、ひたすら考えて、時間だけが10分20分と経つくらいなら聞いた方がいい気がする。
1秒も考えずにすぐに聞いてしまうのは、なかなか覚えられず結局は効率が悪い気がする。次もまた忘れて、聞くことになる率が高いから。

聴覚の人は「分からないと思ったらすぐに聞く人」が多い気がする。(傾向としてということで、もちろん全員に当てはまるわけではない。)
聴覚の人は、効率の良い方法を好んだり、じっくり考えるよりサッと行動することが好きな人が多い。これも「気がする」レベルなのだが。
分からないと思ったらすぐに聞くのも、この効率を好む気持ち、サッと操作することを好む気持ちからのように思える。

Gさんはいっぺんで覚えてくれないので、同じことを何度も繰り返す。
これは人による。覚え方の違いから、確かに何度か体験したほうが聴覚の人は覚えやすい――と、わたしは思っている。でも同じ体験型であっても、1回の体験で悟る人と、5回体験して納得する人といるわけで、Gさんは5回のほうだった。

総合すると「確かにGさんにはつきっきり」だったが、想像したほど「なかなか分かってくれない」というわけではなかった。
わたしがする説明などは、すぐに理解してくれるのだ。頭の回転は速く、理解力はある。

あとから考えて、自分も少し分かってきたと思った。
もしスクールで働きだして1年か2年くらいのところだったら、Gさんのことを正しく把握できなかったかもしれない。(まあ、わたしの理解が正しいとしての話だが。)
なんだか何度も同じつまずきを繰り返す。やる気を疑ったかもしれないし、覚えが悪いのかと思ったかもしれない。
練習問題を自分でやってみるとできない。ということは、まだこの章の内容を理解していないのだと思って、いくつもいくつも問題を渡したかもしれない。理解が原因ではなく、問題文を読むか読まないかが原因だったら、時間の無駄である。その時間に、もっとたくさんの機能や使い方を学習できたかもしれないのに。

その頃にはわたしなりの方法論も、少しはできていた。

たとえば何かを説明するとき、普通だったら「これこれこうだからこうします」と説明して、納得したら操作してもらうことが多い。
多くの人が、「訳も分からず操作しても覚えられない。まず最初に理屈を納得したい」と考えるからだ。

でもわたしは、もし相手が聴覚の人で、どちらかというと視覚型だなと見てとったら、まず操作してもらう。
それからエラーになる場合などの操作をして、「さっきの操作を忘れるとエラーになる」ということを伝える。
体験したあとで、「これこれこうだからエラーになる」「こういう意味」と筆談で説明するほうが、すぐに分かってもらえる。

もしスキルアップ研修のように少人数で、一人とじっくり向き合えるなら、タイミングを見て説明をする。
1回操作したら、説明する場合。
1回操作して、いったん説明。エラーになる操作をしてもらってから、また説明する場合。
何度か練習などもしてから、説明する場合。これはつまり、パターンとしては完全に覚えた後で、理屈を重ね合わせるイメージ。

自分も変化している。
経験値が増えていくにつれ、知識が増えていくにつれ、自分も変化している。

その3年後4年後だったら、さらに筆談での説明にも図を多用して、文章はあまり使わないだろう。
文章を使う場合は、箇条書きのようなものにする。
できるだけ図示する。
字の美しさ、読みやすさより、速さを大切にする。――これは、わたしの字が、時間をかけてもどうせ美しくないということもあるんだけど。

それに、できるところは手話+ジェスチャーで説明してしまうかな。
どうしてもここは、きちんと理解してもらいたいという部分は、やはり筆談にする。
筆談と手話を合わせるときもある。

わたしの変化も何段階か進んできて、ひとつまたひとつと変わってきている。
状況に合わせていくだけでなく、自分の中も変化してきた。

忘れてはならないことは、固まらないこと。
変える必要があるときは、別の方向への転換も柔軟に行えること。

積み重ねが多くなればなるほど、自分を変えるのは難しくなるから・・・・・・



●9年目:ハートの中心
Chapter 1 ハートの中心



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