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時代の変化 06:変化とともに

変化というのは避けられないものである。

パソコンは普及した。
WordやExcelやPowerPointなどの知識も普及した。
それに伴って講習の進め方も変化する――担当する講師によって変化の度合いは違うかもしれないが、どれほど「基本が大事」と考えて従来通り進める人でも、スピードなどに若干の違いは出る。

障害者の社会進出も増えた。
PCプラクティスは基礎しかしないので、それに伴って講習スピードは明らかに早くなった。
その分練習をしたり、補足の説明が多くなったりした。
スキルアップ研修は自由に人に合わせているので、それに伴ってレベルが上がったりした。
逆に、企業が新入社員用の基礎研修として利用して、基礎のコースにたくさん送り込まれて来たりもした。

障害者の社会進出は、一足飛びにできるものではない。
段階を追って進んでいく。それに合わせて、スクールの内実も変わる。

わたしが働き始めた頃、スクールには車椅子の実習生さんがたくさんいた。
年を追うごとに、肢体障害でも車椅子以外の人の比率が多くなっていった。
――これは、単純に「車椅子でない肢体障害の人が増えた」ということではなかったのだろうと思う。
現時点で職に就いていない人が、就職を目指して来るところ――となると、職に就きにくい障害の割合が増える。車椅子の場合は、施設環境の問題が懸念され、採用に至らないケースが多かったのかもしれない。施設自体の環境は整っていても、そこまで通えないというケースも多いだろうし。
しかし肢体障害の人の受け入れは増え、車椅子でも就職できるケースが増えたのかもしれない。
もうひとつ、事故などで車椅子生活になってしまうと、復職できなくて結局は退社ということも、きっと多かった。そういうケースが減ったのだと思う。会社にそのまま留まれるケースが増えた。――それが法律の規制によるものなのか、社会の受け入れ態勢や意識が変化したからか、理由は分からないが。

わたしが少しずつ年月を重ねていくのと同時に、スクールでは聴覚の実習生さんが増えていった。
わたしの少しずつの成長と違って、聴覚の実習生さんの増え方はめざましかった。
やはり、肢体の人と聴覚の人、どちらを会社に受け入れようかとなった場合、コミュニケーションに支障のない肢体の人のほうが楽そうに思える。スクールは福祉で動いているので、利益第一ではない。取りこぼされる聴覚障害者を支援するため、聴覚の人に重点を置いていた時代もあったのかもしれない。
たしかに、聴覚の人には支援が必要だった。
これまで何度も触れてきたように、聞こえないということはさまざまな違いを生む。理解の仕方、捉え方、考え方、物事の進め方――
そういう違いが障害となって、コミュニケーションに齟齬を来すことがある。
実際は聴覚の人は会社に受け入れられやすい一面もあった。肢体障害では設備が必要になる。身障者でも使えるトイレ、エレベーター、段差のない入口・・・・・・いろいろある。車椅子であれば必須条件も多くなる。それに比べて聴覚の場合、設備改修がいらないので採用しやすい。
でもきっと、そうして採用されても、うまくいかなくて離職するケースも少なくなかったのだと思う。だから支援が必要だった。
同じ日本語を使っているのだから、ちょっと面倒でも筆談すれば通じる――そう思って、あまり深く考えていなくて、いざ会社に迎え入れてみるとなんだか本質的なところで違いがある気がする。人によるけれど、実際にあるのだ。障害によるもの、あるいは手話文化によるもの(でもそれも元をただせば障害によるものだろうが)。
聴覚の人たち自身と、企業側と、両方の歩み寄りを促すためにも、スクールは多くの聴覚障害者を受け入れてきたと思う。

そういった努力は、スクールに限らず障害者を支援する施設では、多かれ少なかれ同じ方向を向いているのだろうと思う。
つまり、国全体としての福祉の方向性みたいなもの。はっきりした指針があるのか、漠然とそうなるのか知らないが、足並みはそろっている気がする。

半数以上が聴覚の人かというPCプラクティスが続いた時代があった。
やがてなんとなく割合のバランスが、均等になった。もちろん回によってばらつきはあるけれど、なんとなく変わってきたように感じた。

そして発達障害や高次脳機能障害の人が増えた。
一度に大勢を支援できるよう、特別な受け入れ態勢も整った。
いきなり技能実習に入らず、発達の人はまず社会生活に慣れる、高次脳の人は社会生活の送り方を思い出す(あるいは新たに習得する)ため、ベーシックコースで学習する。
PCプラクティスにも、発達の人たちは発達の人たち、高次脳の人たちは高次脳の人たちでまとまってやってくることになった。

当然、わたしたちも変化しなくてはならない。
よく分からないことが多いながら、ときどき与えられる注意事項と経験則で乗り越えていく。

同じようにベーシックビジネスコースにいても、発達の場合と高次脳の場合では障害特性が違う。
いっぺんに始まったので、違いに気づくにも少し時間がかかった。
スクール自体も、支援の人数や幅が広がるにつれ、整っていった部分もあったと思う。

やがて、精神障害者の受け入れに関する法律もでき、気づいたら精神の人たちが増えていた。

受け入れが進むと、変化することもある。
受け入れられた人がスキルアップ研修にやってきて、職に就いていない人がPCプラクティスに来る。
企業は面接して使いやすそうだった人を取りたがる。それは当然のことで、障害の軽重によるものか、それまでの学歴職歴によるものか、性格か、そういったもので使いやすいと判断した人がまず採用される。(もちろん100%ではないが、そういう傾向があるだろうと思う。)
そうすると、受け入れが進むにつれて、スキルアップ研修には「受け入れやすい」と思われた人が来ることになり、PCプラクティスにはより支援が必要な人が来ることになる。
スキルアップ研修では内容に多くの力を注ぐことになり、PCプラクティスでは配慮に多くの力を注ぐことになる。――もちろん、100%ではない。傾向の話だ。

しかしたとえば、発達障害などはネット検索すると、発達障害児童のための学習塾などがたくさんあると分かる。
NPOも多いらしい。
スクールでなくとも支援を受ける場所がある。
それを言ったら、肢体障害の人は、バリアフリーであれば通常のパソコンスクールに行くこともできるだろう。

いつかは、たとえば視覚障害など、専門の施設以外では支援しにくい障害が増えるかもしれない。
そうなったとき、わたしたちのような素人は不要になるのかな、と思うときがある。

実際、4年目か5年目頃の上級マネジャーは言っていた。
「今では、**や**など、これまで就職に関する支援はしていなかった施設でも、就職支援をするようになっている」――つまり、スクールの仕事や実習生さんたちは、そちらにも流れていくわけだ。

10年目くらいの上級マネジャーは言っていた。
「今では、こういった福祉施設以外でも、民間の団体やNPOなどが障害者支援をするようになっている。就職に関する支援を行っているところも多い」――またさらに、仕事や実習生さんたちが流れていくわけだ。

わたし自身は年をとる。
10年いるということは、10歳年を取ったということだ。
かつてはやる気や情熱も、もっとかきたてやすかったのだが――と思う日も増えていく。
自分の能力を向上させようとか、新しい知識を得ようとか、そういう努力も昔以上に怠慢になっていく。
将来への不安も出てくる。
このままフリーな仕事をいつまで続けていけるのか。
これが限界かな、辞めどきかな、と思うことも増えてきた。

だけどもしかしたら、こちらが辞めどきだと決断するよりも先に、向こうが決断を下すかもしれないな。
だって世の中は変化しているのだから・・・・・・



●9年目:ハートの中心
Chapter 1 ハートの中心



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